革新的国家公務員OBが語りたいこと・伝えたいことー自由と民主主義を信じ国益を考えるーAiming at an innovative official of the national government

36年の公務員生活で培った「防災・復興法制」「都市計画法制」の知識を広く共有するため、書評を通じて、関係する新しい論点を示します。なお、意見にわたるものは個人的なものであり所属する(した)組織の意見や立場ではありません。

2015年09月

『建築を知る』を読んで、建築学部生向けの本だけど、建築学の全体の雰囲気がわかって有意義、意見もある。


 役所の図書館で借りてきた。

 建築学会が、建築を学び始める建築学科の学生むけに、これから学ぶ分野をざっと見通せるように簡単にまとめた本。

 まず、建築学科生以外の人が読んでも役立つ。とてもよく整理されている。

 その上で、ないものねだり。

(1)著者自ら「建築は壮大な雑学」(p18)といっている。また、「建築は人間の生活をいれる器」(p18)と定義している。そうなんだけど、できれば、若者には、「建築は人を幸せにするための空間」とでも言ってほしい。そうすると、いろんな視点がでてくる。
 一部、ランドスケープが第6章にでてくるけど、道路や公園、広場などの公共空間だって、人を幸せにする空間じゃなのか、そういう発想を持つことが大事なのではないのか。

(2)第4章で「現代は都市の時代」といって都市計画を扱っているが、建築からみると、結局、「農耕社会、そして都市国家が生まれて、建築物が密集して建築されたことによる、衛生問題、生活環境問題、住環境問題が発生してそれを解決するために都市計画が生まれた」という始まり方がいいのではないか。建築と都市計画はもっと密接な論点だと思う。

(3)木造住宅やエネルギー問題に独立の章がもうけられているのもいいと思う。

(4)これは建築家の一番の問題だと思うが、作った後の空間をどう使うか、その使い方、そして収益がどうあがるかという実際の機能論、収益構造のついての発想が全くない。そもそも、たてる場合の建築コストの観点も一切ない。結局かかるコストと、そこからあがる収益がコストが回収できるか、という論点を持たないと、いつまでも、建築家はプロジェクトの主体にはなれないと思う。

(5)あと、一番大事な、これからは世帯数も増えず、空き家も13%以上もある時代なのだから、空き家をどうつかうかというリノベーションが大事という記述もどこにもない。ばんばん高層の建築物をつくる時代ではない。その時代の転換点を学生にまず伝えるべきではないか。

 しかし、学会が学部一年生向けの読本を改訂して出し続けるいうプロジェクト自体はすばらしいと思う。

  

『人間国家への改革』を読んで、経済学は論理の積み上げをあきらめて提言をいう方向なのかな?


 神野先生は宇沢先生のお弟子筋。単なる経済学の論理や理屈だけでなく、具体的な政策展開を述べるところは立派だと思う。

 1929年の大恐慌で、従来の市場均衡を主張する古典派経済学に対して、定常的に需要不足が生じる場合には大きな政府が需要創出が必要という、ケインズ経済学が採用され、結局は戦争によってアメリカ経済が復活した。

 そののち、裁量的な財政支出をするケインズ経済学は、インフレと失業率が同時に発生するスタグフレーションに直面して、フリードマンによる小さな政府、ルールに基づくマネー供給というマネタリストの政策に転換。これにレーガン、サッチャーの保守主義が同調して、国有企業の民営化や政府機能の縮小などで、米英の経済が復活したようにみえた。

 しかし、1990年代、さらに2007年のリーマンショックのような国際的な金融秩序の崩壊の危機から、やむをえず税金で金融機関、保険機関を救わざるを得ず、一方で、厳しい財政事情から財政政策が発動できずに、流動性のわなの状況にもかかわらず、世界中が異次元の金融緩和を行って、大量のマネーを市場に供給するが、経済成長につながる動きはみえない。

