革新的国家公務員OBが語りたいこと・伝えたいことー自由と民主主義を信じ国益を考えるーAiming at an innovative official of the national government

36年の公務員生活で培った「防災・復興法制」「都市計画法制」の知識を広く共有するため、書評を通じて、関係する新しい論点を示します。なお、意見にわたるものは個人的なものであり所属する(した)組織の意見や立場ではありません。

国際現代史

『シリア情勢』を読んで、「人権」という価値観で外交軍事を判断するとかえって混乱するという典型例か?


 東京外国語大学の先生が書いた本。

 シリアは、アサド政権、反体制派、ISなど複雑な関係になっていて、そもそも自分は状況が十分に理解できていなかった。

 この本を読んでも、正直いって反体制派の連合組織は、様々なグループがいろんな組み合わせで合従連合していて、頭が整理できない。この本の末尾の13頁から15頁に一覧表が載っている。

 ざくっとした理解で大事だと思った点。

(1)シリアという地理的場所は、ロシアと米国との関係、イスラエルとアラブ諸国の関係、シーア派とスンニ派との関係など様々な力がぶつかり合う場所であり、どちらか一方が極端に強くならないようにするとともに、一定の安定が求められる地区であること。

(2)この地区の安定に対しては、現政権維持という「主権」をシンボルにしたロシアはぶれずに関与を続けてきたのに対して、「人権」をシンボルにした欧米諸国は、アサド政権が反人権であることは当然としても、「反体制派」で人権を守る組織が存在しないことから、どの勢力を支援しているのかわからない状況になり、結果としてシリアの混乱を増長したこと。

(3)シリアの政治秩序が崩壊した結果、結局、シリア政府の裏の側面である治安・軍当局が前面にでて統治するようになり、そこに王族と関係のある「ビジネスマン」がからむという、独裁的な国家の側面が強化されたこと。(第2章)

(4)シリアを出国した人々がその出国理由としてあげた第一は、「アサド政権の暴力」だが、実は、反体制派のイスラム国、ヌララ戦線、YPG、自由シリア軍などの暴力も同時に指摘されていること。(p62)

 シリアの地政学的な意義から「現政権の安定を目指すロシアの外交・軍事戦略」の方が、少なくとも、「反体制派のいろんなグループを支援したり、たまにアサド政権を容認したりと混乱している、欧米、特に米国の外交・軍事戦略」よりはまともに思えてくる。

 たぶん、著者の意図とは違うのだが、これだけ混乱して武装勢力が入り乱れている地域に対しては、安定と秩序の回復を再優先すべきじゃないか、という意見を持つ。外交・軍事戦略は冷徹な判断が必要なのではないか?

 

 たぶん、著者の意図は少し違うだろうが、

 ISが後退しつつあり、移民のヨーロッパ流出も依然といて続いているはずなのに、なぜか、最近はNHKのワールドニュースでもほとんどシリア関係の報道がないと、なんとなく思っていた。
 
 

『プロフェッショナルの未来』を読んで、消費者が利用しやすい価格で利用できるようにテクノロジーなどを活用して開かれていくという方向性は揺るがないのではないか?

プロフェッショナルの未来 AI、IoT時代に専門家が生き残る方法
リチャード・サスカインド
朝日新聞出版
2017-09-20

 医師、弁護士、会計士、建築家などの専門家の仕事が、ITやAIなどの進展に伴い、どのように変化するかを分析し、予測した本。

 専門家側から異論が色々あるようだが、大胆にいえば、サービスの利用者側からみて、相対的に安価で広く使い安い仕組み、サービスの提供に進んでいくことは必須だろう。専門家が自分たちの職種やそれに伴う収入を守るという観点からの主張には説得力がないと感じる。

 途中段階では、いろんな新しいシステムとの併用が進み、それから、参入障壁が徐々に崩れていって、弁護士とパラローヤルの境界があいまいになるのなど、業務独占は崩れていくだろう。また、よいサービスを受けられるというシグナリング効果は、医師のあいだでも格付け、星付けが始まっているし、利用者側の評価が有効になっていくと、それのための専門職種の必要性も薄れていく可能性が高い。

 いずれにしても、この資格をとっておけば安全というような専門職種はなくなっていく可能性があることに注意。

 自分ごととしては、専門家をつくりだしている古典的な服装や言葉の使用、信念の伝播による「神秘化」が外部から理解させにくくして、変革を妨げているという指摘。(位置No3273)

