革新的国家公務員OBが語りたいこと・伝えたいことー自由と民主主義を信じ国益を考えるーAiming at an innovative official of the national government

36年の公務員生活で培った「防災・復興法制」「都市計画法制」の知識を広く共有するため、書評を通じて、関係する新しい論点を示します。なお、意見にわたるものは個人的なものであり所属する(した)組織の意見や立場ではありません。

人類学

『わけあって絶滅しました』を読んで、絶滅理由は一つの仮説と思ってよむのが大事かな?


 まず、子ども向けの本として読む必要あり。
 
 その上で、生物の絶滅理由について、地球環境の大規模な変化とライバルの出現で説明している点。

 第一の地球環境の大規模な変化の解説については、6000万年前の隕石の衝突によるティラノサウルスなどの恐竜の絶滅(118頁-200頁)、ヨウスコウカワイルカの揚子江の環境破壊によるぜつめつ(122頁-123頁)など、一定の仮説ではあるものの、素人が読んでも説得力のるものが多い。
 
 後者のライバルの出現によって説明している部分(第一章 油断して絶滅、第二章 やりすぎて絶滅、第三章 不器用で絶滅)の部分については、いわゆる自然淘汰の理論が背景にあり、仮説は話としては面白いと思う。

 ただし、最近読んだ、『遺伝人類学入門』http://blog.livedoor.jp/shoji1217/archives/1071856975.htmlで指摘されていた、突然変異のほとんどは進化に対して中立的であり、近年は通説化して「中立理論」と呼ばれている、という指摘を踏まえると、どの程度、ライバルがでて、生存競争に負けたという仮説が説得的なのかよくわからない。

 少なくとも、まず、絶滅の要因が環境面、他の生物など多様かつ複雑ではないかという点、また、一定の規模の大小の違いが少ないグループを絶滅させるといった数学的な説明も可能ではないかという点など、いろんな指摘ができそうに思う。

 その意味では、絶滅理由にはいろんな説もあるけど、ダーウィンのいった自然淘汰説に近い考え方だと、こんな説明もできるね、ぐらいで理解したらいいと思う。

 でも、眺めているととても楽しいし、長い時間の経過と今後の人類の行く末を考えるうえでは、貴重な夏休み向けの読書本。

『遺伝人類学入門』を読んで、最先端の遺伝子分析で、女性と男性の遺伝子のばらつきの差を説明する部分が面白いな。

遺伝人類学入門 (ちくま新書)
太田 博樹
筑摩書房
2018-05-09

 北里大学の遺伝子人類学の先生が書いた本。

 初歩的な最近の遺伝学の説明が最初に続くがわかりやすい。

 ダーウィンが提唱した突然変異に伴う自然選択の議論に対して、木村資生の提唱した中立説、すなわち「全ゲノムのなかで突然変異が生き残るのは一部必然によって生き残る部分もあるが、ほとんどの部分が偶然で中立的」という」学説が、分子生物学の発達に伴い通説化し、現在では「中立理論」と呼ばれている。(位置No1748)

 この部分は勉強になった。

 後半の女性と男性で、女性の方が地理的距離が離れても遺伝距離が小さいのに対して、男性はばらつきが大きいという結果に対して、人類学的に仮説を提唱している。(第5章)

 非常にざくっというと、大部分の人類では父系社会で女性が嫁入りすることから女性の方が移動、移住をする機会が大きく、その結果として、地理的にみて女性の遺伝子のばらつきが小さくなっている。これは著者が例外的に存在する母系社会であるタイ山岳民族で遺伝子分析すると男が婿入りする民族の方が男性のばらつきが大きくなっているというデータからも裏付けられている。(位置No2328のグラフ参照)

 その他、本の副題にもなっている、モンゴル征服を受けたアジア地域に一定の遺伝子タイプが高頻度にあり、それがチンギスハンもしくはその関係するグループの遺伝子を引き継いでいる可能性の議論も、非常に興味深い。