 そもそも、経済成長は、資本の伸び、生産年齢人口の伸び 、イノベーションで実現するので、本来、実物経済の潤滑油である金融がそれ自体で経済成長を引き出す、例えば、株価があがることによる資産効果とか、株価があがるという期待に働きかけるとか、あまり効果が実証されていない、理論で現在の政策が実施されている。

 神野先生は、おおむね上記のような経済政策の分析を踏まえた上で、累進制のある租税制度の採用などを提案しているが、小生は、特に、共同体による自助、互助の仕組みが提案として重要だと思う。

 国が何から何まで、選挙対策で高齢者や地方の面倒をみるというよりも、いろんな地域ビジネスの規制を外してもらって、地方の若者がお客さんである高齢者を対象にしていろんなビジネスを展開する方向を、政策金融で支援すべきだと思う。

 お金をばらまいてもだめ。一瞬でなくなるから。また、それが赤字国債なら次世代に申し訳ない。ちゃんともうけをあげて国にお金を返し、別の新しいビジネスに資金供給をする政策金融の仕組みが最もふさわしいと思う。

 経済学から具体的な政策提言がほとんどない時代なので、具体的にミクロの経済の中で成功例を積み上げ得行くしかない。

 神野先生の心意気、意欲は買うけど、これからは地域での実践の時代だと思う。あまりおおきな政策を扱う経済学は、主義主張が混乱していて、あまりあてにならない。

 地域の共同体でミクロのビジネスを起こすというのなら、誰も反対しないので、そこから始めよう。
 

有馬純『地球温暖化交渉の真実』を読んで、外交交渉は国益とエゴのぶつかり合い、コスモポリタンなんて幻想だな。


 経済産業省のたぶん、OBでCOP3以降の地球温暖化交渉の内実を赤裸々に語っている。

 京都議定書では、日本は交渉で敗北しているという。

 一つは、95年基準をEUに押しつけられて、EUは黙っていてもCO2削減ができるのに、日本は早くから省エネに取り組んでいたため、実質日本だけに厳しい基準年になったこと。

 二つ目は、ゴアが日本に厳しい削減目標を迫ったが、当時、アメリカ議会では京都議定書が採択される可能性はなく、ゴアはどれだけ自分が極端な提案をしても責任のない立場にあったのにそれに日本は気づかなかったこと。

 第三は、中国など途上国のCO2排出が先進国より増えているのに対して、これを先進国に比べ特別あつかいすることを認めたこと。

 著者は、それ以降、この不合理、日本の不利を是正するため、ロシアとくんだり、EUとくんだりしながら、途上国を巻き込むこと、それと同時に米国を巻き込むことを基本戦略に、外交交渉を続けていく。

 これを再度ぶちこわしたのが、なんとまた95年基準での25%削減という鳩山首相の発言。なんら、具体的な政策や積み上げなしに高めの目標をぶちあげても、結局、日本が交渉のイニシアティブをとることはなく、一層苦しい交渉を強いられた。

 ちなみに、国益を守るという観点からは、経済産業省、環境省、外務省も一体として対応したと書かれている。本当かどうかわからないが。

 また、最後は大臣折衝となるが、英語で交渉できたのは、川口順子環境大臣だけだったという。これも考えさせられる。英語ができる大臣はむしろ昔より減っている感じがする。官僚OBを政治家から排除した欠点がでているような気もする。

 あと、国連総会のような各国が全員一致で議決する仕組みはもう時代おくれかもしれない。貿易交渉でもWTOが挫折して二国間、少数国間交渉に移行したように、環境問題も二国間交渉になるのかもしれない。しかし、フリーライダーが生じやすいテーマだから難しな。

 いずれにしても、カントのいう「永遠平和のために」の世界、コスモポリタンなんて幻想ってよくわかる。 

『地図から読む江戸時代』を読んで、為政者や住民が少しずつ日本という国を意識するプロセスが地図からわかる。


 地図の学問的な分析とは別に、為政者や庶民がどういう風にくに、国土を理解していたかが、地図を通してわかる点がおもしろい。

 江戸時代の最初のことは、日本の地図は、それ独立して出版されることはなく、例えば、「拾芥抄」という本に付属してくっつている。(位置No505)

