革新的国家公務員OBが語りたいこと・伝えたいことー自由と民主主義を信じ国益を考えるーAiming at an innovative official of the national government

36年の公務員生活で培った「防災・復興法制」「都市計画法制」の知識を広く共有するため、書評を通じて、関係する新しい論点を示します。なお、意見にわたるものは個人的なものであり所属する(した)組織の意見や立場ではありません。

2018年02月

『「多様な意見」はなぜ正しいのか』を読んで、多様性を重視するこの議論は、都市計画などの手続的正義の正当性の裏付けになる可能性あり。


 ミシガン大学の政治科学、経済学の先生が書いた本。

 多様な意見が相当に正しい推測ができるというのは、牛の体重当てクイズをしたらその中央値がほとんど合っていた逸話とか、よく聞く話。

 この本は、多様な意見が結果として正しい推測をできる根拠を、
・観点
・ヒューリスティック
・解釈
・予測モデル
に分けて論じている。
 
 特に、ヒューリスティックとは、雑に言えば、必ずしも正しくないけど、早くほどほどに正しい結果を得る方法というもので、いろんなタイプのもの(トポロジカル・ヒューリスティック、グラジエント・ヒューリテティック、エラー許容・ヒューリスティック、ポピュレーション・ヒューリスティック)がある。

 このうち、特に大事だと感じたのは、エラー許容ヒューリスティックとポピュレーション・ヒューリスティック。前者は、ある程度の失敗を承知で幅広くためしてみる方法、後者は、複数の選択肢をしばらくためして生き残ったものを選ぶ方法、遺伝的なアルゴリズムに近いもの。(下の抜き書きの(2)と(3))

 エラー許容ヒューリスティックは、昨日の本『統計は暴走する』http://blog.livedoor.jp/shoji1217/archives/1069889797.htmlでも述べられていた、いくつかピークがあって、小さな山からおりて一度マイナスの谷に降りていかないと最善の山に登れないような状況を解決する手法として、重要。(下の抜き書きの(2))

 日本の自動車会社が部品供給業者のネットワークを重視して(内燃機関がなくすと部品供給業者の大部分が不要となる)、内燃機関のある今の小さなピークにとどまっていると、環境に優しくインフラがあまり必要でないEVという最善の山に登れないという話しも、このエラー許容ヒューリスティックで色々試してみる必要がある事例のように思える。

 観点やヒューリスティック、ツールボックス(工具箱、様々な解決手法の集まり)、予測手法などの観点からみても、多様性が正解を導く可能性が高いというのがこの本の主張。

 この議論は、都市計画の住民参加や専門家審査という手続重視の正当性を、『法政策学』http://blog.livedoor.jp/shoji1217/archives/1069875935.htmlで述べていた、参加した方が納得感が得やすいという社会心理学的な側面に加え、そもそも、多様な住民の意見や、多様な専門家の意見を反映させたり、少なくとの検証する仕組みを作った方が、正しい結論をえる可能性が高いという論証に使える気がする。

 なお、この本では、著者は、そもそも多様性が望ましい結論を導く可能性が高いことから、都市という人口密度が高く多様性の高い地域社会では、生産性が高まりやすく、それ自体が都市の魅力、存在意義という説明をしている。(下の抜き書きの(12)と(14))リチャード・フロリダの議論http://blog.livedoor.jp/shoji1217/archives/1017232190.htmlにも近い。

 以下、抜き書き。

(1)こうした多様性の恩恵を、単純なモデルや枠組みを使って示していく。単純なモデルは強力な道具で、直観を明確なものにしてくれるからだ。(位置No359)

(2)共通の観点が生まれるのは、模倣のせいやコミュニケーションが必要だというせいも確かにあるが、他にあまり生産的ではない理由もある。人間は、社会的で、そして臆病な動物である。一つのグループのメンバーたちが共通の観点に囚われがちなのは、他の人と同じ風に世界を考えた方が居心地が良いからだ。そうした共通の観点は、一種の集団思考となりうる(18)。(位置No1199)集団思考は良いものであれ悪いものであれ、観点の多様性を減らし、良い解を見つけるグループの集団的能力を押し殺してしまうのだ(19)。(位置No1199)