 いろんなことが遺伝子学からわかってきているんだなと痛感。

 その他、抜き書き。

(1)ですからヒトゲノムの塩基数は3・5ギガの情報ということになります。DVD1枚に入れることができる情報量が約4・7ギガバイトなので、ヒトゲノム情報は、DVD1枚に入るほどの情報量ということです。つまり、ヒトゲノムはDVDに入れて持ち歩くことができます。(位置No400)

(2)ABO血液型の実体とは何でしょうか。簡単に言えば赤血球の表面に抗原が付いていて、その抗原にA型(N‐アセチルガラクトサミン)とB型(ガラクトース)があります。AB型はその両方を持っており、O型はそのいずれも持っていません。これが実体です。(位置No440)

(3)類人猿のゲノム解読はほかの生物種に比べて格段に早く進みました。ゲノムの塩基配列のうち並べて比較できる場所を比較すると、ヒトとチンパンジーの違いはわずか1・2パーセントくらいに過ぎません。これは、ヒトとチンパンジーのゲノムの塩基配列の比較できる場所のうち、たとえば1000塩基を比較したら、そのうち12塩基が違っているということです。並べて比較できない場所は比較しようがないから、そういう領域は除いての話であることは一応言い添えておきます。(位置No642)

(4)「人類」という言葉を使う時、その中にはヒト属のみならず化石人類(アウストラロピテクス属など)も含まれます。ホミニン(hominin)という括りに相当します。(位置No700)

(5)従来は〝旧人〟として世界史の教科書にも載っていたネアンデルタール人ですが、その姉妹グループであるデニソワ人も含めて、広い意味でのホモ・サピエンスの仲間として、つまりセックスをして子孫ができる範囲の親戚として捉えることができるかもしれません。おそらくできるだろうと思います。その中の一部が私たちの祖先であり、ホモ・サピエンスになったと考えるべきなのかもしれません。(位置No1387)

(6)ダーウィン的進化の考え方を表す言葉として「適者生存」(survival of the fittest)が有名ですが、これもダーウィン本人の作った言葉ではありません。ダーウィンと同時代に生きたハーバート・スペンサーが1864年に著した『Principles of Biology』に登場する言葉です。スペンサーは社会進化論を提唱した哲学者で、適者生存という概念は、自然選択の概念が誇張され拡大解釈されたものであり、科学的用語ではありません。(位置No1612)

(7)地球上の他の地域でもそうですが、ヨーロッパでは長い間(後述しますが特に農耕が始まって以降)父系社会が一般的であったため、その間は女性が集団間を移動してきました。家長である男性は一所に留まるため、土地ごとでY染色体のタイプに偏りが生じ、その土地と別の土地との間の地理的距離が大きくなればなるほど集団間の遺伝距離は大きくなりました。一方で女性の場合、常に土地と土地とを婚姻システムを通して移動してきたので、地理的距離が大きくなっても集団間の遺伝距離は互いにさほど変わりません。セイエルスタッドたちはこうした仮説を主張し、私たちのタイ北部山岳民族の集団遺伝学研究は、これをサポートする報告として世に送り出されました。(位置No2346)

(8)それは「特定の男性の系統では、より多くの子孫を残すことができたけれど、他の男性の系統では、それより少ない子孫しか残すことができなかった。女性の系統ではそういう偏りはなかった」という状態が起こったということです(図40)。 それをさらに解釈すると、社会的に成功した系統と、そうではない系統が男性には存在した、ということを意味します。(位置No3295)

『ゲノムが語る人類全史』を読んで、人類史の部分はたぶん標準的なものだと思う、むしろ最近の遺伝学の安易な引用を戒めている点が重要。

ゲノムが語る人類全史
アダム ラザフォード
文藝春秋
2017-12-14

 英国の進化遺伝学者、サイエンスライターが書いた本。

 前半部分のホモサピエンスのアフリカからの移動の話し、ネアンデルタール人との混血の話し(67頁)、デニソワ人とメラネシア人のDNAの共通性の話しなど、他の遺伝と人類学を扱った本と共通。

