有沢翔治のlivedoorブログ

 wikipediaや「解説」に書いてあることをそのまま書いても余り意味がない、を信念に書評もどきを書いています。大事なのは自分がどう思ったのか。そしてそれはどうしてか?

 同人ゲームシナリオやボイスドラマの脚本を書いています。過去には、
ゲームシナリオ
天地争像伝奇
ましろいろ
白い焔
怪奇探索少年隊
こころのかけら
戯曲
『めぐる季節の中で』より「ラブラブパニック」他(企業依頼
ハシを直す(有償依頼)
視線を感じて
 などを作ってきました。
 また文芸同人誌『TEN』に作品を発表。ご依頼、ご注文はholmes_jijo@hotmail.comまで。基本無償でお引き受けします。

エラリイ・クイーン『ガラスの村』(早川書房)

ガラスの村 (ハヤカワ・ミステリ文庫 2-8)

あらすじ

 わずか三十六人の寒村、〈シンの辻〉で起きた殺人事件。しかも殺されたのは村の絵を描いて売上を村に寄付している画家、ファニー・アダムスだった。たまたま通りがかった浮浪者で移民のコワルチックが容疑者として浮上する。
 彼は金を盗んだことは認めたものの、殺人は否認した。そればかりか、窃盗罪を見逃す代わりに薪割りを頼まれたと供述した。独立記念日の七月である。冬ならいざしらず、真夏にそんなことを頼むとは考えにくい。疑いながらもシン判事たちは納屋を調べる。しかし、そこには作ったはずの薪はなかった。
 村民が集団ヒステリーにかかったようにコワルチックの死刑を訴えるが……。民主主義とは何か、閉鎖的な村で起こる殺人事件を通して訴えた作品。

エラリイ・クイーンの隠れた名作

 高校生の頃、一度読んだきりで放置してましたが、そのころは『エジプト十字架の秘密』、『オランダ靴の秘密』、『ギリシャ棺の秘密』の方が面白いと感じていました。しかし再読してみて、面白いと感じました。隠れた傑作だと。
 というのも民主主義の問題を暴いているんですよ。本格推理小説の骨格を活かしながら。どういうことかというと、陪審員はほとんどが全員、移民のコワルチックが犯人だと決めつけているんです。もちろん、状況的にはかなり不利な立場ですが、出てくるところを見たという目撃証言だけです。アメリカ独立記念日の翌日というのはコワルチックに不利な状況を作るためだけではありません。民主主義を祝う翌日に魔女裁判のような事件が起きたという皮肉を現しているのです。
 この村民たちはこういった状況証拠にも増して、コワルチックがポーランド移民だという偏見に基いて犯人だと決めているのです。この作品が発表された1954年には、すでにポーランド人民共和国という社会主義国家でした。
 その時代背景は以下の会話からも窺えます。
「こいつ〔=コワルチック〕はアカのスパイだぜ」トミー・ヒーマスがにやりと笑った。
「彼は何といっているんですか? ええ、シンさん」ジョエル・ハケットが尋ねた。
「どうやら」とジョニーは、「祈っているらしい」
「それじゃ彼はアカじゃない」エディー・バングマンは、「やつらは祈りはやらないんだ」
「そうだ」デイブ・ヒーマスが、「共産主義者のやつらは神を信じないんだ」
「信じるやつもいるぞ」ドレイクリー・スコットが不意に口をだして、「ロシアには教会があるんだぜ」
(中略)
「あれはアカの宣伝だぞ」
 このやりとりから解説でも指摘しているように、マッカーシズムの影響が見られることは間違いありません。またこの作品の批判はマッカーシズムだけではありません。ジョニー・シンは第二次大戦と朝鮮戦争で大量死を経験し、それが原因で厭世的になってしまったというキャラクター造形です。

ガラスの村

 さて、このガラスの村というタイトルについて。もちろんこのガラスの村はシンの辻の透明性がある経済状況の比喩でしょう。しかしこのタイトルに相反して、裁判の方法は極めて不透明です。いくら公平な裁判を行うためだとはいえ、弁護士、検察、裁判長、そして陪審員の一人が結託しているんですから。
 また不透明といえば、結論ありきの魔女裁判も不透明であるように感じました。

広島の原爆投下についても

 エラリイ・クイーンは広島の原爆投下についてジョニー・シンの口を通して語っています。「地獄とはまさにこのことです。(中略)ダンテの神曲に出てくるどの場面も、この地獄から百万マイルもほど遠いものです」とす。
 この辺りは、多分エラリイ・クイーンが親日家だったということもあるのでしょう。現に『ニッポン樫鳥の謎』*1という作品を書いていて、そこには親日らしい記述もあります。この原題が「Japanese Fan Mystery」だったという証拠はないのですが、作品に日本の文化を取り入れていることからも解るように親日家です*2。

クイーンが登場しない理由

 この作品には探偵エラリイ・クイーンが登場しません。なぜ探偵エラリイ・クイーンではなくジョニー・シンという探偵にしたかというと、探偵エラリイ・クイーンの人物設定はあまりにもこの問題を語るには不釣り合いだからです。
 もう一つにはジョニー・シンの戦争体験というバックグラウンドが欲しかったというのもあるかもしれません。しかし、それはサブキャラにすればいいことです。
 探偵エラリイ・クイーンは理知的な探偵で、人間味に欠けます。特に『ローマ帽子の謎』*3などの初期作品については、現場を遊園地か何かと勘違いしている節があります。したがってこのような社会性が強い作品に登場させると、浮いてしまうんです。
 「人間とはリズムもなければ理性もない混沌だ。彼はこの微妙に平衡のとれた世の中にあって、暴れ、自己分裂を起こして、自らを破滅させるにすぎない狂った野獣にすぎないのだ」という独白も理性信奉主義の探偵エラリイ・クイーンではなく、退役軍人のジョニーシンという人物が行なうことで初めて意味を持つものだと思うんですよね。

*1 エラリー・クイーン『ニッポン樫鳥の謎』(東京創元社)。
*2 他にも親日家だと示す証拠として二点が挙げられる。エラリー・クイーンは日本の作品を英訳して、アメリカに紹介していること、1977年に来日していることである。
*3 エラリイ・クイーン『ローマ帽子の秘密』(早川書房)



ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ『ワーグナーとニーチェ』(白水社)

ワーグナーとニーチェ

 ニーチェは若かりし頃、音楽家を目指して、13歳〜20歳まで作曲していた。例えば1871年に書かれた「断片自体」。

 これは若かった頃にありがちな一時的な興味ではない。音楽はニーチェの思想において重視されることとなる。特に処女論文『悲劇の誕生』においてワーグナーを絶賛。当時はワーグナーを心酔していた。その後も『バイロイトにおけるリヒャルト・ワーグナー』などの論文を次々と書いている。
 ワーグナーとニーチェは家族ぐるみで親交があったものの、やがて決別。この著作はワーグナーとニーチェの出会い、そして決別の記録である。

