革新的国家公務員OBが語りたいこと・伝えたいことー自由と民主主義を信じ国益を考えるーAiming at an innovative official of the national government

36年の公務員生活で培った「防災・復興法制」「都市計画法制」の知識を広く共有するため、書評を通じて、関係する新しい論点を示します。なお、意見にわたるものは個人的なものであり所属する(した)組織の意見や立場ではありません。

哲学

『都市と野生の思考』を読んで、家や言語の発生メカニズムの分析が面白い。

都市と野生の思考 (インターナショナル新書)
鷲田 清一
集英社インターナショナル
2017-08-07

 FBのタイムラインで紹介されていたので購入。

 哲学者の鷲田先生と霊長類学者の山極先生の対談。

 以下、面白いと思った指摘。

(1)鷲田:イギリスの作家、E.M.フォスターの言葉として、「記憶は若いときは、クロノロジークロノロジー、すなわち年代記、中年以降はパースペクティヴ、遠近法で順序はわかる、最後はピクチャー、一枚の絵で昨日起きたことと幼稚園時代の記憶が同じ平面にならぶ。」(p63)

(2)山極:チンパンジーやゴリラはベットをつくる。人類は、壁と屋根のある家をつくる。人間の住居は共同体の信頼関係をはぐくむ場で、外からの視線を遮るための壁が必要。ピグミーは狩猟民族で30分ぐらいで、木とつると葉っぱで家をつくる。中でも秘め事をみせないため。なお、原始時代は乱婚だったというルイス。ヘンリー。モーガンの説は誤り。インセントの回避は類人猿でもある。人間との違いは、性行為を公の場でやるかどうか。動物はオープンに性行為をする。(p68)

(3)山極:言葉の前にアートがあったと考える。アートはダイレクトに視覚に訴えるのに対して、言葉は聴覚から視覚に訴える。言葉はポータブルなので、自分の経験を誰かに伝えたり、自分の知らないことを教わったりする必要からでてきた。(p113)

(4)鷲田:言葉の起源はよくわからない。ただし、アートが言葉より先にあったのは頷ける。おそらく言葉で、最初に生まれたのは、求愛やのろいの歌だったのではないか。(p114)

(5)山極:ゴリラはテリトリーがない。基本的に家族単位の集団はテリトリーがない。これに対して、コミュニティをつくるチンパンジーはテリトリーがあり、オスはずっと争っている。人間社会でも同じ。コミュニティをつくらず、家族単位のピグミーにはテリトリーはない。(p133)

(6)鷲田:これまでの科学のように格式張って論理をギューッと詰めていくのではなく、まわりに目配りしながら、あり合わせのものを使って、全体や他者への配慮をする、というのが臨床哲学。専門家によって分化した知識を、一渡り集めて、市民ととともに考える、仮説検証のスキルがこれからの科学者のあるべき姿。(p178)

『人はなぜ物語を求めるのか』を読んで、言語学、宗教学、心理学など多様な観点から「わかる」を論じていて説得力あり。


 著者は、関西大学の商学部の先生だが、文芸評論も行っている。ちなみに千野帽子はペンネーム。

 人は物語をつくることによって、安心感を持つ。私の理解では、たぶん、ものごとを因果関係があるように理解することによって、安心する。

 また、その因果関係の前提には、個々人が持っている知識や経験を踏まえた、一種のルールがあり、それに照らして因果関係を推定し、それによって「わかった」という感覚が生まれる。

 それ自体は、本来、良くも悪くもないが、自分の持っているルールがゆがんでいたり、かたくなだったりすると、不愉快になったりして生きにくくなる。
 
 例えば、社会常識は守るものと考えていると、列車待ちの列にわりこまれると、社会常識を破ったと感じて不愉快になる。しかし、それは、一種のナッシュ均衡で、「何回も繰り返すうちにみんなが得する、列をつくるという行動をとるようになる」と考えれば、一度や二度の割り込みも冷静に判断できるよういなる。