 法律の立案や法律案への落とし込み、それに伴う予算や税制のセットなど、これまで公務員の内部の知恵とされていた部分も、実は、「神秘化」されているので、もっともらしくなっているが、言語化、ルーティン化、システム化すれば、他の分野の知恵もいかされて、より斬新な解決策が生まれる可能性がある。

 その意味では、「脱神秘化」の動きは、医師などの純粋たる専門家以外にも、公務員のように知識を囲い込んで外に出さずに権威を守ろうとしている職種にも当てはまる。そして、専門家と同じく、住民によいサービスを住民側のコストが少なく提供できる側に公務員の姿勢やノウハウ、仕事の仕方(結果として公務員の仕事でなくなる可能性もある)を変えていかなければならないし、外から変われという圧力が高まることが予測できる。

 公務員も変わらないといけない。まずは、公務員の法令作成や予算、税制要求のプロセス、その調整力学をオープンにして、他の分野の専門家とざっくばらんに話しをして解決策をさぐれる、フラットな組織体の組成が重要だろう。昨日参加した京大の牧先生の勉強会などはその実践体だと思う。

 以下、抜き書き。

(1)この概念に基づいて、私たちは今日の専門家が、程度の差はあれど4つの類似性を有していると提唱したい。その類似性とは、(1)専門知識を有している、(2)何らかの資格に基づいている、(3)活動に関する規制がある、(4)共通の価値観により縛られている、の4つである(1つ注意点がある。「専門家」や「専門職」という言葉が何度も続けて使われているが、これらの言葉はお互いに置き換えることができない。「専門家」は個人の人間であり、「専門職」は職業や専門家が所属している組織を指している)。家族的類似と同様に、これらの類似性が強く表れることもあれば、あまり確認できないこともある。しかし類似性のゆるやかなネットワークが、彼らを1つのグループとしているのだ。(位置No377)

(2)自分の仕事において、(ドリルという手法ではなく壁の穴が目的とする事例を前提にして)「壁の穴」に当たるものは何なのかという、根本的な問いを考える専門家はあまりに少ないのである。 この「壁の穴」の問いに対する答えの1つが、グローバルな会計事務所兼コンサルティングファームであるKPMGによって(直接的にではないが)提供されている。彼らは一時期、ミッションステートメントの中で、次のように宣言していた。「私たちは自分たちの知識を、顧客の利益に対する価値に変えるために存在します[80]」。 これは議論の出発点として適切だ。(位置No861)

(3)本書では、形式化された知識、ノウハウ、専門知識、経験、スキルが複雑に組み合わされたものを「実用的専門知識」と呼んでいる[86]。(位置No934)

(4)また「法的リスク管理」という新たな分野も生まれている。これは紛争を解決するというより、紛争を回避することに主眼を置いたもので、弁護士だけでなく会計士やコンサルタント、税理士などが参加する、専門領域をまたいだ総合的サービスが提供されている[143]。(位置No1558)

(5)このように流動的な状況にあることで、さまざまな専門家たちが問題に直面している。引退を間近に控えた専門家たちは、自らが仕事を終えるまで変化を強いられずに済むことを願っている。しかしその反対側にいる、将来有望な新規参入者たちは、変化に対して異なる姿勢で接している。彼らの親やキャリアアドバイザーは、20 世紀における専門家のあり方を語るが、未来に関心を向ける人々が描く、「ポスト専門家」の可能性にはほとんど関係がない。教育者たちは、次世代の専門家を育てるために何を訓練すれば良いのかわかっていない。規制当局も、これから規制対象になるものが何なのか把握しておらず、さらには変化を断固として阻止しようとしている。保険会社は、現在とはまったく違う仕事の姿から、どのような新しいリスクが生まれるのか把握していない。(位置No2420)

(6)専門職をめぐる状況を形成する最後のパターンは、専門職と専門家の「脱神秘化」である。法哲学者のハーバート・ハートは、神秘化と脱神秘化の分析において、この状況を巧みに解説している。 こうした言葉が表しているのは、不公平で、時代錯誤の、非効率な、あるいは有害な社会制度(法律を含む)は、その上にかぶせられた神秘のベールによって、批判から守られていることが多い、という概念だ。ベールはそれらの本質や影響を覆い隠し、改革者となる可能性のある人を恫喝して困惑させ、悪い仕組みの寿命を延ばす。(位置No3265)

