革新的国家公務員OBが語りたいこと・伝えたいことー自由と民主主義を信じ国益を考えるーAiming at an innovative official of the national government

36年の公務員生活で培った「防災・復興法制」「都市計画法制」の知識を広く共有するため、書評を通じて、関係する新しい論点を示します。なお、意見にわたるものは個人的なものであり所属する(した)組織の意見や立場ではありません。

自然科学

『近代日本百五十年』を読んで、一刀両断に過去の科学技術総力戦を批判するのもいかがかと思う。


 元東大全共闘代表の山本氏が書いた本。

 緻密に明治以降の日本の科学技術史をフォローしている。

 しかし、全体的にみて、現時点から過去の科学者を翻って批判している感覚が強く、そう一刀両断的に批判することから、科学者や学者のあるべき態度が改善されるわけではないと思う。
 
 国の存亡の危機だと国民全体が感じているときに、科学者がそれに協力して自分の専門分野で必死に努力する、そしてその結果としてその時期その時期で政治的にも権力を持つという側面は、後知恵で批判しても仕方がない気がする。

 より短期的・自国中心主義でない視点をどのようにもつかという視点が重要なのではないか?

 そんなに批判しても、と思った点。

(1) 「戦前から多くの科学者と親交のあった科学評論家・松原宏遠の書には、戦時下の物理学者について、「目を物理学界にむけると、何としたことか、ここだけはきわめて明るく、なかでも仁科芳雄を総帥とする理論物理の若手たちは、いわゆる冬の時代の日本にありながら、自由に溌溂として研究にいそしんでいるのが印象的でした。」とある(松原 一九六六)。実際にも、理研はしばしば「科学者の自由な楽園」と語られてきた。しかしその「自由」は、理研指導部の戦争への全面協力によって保障されていたのである。」(189頁)

(2) 「現実には「科学線で敗北した」という総括は、責任逃れにとどまらず、初めて直面した原子爆弾の異次元の破壊力と殺傷力を背景に語られることにより、それまでの戦争指導の責任、および大本営の虚偽宣伝でもって戦況を語り、そのことによって敗戦の受け入れを先送りしてきた責任をうやむやにして、民衆に敗戦を受け入れさせるための、願ってもない口実を戦争指導者たちに与えたのである。
 技術者や科学者もまた、同様に語っている。」(207頁)

(3) 「学術研究会議は人文・社会科学系の研究者をふくまないから、政治家や「国民一般」の「学問軽視」が戦争と破局に導いたというようなこの主張(1946年の建議)は、当時の理工科系の指導的研究者の総意と見てよい。しかし、現実には、戦時下で「経済、政治が」一から十まで「不合理なる精神によって支配され不合理に営まれ」ていたのではない。自由主義経済のアナーキーに統制経済の計画性を対置したのは、他でもない、軍人と官僚であった。(214頁)

『服用危険 飲むと寿命が縮む薬・サプリ』を読んで、著者の経歴不明ながら科学的説得力あり。


 著者の略歴が不明ながら、引用文献は英文の論文が多く、記述の仕方も説得力あり。

 サプリメントが科学的根拠がないことは多くの文献で指摘されているところ。例えば、『健康に慣れない健康食品』http://blog.livedoor.jp/shoji1217/archives/1064041026.htmlなど。

 この本で、なるほどな思った点を三つ。

(1)  欧州研究チームがまとめた「腰痛診療のガイドライン」によれば、およそ80~85%のケースhでは、専門家も腰痛の原因がわかっていないこと、そのため、「脊椎固定術」や「減圧治療」などはたいした効果もなく、体に消えないダメージを残すケースも少なくないとのこと。(位置No934)
 「それでは、腰痛を治すにはどうすればいいのでしょうか? 世間で使われる方法の大半がムダなら、腰痛をやわらげる手段はないのでしょうか? この疑問に対して、「腰痛診療のガイドライン」は驚くべき提案をしています。その内容とは、次のようなものです。・ 腰痛の原因はほぼ心理的なものだから、気にしないで放っておくべし なんと、大半の腰痛は心理的なストレスが原因なので、余計なことさえしなければ問題なし。あとはいつものように過ごしていれば自然に回復していくはず、というのです。」(位置No956)

