革新的国家公務員OBが語りたいこと・伝えたいことー自由と民主主義を信じ国益を考えるーAiming at an innovative official of the national government

36年の公務員生活で培った「防災・復興法制」「都市計画法制」の知識を広く共有するため、書評を通じて、関係する新しい論点を示します。なお、意見にわたるものは個人的なものであり所属する(した)組織の意見や立場ではありません。

日本現代史

『海軍反省会2』を読んで、全然反省していない砲術家がでてくるなど、本音が垣間見られる。今の日本にも同じ傾向はないか?


 昭和55年ころに行われた海軍将校の反省会の第二巻。

 第一巻http://blog.livedoor.jp/shoji1217/archives/1066760516.htmlと同じく放談会の議事録なので、同じ話がでてきたり、意味不明な部分があるなど、読み物としては難がある。

 しかし、第一次資料として一級品。

 第15回の砲術についての黛治夫氏の、日本の砲術の命中率は米国に比べ6倍だったという主張。これに対して、寺崎隆治氏が、そんなこと言ったって、現実の開戦で日本の砲撃は全然あたっていないじゃないかと主張している点(p227)が刺激的。

 大鑑巨砲主義が時代遅れだと現時点で我々が結果論として思っている。しかし、戦後30年以上たった、昭和55年時点でも、海軍OBの間ではそれが激論になっており、いかに後付けの理屈はもっともらしくても、当事者、例えば砲術家にとっては心情的に納得できないことを明らかにしている。

  2,30年前の歴史というのは当事者が存命中であり、客観的な評価が難しいということを示す、よい具体例と考える。もう少し冷酷にいえば、昨日読んだ『背信の科学者たち』http://blog.livedoor.jp/shoji1217/archives/1068124540.htmlで述べられたいたとおり、天動説が地動説というパラダイムに変わるためには、要は世代交代が必要との指摘があった。頑固に思い込んでいる専門家が引退し亡くなって、次の世代になって始めて、パラダイムが変わるという、実例だろう。

 なお、第20講の潜水艦について、連合艦隊司令部が交通破壊戦に理解がなかったこと、性能向上にあまり関係ない無定型な設計変更を行い、多様少量建造を行ったことなどは、日本人が現代でも起こしやすい過ちとして記憶すべき。

 これも、大きな技術革新がなくなってくる、若しくはそれを許容しなくなってくると、ちいさなモデルチェンジにこだわるという日本の製造業によく似ている。
 モデルチェンジとか内燃機関があって少しでも日本の強みやサプライチェーンを守るために燃料電池車を電気自動車に優先して技術開発したがる発想も、これに近い。自動運転とか簡単なインフラを考えたら、電気自動車の方が有利に決まっている(素人ながら思うのだ)が、既存技術者や上司が自分の既存の知識や組織にこだわっていると、大きな技術変革についていけなくなる、なんていう過ちを繰り返さないでほしいな。

『帝国と立憲』を読んで、立憲の体制が帝国主義的な戦争を押させることができる可能性の議論は興味深いが、やや説得力に欠けるか?


 日本近代史の大家の坂野先生の最新刊。

 日本の明治以降の、帝国主義的な海外進出の動き=「帝国」と、代表制議会主義を通じた内政重視の動き「立憲」とは、近代史のなかで交互に重視されてきていることを明らかにした本。

 近代史を詳細に分析すると、「内に立憲、外に帝国」といった俗説は該当しないと主張している。

 この部分については、「へえ~そうかな」という感じ。

 著者はみずから「あとがき」で述べているとおり、立憲と帝国というのが交互に勢力を持っているという前提に立つと、「立憲が優勢な時代、特に、代表議会主義を前提にした政治家が首相についている場合には、帝国主義としての派兵の動きを本来は止められる可能性があった」と分析する。

 特に重要な分析は、満州事変の勃発時の状況を扱ったp222以降の「関東軍の制止に一度は成功した」の節。

 昭和6年11月23日午後7時ころ、幣原外務大臣から南陸軍大臣に電話をし、関東軍の錦州攻撃の懸念を伝え、南陸軍大臣から金谷参謀総長に伝言。金谷参謀総長から「錦州攻撃を断行することはない」と外務大臣に電話した。外務大臣の懸念を踏まえ、同趣旨の電話を再度参謀総長が外務大臣に行った。(p223)
 