(7)タスクではなく、職業という観点から問題を捉えてしまうと、専門家の仕事を、ある一定の枠組みをつくるために人工的に設置された概念から考えてしまうことになる。たとえば法律に関する問題については、伝統的な弁護士がその全体を解決してくれる、と人々は考えるだろう。同じように、健康に関する問題ならば、医師がその全体を解決してくれる、といった具合だ。しかし顧客や患者の抱える問題は、職業によって引かれた線引きを超えて存在していることが多い。職業ではなくタスクに焦点を当てて必要なものを考えてみることで、専門職をより包括的に捉えることができるだろう(第1章1・8節参照)。(位置No4859)

(8)たちは、消費者にとって利益のある方を優先するという姿勢を支持する。さらにテクノロジーを基盤としたインターネット社会において、専門家たちに働き方や、彼らが社会に貢献する方法を再考するよう求めるという選択肢を支持する。(位置No5805)

(9)私たちは、最前線での研究を進めていたとき、テクノロジーとインターネットが古い仕事のやり方を改善するだけの存在ではないことに気付いた。それは根本的な変化をもたらすものなのである。テクノロジーとインターネットによって、実用的な専門知識をより幅広い形で利用可能にする、新しい方法が生まれる。そして地平線の向こうからやってこようとしているのは、単に現在の専門家に可能なことの範囲内で事態を改善するものではなく、私たちの能力を大きく拡張し、実用的な専門知識へのアクセスが限られていることから生まれる問題の解決を可能にするシステムである。(位置No6064)

(10)本書では専門職が2つの並行した変化に見舞われると考えている。第1の変化は自動化だ。伝統的な専門職の働き方はテクノロジーによって合理化され、最適化される。第2の変化はイノベーションである。次第に性能が進化するシステムが専門職の働き方を一変させ、実用的な専門知識の新しい共有方法を生み出す。長期的には、この2番目の変化が支配的となり、現在の専門職は段階的に解体されていくだろう。(位置No6071)

(11)言うまでもなく、人間だけに許される活動の境界線を引くことは極めて重要であり、それを専門家だけの手に委ねるべきではないと私たちは考えている。そこに利益の対立があることは明白だ。専門家の知見と経験はこの議論に不可欠であるため、彼らがそこに深く関わる必要がある。しかしイントロダクションで述べた言葉を繰り返せば、専門職の仕事をどこまで機械に置き換えるべきかの議論を専門家に任せてしまうことは、ウサギにレタスを守らせるようなものだ。(位置No6340)

(12)しかし本書で議論してきた内容から考えた場合、専門職における技術的失業が一般的な傾向になると予想される、3つの理由がある。第1に、機械が性能を進化させるにつれ、いま人間が特定の種類のタスクにおいて有している、それを実行する上での優位性が次第に失われていく。第2に、機械の進化によって新しく生まれる需要のほとんどは、機械の方が効率的に処理できるものであるため、専門家は新しい需要(もしくは現在の潜在需要)に期待することはできない。第3に、人々は倫理的な判断や道義的責任が関わるタスクは、常に機械ではなく人間によって行われるべきであると考えているものの、その規模が専門家の雇用を今日と同じレベルで維持できるほど大きいものになることは期待できない。(位置No6512)

(13)おそらく、無知のベールの背後で考えた場合、大部分の人々が囲い込みではなく解放を選ぶだろう。大抵の場合は、医療サービスや精神的支援、法的アドバイス、最新のニュース、ビジネスの支援、会計に関する知見、建築上のノウハウなどが無料か低料金で手に入り、広く普及している社会に住む方が望ましい。それこそ、私たちが信じていることである。次の10年か20年で、この変革を始めるチャンスが得られるだろう。(位置No6867)

『世界の政治思想50の名著』を読んで、男女平等、人種の平等などの部分に英米国本ならではの特徴あり。

世界の政治思想50の名著 エッセンスを論じる
T・バトラー=ボードン
ディスカヴァー・トゥエンティワン
2016-03-10

 著者に関する記述はこの本には一切ない。英語版のウィキペディアによれば英国のオックスフォードに拠点をおくノンフィクション作家。

 プラトンやアリストテレスなどのギリシャ哲学から、最新では、ダロン・アセモグルほか『国家はなぜ衰退するのか』http://blog.livedoor.jp/shoji1217/archives/1010732825.htmlやジョン・ミクルスェイトほか『増税より先に「国と政府」をスリムにすれば?』http://blog.livedoor.jp/shoji1217/archives/1019675025.htmlまで幅広く紹介している。

