有沢翔治のlivedoorブログ

 wikipediaや「解説」に書いてあることをそのまま書いても余り意味がない、を信念に書評もどきを書いています。大事なのは自分がどう思ったのか。そしてそれはどうしてか?

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ハシを直す(有償依頼)
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パルヴェーズ・フッドボーイ『イスラームと科学』(勁草書房)

イスラームと科学

目的とは合わなかったけれど

 僕の目的はイブン・シーナーやイブン・ルシュドなどの八世紀〜一三世紀までのアラビア科学・数学を知りたかったんです。しかし、この本は現在、イスラム圏でどんな科学教育が行なわれているか、パキスタンを例にとって批判的に解説したものでした。
 確かにパルヴェーズ・フッドボーイさんの問題意識は切実に伝わってくる上に、話が具体的で解りやすかったです。しかしいかんせん、僕の興味と違っていただけに余り頭に入りませんでした。

ルネサンスがもたらしたもの

 ギリシャ、ローマの科学は一回、亡命者の手でアラビアに渡ります。それを十字軍でヨーロッパ人は再発見し、ルネサンスに至るというのがルネサンスの科学史的な理解だと思います。現にガリレオ、ニュートンなどの自然哲学者から定数的にものごとを捉え、予測できるようになったのです。そしてこの方法は自然現象だけでなく、社会現象にまで伝播します

帝国主義

 ルネサンスがヨーロッパ世界にもたらしたものは科学だけではありません。「中世の封建制の崩壊、広いスケールでの資本主義の出現(中略)はヨーロッパに近代社会の産声を上げさせた」のです。
 このようにして西欧列強は植民地を世界各地に築きあげるのですが、イスラーム教徒は完全に無防備でした。たちまち支配され、今まで栄華を極めていたアラブ諸国の科学はたちまちヨーロッパ諸国に追い抜かれることになるのです。

科学とは何か

 科学とは何かというのは科学哲学の大きなテーマなのですが、ポパーは反証可能性を唱えます*1。反論するのに合理的な根拠を示せるのかという点が一つの焦点となってくるのです。例えば転んだのは透明人間のせいだと言っても、透明人間は目に見えない限り証明できないわけです。
 実は熱力学の観点からボルツマンが原子を唱えたときには始めはエルンスト・マッハに否定されました*2。しかし、最終的にアインシュタインが花粉の粒子を観測する中で、原子という存在を仮定すれば合理的に説明ができる考えます*3。これが現在の量子力学に結びつくのですが、このように科学とは反証可能性の有無で区別されるのです。

パキスタンにおける科学教育の現状

 本来、科学とはそういう観測データや論理的思考のもとで積み上げられていくものです。しかし、パキスタンにおいて科学教育は充分なされているとは言いがたいのが現実です。
 パルヴェーズ・フッドボーイさんは様々な事例を紹介していますが、我々にとっては「付章 彼らはそれをイスラーム科学と呼ぶ」の一例で事足りるかと思います。「祈りによってもたらされる神の恩恵の量」というグラフは大真面目に人数と神の恩恵が議論されています。
 しかも物理学者たちによって。その理由についてパルヴェーズ・フッドボーイさんは次のように語っています。
 次にこの奇妙な科学の提唱者たちが伝統的ウラマー〔イスラムの教養人〕ではなく、科学分野でのハイレベルな学位保持者であることに注目しよう。西側諸国で学んだ人がほとんどだ。ただし彼らは名誉となるような専門的業績はほとんど誰も挙げていない。イスラーム的科学は難解な科学の挑戦からの避難場所を提供しているのだ。
 パルヴェーズ・フッドボーイさんはこれをイスラム社会だけの問題として捉えているようですが、多かれ少なかれ名誉欲に駆られた専門家(と門外漢の人間との間)に当てはまることなのかもしれません。
 例えばアラン・ソーカルはでたらめな科学用語を散りばめた文章を論文と称して、人文科学の権威ある雑誌に送りました*4。『境界を侵犯すること:量子重力の変換解釈学に向けて』。また日本でも柄谷行人がゲーデルの不完全性定理を誤用しています*5。

科学主義

 そしてこれらの背景には科学信仰とも言える問題があります。確かに彼らは科学の専門家でありませんし、数学の教養もあまりない人もいるかもしれません。しかしサルトル以降、ざっくりと言って、相対主義が挙げられます。例えばレヴィ=ストロースは今まで未開だと思われていた土地にも、西洋とは違う「形式」の文化があるという見解を示しています*7。科学万能主義、近代化という「宗教」に疑問を投げかけるはずの哲学が、科学に迎合しているという問題が挙げられるのです。そもそも自然を定量的に捉え、分析するという方法は西欧によって生み出されたものです。イブン=シーナーが神を冒涜した疑いを掛けられた、というエピソードが載っていました。このことから近代的な価値観とは違い、自然を神格化し、絶対化し、畏敬の念を払うという伝統があると読み取れます。
 なら自然をこの方法で分析し、記述すればいいと僕は思うんです。一つの考えしかないと社会は脆いですので。

*1 カール・ポパー『推測と反駁』(法政大学出版局)およびwikipedia「反証可能性」。
*2 マーカス・チャウン『僕らは星のかけら』(無名舎)
*3 同文献
*4 Wikipedia「ソーカル事件」
*6 柄谷行人「 形式化の諸問題」(『現代思想』青土社、1981年9月)
*7 クロード・レヴィ=ストロース『親族の基本構造』(青弓社)



矢島祐利『アラビア科学の話』(岩波書店)

アラビア科学の話 (岩波新書 青版 G-60)

アラビアと言うと

 アラビアは科学後進国というイメージがありますが、実は九世紀〜一三世紀までは科学の中心地でした。アリストテレスやプラトン、ユークリッドなどの研究が盛んになりました。
 例えばイブン・シーナー、イブン・ルシュドを始め、多くの医学者、数学者を輩出しましたし、またAlcohol、Alcali、代数学を意味するalgebra、それから錬金術を意味するAlchemyなどが挙げられます。錬金術は今でこそ非科学的なイメージが強いですが、化学の前身ともなっています。
 また本書では紹介されてないのですが、 日常語彙にまで溶け込んでいます。例えば危険を示すhazardもアラビア語でサイコロという意味ですし*1、バザー(bazar)もペルシャ語の市場という意味があります。
 そういったことを踏まえると、矢島さんは「アラビアの学問は西欧の近代の学問を養った親のようなものである」と言っていますが、矮小化していると僕には思えます。

政治的背景

 ではなぜアラビアの世界で科学が発達したのでしょうか? ヴィッカリーはこのように語っています*3。
 ユスティアニヌス帝は帝国内で異教の哲学を教えることを禁じる。領内にはアテネも含まれており、(中略)アカデメイアも閉鎖された。アカデメイアにいたシンプリキオスは一時、他の学者とともにペルシアに逃れる。〔有沢補注:当時のササン朝ペルシアの王である〕ホスローはギリシャ文化に驚嘆し(中略)ジュンディーシャープールにアカデミーを設立する。アカデミーには、病院・医学・天文台が設けられ、(中略)教育が行なわれた。
 つまり宗教的な理由によりギリシャ人とギリシャ哲学は弾圧されるんです。ギリシャの知識人たちはペルシャに亡命、そこでペルシャ王の庇護を受けます。ちなみに五二九年以前の状況はどうだったかのでしょうか? アウグスティヌス(三五四年〜四三○年)の回想録『告白』によると、ギリシャ語を勉強していたことが書かれています*4。
 ともかく、このホスローは柔軟な人だったようで、インドに医者を派遣、医学書を持ち帰らせています。ただ柔軟な人というだけではなく、科学を発展させることで軍事力を強化したかったという思惑も見えます。単に屈折した見方ではなく、当時ホスローは東ローマ帝国と交戦中だったのです*5。
 このササン朝で信仰されていたのはイスラム教ではなくマニ教でした*6。しかし、運がいいことに、イスラム教徒が侵攻しても、ジュンディーシャープールを破壊することはせず、これを保護します。このようにイスラム帝国のもとで、ますますアラビア世界の科学は発達することになるのです。
 そしてこのイスラム帝国の科学が十字軍を通してヨーロッパ世界に再発見されます。これがルネサンスです。そしてそれがアラビアに由来するとして本格的に研究し始めたのが、一九世紀、ジョージ・サートンだったのです7。
 またこの他にもミエルによればシチリアとスペインを経由してヨーロッパに入ってきたと言います。シチリアはギリシャの支配下にあり、ついで東ローマ帝国、そしてイスラム帝国の支配下に置かれます。
 スペインもイスラム教徒の居住地が並んでいました。カスティリャ王アルフォンソ王は学問を愛し、自らも天文学を学んでいました。つまり国の事業として、学問を発展させていったのですが、ホスローと同じように軍事力を強化する目的が見え隠れするのは僕だけでしょうか。