 著者が挙げている事例としては、子どものころに虐待を受けた人が自分をつまらない価値のない人間を思い込んでしまし、いろんな不幸なできごとをすべて自分の責任として受け止めてしまうことを紹介している。

 このような自分が知らず知らずにもっている社会常識やルールを一度解き放ってしまえば、ずっと生きやすくなる、というのが著者の主張。これを、宗教書や様々な心理学や言語学の本を引用しながら説いていて説得力あり。

 プリマー新書だが子ども向けではない。

 以下、抜き書き。

(1)世界にたいする「なぜ」という問と、それへの回答(原因や理由)とが、ストーリーのストーリーらしい滑らかさを生むのです。 なお、本書ではこの「滑らかさ」「生きている感じ」を、必ずしもよいものとは考えていません。ときにはこの滑らかさのせいで小説がつまらなくなることがある。そして僕たちが自分の人生を考えるときに、この滑らかさが僕たちの判断を誤らせ、苦しめることすらあるのです。(位置No469)

(2)脳の解釈機能が作り出す説明は「納得した感」という快感を与えます。「わかった」には、麻薬的な気持よさがあるのです。繰り返しますが、「わかる」とは、知性というよりは感情の問題だからです。 自分は知っていると思うと、安心感が生まれます。たとえ、「自分が不本意な状況にあるのは、特定の人たちに有利なふうに世の中が設計されているからだ」 というような、怒りを搔き立てる説明でも、ないよりは「安心」なのです。(位置No680)

(3)ストーリー的因果関係に感情が支配される仕組を、ひとことで言うとこうなります。〈事柄〉は自分の管轄外だけれど、〈事柄に関する考え〉は自分の管轄内ですから、後者のほうは制禦可能であり、そこさえ制禦してしまえば、〈不安〉のない状態で〈事柄〉に対処することができます。(位置No1741)

(4)僕たち人間は日常、世界をストーリー形式で認知しています。そのとき、僕たちはストーリーの語り手であると同時に読者であり、登場人物でもあるのです。物語る動物としては、自分や他人のストーリーに押しつぶされたり、自分のストーリーで人を押しつぶしたりせずに、生きていきたいものです。(位置No2182)

『いま世界の哲学者が考えていること』を読んで、現代の社会問題や経済問題に海外では哲学者が議論していることにちょっと驚く。


 アマゾンのおすすめで何気なく購入。

 予想よりもずっと読み甲斐のある本だっった。

 まず、著者が扱っている現代の哲学者とは、かなり幅がひろく、「リスク社会」を書いたウィリアム・ペッグなどは普通は社会学者と思われている。その意味では、人文科学、社会科学全般の学者が社会問題、経済問題に対して、演繹的に突っ込んで議論している、欧米の若手の学者の紹介と思った方が誤解がない。

 扱っている論点としては、ア IT革命と監視社会、AIと雇用問題、イ バイオテクノロジーと人間の遺伝子改変問題、ウ グローバル化の先にある資本主義の姿、エ 多様な宗教の共存、など、多岐にわたる。

 それぞれが簡単に結論がでる話ではないが、自然科学の発展や経済のグローバル化など現在社会が抱える変化に対して、政治思想や倫理という観点から何を注意しなければいけないか、について、哲学者が活発に議論していることが理解できた。

 日本も人文科学系の学部はいらないなどという議論があるようだが、このような社会問題、経済問題について、突っ込んで深く考える学問分野は、短期的に成果があがるものではないが、日本の経済社会の発展のために不可欠だと思う。

 著者も淡々と様々な議論を紹介しているが、結局、この手の議論は結論があるわけではない。より、各国の国民や住民が、自由、平等で幸福を感じることのできる社会をつくっていく場合に、どういう考え方に沿った方が望ましい方向にいくか、というプラグマティックでリアリスティックなアプローチをするのが一番適切だと思う。