 全体として、やや市場原理を尊重する立場に偏っていて、福祉国家論に冷たい感じもするが、相対的にはバランスよく、政治思想の重要な本をとりあげ、そえぞれの分析、評価も穏当だと思う。
 
 ただし、欧米の思想中心で、中国ものとして、「孫文の三民主義」と「孟子」のみ、イスラム系の文献や日本関係の文献も一切ない。

 自分が原典をよんだことのない本として、自分の弱点だなと思ったのは、メアリ・ウルストンクラーフト『女性の権利の擁護』(未来社)、ミル『女性の解放』(岩波書店)、『マーティン・ルーサー・キング自伝』(日本基督教団出版局)など、女性の平等と人種の平等を扱った本。

 フェミニストの運動が偏極していく状況を同時代的にみていたので、若干女性の平等ものには抵抗があったが、今であれば落ち着いて知識を得ることができるかもしれない。また、欧米では人種問題が以前として深刻なので、キング自伝などはちゃんと学ぶ必要あり。

 社会人が、ざくっと政治思想を歴史として学びなおして、原典にあたる興味をもつ本として最適。高校の倫理社会も、こういう本をテキストにしたら楽しかったのになと思う。

 政治思想史に関心のあるかたにはおすすめ。

 以下、抜き書き。

(1)(まえがきで著者のスタンスとして)政府は国民の生活を積極的に向上させるために存在すると考える人びとと、政府の主たる目的は自由を保障することだと考える人びととの間には、こうした論争が絶えず繰り返されてきた。これは微妙な哲学上の違いのように見えるかもしれないが、実際には根本的に異なる結果を生む可能性がある。(位置No156)

(2)プラトンが『国家』で試みたのとは違って、アリストテレスの考えでは、政治学の目的は「完璧な」制度を見出すことではなかった。彼はただ、最も利点が多く、最も欠点が少ない制度を見つけようとしたのである。僭主制、寡頭制、民主制を検討した後で、アリストテレスはこの三つのうちなら民主制が最善の形態だと述べた。すべての人が平等だと信じていたからではなく、民主制が本質的に、僭主制や寡頭制よりも安定しているからである。「多量の水が少量の水より汚染されにくいように、多数者も少数者より堕落しにくい」(『政治学』一六五頁)と彼は言う。(位置No454)

(3)『国家はなぜ衰退するのか』で、二人の著者は、豊かな国家と貧しい国家の主な違いは、それらの国の経済制度が個人や企業に与えるインセンティブの違いだと述べている。また、経済制度は政治的な法と規則の上に成り立っている。したがって、長期的な安定と繁栄のためには、国家はまず政治的側面から正す必要がある。(位置No519)

(4)アクトンの指摘の中で最も重要なものの一つは、自由、民主主義、平等の間に、明白な関連性はないということである。これら三つの間でバランスを取る必要があるが、アクトンはその中で最も重要なのは自由だと確信していた。個人の自由を尊重せず、保護しないなら、民主主義に何の価値があるだろうか? 富の再分配が富裕層からの略奪を意味するのなら、どうしてそれを正当化できるだろうか。(位置No694)

(5)バーリンが反対するのは、「人間の思い描くさまざまな目的のすべてが調和的に実現されうるような唯一の定式のごときものが、原理的に発見可能であるという信仰」(三八四頁)だった。恐怖政治や温情的干渉主義国家はみな、自身が自然や歴史に調和した存在であると考え、統治下にある国民のために最善のことをしていると単純に信じていた。そして、そのような支配体制が国民のために最善の目的を達する「唯一の定式」であると正当化してきたのである。(位置No1012)

(6)(ハイエクの説明として)実際には、アメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトの言葉を借りれば、自由企業は失敗したのではなく、まだ適切に試みられていない(少なくとも完全には)のである。国家が介入して問題を解決してほしいと願うことは、必然的に、自己決定権の原則と可能性の縮小を意味する。持たざる者にもっと多くを与えようとする試みは、全体的な自由の減少を伴い、個人主義と自由主義的な西欧の伝統を衰退させる。(位置No1092)