イスラム帝国の科学

 矢島祐利さんがこの『アラビア科学の話』で扱っているのはこのイスラム帝国の科学です。このイスラム帝国は西はスペイン、東はインドまでかなり広大でした。また当然、全員がイスラム教徒ではなく、ユダヤ教徒もいれば、キリスト教徒もいました。ここではアラビア語で書かれた科学文献を、イスラム科学として定義しています。

神秘主義

 イスラム科学は実証主義の他に神秘主義が大きな影響を与えています。「ギリシアのように理性に従った合理的解釈に向うよりも、啓示されるものに重きを優位を置く傾向が多く見られるのである」と書いてあります。
 確かに、ギリシアはヌース(知性)が長い伝統として受け継がれてきました。確かにピタゴラスは数というものに対し、ある意味で神秘思想を抱いていたかもしれません。しかしそれは数という概念に対してであり、証明方法はあくまでも論理的なものでした。

数学

 詩人でルバイヤートの著者として知られるウマル・ハイヤームですが、彼は三次方程式の解法を円と放物線によって見つけました。もちろん実数の範囲ですけど、ヨーロッパ人がこの方法を確立するのはカルダノを待たなければいけません。
 また、三角関数は天文学の一分野だったと語られています。この三角関数ですが、天文学を理論化するのに使われてきた経緯があるのです。しかし矢島祐利さんは『アラビア科学の話』の中で、占星術と神秘思想を結びつけているのですが、僕は広大な地理を移動する上で占星術は欠かせなかったと思います。
 というのも占星術は星の動きをもとに吉兆を占う学問です。星の動きは現在の位置を知り、広大な土地を移動する上で重要な要素となってきます。
 全体として雑多な印象を受けましたが、一九六五年という時代や資料が少なさを考えるとやむを得ないことなのかもしれません。

*1 Weblio「hazard」
*2 語源由来辞典「バザー」より
*3 E・C・ヴィッカリー『歴史のなかの科学コミュニケーション』(勁草書房)
*4 アウグスティヌス『告白』(中央公論)
*5 E・C・ヴィッカリー『歴史のなかの科学コミュニケーション』(勁草書房)
*6 Wikipedia「マニ教」。
*7 ダンテの神曲は文芸作品であるばかりでなく、アリストテレスやプラトンなどの哲学者が登場し、哲学辞典としての側面を果たしている。その中にアヴィセンナ(イブン=シーナー)の記述があり、ガレノスとヒポクラテスとの間に置かれている。



マーカス・チャウン『僕らは星のかけら』(無名舎)

僕らは星のかけら―原子をつくった魔法の炉を探して

経緯

 友達からオススメしてもらった一作で、なかなか手が出せずにいました。物理学の本なので数式がたくさん出てくるかと思って怖気づいていたんですよ。でも読書会での課題図書に指定され、しかも友達も行くというので、僕も読んでみることにしました。
 内容はむしろ原子、中性子という概念が発見されるまでの物理学史の本。海外の人の名前には苦労しましたが、それを除けば数式も少なく、また扱っているテーマもはっきりしていました。専門外なので当然なのですが、知らないことがたくさん書いてあって面白かったです。

古代ギリシャ

 ものを細分化していくと、どこまで行き着くのか、という疑問は古代からありました。古代ギリシャではこれをアルケーと呼び、アリストテレスは『形而上学』*1で紹介しています。例えばタレスは水だと考え、ヘラクレイトスは火だと考えました。
 中でも特異な考えだったのはデモクリトス。彼は見えないものに分割されるのではないかと考えた点で、古代ギリシャで原子論を考えた人としてよく紹介されます。もちろん実証したわけではないので、あくまでも発想の一つです。
 科学の二つの源流として、職人と思索家が挙げられます*2。思索家は「仮説の真偽を検証することに熱心でなく」、職人は「理論付けには熱心ではない」という欠点を持っていました。ここだけ読むと観測もしていないのに空理空論を振りかざしているという印象を受けるかもしれません。
 しかし古代ギリシャの時代から観測に基づく論理を打ち立てていました。例えばタレスは天文学の観測に基づいてオリーブの豊作を予測。オリーブの掘削機を買い占め、翌年には莫大な利益を出したと言われています*3。
 太陽についてアナクサゴラスは「大きな鉄球」であり、ギリシアよりも少し大きいと記述しています。しかし、これは勿論間違い。実際ははるかに重く太陽系全体の重さの99%を占めています。したがってはるかに引力が強く、太陽系全体にまで影響を与えているのです
 また太陽の熱源についてですが、核融合だということが知られています。水素爆弾で知られる核融合ですね。

十七世紀

 さて時代は一気に一七世紀へ。というのも古代ギリシャから一七世紀までは哲学といえば、神学などの聖書解釈学*4、あるいは政治学*5、生き方*6などに重きが置かれ、自然哲学についてはニュートンの登場を待たなければいけません。

五〜一五世紀までの科学について

 しかし自然哲学が全く進展がなかったかというとそうではありません。例えば天動説。これは今でこそ時代遅れとして軽視されがちですが、当時はきちんと観測に基づいていたのです。一般的にガリレオとコペルニクスが地動説を唱えたと教わります。もちろん間違いではないのですが、科学的に完全に証明されたとはいえず、あくまでもこういう考えもある、と示唆しただけにすぎないのです。
 またこの文献ではいっさい触れられていないのですが、五世紀〜十三世紀まで自然哲学の中心はアラビアにありました。例えば、イブン・シーナーは地球が球体だと主張していますし、また錬金術についても批判。錬金術は全ての金属の大本となるエリクシールを探すための学問だったのですが、イブン・シーナーはその存在を否定。すべての金属は独立しているのだと主張します。

ベルヌーイ

 ところで、ベルヌーイは流体力学の創始者でなのですが、気体分子運動論の先駆者でもありました。流体力学とは空気や水ががどう流れていくかを考える学問です。例えば流れるプール、扇風機やエアコンの空気の流れなど。
 ベルヌーイは彼は「絶えず激しく動き回る粒子の大群」を思い描きます。この発想は後の熱力学にもつながると思うのですが、ベルヌーイの名前を熱力学の本ではあまり見かけることがありません。ベルヌーイが関心を示したのは圧力でした。
 ピストンを押し下げて空気を圧縮したらシリンダー内の圧力はどうなるだろうか、と自問した。この問題に答えるため、気体が圧縮されて体積が半分になるまでピストンを押し下げた状態を想像した。気体の分子は、衝突するまでに、従来の半分の距離しか移動する必要がなくなるため、一定の時間内にピストンに衝突する回数は二倍に増えるはずである。
 これはまさにボイルの法則と呼ばれています。この文脈では、ベルヌーイが理論を先に思い付いて、観測結果がそれに適合しているかのような印象を与えます。しかし、実際には観測結果から推察したのでしょう。この時代、科学とはつねに観測結果から理論を導き出すものだとされていたのです。
 しかし原子論は観測できないものとしてマッハによってオカルト扱いされます。音の速さの伝わり方について研究したマッハは科学哲学、科学史についても著作を残しています*7。また彼は錯視についても研究を残し、音というよりは人間の認識について興味を持っていたのではないかと思います*8。
 だから「五感で観測できない事象とは一切関わるべきではない」という立場に立ったのでしょう。そして多くの科学者はこれに同調。当時、マクスウェルと並ぶ熱力学の創始者であったボルツマンは鬱病から自殺しています。
 ところがボルツマンが自殺した前年に、アインシュタインが原子の存在を証明したのでした。

量子力学の誕生

 アインシュタインはブラウン運動ついて研究。これが彼の処女論文になるのですが、花粉がランダムに動く現象について研究。理論に留まりますが、アインシュタインの論文の三年後、ベランによって立証されます。ガンボージの花粉を使って、検証。さらには観測結果に基づいて水分子の大きさまで計算したのです。
 また相対性理論ではニュートン以來の「時間」という観念を塗り替えます。救急車が遠ざかって行くときに、音が変化する現象をドップラー効果といいます。これは観測者が静止して、音源が動くことによるものです。これが光でも起こるのではないかというのがアインシュタインの主張でした*9。
 二つの電車がすれ違うとき、観測者からは後退しているように見えるでしょう。ニュートンはあくまでも人間の目から見た世界で考えていた(というか考えられなかった)ので時間についても絶対的な時間を考えていました。つまり時間と空間はニュートンにとって絶対的なものだったのです。
 しかし、アインシュタインは時間と空間は相対的なものだと考えていたのです。
 アインシュタインによれば、観測者がもう一人の観測者を基準にしてどれだけ早く進んでいるかに応じて、二つの時計は別々の速さで進むはずだった。さらに二人の観測者の時計の間に生じる相違は、観察者の相対速度が光速に近づくにつれて、ますます大きくなるはずだった。
 この時間に関する新しい見解は哲学にも影響を与えます。例えばベルグソンは時間についての論考を書いています*10。

