革新的国家公務員OBが語りたいこと・伝えたいことー自由と民主主義を信じ国益を考えるーAiming at an innovative official of the national government

36年の公務員生活で培った「防災・復興法制」「都市計画法制」の知識を広く共有するため、書評を通じて、関係する新しい論点を示します。なお、意見にわたるものは個人的なものであり所属する(した)組織の意見や立場ではありません。

日本現代史

『憲法と世論』を読んで、憲法に対する世論調査とその評価の丁寧な分析も感銘するが、世論に対する一般理論にも参考になる点あり。


 首都大学の政治学の先生が書いた本。

 戦後の憲法をめぐる世論調査を網羅的に整理分析して、誤解や誤用をただした本。

 いくつか、新しい発見もあったが、その前に世論に関する一般理論として重要だと思った点。

(1)アメリカの政治学者コンヴァースの実証実験の結果、世論調査の回答者は頻繁に意見を変えていること、安定的な回答者(20%)と頻繁に意見をかえる回答者(80%)の二つの性格の集団からなっているとする黒白モデル(black and white model)を提案したこと。また、一部異論もあるものの現在までこのモデルは広く支持されていること(p252)

 日本の憲法をめぐる議論で重要だと思った点。

(1)憲法をめぐる意見はマクロでみると漸進的。例えば、2001年7月から2005年9月までのデータでは護憲派は27%から37%に漸増している(p259)。ただし、パネルデータで個々人の意見の変化をみると、護憲派では一回転向60%、二回転向22%、改憲派ではそれぞれ52%、22%と頻繁に意見を変えている(p261)。
 なお、政治家では意見はほとんど変わらない(p265)。
 年齢別にみると高齢者ほど意見が安定的、またそれぞれの年代で大卒以上の方が大卒未満よりも意見が安定的(p271)。

(2)占領期における新憲法に対して民衆が賛意と歓迎の意を示したという主張は、そもそも根拠となる十分は調査データがない。唯一のデータは憲法制定前の毎日新聞の1946年5月の調査で、これは男性で大卒者や官僚に偏ったデータであり、質問も「戦争放棄条項の必要性」について限定したものであるため(p71)。

(3)1952年2月朝日新聞が行った「日本は憲法で、戦争はしない、軍隊は持たないときめていますが、このようにきめたことは、よかったと思いますか、まずかったと思いますか」の回答の結果は、「よかった」が27%、「仕方がなかった」が27%、「まずかった」が16%。(p88)

(4)一般改正質問(個別の条項を問わずに憲法の改正の必要性を問う質問)について、全調査を集計して時系列でみると、2000年から2006年までは改憲派が優位だったが、それから2016年に向けて改憲派が退潮していく(p183)。これは改憲を主張している読売新聞の結果をとりだしても同じ傾向(p184)。

 個々の分析もきちんとデータに基づき行っていて信頼性が高い。

 ただし、憲法の改正についての意見を考えるための本ではなく、世論調査に関する政治学の本として読んだ方が価値が高そう。

『刀狩り』を読んで、実際に秀吉の刀狩りでも鉄砲や刀を農民が持ち続けていたという新たな歴史的事実から、ビックプランがもたらす誤解の可能性を考える。


 歴史学者が、秀吉の刀狩りというのは、農家から武器、特に、脇差しと刀をとりあげる目的をもった布令だが、実態としては、脇差し、刀も多く農民に残っていたこと、さらに、鉄砲は獣害を防ぐために積極的に活用されていたことを、歴史的文書から明らかにしている。

 刀狩りが中途半端になった理由としては、

(1)そもそも刀狩りの実施自体が、末端の農村の中心的な農家に委ねられていたこと

(2)刀、脇差し自体は、名誉の象徴であって、簡単に取り上げることができなかったこと

(3)農村での治安維持は農民に委ねられていたので、一定の武器がないと治安が維持できなかったこと
 などが背景にある。そう言われれば、当然だなと思う。

 「刀狩りの布告」の立派な文書が、それをもって現実に効果を及ぼしたという誤解が、つい最近まで続いていたことからみても、「刀狩りの布告」といった政府のビックプランが具体の効果をそのまま実現しなかった貴重な実例とも言える。
 