 著者は、これを一時は、立憲が帝国を押さえた事例とする。

 しかし、金谷参謀総長の安請け合いのほか、スティムソン国務長官が、内々の外務大臣と参謀総長とのやりとりを、「外務大臣が参謀総長に発令した」と発表し、日本の夕刊でも報道され、これが外務大臣、総理の統帥権問題に触れ、著しく立憲の影響力を削いだとする。(p228)

 スティムソン国務長官が本来連携をとるべき日本の外務大臣の統帥権に対して権限がないことを理解しないで記者発表をした事実を興味深い。

 しかし、この部分の影響がなくとも、関東軍自体が本国の参謀本部の意向に反して事変を起こしたことは事実であるので、満州事変当初の時点で、立憲が帝国を押さえかけた事例として、理解できるかどうかは、やや説得力が不足しているように思う。

 しかし、満州事変で兵を動かし続けるためには一定の予算措置が必要で、そのための閣議決定の段階で立憲の影響力がもっと発揮できれば、別の方向性があった可能性もある。

 その意味では、陸海軍が統帥権を背景にして横暴を働き、内閣はそれに追随していたかのような俗説については、著者のように丁寧に時間経過をおって、内閣が帝国の動きを止める可能性がなかったかを検証すること自体は有益と考える。

『徳川社会の底力』を読んで、江戸時代の統治システムを再評価する動きは最近の歴史学のトピックス。

徳川社会の底力
山〓 善弘
柏書房
2017-05-01

 江戸時代と明治時代で非常に統治システムが極端に改革されたというのは、明治維新政府の一種の宣伝であって、相当程度先進的な行政システムは江戸時代から確立されていて、それをうまく引き継いだから、明治政府は成功した、という考え方が最近の歴史学のトレンド。

 この本もその観点から、江戸時代の統治システムを再評価している。

(1)1707年の宝永大地震及び富士山噴火の際には、これまでの幕府から藩への無利子貸し付け(拝借金)では対応できないとして、小田原藩の被害の大きかった区域を幕府領に編入して幕府が直接復興にあたったこと。その代わりに小田原藩には伊豆など当面積の幕府領を替え地として与えたこと。(p103)

 2011年に東日本大震災で特例としてもうけ、2013年に大規模災害復興法で恒久化した、災害復旧事業の国代行の規定の先鞭ともいえる措置。

(2)江戸時代の村(63000余)は、庄屋などの村役人に対して納めるべき年貢の総量を指示し、その村民への配分は村役人の自治に委ねられていたこと。(p61)

 いわゆる村請制度。

(3)播磨国清水領地では、村→組合村→郡中とより広域的な自治組織が生まれていたこと。(p183)広域的な組織で、定めをつくり、例えば、幕府無許可の勧化料(一種の宗教を背景にした金の無心)を同じ金額で統一して、それ以上の負担を拒否したこと。(p205)

 現在の日本のように地方公共団体の種類や資格が法律で定められていると、行政組織がお仕着せの感じがするが、もともと小さな共同体がより広域的な対応やルールが必要な場合には、広域化していくという素性がもともと日本にもちゃんと存在した。

 江戸時代は農民や商人たちが暗愚で幕府や領主に圧迫されていたのではなく、一定の自治と統治機構をもっていたという事実は、江戸時代が自分たちのひいじいさんの時代の話しなんだから、もっと知らなければいけないし、自信を持っていい話だと思う。

『在日米軍』を読んで、日本の国土と国民の安全につながっているかの判断をする前提として、一国民として知っておくべき情報満載。


 日米安保条約に対して厳しい立場の著者が、在日米軍について書いた本。

 条約、地位協定、ガイドラインなど外交官や防衛官僚の専門事項ではあるものの、一国民としてちゃんと最低限理解しなければいけない事柄。

 自分もそれほど日米安保条約やそれに基づく地位協定など詳しくないので、まず、とっかかりとして勉強。

 プロには常識だと思うし、なんとなくそう思っていたが、この本で確認された点。

(1)ゴルバチョフ・ブッシュイニシアティブの結果、空母を含むすべての艦船から核兵器が撤去されたこと。また、潜水艦に配備されていた核巡航トマホークミサイルもオバマ大統領によって2013年に退役したこと。(p180)