はじめに

 ニーチェの研究書として引用されていたので、興味を持って読みました。フィッシャー=ディースカウは声楽家で、関心事はニーチェの作曲活動とワーグナーとの関係について研究しています。こういう研究の目的が最初に書いてあると解りやすい。
 ニーチェの創作活動の一面である作曲については、これまで彼の読者に特に意識されることはほとんどなかったが(中略)この哲学者の作曲家としての野望と密接に関係があると考えている。
 しかし、フィッシャー=ディースカウ自身はニーチェというよりもワーグナーに向いているように感じました。ワーグナーの誕生と最期は書かれているのに、ニーチェについては書かれていないからです。
 また訳注でも指摘されていますが、フィッシャー=ディースカウ自身の勘違いが多く見られます。
『悲劇の誕生』におけるワーグナー評価 『悲劇の誕生』*1はギリシャ悲劇の研究書。アイスキュロス、エウリピデス、ソフォクレスのうち、エウリピデスが悲劇を終わらせ、知識を重視する「悲劇」を書いたと言う主張がなされています。
 まずニーチェは情動と理性に分けて、情動をディオニソス、理性をアポロンに象徴させています。そしてエウリピデス以前は情動と理性を描いていました。そして合唱部(つまり音楽)に感情、情動が現れ、脚本部に理性が表れていると考えたのです。
われわれはギリシア悲劇を、たえず新たにアポロ的形象世界において爆発するディオニュソス的合唱として理解しなければならない。だから、悲劇にいくつもに分けられて編みこまれている合唱の部分こそ、いわゆる対話全体のいわば母胎なのだ。ということは、合唱部こそ、舞台の世界全体の母胎であり、本来の劇の母胎なのだ。
 しかしニーチェいわくエウリピデスの演劇では、劇の結末を神に語らせています。この物語の結末を知る〈語り手〉の登場によって、ギリシャ悲劇は崩壊したと指摘しています。そしてその「知る」という行為を重視する姿勢はソクラテスに受け継がれている、と考えているのです。
ドイツ精神のディオニュソス的根底から、一つの勢力が立ちあらわれてきたのだ。それはソクラテス的文化の根本条件とはなんの共通点もない勢力だ。そういう根本条件からは説明もできなければ弁護もできない勢力、むしろソクラテス的文化からは、恐ろしいくらい不可解なもの、威たけだかに敵意を持ったものと感ぜられるような勢力が頭をもたげてきている。つまりドイツ音楽、とりわけバッハからベートーベンへ、ベートーベンからワーグナーへの太陽の歩みにも似た力強い動きをいうのである。
 つまりワーグナーがギリシャ悲劇をまた再生させたと。僕はただワーグナーの楽曲が好きすぎて、ギリシャ悲劇を持ち出しただけのように思えてしまうのですが。

ワーグナー音楽の第一印象

 ニーチェの兄弟の中でもワーグナーの音楽は賛否両論渦巻いていました。例えばニーチェの兄は「これを聴けば誰でも夢中にならずにはいられない」と妹のエリザベートに言っていますが、母親は非難しています。ニーチェはワーグナーの音楽が理解されるのは難しいだろうと予想しています。
 しかしバイエルンの国王の即位でワーグナーに転機が訪れます。ワーグナーの音楽に心酔していたバイエルン国王に招待されるのです。側近たちはワーグナーの招待について「王侯の気まぐれだとうつったのだろう」とフィッシャー=ディースカウは書いています。
 このころのニーチェは古典文献学の専門家として、新聞社から記事の執筆依頼がきていたのです。また古典文学の講演会などにも呼ばれています。
 さてある日の講演を終えて家に戻ってみると、リヒャルト・ワーグナーを紹介する旨を記した手紙が置かれていました。ワーグナーに心酔していたニーチェは大興奮。こうしてニーチェはワーグナーと知り合うことになったのです。

決裂

 しかし、次第にワーグナーに対して幻滅していきます。ニーチェはギリシャやドイツ神話の復権をワーグナーの音楽に見出していたのですが、キリスト教的──しかも「変質したキリスト教的」──な音楽を作っていくことになります。
 しかしフィッシャー=ディースカウは、もっと早い時期から幻滅が起こっていたのではないかと指摘しています。特に劇場と歌手についての考え方は、ワーグナーに熱狂していた時代から早くも食い違っていたと言います。
 ニーチェは歌手について、「音楽の度を越して歌うドラマチックな歌手を求めていることを不自然と呼ん」でいました。では、なぜ早く気が付かなかったのでしょうか。フィッシャー=ディースカウはこの点を下記のように分析しています。ワーグナーの音楽を「芝居がかった仰々しさ」と認めながらも、それを超える何かがあると信じていたのです。

ロマン主義

 ニーチェはすでに見たように理性よりも情動や感情を重んじてきました。したがってロマン主義と極めて親和性が高かったのです。実際、フィッシャー=ディースカウによると、ニーチェの音楽にはロマン派音楽*2の最盛期に活躍したシューマンに惹かれています。
 そして彼の影響をうけてニーチェはシャミッソーとバイロンの詩に曲を付けています。この二人はロマン派文学の代表とも言える詩人であり、これまたロマン主義に強く惹かれていたことが窺えます。
 私はバイロンのマンフレッドと深くつながっているに違いない。私はマンフレッドのこのすべての深淵を私自身のなかに見出した。
 と特にバイロンに対しては思い入れが深かったようで、後に『この人を見よ』の中で回想しています。
 ワーグナーは、『ニーベルングの指輪』、『ワルキューレの騎行』などのドイツ神話をモチーフにいくつもの曲を書いています。こういったモチーフの選定もニーチェの価値観に合致していたのでしょう。
 ちなみに僕はワルキューレの騎行が一番好きです。

*1 ニーチェ『悲劇の誕生』(岩波書店)。意外なのは『悲劇の誕生』においてカントの評価が高いことである。カントこそ主知主義の権化であり、ニーチェにとっては酷評すべき哲学者だと僕は思う。
*2 一口にロマン派といっても音楽のロマン派と文学のロマン派とでは意味合いが異なってくる。特にロマン派音楽は1600年〜1900年の間続いているが、文学のロマン派はゲーテ、シラーの後から写実主義の誕生までと非常に短い。従って、ロマン派音楽、ロマン派文学、ロマン主義と表記し、区別した。




夏目漱石『倫敦塔・幻影の盾』(新潮社)

倫敦塔・幻影の盾 (新潮文庫)

あらすじ

 「英国の歴史を煎じ詰めた」ような倫敦塔。その倫敦塔を見物しているうちに昔の僧正、貴族などに思いを馳せる。そしてその想像はリアリティを持って「余」の前に立ち現われてくるのだった。
 漱石に留学している時に倫敦塔を訪れ、その時の経験をもとに書かれた幻想小説、「倫敦塔」。同じく幻想的な作風の「幻影の盾」などを収録。

夏目漱石といえば

 『行人』『こころ』などリアリズムが多いんですが*1、この「倫敦塔」や「幻影の盾」などは幻想的な作品です。『夢十夜』は「昨日こんな夢を見た」という書き出しからも解るように、夢を綴っていくという典型的なシュールレアリズムですし、『吾輩は猫である』も視点が猫になっただけで起きていることは基本的に*2現実的な話です。

倫敦塔

 倫敦塔は語り手である「余」が倫敦塔を見ているうちに過去へとある種のタイムスリップをする話です。これは明言されていないのですが、実際にタイムスリップしたわけではなく、語り手の想像だと思っています。その理由は「首を少し傾けて考えて居る所を想像して見た」とあるように想像だと明示されているからです。

歴史的建造物

 例えば歴史的建造物を見て過去に思いを馳せた経験は多かれ少なかれ誰にもあるでしょうし、思い出深い場所を通れば昔のことを思い出すでしょう。また、冒頭部で
 二年の留学中只一度倫敦塔を見物したことがある。その後再び行こうと思った日もあったが止めにした。人から誘われたこともあるが断った。一度で見た記憶を二返目に打壊されるのは惜い、三度目に拭い去るのは尤も残念だ。「塔」の見物は一度に限ると思う。
 と自分の意志で一回しか見ていないことが語られています。
 これは歴史が一回しか繰り返さないということと対応していると思います。歴史は繰り返す、と言いますが、似た事件は何度でも起こります。しかし厳密な意味において歴史は繰り返しえません。なぜなら、例えば2016年6月18日は一度きりであり、このブログを書いている時間も一度きりです。
 同様に「大僧正クランマー」やワイアットの生も一度きりです。塔の見物が一度きりだということと歴史の一回性とは対応しているように思います。

