革新的国家公務員OBが語りたいこと・伝えたいことー自由と民主主義を信じ国益を考えるーAiming at an innovative official of the national government

36年の公務員生活で培った「防災・復興法制」「都市計画法制」の知識を広く共有するため、書評を通じて、関係する新しい論点を示します。なお、意見にわたるものは個人的なものであり所属する(した)組織の意見や立場ではありません。

政治学

『市民を雇わない国家』を読んで、既存データをつかってこれぞ社会科学分野の論文って感じで説得力あり。


 若手の政治経済学者の博士論文をまとめた本。

 主な論証は、日本の公務員数が経済規模との対比でみて、欧米諸国より極端に少ないこと、その原因として、高度成長期より前に公務員数の抑制が始まったこと、その抑制は、公務員に争議権等が制限されているバランスで人事院勧告制度ができており、給与を減らすことが困難であったため、職員数の抑制を総定員法で国の省庁で一体的に行ったこと、国の公務員抑制の姿勢が自治省を通じて地方公務員にも伝わったこと、という内容。

 論証の仕方は、既存データを分析しなおして、評価するというもの。

 都市計画などの論文が新しくデータをとってそれで新規性をだしているのに比べて、既存データの再評価という手法で、的確に論証していることに価値あり。
 また、具体的な政策へのインプリケーションも明確。

 基本的に説得された。しかし、やや突っ込み不足と思った点。

(1)人事院勧告という仕組みが給与の伸び率を財政事情や経済政策にかかわらず先に決められてしまい、それを前提にしたため、財政支出を抑えるために職員数を絞ったという議論は、説得的だが、政治情勢によっては、人事院勧告を無視して、給与アップをそのまま認めなかった年もある。 
 論者の主張をより強化するためには、人事院勧告がどういう場合に無視されているのか、それが例外的であって、英国のような給与水準を示す手法よりも、相対的に強く、政府に給与アップを迫ったということを議論する必要があるのではないか?

(2)人事院勧告は国家公務員を対象にしており、地方公務員がそれに準拠して給与の増加を抑制したというメカニズムは、自治省の地方交付税などを通じた強力な指導という、informalな部分があったはずだが、この分析の深掘りが必要ではないか?

『逃げられない世代』を読んで、次世代につけを回しているという指摘は同感、ちょっと上から目線かな?


 経済産業省と途中で退官した若者が書いた本。
 
 日本の社会保障制度が持続可能ではないこと、その結果として赤字国債がつみあがっていて、日銀の異次元緩和と国債購入でなんとか支えているけど、将来的ににっちもさっちもいかない時代がくることなど、基本的な指摘はそのとおりだと思う。

 ただし、解決が難しい理由は、にっちもさっちもいかないタイミングが国際化している金融情勢などの左右されるので、いつくるかがわからないこと(下の抜き書きの(5)みたいには単純にいえない)。
 いつ来るかわからない、悲惨な状況に備えて、現時点で苦しい選択を国民ができるか、また、それが必要だとしたら、政治家を含め、現世代の国民は何から始めたらいいのか、ということが非常に難しい。

 この本は、そういう現実を前提にして、基礎的なデータを示しながらわかりやすく示して、国民の理解を得ようとしていること自体で価値があると思う。

 ただし、なんとなく、現状を冷めた感じで見ているので、上から目線とも読めてしまう。

 自分としては、解がない難しい課題に対して一緒に悩み、少しでもましな政治や社会システムをつくるために、一人の国民として、何ができるかを考え続けるつもり。

 以下、抜き書き。

(1)このように先送りをすること自体は必ずしも問題とはいえず、しばしば最良の政策とすらなり得るのですが、問題は経済成長が停滞し人口が減ろうとしている転換期においても日本政府が「先送り」を基本戦略とし続けていることです。(位置No419)

(2)一つの目安として遅くとも団塊ジュニア世代が高齢者になる2036~40年には内政面で日本の先送り型政治システムの限界が来るものと思われます。(位置No630)

(3)なお公共事業関係費については、民主党政権下での削減があまりにも急すぎたこともあり自治体や業界からの反発も強く、近年やや増加傾向で、16年度の予算は7・6兆円となっています。このように民主党政権のムダ削減アプローチは紆余曲折を経て失敗するべくして失敗したわけで、今後同じようなことを議論する意味は乏しいように思えます。(位置No938)

(4)このように異次元緩和はポジティブな面では、
 ① 国債の低金利化によって政府の財政を助ける
 ② 円安により企業収益を改善し株高を演出する
 という二つの効果を生み出しましたが、徐々に副作用が心配されはじめています。(位置No1175)

(5) 日本の家計の金融資産は2017年12 月末現在で1880兆円ありますから、国債の残高が988・2兆円といってもまだ国内で国債を吸収する余裕があると言えるでしょう。
 短期債務や地方自治体の債務などを加えた政府部門全体の債務の規模でも1310兆円ですから、その意味では日本政府には金利さえ抑えれば、まだ問題を先送りする余裕があると言えそうです。ただし近年政府部門の債務は1年あたり20 ~30 兆円のペースで増えていますから、仮に間をとって年間25 兆円のペースで借金が膨らんでいくと考えると、概ね20 年後には限界に達することになります。(位置No1243)

