革新的国家公務員OBが語りたいこと・伝えたいことー自由と民主主義を信じ国益を考えるーAiming at an innovative official of the national government

36年の公務員生活で培った「防災・復興法制」「都市計画法制」の知識を広く共有するため、書評を通じて、関係する新しい論点を示します。なお、意見にわたるものは個人的なものであり所属する(した)組織の意見や立場ではありません。

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李相哲『金正日と金正恩の正体』を読んで、北朝鮮崩壊の可能性が高いことを知る。


 著者の李さんは、中国から来日して、今、龍谷大学の先生。

 最近の北朝鮮情勢の緊迫化を受けて、ちょっと前の本を復習。

 参考文献をみると、ハングルに堪能で、北朝鮮、韓国の資料に基づいて、この本を書いている。

 先日も、北朝鮮からの脱北者が日本に漂流してきたが、北朝鮮の経済状況は悲惨なものがある一方で、極端な軍事優先で巨大な軍事力と核兵器を持っている。

 その意味で、緊張して分析しなければいけない国だが、この本を読んでいると、近い将来、政治変動が起きるのではないかという感想をもった。

①父の金正日は、20年以上の時間をかけて、金日成から権限委譲を勝ち取ったが、金正恩には、軍や政治体制を抑える時間的余裕がないのではないか。

②北朝鮮でも、携帯電話などが普及してきており、ひどい経済状況、生活状況という客観的な情報を国民が得やすくなっている、少なくとも、金正日のときよりは、入りやすくなっているのではないか。

③経済状況は、90年代の7割程度まで落ち込んでいるといわれ、金正日が権限を継承したときよりも悪化しており、金正恩は、経済状況を立て直すことは困難ではないか。

 この本自体は、金一家やそのとりまきの詳細なデータを分析しており、それ自体もおもしろいが、やはり、大きな客観状況として、政治体制崩壊の危機的な状況にきていると思う。

 このような政治体制崩壊の危機的な状況分析と最近の米国の政治的経済的軍事的圧力とが一体化した場合に、より一層、日本に対する危険性が高まっている。

 その際の、例えば、軍部の暴発や、難民の流出などに対する、我が国の行政的な緊急対応を考えておく必要がある。

 

山口正洋ほか『ヤバい日本経済』を読んで、山口さんと吉崎さんのコメントがおもしろい。


ヤバい日本経済ヤバい日本経済
(2014/08/01)
山口 正洋、山崎 元 他

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 岡崎さんのお友達で、小生の所属する機構も出資しているオガール紫波でファナンスを担当している山口さんがでているので購入。  実体験に即したコメントがおもしろい。以下、抜き書き。 (1)山口:あと5年もすれば、教育、医療、上下水道まで含めた基礎的インフラでさえも維持できないと思われる自治体が東北では散見されます。(p31) (2)吉崎:オバマの意向と安倍首相の意欲とのギャップが相当激しくなっている。(p90) (3)山口:中国やヤバいと思ったのは、中国共産党がいっていることと、我々が仕事をしている現地の地方共産党との意見がそろわなくなってきていること。(p122) (4)山口:実際に中国企業と合弁で工場を作ってみて知ったのですが、従業員が出身地によってグループをつくってしまう。(p140) (5)山口:中国人と食ったり食われたりの交渉をするときには、中国人と直接交渉せずに、台湾人に交渉してもらう。(p153) (6)山口:韓国は、対外債務が5000億ドル以上あり、常に外資引き上げリスクを抱えている。(p165) (7)山口:ロシア人の何がだめかというと、付加価値をつけるという概念がなかなかわからない。(p183) (8)山口:シンガポールは人口が少ない、土地が狭い、周りに大国がひしめいているという危機感がある。だから徴兵制もある。(p211) (9)山口:不動産屋は自分がほしくないものしか売らない。(p235)  ほとんど山口さんの発言ばかりがピンと来ました。