 その内容は、各藩がうろこのように積み重なっていて、それで日本の地図になってている。要は当時の庶民は、「くに」は、それぞれの藩で、それ以上の日本というまとまりについては、あまり意識がなかったことがわかる。ちなみに著者がこのうろこがあつまった形の地図を行基式地図と読んでいる。

 最初に日本全体を意識したのは、為政者、それも天草の乱のときに、天草までの地図がなく、遠征と鎮圧に苦労した徳川家光が最初で不正確ながら、寛永日本図という地図を作成している。この地図は、各藩から元の図園を提出させて合成したもの。西日本の反乱が前提にあるので、西日本が詳しい。(No642)

 17世紀後半になると、庶民の旅行ガイドブックとしての日本地図が必要になってきた。この代表例が石川流宣が作成して京都の伏見屋から発売した「扶桑国之図」。(No875)

 旅行用の本だから、各藩が色分けしてあり、行基式とことなり、日本全図を各藩いわけた普通の地図の形態をとっている。また、この地図から上が北に確定したと言われている。

 幕府は綱吉の時に元禄日本図、吉宗のときに享保日本図を作成し、できるだけ正確な日本図を作成する努力を重ねている。地図も従来の絵図から正確さを必要とする地図へと変わってきている。

 1750年代には、森幸安が作成した「日本志輿地部 日本分野図」が経緯度を含んで作成していて、正確さを追求する姿勢が民間学者にも現れてきた。

 18世紀後半には、庶民も流宣の作成した絵図から、長久保赤水が作成した「改正日本輿地路程全図」が発行されて江戸後期の日本地図として広く流中した。シーボルトが持ち帰ろうとした地図もこの赤水地図である。経緯度が作成され、おおよろ130万分の1の縮尺となっている。

 赤水は何度もこの地図を改訂してるが、この背景には当時存在した大坂での知識人ネットワークが背景にあったという。((位置No1956)

 なお、江戸時代の後半になると、赤水の地図に琉球や蝦夷、さらには朝鮮半島の一部が書き加えられるなど、当時の庶民の間にも海外への意識が高まってきたのが地図からもわかる。

 最後に伊能忠敬の「日本沿海輿地全図」は伊能氏が50歳から70歳を超えるとしまで、日本全土をあるいて作成した地図。(位置No2056)
 しかし、庶民には公開されず、むしろ明治維新以後、鉄道計画など様々なインフラ計画の作成に用いられたという。

 江戸時代当初は、藩は自分の「くに」であり、日本という意識がなかったが、最初に日本全国を旅行するという観点から日本地図が作成され、さらに、海外の圧力から、琉球、蝦夷を含んだ地図を作成するなど、庶民の意識、為政者の意識、問題意識が、地図を通して客観的にわかる。

 地図好きでもあり、政治思想も好きな小生にはたまらない本。

 

 


 

『シフト&ショック』を読んで、リーマン以降の金融政策理論について経済学者にコンセンサスがないのは恐ろしいな。


 わりと最近の本。リーマンショック後のユーロ問題と国際金融問題を扱っている。

 リーマンショックまでの新自由主義的な金融政策を厳しく批判していて、新しい金融政策を提案しているが、正直、すっきり論理が頭に入ってこない。

 小生なりに整理してみた。

 要は、金融秩序からすると、リーマンショックは未然に税金投入によって、金融機関が連鎖的に破産する金融秩序の崩壊は防げたが、危機の対象となった規模からすると、1929年の大恐慌に匹敵するくらいの金融危機だった。

 この1929年の金融危機の対応については、オーストリア学派のように市場秩序にまかせるという説もあったが、政治的には、財政出動をするというケインズ経済学が圧倒的支持をえて、ルーズベルトのニューディール政策につながった。