 昨日読んだ、『傲慢な援助』http://blog.livedoor.jp/shoji1217/archives/1068842620.htmlの「プランナー」の指摘にも通じる。

 最近のビックプランとして、市町村行財政の効率化を目指す「市町村合併」や「連携中枢都市圏」などの政策がふと思いついた。

 目的、手法とも立派だが、その実、いろんなしがらみで公共施設の集約がうまくすすまず、逆に、大災害時での脆弱性を生んでいる可能性もあることから、このようなビックプランの具体的な効果や実績をきちんと検証する必要がある。

 行政マンを政策の検証を正直にちゃんとしないと、秀吉の刀狩りの布告を盲信していた歴史学者を笑うことはできないのではないか?

『大震災復興過程の政策比較分析』を読んで、筒井論文の後藤新平分析と奥園論文の応援派遣論文が優れていると思う。


 直近の復興関係の論文を整理していて発見した本。

 優れていると思ったのは、第一に、筒井清忠先生の第Ⅰ部第一章「関東大震災の政治過程」。

 後藤新平はやや美化されすぎている分析が多いが、この論文では、そもそも後藤の犬養、大石正巳らによる新党結成の動きが関東大震災以前からあり、それを推進するために、関東大震災後に設置した「帝都復興審議会」にもほぼ引退していた大石をメンバーに入れておくなど、政治的な背景があったことを指摘している。
  
 結果として、憲政党など既存政党が新党結成に反対の流れになると大石らも後藤に反旗を翻して、これが復興計画の実施の支障の一つとなった。(p33)

 また、復興予算を議会が大幅削減したのちの12月19日の閣議では、犬養、平沼が解散を主張し、田中・財部が解散乃至総辞職を主張したのに対して、後藤が屈服を選択した。(p35)
 しかし、後藤は翌日、突然、財部海相に予算成立後の解散を主張したが、山本総理ほかは予算成立後の解散は理屈が立たないとして拒絶した。(p36)

 このあたりは、今までの関東大震災後の後藤新平の評価を覆す部分があり、重要な指摘。

 第二に貴重な論文は、奥園淳二、第10章「人命救助部隊の応援派遣と組織間連携」
  
 消防、警察、自衛隊の広域派遣の制度設計と実態分析はわかりやすく貴重。

 ただし、消防の緊急援助隊の評価は、東日本大震災の時、動きは素早かったが、受け入れ側に混乱があったというもの(p232)

 しかし、現実には、消防は自治体消防で消防庁の指揮命令権が平時に存在しないので、緊急時に消防庁の指示で統率のとれた対応ができなかったというのが実態ではないか。東日本大震災でも政令市消防はむしろ政令市間の支援を先行して行ったということを、どこかで読んだ記憶がある。

 そもそも巨大な自然災害の際に、平時に指揮命令権のない組織(逆に自衛隊は制度的に明確な指揮命令権が防衛大臣から末端の部隊まであるし、警察も事実上、人事権を警察庁長官が握っていることから、少なくとも県警本部長や部長クラスまでは指揮命令系統がしっかしている)を統制とろうとするのは無理があると理解すべきではないか。

 逆に、政令指定都市間、姉妹都市間などの平時の水平的な連携関係を活かして、支援に入る方が実があがるという考え方もあると思う。この点は実態を踏まえて要検討事項。

『東京都の歴史』を読んで、江戸時代の分析に面白い情報多し。

東京都の歴史 (県史)
竹内 誠
山川出版社
2010-11

 近所の図書館から借りてきた。

 明治維新以降の東京都の歴史については、御厨先生の『東京』http://blog.livedoor.jp/shoji1217/archives/1064103481.htmlや藤森先生の『明治の都市計画』など優れた本があり、そちらの方が情報量も多い。

