革新的国家公務員OBが語りたいこと・伝えたいことー自由と民主主義を信じ国益を考えるーAiming at an innovative official of the national government

36年の公務員生活で培った「防災・復興法制」「都市計画法制」の知識を広く共有するため、書評を通じて、関係する新しい論点を示します。なお、意見にわたるものは個人的なものであり所属する(した)組織の意見や立場ではありません。

2014年11月

『人類が知っているすべての短い歴史 上』を読みました。


 やっと上巻がきたので、日曜日の最初の読書。

 仕事に関係なくて、自然科学系の本の読書は気持ちいい。

 この本、上巻の方が切れがいいと思う。

(1)プレートテクニクスの議論って、わずか30年前は完全な異端だった。(p358)

 でも、それでも解けないなぞがたくさんあるらしい。

(2)プレートが三つもぶつかる東京のことを、ロンドン大学のユニバーシティカレッジのビル・マグワイァは「死を待つ街」と形容している。(p411)

 やめてくれ。ちゃんと防災対策をやるから、みてろ。

(3)イエローンストーン国立公園は、全部が大きな火山口。(p439)

 確かに、火山らしい火山はないよな。全部噴火で吹っ飛ばしてしまったあとに温泉とかわいているのだから、巨大な噴火だったことがわかる。

 あと、この本の前半部分の量子力学について、ほとんど微少の世界の論理は、ひも理論とか理解不能な状態になっていることをおちょくっている。p334。アインシュタインも宇宙と量子力学が一貫して分析できないのが残念だったらしい。この著者は、アインシュタインが議論を断念していれた宇宙定数が、結構いい線なのかもしれないと言っている。

 このあたりは、自分は、ニュートン力学の知識しかないので、へえ、って思うだけ。でも、六次元だとか、虚数時間とかで説明ができるとか、できないとかいわれても、ほとんど、あたまでイメージできない。著者も同じ感覚。

『ヴァロア朝』を読みました。


 ヴァロア朝は、14世紀初頭のフィリップ6世から17世紀中盤のアンリ3世までの間。

 フランス王朝が、いわゆる現在のフランス国内の貴族、諸国を征服していって、ほぼ現在のフランス国の姿に等しい形の領土を確保していく過程。

 その途中では、100年戦争から、宗教戦争とか戦争が続くし、優れた王もいれば軟弱な王もいて、よくまあ、300年も続いたな、というイメージ。

 特に、最初はフランス王家は自分の領地からの年貢で王室の生活と戦争をまかなってきたが、三部会とか何度かひらくうちに、14世紀後半のシャルル5世が恒常的で諸侯の領地にも課税できる税期の制度をつくって、これが常備軍を維持できるようになって、諸侯を圧倒していく、その一方で、大量の税金を徴収し、管理していくための官僚組織が生まれていく、というのがフランス国家の国家組織が生まれていくプロセス。

 あと、大事なのは、大陸側に英国領土が相当長期間存在していて、ようやくヴァロア朝後記に大陸から追い出したこと、宗教改革までは、各王国の協定や戦争に教皇が時々顔をだして仲介役をしかけるが、後半になると、むしろ、フランス国内がプロテスタントとカトリックで王家の周辺の貴族までが分断して争いだすこと。

 日本は、14世紀くがらいから、少しずつ、国家が形を整えつつあったフランスと比較すると、一気に明治維新で、国家制度の根幹である租税制度、軍隊、官僚制度を作り上げていったことがわかる。

 ヴァロア朝のあとにブルボン朝になってフランス革命となって民主政と人権思想がでてくる。これも明治国家ではまがりないに、明治憲法で一気に実現していく。

 600年以上をかけて、築いてきた国家組織、国家制度や議会制度、人権制度を、明治維新以降、上から一気に作ってしまった日本と、少しずつ、戦争しながら、王家の都合でつくってきた国家組織、制度が、下からの革命で民主制度として転換していったフランスとか英国とは、かかった時間のスケジュールが違いすぎる。

 上から、一気に国家制度と憲法秩序を創りあげた、そういう意味でも、短期につくったプロイセンをまねしようとした明治政府の偉勲たちの感覚は意外とするどいものがある。

 ヴァロア朝って、実は、この本よむまで、よく知りませんでした。

吉田徹『感情の政治学』を読みました。


 北海道大学の政治学の先生の本。
 前半は該博な知識に基づく引用が多く、何が焦点が自分には十分追い切れなかった。

 僕の理解しえた範囲でいうと、日本は税金が上げにくい国。消費税をあげると中曽根、竹下の時のように政権が倒れる。

 その割には、税負担が少なく、低負担、中福祉を実現していて、つけを次世代に送っている。その背景には、政治家と官僚への不信感がある。位置3324で示されたとおり、信頼できないとう比率は、国会議員で62.5,官僚で57.3もある。

 その一方で、抗議活動などへの参加の割合は、フランスは43%、イタリアは37,米国は36,英国は25に耐いて、日本は14%にしかすぎない。

 政治に不信感をもっていが、あまり行動も起こさない。

 著者は、その背景として、住民のまわりの社会関係資本、信頼できる人のつながりが弱いこと、また、ある場合にも、閉鎖的で外に対して閉じている、という市民相互、住民相互の不信感があるという。