 実は、 ニューディール政策だけでは失業率が回復せず、戦争経済でアメリカの政治経済は回復したのが実態。

 戦後の、高度成長の後、ケインズ政策が失業とインフレのトレイドオフというフィリプス曲線を前提にしていて失業を減らすために多少財政支出でインフレになっても我慢しようと政策運営をしていたら、結局、失業もインフレもすすむというスタグフレーションになってしまった。

 これをうけて、フリードマンのような新自由主義、「財政支出はせずに、金融政策も一定の一定のルールで機械的に市場にマネーを供給する政策をとるべきという政策」が力をもち、レーガン、サッチャーなどの政策に受け継がれていく。

 この新自由主義、マネタリストは、事実上、リーマンショックまでは主流の経済学として跳梁跋扈し、様々な金融機関に対する規制、証券と銀行業務の分離規制の撤廃、預金業務を行わない投資銀行、レバレッジをきかせる商品、証券化商品、いろんなくずの証券をきりわけてさらに格付けをあげる商品など詐欺まがいの商品が氾濫。

 特に、所得も資産もない人むけのNINJA ローンなどのサブプラムローンが、地価下落で破綻することをきっかけに返済不能となり(当たり前だ)、銀行が不良債権を大量にかかえ、証券化していたので保証機関など消費者にも破綻が連鎖した。
 このため、政府系の住宅保証機関であるあファニーメイ、フレディーマックが国有化され、リーマンが破綻、AIGも税金投入など、政府の財政支出で、なんとか、世界中の金融機関が連鎖倒産をするのを防いだ。

 著者は、このリーマンショックの背景には、一つは、金融規制の無秩序な緩和、世界中での巨大な資金のだぶつき、特に、経常黒字国(石油輸出国とかドイツ、日本)からの資金流入にたよるアメリカなど経常赤字国の問題、さらには、金融政策だけほぼ一元化しつつ財政政策(国債の発行や財政規模など)は各国まかせのユーロ制度の矛盾などが背景にあるという。

 そののちの金融政策をめぐる経済学は、混乱状態、手探り状態、いろいろ試してみてうまくいくのかの実験中と理解した。

 著者が、提言している政策で自分なりに納得した点。

 金融秩序をみるときに、政府も中央銀行も物価安定だけでは足りない。そこの一度資産価格が崩落したときに危険になる金融商品がでまわっていないか、など緻密な分析が必要。
 しかし、これって日銀も金融庁も実際にはできていないと思うな。グリーンスパンもバーナンキもできなかった。黒田さんはできているのか。

 銀行の資本規制の再度の強化。これも筋だが、国債に一定のリスク率をかけると、日本の銀行はとたんに自己資本が足りなくなる事態になり厳しい。

 流動性のわな、金利が下がりきったときには、緊縮政策だけでなく、適度な財政支出が必要。ギリシャのようにGDPが半分になってしまったら、緊縮財政もへったくれもない。ドイツより高い年金水準は是正すべきだが、もう少しセーフティネットへの支出などはちゃんとしないと国家秩序が崩壊すると思う。
 日本もいくら日銀がお金の市場にだしても、実物経済はよくならない。本当は需要不足だから財政支出が必要だが、財政事情が悪すぎて通常の財政支出はできない
 それこそ、財源が帰ってくる、政策金融を充実したらいいのにな。

 その他、いろんな提言があるが、繰り返しが多いのと、論理的にきちんと理解できなかった。

 金融政策をめぐる経済学が混乱していて、手探りで金融政策をやっている、それへの改善策も手探るなのがよくわかる。

 そんな手探り状態で、世界中で、こんなに極端に金融を緩和して大丈夫かな。素人ながら、別に物価があがらないし、資産価値である、株価や地価があがっても、それが実態経済に影響する、いわゆる資産効果はわずか(消費も投資も増えない)というのが、この壮大な日銀やドラギの実験の中間結果ではないのかな。 
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