問題意識

 さて、マーカス・チャウンはどんな問題を扱いたかったのでしょうか。もっといえば科学史を通して何を訴えたかったのでしょうか。もちろん、それこそ観測者によって主観が入ってしまいますが、生命の起源を探りたかったのではと思うんですよね。
 そして宗教と科学の境界まで到達していると思われる記述さえあります。
 ホイルは、宇宙が生命を持つ有機体の出現を予期していたと確信するようになった。それは、生命そのものが本当に宇宙的な現象から誕生していたという確信だった。
 ここで注意して欲しいのは、どうしてホイルの言葉として書いたかです。マーカス・チャウンの言葉として書いてしまうと、あまりにも宗教臭く、また信じがたくなってしまうからだと解釈できるのです。

*1 アリストテレス『形而上学』(岩波書店)
*2 村上陽一郎『科学者とは何か』(新潮社)
*3 Wikipedia「タレス」
*4 アウグスティヌス『三位一体論』、『神の国』など
*5 キケロなど
*6 セネカなどのストア派。
*7 エルンスト・マッハ『時間と空間』など未読。
*8 Wikipedia「エルンスト・マッハ」
*9 光のドップラー効果と呼ばれる現象である
*10 Wikipedia「アンリ・ベルクソン」参照。なお、小林秀雄にはベルクソンとアインシュタインの論争について取り上げた文章があるが、もともと小林秀雄にはあまり興味がない。それよりも「同時性をめぐってーーベルクソンVSアインシュタイン」(金子務『現代思想』1993年3月号)の方が興味深い。


シェル・イスラエル『ビジネス・ツイッター』(日経BP社)

ビジネス・ツイッター

この本を読んだ経緯

 ずっと前に買って積読でした。理由は簡単で、
SNSを使っての販促は僕の仕事と直結してるからです。いやぁ、誰でもそうだと思うんですが、仕事と関係ある本ってたとえ趣味が読書でも読みたくないですよね。それに今更感もありますし。
 でもSNSを利用しての人脈作りは僕も関心があるので読んでみました。twitterのハウツー本というよりはこれからのメディアがどうなるのか、SNSを切り口に様々な取材を通して語っているように思いました。ただ当然ながら日本の事情とアメリカの事情とでは異なることがあります。

そもそもネットは暇つぶし

 アメリカはどうだか知りませんが、日本ではtwitterを初めインターネットは単なる暇つぶしです*1。現にバイトが飲食店の冷蔵庫に入って写真を撮ったり、高校生が線路に入った写真をネットに上げたり、炎上騒ぎ。バカッターと揶揄されています。
 どうでもいいツイートは無害です。しかし中にはデマ情報を無自覚に流す人もいて、リツイートされると有害になります。また設定をしないまま*2ポルノ画像をツイートしたりと、規約に違反する人が多いんです*3。
 シェル・イスラエルさんは、twitterを極めて楽観的に論じています。確かに使い方次第ではマスメディアよりも早く情報が行き届きますし、東日本大震災や熊本地震でもtwitterが大きな役割を果たしました。例えば「#救助」のハッシュタグ*4。しかし
 ソーシャルメディアはこうした信頼できる友達、同僚の範囲を一気に拡大した。それによってわれわれは広汎な分野で「集合知」を利用できるようになった。
とありますがネットは集合知と言われるとどうも疑問が否めません。

ネットは集合知か?

 例えば『資本論』は資本主義を否定して共産主義を説いた本だという人*5。社会主義と共産主義は同義語だという人*6。絵の具を全て混ぜると黒になるという人*7……。みんな嘘です。
 もちろん中には有益なブログもたくさんあります*8が、臆見にまみれた記事が多すぎます。僕も人のことは言えませんけど。この原因は一次ソースを当たらないまま、書いていることが挙げられるのではと思います。まぁ面倒なのは解りますが、一次ソースくらい確認しましょう。自戒も込めてます。
 いかに知識があるかが日本人にとっての「知性」になっているという現実が挙げられます。それから本を年間何冊読んでるかでその人の知性を量るような風潮。既知のことが書かれていれば200冊読んでも無意味ですし、逆に未開拓の分野なら1冊でも意味があるのは言うまでもありません。
 そしてこれは多かれ少なかれSNS上でも言えることだと思うんですよね。そして強引に言いくるめるような姿勢。

知識人のイメージ

 賞賛されたいのは解らなくもありませんが、そんなことで賞賛されても……、と思うんですよね。そして承認欲求を満たしたいための自己顕示欲。もちろん、正しく自分を主張できればいいんですが、それができない人が多い。
 これは日本で知識人・教養人というイメージが深く関わっていると思います。この間、たまたまテレビで百人一首全て暗記したりという人が出ていました。また知識自慢のクイズ番組。つまり日本において物事を多く知っている人が知的な人という文脈で語られるのです。
 加えてことを厄介にしているのがアフィリエイト、google ad。これはクリック数などに応じて報酬が入るシステムです。もちろんそれ自体は否定しません。ただし正確な情報を書いた記事に支払うようなシステムでないと、イエロージャーナリズムが蔓延してしまうのです。
 長々と書いてしまいましたが、『ウェブはバカと暇人のもの』に描かれているユーザーの背景には、そのような社会問題が潜んでいると僕は考えています。

日本の企業アカウントはユーモアたっぷり

 さてそうしたインターネットの風土を反映してか、日本の企業アカウントはユーモアたっぷり。例えばNHK_PRなどがそうですね。
 僕はユーモアのセンスが余りないので、公式アカウントをどう運営していくかが課題なのですが……。また企業アカウントはつぶやきに特色がないと、フォローされにくいのかなと。

アメリカの風土

 そうは言ってもアメリカ人の知り合いはいませんし、ビジネス・ツイッターから読み取れる事例のみなのですが。ペプシの炎上事件はどう見てもコカコーラが悪いし、日本でも(恐らく)炎上したでしょう。
 しかし、「モトリン・ママ」のような事例は日本に余りないのではと思うのですが、どうでしょう。一人のカリスマ性が強いブロガーは確かにいます。きっこ、ちきりん、イケダハヤト、はあちゅう、いや、ブログというメディアが登場する以前に流行った侍魂、僕の見た秩序など(後半二つは方向性が違うかもしれませんが)……でも製品のボイコットに繋がるような影響はいないんじゃないのかな、と思うんですよね。
 堀江貴文はブログというより、実業家として有名ですし、しいて言うならえぴすてーめーくらいですけど、あの分野が社会にまで影響力を持つとは考えにくいですよね……。

マスメディアとソーシャルメディア

 日本では大きく分けて二つの動きが見られると思います。一つめは番組への意見をTwitterで募集して、番組内で読み上げるというもの。例えばNHKの「日本のこれから」などがこの方式なのですが、融合できている例です。
 二つ目はソーシャルメディアで話題になったニュースをピックアップする方式です。裏は取ってあるのか定かでありませんが、SNSの記事をそのまま使い回すことが多く、せっかくのマスメディアがネットの後を追う形になってしまっているのが実情です。
 せいぜい「日本死ね」のブログで記事を書いた人に取材したくらいだった気がします。どうせマスコミで報道するんなら一般人では手の届かないような追加取材などをしてくれればいいのに……。

現代思想の観点から

 SNSは現代思想の観点からいくつか興味深い話題を提供してくれます。
1.つぶやきはプライベートなものであると同時に公共的なものである。こういう言説は今までなかったんじゃないんですか?
2.パノプティコンを取り囲む逆パノプティコン。冒頭でエジプトに不当拘束されたことをツイートしたり、アラブの春など民間が政府を監視するシステムができつつあること。
3.アントニオ・ネグリがスピノザを通して読み解こうとしていたマルチチュード(大衆)との関係。しかもスピノザが重視した思想の自由と関わってくること。
4.インターネット時代の芸術作品について、特にSNSとの絡み。

*1 中川淳一郎『ウェブはバカと暇人のもの』(光文社)。ただ中川淳一郎はネットユーザーを十把一からげにして論じていることに違和感を覚える。少数派であるが真面目な議論を交わしている人もいる。
*2 「ツイートする画像/動画を不適切な内容を含むものとして設定する」という項目に設定が入っていない人もいる。
*3 こうした問題の背景には見られているという意識の欠如が挙げられると思う。
*4 https://support.twitter.com/articles/20170080
*5 マルクスは『資本論』で資本主義を分析しているだけで、しかも資本主義については発展の一つの段階として認めている。ただマルクスの時代の資本主義だと矛盾が発生すると説いているだけである。マルクスは唯物論的な思考で、付加価値を一切考慮していない
*6 社会主義は生活保護などの公的サービスが受けられるようにした政府のこと。ベーシックインカムなどもその一つ。共産主義は生産手段を国が管理する経済システム。
*7 もちろんこれは灰色になるだけである。恐らくセロハンの重ね合わせと混同しているものと思われる。
*8 哲学関係で言えば、https://www.philosophyguides.org/などが挙げられる。



