Shography's blog

何でもいいの

2018年05月

クレイジ-キルト

15年ぐらい前のことになろうか、姉がこたつぶとんにして送ってくれていたもの。中綿とそれを覆っていた赤い布(裏地)を捨てて洗濯した。
洗濯して色が褪せてしまって残念だが、うちではこたつは何年も使っていない。今後どう利用しようか思案中。

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今日、丁度洗濯したこの布を取り込んだりしている中、ゆすらうめ家で、素敵な刺し子の敷物を見た。ついでにこれを写真に撮った。

crazy quilt spring
↑これは姉の家にあるもので、制作は私がもらった「こたつぶとん」を作った同じ頃か?


他の姉作。クレイジ-キルト (より「クレイジ-キルト」と呼ばれる手法にのっとったもの)
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上4枚の写真はこの↓の部分。(私所蔵)

crazy quilt , fall color 1

(MORE)
姉はこういうものを作ってはホ-ムの老婦人たちに「ひざ掛け」としてプレゼントしているとのこと。
ゆすらうめさんからご所望があったのだが私もあらためて見たいのでも少し載せます。

crazyquilt B

crazyquilt D

crazyquilt

crazyquilt E

MORE

↓作ったクレイジ-キルトを椅子にペイントしています。
crazy quilt chair 254

crazy quilt chair 260
完成の写真があったのだったぁ!

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アルバムを探せばもっとあるが(田舎へ持って行ったものなど)・・・・・

↓例の(わかる人はわかる)私が刺繍した50年物のシャツ。
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ふと、台所を見渡せば、「あっ、これもあったじゃない」というところで。
↓もう何年も前、妹が作って送ってくれた「鍋掴み」。
かわいくて毎日愛用している。
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次は同じころの私の作。これも鍋掴みのつもりが鍋敷きになっている。
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また探してみます。










無言館のこと

六文銭さんの記事と、
https://blog.goo.ne.jp/rokumonsendesu/e/bf293716dffc9ffed0dc9028b13fca3a

以前くるみさんのお誘いでみどりさんと無言館を訪れた時の私の記事(無言館についてはあまり書いていない(笑)
http://blog.livedoor.jp/shography/archives/1002435766.html (2012・9・6)



私たちのおしゃべりを盗聴・再現?

ザ・ニュ-スペ-パ-をみてきた。

二、三日前のこと、老人施設で「清水次郎長」などやって来た後、ランチに寄った。久しぶりにゆっくりできる仲間、他4人で食事のあと、お茶、コ-ヒ-で二時間は優に喋っていた。「よくしゃべったね」と、そこで売っている野菜をそれぞれ仕入れて立ちあがった。
今日の「ザニュ-スペ-パ-」、私たちのそれをすっかり再現してくれたもんだ。
日大・アメフトからはじまって、モリ・カケ、北・トランプ、皇室問題までそっくりだった。
それにしてもこの盛り沢山の時事問題を私たちもよくしゃべっていたものだとそちらの方に感心するやら、おかしいやら。


話変わって
波佐見陶器まつりでGETしたもの。


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高台はちゃんとついているのよ。

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あまりに色がきれいなので買おうと思いながら、でも、柄が何やら変なので「これは何ですか?」と売り場の人のところへ持って行くと、ご主人が「持って行っていいですよ。」とただでくれるというのだ。色見本だって。代金は払いたいくらいだったが。

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これも実物はもっと色がきれい。
ご飯茶碗。一個100円。身障者の人たちが作っている。手描きだから味がある。

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波佐見陶器まつり、最後の日、店じまいしようとしているところへチラと立ち寄る。
値切って買った久留米絣のもんぺ。予想外の出費。でも嬉しい。
今日(28日)、下のゴムを外してパンツにした。





もう寝ようとして、思わず開いたOTTOさんの記事。

もう寝ようとして、思わず開いたOTTOさんの記事。
「みんな頑張れ」
http://teacapan.cocolog-nifty.com/blog/

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記事には関係のない画像です。

5月19日「ふくろうの会」の日の朝、ゴミ出しに行って拾った。できればブロ-チにして、ふくろうの会で付けようと思っていたがうまく行かず、持ち帰って写した。朝のあの見つけた時の色(鮮やかな赤と緑のコントラスト)ではなくて残念!これでは載せない方がいいくらいだけど・・・拾った時の私の感激を想像してください。