筒井清忠『昭和戦前期の政党政治』を読んで、政党の私的混乱とそれを過剰に非難するマスコミが穏当な政党政治を壊したと知る。


昭和戦前期の政党政治―二大政党制はなぜ挫折したのか (ちくま新書)昭和戦前期の政党政治―二大政党制はなぜ挫折したのか (ちくま新書)
(2012/10)
筒井 清忠

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 FB友達の三原さんの推薦。  筒井さんって、政治学者の中でも切れると思う。 (1)初めて知った事項 ア 西園寺公が後藤新平氏のことを「まるで気狂のようだ」と酷評していたこと。(p41)  都市計画の世界では後藤新平氏は呼び捨てにするのがはばかれるぐらい、尊敬されているが、政治の世界ではまた別の評価 イ 田中義一総理への天皇陛下の失跡は、単独で考えたことではなく、宮中側近のアドバイスに沿ったもの。この背景には、西園寺公のあいまいな事前の意見表明があったこと。(p147) ウ 小泉元総理のおじいさんの小泉又治郎逓信大臣は電信電話の民営化に熱心に取り組んだが、実現しなかったこと。(p164)  もしかして、郵政民営化もおじいさんのあるのか? (2)全体的な印象  政党政治が大正デモクラシー、普通選挙として発展しながら、斉藤実内閣で終止符を打たれた歴史をみると、 ア 政党同士の私闘とスキャンダル探し、疑獄事件と、政党自体の腐敗が目立つこと。その一方で、加藤高明総理や浜口雄幸総理など高潔な人材もいたが、逆に、高潔主義が高踏主義になって、きちんとした国民の理解をえて、政党政治を発展させるという、泥臭さに欠けていたこと。 イ マスコミの満州事変などを経て、部数獲得や不買運動への対応から、大手新聞がすべて好戦的な記事に大転回するとともに、政党政治に対する批判を繰り返して、政党への国民の信頼を失わせる結果を導いたこと。 ウ リベラルで評価の高い西園寺公も、宮中と天皇を守るという観点のみで、結局、議会制民主主義や政党政治を守ると言う観点が最後はおろそかになったこと。  議会制民主主義は、きれい事では選挙にかてないこと、特に現在は小選挙区制なので、党首の人気が高ければ雪崩をうって勝てることなど、筒井先生のいう「劇場型政治」になりがち。  そのなかでも、冷静の政治経済の状況を歴史も踏まえて理解し、分析し、発信する、マスコミの役割や、学識経験者や知識人の役割が重要になっていると思う。  今は、個人でもいろんなツールで発信できるし、情報交換もできる。一つの視点だけでなく、複数の視点、世界との比較、歴史からの分析など、縦横斜めで政治を分析し、議会制民主主義が守られるよう、自由と民主主義が守られるよう、自分も含めて、いろんな勉強と発信を続けたい。