(6)戦前に証明されたように、日本が自由貿易無しでは生きられないのに対して、アメリカは必ずしもそういうわけではないという構造の非対称性を忘れてはいけません。アメリカが自由貿易経済体制を支えているのは「日本とドイツが再び軍事化してアメリカを挟み込む」という第二次世界大戦のストーリーが再来することを未然に防止するという安全保障戦略上の理由に過ぎないのです。(位置No1926)

『政治を科学することは可能か』を読んで、全部を読み込めないのだが、まえがきに書かれている問題意識に強く共感して推薦する。


 著者は早稲田大学の政治学の先生。中央大学理工学部の谷下先生の推薦。

 まえがきの指摘にいたく共感したので、そこから説明。

 日本政治の分析について

(1)政治学、あるいは社会科学全般について理論や方法が厳密化した結果、それらに「なじまない」現象が事件が分析から淘汰される可能性がある。例えば、現在進行形で起こっている現象や事件は分析に資するデータが公開されていなかったり整理されていないことが多い。これらを厳密に科学的分析の対象とすることは大きなハンディキャップ。真っ当な研究者ほど現実の政治を分析する作業を敬遠しがちになる。

(2)政治分析の精緻化は学術雑誌の序列化を進展させる。現在政治は階級のトップにある英米の学術雑誌で取り上げにくく、日本の研究者が日本政治分析から遠ざかる傾向にある。これがさらに日本の政治についての海外の研究を一層先細りにしている。(v頁-v1頁)

 そして本著の意義として「一人の日本人研究者が、日本語で、日本の読者を念頭において政治を語ること、それは科学的営為であろうとすることと現実政治とつながりをもちたいとすることとのあいだで、現時点でかろうじて保たれるバランスを少しでも将来に咲き伸ばそうとする試みでもある。」(vii頁)

 これは、個人的な愚痴にもなる。あえて申し上げれば、「被災地でのアンケートなど各種のデータを分析して、そこからは一定の政策の方向が論理的には導けないことから、結局、データ分析だけの分析をもって終わっている」のがほとんどの計画系の論文集の実態をみると、それで研究者としていいのかな、と実務的な立場からは痛感する。

 実は、一定の価値観をもって、論理はそこからジャンプしても一定の政策の方向性を述べるべきではないか。また、それを論文内容として許容していくのが、まさにこの本でいう「研究者が、科学的営為と現実政治のバランスを保つ」ということなのではないか?

 本書の内容については、第6.7章が復興に関するものを紹介する。

(1)第6章の「不運」=「天災」と「不正義」=「人災」との区別が難しいという指摘と、しかしそれを難しいからといって軽視してはいけないこと、そしてその線引きは恣意性を持つことを自覚すること、という指摘は理解できる。(100頁-114頁)

(2)アーレントの「同情compassion」と「憐れみpity」の概念区分。
 同情はある特定の者に限定され、一般的な広がりのもつ人までは対象にできない=「一般化する能力」を持たない。また同情は苦しむ他者との距離を一気に飛び越えるという意味で「直接性」「共苦co-suffering」を持つ。
 これに対して、憐れみは、一定の集合体に対して向けられ、また相手との間には非対称性がある。(128頁)

 この仮説を第7章では、一人の被災者と多数の被災者について、アフリカと日本に分けて、写真を使って分析している。

 この結果は、予想に反している部分があるので、簡単には説明しにくい。
 アフリカの被災者の写真では、多数の写真よりも個人の写真をみて支援したと考えた率が高く、個人の写真をみて、通常の憐れみに加えて、同情の感情がわいたことと整合的。

 これに対して、日本の被災者の写真では、逆に多数の写真の方が支援したいと考えた率が高くなっている。この理由として同時に行われた調査で日本人の被災者の場合にはアフリカの人に比べて全員が助かるべきと考えた日本人が多かったことが挙げられている。

 いずれにしても、アーレントの同情と憐れみの区分は、すきっとした形でデータには出なかった(と理解する)が、議論の切り口としては、有効と考える。

『シンプルな政府』を読んで、実は二度目と気づいたので、別の観点からのメモ。

シンプルな政府:“規制"をいかにデザインするか
キャス・サンスティーン
エヌティティ出版
2017-10-30

 行動経済学で売れっ子の経済学者。

 実際にオバマ政権時に規制についての評価、費用対効果分析などを行って規制の必要性の有無や是正について豪腕を振るったという経歴を持つ。

 実はこの本を以前読んだと気がつかずに再度購入してしまった。読んでいて、一度読んでいたことに気づいた。

 前回のコメントは以下のとおり。http://blog.livedoor.jp/shoji1217/archives/1069398803.html
  
 わずか8ヶ月前に購入したことをすっかり忘れてしまったことには少しがっくり。

 ちょっと違う観点からコメントしてみる。

 「第9章 いかにして政府は世話をやくべきか」という部分で指摘されている、ナッジの手法への基本的な指摘。

 一つは、米国では反感の強い「温情主義ではないか?」「政府は口だしをしすぎ」「個人の自主性を害する」というもの。
 もう一つは、「ナッジは透明性がないのではないか?」というもの。

 米国ならではの政府の活動を抑制的であるべきとの考え方に対して著者は、より議論の範囲を絞った形で反論をしている。

 自分なら、むしろ価値観が背景にあることを正直に示して反論するのではないか?