(7)ロールズの正義論の中心にあるのは嫉妬だとノージックは言う。そして、代わりとなる論理を提示する。第一に、人は自分の自然資産に関する権原を持つ。第二に、人があるものの権原を持つのであれば、それから発生するすべてのものに対して権原を持ち、それにはその人の所有物が含まれる。1269社会の病弊を取り除くために新しい組織や制度を一つ作ったり、既存のものを改善したりするための努力は、ゼロから社会を構築するのに比べれば、はるかに平凡で地道な作業だ。だが、現実には、それらの実現を望む多くの人びとが関わることになるので、うまくいく可能性が高い。妥協はしばしば悪とみなされるが、その結果は、絶対的命令や法令で生み出されたものよりも安定している。(位置No1409)

(8)開かれた社会には、部族的タブーや固定した社会的関係からの自由だけではなく、個人の責任への期待がある。自分たちの判断に任されているということは負担であるとポパーは認めているが、それは自由の中で生きるために払わなければならない代償である。(位置No1462)

(9)(ネルソン・マンデラの言葉)わたしは根本的に、楽観主義者だ。生まれつきなのか、育った環境のせいかは、なんとも言えない。楽観的であるということは、顔を常に太陽へ向け、足を常に前へ踏み出すことだ。人間性に対する忠誠をきびしい形で試されるつらい瞬間も数多くあったが、わたしは絶望に身をまかせようとは思わなかったし、そうはできなかった。それは敗北と死に至る道だったからだ。(位置No2294)

(10)(ルソー『人間不平等起源論』の説明として)有名な、ジョン・ロールズの「無知のヴェール」という概念によれば、誰も、自分が王になるのか貧民になるのか、商人になるのか使用人になるのかを事前には知らない。そして、この無知の状態で、「個人の自由を維持しながらすべての人が利益を得られるためには、法律はどのように作られるべきだろうか?」と問う。 社会の目的は「公正さ」であるという考え方は、まさにルソーが意図していたものであり、彼の精神は現代の革命的な運動にも生きつづけている。社会は、ただ秩序を維持し、財産を守るために存在するのではなく、道徳上の目的を持っていなければならないのだ。(位置No2413)

(11)現在のアメリカの地位を表すのに最もふさわしい言葉は「帝国」でも「覇権国」でもなく、「圧倒的な優位にある」(二九一頁)国だとナイは指摘する。それは、軍事的、経済的に優勢ではあるが、勢力や重要性が他の国の権力や富を否定するほどではない状態を意味する。ソフト・パワーを用いるなら、開かれた国際経済や、世界で共有する海、宇宙、インターネットなど公共財の維持と、国際紛争が拡大する前に調停する役割などに、そのパワーの一部を使うべきである。(位置No3931)

(12)今後、中国は、帝国主義的にならないというこれまでの歴史的パターンを守り、自国の勢力圏で優勢を保つだけで満足するだろうか? それとも、あらゆる手段で世界に影響力を行使する大国になろうとするのだろうか? その答えと思われるものを、孫の思想の中に見出すことができる。それは中国の歴史に深く根ざしたものだ。孫は、中国が堅持してきた反帝国主義的な伝統について、中国がしばしば他国を侵略するのを思いとどまってきたという事実を誇らしげに述べている。侵略する代わりに、中国は偉大な文明の力で周辺国を引きつけ、感服した国々は自ら進んで朝貢し、「藩国」(上巻三八頁)となって忠誠を誓ったのである。この、今の言葉で言えば「ソフト・パワー」は、周辺国を威圧したのではなく魅了したのであり、西洋の軍国主義者や帝国主義者のアプローチとは対照的なものだった。(位置No5856)

(13)アリストテレスは「有産者の数が多くなり、彼らの財産が増えれば、寡頭制や門閥制への変革が起こりうる」(二四七頁)と述べ、社会に極端な経済格差が生じた場合、民主制から寡頭制への移行が起きると警告している。「世界人口の一パーセントの富裕層が、やがて全世界の富の約半分を所有するようになる」という現代の議論や、ウィルキンソンとピケットによる『平等社会』(一六四頁参照)で提起された増大する不平等の問題を考えれば、二千三百年前にアリストテレスが発した警告は、今も耳を傾ける価値が十分にある。(位置No6078)