 江戸時代の記述には面白い情報も多い。

(1)江戸前期の風俗を特徴つけたものに、「かぶき者」(かぶきとは「傾く(かたぶく)」の意味であり、偏った異様な行動や風俗をさす」がある。かぶき者は、慶長年間に京都で、ついで江戸で、幕府の統制の対象となった。(p154)

(2)1657年の明暦の大火ののち、都市改造として、
●郭内にあった御三家の判定を郭外に移転させ、跡地は吹上の庭として延焼防止帯としたこと
●江戸城近辺にあった山王権現なお寺社を郊外に移転させたこと
●火除地として、上野広小路、中橋広小路が新設されたこと
●秋山正房など4人の旗本に対して江戸中常火の番を命じたこと(p167)

(3)上水の管理は、上水管筋ごとに武家屋敷や町を組み合わせて組織した上水組合によって行われ、水道の使用料とでもいうべき水銀や、上水管の敷設などに関する費用である普請金も、武家地は石高割、町人筋は小間割(町屋敷の規模の大小)に応じて、組合ごとに徴収された。(p186)

(4)寛政の改革の江戸政策として、江戸の地主町人が負担する町入用を節約させ、その節約額の七分(70%)を毎年積み立てさせ、飢餓、災害などの非常の際に放出する囲籾や、困窮者に支給する手当の準備資金とした七分積金。(p240)

(5)江戸の盛り場の代表は、両国広小路と浅草寺奥山。(p281)

『海軍反省会2』を読んで、全然反省していない砲術家がでてくるなど、本音が垣間見られる。今の日本にも同じ傾向はないか?


 昭和55年ころに行われた海軍将校の反省会の第二巻。

 第一巻http://blog.livedoor.jp/shoji1217/archives/1066760516.htmlと同じく放談会の議事録なので、同じ話がでてきたり、意味不明な部分があるなど、読み物としては難がある。

 しかし、第一次資料として一級品。

 第15回の砲術についての黛治夫氏の、日本の砲術の命中率は米国に比べ6倍だったという主張。これに対して、寺崎隆治氏が、そんなこと言ったって、現実の開戦で日本の砲撃は全然あたっていないじゃないかと主張している点(p227)が刺激的。

 大鑑巨砲主義が時代遅れだと現時点で我々が結果論として思っている。しかし、戦後30年以上たった、昭和55年時点でも、海軍OBの間ではそれが激論になっており、いかに後付けの理屈はもっともらしくても、当事者、例えば砲術家にとっては心情的に納得できないことを明らかにしている。

  2,30年前の歴史というのは当事者が存命中であり、客観的な評価が難しいということを示す、よい具体例と考える。もう少し冷酷にいえば、昨日読んだ『背信の科学者たち』http://blog.livedoor.jp/shoji1217/archives/1068124540.htmlで述べられたいたとおり、天動説が地動説というパラダイムに変わるためには、要は世代交代が必要との指摘があった。頑固に思い込んでいる専門家が引退し亡くなって、次の世代になって始めて、パラダイムが変わるという、実例だろう。

 なお、第20講の潜水艦について、連合艦隊司令部が交通破壊戦に理解がなかったこと、性能向上にあまり関係ない無定型な設計変更を行い、多様少量建造を行ったことなどは、日本人が現代でも起こしやすい過ちとして記憶すべき。

 これも、大きな技術革新がなくなってくる、若しくはそれを許容しなくなってくると、ちいさなモデルチェンジにこだわるという日本の製造業によく似ている。
 モデルチェンジとか内燃機関があって少しでも日本の強みやサプライチェーンを守るために燃料電池車を電気自動車に優先して技術開発したがる発想も、これに近い。自動運転とか簡単なインフラを考えたら、電気自動車の方が有利に決まっている(素人ながら思うのだ)が、既存技術者や上司が自分の既存の知識や組織にこだわっていると、大きな技術変革についていけなくなる、なんていう過ちを繰り返さないでほしいな。

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