 著者は明確に述べていないが、長距離爆撃機によって核攻撃が可能になっていることから、扱いが難しい艦船や潜水艦に核兵器を配備する戦術的な必要性がなくなったということと理解できる。

(2)在日米軍は、安保条約による日本及び極東の安全の確保の目的が拡張され、主に太平洋軍、さらには米軍全体の世界戦略の一部として運用されていること。(p124)

(3)日本に太平洋軍で最大の人員規模の基地を置いているのは、主に、日本の財政支援が大きく、米軍にとって財政効率的であること。(p142)

 沖縄海兵隊などが、ブッシュ父の時に緊急に始まった湾岸戦争に参加していないことなどの背景として、著者は、海兵隊の訓練などの観点から沖縄が米国本土に比べ規模が極端に小さく、訓練度練度が低いことなどを指摘している。

 高速で地球上に部隊を展開できるといった技術進歩によって立地の束縛が小さくなっていることがわかる。

 なお、現状から基地の配備を変更する場合の対外的なメッセージなど心理的な側面もあることには注意が必要だと思う。

 日本の国土と国民の安全を守るために、米国との関係をどう考え、どう日米安保条約を運用したらいいのかを考える上、基本的かつ重要な情報が満載。

『岸信介証言録』を読んで、日本の安全保障の基軸となった現在の日米安保条約締結の背景情報は貴重。

岸信介証言録 (中公文庫)
中央公論新社
2014-11-21

 政治学者の著者が、1982年に岸信介氏に対して行ったインタビューを整理し、さらに、それを裏付ける他の政治家や米国側のデータを整理した本。

 雑感的に申し上げると、中身が丁寧に整理されていて読みやすい。

 その上で、現在のように安全保障と憲法改正が議論されるときに、まず、現在の日米安全保障条約を締結した岸氏の考えや行動を知ることは、歴史上の貴重な情報。

 岸氏は、旧日米安全保障条約が、日本を米国が守るという規定がないこと、日本の内乱にも発動される形になっており日本の主権を侵害する可能性を持っている点を問題視し、その改定を目指した。

 特に、鳩山内閣時の自民党幹事長として、1955年8月の重光・ダレス会談でに岸氏が立ち会った際に、重光氏の安保改定の提案に対して、ダレス氏が日本は米国を守れるような力はないのだからそんな議論は時期尚早と無視されたことに、衝撃を受けたことが岸氏の心理的な背景にある。

 この状況を打開し、そして、行政間の取り決めのような不明確な形でなく、安保条約第5条で「日本の施政の下にある領域における攻撃に対して、日本と米国が対等な形でそれぞれの憲法の規定手続きに従って共通の規定に対処する」という明確な規定をおくことに成功した。

 なお、安保改定当初は、米国側も日本の政府内部でも行政間の取り決めなどで対処するという発想が強かったことに対して、岸氏の指導力をそれを突破し、整理したことの事実は重い。

 なお、個人的人柄としては、(もちろん本人が言っているので一定のバイアスがかかっていることを前提にした上で)

(1)地位にしがみつく態度が薄く、政治家らしい執着心が薄いこと。その一方で、安保改定といった政治信念は絶対曲げなかったこと

(2)常に自民党内調整に苦労し、反岸派の動きに抑制に対応していたこと。反岸派から「安保条約改訂後はやめると約束しろ」と迫られても、「リーダーたるもの、やめると言ったら国内外から信頼を失い安保改定ができなくなる」と言って、絶対にそのような発言をしなかったこと

(3)国粋主義者といわれているが、天皇制やそれに基づく自由の制限に断固とした反対をしめし、自由の価値を強調していること(巣鴨プリズンの経験、苦労がそれを支えていること)。経済については、一定の制限を求めた上での計画的自由主義なるものを主張していること

 など、頭が良いだけでなく、意思が強く気骨があるなと自分は感じた。

 「政治は自国民の安全と財産の保全を最大の目的として考えるもの」であるべき。

 そうだとすれば、その前提となる安保条約をどのような信念、態度、闘争の中で改定していったかの議論は、まさに、国際情勢が不安定な今こそ、学び直す価値あり。

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