革新的国家公務員OBが語りたいこと・伝えたいことー自由と民主主義を信じ国益を考えるーAiming at an innovative official of the national government

36年の公務員生活で培った「防災・復興法制」「都市計画法制」の知識を広く共有するため、書評を通じて、関係する新しい論点を示します。なお、意見にわたるものは個人的なものであり所属する(した)組織の意見や立場ではありません。

2014年12月

『リーダーを目指す人の心得』を読みました。

リーダーを目指す人の心得
コリン・パウエル
飛鳥新社
2012-09-29

 田崎さんの『安倍官邸の正体』で参考文献にあげられていたので、購入。

 もともとコリン・パウエル氏は黒人で初めて統合参謀本部長までなった人で、関心はあった。

 しかし、いわゆる思い出話のような本で、政治記者ってこういう本を参考文献にあげるんだな、とちょっと意外。

 でも、いいことを言っているので、メモ書き。

(1)常に楽観的であること。自分を信じること。(p47)

(2)歩けるなら走るな、座れるなら立つな、横になれるなら座るな、眠れるなら起きているな。(p69)

 向きになって仕事ばっかりしゃだめっていうこと。

(3)(第一報に接したら)常識的に変だと感じないか?深呼吸をしたり目をこすったりしてみよう。(p167)

(4)(記者の質問に対しては)答えたくない質問には答えなくて良い、未来に対する仮定の質問には答えないこと、彼らは彼らの仕事をしている、君は君の仕事をしている、ただし、リスクを負っているのは君だけだ。(p175)

(5)見ている人は見ているのだ。(p56)

『ナショナルアイデンティティと領土』を読みました。


 年末にふさわしい読書ができた。

 ずっと、不思議に思っていた、ドイツの東プロシアと今ポーランド領となっている部分の放棄の歴史。

 このいわゆる東方領土は、そもそもソ連がポーランドに浸食した部分をポーランドに旧ドイツの東側部分を与えることでバランスをとったいう連合国側の都合であって、ワイマール共和国時代の領土の東側を削り取るというのは、民族自決という観点からいっても合理性が説明できない。事実、戦後、多くのドイツ人が強制的に現ドイツ部分への追放されている。

 その歴史は、当初は、連邦共和国としては、オーデル・ナイセ川をポーランドとの国境とすることは、与野党とも認めていなかった。

 しかし、歴史的に被追放者がドイツの経済成長の恩恵をうけたこと、必ずしも被追放者の団体がうまくドイツ内で統一できなかったことから、当初から統一的な返還運動にならなかった。

 ただし、事実上、どんどん追放された地域がポーランド化していくこと、西側諸国もドイツが巨大化を望まないという事実条件は理解できても、規範的に、ドイツ国民が納得できる理屈を提示できない間は、東方国境未確定の旗は降ろせなかった。

 しかし、福音教会や社会民主党など左翼が中心となって、ポロコーストの罪を犯したドイツとして、東側諸国とは和解しなければならないというホロコーストアイデンティティという主張が世論の理解をえてきたことや、ワルシャワでのブラントのひざまずいての謝罪などを積み重ね、また、国民の大多数がオーデル・ナイセ川での国境を容認したこと、東西ドイツの統一にあたってドイツがさらに東に領土を拡大する道は政治的にありえなかったこと、など、思想的な説明と政治的な既成事実があいまって、現在に縮小したドイツ国家というものをドイツ国民は受容してきた。

 ドイツがこれだけの多くの領土と国内での被追放者の反対を押し切って、現在の縮小したドイツ国土をCDUから社会民主党、緑の党まで受け止めてきた、政治的努力は大変なものだと思う。

 しかし、なんとなく、この著者では問題がまったくないようだが、ホロコーストという大犯罪を犯したことと、ドイツ人のポーランド軍が追放したことは、理念的にはわかるけれども、本来は別々の話で、だからソ連、ロシアが領土を西に広げ、ポーランドがその代償として領土を西に広げることが是認されるわけではない。
 