 たぶん、現時点での標準的な学説をベースにしているのだと思う。
  
 むしろ後半部分の安易や遺伝学の引用や遺伝子分析ビジネスへの警告の方が重要に思える。

 第五章の扉に書かれている言葉がその趣旨を明確に示している。

 「あらゆる複雑な問題について、単純で、直接的で、わかりやすい答えが一つはあるが、それは間違った答えだ。ーH・L・メンケン」(299頁)

 具体的な事例については以下のとおり述べている。

 「身長がきわめて遺伝しやすいことを私たちは知っている。(中略)しかし、総合すると、それぞれ身長に寄与するように思われる要因をすべて加えても、やっと二~五センチメートルほどにしかならない。残りの五一センチメートルをつくりあげる遺伝的寄与は、いまやその作用が見失われているのだ。」(344頁)

 「遺伝子は、人間の生物学的、心理学的性質のほとんどすべての帰結を決めてはいないのである。それぞれが小さな累積的効果をもつが、私たちのすむ世界によって緩和されている、数十、あるいは数百の遺伝子がかかわっていることがありうる。」(344頁)

 「私たちは遺伝的決定論から、遺伝的否認論へと振れ動いたのである。 
 両方の極端は、単純化しすぎでまちがっている。私たちはまだ、すべての形質全体について、「生まれ」がどれくあり割合を占めるか予測できていないのは事実である。これが科学である。そして科学者がすることは、自分たちが何を知っていて、何を知らないかを理解し、ゆっくると事物を「未知」カテゴリーから「既知」カテゴリーへ移していくことである。」

 遺伝子学の素人からみても、このような謙虚な姿勢と説明ぶりは、説得力を増すものの感じる。

『サル化する人間社会』を読んで、人間が社会性の観点からみるとゴリラとサルの間という指摘は面白い。


 著者は、京大の先生で、霊長類学者。

 霊長類を観察・分析して、人間社会の成り立ちを考えるという視点は説得的。(第4章)

 サルは、グループをつくり、個体相互に優劣関係がある。グループにはオスが数頭、メスもいて、交尾はいわば乱婚状態。

 ゴリラは、オス一頭とメス数頭と子どもからなり、個体相互に優劣がない。メスはオスとしか交尾しない。

 これについて、サルは社会関係だけあり、ゴリラは家族関係だけあると評価できるという。

 人間は、家族関係と社会関係相互をもっており、この意味でも中間。

 体重あたりの睾丸は、チンパンジーは0.27%、ゴリラは0.02%。これは、チンパンジーが乱交状態なので大きな睾丸で一回の射精で大量の精子を出せるように進化した結果。これに対して、ゴリラはオス一頭なので大量の精子をだして精子同士が競争する必要がなく、睾丸は小さいまま。(p101)

 人の睾丸はこの中間という。(p104)ここからも、人間はサルとゴリラの中間と評価できる。

 ちなみに兄弟や親子と交尾しないというインセスト・タブーは、サルもゴリラも存在する。

 著者は、人はもとはゴリラ型で家族関係しかなかったが、家族関係が崩壊しつつある現代は、サル化しつつあるという仮説を述べている。(第7章)これがこの本のタイトルとなっている。

 しかし、p17の図で示されているとおり、共通の先祖から、ゴリラが別れたのが900~1200万年前、チンパンジーが分かれたのが700から900万年前だとすると、ゴリラ、チンパンジーが社会・家族関係を形成したのは100万年単位の出来事。
 これに対して、人間の家族崩壊は、戦後70年程度の出来事なので、簡単に、サル化しているといえるかは疑問。普通に考えれば、人間の家族崩壊は、所得水準や経済水準の向上、就労就学水準の変化に伴い、核家族化が進んだという、比較的短期な環境条件の変化ととらえるのが普通ではないか。

 サル化までは極端だとしても、ゴリラが家族関係、平等な親子関係がある点など興味深い指摘多し。
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