(2)これら二つの洞察から、高度なヒューリスティックには丘を下るステップ(見た目はエラーを生む)が多少は必要であることが分かるが、かといって丘を下るステップが多すぎてはならない。このようなヒューリスティックを、〝エラー許容ヒューリスティック〟と呼ぶ。最も広く用いられているエラー許容ヒューリスティックが、焼き鈍し法というものである。メトロポリス・アルゴリズムとも呼ばれるが、ニューヨークでおいしいレストランを探すのに役立つからではなく、ニック・メトロポリスという人物が考案したからである。(位置No1482)

(3)ポピュレーション・ヒューリスティック〟とは、複数の解を同時に探索するものである。進化はポピュレーション・ヒューリスティックの一つと考えることができる。解の集団──種のメンバー──がいて、集団のうちいくつかのメンバーは他より多く繁殖する。もし繁殖率が走る速さや丈夫さといった能力と相関していれば、時とともにこの集団はその能力を向上させるはずだ。(位置No1550)

(4)実は、観点が現実を実のある形で体系化できるほど、人はその観点とともに使うヒューリスティックをより多く作り出すものだ。観点とヒューリスティックは、科学のパラダイムという言葉が意味するものを含んでいる。パラダイムは、共通の集合に含まれる問題を対象とした、広く共有される観点とヒューリスティックの集まりと考えることができる。数学、物理学、統計学、経済学、会計学──すべて核となる観点の集合を持っていて、その核となる観点一つ一つには、専門家が日常的に適用しているヒューリスティックの膨大な集合が伴っているのだ。(位置No1622)

(5)ノイズがあまりに多いと予測能力が損なわれるが、少々のノイズは予想もしない効果をもたらす。自分のモデルをより強く信じられるようになるのだ。これは実際的に重要な意味を持つ。ある振る舞いを教えようとするとき、少しのランダムさは役に立つ。例えばイヌにお座りを教えるとき、毎回はご褒美を与えない方が良い。ほとんどの場合に与えて、ときどきは与えないでおくべきなのだ。(位置No1945)

(6)フィリップ・テトロックは一〇年に及ぶ研究の中で、専門家でも複雑な経済プロセスや政治プロセスの結果をあまり正確には予測できないことを発見した。そしてさらに、凝り固まったイデオロギー的な解釈に頼る専門家、いわゆるヘッジホッグは、柔軟さを心がける人よりも悪い予測しかできないことも分かった。全体的に言ってほとんどの専門家は自信過剰だったのだ(7)
 。ほぼ誰しも自信過剰に苦しめられている。それが人間というものだ。ほとんどの人は、たいていのことについて自分は平均より上だと感じている。先ほどの結果を繰り返せば、テトロックは、専門家が回帰法より劣っていることを発見したのである。(位置No2105)

(7)これで、直観に反していた結果を論理的に説明できた。最高のソルバーたちは似たような振る舞いをしがちで、そのため集団になっても個人のときとさほど変わらない出来を示す。一方、ランダムだが賢いソルバーの集団は多様になる傾向がある。この多様性が、集団としてより良い結果を生むのだ。ずばり言うと、多様性が能力に勝るのである。(位置No2695)

(8)スロウィッキーは、人々の集団が正確な予測をするための必要条件を三つ挙げている。人々が多様な予測モデルを持っていること、人々が互いに独立していること(影響を及ぼし合えないこと)、そして予測プロセスが分散していること(互いにコミュニケーションを取らないこと)の三つだ。いずれの条件も、予測モデルの多様性を暗に指し示している。(位置No3477)

(9)予測の多様性から、なぜ集団としてこれほど正確だったのかは説明できないように思われる。ところが驚くことに、多様性が適度な能力と組み合わさることで、集団を正確にしたのである。したがって、群衆が賢いためには、個人のある程度の正確さと、ある程度の集団的多様性の両方が必要なように思える。しかしこれはおおざっぱな直観でしかない。ロジックを組み立てる必要がある。(位置No3858)

(10)これらのことから導かれる結論として、理想的には一つの市場で競い合う〝モデルの集団〟があればいいということになろう。最良の予測は、多様なモデルの集団から出てくるはずだ。その場合のモデルは、現実をそれぞれ違う風に解析しなければならない。違う属性を見る多様な観点に基づいた解釈か、同じ観点を違う塊に切り分ける解釈に頼らなければならない。そうであれば、それぞれのモデルは正確で、モデルの集団は多様になる。この正確さと多様性の組み合わせが、群衆を賢くするのである。(位置No4468)