無計画性

 さてもう一つの論点は〈語り手〉が行きも帰りも計画を立てずに行動しているということです。
 しかも「いつの間にやら雨になって居た」とあるように、これもまた予想外の出来事です。また、雨が降る場合に備えて傘を持ってくるという発想も計画的・合理主義的な考え方です。しかし〈語り手〉は合理的に行動していません。合理主義的な行動を取らなかったことで、見えなかったものが見えてくるのです。つまり「倫敦塔」で語り手が合理的な行動を取らないことは、近代合理主義の批判とも受け取れるのです*3。
 さてそう言った目で見てみると、塔の見物を一回しかしなかったことについてもう一つの解釈が成り立ちます。忘れるなら何度でも見ればいいという発想は合理的な考えですが、〈語り手〉はその合理性ゆえに断ったのです。

幻影の盾

 「幻影の盾」はアーサー王伝説を下敷きにした短編。時代設定は「只アーサー大王の御代とのみ言い伝えたる世」とあるように古代イングランド。僕の読んだ限り、漱石は近代を舞台にした作品が多いので、珍しいと思います。
 しかし美文体の文章は読みにくい上に幻想性が強く、どこからどこまでが現実でどこからどこまでが幻なのかが解りにくい。クララとは一体何者なのか、池の畔は幻想なのか、現実なのか? 一応、あらすじとしては何となく理解できたのですが、僕の頭では解りませんでした。
 このような作品を書いたのは、イギリスへの留学経験が大きいように思います。しかし、晩年、『私の個人主義』という講演で述懐しているように、初めはただただ西欧文化を模倣することが国家の課題だったのです。そしてそれは漱石個人でも同じことが言えたのだと思います。
 そしてその「模倣」の現れが「幻影の盾」であるように感じました。


*1 もちろん『夢十夜』や『吾輩は猫である』などの非現実的な作品もある
*2 基本的に、というのは猫同士が会話する場面がある。
*3 計画を立てずに行動した結果、倫敦塔で非日常を経験する。この物語の類型は他にも萩原朔太郎『猫町』、佐藤春夫『西班牙犬の家』などが挙げられる。




高木彬光『破戒裁判』(角川書店)

破戒裁判 (角川文庫 緑 338-5)

あらすじ

 殺人、死体遺棄で起訴された村田は突然、裁判長にこう叫んだ。「裁判長! 私は無実です。少なくとも二つの殺人については無実の罪だと、天地神明に誓って断言いたします」と。
 若き敏腕弁護士、百谷泉一郎が検察と激戦を繰り広げるが、村田の有罪は確定したかのように見えた。しかし最後の最後で意外な展開を見せ始める。百谷弁護士は果たして被告の無罪を勝ち取れるのか!

タイトルについて

 島崎藤村の『破戒』からきていて、本書でも藤村の詩が出てきます。しかし、このタイトルは推理小説としてどうなんだろう、と思います。というのもタイトルの時点で事件の核心部分に触れているのです。もちろん、部落差別を受けていたということがタイトルを見て推察できたとしても、高木彬光のテーマ性・社会性は変わりません。しかし推理小説としての意外性は損なわれる気がするのです。もしかしたら当時の読者は破戒といえば部落差別というのは一般常識だったのかもしれませんが、後半部で明かされることを考慮すると高木彬光自身は核心部分として描きたかったのでしょう。
 ただ『破戒』からイメージされるものは、部落差別だけではなく、主人公である丑松の立身出世欲です。「それは、私がこの小説の主人公──丑松と同じ人種だからであります」と『破戒裁判』でもそれはしっかりと台詞で出てきます。

裁判について

 高木彬光は『破戒裁判』の中で「裁判を劇にたとえるなら、法廷関係者は、すべて俳優といってもいいだろう」とこう評しています。これはもちろん高木彬光自身が足繁く傍聴に通った印象にすぎないのかもしれません。
 しかし、被告人が新劇の俳優で、しかも被害者が劇団員だということを考えると、この比喩も生きてきます。つまり裁判という舞台演劇でも見ているかのように思えてくるのです。もちろん一般人を装っている(もなにも新平民となって部落差別はなくなったことになっている)という点から見れば村田は「演技」をして、俳優という職業とも比喩としてつながりが見えてきます。
 この小説の特徴は最初から最後まで法廷から場面は移らないことです。また〈語り手〉は百谷でも明子夫人でもなく、全然関係ない新聞記者が傍聴席から眺めている視点で描かれています。この視点は劇場の観客席から眺める視点とよく似ていませんか?
 また〈語り手〉が新聞記者というマスコミに注目すると面白いことが言えると思います。読者は裁判を多くの場合、新聞、あるいはテレビなどを介して知ります。ところが〈語り手〉は物語を恣意的に編集できます。建前上、あくまでも建前上は新平民と名を変え、部落差別はなくなったことになりました。現に部落差別の話題は伏線こそいくつかありますが、直接的な明言は避けているのです。ところがそれは〈語り手〉による編集行為だということが明らかになり、村田は部落差別を受けてきたという事実が明らかになります。
 この語らないという編集こそ、政府、あるいは村田の態度であるように僕は思います。



高木彬光『人蟻』(角川書店)

人蟻

あらすじ

 酒場での帰り、弁護士の百谷泉一郎は酔っ払いに「私は人を殺した男を知っている」と声を掛けられる。しかし泉一郎は酔っ払いの戯言だと考え、あしらった。
 数日後、立ち退きの立会人として同席した和歌山で男の死体が上がる。彼の名は井上力造。果たして酔っ払いの男と同じ名だった。百谷が調査をしていくと、八光製糖という会社の不正が浮かび上がっていく……。

僕の苦手な小説

 経済犯罪や企業の不正が絡んでくるんですが、実は僕の苦手な小説なんですね。というのも僕は社会に関してあまり実感が沸かないので。理由は簡単で、実際に見聞きしていないから。
 というわけで不親切な読者だなぁと思いながら感想文を書きます。

本格と社会派の

 企業や政界とも結びつく大掛かりな犯罪。高木彬光は神津恭介という探偵で長年書いてきたのですが、これは高木彬光がそのシリーズに一回終止符を打ち、新しく書き始めた作品です。社会派としての要素も、本格派としての要素も見られますが、解説で述べられているようにまだ試行錯誤の途中であり、苦労して書いたんだろうな、と伝わってくる作品でした。
 というのも無理に融合させたと思われる節が多々あるんです。例えば、冒頭の酔っ払いに話しかけられるところ、
 とにかく重大な事件です。わたくし、一個人の問題ではなくて、重大な、社会正義にかかわること、殺人までがからんでくる問題だとお考えください。
 この台詞は典型的な本格派の台詞であり、この男と同じ名前の死体が上がるところまでは典型的な本格派。また角砂糖が握られているところも典型的な本格派なのですが、その後、急にドミニカ砂糖事件の話題に。
 このドミニカ糖事件は実際にあり、昭和33年〜昭和34年に国会の決算委員会でも取り上げられています*1。この小説が連載されたのは昭和33年〜昭和34年に掛けてですので、当時の読者は時事問題と絡めながら読めたことでしょう。しかし現代の読者には今一つピンときません。
 だからなのか、この場面だけ浮いているように感じました。