 腰痛に時々苦しむけど、まあ、放っておくのが一番いいみたいだな。

(2) ビタミンB群の効果については、アメリカ心臓教会が過去論文をレビューして
・心疾患を減らすという証拠はない
・逆に、ナイアシン、葉酸、ビタミンB6などは、体内のホモシスティン(タンパク質代謝の残りかす)を増やす副作用があるとのこと。(位置No570)
 さらに、近年のデータではビタミンB群による白内障リスクも指摘されている。(位置No578)

 サプリだけでなく、ビタミン剤もまあ飲まないほうがいいみたい。

(3) 1991年にアメリカのマーク・ビアーズ医師がつくったビアーズリスト=飲むと危険な薬のリスト。これは次世代の医師チームに受け継がれているとのこと。(位置No603)
 リストが位置No713から位置No715に表形式で載っている。

 自分は頭痛もちなので頭痛薬をよく飲むが、しっかり危険なリストに載っている。できるだけ飲まないようにするつもり。

 その他、抜き書き。

(1) (癌治療の代替療法と標準医療を比較すると)「その結果、代替療法と標準医療には大きな違いが出ました。標準的な治療よりも代替医療を選んだほうが、患者の死亡率は格段に高かったのです。具体的な数値は次のようになります。
・ 全体的な死亡率は2・5倍
・ 乳癌は5・68倍
・ 肺癌は2・17倍
・ 大腸癌は4・57倍
 ほぼすべての癌について、代替療法を選んだ患者は早期に命を落としています。やはり代替療法は最悪の選択です。(位置No1131)

(2) 「また、2009年に九州大学が行った研究でも、緑茶をよく飲む中高年ほど歯周病にかかりにくく、歯ぐきからの出血も少ない傾向が見られました(3)。緑茶がオーラルケアに役立つ理由はまだハッキリしませんが、どうやら茶カテキンが悪い菌を抑えてくれるようです。マウスウォッシュを使う前に、まず緑茶を飲むべきでしょう。」(位置No1188)

(3) (中高年が健康に暮らすために)私たちが行うべきは、以下の3つです。
1・ 良い友達を作る
2・ カロリーの「質」にこだわる
3・ 歩く!  歩く!  歩く!(位置No1509)

『人間にとって科学とは何か』を読んで、あまり論理的に整理はされていないが、専門家の役割を考えるきっかけになる本。


 科学史の大家の村上先生が、口頭で話したものをまとめた本。

 その成果、論理的にきちんと整理されていない感じがする。

 しかし、重要な論点を指摘している。

 以下、抜き書き。

(1) 「1988年頃から、新しい技術が社会におよぼす影響に関して、市民・生活者が参加して安全性、経済性、倫理性などさまざまな観点から評価する「PTA(Participatory Technology Assesment)」という概念が国際的に浮上してきました。(中略)
 この制度が生まれるにあたっては、①民主主義社会で一部の人の間の関与で決定されることへの疑問、②細分化が進み専門家の関与できる範囲が狭くなったこと、③最終決定には科学者の意見だけでは不十分、④地域社会などの代議制度では住民の意向が正確に反映しないこと、など従来の方法への疑問や不満点が前提になっています。」(138頁)

(2) (専門性の優位=科学的合理性に対して社会的合理性が同時に求められるとして)「公共(パブリック)的課題に対しては、民主(デモクラティック)的手法で。つまり専門家も他のひとと同等の立場で、公共の場で議論して、その中で落ち月処を見出していこうという考え方です。」(107頁)

 著者も悩んでいるように、専門家を一般市民と同等に扱うかべきかどうかについては、議論があるところ。

(
3)  「競争的資金に応募するために、「公共的利益」をこじつけてみせたとしても、本音はちがう、ただそういう本音をさらしては、もはや仕事はできない。社会認識と科学者の自覚の間に大きな格差があり、引き裂かれた状況にあります。個人的な感想でいえば日本の科学と社会の関係性、科学者の責任をめぐっては、まだ課題があると思います。」(54頁)

(4) 「不確実性の社会における意思決定では、科学的合理性は当然よりどころですし、評価損益も考えます。しかし、それに何かもう一つ、それらだけでは意志決定はできないというアルファの部分、それは「常識」ではないか、という考え方があります。」(126頁)