 国際比較をみても、市民相互の信頼感が高い場合には、福祉の水準が高くなり、低い場合には、福祉の水準も低くなる。もちろん高い国は北欧だし、低い国は日本以外には米国とかイタリアがあげられる。(位置3465)

 基本的に、社会補償などの再分配の仕組みは、税金で行うしかないが、その税負担と受益の関係が、まず、若者や中年などの勤労者が負担して、高齢者が受け取るという仕組みが持続可能ではないのではないか、という懸念、そして、その懸念から税金の負担をいやがりつつも福祉を行うために、投票権のない将来世代にツケをまわす赤字国債や地方債での財政のつけまわし、これが、著者は指摘していないが、ねっこにあると思う。

 ドイツは来年度から国債発行ゼロとする方針。少なくとも将来世代へのつけまわしをしないことを明言している。あとは現世代での再分配が許容できる範囲かどうかを自らの受益と負担の問題として考えれば良い。

 そして、身近なことは地域共同体が信頼できる仲間、これは別にリアルな特別の境界に囲まれた区域という意味に限定されず、信頼できる仲間内での負担と受益、負担と楽しみとの関係で解決していく。

 これが将来世代につけをまわさずに、経済社会、地域社会を持続可能にする唯一の方向だと思う。

 まず、地域包括ケアでも、地域の診療所でも、地域の保育園でも、地域の公園の管理でも、地域の仲間が信頼関係を、持って、かつ、よそものにも開いた関係をもちつつ、自ら負担をして、楽しく受益も受けていく。そういう地域共同体組織というものを、いろんな政策分野がまとまって追求すべきではないか。

 ナショナルミニマムの保障は、全国民が経済社会を維持するという意味で税金で対応すべきものだが、それ以上のものは、次世代にツケをおくったり、都市の負担で地方が楽をするということの合理性はないと思う。自ら負担をせずに楽をすることを感覚で覚えてしまえば、だれも負担をしなくなるはず。

 ここに様々な戦後の制度的枠組みのひずみがでていると僕は思う。

 ちなみに、著者は世代間、地域間の受益と負担の話は一切触れていない。信頼に基づく地域共同体が、民主主義を機能させるために不可欠という結論になっている(と思う。)

『人類が知っていることすべての短い歴史 下』を読みました。


 上が品切れで中古を頼んだが、連休に間に合わず。面白そうだから下巻が読んだ。

 英国人のコラムニストが著者。でも、自然科学の歴史に随分詳しい。こういう、壮大な歴史もの、欧米の人は好きだなと思う。

 へえと思った点を以下列記。

(1)現代人の遺伝子の差は極めて小さく、55匹の猿の方がもっと多様な遺伝子を持っている。(p419)

これはアフリカで生まれたごく少数の人類が祖先だという主張の証拠とされる。しかし、まだいろいろ議論がある。

(2)実は現代は氷河期のまっただなかにいる。冬に全世界で雪がふったり、ニュージーランドに氷河が存在するのは、地球にとっては極めて異例の事態だ。(p354)

(3) ネズミの生存に必要な遺伝子を除いても、他の遺伝子が介入して代理をするので、正常はネズミが生まれる、(p335)

 このノックアウトマウスの話は別のところでも読んだことがある。

 この手の話を、おもしろ、おかしく書ける能力はなかなかのもの。

『盗作の文学史』を読みました。

〈盗作〉の文学史
栗原 裕一郎
新曜社
2008-07-01

 休日にレヴィストロースを読んでいて挫折したので、代わりに読んだ本。

 盗作の批判にさらされた作者。

(1)大藪春彦:デビュー作の「野獣死すべし」が「フランク・ケーン」の「特ダネは俺に任せろ」の盗作。

(2)山崎豊子:「花宴」、エーリッヒ・レマルクの「凱旋門」の盗作、「不毛地帯」は自費出版のいまいげんじの「シベリアの歌」からの盗用がある。ちなみに「大地の子」は裁判になったが山崎氏の勝訴。

(3)丹羽文雄「親鸞の再発見」では、仏教研究家の林田茂雄「たくましき親鸞」からの無断引用あり。

(4)NHKの「春の波涛」が山口著の「女優貞奴」の翻案権を侵害しているとの訴訟は、NHKの全面勝訴。

 このあたりの判決の読み方はもうちょっと勉強が必要。要はこの本の説明ではよくわからない。

 まあ、本当に大御所から新人まで盗作ばかり。アイディをどこまで換骨奪胎すれば許されるかという線引きと、特に野フィクションぽい小説はもとの事実を原典に当たっていない場合には、どこかの本からとっているので、そのまま書き写すと無断引用になってします。まあ、正直に引用と書くとか、参考文献にあげて、多大な情報をいただいたとか書けば、事実上は済む話かも知れない。

 自分も論考を書くときには、丁寧に引用や出典をかいているつもりだが注意しよう。

 でも、盗作の事典をつくっちゃう著者の好奇心には脱帽。
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