登場人物の天才性

 さらには多くの本格推理小説*2では登場人物が天才であることを強調する描写が見られます。例えば高木彬光の処女作『刺青殺人事件』*3は神津京介をこのように描写しています。
 彼は弱冠一九歳ですでに、英、独、仏、露、ギリシア、ラテンの六カ国語を話し分けた。一高在学中に書き上げた整数論の大論文(中略)はドイツの学術雑誌(中略)に掲載されそれまで金科玉条のように尊ばれていたグルンワルトの定理を根本から覆すものとして……
 以降、一ページにわたって神津恭介の天才ぶりを語っています。
 さて、このような描写は多かれ少なかれ推理小説では定番になっています。おそらく人蟻ではそのような批判する意図が含まれていたのでしょう。百谷弁護士は神津恭介に比べると、正義感が強いもののどこにでもいる普通の弁護士として描かれています。
 しかし、この小説にも登場人物の天才ぶりを賞賛するくだりがあります。それは明子がいとこについて説明する場面。
「政治的な面にかけては特に〔鋭い人なのです〕。たとえば、岸首相がなぜ英国訪問にこだわっているか、そんなことをずばりと説明できるのはあの人のほかにはないでしょう」
 という台詞があり、本格推理小説へのこだわりが見受けられます。
経済学  さて解説でも指摘されていますが、これは経済犯罪という面で後の『白昼の死角』にもつながる重要なテーマです。『白昼の死角』は実際に起きた経済犯罪をモデルにしています。
 これもドミニカ糖事件の話題が出てくるなど、経済犯罪についての興味は『人蟻』からも見てとれます。しかしその興味の片鱗はすでに『刺青殺人事件』からも伺えます。神津恭介が犯罪経済学、という言葉を作り、犯罪を企業経営に例えているのです。
 このように高木彬光は処女作の段階から経済犯罪にも強い興味を抱いていたと思うのです。
*1 ドミニカ糖事件(http://blog.livedoor.jp/k_guncontrol/archives/50769860.html)
*2 クロフツなどを除く。
*3 高木彬光『刺青殺人事件』(光文社)



パルヴェーズ・フッドボーイ『イスラームと科学』(勁草書房)

イスラームと科学

目的とは合わなかったけれど

 僕の目的はイブン・シーナーやイブン・ルシュドなどの八世紀〜一三世紀までのアラビア科学・数学を知りたかったんです。しかし、この本は現在、イスラム圏でどんな科学教育が行なわれているか、パキスタンを例にとって批判的に解説したものでした。
 確かにパルヴェーズ・フッドボーイさんの問題意識は切実に伝わってくる上に、話が具体的で解りやすかったです。しかしいかんせん、僕の興味と違っていただけに余り頭に入りませんでした。

ルネサンスがもたらしたもの

 ギリシャ、ローマの科学は一回、亡命者の手でアラビアに渡ります。それを十字軍でヨーロッパ人は再発見し、ルネサンスに至るというのがルネサンスの科学史的な理解だと思います。現にガリレオ、ニュートンなどの自然哲学者から定数的にものごとを捉え、予測できるようになったのです。そしてこの方法は自然現象だけでなく、社会現象にまで伝播します

帝国主義

 ルネサンスがヨーロッパ世界にもたらしたものは科学だけではありません。「中世の封建制の崩壊、広いスケールでの資本主義の出現(中略)はヨーロッパに近代社会の産声を上げさせた」のです。
 このようにして西欧列強は植民地を世界各地に築きあげるのですが、イスラーム教徒は完全に無防備でした。たちまち支配され、今まで栄華を極めていたアラブ諸国の科学はたちまちヨーロッパ諸国に追い抜かれることになるのです。

科学とは何か

 科学とは何かというのは科学哲学の大きなテーマなのですが、ポパーは反証可能性を唱えます*1。反論するのに合理的な根拠を示せるのかという点が一つの焦点となってくるのです。例えば転んだのは透明人間のせいだと言っても、透明人間は目に見えない限り証明できないわけです。
 実は熱力学の観点からボルツマンが原子を唱えたときには始めはエルンスト・マッハに否定されました*2。しかし、最終的にアインシュタインが花粉の粒子を観測する中で、原子という存在を仮定すれば合理的に説明ができる考えます*3。これが現在の量子力学に結びつくのですが、このように科学とは反証可能性の有無で区別されるのです。

パキスタンにおける科学教育の現状

 本来、科学とはそういう観測データや論理的思考のもとで積み上げられていくものです。しかし、パキスタンにおいて科学教育は充分なされているとは言いがたいのが現実です。
 パルヴェーズ・フッドボーイさんは様々な事例を紹介していますが、我々にとっては「付章 彼らはそれをイスラーム科学と呼ぶ」の一例で事足りるかと思います。「祈りによってもたらされる神の恩恵の量」というグラフは大真面目に人数と神の恩恵が議論されています。
 しかも物理学者たちによって。その理由についてパルヴェーズ・フッドボーイさんは次のように語っています。
 次にこの奇妙な科学の提唱者たちが伝統的ウラマー〔イスラムの教養人〕ではなく、科学分野でのハイレベルな学位保持者であることに注目しよう。西側諸国で学んだ人がほとんどだ。ただし彼らは名誉となるような専門的業績はほとんど誰も挙げていない。イスラーム的科学は難解な科学の挑戦からの避難場所を提供しているのだ。
 パルヴェーズ・フッドボーイさんはこれをイスラム社会だけの問題として捉えているようですが、多かれ少なかれ名誉欲に駆られた専門家(と門外漢の人間との間)に当てはまることなのかもしれません。
 例えばアラン・ソーカルはでたらめな科学用語を散りばめた文章を論文と称して、人文科学の権威ある雑誌に送りました*4。『境界を侵犯すること:量子重力の変換解釈学に向けて』。また日本でも柄谷行人がゲーデルの不完全性定理を誤用しています*5。

科学主義

 そしてこれらの背景には科学信仰とも言える問題があります。確かに彼らは科学の専門家でありませんし、数学の教養もあまりない人もいるかもしれません。しかしサルトル以降、ざっくりと言って、相対主義が挙げられます。例えばレヴィ=ストロースは今まで未開だと思われていた土地にも、西洋とは違う「形式」の文化があるという見解を示しています*7。科学万能主義、近代化という「宗教」に疑問を投げかけるはずの哲学が、科学に迎合しているという問題が挙げられるのです。そもそも自然を定量的に捉え、分析するという方法は西欧によって生み出されたものです。イブン=シーナーが神を冒涜した疑いを掛けられた、というエピソードが載っていました。このことから近代的な価値観とは違い、自然を神格化し、絶対化し、畏敬の念を払うという伝統があると読み取れます。
 なら自然をこの方法で分析し、記述すればいいと僕は思うんです。一つの考えしかないと社会は脆いですので。

*1 カール・ポパー『推測と反駁』(法政大学出版局)およびwikipedia「反証可能性」。
*2 マーカス・チャウン『僕らは星のかけら』(無名舎)
*3 同文献
*4 Wikipedia「ソーカル事件」
*6 柄谷行人「 形式化の諸問題」(『現代思想』青土社、1981年9月)
*7 クロード・レヴィ=ストロース『親族の基本構造』(青弓社)



矢島祐利『アラビア科学の話』(岩波書店)

アラビア科学の話 (岩波新書 青版 G-60)