(14)国家が大きくなりすぎ、干渉しすぎることを防がなければならない一方で、暴力からの保護、財産権の維持、契約法、国内の商業の統一規則など、中央政府の利点も忘れてはいけない。そうしたものがアメリカを、一つの国家、一つの国民として偉大にしたのである。スコットランドからカタルーニャ、ケベックまで、現代の分離独立運動のリーダーたちにとっても、『ザ・フェデラリスト』は読む価値があるだろう。強い統一体が持つ多くのメリットと、独自の道を歩むことのコストを思い出させてくれるはずだ。(位置No6977)

(15)(『国家はなぜ衰退するのか』の説明として)中国経済はソビエトよりもはるかに多様性があるし、中国には数百万人の起業家がいると認めているが、ソビエトと同じ原理は中国にも当てはまる。「政治制度が収奪的である限り、過去の同様の事例と同じく、成長は本質的に限られたものになる」(上巻二五二頁)と著者は言う。中国で持続的な成長が可能になるためには、中国経済が「創造的破壊」(上巻一二七頁)を受け入れなければならない。政府が多数の国営企業を所有・支配している現状で、その可能性はどれくらいあるのだろうか? さらに、創造的破壊は包括的政治制度を通じて初めて実現するのだが、中国でそうした制度が誕生する兆しは見あたらない。(位置No7247)

『ルポ トランプ王国』を読んで、森本あんりの『宗教国家アメリカのふしぎな論理』を記者の目で確認した本。


 朝日新聞のアメリカ特派員が書いた本。

 オバマからトランプ支持にひっくり返ったラストベルト(ペンシルベニア、オハイオ、ミシガン、ウィスコンシン、アイオワ)などの米国民に対して丁寧にインタビューしている。

 先日読んだ、森本あんり『宗教国家アメリカのふしぎな論理』http://blog.livedoor.jp/shoji1217/archives/1069035198.htmlで整理されていた、「金持ちを神の恩寵と考える宗教観」と「反・知性主義」の二点が、白人で中流から落ちこぼれたラストベルトの労働者や高齢者に共通した特徴となっている。

 反知性主義は、反エスタブリッシュメントとインタビューのコメントとして、何度も述べられているし、金持ちは誇るべきこと、ビジネスの成功は尊敬されることとの指摘もp220で記述されている。

 その他で、二点、大事な指摘と思ったもの。

(1)ハーバード大学のスティーヴン・レヴィンスキーらはニューヨークタイムズ紙(2016年12月18日付け)で問題提起した、民主主義の危機のリトマステストとして、ア 暴力を明確に否定しない姿勢、イ 政敵の市民的自由を制限する姿勢、ウ 選出された政府の正当性の否定、の三つをあげ、トランプは陽性だと指摘していること(p225)

(2)著者の懸念として「トランプ劇場に観客が飽き始め、「チケット代を返せ」と叫び始めた時に、国内を結束させる手段としてトランプの脳裏に戦争という選択肢が浮かばないだろうか。」(p234)をあげていること

 

『日本人のための第一次世界大戦』を読んで、覇権国と新興国の戦いという点で歴史に学ぶ価値があるかも?


 雑誌エコノミストの連載をまとめた本。

 歴史学者が書いたものでないので、第一次資料ではないものの、読み物としては、話しの筋がわかりやすく、読みやすい。

 いくつか面白い情報もあるが、あえて第一次世界大戦を学び直す価値として、自分が考えた点。

(1)第一次世界大戦は、イギリスの覇権国家の地位をドイツが挑戦して、結果として、ドイツは敗退するものの覇権国家の地位を英国が米国に譲る結果となった。第二次世界大戦は覇権国家としての米国の地位をドイツや日本が脅かすまでの力はなかったし、結果として米国の地位は揺らがなかった。(下の抜き書き(1)参照)

 現在は、中国が覇権国家としての米国に攻める力を持つつつあり、この観点から、第一次世界大戦の政治経済情勢を分析する価値はあるのではないか?

(2)第一次世界大戦は、蒸気機関や電信技術などの発明の結果、先進諸国がグローバルに活動し、経済的に相互依存関係にある中で発生した。これは、第二次世界大戦でもドイツや日本が資源を海外に依存するなど、相互依存関係にあるなかで発生している。(下の抜き書き(5)参照)

 経済的な依存関係は世界大戦を防ぐことができないというのは歴史的事実だが、第一次世界大戦に限定されたものではない。

(3)第一次世界大戦の直前に、鉄道、飛行機、電信電話、潜水艦などの技術革新があり、戦艦のドレッドノート式、戦車など軍事技術も大きく進歩した。これに対して、第二次世界大戦は、開始当初は従前技術の改良型だったが、終戦間近で原爆が開発された。

 現在の軍事技術の進歩は、ロボット、AI、衛星技術、ドローンなど大きく進歩しており、どちらかといえば、第一次世界大戦の直前の新しい技術が大量に生まれている時期に類似している。技術革新が戦略、戦術にどのような変化を与えるかと考える上では、第一次世界大戦の方が参考になるのではないか?