(11)証拠は次のことをはっきりと物語っている。多様性が恩恵をもたらし(認識的に多様な社会、都市、チームはより一様な集団より良い出来を示す)、基本的好みの多様性が問題を生み(公共財の供給が減り、人々は仲が悪くなる)、多様な認識的ツールボックスと多様な基本的好みを持つ人々の集まりの出来はばらつきが大きい(より良い結果を見いだすとともに、より多くの衝突を生み出す)。(位置No5516)

(12)この洞察を、都市に即してもっと詳細に探っていこう。多様な考え方の拡散には、人口密度が重要である。考え方が森の中に落ちても、その音に耳を傾ける人は誰もいない。物理的な近さが考え方の衝突を生むのだ。現代文明や科学的知識の誕生は、この影響力のある現象によって説明できる(5)。経済成長は人口増加と強く相関している。人が多ければより多くの考え方が生まれ、考え方が多ければ成長も大きくなるのだ。歴史上のデータを比較するある独創的な試みにより、このサイズと成長との関連性は、過去一〇年や五〇年や一〇〇年のみならず、なんと一〇〇万年以上にわたって成り立つことが分かった(6)。多いことは良いことのようだが、単に同じものが多いだけでなく、違うものが多い方が、とくに互いに衝突するような違うものが多い方が、さらに良いのである。(位置No5963)

(13)本書のモデルは、問題解決や予測において恩恵があることを示している。そして数多くの証拠から、機能的にアイデンティティーの多様なグループの方が予想通り革新的であることが示されている(30)。また、メンバーが多様な好みを持つグループの方が創造的であることも、研究により示されている(31)。これは、多様な好みが多様な観点を生み、それがより多くの解を導くという考え方と合致する。(位置No6116)

(14)先ほど触れたように、このため都市の労働者の方が平均的に生産性が高いと考えられる。そして実際にそうである。さらに、技術的に多様な都市の労働者の方が比較的一様な都市の労働者より生産性が高いと考えられる。これも正しい。こうしたサイズ効果の証拠は、ほとんど圧倒的な割合に達する。経済学者たちの見積もりによれば、都市のサイズが二倍になると労働者一人あたりの生産性が六から二〇パーセント向上するという(38)。中でもノーベル賞受賞者のロバート・ルーカス曰く、都市の存在する理由は、このことと、ありふれた深夜の中華料理やオペラによって説明できるのだという(39)。(位置No6169)

(15)経済的生産性の分野では、強い正の相関があると考えるれっきとした理由がある。多様な観点、解釈、ヒューリスティック、予測モデルは問題解決や予測を向上させ、これらは経済において極めて重要な役割を果たしている。問題解決に優れているほど、革新は速くなる。作業が正確なほど、予想外の出来事に素早く対応できる。そして将来の結果の予測に優れているほど、いくつもの技術の中からより良いものを選ぶことができ、需要の変動を正確に予測でき、資源をより良く分配できる。ツールボックスの多様性は、経済が成長するための栄養なのだ。(位置No6202)しかし、人種の多様性に対する都市の生産性のテストでは正の関連性が見られなかったことは、付け加えておきたい。人種間の緊張と公共財への分配が減るという問題を考えれば驚くことではないし、人種の多様性は恩恵を生まないということではなく、その恩恵がコストによって打ち消されているだけだと考えられる(50)。(位置No6246)



『統計は暴走する』を読んで、統計に騙されないための話しより、合間の蘊蓄にみるべきものあり。

統計は暴走する (中公新書ラクレ)
佐々木 彈
中央公論新社
2017-09-06

 統計で騙されないための要点を整理している本だが、そもそも著者が経済学者、法と経済学の専門の人なので、合間にでてくる蘊蓄がむしろ面白い。

(1)「局所的最適か大域的最適か、という問題は、前題でちょっとふれた「歴史的依存」と関連しています。歴史依存とは、既存の経緯・経路の影響で特定の局所的最適状態に滞留してしまうことを指します。大局的最適状態へ移行するためには、局所的最適から一旦離れ、つまり最適状態からより遠い状態を一時的に通過しなければならないことがあります。」(220頁)