アントニオ・ネグリ『スピノザとわたしたち』(水声社)

スピノザとわたしたち

僕がこの本を読んだ経緯

 アントニオ・ネグリといえばマイケル・ハートと政治哲学の著作「帝国」*1を表したことで有名です。しかし、政治哲学や社会学関係の著作はどうも苦手意識があるんですよ*2。まず社会や政治を生き生きとした実体のあるものとして捉えられない。遠い国で起きている話であるかのように思ってしまうんです。
 ですので問題意識は解るんだけど「何でこの人は社会のシステムとか、政治のシステムとかを問題にしてるの?」などと解らないんです。
 しかしせっかくスピノザを読むんですから、そう言った僕の苦手分野に挑戦してみたいと読みました。
 もう一つはアントニオ・ネグリといえばイタリア現代思想の代表者としても有名。あくまでも印象論なのですが、イタリア現代思想は政治哲学者が多い気がします*3。

いくつかの用語

 解らない用語についていくつか調べてみました。オルタナティブは耳慣れない用語ですが「代替」という意味で、 alternativeと書きます。

力能(conatus)

 哲学に特徴的なのが、言葉は各人の問題意識に応じて意味が変わってくること。多分、他の学問分野では例がないのではと思うんですよね*4。
 例えばネグリの本で使っている「力能(conatus)」という言葉ですが、デカルトとスピノザではそれぞれ違う意味で使っています。もちろん関係はありますが。
 そもそもこのconatusという言葉は、ローマ哲学のストア派が使っていました。古代ラテン語で努力を意味し、は禁欲的な生活を重んじ、その文脈で用いられていたのです*5。
 デカルトはこの「力能」という言葉を物理学的なイメージとして使っていました。そもそも、デカルトは世界を神が作った「機械」だと考えていたんです。惑星の軌道上のレールとして捉え、それを動かす神の力などを「力能」と名付けたのです*6。
 一方、ネグリが参照しているスピノザでは、自己保存の本能という意味が強いです*7。現代的な意味なら、自己保存の本能といえば自殺、自傷行為などと関係づけられていますが、スピノザはそれ以外にも止まったままのものは外から力が加わらないと、止まっているという物理学的な法則も含めて使っています。スピノザは自然(法則)を神と名付け、人間もその一部であると訴えたのです
 自然(法則)と書いたのは僕の中でスピノザが神をどのように捉えていたか、まだはっきり解らないからです。つまり、『エチカ』だと自然こそが神だというアミニズムとしても考えられます*8。一方で『神学・政治論』*9だと自然法則そのものを神だと考えているようにも感じました。
 デカルトは心/身体、自然/人間という二項対立で考えていたのに対し、スピノザは一つの法則性という一元論として考えていたのだけは確かです*10。

マルチチュード(Multitude)

 ネグリはマイケル・ハートとの著作『マルチチュード』*11でスピノザを援用しながら、マルチチュードについて「“多数”“民衆”などの意味を持つ概念」*12として語っています。なお、僕は『マルチチュード』を読んでいないので、wikipediaからの引用になってしまいます。
 ネグリはマルチチュードを、近代以降に登場した超大国の覇権によるグローバルな世界秩序である帝国主義に対抗し、これからの世界を変革し得る存在としてそれぞれの国家の国民や企業を含む超国家的なネットワーク上の権力として位置付けている。
 ネグリはマルチチュードについて、いわゆる19世紀以降の社会主義に代表される革命に見られた多様性と差異性を無視したこれまでのありかたとは異なり、統合されたひとつの勢力でありながら多様性を失わない、かつ同一性と差異性の矛盾を問わぬ存在としている。
 現代思想のテーマとして多様性や同一性についてが挙げられます。例えばジル・ドゥルーズやレヴィ=ストロースがその顕著な例ですが、これには第二次世界大戦後、植民地が相次いで独立したことが挙げられると思います*13。

ネグリの問題意識

 さてネグリはスピノザを読解することで何を問題にしようとしていたのでしょう。スピノザの時代には神がまだ信じられてきました。だからこそ『神学・政治論』は教会によって発禁しょぶんになったのです。
 しかし、われわれ今生きている中、大多数が神を信仰していません。少なくともスピノザが生きていた時代よりは。アントニオ・ネグリはジル・ドゥルーズを引用しながらこう語っています。
 ひとたび神という幻影からすっぱり手をきってしまえば、無限というものはわれわれのなかで欲望と現実の一致するところに実現するところに実現されるだろう、とかれ〔ジル・ドゥルーズ〕は言った
 ドゥルーズは『アンチ・オイディプス』の中で、器官なき身体という概念を提示しています。これは身体的欲望、つまり人間には性欲、食欲などとは別の欲望が備わっています。つまり名誉、富、知識などという抽象的なものに対する欲望です。しかし、この欲望は無限です。しかし、いくら抽象的と言っても現実的な欲望で、空を飛びたいという欲望は抱きません。
 ネグリは「これに反論して、「スピノザにとっては、無限は革命の〈共〉通名詞le nom communであるのだ」と語っています。辞書を引いてみるとnomは名前、communは一般的な、という意味です。

スピノザと政治哲学

 スピノザといえば神を巡る論争で、政治哲学について余り語られてないという印象が強いですが、政治哲学を巡る著作も書いています。『神学・政治論』や『国家論』がそれに当たります。
 しかし、ホッブズ、ロック、ルソー…様々な政治哲学とスピノザとの差異はどこにあるのか、「特に社会・政治・経済の秩序管理とどこが違うというのだろう」という問題を掲げています。
 スピノザもホッブズも確かに自然権、自然法をもとに話を進めています。スピノザにしろ、ホッブズにしろ、自然権を主張する人は、権力が現われる前の状態は皆が自由で平等だったという前提で話を進めています。ネグリは恐らくその前提を「個体横断的」と評しているのでしょう。
 しかしそれはあくまでも個人と個人の間には権力が介在しないという意味になります。『神学・政治論』でユダヤ人の制度・歴史を論じていますが、スピノザは自然権からこの制度が現れ、最高主権に至る説明が不足しているとネグリは考えています。
 スピノザとホッブスの違いは僕が考えていた「各人の権利を最大限に発揮するため」に国家が形成されるのか、「闘争を抑えるために」国家が形成されるのか、という違いもありますが、「〔スピノザの主張は〕超越論的な権力概念にたいしては根本的な批判となる」と述べています。超越論的な権力とは僕たちの「上から」命令するような権力です。ホッブスが『リヴァイアサン』で述べているような「上から押さえつける」国家のイメージがそうです。ネグリの解釈によれば「力能の一部を超越論的な権力に委譲する可能性は、一切抹消されている」のです。つまり国家によって自己保存の力を少しも委譲し得ないのだと。
 すなわちスピノザはどんな場合にでも個体の自己保存を重んじる個体主義なのだとネグリは解釈しているのです。しかし法は間違いなく個人主義を縛るものです。税金は自分の財産を国に差し出すという点で、まさに力能を委譲しているのです。

目的論

 スピノザは我々の存在とは何なのか、ということに触れてはいますが、神の目的について何一つ著作で触れていません。しかし、『神学・政治論』は思想の自由を訴える目的で書かれています。それどころかスピノザは思想の自由を保証することが政治の目的なのだと考えています。
 理性に導かれる人間は、自己自身にのみ服従する孤独においてよりも、共同の決定に従って生活する国家においていっそう自由である。
 ネグリはスピノザ『エチカ』を引きながら、
 つまり「あるのはただ力能だけ、つまり自由だけ」なのです。

まとめてみての感想

 ネグリの問題意識は自由と共同生活、つまり社会との折り合いの付け方にあることは解ったのですが、どうしてそこを問題にするのか、どうしてスピノザを持ち出すのかがよく解りませんでした。