アラビアと言うと

 アラビアは科学後進国というイメージがありますが、実は九世紀〜一三世紀までは科学の中心地でした。アリストテレスやプラトン、ユークリッドなどの研究が盛んになりました。
 例えばイブン・シーナー、イブン・ルシュドを始め、多くの医学者、数学者を輩出しましたし、またAlcohol、Alcali、代数学を意味するalgebra、それから錬金術を意味するAlchemyなどが挙げられます。錬金術は今でこそ非科学的なイメージが強いですが、化学の前身ともなっています。
 また本書では紹介されてないのですが、 日常語彙にまで溶け込んでいます。例えば危険を示すhazardもアラビア語でサイコロという意味ですし*1、バザー(bazar)もペルシャ語の市場という意味があります。
 そういったことを踏まえると、矢島さんは「アラビアの学問は西欧の近代の学問を養った親のようなものである」と言っていますが、矮小化していると僕には思えます。

政治的背景

 ではなぜアラビアの世界で科学が発達したのでしょうか? ヴィッカリーはこのように語っています*3。
 ユスティアニヌス帝は帝国内で異教の哲学を教えることを禁じる。領内にはアテネも含まれており、(中略)アカデメイアも閉鎖された。アカデメイアにいたシンプリキオスは一時、他の学者とともにペルシアに逃れる。〔有沢補注:当時のササン朝ペルシアの王である〕ホスローはギリシャ文化に驚嘆し(中略)ジュンディーシャープールにアカデミーを設立する。アカデミーには、病院・医学・天文台が設けられ、(中略)教育が行なわれた。
 つまり宗教的な理由によりギリシャ人とギリシャ哲学は弾圧されるんです。ギリシャの知識人たちはペルシャに亡命、そこでペルシャ王の庇護を受けます。ちなみに五二九年以前の状況はどうだったかのでしょうか? アウグスティヌス(三五四年〜四三○年)の回想録『告白』によると、ギリシャ語を勉強していたことが書かれています*4。
 ともかく、このホスローは柔軟な人だったようで、インドに医者を派遣、医学書を持ち帰らせています。ただ柔軟な人というだけではなく、科学を発展させることで軍事力を強化したかったという思惑も見えます。単に屈折した見方ではなく、当時ホスローは東ローマ帝国と交戦中だったのです*5。
 このササン朝で信仰されていたのはイスラム教ではなくマニ教でした*6。しかし、運がいいことに、イスラム教徒が侵攻しても、ジュンディーシャープールを破壊することはせず、これを保護します。このようにイスラム帝国のもとで、ますますアラビア世界の科学は発達することになるのです。
 そしてこのイスラム帝国の科学が十字軍を通してヨーロッパ世界に再発見されます。これがルネサンスです。そしてそれがアラビアに由来するとして本格的に研究し始めたのが、一九世紀、ジョージ・サートンだったのです7。
 またこの他にもミエルによればシチリアとスペインを経由してヨーロッパに入ってきたと言います。シチリアはギリシャの支配下にあり、ついで東ローマ帝国、そしてイスラム帝国の支配下に置かれます。
 スペインもイスラム教徒の居住地が並んでいました。カスティリャ王アルフォンソ王は学問を愛し、自らも天文学を学んでいました。つまり国の事業として、学問を発展させていったのですが、ホスローと同じように軍事力を強化する目的が見え隠れするのは僕だけでしょうか。

イスラム帝国の科学

 矢島祐利さんがこの『アラビア科学の話』で扱っているのはこのイスラム帝国の科学です。このイスラム帝国は西はスペイン、東はインドまでかなり広大でした。また当然、全員がイスラム教徒ではなく、ユダヤ教徒もいれば、キリスト教徒もいました。ここではアラビア語で書かれた科学文献を、イスラム科学として定義しています。

神秘主義

 イスラム科学は実証主義の他に神秘主義が大きな影響を与えています。「ギリシアのように理性に従った合理的解釈に向うよりも、啓示されるものに重きを優位を置く傾向が多く見られるのである」と書いてあります。
 確かに、ギリシアはヌース(知性)が長い伝統として受け継がれてきました。確かにピタゴラスは数というものに対し、ある意味で神秘思想を抱いていたかもしれません。しかしそれは数という概念に対してであり、証明方法はあくまでも論理的なものでした。

数学

 詩人でルバイヤートの著者として知られるウマル・ハイヤームですが、彼は三次方程式の解法を円と放物線によって見つけました。もちろん実数の範囲ですけど、ヨーロッパ人がこの方法を確立するのはカルダノを待たなければいけません。
 また、三角関数は天文学の一分野だったと語られています。この三角関数ですが、天文学を理論化するのに使われてきた経緯があるのです。しかし矢島祐利さんは『アラビア科学の話』の中で、占星術と神秘思想を結びつけているのですが、僕は広大な地理を移動する上で占星術は欠かせなかったと思います。
 というのも占星術は星の動きをもとに吉兆を占う学問です。星の動きは現在の位置を知り、広大な土地を移動する上で重要な要素となってきます。
 全体として雑多な印象を受けましたが、一九六五年という時代や資料が少なさを考えるとやむを得ないことなのかもしれません。

*1 Weblio「hazard」
*2 語源由来辞典「バザー」より
*3 E・C・ヴィッカリー『歴史のなかの科学コミュニケーション』(勁草書房)
*4 アウグスティヌス『告白』(中央公論)
*5 E・C・ヴィッカリー『歴史のなかの科学コミュニケーション』(勁草書房)
*6 Wikipedia「マニ教」。
*7 ダンテの神曲は文芸作品であるばかりでなく、アリストテレスやプラトンなどの哲学者が登場し、哲学辞典としての側面を果たしている。その中にアヴィセンナ(イブン=シーナー)の記述があり、ガレノスとヒポクラテスとの間に置かれている。



マーカス・チャウン『僕らは星のかけら』(無名舎)

僕らは星のかけら―原子をつくった魔法の炉を探して

経緯

 友達からオススメしてもらった一作で、なかなか手が出せずにいました。物理学の本なので数式がたくさん出てくるかと思って怖気づいていたんですよ。でも読書会での課題図書に指定され、しかも友達も行くというので、僕も読んでみることにしました。
 内容はむしろ原子、中性子という概念が発見されるまでの物理学史の本。海外の人の名前には苦労しましたが、それを除けば数式も少なく、また扱っているテーマもはっきりしていました。専門外なので当然なのですが、知らないことがたくさん書いてあって面白かったです。

古代ギリシャ

 ものを細分化していくと、どこまで行き着くのか、という疑問は古代からありました。古代ギリシャではこれをアルケーと呼び、アリストテレスは『形而上学』*1で紹介しています。例えばタレスは水だと考え、ヘラクレイトスは火だと考えました。
 中でも特異な考えだったのはデモクリトス。彼は見えないものに分割されるのではないかと考えた点で、古代ギリシャで原子論を考えた人としてよく紹介されます。もちろん実証したわけではないので、あくまでも発想の一つです。
 科学の二つの源流として、職人と思索家が挙げられます*2。思索家は「仮説の真偽を検証することに熱心でなく」、職人は「理論付けには熱心ではない」という欠点を持っていました。ここだけ読むと観測もしていないのに空理空論を振りかざしているという印象を受けるかもしれません。
 しかし古代ギリシャの時代から観測に基づく論理を打ち立てていました。例えばタレスは天文学の観測に基づいてオリーブの豊作を予測。オリーブの掘削機を買い占め、翌年には莫大な利益を出したと言われています*3。
 太陽についてアナクサゴラスは「大きな鉄球」であり、ギリシアよりも少し大きいと記述しています。しかし、これは勿論間違い。実際ははるかに重く太陽系全体の重さの99%を占めています。したがってはるかに引力が強く、太陽系全体にまで影響を与えているのです
 また太陽の熱源についてですが、核融合だということが知られています。水素爆弾で知られる核融合ですね。