 これは、「ふたこぶの曲線があって手前の小さなこぶの上で一旦局所最適になってしまうと、その先にあるふたこぶ目の一番うえの大域的最適に行く前に一度くだらなければならない」というのがイメージ的にはわかりやすいと思う。これをどう突破するかというのは、いろんな議論があり、ヒューリスティックという考え方がその一つ。

(2)「統計学の俗語で、自分の都合のいい(または相手に都合の悪い)データを探して使うことを「データ・マイニング」と言います。本例題における非常に短期のデータなど、不十分な統計情報だけに基づいて早計に結論を急ぐようなやり方は、いわば消極的なデータ・マイニングといえるかもしれません。」(191頁)

 最近の政府の説明にはこの手の問題が多いのではないか。特に、経済や財政の説明に跳梁跋扈している。

(3)「だからこそ、例題に挙げた選択的別姓など「誰にとっても不利益変更になるという心配のない」ような事案は民意に諮るまでもなく、単なる行政事務の手続き変更という形で粛々と進めてしかるべきです。なおこのように誰の不利益にもならず、一部の利益にはなり得ることを、政治経済学では「パレート改善」と言います。」(139頁)

 選択的別姓はそもそも民法で規定していることを改正になること、また、政治的なissueであることを考えると、正当性確保のために法律改正の手続は必要だと思う。ただし、パレート最適については変に意見を聴かないで粛々と行政手続で済ませるべきという指摘自体は有益。

(4)「裁判や調停などの場で必ず言われる「両当事者の話を聞こう」「関係者全員に発言機会を与えよう」という口癖は、他の情報収集にもそのまま当てはまります。たとえ当代一流の教養人・知識人を以て自任する方であろうと油断せず、「壁の向こう側の人たち」の声に耳を傾けるべきでしょう。」(129頁)

(5)「このp値が「十分に低い」かどうかの閾値(境目)、つまり統計学で言う「有意水準」の決め方について、数学的な根拠は一切ありません。p値がどれだけ低ければ仮説を棄却すべきかどうかは、統計的検定を使う側の裁量次第ということになります。言い換えれば、それはひとえにその検定の目的によるのです。 
 社会科学では通常、この有意水準を1%~10%程度に設定することが関連となっています。p値が1%未満なら「高度に有意」、p値が1%~5%程度であれば「中程度に有意」、5%~10%であれば「弱く有意」のように解釈するわけです。」(83頁)

『法政策学(第2版)』を読んで、法律立案の基本的視点として、「効率性原則」と「正義性原則」の二つが重要と理解。


 都市計画法制の立法上の視点を考える上で再度復習。

 ちなみに、この本は第一版と第二版があるが、第二版は、手続的正義論が追加されており、比較して読むと面白い。

 著者の意図をだいぶ意訳しているが、現時点で自分が整理している、都市計画を含む立法政策上の基準は以下のとおり。

(1)立法政策上の基準は、いわばプロズムのようなもので、一色に見えるものを基準を通していくつか違う要素として分けて、そのバランスや衝突具合などを考えて、可能な限り適切な立法や制度運用につなげていくもの。

(2)法律が対象とする分野は大きく分けて、市場と組織、換言すれば、水平関係と上下関係がある。前者には「効率性原則」、後者には「正義性原則」が必要。

(3)「効率性原則」とは希少性のある財を無駄なく配分することも目的とするが、明確な基準は論理的にはでてこない。「われわれは解決すべき問題に伴う各種の「費用」を何らかのインディケーターを用いて数量化し、それと各決定要因が与える便益(これも何らかの指標化が必要である)とを比較して、最も安価なものを採用し、それをもって法制度設計の基礎とする、としか言えないのである。」(92頁)

(4)「正義性原則」を一般的にいえば、「『等しいものは等しく、等しからざるものは等しくなく扱え』という命題に集約される」(107頁)。この基準も、より細かくいえば、形式的な平等を重視するか(配分(allocation)思考的平等)を重視するか、被配分者の特性(所得など)を重視するかという分配(distribution)思考的平等を重視するかにわかれ、共通の明確な基準は存在しない。