島原の子守唄考

ふくろうの会で発表した原稿です。

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   (朝、ホテルから見た「島原城」)
ホテルの人が「(夜)8時になると窓を開けてみてください、町に島原の子守唄の曲が流れます」と教えてくれたので、そのようにして聞いた。雨が降っていた。
近くの公衆トイレには、歌詞(一番のみ)を書いた看板がはめこまれていた。


島原の子守唄

 

「島原の子守唄」または「島原地方の子守唄」は、これまでに何人かの歌い手さんが歌っていますが、歌詞は大体同じです。それで私は、ここでとりあげましたのは、「昭和三十三年、宮崎康平作詞・作曲、古関裕而編曲のものから」とお断りしておきます。

この曲はどなたも一度はどこかで聞いたり歌ったりしたことがおありかと思いますが私は内容はあまり考えずあのおろろん、おろろん、おろろんばい、という赤ん坊をあやす優しい調子とまたそのいかにも哀愁を帯びた旋律に魅かれていました。

そこでわたしは、今年、「ふくろう」の自分の出し物がなかなか決まらず焦っていたこともあり、手っ取り早く、ただ、ここに使われている歌詞の方言を説明するにとどめてお茶を濁そうとしていました。

ところが、調べてみると、大変、大変、大変! 今まで注意していなかったのですがこの唄の内容は私にとって意外なものだったのです。

 

明治時代、当時、島原半島や天草諸島の貧しい農村や漁村では家の借金や貧困のため中国や東南アジアの各地へ娘たちが奉公や身売りに出されました。その数は累計で二十万とも三十万とも言われています。そんな娘たちは「からゆきさん」と呼ばれました。そしてこの「島原の子守唄」は正にそのからゆきさんを歌ったものだったのです。

かつて、日本では外国のことは「唐」(中国)や「天竺」(インド)などと呼ばれていて、「唐行き」はつまり「外国に行く」と同じことで「からゆきさん」とは「外国に行く人」ということになります。

では、歌をみてみましょう。

 

おどみゃ島原の おどみゃ島原の

梨の木育ちよ

何のなしやら 何のなしやら   

色気なしばよ しょうかいな    

はよ寝ろ泣かんで おろろんばい   

鬼の池ん九助どんの連れんこらるばい

 

私は島原の庭に梨の木がある家で育ちました。ここのところを「何も無い貧しい家で育ちました」としているのを見ましたが、私もそう取るほうがいいように思います。

「何のなしって?」「そりゃ、色気無しですよ。そげんわたしですけん、人買いに連れて行かるっこともなかとです」 

しょうかいな は「しょうがないね」「そうですか」などの相槌を打つ言葉と取ります。

おろろん おろろん おろろんバイ

 これは子供を寝かしつける時のあの「ねんねんころりよおころりよ」に相当するのでしょう、  

 

「鬼の池ん九助どん」の「鬼の池」は島原の対岸、天草の地名、「九助どん」は、実在した人物とも言われる女衒(ぜげん)ですが「鬼の池の九助どん」は、「人買い」「人さらい」などの代名詞ともなっていたのでしょう。
「早よ寝らんばあんおそろしか九助どんに連れていかるっよ」と言っているのです。

 

帰りにゃ寄っちょくれんかい 帰りにゃ寄っちょくれんかい   

あばら家じゃけんど 

唐芋飯しゃ粟ん飯  唐芋飯しゃ粟ん飯 

黄金めしばよしょうかいな   

 

これはどこからの帰りで誰に呼びかけているのかわかりませんが、とにかく「帰りには家に寄って行ってください」と言っています。

家はあばらやですがさつまいもが入った粟飯ば食べて行ってください。白か飯じゃなかけん、粟やいもの色のきれいかとですよ。」これを「黄金飯」と言っているのでしょう。

「唐芋飯」については、一家言あるのですが、後の話にしましょう。

 

《 》は、実際には声にしなかった部分。

《そこで、「といもめし」についてですが、私が調べたところではすべての人が「さつまいもの入ったご飯のこと」と言っていました。私は「ちがうよ、といもとは里芋のことよ」と口をとがらせて抗議したくなりました。それで今回故郷へ帰った際に兄や姉に尋ねてみました。そうすると「といも」とは「里芋の茎」つまり「ズイキ」のことで「唐芋(といも)はやはり「さつまいもだろうというのでした。わたしは、里芋の入ったご飯を一度食べた記憶があり、その時、母の口から「といも」という言葉を聞いたと思っているのでまだ納得しませんでした。そこで島原の「民俗資料館」に尋ねると「といもは、さつまいものことです」とあっさり返事が返って来ました。もう降りるよりほかないかもしれません》