 その他、フランスとイギリスでは戦死者が第一次世界大戦の方が多く(仏139万人:20万人、英70万人:38万人)でGreat Warといえば、両国とも第一次世界大戦だということも、教養として知っておく価値あり。(位置No10)

 以下、抜き書き。

(1)「台頭する国家は自国の権利を強く意識し、より大きな影響力(利益)と敬意(名誉)を求めるようになる。チャレンジャーに直面した既存の大国は状況を恐れ、不安になり、守りを固める」 これはグレアム・アリソン、ハーバード大学(政治学)教授が提示する仮説、「ツキュディデスの罠」の説明です。(位置No361)

(2)(普仏戦争の)ドイツの勝因は、ビスマルクによる卓越した外交とクルップ社製の高性能な大砲、そして、国民皆兵制度と連携した鉄道による動員システムであったと考えられています。(位置No804)

(3)軍事国家のイメージが強い19世紀のプロイセンにおいても実際の徴兵率はせいぜい20パーセントほどでした。徴兵対象者5人のうち1人が採用されるレベルです。しかしこれでは大きな兵力を持てません。これを克服するために考え出されたのが予備役の制度でした。(位置No870)

(4)日本人が日本人を誉めそやす、昨今の流行の中で、江戸時代の日本人の識字率は世界最高水準だったという記述を時々見かけます。出処は経済史・歴史人口学者の速水融氏編集の「江戸論」の名著『歴史のなかの江戸時代』にあるようですが、確かに日本の識字率は当時の世界と比較しても高いものだったようですが、客観的なデータと比べると少し大袈裟な表現が多いのも事実です。1870年当時の資料から推定される日本人の識字率は男子が40~45パーセントで、女子は15パーセントのレベルでした。(位置No966)

 位置No940に1850年と1900年の欧米と日本の識字率の比較表あり。米国等に比べて日本の識字率は低いが、米国は有色人種は除いていることなど留意が必要とのこと。

(5)少し古い世界史の知見では、1873年のウィーンとニューヨークの金融恐慌に端を発する「大不況」以降に各国が保護主義に方針を変えて、帝国主義の下に植民地を囲い込み、それが原因で第一次世界大戦に至ったという見解も見られました。しかし世界貿易額のグラフを見る限り貿易量は20世紀に入って加速しています。さらに各国の植民地向けの貿易も対外投資額も、先進国同士の貿易と比べて多いわけではなく、帝国主義による囲い込みの実態を数値によって説明することは困難です。第一次世界大戦直前のドイツは、自国の植民地との貿易額よりも、イギリスの植民地であるインド単体との貿易額の方が多かったのです。(位置No1094)

(6)ところがグローバリゼ―ションでは一国の中で繁盛する産業もあれば、競争力を失い退出しなければならない産業も出てくる。勝ち組と負け組が峻別されるのです。歴史家・経済学者小野塚知二氏の研究ではこうした比較優位と国際分業が産み出した、抑圧された側の民衆心理に宿った不満こそが、第一次世界大戦発起の原因ではないかと指摘しています。(位置No1145)

(7)一方で産業革命の先進国イギリスは1865年に出された赤旗法(自動車に対して厳しく速度を制限して、かつ赤旗を持った人の先導を義務づけた。馬車屋という既得権益者を守る法律)が障害となって、1896年にこの法律が失効するまで自動車の開発は活発に行われませんでした。そのためイギリスは鉄道では世界をリードしながらも、自動車の生産についてはドイツやフランスに対して10年ほど遅れを取ることになりました。現代の自動車会社の世界シェアと合わせて考えると興味深い史実です。(位置No2036)

(8)なお1990年の再統一後のドイツは、ドーズ債、ヤング債(第一次世界大戦でドイツ賠償請求を緩和するものとして、1924年のドーズ案と、さらにそれを緩和した1929年のヤング案、ヒトラーは支払停止宣言をした)の元利払いを再開し、2010年10月3日にすべての支払いを完了しました。5354
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