 例えば、宗教問題については、近代、世俗化という観点から、宗教を政治から遠ざける考え方が主流であったが、米国で福音主義が活発になり、イスラム国家の各種の活動も活発になってきている。これらの世界各地に生じている潮流とそこから生じているきしみを緩和するためには、単に世俗化一辺倒では、うまく関係国の調和をとることはできない。
 むしろ宗教の復権を前提にしつつ、その多様性を受け入れられる思想や考え方を構築すべきなのだろう。

 こういった現実を率直に見つめて、国民、住民の安全や生活の水準、幸福感がますための政治思想、哲学思想を作り上げていく、といった発想が、哲学者には求められると思う。

 また、そういう哲学者の主張をもっと経済社会の中で大切に扱うべきだろう。 

『秘録CIAの対テロ戦争』を読んで、テロを防ぐためには、テロリストに圧力をかけて尋問するのは不可欠との主張にどう反論すべきか?


 HONZの推薦。

 近場の出張で時間があったのでキンドルで読んでみた。

 非常に悩ましい論点があるので早めに紹介。

 著者は、CIAのたたき上げで副長官までなった人。

 CIAを擁護する立場からCIAの立場を鮮明に主張している。

(1)ビン・ラディンの暗殺については、暗殺後に発見された資料により、ビン・ラディンがアメリカの石油施設などの爆破を計画しており、未然により多くのテロが防げたと分析していること。

(2)テロリストの尋問について、一部逸脱行為があったが、司法省の法的な承認、大統領の承認を得て御此方ものであり、その尋問の結果、ブルックリン橋の爆破計画犯の逮捕や、ビン・ラディンの暗殺につながったことから、大部分は正当なものであったと主張していること。

 この2点については、いろんな異論もありえるし、道徳的に納得しがたい部分もある。著者も道徳的な葛藤はあったと自ら述べた上で、アメリカの安全を守るためにはやむを得なかったと主張する。このようなより多くの命を救うために、かつ、形式的な合法的措置を講じたうえでの、行為について、どう判断すべきについては、真剣に考える必要がある。

 なお、著者は、9.11前後には毎日日報をブッシュ大統領にレクしていたが、その様子を見る限り、ブッシュ大統領は、論点を厳しく追及する有能な指揮官として描かれている。ブッシュ大統領は間抜けな大統領というイメージで語られることが多いが、この点についても、バランスをみるためには、このような具体的な記述は頭に入れておく方が望ましいと思う。

 あと、本筋の議論ではないが、ビン・ラディンの暗殺プロジェクトでオフィスに泊まり込みになり、かつ、家族にも連絡がとれなかったので、妻が離婚されそうになったことなど、中央官庁の官僚の悲哀として共感できた。

 以下、抜き書き。

(1)CIAには主に3つの任務がある。機密情報をひそかに収集すること、大統領と上級顧問のためにあらゆる情報を分析すること、アメリカの外交政策推進のために極秘に措置を講ずることである。(位置No179)

(2)わたしは、テネットが大統領と電話で話すために必要な資料が、なかなか出てこなかったのに苛立って言った。「いったい何をやっているんだ」。すると、テネットはわたしをたしなめた。「落ち着け。皆、頑張っているんだ」。危機的状況では誰でも全力を尽くすので急かす必要はないし、急かすのは逆効果だという。「普通の状況なら、尻を叩いてもいいぞ」。(位置No427)

(3)CIAが独断で秘密活動を行っているというのは、誤った認識である。秘密工作活動の提案はCIAがすることもあれば、ホワイトハウスの国家安全保障当局の高官がすることもある。ただし、ホワイトハウスの承認がなければ、CIAが実際の計画を策定することはない。(位置No486)