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  (口之津港⇔天草の鬼の池 のフェリ-)

さて、最年少で十三才と言う娘たち、今でいうと小学校を卒業したばかりぐらいの子どもたちでしょうか、そんな子供たちが、あくどい斡旋業者の「外国に行けばもっと楽に、よんにゅう金ばもろうて親ば助くることのでくっとばい」という誘いに、その言葉を信じ、けな気にそれに従ったのです。その頃で五百円、今でいう五百万円という借金を負わされたと言います。

そして、彼女たちは島原半島南端の口之津港に深夜密かに集められ、舟に乗り込みます。

そんな夜は決まって、山の民家に付け火がありましたが、それは辺りが騒然となる隙にひっそりと出港するためのカムフラージュだったのです。

(しかし、その度に付け火をしたとは、ちょっと信じがたいですが。)

 

その様子が次に歌われています。

 

山ん家はかん火事げなばい

山ん家はかん火事げなばい

サンパン船はヨロン人

 

「火事だ!」「火事だ!」

乗せられる舟は、小さな港々を行き来するサンパン船と呼ばれるはしけ船。その船を操るのは奄美大島のヨロン島の人たちであったらしいです。背景にはその頃、ヨロン島からの出稼ぎが多く炭鉱などで不当に働かされていたという酷い話がありますが、今は省きます。

 

姉しゃんな握ん飯で

姉しゃんな握ん飯で 

船ん底ばよしょうかいな

その夜は舟の上で、いつもは食べられない白い米の握り飯を与えられたのでしょう。ふと、家にいる弟や妹のことがよぎりますが、握り飯をもらってよろこんで食べていている様子がいじらしく、切ないですね。

 

泣くもんなガネかむ おろろんばい 

アメガタ買うて ひっぱらしゅう

「泣くもんなガネかむ」の「ガネ」とは「蟹」のことで、そんなに泣いていると、蟹がゴソゴソやってきてお尻ばガシャガシャって噛まるっよ、と脅しています。

「アメガタ買うてひっぱらしゅう」とは、いい子にして寝て、目を覚ましたならアメガタをしゃぶらせてあげるよと言うのです。

「アメガタ買うてひっぱらしゅう」、このフレーズがこの歌で私が一番好きなところです。「ひっぱらしゅう」がまた、ぴったしのいい表現だとおもうのです。

みなさんは「アメガタ」と言うものを、ご存知でしょうか、
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   (こいが、アメガタですたい。)

アメガタとはこんなものです。(と、小さなバッグから、この為に佐賀の専門店から取り寄せておいたアメガタを取り出してみせた。これはこの話のハイライトともなる私のパフォーマンスだと考えていたが、以下、説明はあまりスムーズには行かなく残念!))

ところが、口之津歴史民俗資料館から取り寄せた歌詞の説明に、「牛を引く綱のようなでっかい≪あめ型≫をあげるよ」とあり、またあるところでは「アメ型(轡のようなもの)をはめてやる」などと解釈しているのをみてびっくり仰天! これは、「アメガタ」を見たことも食べたこともない人が、書いておられるのでしょう。

「あめがた」はもち米と、麦芽、水でできた飴ですが、砂糖は一切使ってないのですがとても甘いものです。温度が低いところでは固くなっていて、こうしてテーブルの端などで、パチンとはたいて小さくして食べるのですが、これがまた子供の頃は楽しかった! また、暖かいところでは、やわらかくなり引っ張ればいくらでも伸びるのです。ですから「アメガタ買うてひっぱらしゅう」は「アメガタを買って食べさせてあげる」という意味になります。

先日故郷へ帰ったとき、この話を兄姉たちや同級生にもちだすと思い出話に一頻り花が咲きました。

昔は行商の人が、大きな缶に入れて背負って売りに来ていたと誰か言っていましたが、そう言われれば私も覚えているような気がします。

また、乳がよく出ない産後の母親が滋養のために食べたりもしました。

 

姉しゃんな何処行たろうかい

姉しゃんな何処行たろうかい

青煙突のバッタンフル

唐はどこんねき 唐はどこんねき

海の果てばよ しょうかいな

早よ寝ろ 泣かんでおろろんばい

 

