最近、「地震予知ができない」との調査会の議論などがでているので復習。

 自分の問題意識は、地震予知の議論と大規模地震対策特別措置法の立法プロセスの関係。

 以下、ポイントのメモ。政治に翻弄されている当時に立法プロセスがよくわかる。

(1)1976年東京大学地球物理学教室助手の石橋克彦が「駿河湾地震」説提唱(p306)。

(2)静岡県知事山本敬三郎は、1976年9月議会で約2億円の地震対策費計上、11月5日の関東知事会議で地震予知観測の強化と一元化の国要望の提案、会議の賛同(p312)。

(3)第78回国会で秦野章が石橋の氏、浅田敏をよび質疑、その後、東海地震について、浅田のほか、地震予知連絡会長の萩原尊禮、東京工業大学の力武常次がしばしば呼ばれる(p315)。

(4)日本の地震予知計画は、計画の建議は文部省の測地学審議会が行い、1969年に各研究機関の情報交換し、それを総合的に判断する場として国土地理院に地震予知連絡会が設けられた。1973年には各省庁の探訪部局の連絡組織として科学技術庁を事務局にした地震予知研究推進本部が設けられた(p314)。

(5)「駿河湾地震」説にはいろいろ異論・批判があったことから、地震予知連絡会は1976年11月29日に開いた定例会で、石橋の「駿河湾地震」説を大筋で認める統一見解を発表(p319)。

(6)全国知事会の特別立法制定の動きをうけ、自治大臣の小川平二は1977年7月29日の閣議で「大震災特別法(仮称)」の法案づくりを進めていることを明らかにした。これに対して、国土庁長官の田沢吉郎は9月6日の閣議後記者会見で、「大地震が予知された段階での対策、指揮系統を一貫したものにするため、国土庁を中心に特別法案を次の通常国会に提出したい」と語った。しかし、担当の国土庁官僚は法制化に消極的で、担当審議官も「現在の予知情報とうのが、気象程度の確度になっていない」として消極的姿勢を示していた(p326)。

(7)全国知事会地震対策特別委員会は1977年12月7日「大地震対策特別緊急措置法案要綱」をまとめた。この要綱はア 地震予知観測体制と警報体制の確立、イ 警報発令時の緊急措置の制度化、ウ 地震対策特別事業の策定とその推進の3本柱からなっていた(p327)。

(8)全国知事会の要請に対して、1978年1月10日づけで国土庁は災害対策基本法一部改正で対応すると回答した。

(9)1978年1月14日昼過ぎに起きた伊豆大島近海地震(13日夕に前震あり、体積ひずみ計が直前に縮みから伸びに変化、地下水中のラドン濃度や水位の変化あり)をうけ、1月17日首相の福田が桜内ら関係閣僚に「大震災対策法」を開会中の国会提出を指示(p328)。

(10)1978年2月17日、国土庁、消防庁、気象庁により「大規模地震対策特別措置法案」(以下「大震法」)が発表された。大規模な地震発生の恐れがあるときは、気象庁長官は首相に報告した上で地震予知情報を発表、地震予知情報の報告を受けた首相は警戒体制に入る旨の布告を行い、総理府に地震災害警戒本部を置くなど。(p334)

(11)1978年4月4日の閣議決定された法案では、気象庁長官が地震予知情報を発表するという条項が削除され、首相自らの責任で「警戒宣言」という形で地震予知情報を直接発表することになった(p335)

(12)地震予知の可能性にうちては、国会答弁では気象庁参事官の末広重二が担当(p337)。「予知は研究開発段階ながら、マグニチュード8クラスの巨大地震については、前兆現象は発見できる段階」(1978年4月7日参議院決算委員会)

(13)東海地域判定委員会が大震法に盛り込まれなかったのは、気象庁が反対したから。その理由は地震学者から研究と法律はなじまないと強い反対があったから(p339)

(14)1980年5月「地震防災対策強化地域における地震対策緊急整備事業に係る国の財政上の特別措置に関する法律」が議院提案された。この法律によって、2012年度までに静岡県だけで事業費が約8500億円に達している(p335)。

(15)阪神・淡路大震災のあとに制定された地震防災対策特別措置法は、地震予知に頼らないで地震防災対策を進めていくことを基本としていた。地震調査研究推進本部が発足すると同時に科学技術庁は「地震予知」と名前がつく組織を「地震調査研究」などと名がつく組織に変えるよう指示(p451)。