十七世紀

 さて時代は一気に一七世紀へ。というのも古代ギリシャから一七世紀までは哲学といえば、神学などの聖書解釈学*4、あるいは政治学*5、生き方*6などに重きが置かれ、自然哲学についてはニュートンの登場を待たなければいけません。

五〜一五世紀までの科学について

 しかし自然哲学が全く進展がなかったかというとそうではありません。例えば天動説。これは今でこそ時代遅れとして軽視されがちですが、当時はきちんと観測に基づいていたのです。一般的にガリレオとコペルニクスが地動説を唱えたと教わります。もちろん間違いではないのですが、科学的に完全に証明されたとはいえず、あくまでもこういう考えもある、と示唆しただけにすぎないのです。
 またこの文献ではいっさい触れられていないのですが、五世紀〜十三世紀まで自然哲学の中心はアラビアにありました。例えば、イブン・シーナーは地球が球体だと主張していますし、また錬金術についても批判。錬金術は全ての金属の大本となるエリクシールを探すための学問だったのですが、イブン・シーナーはその存在を否定。すべての金属は独立しているのだと主張します。

ベルヌーイ

 ところで、ベルヌーイは流体力学の創始者でなのですが、気体分子運動論の先駆者でもありました。流体力学とは空気や水ががどう流れていくかを考える学問です。例えば流れるプール、扇風機やエアコンの空気の流れなど。
 ベルヌーイは彼は「絶えず激しく動き回る粒子の大群」を思い描きます。この発想は後の熱力学にもつながると思うのですが、ベルヌーイの名前を熱力学の本ではあまり見かけることがありません。ベルヌーイが関心を示したのは圧力でした。
 ピストンを押し下げて空気を圧縮したらシリンダー内の圧力はどうなるだろうか、と自問した。この問題に答えるため、気体が圧縮されて体積が半分になるまでピストンを押し下げた状態を想像した。気体の分子は、衝突するまでに、従来の半分の距離しか移動する必要がなくなるため、一定の時間内にピストンに衝突する回数は二倍に増えるはずである。
 これはまさにボイルの法則と呼ばれています。この文脈では、ベルヌーイが理論を先に思い付いて、観測結果がそれに適合しているかのような印象を与えます。しかし、実際には観測結果から推察したのでしょう。この時代、科学とはつねに観測結果から理論を導き出すものだとされていたのです。
 しかし原子論は観測できないものとしてマッハによってオカルト扱いされます。音の速さの伝わり方について研究したマッハは科学哲学、科学史についても著作を残しています*7。また彼は錯視についても研究を残し、音というよりは人間の認識について興味を持っていたのではないかと思います*8。
 だから「五感で観測できない事象とは一切関わるべきではない」という立場に立ったのでしょう。そして多くの科学者はこれに同調。当時、マクスウェルと並ぶ熱力学の創始者であったボルツマンは鬱病から自殺しています。
 ところがボルツマンが自殺した前年に、アインシュタインが原子の存在を証明したのでした。

量子力学の誕生

 アインシュタインはブラウン運動ついて研究。これが彼の処女論文になるのですが、花粉がランダムに動く現象について研究。理論に留まりますが、アインシュタインの論文の三年後、ベランによって立証されます。ガンボージの花粉を使って、検証。さらには観測結果に基づいて水分子の大きさまで計算したのです。
 また相対性理論ではニュートン以來の「時間」という観念を塗り替えます。救急車が遠ざかって行くときに、音が変化する現象をドップラー効果といいます。これは観測者が静止して、音源が動くことによるものです。これが光でも起こるのではないかというのがアインシュタインの主張でした*9。
 二つの電車がすれ違うとき、観測者からは後退しているように見えるでしょう。ニュートンはあくまでも人間の目から見た世界で考えていた(というか考えられなかった)ので時間についても絶対的な時間を考えていました。つまり時間と空間はニュートンにとって絶対的なものだったのです。
 しかし、アインシュタインは時間と空間は相対的なものだと考えていたのです。
 アインシュタインによれば、観測者がもう一人の観測者を基準にしてどれだけ早く進んでいるかに応じて、二つの時計は別々の速さで進むはずだった。さらに二人の観測者の時計の間に生じる相違は、観察者の相対速度が光速に近づくにつれて、ますます大きくなるはずだった。
 この時間に関する新しい見解は哲学にも影響を与えます。例えばベルグソンは時間についての論考を書いています*10。

問題意識

 さて、マーカス・チャウンはどんな問題を扱いたかったのでしょうか。もっといえば科学史を通して何を訴えたかったのでしょうか。もちろん、それこそ観測者によって主観が入ってしまいますが、生命の起源を探りたかったのではと思うんですよね。
 そして宗教と科学の境界まで到達していると思われる記述さえあります。
 ホイルは、宇宙が生命を持つ有機体の出現を予期していたと確信するようになった。それは、生命そのものが本当に宇宙的な現象から誕生していたという確信だった。
 ここで注意して欲しいのは、どうしてホイルの言葉として書いたかです。マーカス・チャウンの言葉として書いてしまうと、あまりにも宗教臭く、また信じがたくなってしまうからだと解釈できるのです。

*1 アリストテレス『形而上学』(岩波書店)
*2 村上陽一郎『科学者とは何か』(新潮社)
*3 Wikipedia「タレス」
*4 アウグスティヌス『三位一体論』、『神の国』など
*5 キケロなど
*6 セネカなどのストア派。
*7 エルンスト・マッハ『時間と空間』など未読。
*8 Wikipedia「エルンスト・マッハ」
*9 光のドップラー効果と呼ばれる現象である
*10 Wikipedia「アンリ・ベルクソン」参照。なお、小林秀雄にはベルクソンとアインシュタインの論争について取り上げた文章があるが、もともと小林秀雄にはあまり興味がない。それよりも「同時性をめぐってーーベルクソンVSアインシュタイン」(金子務『現代思想』1993年3月号)の方が興味深い。


シェル・イスラエル『ビジネス・ツイッター』(日経BP社)

ビジネス・ツイッター

この本を読んだ経緯

 ずっと前に買って積読でした。理由は簡単で、
SNSを使っての販促は僕の仕事と直結してるからです。いやぁ、誰でもそうだと思うんですが、仕事と関係ある本ってたとえ趣味が読書でも読みたくないですよね。それに今更感もありますし。
 でもSNSを利用しての人脈作りは僕も関心があるので読んでみました。twitterのハウツー本というよりはこれからのメディアがどうなるのか、SNSを切り口に様々な取材を通して語っているように思いました。ただ当然ながら日本の事情とアメリカの事情とでは異なることがあります。

そもそもネットは暇つぶし

 アメリカはどうだか知りませんが、日本ではtwitterを初めインターネットは単なる暇つぶしです*1。現にバイトが飲食店の冷蔵庫に入って写真を撮ったり、高校生が線路に入った写真をネットに上げたり、炎上騒ぎ。バカッターと揶揄されています。
 どうでもいいツイートは無害です。しかし中にはデマ情報を無自覚に流す人もいて、リツイートされると有害になります。また設定をしないまま*2ポルノ画像をツイートしたりと、規約に違反する人が多いんです*3。
 シェル・イスラエルさんは、twitterを極めて楽観的に論じています。確かに使い方次第ではマスメディアよりも早く情報が行き届きますし、東日本大震災や熊本地震でもtwitterが大きな役割を果たしました。例えば「#救助」のハッシュタグ*4。しかし
 ソーシャルメディアはこうした信頼できる友達、同僚の範囲を一気に拡大した。それによってわれわれは広汎な分野で「集合知」を利用できるようになった。
とありますがネットは集合知と言われるとどうも疑問が否めません。

ネットは集合知か?