(4)最終的に9・11につながったのは、こうしたことよりもっと根深いところにある。それは国家安全保障に関わる機関にそうした脅威に釣り合う予算を割り当てなかったこと、トランスワールド航空800便墜落事故のあと、当時のクリントン大統領によって設立された1996年ゴア委員会が提案した航空安全に関する 20 項目を実行しなかったこと、東アフリカの大使館やミサイル駆逐艦コール爆破事件のあとアルカイダを積極的に追跡しなかったことだ。(位置No1039)

(5)オバマ大統領就任後、反アルカイダ対策が始まったという神話は間違っている。ブッシュ大統領が退任6カ月前に始め、オバマ大統領がそれを継続したのだ。それぞれ、正当な理由からである。アメリカは9・11以来、最大の脅威に直面していた。危険は目の前だった。(位置No2131)

(4)ビンラディン自身の見解にもその効果が示されている。2011年にビンラディンを殺害したのちに回収した文書から、アルカイダに最も大きな損害を与えているのはアメリカのドローン攻撃だと、ビンラディンが考えていたことがわかったのだ。ドローン作戦がいかに行われているか、それにどう対抗すればいいかに腐心していたことも明らかになっている。(位置No2235)

(5)わたしはオバマ大統領を尊敬している。大統領は賢く、どの会議でも集中して話を聞き、すぐに要点を理解して、的確な質問をした。だが、決断に時間がかかるときもあった(ブッシュ大統領とは異なる)。おそらく、行動を起こす前にすべての答えを知りたいと思ったからだろう。(位置No2396)

(6)妻は、それからずっと猛烈に腹を立てていたらしい。午後8時頃まで、わたしから8時間近く何の連絡もなかったので、居間のソファに腰を下ろし、「離婚するべきか」と自問したそうだ。わたしがようやく妻に電話をかけることができたのは、大統領が国民にビンラディン殺害を告げる決断をしたあとだった。(位置No2661)

(7)書類のなかに、ビンラディン襲撃時にかき集めた書類の概略をテロ対策担当の分析官がまとめた報告書があった。わたしはこれをずっと待っていたので、一字一句、じっくりと読んだ。 予想していた通りだった。資料には、アルカイダがふたたび西側の国を攻撃しようとしていたことが記されていた。ビンラディンは、殺害される何カ月か前に、石油パイプライン、基地、タンカーなど世界的石油産業を支えるインフラを狙い、アメリカ本土で大量の死傷者を出す攻撃を仕掛けようとして、主要な工作員と打ち合わせをしていたらしい。(位置No2776)

(8)民主化の準備ができていない国もあるし、民主主義には─ ─ それがうまく機能するには─ ─ 自由と公正な選挙の実施以上のものが必要である。政党を作り、政治的支持を得るために競い合い、投票する自由に加えて、表現の自由、多岐にわたる情報源、有権者が選挙で示した要望を実行する機関が不可欠だ。そういったものを持たず、早急な構築も望めない国で無理に民主化を進めると、国の情勢はたいがい不安定になり、アメリカの安全保障を脅かすことになる。(位置No3099)

(9)最後に、アメリカの現在の政治システムについて言いたいことがある。アメリカの政治家は、政治的点数を稼ぐことに執着し、党派的に優位かどうかという角度からものを考えるので、公務員も同じように考え、行動すると見なしている。情報のプロは客観的であり、政治的に立ち回ることがないよう訓練されていることがなかなか理解できない。わたしたちが民主党員にも共和党員にも等しくプロ意識と献身をもって尽くすことがなかなか理解できない。(位置No3790)

(10)その結果、拘束される前に関わっていた数々のテロ計画についての情報が提供された。ブルックリン橋の爆破もその1つだった。協力的になったKSMは、アルカイダが長年アメリカのつり橋破壊に関心を持っていることを明かし、新兵に教えたつり橋の破壊方法を具体的に述べた。何より重要なのが、カシミール出身でアメリカ国籍を取得したアイマン・ファリスにブルックリン橋の破壊を指示したと供述したことだ。その情報にもとづき、FBIが動いた。ファリスは逮捕、起訴され、有罪判決を受けて、現在20 年の刑に服している。(位置No4166)