 それは、ホロコーストを起こしたドイツ国民としてきちんと受け止め和解しようという共同の認識、共通理解でもって無理矢理おさえこんだ政治要求ともいえる。

 さらに、EUという体制がほとんどドイツの経済力で支えられており、また、その経済秩序が危機に瀕した時に、この理屈のほころびが指摘される可能性はゼロではないと思う。

 その意味でも、理知的にドイツ国民やドイツ政府が行動することを、今後のヨーロッパの安定はかかっており、逆にいうつドイツで右翼的な動きが強まると一気に崩壊する危うさをもっていると感じた。

 ホロコーストアイデンティティという主張が今の縮小ドイツを支える理念ということが理解できたのは大変な収穫だった。

佐伯啓思『経済学の犯罪』を読みました。


 大澤さんの『問いの読書』で推薦されていたのと、先日、公衆衛生学者のIMFの緊縮財政が鬱病や自殺者を増えるという主張を読んだことに触発されて、理論経済学の大家で最近は経済学批判をしている佐伯先生の本を通読。

 静岡に緊急入院した母親のもとに駆けつける電車の中で読んだので、やや、注意力散漫。

 気になった点。

(1)佐伯先生が留学した戦後直後は、ケインズ派、制度派、イギリスのオックスフォード派などいろんな学派が議論しあっていたが、現在は極めて極端な自由市場を主張するシカゴ派だけが、経済学で議論されていること。

(2)グローバル経済について、アダムスミスはむしろ、重商政策で金銀だけをあつめようとすると世界経済が不安定化する経済に反対して、土地へ労働力を投入し、そして工場が分業するという自国の経済の生産性を高めることを主張したこと。自国の生産性を高めれば、自由貿易でより比較優位な生産をすれば、相互の国にとって、ウィンウィンの関係になると主張すたこと。

(3)しかし、実際に産業構造は、比較優位の原則で、日本が半導体をつくってアメリカがポテトチップをつくればウィンウィンとはどちらの政府も考えないので、グローバル経済の中でも国家戦略、公共計画という側面が全面にでてくること。

(4)需要と供給で財の量と価格が決まるというのは、n個の財についてn個の市場があるという、ことで連立方程式を解けば最適解が解けるというのが、ワルラスの基本的考え方で、理論経済学はそれを今でも踏襲している。しかし、この場合、貨幣というのは単なる単位としてのみ機能することを前提にしているが、実際には、貨幣には、それ自体、貯めたり、投資したりするという独自の動きをするので、貨幣の位置づけをしようとすると、そもそもそれぞれの財の市場で財の価格と量が決まるという前提がくずれる。要は今の近代経済学は貨幣について、うまく位置づけができていない。

 これは岩井克人さんも指摘しているところ。

(5)副題にもなっているが、近代経済学は希少性が財にあることを前提にして、その配分を考えることが前提だが、ものが過剰にあふれた現在について有効性が問われている。

 うーん、経済学の問題はよくわかるけど、どういう経済運営をしたらいいのか、経済学が実験による再現性をチェックできないので科学でないことはわかるが、これだけ、もともと本流だった経済学者が異論を唱えているのをみると、政策提言をしている経済学者は、一度きちんと集まって、学会でも今のアベノミックスについての論点整理とかしてほしいと思う。

 いろんな学説が専門家から示されると、結局、わけがわかんなくなって、素人が専門的な判断をするという最悪の結果になると思う。専門家の8.9割が納得できる線というのを示すのが経済学者の役目ではないのか。

『復興災害』を読みました。


 全体を通じて、指摘についてはもっともだと思うし、関係者として反省をしている。

 塩崎先生の指摘で、きちんと受け止めようと思った点。

(1)伏線的な住宅再建の道をつくり、自力再建のみちをふさがないこと。また、できるだけコミュニティを活かした形で仮設住宅、災害公営住宅を考えること。

(2)ハードの防潮堤とか市街地整備は一つの手段であって、被災者の生活再建と産業再生を復興の第一の目標とすべきこと。日本再生といった他の目的とごっちゃに大規模災害の復興の議論をしないこと。

(3)大規模災害復興法で生活再建関係の規定をおけなかったのは、災害救助法と併せて、財政的な課題を整理できなかったことが背景にある。この点は、被災者支援法、災害救助法と併せて財務とよく議論をつめておき、平時から、財務に対しても財政効率的と説明ができ、被災者の生活再建につながる手法について、準備しておきたい。