 科学的合理性からは政策の選択肢を示すだけで、それを選ぶのは民主的手続、そしてそれを支配しているのは「常識」ということだろう。

 社会に役立つ科学って何だ、専門家はそのためにどういう役割をすべきか、について、原子力事故で専門家の信用が地に落ちている現在、まじめに、冷静に考えるべき。

『ゲノムが語る人類全史』を読んで、人類史の部分はたぶん標準的なものだと思う、むしろ最近の遺伝学の安易な引用を戒めている点が重要。

ゲノムが語る人類全史
アダム ラザフォード
文藝春秋
2017-12-14

 英国の進化遺伝学者、サイエンスライターが書いた本。

 前半部分のホモサピエンスのアフリカからの移動の話し、ネアンデルタール人との混血の話し(67頁)、デニソワ人とメラネシア人のDNAの共通性の話しなど、他の遺伝と人類学を扱った本と共通。

 たぶん、現時点での標準的な学説をベースにしているのだと思う。
  
 むしろ後半部分の安易や遺伝学の引用や遺伝子分析ビジネスへの警告の方が重要に思える。

 第五章の扉に書かれている言葉がその趣旨を明確に示している。

 「あらゆる複雑な問題について、単純で、直接的で、わかりやすい答えが一つはあるが、それは間違った答えだ。ーH・L・メンケン」(299頁)

 具体的な事例については以下のとおり述べている。

 「身長がきわめて遺伝しやすいことを私たちは知っている。(中略)しかし、総合すると、それぞれ身長に寄与するように思われる要因をすべて加えても、やっと二~五センチメートルほどにしかならない。残りの五一センチメートルをつくりあげる遺伝的寄与は、いまやその作用が見失われているのだ。」(344頁)

 「遺伝子は、人間の生物学的、心理学的性質のほとんどすべての帰結を決めてはいないのである。それぞれが小さな累積的効果をもつが、私たちのすむ世界によって緩和されている、数十、あるいは数百の遺伝子がかかわっていることがありうる。」(344頁)

 「私たちは遺伝的決定論から、遺伝的否認論へと振れ動いたのである。 
 両方の極端は、単純化しすぎでまちがっている。私たちはまだ、すべての形質全体について、「生まれ」がどれくあり割合を占めるか予測できていないのは事実である。これが科学である。そして科学者がすることは、自分たちが何を知っていて、何を知らないかを理解し、ゆっくると事物を「未知」カテゴリーから「既知」カテゴリーへ移していくことである。」

 遺伝子学の素人からみても、このような謙虚な姿勢と説明ぶりは、説得力を増すものの感じる。

『軌道』を読んで、どうしたら安全な鉄道ができるかという大局的な視点が重要だな。


 元神戸新聞の記者の方が、福知山線脱線事故後の被害者とJR西日本の事故原因追及を詳細に追った本。

 一人の主役は、事故で妻と妹を失った、都市計画プランナーの浅野弥三一さん。

 もう一人の主役は、事故後、左遷されていた清掃会社の社長からカンバックしてJR西日本の社長となった山崎正夫さん。

 著者のいうところの二人の技術者による、個人の責任追及ではなく、会社の体質や風土まで踏み込んだ原因究明と改善策の追求の歴史。

 それ自体、説得力はあるのだが、技術者、技術屋と事務屋との対立構造と後者の官僚的な性格や視野の狭さといった、対立軸については、やや違和感がある。

 事故の原因究明や対策などを講じるにあたって、自分の保身はもちろんのこと、目先の利益、会社の利益にとらわれることなく、より利用者の安全や将来の社会の安全という、大局的な視野を持つこと、そして、その視野からみて、問題や事故が起こった原因をできるだけ客観的に偏りなく分析して、対策を講じていく、その視野の持ち方や検討の仕方は、いわば「科学的」か「非可科学的か」どうかであって、「技術」「事務」の問題ではないように思う。

 極論すれば、技術屋でも保身に走る非科学的発想しかできないひとはいるだろうし、事務屋でも科学的に原因究明と対策を講じることができるひともいるだろう。

 文系、理系という大学の学部構成にもあまり意味がないし、会社に入るときの職種自体も、安全な鉄道を運行するという観点からは本来は共通の基盤で議論ができ対策が講じられるはず。これを事務屋の問題、技術屋の能力というように区分する点だけは、ややこの本の主張として気になった。