*1 マイケル・ハート、アントニオ・ネグリ『帝国』(以文社)
*2 だからマックス・ウェーバーもゲオルク・ジンメルも余り印象に残っていない。
*3 例えば、アガンベン、グラムシなどが思い浮かぶ。調べてみると、美学の研究者クローチェも『政治哲学論集』がある。
*4 少なくとも自然科学・数学分野では用語はきちんと定義されている。特に数学分野はそれが顕著である。そうしないと混乱のもとだから。
*5 wikipedia「コナトゥス」
*6 ルネ・デカルト「哲学の原理」(ルネ・デカルト『世界の大思想7 方法序説/省察/哲学の原理』河出書房)では物理学上の問題も論じられているが、この訳では単に「力」という翻訳を当てている。そこでwikipedia「コナトゥス」からこの「力」をconatusと呼んだのだと僕は判断した。
*7 スピノザ『エチカ』(中央公論社)
*8 同文献
*9 スピノザ『神学・政治論』(光文社)
*10 このことは彼がユダヤ教という一神論を信仰していたことに大きく関わってくるのかもしれない。
*11 アントニオ・ネグリ、マイケル・ハート『マルチチュード』(日本放送出版協会)
*12 wikipedia「マルチチュード」
*13 厳密に言うと、デリダの一世代後になるが、文芸・政治評論でポストコロニアルの観点が用いられたのもこの頃である。

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ビエール=フランソワ・モロー『スピノザ入門』(白水社)

スピノザ入門 (文庫クセジュ)

概要

 スピノザは寡作ながらも実に様々な角度で論じられてきました。例えば
1.演繹によって正しい認識に到達しようとした(『知性改善論』)。
2.国家についての具体的な考察を示した(『国家論』)。
3.当時のキリスト教教会とは全く違った神の定義、その斬新さゆえに無神論者とさえ解釈もされてきた(『エチカ』)。
4.綿密な聖書解釈と思想信条の自由を提示した。(『神学・政治論』)
 最初は危険思想として注目されてきませんでしたが、レッシングなどがスピノザについて言及したため、論争になります。また、近年ではアントニオ・ネグリ、ジル・ドゥルーズの精力的な著作でも注目を集めています。

生涯

 スピノザはユダヤ人でポルトガルからオランダに生まれてきした。

当時のオランダ

 スピノザは1632年から1677年に生まれます。このころの、オランダはもっとも自由な都市で、だから知識人が集まる場所だったのです。デカルトも移り住んでいますし。
 オランダは大学と出版物において威信を誇っていた。オランダと聞いて思い出されるのは、エラスムスの伝統、学問の長い歴史、科学革命、そして科学革命と結びついた科学である。
 実際『神学・政治論』において繰り広げられる理性による聖書解釈、そして『知性改善論』の認識論の問題は、このような科学*1(=理性)主義の土壌があったのでしょう。またレンズ磨きの職人でした。
 例えばニュートンはスピノザと同時代に生きていますが、ニュートンの光学式望遠鏡にはレンズの研磨技術が必要ですし、レーウェンフックは顕微鏡を発明する中で自分もレンズを磨いています*2。このように今でこそレンズ磨きといえばぱっとしない職業ですが、当時のレンズ磨きは、いや、レンズという技術が最先端だった時代でした。ライプニッツともレンズをめぐって往復書簡を書いています。
 また貿易の中心地として栄えたことも重要で、他の宗教にも寛容だったのです。相手の宗教、思想で差別していては貿易が成立しません。現にオランダは日本とも貿易をしていました。その記述は『神学・政治論』にも肯定的に出てきます。

ユダヤ人コミュニティを追い出される

 スピノザの神に対する理解はかなり革新的でした。いろいろな読み方ができるのですが、『神学・政治論』では理神論のような立場を表明しています。理神論とは、法則性こそが神であるという考えです。法則性を神が作ったのではなく、法則性こそが神なのです。ここでいう法則性とは、物理学だけでなく社会科学の法則なども含みます。
 また『エチカ』では汎神論とも取れます*3。汎神論とは自然こそが神であるという考え。ただ神はいると考えていたことは間違いありませんので、ドーキンスやニーチェのように無神論者ではなかったことは確かです。
 いずれにせよスピノザが考える神は一つの神、一つの自然だったことには違いありません。しかし、汎神論にせよ理神論にせよ、人格神ではありませんので、ユダヤ教から破門されます。オランダが自由な国だということは先述しましたが、不幸にも政治的な経緯から発禁処分になってしまったのです*4。

数学の教養

 ビエール=フランソワ・モローはスピノザの教養を分析した上で、自然科学や数学の教養についてこう述べています。
 彼は(中略)同時代の科学にはかなり通じており、その足取りや成果について考察したというわけである。
 として、数学的な教養はあったと結論づけています。
 しかし、僕はこれに疑問を持っています。『エチカ』は文体こそ数学書の体裁を取っていますが、証明はいくつか飛躍した箇所が見られたのを覚えています。したがって科学的知識はあったとしても、数学の証明については余りなかったのではないでしょうか。

いくつかの論争

 スピノザにはいくつかの観点で論争になっています。有名なのは神学関係ですが、他にも政治的な思想をどう捉えるかが問題となっています。

汎神論か理神論か

 スピノザは『エチカ』で「神即自然(deus sive natur)」という思想を述べています。ここから僕は最初汎神論かと思ったんです。自然=神が世界を内包しているというイメージで考えていました。こちらの方が日本人には馴染み深いと思うんですよね。
 実はスピノザが理神論か汎神論かという話にはあまり興味がありません。むしろスピノザの議論に触れて「神」について色んな見方があるのだと考えるきっかけを作りたいのです。ちなみにどのように神を定義するかだけだと思ってるんですよね。スピノザは原因の原因の原因の……と無限に遡っていったときに行き着く先を神と定義しているんです。根本原因、あるいは全ての始まりという意味で神を使っています。
 もちろん対立の原因は「神」の概念だけはありません。原罪と倫理観をスピノザは切り離したことにもよるのでしょう。ですが少なくとも「神」の概念をめぐる対立は定義の、つまりなにをどう呼ぶかの違いだと思うんです。

国家について

 スピノザは自然状態を考えていますが、ここでも彼独自の神概念が登場します。自然権を「自然の諸法則」や「自然の力そのものと解する」と表現しています*5。
 またスピノザは自然状態をこう表現しています。「若し人間が専ら理性の命令のみに依って生活しそれ以外のことは求めないという風に人間の本性が出来ているとしたら、人類に固有なものと見られる限りに於ての自然権は、理性に依ってのみ決定されたであろう」*6で示したように理性を重んじています。ここは『知性改善論』にも通じる主張なのですが、
 然し人間は理性は理性に依ってよりも盲目的慾望に依って導か*7れることが多く、従って人間の自然力即ち自然権は理性に依ってではなく却って人間を行動へ駆り且つ自己保存へ努力せしめるところの各の衝動に依ってのみ規定されなければならぬ。
 これは自然権を各人が行使し始めると、欲望のままに行動してしまうという意味です。この行はホッブズの『リヴァイアサン』*9と重なりますが、ホッブスは権利を抑えるために国家を作るという考えです。しかし、スピノザは自然権を整理し、各人が最大限に発揮できるように国家があるのだという考えです。
 これはオランダの自由な風土がそういう発想にさせたのかもしれません。

スピノザについて

 僕は宗教心がなく、スピノザの理神論/汎神論の主張は理解できても、問題にしてる理由は解りませんでした。
 僕の関心事はこの形而上学的なところにあります。形而上学的なものとは、形あるものを超えた何かです。こう書くと、オカルトのように聞こえますが、数学も形がないものですし、物理法則そのものも形がないものです。そして形而上学的なものとこの<僕>、自意識一般ではなく、この<僕>との関係を探りたいのです。
 今後、僕がスピノザを解釈するとしたら、一つの法則性のもとで縛られている<僕>について注目することになるかと思います。
*1 もちろんスピノザの方法は演繹を用いているという点で科学的ではない。
*2 http://www.sotokoto.net/jp/essay/?id=74 なお、確かレーウェンフックも本職でレンズを磨いていたという記憶があったが、勘違いか?
*3 スピノザ『エチカ』には「神は自然である」という言葉が出てくる。
*4 吉田量彦「解説」(スピノザ『神学・政治論』光文社参照)
*5 スピノザ『国家論』(岩波書店)
*6 同文献
*7 スピノザ『知性改善論』(岩波書店)
*8 ホッブス『市民論』(京都大学出版局)、ホッブス『リヴァイアサン』(岩波書店)

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バールーフ・デ・スピノザ『知性改善論』(岩波書店)

知性改善論 (岩波文庫)