(5)配分的正義を追求するうえで、決定プロセスへの当事者の参加によってその手続による結果(outcome)そのものを「正しい」と感じる傾向がある。この点を重視する考え方を手続的正義論という。(100頁)

(6)配分的正義を実現するには一定の費用がかかる。その意味では常に配分的正義は、効率性原則とトレードオフ、矛盾相克の関係になる。(116頁)

 以上のこの本から抽出される基準や考え方を都市計画法制のあてはめてみる。

(1)都市計画が扱う個人や企業の様々な活動に対する一定の制約を課す仕組みは、本来、権利義務に対する制約を課すという意味で、正義性原則が働く領域である。

(2)ただし、都市計画の手法としても、権利義務を上下関係(行政対個人・企業)だけで律するのではなく、協定や契約など水平関係で律する仕組みも重要である。また、強制的な仕組みで権利義務に制約をかけるとしても、その規制を受ける個人・企業の活動に対してできるだけ無駄のない活動を支援するという観点も重要である。以上の観点から、効率性原則も都市計画の分野では必要である。

(3)都市計画の制度立案及び制度運用にあたっては、行政主体が正義性原則、効率性原則を十分理解すること重要なことは当然である。さらに、正義性原則については、パブリックコメント、住民参加手続など手続的正義を重視し、利害関係者の納得感を高める手法が重要である。効率性原則については、模擬的な市場をつくりだす(入札、提案等)こと、費用対効果を試算を行うなど、制度設計、運用双方の段階で、無駄を排除する手続を講じることが必要である。

(4)さらに、都市計画の制度立案及び制度運用において、正義性原則と効率性原則という相矛盾する二つの基準をバランス良く適用するという観点から、審議会や諮問会議など専門家の知識や経験によるチェックシステムを導入することが有効である。なお、都市計画の特徴として、長期、多世代にわたって、現世代の判断が強い影響力を持つという観点からも専門家の参画が必要となる。

 一応、現時点の頭の整理です。

『絶滅の人類史』を読んで、無意識に持ってしまう先入観や偏見の是正に役立つ本。


 人類に対して、なんとなく優れているとか、進化の過程で優れているから生き残ってきたと思いがちだが、それほど優れてもいないし、主体的に行動したわけでもないことを丁寧に説明した本。

 その説得力自体も大事だが、無意識に持ってしまう先入観や偏見をきちんと是正するためには、一定の説得力ある主張をきちんと吸収することが必要という事実という、より基本的な認識が大事だと思う。

 自分の先入観と異なっていた指摘。

(1)人類は、食料が豊富で安全な森から追い出されたと考えるべき。熊が食料が不足してまちにでてくるのと同じ。(61頁)

(2)人類が始めた直立歩行は、それほど有利な特質ではない。スピードは四本足歩行よりも短距離で遅くなり、またブッシュから頭がでるので敵に把握されやすくなる。有利な特質でないことは、人類以外に直立歩行に進化した動物が存在しないことからも明らか。(33頁)著者は、直立歩行は、手でもって食べ物を運びやすくなり、子どもの生存率を高めたこと可能性を指摘している。(65頁)

(3)直立歩行は約700万年前、脳が大きくなったのは約250年前。直立歩行してすぐに脳が大きくなったのではない。脳は大きなエネルギーを消費するので、石器を使って肉を食べられるようになってから初めて脳が大きくなり出した。(128頁)

(4)約700万年前にアフリカに誕生した人類は、180年前くらいにアフリカをでたが、アフリカをでた人類はアフリカに残った人類よりも脳も身長も小さかった。近年は、出エジプトのように主体的にアフリカをでたのでなく、アフリカから仕方なく外にでたと考えられている。(144頁)

(5)アフリカでホモ・エレクツゥスが生まれたのが、遅く考えて170万年前、ジャワ原人がジャワ島に現れたのが160万年前とする。約10万年欠けて生息域を広げたとすると、人類の足の早さは必要か?人の歩行速度では北極から南極まで約半年、カタツムリでさえ、400年。それと10万年を比べれば、移動能力はそれほど大きな要素ではない。(147頁)

『まちづくりの哲学』を読んで、蓑原先輩のまちづくりの視点で重要なものをメモしておく。


 蓑原先輩は、建築と政治思想の双方に造詣が深く、難しい都市計画の課題を頑張って言語化している。

 こういう都市計画の課題を言語化する試みには、誤解を同時に生む可能性が高く、たぶんいろんな批判があると思う。しかし、後輩たちにとっては、先輩たちの知識とそれに基づく悩みを共有化するという点が重要な意義があると考える。