 なお、天皇と言われた井手氏への痛烈な批判については、独裁的な権限を持ち、実績を上げてきたトップに対する戒めとして、さらに、どこにでも、いつでも、発生する問題・課題として特にメモする。

「独裁者が支配する組織は、個人を溶解させる。個人が溶解すれば、主体的な判断や思考を誰もしなくなる。前例と予算と内部の力関係、そして空気に支配される。それがJR 西の「組織風土」や「企業体質」と呼ばれるものになっていた。国鉄改革の総司令官から「天皇」となった井手の威光が、そういう組織を作ってしまった。」(位置No4595)

 その他の点については、うなずく点多し。

 以下、抜き書き。

(1) 浅野氏の都市計画に対するコメント「 都市計画というのはあくまで技術やからね、それ自体に良し悪しはない。ちゃんと住民に情報が公開され、彼らの要望や権利が反映され、正しい手続きと目的で使われるならいいんです。そうなるようにサポートするのが、僕ら技術屋の責務やと考えるようになったんです」(位置No963)

(2) 山崎氏が清掃会社に左遷されたとき「そりゃあショックだった。最低あと1年は鉄本長をやるつもりだったからね。SA計画もこれからという時だったから、ずいぶん荒れたのも事実だ。だけど、腐ってもしょうがない。行く先のメンテックにも3000人の社員がいる。それだけの責任を負うんだと先輩に言われ、前向きにやろうと気持ちを切り替えた」(位置No2681)

(3) 山崎氏の社長就任の際の挨拶「この沈滞を打ち破り、組織を変えていくには、まず「安全意識の徹底」、次に「現場重視」、そして「技術重視」が重要だ。この三つを柱に、われわれは新たな経営理念と安全憲章の下、再出発する──。そう述べた所信表明の最後を、山崎は尊敬する技術者の言葉で締め括った。「進歩は、反省の厳しさに正比例する」。ホンダの創業者、本田宗一郎の言葉だった。」(位置No2761)

(3) 「井手さんという人は、組織を強力に束ねて動かす経営者としては優れていたんでしょう。ある種のマネジメント能力は高かったんだと思う。しかし、公共輸送を担う鉄道事業者としては失格と言わざるを得ない。特に、安全に対する認識は古すぎる」 この言葉が最も的確な井手評だと、私には思えた。(位置No3415)

(4) (井手氏の発言について~驚いたのは、年賀の挨拶や個人的な祝いの席に出席できるメンバーを井手自身が選別していたらしいことだ。いや、いまだに多くの企業で、そういうことはあるのかもしれないが、それを特に悪びれるでもなく、当たり前に口にする感覚が、まさに「天皇」ぶりを物語っている。(位置No3484)

(5) だが、井手はこれに真っ向から異を唱えた。 「事故において会社の責任、組織の責任なんていうものはない。そんなのはまやかしです。組織的に事故を防ぐと言ったって無理です。個人の責任を追及するしかないんですよ。(位置No3579)

(6) 「安全投資の権限が事故後、鉄道本部に移ったのが大きい。安全推進部で総枠の予算をもらい、必要に応じて投資できるようになりましたから。それまでは、人・金・物すべてを握っていた総合企画本部に説明し、諸々の手続きを経て、他事業とのバランスの中で認められたものしか予算化できませんでした。必要性を理解している専門部署が決定権を持つことで、迅速に、柔軟に、的確に投資できるようになったわけです」 安全マネジメント戦略室の指揮を執る冨本の実感である。(位置No4160)

(7) ヒューマンエラーは非懲戒とする─ ─。 2016 年4 月、JR 西の真鍋精志社長が打ち出した方針は大きな注目を集めた。鉄道業界では初めてのことだった。
 同社が08 年に「事故」の定義と区分を見直し、オーバーランや列車遅延などの軽微なミスを懲戒処分やマイナス評価の対象としなくなったことは前章で述べた。これをさらに進め、実際に人身・物的被害の出た事故や赤信号への進入などであっても、故意や著しい怠慢でなければ、懲戒の対象としない。原因を究明し、今後の再発防止に活かすという内容である。(位置No4248)


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