本書の概要

 学生時代に読んで、挫折した本です。今回、読書会で『神学・政治論』を扱うことになり、ついでに再挑戦しました。
 スピノザの最初期の著作ですが、結局は刊行されず遺稿になります。人間の幸福とは何か自信の経験から考えた著作です。「スピノザの言う」神と一体化することでそれが成し遂げられるとして、人間の考え方を改善しようという意気込みが見られます。
 「スピノザの言う」神、と断りましたが、スピノザの世界観は特殊です。主著の『エチカ』でその世界観を解説していますが、理性によって捉えられる法則性こそが神だとされているのです。つまりスピノザの言う神は人格神ではなく、世界そのもの、自然そのもの、そして法則そのものなんですね。
 法則性と書いて、スピノザは特に物理学を引き合いに出していますが、社会学や経済法則などでも同じことだと思っています。と言って僕も専門家ではないので、あまり確かなことは言えないのですが、ともあれ僕なりに『知性改善論』を読んでいこうと思います。

善について考えるきっかけ

 スピノザは善について考えるきっかけとなったできごとについてこう書いています。
 私にとって恐れの原因でもあり対象であったもののすべてが、それ自体では善でも悪でもなくとただ心がそれによって動かされた限りにおいてのみ善あるいは悪を含むことを知った
 この「恐れの対象」は恐らく、宗教観が違ってスピノザ自信が迫害された経験が契機だと思うんですよ。スピノザはかなり独特な宗教観の持ち主で、ユダヤ人コミュニティからも追い出されています*1。それか原因かは解りませんが、アムステルダムからハーグに移住します。
 スピノザの『神学・政治論』は旧約聖書の精読を通して、道徳と理性を切り離し、そこから表現の自由を訴えるという内容です。ここで重要なのは理性による演繹で倫理を導くという方法です。理性は誰にでも備わっていると当時の知識人は考えていました。僕はそう思いませんが。
 したがって上で引用した部分は宗教心、あるいは個人の利害関係にとらわれた善だと解釈できるのです。実際、スピノザの生きた時代は様々な派閥が政治的に対立していました*3。それでその利害関係などを超えて、善を探ろうという試みだったのです。スピノザ自信は、快楽、富、名誉の三つを例示しています。
 これをスピノザは「われわれのあずかり得る真の善で、他のすべてを捨ててただそれによってのみ心が動かされるような或るものが存在しないかどうか」と、まとめています。
 下記の文章もこの試みを示すものでしょう。
 善いとか悪いとかははなはだ相対的にのみ言われるのであり、従って同一事物でも異なった関係に応じては善いとも悪いとも呼ばれ得るということである。これは完全だとか不完全だとかいうことと同様である。実際、どんなものも、その本性において見れば、完全だとも不完全だとも言えないであろう。特に、生起する一切のものは永遠の秩序に従い、一定の自然法則に由って生起することをわれわれが知るであろう後は。
 ここは相対主義と思われるかもしれませんが、スピノザは知性・理性によって善を把握しようと訴えている箇所だと思います。
 ちなみにここには「永遠の秩序」、「一定の自然法則」と述べられていますが、これこそが神だとスピノザは考えています。『エチカ』では神を「永遠無限の本質を表現する無限に多くの属性から成る実体」*3と定義していますが、原因の原因の原因の……という無限につならったものこそを神が神だと考えているのです。

知覚の四形式について

 さて具体的な認識論を見ていきましょう。認識論とは文字通り人間はどうやったら確実な知識を得られるのか考える哲学の研究テーマなのですが、この時代の認識論は二つに分かれていました。
 一つは経験論。これは経験でしか物事を認識できない、という考えでイギリスで主流となります。例えばジョン・ロック、ジョージ・バークリー、デイビッド・ヒュームなんかが挙げられます。ちなみに僕もこの経験論の立場を取っています。
 もう一つは、大陸合理論。人によって経験は違うし、遠くから見た風景と知覚から見た風景は違うから当てにならない、とイギリス経験論に反対します。デカルト、ライプニッツなどですが、僕は数学者である側面も大きいかと思っています*4。彼らは確実に真理だと誰もが認めるものに基づいて論証を進めていきます。スピノザもこの系譜に位置します。
聞き覚え:スピノザが挙げている1つは聞き覚え、つまり見聞きしている事実です。例えば自分の誕生日、自分の名前です。
漠然たる事実:今までがそうだったから、という理由で予測するものです。
 例えば火に油を注ぐと激しく燃えること、水で消えること、犬は吠えること、自分は死ぬこと……などが挙げられています。
他の事物から結論されること:目の錯覚などが挙げられています。
数学的事実:4つ目は数学的概念です。たとえば2+3=5や、ユークリッド幾何学において二つの直線が平行ならば交わらないということです。

各種認識方法の限界について

 漠然たる事実は「吟味する必要がある」としながらも、「不確実であって決定的ではない」ということがしばらくおき、このような〔有沢注:経験の〕様式では、人は事物に関してその偶有性しか知覚出来ない」として退けています。
 第三の経験をもとに総合する方法は「誤謬の危険なしに結論を下し得るともいえる」と一定の評価はしているものの、「完全性を獲得する手段ではありえない」としています。
 最後の数学的方法に関して言えば「事物を完全に把握し、且つ誤謬の危険がない」と考えています。スピノザがエチカで定義から演繹した理由もこの信念が現れています。

僕はやっぱり経験主義です

 でも僕は二つの理由で経験主義の立場です。実際に経験してみてこそ解る苦労があること。例えば同人誌のコピー本でページ番号をどのように振れば製本時に上手くいくのか。プログラムで意外なところでバグが発生したりと僕はけっこう試行錯誤の経験から学び取ることが多いんです。上の例は単純に僕がバカなだけかもしれませんが。
 数学的認識さえも経験的認識だと考えています。ものを数える経験がなければ数とは何かを考えることができません。また分数を理解するのにコップを持ち出して、半分、3分の1という経験を積まなければ、分数について理解することはできません。
 幾何だって同じ。図形遊びをしていた経験で形の把握ができるのです。形の把握ができないのにそれから推論することは不可能でしょう?
 さらに僕は自分の死にすら懐疑的。理由は簡単。自分が死んだ経験がないからです。
 

*1 吉田量彦「解説」(スピノザ『神学・政治論』光文社)
*2 同上
*3 スピノザ『エチカ』(岩波書店)
*4 ライプニッツは微積分の発見者など数々の数学的業績を残しているし、デカルトも直交座標の発案など数学的な業績もある。

合わせて読みたい

  • バールーフ・デ・スピノザ『エチカ』(岩波書店)
  • >バールーフ・デ・スピノザ『神学・政治論』(光文社)
  • ジョン・ロック『人間知性論』(岩波書店)


  • バールーフ・デ・スピノザ『神学・政治論』(光文社)

    神学・政治論(上) (光文社古典新訳文庫)

    スピノザについて

     スピノザは一時期、無神論者と考えられていた時期がありました。僕は『エチカ』*1『国家論』『デカルトの哲学原理』を読んで、本を閉じました。『エチカ』を読んだときの感想は「これって無神論か?」と疑問を持った程度です。だって神って定義されていて、自然であるという結論だということは理解できましたので。
     神は自然である。この結論が余り解らないまま読んでいたので、素朴なアニミズムかと思っていました。しかし『神学・政治論』の解説を読んでその誤解が解けました。無神論者とされた理由は神をどう捉えるかという問題だと思います。
     確かに人格神は否定していますが、自然法則こそ神である、という立場を取っています。「スピノザにとっての自然とは、同じ法則に隅々まで支配された(中略)ただ一つの世界」*2です。この自然法則こそ神であるという世界観から導き出される結論は必然的に、新訳・旧約に描かれている奇跡の否定です。これが当時のキリスト教会の怒りを買って、もろもろの事情も重なって、『神学・政治論』は発禁処分になり、ついには古本屋からも回収されることになったのです。

    史料批判の嚆矢

     ただこのスピノザの切り口が面白い。古代イスラエルの預言者による記録の寄せ集めが旧約聖書なのですが、テクストの綿密な読解、古代イスラエルの生活がどうだったのかを調べて検討していくのです。
     また、古文書は弟子たちが手書きで複写していきました。そしてその中で誤記や一語くらいの洒脱が見られる場合があります。これの複写されたものとを異本と言うのですが、原本が失われたには異本同士を付きあわせて、原本の内容を推察しなければいけません。
     また原本自信も作者の記憶が曖昧だったり、著者の死後に弟子が引き継いだ*3、など、様々な事情で信憑性が薄い場合があります。ただそのテクスト全体を無視してしまうのは乱暴すぎます。そこで、このような場合にはどの部分が確実に信頼できるのか見定めなければいけません。そして底本を作ることこそが、現代の文献学の一つの仕事なのです。 本格的に史料批判が始まるのは約100年後のランケを待たなければ待たなければいけません*4。
     なお、スコラ哲学においてウィキペディアによると下記の方法がなされていました。
    スコラ学の方法においては、まず聖書などの、著名な学者の記したテキストが題材として選ばれる。テキストを丹念に、かつ批判的に読むことによって学習者はまず著者の理論を修得する。次にテキストと関連のある文献を参照する(たとえば聖書についていえば古代から同時代にかけての公会議文書集、教皇書簡など)。一連の作業によって、それらのテキストのあいだにある不調和点や論議の点が抜き出される。たとえば聖書についていえば、古代から同時代にかけての学者たちによって書かれた文書と聖書の間の矛盾点、論点がすべてあげられ、多方面から偏見なしに考察をおこなう。
     スピノザの聖書解釈の方法とスコラ哲学の方法とどこが違うのか、浅学にして解りません。
     しかし、まさにスピノザは旧約聖書の記述で「どの部分が確実に言えること」なのか、ということを明らかにしています。旧約聖書の奇跡は前後や同時代の文献を読めば、合理的に説明ができると証明したのです。この辺り僕は旧約聖書の教養がなく、解りにくいのですが……。