 なお、対談相手の社会学者の宮台氏の指摘にも重要なものも多いと思われるが、そもそも宮台氏が引用される様々な西洋思想や社会学の原典をほとんど読んでおらず、十分な評価ができない。その部分は自分は省略せざるをえない。

(1)(J.ジェイコブスやガンスの議論を紹介したうえで)「(まちづくりの)正当性の議論がでてくると、じゃあ、どうイメージを再構成するのか、それは誰の為のイメージなのかが問い直され、市民のイメージ、生活者のイメージを媒介しとして考えることになります。計画者や建築家は住民の弁護人であるべきだという主張が普遍化してきます。」(78頁)

(2)(人間が住んでいるスケール感について)「まず小さい自分たちの住戸がある。その次のスケールが、いきなり四〇〇メートルのスーパーブロック?一棟が三〇〇戸も五〇〇戸もある住宅棟?それは違うんじゃないかと感じます。
 歴史的にも一〇〇戸とかね、せいぜい二〇〇戸っくらい、もっと小さいかもしれないぐらいの街区があり、それの累積として街を積み上げていく。その累積の集団が作り出す社会関係の中から、歴史的にもお祭りのような非日常的な時空間ができていたことに気づいて、どうもそっちの方がまともじゃないかと考え、そういうスケールのまちづくりへ戻してきているんじゃないかと思います。ところが、日本では、漢字の都市計画の世界では、そのような反省が全くできていない。」(79頁)

 この議論は、行動経済学のダンバー数の議論ともつながりそう。http://blog.livedoor.jp/shoji1217/archives/1069837328.html

(3)(アラン・ジェイコブスの議論の紹介として)いい街の条件としては、一つはリ場ビリティ(住宅の大きさや衛生、安全)、二つめがデンシティ(密度は高からず、低からず)、三つめは用途混合、四つめが街路(路上の人に包み込まれているという感覚と開け放れているという感覚の両方を与える構造)、五つめは沿道の建築物(大きなスケールでなく中小入り混じった様々なスケールのビルディングの集合体として構成する)(100頁、101頁)

 道路でなく、街路の位置づけや性格づけが言語化するのが難しい部分か?

(4)(路地のまちづくりについて)「安全性を至上と考えて、歴史的に愛着を持って親しんできた空間を単純に近代主義的な原則によって排除しようとすると、人間がもっている相互的な深い関係性を壊してしまうことになります。安全性という公準の適用にあたってより高い視点から解決策を探る必要があります。」(105頁)

(5)都市計画では、身体性のある領域のまちづくりと、その外側に広がっているものとして、例えば、大きな港湾を造ったり、一〇〇年かけて大きな道路を造ったりといったことを同時にやらなければなりません。それが一体どういったレベルで、どう接続されるかということを議論する必要がありますが、全く議論されていません。」(158頁)

(6)「僕はやっぱり身体性をもって語らなければいけない領域と、そういうことを一旦捨象して物理法則であるかのように社会現象として扱わなければいけない領域に分ける必要があると思います。その一つが自然生態系です。」(170頁)

 ミクロの都市計画の実効性や取組は現場で進んでいるものの、一方で、広域的な調整や広域的な計画は、人口減少社会での住宅供給やエネルギー消費の抑制など、かえって困難化しつつも必要性が高まっている要素がある。これについての都市計画の専門家の議論が乏しいのは困ったものではないか?

(7)(一〇〇年や二〇〇年オーダーで物事を考えるために)「今一つ考えているのは、「存在価値」という価値を持ちだして、存在していること自体に意味があると考えることです。経済的な使用価値や交換価値と並列的な価値として認めて、それを公共性の源泉とする。途方もない話しかもしれませんが、そういったことを考えています。」(334頁)

 次世代のための都市計画とかいっても、一〇〇年、二〇〇年続く都市を考える公共性をどう位置づけるのか、不確実性が高まると当然、使用価値は五年ぐらいの短期でないと予測不能になってしまう。これに対抗する公共性概念を作り出せるかは、我々後輩への宿題だろう。
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