 例えば『資本論』は資本主義を否定して共産主義を説いた本だという人*5。社会主義と共産主義は同義語だという人*6。絵の具を全て混ぜると黒になるという人*7……。みんな嘘です。
 もちろん中には有益なブログもたくさんあります*8が、臆見にまみれた記事が多すぎます。僕も人のことは言えませんけど。この原因は一次ソースを当たらないまま、書いていることが挙げられるのではと思います。まぁ面倒なのは解りますが、一次ソースくらい確認しましょう。自戒も込めてます。
 いかに知識があるかが日本人にとっての「知性」になっているという現実が挙げられます。それから本を年間何冊読んでるかでその人の知性を量るような風潮。既知のことが書かれていれば200冊読んでも無意味ですし、逆に未開拓の分野なら1冊でも意味があるのは言うまでもありません。
 そしてこれは多かれ少なかれSNS上でも言えることだと思うんですよね。そして強引に言いくるめるような姿勢。

知識人のイメージ

 賞賛されたいのは解らなくもありませんが、そんなことで賞賛されても……、と思うんですよね。そして承認欲求を満たしたいための自己顕示欲。もちろん、正しく自分を主張できればいいんですが、それができない人が多い。
 これは日本で知識人・教養人というイメージが深く関わっていると思います。この間、たまたまテレビで百人一首全て暗記したりという人が出ていました。また知識自慢のクイズ番組。つまり日本において物事を多く知っている人が知的な人という文脈で語られるのです。
 加えてことを厄介にしているのがアフィリエイト、google ad。これはクリック数などに応じて報酬が入るシステムです。もちろんそれ自体は否定しません。ただし正確な情報を書いた記事に支払うようなシステムでないと、イエロージャーナリズムが蔓延してしまうのです。
 長々と書いてしまいましたが、『ウェブはバカと暇人のもの』に描かれているユーザーの背景には、そのような社会問題が潜んでいると僕は考えています。

日本の企業アカウントはユーモアたっぷり

 さてそうしたインターネットの風土を反映してか、日本の企業アカウントはユーモアたっぷり。例えばNHK_PRなどがそうですね。
 僕はユーモアのセンスが余りないので、公式アカウントをどう運営していくかが課題なのですが……。また企業アカウントはつぶやきに特色がないと、フォローされにくいのかなと。

アメリカの風土

 そうは言ってもアメリカ人の知り合いはいませんし、ビジネス・ツイッターから読み取れる事例のみなのですが。ペプシの炎上事件はどう見てもコカコーラが悪いし、日本でも(恐らく)炎上したでしょう。
 しかし、「モトリン・ママ」のような事例は日本に余りないのではと思うのですが、どうでしょう。一人のカリスマ性が強いブロガーは確かにいます。きっこ、ちきりん、イケダハヤト、はあちゅう、いや、ブログというメディアが登場する以前に流行った侍魂、僕の見た秩序など(後半二つは方向性が違うかもしれませんが)……でも製品のボイコットに繋がるような影響はいないんじゃないのかな、と思うんですよね。
 堀江貴文はブログというより、実業家として有名ですし、しいて言うならえぴすてーめーくらいですけど、あの分野が社会にまで影響力を持つとは考えにくいですよね……。

マスメディアとソーシャルメディア

 日本では大きく分けて二つの動きが見られると思います。一つめは番組への意見をTwitterで募集して、番組内で読み上げるというもの。例えばNHKの「日本のこれから」などがこの方式なのですが、融合できている例です。
 二つ目はソーシャルメディアで話題になったニュースをピックアップする方式です。裏は取ってあるのか定かでありませんが、SNSの記事をそのまま使い回すことが多く、せっかくのマスメディアがネットの後を追う形になってしまっているのが実情です。
 せいぜい「日本死ね」のブログで記事を書いた人に取材したくらいだった気がします。どうせマスコミで報道するんなら一般人では手の届かないような追加取材などをしてくれればいいのに……。

現代思想の観点から

 SNSは現代思想の観点からいくつか興味深い話題を提供してくれます。
1.つぶやきはプライベートなものであると同時に公共的なものである。こういう言説は今までなかったんじゃないんですか?
2.パノプティコンを取り囲む逆パノプティコン。冒頭でエジプトに不当拘束されたことをツイートしたり、アラブの春など民間が政府を監視するシステムができつつあること。
3.アントニオ・ネグリがスピノザを通して読み解こうとしていたマルチチュード(大衆)との関係。しかもスピノザが重視した思想の自由と関わってくること。
4.インターネット時代の芸術作品について、特にSNSとの絡み。

*1 中川淳一郎『ウェブはバカと暇人のもの』(光文社)。ただ中川淳一郎はネットユーザーを十把一からげにして論じていることに違和感を覚える。少数派であるが真面目な議論を交わしている人もいる。
*2 「ツイートする画像/動画を不適切な内容を含むものとして設定する」という項目に設定が入っていない人もいる。
*3 こうした問題の背景には見られているという意識の欠如が挙げられると思う。
*4 https://support.twitter.com/articles/20170080
*5 マルクスは『資本論』で資本主義を分析しているだけで、しかも資本主義については発展の一つの段階として認めている。ただマルクスの時代の資本主義だと矛盾が発生すると説いているだけである。マルクスは唯物論的な思考で、付加価値を一切考慮していない
*6 社会主義は生活保護などの公的サービスが受けられるようにした政府のこと。ベーシックインカムなどもその一つ。共産主義は生産手段を国が管理する経済システム。
*7 もちろんこれは灰色になるだけである。恐らくセロハンの重ね合わせと混同しているものと思われる。
*8 哲学関係で言えば、https://www.philosophyguides.org/などが挙げられる。



アントニオ・ネグリ『スピノザとわたしたち』(水声社)

スピノザとわたしたち

僕がこの本を読んだ経緯

 アントニオ・ネグリといえばマイケル・ハートと政治哲学の著作「帝国」*1を表したことで有名です。しかし、政治哲学や社会学関係の著作はどうも苦手意識があるんですよ*2。まず社会や政治を生き生きとした実体のあるものとして捉えられない。遠い国で起きている話であるかのように思ってしまうんです。
 ですので問題意識は解るんだけど「何でこの人は社会のシステムとか、政治のシステムとかを問題にしてるの?」などと解らないんです。
 しかしせっかくスピノザを読むんですから、そう言った僕の苦手分野に挑戦してみたいと読みました。
 もう一つはアントニオ・ネグリといえばイタリア現代思想の代表者としても有名。あくまでも印象論なのですが、イタリア現代思想は政治哲学者が多い気がします*3。

いくつかの用語

 解らない用語についていくつか調べてみました。オルタナティブは耳慣れない用語ですが「代替」という意味で、 alternativeと書きます。

力能(conatus)