中島直人『都市美運動』を読んで、景観行政も市民の理解と支援が必要だなと感じた。


都市美運動―シヴィックアートの都市計画史都市美運動―シヴィックアートの都市計画史
(2009/02)
中島 直人

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 都市計画は、都市のかかえる課題や問題を解決する技術体系、制度体系と理解いているのだが、いわゆる美観とか景観というのは、どういう位置づけになるのか、わからなかった。  米国のシビックアートについては、再評価がされているようだが、シカゴの張りぼての博覧会など、むしろ都市計画のその後の発展と何か断絶しているような気がしている。  この本は、日本の都市美活動について、詳細に分析している本で、かつ、とても読みやすい本。  結局、一部の知識人が都市の美観や景観に関心を持っているのではなく、例えば、戦前の警視庁の望楼の問題、戦後の忍ばずの池の埋め立て問題など、市民の関心を呼ぶようなテーマをきっかけに発展し、そして、市民の関心が戦争一色となると自然と活動が停止したように思える。  戦後は、国土緑化、都市緑化や、公園、広告物行政といった観点から細分化し、都市の美観、景観という観点からは、東京オリンピック前に一度もりあがったが、結局、その後は、停滞し、休眠化するという経緯をたどっている。  やはり、上からの知識人による美観や景観行政というのは、市民の理解を得にくいのが課題だと思う。  その中では、やはり石川栄耀の商店街都市美という発想は際立っていると思う。商店街の賑わいの復活という観点を都市計画と一緒に美観という観点まで議論するというのは、石川先輩の柔軟さ、奔放さが表れていると思う。  約10年前に制定して、当時は熱気があった、景観法も都市美運動の歴史を振り返ると、再度、気合いを入れ直す必要があるのではないか。農水省や自然公園を所管する環境省とも共管した景観法、非常に特徴があるが、都道府県と市町村の役割分担、歯抜け状態になった都道府県の広域的景観行政の必要性の整理、都市美運動の現在まで引き継がれている風致地区の扱い、都市緑化、国土緑化の扱いなど、景観行政からもれているもの、運用の課題になるものをおさらいする必要がある。  いつのまにか、景観行政も下火ということにならないようにしたい。

ベネディクト・アンダーソン『定本想像の共同体』を読んで、国民国家が幻想であることを北南アメリカと東南アジアの歴史分析から語る。


定本 想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行 (社会科学の冒険 2-4)定本 想像の共同体―ナショナリズムの起源と流行 (社会科学の冒険 2-4)
(2007/07/31)
ベネディクト・アンダーソン

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 ナショナリズムや国民国家を語る上での古典的本らしい。なんで購入したか不明。  論旨は追えるのがだ、なんとなく読みにくい。無理してアメリカ人のウィットみたいなものまで反映させようとして訳したためか?  日本人は、江戸時代まで国家という概念はなく、江戸時代に国といえば、藩のことで、日本という国のイメージは明治政府が作り出したものなのはわかっているので、国民とか国民国家というのが、その国民と称するグループがみんなでしんっじている共同幻想、まさに想像の共同体というのは納得しやすい。  しかし、国民国家は、フランス革命を通じて人民から立ち上がってきたと考える、ヨーロッパ史観の人には反発を招くのかもしれない。  著者は、絶対王政が、地元の言葉、俗語を従来のラテン語や、フランス語の代わりに、公用語をして認めたこと、また、その地元の言葉が、出版資本を通じて、広く、国民に広がるようになったこと、をまず指摘する。  また、絶対王政は、地元の俗語を採用するとともに、上からの公的ナショナリズムをおしつけていったが、ナショナリズムは国家としてのまとまりを強調することから皇帝はその国家の長という位置づけとなり、結果といて、王位の神権神授説を否定することにもなるので、第一次世界大戦でその帝国が壊滅的にダメージをうけた、ドイツ、オーストリア、ロシアでは、それぞれ王政を民衆が押し出す結果ともなった。  その次に、北アメリカや南アメリカの諸国や東南アジアの諸国が、本来人種的、民族的にはなんら整合性のない植民地時代の国境で独立したことについて、植民地時代のクレオール(白人で現地で生まれた人)と現地で植民地の母国の言話す地元民が、それぞれの植民地のその中心となる都市の学校にあつまり、共通の意識と経験をそれぞれ学んだこと、その地元でのリーダーが中心となって、独立運動をしたことをあげる。  さらに、人口調査、地図の作成、そしてその植民地ごとの考古学的な見地からの遺跡の発掘などが、その切り取られた国境の区域内の住民に一体的な意識を与えたと分析している。  なお、1983年の初版発行時にはまだソ連が存在していたが、ソ連は「19世紀の国民国家成立以前のプレ・ナショナルな王朝国家の遺産相続者でもある」(p19)と分析して、ソ連の崩壊を予測したものとも言われている。  ちょっと、難解だが、自分の頭では以上のように整理しました。
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