「ねえちゃんは、どこさんいかしたとやろか」「外国ってどこんにきね?」

「こん海ばずーっと行った遠ーか、遠ーかところやろう」と残された妹や弟

が、いなくなった姉をいぶかっています。

「青煙突のバッタンフル」これは、香港のバターフィールド社の船で、三井三池炭鉱からの石炭を運んでいました。娘たちはこの石炭を積んだその船底に詰め込まれて、衛生上も非常に悪い過酷な条件の中で長旅を強いられて海を渡って行きました。

そして、すでに船の中で船員たちの慰み者になることも多かったし、現地では娼館に売られて行ったのでした。多くは、当時アジア各国を植民地支配していた欧米の軍隊からの強い要望のあったところへ派遣されました。

これら、からゆきさんの一部始終が映画、「サンダカン八番娼館 望郷」にリアルに描かれています。私は先日、ユーチューブで見ましたが、その残酷さに目を背けずにはいられませんでした。要求されたことに抵抗すれば、あの仲買人たちから「家のおっかさんたちの借金はどげんすっとか」と脅されます。彼女たちは諦め、もう観念して生きて行かざるを得ませんでした。

結局、彼女たちは、辛い性奉仕や男たちから移された病気によってわずか二十歳ぐらいで命を落とす者が多かったのです。

しかし、中にはほんのわずかですが無事年季を終えて帰郷した人もいました。そして貯めた小金で親のために家を建てる者もいました。それが身を売って得た金であるにもかかわらず、そうした家は近所からうらやましがられ、そんな娘たちは「親孝行もん」と言われました。また、現地で華僑の富豪などに見初められて夫人や妾になったものもいました。帰郷したそういう女性の指には金の指輪が二つも!(私は、食パンを括っているあの金色の針がねで指輪の形に作って、二本の指にはめてみなさんにお見せしたが、それがそんな針金ではなく本物に見えたのか私が期待したリアクションはなかった。これも残念!) 次の歌詞がそれです。

 

あすこん人(し)は二ちも あすこん人(し)は二ちも

金の指がねはめちょらす       

金な何処ん金 金な何処ん金      

唐金(からきん)げなばい しょうかいな    

娵御ん紅な 誰(だ)がくれた 

唇(つば)つけたなら あったかろ 

 

あの人は二つも金の指輪ばはめとらす。

どこの金やろか 外国の金げなばい そげんってかい。

 

あすこん嫁さんの赤か紅は誰がくれらしたとやろか。唇(つば)に塗ったら燃えるごときれいかろう

                  

あばら家で粟飯しか食えない郷土で金の指輪をはめているのですから、注目の的です。それを見る郷土の人たちの眼差しの複雑さ、それに耐えて突っ張って指輪を見せびらかす女の心。

子守の貧しい少女は、それを見て蔑みながらも羨みます。

このように、からゆきさんたちにとって、やっと帰ることが出来た故郷もホッとする場所ではありませんでした。

 

それにしても娘たちをこんなひどい目に遭わせたその時代の出来事に憤りを覚えます。彼女たちは、当時は「からゆきさん」とは呼ばれておらず、もっと蔑みの酷い呼び名で呼ばれました。私はあまりにも気の毒で悔しくて、その言葉をここで口にする気はありません。
 これは読まなかったその呼び名(醜業婦・賤業婦・密航婦・島原族・天草女)

 

最後の章は読むだけにして「からゆきさん」を偲びたいと思います。

 

沖の不死火 沖の不死火

燃えては消える

バテレン祭の バテレン祭の

笛や太鼓も鳴り止んだ

おろろん おろろん おろろんばい

おろろん おろろん おろろんばい

 

このお話は、主に「二木・紘三(ふたつぎ・こうぞう)のうた物語」を参考にしました。  

 

   今日は、この辺でよかろうかい。(完)

 

 

先日、法事のため実家へ帰った折に、何か空気を感じようと島原、天草を訪れました。口之津港にはからゆきさんも居らず、天草の鬼の池には九助どんの姿もありませんでしたが感覚的には何か収穫があったようにも思います。

 

今度の私のお話には間違いも多々あるかもしれませんが、なるべく私見を交えることに努めしたためました。

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花てぼ



絵は誕生日(2月14日)の花。遊工房さんよりいただきました。

「花てぼ」とは、九州で昔、子供が野に出て遊ぶ時提げてまわった素朴な 「かご」のことです。よく、れんげや、つくしなどを摘んで遊んだものでした。

「Shography」とは私の造語で、書道のShoと、「書道」の英語、calligraphyから捩ったものです。

埼玉県在住
朗読することが好きですが、故郷・長崎のことばで語るのも楽しいです。
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