    スピノザが最終的に証明したかったもの

     スピノザは最終的に『神学・政治論』で聖書解釈をしたかったのでしょうか。当時、教会は奇跡の権威で民衆を支配していました。神は超自然的な力を持っているからキリスト教に逆らってはいけない。という具合に。
     実際、聖書の権威に訴えた方が民衆は支配しやすいのは言うまでもありません。しかしスピノザはその「超自然的な力」ではなしに「理性による演繹」で国家権力の正統性を考えたのです。

    再び旧約聖書へ

     旧約聖書の教養がないので正確には読み解けませんでした。しかしスピノザは旧約聖書の預言者の言葉を付きあわせていくうち、共通点を見出すんです。例えば「殺すなかれ」などがそれにあたります。
     これは民衆のために解りやすく説かれたもので、ある種の道徳を伝えています。しかしそれは道徳止まりだと指摘しています。つまり「これで残るは信仰あるいは、哲学の間には、なんの交流関係も類縁関係もないことを示すだけになった」と。
     僕はこれについて重なり合う部分とそうでない部分があると思います。例えばやや時代は下るのですがカントの『道徳形而上学原論』は重なり合う部分ですし、「カルネアデスの舟板」などは道徳と哲学が入り交じる点です。
     しかし、スピノザはなぜ道徳と哲学を切り離す必要があったのか考えてみる必要がありそうです。当時の時代の空気として
     また宗教問題を装って紛争があおり立てられることもあるが、こういう紛争が生じる原因もはっきりしている。それは(中略)ただの意見にすぎないものを、まるで悪事のように犯罪扱いして断罪するからなのだ。
     こういう考えがあったからこそ、宗教(道徳)と理性を切り離したのです。

    国家観

     スピノザの国家観は端的に言い表されています。
     国というものの究極の目的は、ひとを支配することでもなければ、人々を恐れによって縛りつけ、他人の権利の下におくことでもない。むしろ反対に、国は彼らを恐れから解放するためにある。一人一人の人間ができる限り安全に暮らせるように(中略)自分自身や他人に害を及ぼさない限りで確保する。それが国というものなのだ。
     スピノザの問題意識──そしてこれは同時代のジョン・ロック*5、ホッブズ*6につながってきます。

    ロック、ホップス、ルソーそして、スピノザ

     しかし、二人とスピノザの違いは「彼は行動を含まない(中略)意見」を反逆的ではないとしながらも、下記のように考えています。「国家体制が何らかの事情で腐敗していればこの限りではない」と。これは実に先駆的な考えでした。ルソーが『社会契約論』で革命権を説く、実に80年前の考えなのですから。
    神学・政治論(下) (光文社古典新訳文庫) もう一つの違いは、この著作ではないのですが、国家の構想をかなり具体的なところまで考えていたことにあります*7。本書では国家の役割に言及するだけにとどまっていますが。
     どうしてこの頃、国家に関する言説が増えていったのかは解りません。しかし哲学の関心が自我に移ってきたという点があると思うんですよ。デカルト『省察』にしろ、セルバンテス『ドン・キホーテ』にしろ自我をめぐる話です。オルテガ・イ・ガセットは『ライプニッツ哲学序説』でユークリッドとライプニッツの演繹法を比較して、ライプニッツの方法には自我という観点が現れていると述べています。
     十字軍の敗北で恐らく以前よりは教会の権力が弱くなったことが原因なのではと思います。

    *1 スピノザ『エチカ』(岩波書店)
    *2 吉田量彦「解説」スピノザ『神学・政治論(下)』(光文社)
    *3 例えば源氏物語は複数著者によって書かれたという説がある。
    *4 スピノザの試みがテクストクリティークと呼べるものなのかどうかは浅学にして解らない。
    *5 ジョン・ロック『市民政府論』は1690年に発表されている。
    *6 ホッブズ『リヴァイアサン』は1651年に発表されている
    *7 スピノザ『国家論』(岩波書店)



    大塚英志『キャラクター小説の作り方』(講談社)

    キャラクター小説の作り方

    僕がこの本を読んだ理由

     僕は趣味で小説を書いているのですが、なんか昔から人物の作り込みが弱いんです。それを克服しなければいけないと思い、買いました。『キャラクター小説の作り方』という割には余りキャラクター作りについて触れられていないのが残念でしたが、参考になる部分はありました。
     ただキャラクター小説というよりは「私」小説の書き方というタイトルの方がしっくり来るんですが、このタイトルだと売れない、と判断したんでしょうか。文体こそ「ですます体」で書かれていて、読みにくいですが、それを除けば小説作法というよりは文芸批評です。ただし偏っていることは否めませんが。

    僕の課題

     上に参考になる部分があったと書きました。それは例えばどういうところなんでしょう?

    パターン

     キャラクターとはパターンの組み合わせだと大塚英志は指摘します。手塚治虫の画風について語った著作を題材に取り、身長やリアルさなどの項目に分けて「オリジナリティ」について言及した上で下記のように語っています。
     こういった手塚の、キャラクターとはパターンの組み合わせである、という考え方は「画風」という絵の水準に留まりません。キャラクターそのものの特性さえ、手塚はパターンの組み合わせだと考えていたように思います
     とした上で3つの水準があるとしています。
    1.キャラクターの基本形を決定するパターン
    2.髪型・服装・小道具などでキャラクターの性格付けを具体化するパターン
    3.キャラクターを演技させるときのパターン
     例えば、富豪ならスーツで、ワインを飲んでいて、貧しい人ならユニクロの服で若葉やゴールデンバットを吸っていて、カップ酒を飲んでいる、という類の話です。このスーツ、ワインなどで表されるキャラクターの性格を記号といいます*1。でも大塚英志の方法論だと確かに「キャラクター」の特徴、同じ時刻、どんな職業で、何を持って行って、何を飲んでいたかは決まります。
     しかし、どのような生い立ちでそのような職業になっていったのかは大塚英志の方法では決まりません*2。僕が精神分析に強い関心を示しているせいかもしれませんが、どのような経緯でそのようなキャラクターになったのかを決めないと魅力あるキャラクターは生まれないと思います。自戒を込めて。

    データベース

     大塚英志は「物語は組み合わせである」と述べています。これは大塚英志の代表作『物語消費論』*3に詳しく出てきますので、そちらを参照してください。
     それで、僕の最大の問題は、人物のデータベースが圧倒的に少なかったことにありました。人物のデータベースを増やすにはどうしたらいいのか、と考えた結果、二つの方法が浮かびました。
    1.人と積極的に話すこと
    2.自伝、あるいは評伝、あるいはルポルタージュを読むこと。
     この二つが圧倒的に不足していました。具体的な対策としては読書会やオフ会への参加などを検討しています。あるいは評伝やプライベートな資料を読むこと。

    文芸評論としての問題

     田山花袋の「布団」を俎上に載せ、近代によって「私」が見直されたと指摘しています。これについて僕は異論があるのですが、問題点はそこではありません*4。大塚英志のオリジナルの考えであるかのように書かれていますが、柄谷行人『日本近代文学の起源』*5にあるのです。
     いくらデータベースを持ちだしたとしても、これは剽窃。

    私小説批判

     もう一つの問題は私小説の呪縛をものすごく大雑把な枠組みとしてしか捉えていないことです。
     この〔ルパン三世のような小説を書きたかったという〕新井素子さんの試みは、実は日本文学市場画期的なことだったのです。誰もが現実のような小説を書くことが当たり前だと思っていたのに、彼女はアニメのような小説を書こうとしたのです。だから大袈裟に言ってしまえば、彼女は自然主義リアリズムという近代小説の約束事の外側にあっさりと足を踏み出した人だったのです。