 哲学に特徴的なのが、言葉は各人の問題意識に応じて意味が変わってくること。多分、他の学問分野では例がないのではと思うんですよね*4。
 例えばネグリの本で使っている「力能(conatus)」という言葉ですが、デカルトとスピノザではそれぞれ違う意味で使っています。もちろん関係はありますが。
 そもそもこのconatusという言葉は、ローマ哲学のストア派が使っていました。古代ラテン語で努力を意味し、は禁欲的な生活を重んじ、その文脈で用いられていたのです*5。
 デカルトはこの「力能」という言葉を物理学的なイメージとして使っていました。そもそも、デカルトは世界を神が作った「機械」だと考えていたんです。惑星の軌道上のレールとして捉え、それを動かす神の力などを「力能」と名付けたのです*6。
 一方、ネグリが参照しているスピノザでは、自己保存の本能という意味が強いです*7。現代的な意味なら、自己保存の本能といえば自殺、自傷行為などと関係づけられていますが、スピノザはそれ以外にも止まったままのものは外から力が加わらないと、止まっているという物理学的な法則も含めて使っています。スピノザは自然(法則)を神と名付け、人間もその一部であると訴えたのです
 自然(法則)と書いたのは僕の中でスピノザが神をどのように捉えていたか、まだはっきり解らないからです。つまり、『エチカ』だと自然こそが神だというアミニズムとしても考えられます*8。一方で『神学・政治論』*9だと自然法則そのものを神だと考えているようにも感じました。
 デカルトは心/身体、自然/人間という二項対立で考えていたのに対し、スピノザは一つの法則性という一元論として考えていたのだけは確かです*10。

マルチチュード(Multitude)

 ネグリはマイケル・ハートとの著作『マルチチュード』*11でスピノザを援用しながら、マルチチュードについて「“多数”“民衆”などの意味を持つ概念」*12として語っています。なお、僕は『マルチチュード』を読んでいないので、wikipediaからの引用になってしまいます。
 ネグリはマルチチュードを、近代以降に登場した超大国の覇権によるグローバルな世界秩序である帝国主義に対抗し、これからの世界を変革し得る存在としてそれぞれの国家の国民や企業を含む超国家的なネットワーク上の権力として位置付けている。
 ネグリはマルチチュードについて、いわゆる19世紀以降の社会主義に代表される革命に見られた多様性と差異性を無視したこれまでのありかたとは異なり、統合されたひとつの勢力でありながら多様性を失わない、かつ同一性と差異性の矛盾を問わぬ存在としている。
 現代思想のテーマとして多様性や同一性についてが挙げられます。例えばジル・ドゥルーズやレヴィ=ストロースがその顕著な例ですが、これには第二次世界大戦後、植民地が相次いで独立したことが挙げられると思います*13。

ネグリの問題意識

 さてネグリはスピノザを読解することで何を問題にしようとしていたのでしょう。スピノザの時代には神がまだ信じられてきました。だからこそ『神学・政治論』は教会によって発禁しょぶんになったのです。
 しかし、われわれ今生きている中、大多数が神を信仰していません。少なくともスピノザが生きていた時代よりは。アントニオ・ネグリはジル・ドゥルーズを引用しながらこう語っています。
 ひとたび神という幻影からすっぱり手をきってしまえば、無限というものはわれわれのなかで欲望と現実の一致するところに実現するところに実現されるだろう、とかれ〔ジル・ドゥルーズ〕は言った
 ドゥルーズは『アンチ・オイディプス』の中で、器官なき身体という概念を提示しています。これは身体的欲望、つまり人間には性欲、食欲などとは別の欲望が備わっています。つまり名誉、富、知識などという抽象的なものに対する欲望です。しかし、この欲望は無限です。しかし、いくら抽象的と言っても現実的な欲望で、空を飛びたいという欲望は抱きません。
 ネグリは「これに反論して、「スピノザにとっては、無限は革命の〈共〉通名詞le nom communであるのだ」と語っています。辞書を引いてみるとnomは名前、communは一般的な、という意味です。

スピノザと政治哲学

 スピノザといえば神を巡る論争で、政治哲学について余り語られてないという印象が強いですが、政治哲学を巡る著作も書いています。『神学・政治論』や『国家論』がそれに当たります。
 しかし、ホッブズ、ロック、ルソー…様々な政治哲学とスピノザとの差異はどこにあるのか、「特に社会・政治・経済の秩序管理とどこが違うというのだろう」という問題を掲げています。
 スピノザもホッブズも確かに自然権、自然法をもとに話を進めています。スピノザにしろ、ホッブズにしろ、自然権を主張する人は、権力が現われる前の状態は皆が自由で平等だったという前提で話を進めています。ネグリは恐らくその前提を「個体横断的」と評しているのでしょう。
 しかしそれはあくまでも個人と個人の間には権力が介在しないという意味になります。『神学・政治論』でユダヤ人の制度・歴史を論じていますが、スピノザは自然権からこの制度が現れ、最高主権に至る説明が不足しているとネグリは考えています。
 スピノザとホッブスの違いは僕が考えていた「各人の権利を最大限に発揮するため」に国家が形成されるのか、「闘争を抑えるために」国家が形成されるのか、という違いもありますが、「〔スピノザの主張は〕超越論的な権力概念にたいしては根本的な批判となる」と述べています。超越論的な権力とは僕たちの「上から」命令するような権力です。ホッブスが『リヴァイアサン』で述べているような「上から押さえつける」国家のイメージがそうです。ネグリの解釈によれば「力能の一部を超越論的な権力に委譲する可能性は、一切抹消されている」のです。つまり国家によって自己保存の力を少しも委譲し得ないのだと。
 すなわちスピノザはどんな場合にでも個体の自己保存を重んじる個体主義なのだとネグリは解釈しているのです。しかし法は間違いなく個人主義を縛るものです。税金は自分の財産を国に差し出すという点で、まさに力能を委譲しているのです。

目的論

 スピノザは我々の存在とは何なのか、ということに触れてはいますが、神の目的について何一つ著作で触れていません。しかし、『神学・政治論』は思想の自由を訴える目的で書かれています。それどころかスピノザは思想の自由を保証することが政治の目的なのだと考えています。
 理性に導かれる人間は、自己自身にのみ服従する孤独においてよりも、共同の決定に従って生活する国家においていっそう自由である。
 ネグリはスピノザ『エチカ』を引きながら、
 つまり「あるのはただ力能だけ、つまり自由だけ」なのです。

まとめてみての感想

 ネグリの問題意識は自由と共同生活、つまり社会との折り合いの付け方にあることは解ったのですが、どうしてそこを問題にするのか、どうしてスピノザを持ち出すのかがよく解りませんでした。


*1 マイケル・ハート、アントニオ・ネグリ『帝国』(以文社)
*2 だからマックス・ウェーバーもゲオルク・ジンメルも余り印象に残っていない。
*3 例えば、アガンベン、グラムシなどが思い浮かぶ。調べてみると、美学の研究者クローチェも『政治哲学論集』がある。
*4 少なくとも自然科学・数学分野では用語はきちんと定義されている。特に数学分野はそれが顕著である。そうしないと混乱のもとだから。
*5 wikipedia「コナトゥス」
*6 ルネ・デカルト「哲学の原理」(ルネ・デカルト『世界の大思想7 方法序説/省察/哲学の原理』河出書房)では物理学上の問題も論じられているが、この訳では単に「力」という翻訳を当てている。そこでwikipedia「コナトゥス」からこの「力」をconatusと呼んだのだと僕は判断した。
*7 スピノザ『エチカ』(中央公論社)
*8 同文献
*9 スピノザ『神学・政治論』(光文社)
*10 このことは彼がユダヤ教という一神論を信仰していたことに大きく関わってくるのかもしれない。
*11 アントニオ・ネグリ、マイケル・ハート『マルチチュード』(日本放送出版協会)
*12 wikipedia「マルチチュード」
*13 厳密に言うと、デリダの一世代後になるが、文芸・政治評論でポストコロニアルの観点が用いられたのもこの頃である。

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