(4)防災・復興省のような仕組みは必要だと思う。気象庁とか消防庁、文部科学省の地震・火山研究本部や防災研などはここに一括してあつめて、少なくとも自然災害についての対応を一元化したい。原子力災害については要検討。戦争などの緊急事態対応は別にすべきと考える。是非、学会でも議論してもらいたい。

 なお、塩崎先生は、あまり東日本大震災の部分では指摘していないが、土地区画整理事業、市街地再開発事業という仕組み自体は、人口減少社会の日本の災害復興の手法として、時代遅れではないのか、という問題意識も詰めていきたい。

『安倍政権の正体』を読みました。


 時事通信の編集委員で、いわゆる政治記者の田崎さんが書いた本。タイトルはおどろおどろしいが、安倍政権応援本。

 役人が知っている官邸の内部の構造(内廊下の存在)とか、菅さんが実力者とか、その通りだと思うし、実は他の新聞でもよく書いてあること。

 詳しく知った点は以下のとおり。

(1)総理、官房長官、政務・事務副長官、今井秘書官が毎日10分程度の会議を行っていること。(p29)。また、官房長官と政務の副長官は朝会を別途やっていること。(p33)

(2)人事案件について、最高裁判事の案件で最高裁事務局が日弁連推薦の判事案を一人持ってきたのを突っ返して複数人の人事案をもってこさせたこと。(p63)

 これで、みんな役人震え上がったんですよね。

 総理、官房長官など万全な官邸の戦略で、自民党を押さえ、選挙に勝つという戦略を緻密に立てている。これ自体は政権として当然、合理的なことだし、むしろ評価すべきことだと思う。

 田崎さんはまったく論理的に詰めていないけど、代表民主主義で選挙に勝つことは最高の正統性を与えることになるけれど、それからもれる国民の利益にも目配りが必要だと思う。小生が気になっている点。

(1)選挙は選挙権がある人の判断。だから、選挙権のないこどもやこれからの世代の意見は当然反映されない。赤字国債をとめられない、減らせないということは、現世代の選挙権のある人には現実的な苦痛はないけれど、次世代のつけまわし、次世代の時代には予算が国債償還費で一杯になっていることを決定していることになるので、この選挙権がない次世代の国民の利益をきちんと考える必要がある。

(2)現実の選挙制度は、投票価値に不均衡があり、依然として地方に手厚い制度になっている。最高裁は厳しい判断をだしているので是正されていくと思うが、どうしても、大都市の生活環境改善よりも、地方の活性化、人口の少ない地方への政策が重視される傾向がある。大都市で生活に苦しんでいる人にもきちんと目を向けないといけない。

(3)「合成の誤謬」の問題。地方に本当に日本の成長力を支える本社機能が移ったら、その地方のGDPはあがっても、国全体としてのGDPは下がってしまって、結局国全体が貧しくなってしまう。みんながよかれと思ったことがトータルとして、マイナスになるような問題は、選挙制度で判断するのではなく、専門家の判断を尊重すべき。

(4)経済学がだらしなから、混乱しているけど、そもそも、日銀が通貨を大量に供給しても、資産デフレになるだけ、円の価値が下がって円安になっても製造拠点を既に海外に移している製造業の輸出は増えないという結果になっているのは、正統派経済学者の一致するところだと思う。そもそも、経済学者の学会などでの努力が足りない、正統派経済学者の発信が足りないと思うが、経済運営、金融政策にも、専門家の判断を尊重する必要がある。

(5)あと、選挙に勝つというのは結局、日本国内の問題でそれに長けていても国際問題に強いとは限らない。国際的な金融危機、ルーブルの下落が始まっているが、ギリシャが緊縮財政を反対する大統領が選出された場合には、ドイツが国内世論を押さえられなくなって、今のEUの仕組みが崩壊するかもしれない。そういう海外の経済、金融問題について、的確な判断をする専門家が必要だと思う。

 結局、選挙民が的確に判断できない、将来のことにきちんと官邸が目配りすること、合成の誤謬を起こす事例、経済政策、国際的な経済、金融政策などへの、ちゃんとした正統派の専門家のスタッフが政策判断に加わる仕組みを作っておかないと、万全ではないと思う。防災とか外交とかの危機管理も同様。

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