革新的国家公務員OBが語りたいこと・伝えたいことー自由と民主主義を信じ国益を考えるーAiming at an innovative official of the national government

36年の公務員生活で培った「防災・復興法制」「都市計画法制」の知識を広く共有するため、書評を通じて、関係する新しい論点を示します。なお、意見にわたるものは個人的なものであり所属する(した)組織の意見や立場ではありません。

『地方自治講義』を読んで、大胆に様々な主張と現在に政策への批判を行っているが、それに対する検証が必要か?


 福島大学の先生の書かれた本。

 第一印象は随分大胆な物言いをする先生だなということ。

 国の政策について、大胆に批判しているが、それに対して、きちんとした検証と意見を持つことが必要。

(1)明治、昭和など、国策としての市町村合併運動は、少なくとも自治体の側には何らの必要性がないまま国が推し進めたのですが、平成の大合併においては国の側にも何らの必要性や必然性がなかった。(p90)

 平成の大合併によって、市町村の行政区域が拡大した場合に、財政効率性が改善しているかどうかはまず事実として検証する必要あり。理論的には、広域化して、公共施設等の再編が進めば財政効率化が進むことは十分考えられるので、それが一切、市町村側に存在しえないことはないと考えられる。この大胆な物言いが成立するかどうかは、現実に一切の財政効率化の効果が市町村側にないということを確認する必要がある。

(2)東京圏への転入数の減少が景気後退によるという主張(p243)

 転入の減少は1970年代後半、1990年代前半、200年代後半に生じているが、このような中期的な動きは、小刻みに変動する景気ではなく、移動世代である年代別人口の変化によるものと自分が理解していた。これも検証の必要あり。

(3)東京都心のタワーマンションに居住する人たちは高所得者層に偏っている。それが都心回帰の現実です。(p247)

 タワーマンション自体はかなり高額だし、そもそも分譲住宅なので一定の所得階層以上であることは想像できる。しかし、そもそもの都心回帰が高所得者に限定された現象なのかは要検証。

 著者引用もとの鰺坂学「『都心回帰』による大都市都心の地域社会構造の変動」(『日本都市学会年報』33号をチェックする必要あり。

(4)東京圏の大学における東京圏出身者の割合の増加→東京圏の企業や官庁に東京圏の出身者の増加→東京目線の政策の増加(p250)

 このあたりになると、ほとんど予言みたいなものだが、東京23区での大学定員抑制の政策も採られているので、そもそも、東京23区の大学における地方圏の割合の変化やそれを前提にしたときに、23区内の大学定員の抑制が、地方からの転入減少につながるのかどうか、などの検証が必要ではないか?

 以上、批判的なコメントをしたが、198頁以降の第5講における、マッカーサー原案から現行憲法の間において、日本政府が地方自治関係の英文における調整プロセスで、地方自治の内容を骨抜きにしたとの分析は非常に興味深い。

『刀狩り』を読んで、実際に秀吉の刀狩りでも鉄砲や刀を農民が持ち続けていたという新たな歴史的事実から、ビックプランがもたらす誤解の可能性を考える。


 歴史学者が、秀吉の刀狩りというのは、農家から武器、特に、脇差しと刀をとりあげる目的をもった布令だが、実態としては、脇差し、刀も多く農民に残っていたこと、さらに、鉄砲は獣害を防ぐために積極的に活用されていたことを、歴史的文書から明らかにしている。

 刀狩りが中途半端になった理由としては、

(1)そもそも刀狩りの実施自体が、末端の農村の中心的な農家に委ねられていたこと

(2)刀、脇差し自体は、名誉の象徴であって、簡単に取り上げることができなかったこと

(3)農村での治安維持は農民に委ねられていたので、一定の武器がないと治安が維持できなかったこと
 などが背景にある。そう言われれば、当然だなと思う。

 「刀狩りの布告」の立派な文書が、それをもって現実に効果を及ぼしたという誤解が、つい最近まで続いていたことからみても、「刀狩りの布告」といった政府のビックプランが具体の効果をそのまま実現しなかった貴重な実例とも言える。
 
 昨日読んだ、『傲慢な援助』http://blog.livedoor.jp/shoji1217/archives/1068842620.htmlの「プランナー」の指摘にも通じる。

 最近のビックプランとして、市町村行財政の効率化を目指す「市町村合併」や「連携中枢都市圏」などの政策がふと思いついた。

 目的、手法とも立派だが、その実、いろんなしがらみで公共施設の集約がうまくすすまず、逆に、大災害時での脆弱性を生んでいる可能性もあることから、このようなビックプランの具体的な効果や実績をきちんと検証する必要がある。

 行政マンを政策の検証を正直にちゃんとしないと、秀吉の刀狩りの布告を盲信していた歴史学者を笑うことはできないのではないか?

『傲慢な援助』を読んで、プランナーとサーチャーという視点は、都市計画にも有益か?

傲慢な援助
ウィリアム・イースタリー
東洋経済新報社
2009-09-04

 先日読んだ、『善意で貧困はなくせるか』http://blog.livedoor.jp/shoji1217/archives/1068718166.htmlと同じく、発展途上国支援について、単純に資金だけを大量に投入しても、発展途上国が発展をしないことを、データに基づいて立証した本。

 その分析本体よりも、その前提として、著者が提示した、分析の概念が有益。

(1)Planners
・善意には満ちているが、誰かにそれを実行に移させるモチベーションを与えようとはしない。
・人々の期待を高めはするが、その実現に責任を負わない。
・何を供給すべきかを考える。
・世界大の見取り図をかく。
・トップにたってボトムを知らない。
・自分たちが考えたことが実際に必要とされているかどうかは気にしない。
・自分が答えがわかっていると思い込んで、貧困問題も技術的な問題で、自分が思っている解答に従って、行動すれば解決できると考えている。
・たとえ問題の国にいなくても答えは分かっているとばかりに解決策を押しつける


(2)Serchers
・物事がうまく動くやり方を考え、うまくいったら得をするようなインセンティブを与える。
・行動に対して責任を負う。
・何が求められているかを見つけ出す。
・個々の国の事情に合わせて考える。
・ボトムの現実を把握している。
・自分たちの考えたことが実際に人々を満足させたかどうかを考える。
・事前には貧困問題解決の答えはわからないと認めて、政治的、社会的、歴史的、制度的、さらには技術的に複雑に絡み合った問題だと考えている。
・試行錯誤を繰り返して個々の問題に対する解決策を探ろうとする。
・問題を抱えるその国の当事者こそが問題解決のための知識を持っていて、大部分の解決策はその国で施行さえるべきと考えている。

 これらは、最近の馬場さんの「エリアリノベーション」の考え方http://blog.livedoor.jp/shoji1217/archives/1057795299.htmlや清水さんの「リノベーションまちづくり」http://blog.livedoor.jp/shoji1217/archives/1010733152.htmlの発想と非常に近い。

 日本が高度成長期で右肩上がりで将来の経済規模や都市の姿がある程度見通せた時代には、単純な、この本でいうところのプランナーのような考え方がうまく妥当したのだろう。人口減少や世界情勢と日本経済が一体化している現代では、この本の発展途上国と同じく、将来は不確実で解決策も先験的にはわからない前提で、小さく試み、検証して、是正していくプロセスが重要になっているということかもしれない。

 途上国への支援のあり方の本から、意外にもまちづくりへの重要な示唆を得ることができた。
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