     ともあれ、ひとまずこの大塚英志のテクストだけに目を向けてみましょう。この文章は後の江戸川乱歩について言及した一文とも矛盾します。
     かつて自分たちのジャンルは写生文的なリアリズムに基づかないと言い切ったのは、日本の探偵小説の祖とも言える江戸川乱歩ですが(後略)
     だとすれば、「近代小説の約束事の外側にあっさりと足を踏み出した人」は江戸川乱歩だということになります*5。
     また近代リアリズム小説の約束事を無視する試みは戦前にもすでに行なわれていました。泉鏡花がその代表例ですが、稲垣足穂、芥川龍之介の河童、そして漱石でさえも「夢十夜」「吾輩は猫である」など現実のような小説を乗り越える試みが行なわれてきました。
     もちろんこの小説は現実を描写するべきである、という考えは今でもあります。だからこそリアリティの問題が取り沙汰されるのでしょう。その意味では大塚英志の文章は嘘とはいえません。嘘とは言えないのですが、大雑把すぎて、誤解を招く可能性があります。


    *1 この記号について論じたのがウンベルト・エーコである。しかし僕は記号というと「A⇒B」などの論理学を思い浮かべる。むしろ属性、あるいはプロパティといった方がしっくりとくるが、キャラの属性というとまた誤解を招きかねない。
    *2 このキャラクターの記号化については、現代文学、例えば村上春樹などにおいて特徴的である。
    *3 大塚英志『底本 物語消費論』(角川書店)
    *4 例えばマルクス・アウレリウス『自省録』、アウグスティヌス『告白』など、自伝は近代以前でも見られる。
    *5 この探偵小説の祖という言い方にも違和感を覚える。谷崎潤一郎の「途上」、横溝正史の「恐ろしき四月馬鹿」などがあるからである



    夏目漱石『私の個人主義』(講談社)

    私の個人主義 (講談社学術文庫)

    漱石による講演

     僕は文学系の学部を卒業してまして、『三四郎』はゼミ合宿の課題本でした。『それから』『門』『行人』などを読みましたが、漱石作品は今ひとつ面白くありませんでした。そしてその評価は今も変わりません。しかし今、書いている作品に漱石の作品名をちらっと出す予定ですから、僕の意図する文脈で漱石の名前を使っているかどうかを確かめるためにサブテキストとして読んだ次第。そもそも作家の生い立ち、私的な話は余り興味はありません*1。
     しかし読む価値は充分にありました。この講演は現代にも通じるし、何より面白い。現代にも通じると紹介すると、さも漱石に先見の明があり、ともすれば大預言者みたいに思われるかもしれません。例えばドストエフスキーなんかは現代の預言者と評されることもあるらしいのですが、ドストエフスキーにせよ、漱石にせよ、死ぬほど苦労しているにすぎません。
     文字通りドストエフスキーはシベリアで死刑寸前になりながらも特赦で助かりますし、漱石も神経衰弱になるという精神的な死を体験しています。僕は一個人を神格化・信奉することは極めて危険だと思っています。たとえそれがどんなに先見の明がある哲学者、思想家であったとしてもです。

    自分本位とは

     漱石は自分の文学観についてこう語っています。
     この時私は始めて文学とはどんなものであるか、その概念を根本的に自分で作り上げるより外に、私を救う途はないのだと悟ったのです。今までを全く他人本位で、根のない萍のようにそこいらをでたらめに漂っていたからだめであったとようやく気が付いたのです。
     ここで他人本位はただただ人のために書くのではなく、「自分の酒を人に飲んで貰って、後からその品評を聴いて、それを理が非でもそうだとしてしまういわゆる人真似」です。自分の頭で考えずに、他人に考えてもらうことを指します。

    当時の時代背景

     御存知の通り、漱石はイギリスに留学していたのですが、国費で英語を勉強するためでした。英文学ではなく、英語教育法を学ぶためです。このころ鴎外はドイツに医学を勉強するため国費で留学していました。決して女といちゃいちゃするためではありません。
     また当時の漱石が受けた教育というのが、冠詞の些細な問題だったり、「ウォーズウォースは何年に生まれて何年に死んだのかとか」いう英文学から見れば程遠いもの。また当時、英文学に関する資料も乏しかったこともあり、図書館に行ってもまともな資料が置いてなかったのです。
     つまり日本国全体が言ってみれば「何をして好いか見当も付かない」状態だったのです。しかも漱石の一世代なら大学卒はもう本当に引く手あまただったのですが、漱石の頃は『それから』*2にも現れてくるように職にあぶれてくる若者が出てきました。今でいうニートとかポスドク問題がもうすでに現れていたのです。この辺りについては、「私の個人主義」よりも「道楽と職業」という講演に現れていますが。
     漱石自信もニートではなかったにせよ、「あやふやな態度で(中略)教師にさせられた」と述懐しています。その結果、漱石は「私は私の手にただ一本の錐さえあればどこか一ヵ所突き破ってみせるのだがと、焦燥り抜いていたのですが、その錐は人から与えられることもなく、また自分で発見するわけにも行かず、ただ腹の底でこの先自分はどうなるだろうと思って、人知れず陰鬱な日を送った」とあります。

    自意識という問題

     この漱石の悩みは一言で片付けてしまうのは気が引けるんですが、自意識だと思います。この自意識の悩みは『三四郎』『行人』『彼岸過迄』などいくつかのテクストに現れてます*3。この漱石が抱えた自意識という悩みは人間の精神がある程度、自由になった時に現われるものです。
     江戸時代までは身分制度で、明治になってもしばらくは国を作るため必然的に目的が決まっていました。つまりそれまで一心不乱に働かなくてはならなかったのですが、国が安定するとその必要もなくなった。さて何を考えていいのかはもちろん、どう考えたいいのかも解らない。これが漱石の抱えていた悩みだと思うんです。
     その前、あるいは漱石の時代も国が優先だったのかもしれませんが、ともかく、国が一番だという考えについて、漱石はこう評しています。
     何だか個人主義というと、国家主義の反対で、それを打ち壊すように取られますがそうではないのです。(中略)ある人は今の日本をどうしても国家主義でなければならないといい振らしまたそう考えています。しかも個人主義なるものを蹂躙しなければ国家が滅びるような事を唱道するものも少なくはありません。けれどもそんな馬鹿気たはずは決してありようがないのです。
     ちなみにこのころ、『こころ』*4でも描かれているように、日露戦争がありました。つまり日本が西洋列強に肩を並べようとしていたころなんです。だからこそ、借り物の社会だと感じていたのかもしれません。つまりイギリス人の内面はこういうものではなく、自分の鉱脈を自分なりに掘り当ている、と。
     これは僕なりに解釈しますと、自分で何でもいいから問題意識、例えば文学ジャンル上の、でもいいですし、人生という大きな悩みでも、恋の悩みというほんの些細な一場面でもいいので、真剣に考えることが重要だという風に解釈しました。
     ちなみに僕の問題意識は異常/正常の境界、常識/非常識の境界、ものの見方の違い、そして最終的には自分とは何者かです。

    借り物の考え

     上述のように自分が悩んで答えを出さない人を批判しています。これは人だけでなく、日本人の風土も同様だと考えている節があります。
     近頃流行るベルグソンでもオイケンでもみんな向うの人がいいというので日本人もその尻馬に乗って騒ぐのです。ましてその頃は西洋人のいうことだといえば何でもかでも盲従して威張ったものです。
     ベルグソンは小林秀雄が確か書いてましたね。確かに比喩の使い方などは美しいと思いますが、純粋持続が納得できない。意識は不可逆的であるというのが主な主張だと思うんですが、過去を思い浮かべたり、未来を思い浮かべたりとかできますよね。この辺りはフロイトの影響が強いと思うんですが、現にこうやって漱石からベルクソン、小林秀雄、フロイトというふうにまるで自由連想法のように可逆的な意識が働いてますし。
     日本の歴史を紐解いてみると、明治だけではなく、海外文化を影響を受けやすい国民性です。例えば古くは百済との貿易、遣隋使、遣唐使。大事なのは、国風文化が平安時代になってようやく誕生したことです。漱石がその辺りの文脈をどう捉えているのか、講演では触れられていないので、知るよしもありませんが。

    再び近代について

     漱石は近代的自我について描いた作家と考えて間違いなさそうです。おまけに僕の問題意識を解く上で一つの示唆を与えそうです。ですが、どうも日本文学はスケールが小さくて苦手。
     ちなみに漱石作品はコミカルな語り口の前期作品が好きです。特に『坊ちゃん』はライトノベルみたいでした。他にも『夢十夜』などのシュールリアリスティックな作品も大好き。

    *1 もちろんアウグスティヌスなどは除く。
    *2 夏目漱石『それから』(岩波書店)
    *3 夏目漱石『三四郎』(新潮社)、夏目漱石『行人』(新潮社)、夏目漱石『彼岸過迄』(新潮社)
    *4 夏目漱石『こころ』(新潮社)。なお乃木大将の話が出てくる。



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