(1)ナッジという手法で一定の行為(喫煙、肥満を誘発する食事など)を抑制すること自体は一定の価値観に基づいている。その価値観の正しさを論理的に証明することは困難だし、歴史的にみても、大きく世論も変化してきている。(喫煙など、まさにそう)

(2)しかし、政府がナッジという手法で、一面では個人の無意識(システム1)に働きかけてでも一定の行為の抑制を求めることが是正されるのは、その価値観について、公益に合致すると判断されているから。

(3)昨日読んだ『もうモノは売らない』http://blog.livedoor.jp/shoji1217/archives/1071986157.htmlも市場ベースで個別企業が個人の無意識(システム1)にいかに働きかけて、一定のものに恋して、購入させるかという手法。市場がそこまで無意識に働きかけた手法を用いているのだから、政府が一定の公益に合致する目的のために、ナッジを用いるのは対抗措置として重要だし、むしろ、もっと行うべき。

(4)以上の議論の前提としての公益に合致する「価値観」を、(できるだけ)間違いなく構築する手法としては、「多様な市民の多くの意見を聞くこと」、そして「理性脳(システム2)を機能させることに習熟した専門家の判断を聞くこと」の双方を踏まえて、政府のトップが判断することだと考える。(この本では専門家の判断はほとんど触れられていないが、やはり重要な要素と考える)

『ハッパノミクス』を読んで、合理的な政策立案のこつがわかる本。

ハッパノミクス
トム・ウェインライト
みすず書房
2017-12-16

 英国の雑誌エコノミストの記者が書いた本。

 内容は、中南米の治安や取締がきわめて不十分な地域での麻薬ビジネスの実態を分析した本。

 無法状態の経済や社会秩序がどうなるのか、の情報自体が貴重。

 その前に、現在の麻薬ビジネスの取締がうまくいっていない政策的な問題を指摘しているので、その点を列記。

(1)供給面へのこだわり 
 麻薬ビジネスの供給側、例えば栽培農家の農産地を執拗に廃棄させても、まず、末端価格に対する生産者原価の割合がきわめて低いため末端価格に影響しないこと、また、仮に価格に影響しても、需要者が価格弾力性が低い(少しぐらい価格があがっても消費を減らさない)ため、効果が乏しい。
 これまで十分に実施されてこなかった、需要者側の施策、更生施設の整備や若者向けの対策の方が効果的。(263頁-265頁)

(2)長期的なコストよりも目先の節約の優先 
 犯罪が起きたあとの対応には大きな予算を投入するのに対して、予防的な施策、例えば、刑務所での予算の確保(予算削減の結果、食事の差し入れをみとめて、差し入れの際の武器などの搬入が刑務所内の犯罪の温床になっている、新しい犯罪予備軍を生み出しているなど)ができないこと(266頁-268頁)

 大災害が起きて復旧・復興費用にお金を使うのに、予防段階での事業や活動にお金を使わないのと似ていないか?

(3)グローバルなビジネスへの国単位の対応(268頁-272頁)

(4)禁止とコントロールの混同(273頁-274頁)
 米国コロラド州での法律で管理された麻薬合法化制度は、犯罪者減につながっている。マリファナはアメリカの約半数の州ではなんらかの合法化がされている。

 第二に、無法の世界での経済秩序に一定の合理性?が生じている事例

(1)麻薬ビジネスでも、逮捕や刑務所行きで人材確保難、また、様々な段階での契約を守らせることが難しいという契約の履行の問題を抱えている。(67頁-68頁)

(2)麻薬ビジネスの組織は、住民の暗黙の支持(犯罪時に逃走を見逃してくれるなど)を期待して、CSR活動に熱心なこと(108頁-109頁)

(3)コカインのサプライチェーンは、供給事業者が独占状態(まるでウォルマートのよう)で価格支配力を持っている。(25頁)

(4)農業者がコカインなどより鶏やトマトを育てる方が儲かれば栽培をやめる。このため合法作物販売に補助をしてきて栽培面積を減らしてきた。しかし、2005年にコカインを効率的に栽培する技術を開発されその減少率がまた増加に転じてしまった。(31頁)

(5)メキシコの犯罪率が急増するなか、隣国のエルサルバドルでは主要な二つの犯罪集団が手打ちをしたため、殺人発生率が3分の2も減少した。(39頁)

(6)メキシコシティでは近隣住人が共同基金をつくって元軍人をやとって私的な自衛をしている。(111頁)

 まるで、ホッブスの自然状態のような状態。
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