(11)要するに、勾留・尋問プログラムは、ビンラディン急襲を成功させるための必要条件だった。あのプログラムがあったからこそ、多くの手がかりが得られたのだ。不可欠だったかどうかはわからないが、ビンラディンにつながる男を見つけるのに役立った。(位置No4179)

(12)わたしたちが直面する脅威を軽減し、課題に対処するには、アメリカが国家として強くなければならず、そのためには、政治指導者が経済と社会を前進させる決意を示す必要がある。国の安全を守るのは、最終的には、健全な経済と社会だからだ。(位置No4952 )

『まちづくりの哲学』を読んで、蓑原先輩の問いへの宮台氏の答えよりも蓑原先輩の問いの方がわかりやすいのは、自分の能力のなさか?


 どっかの書評で購入。

 宮台氏は社会学者で結構有名だが、小生、社会学は都市社会学を切り口に何冊もチャレンジしているが、議論が高踏すぎて、いつも途中でなげだしてしまう。

 この本も後半3分の1ぐらいになると、かなり抽象的な議論になってしまってついていけない。でも、3分の2の部分は蓑原先輩の質問と宮台氏の答えがかみ合っていて理解できる。

 以下、小生が腑に落ちた部分

(1) 蓑原先輩が、非日常と日常、ベンヤミンとコルビュジエを対比させて、非日常的な空間がまちには必要と指摘している点。これを受けて、宮台氏がまちの「微熱感」と受けている点。(p13あたり)

 最近、医者の書いた疲労の分析の本を読んでいて、疲労回復には「ゆらぎ」が必要という記述を見つけた。まったく規則的でゆらぎのない空間は疲れを生じさせるという議論とも調和すると思う。

(2)蓑原先輩の都市の生活が貧しくなった理由として、自然生態系との距離が拡大したこと、多様で複雑な人間関係が失われたことをあげている点。これに対して、宮台氏がハイトの『社会はなぜ左と右に分かれるのか』を引用して、伝統、権威、聖なるもの、という感情をうまくプッシュできないと、場所性が失われ,人生の豊かさが失われると受けて応えしている点。(p43)

(3)簑原先輩の、都市の市街地がこれからどちらに動くかわからない、膨大な空き家の発生などに、「まちづくり」「都市計画」「コンパクトシティ」といっても有効な手段かわからない、空疎な概念になっていると指摘している点。(p76)

(4)蓑原先輩が引用しているシャロン・ズーキンのオーセンシティという概念。「オーセンシティというのは、生活と労働の継続的なプロセス、地域住民や建物が明日にもここにあるという希望。これがなくなると都市が魂を失う。」という指摘。(p109)

 先が見えない現代こそ、伝統や継続性を重視しようという発想に近いと思う。

(5)蓑原先輩の引用したピーター・ホール卿の『グット・シティ』からの引用。都市計画で考えるべき点。第一 どうやって飯を食うんだという計画なしに、都市計画なし、第二に、住宅と都市計画問題の一体化、第三に、住まい、職場、店、学校などのサービスが、歩きや自転車で行ける近隣住区で成立すること、第四に、住宅地の開発当初から公共交通機関を整備すること、第五に、資源を保存し廃棄物を再生するような環境管理を行うこと、第六は、究極の目標である、人が暮らしたいとおもい、生活が快適だと思える場所をつくりだすこと。(p118) 

(6)蓑原先輩が田村明氏が「総合性、文化性のある都市計画をやろうとして、まちづくりという言葉を使った。現実には、補助もないし国の縦割りのなかで弥縫的なこと、微々たることをやって満足している」との指摘。(p199)

 後半は、ちょっと宮台氏の議論について行けないが、ここまでの議論は、都市計画を経験してきた論点としてよくわかる。特に、蓑原先輩が、都市計画は地域がどうやって食えるかを考えるべき、という指摘に強く同意する。 
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