有沢翔治のlivedoorブログ

 同人小説家、有沢翔治のブログ。  いいものを書くためにはいいものを、幅広く。

【こんな小説を書いてます】

二人であることの問い

 双子の姉、亜衣の様子がおかしい。何かあったのではないかと真衣から萌は相談を受ける。やがて亜衣の部屋からバタフライナイフを買った痕跡が見つかり……。亜衣は何を考えているのか?

宮城谷昌光『重耳』(講談社)

重耳(上) (講談社文庫)

あらすじ

 時は周王朝というから紀元前1000年ごろのことである。周王朝も弱体化し始め、様々な国が勢力を伸ばし始めた。東には斉が、南には楚が……。北方の小国、曲沃の君主は称といい、野心家であった。曲沃は翼の属国であったが、彼はそれを滅ぼし、国を晋と改める。
 称の息子、詭諸には申生、重耳、夷吾などがいた。つまり物語の主人公である重耳は、晋を統一した称の孫に当たるが、この重耳は始め生彩を欠いています。重耳の卜いは凡庸な解釈、部下たちも結束力は強いものの実力は今ひとつ。つまるところ中国全土をまとめ上げられるとは考えにくかったのだ
 しかし、詭諸の卜師、史蘇の見立ては全く違っていた。重耳を後に天下を取るだろうと予測したのだった。重耳は案の定、人望も厚く、頭角を表してきた。
 重耳が出世すると父親の愛人の妬みを買い、ついに暗殺計画が持ち上がる。重耳はすんでのところで脱出し、放浪生活に入る。しかし、各国で亡命生活をしていく中で政治情勢は変化。部下の熱烈な後押しで晋の国王となる。

宮城谷昌光について

 宮城谷昌光は主に古代中国を舞台として歴史小説を描いています。例えば『天空の船』は夏王朝から殷王朝の政治家、伊尹についての物語ですし*1、今回は周王朝を舞台に重耳を主人公として書いています。
 歴史小説などは大長編になりがちなのですが、宮城谷昌光も長いです。『天空の舟』は上下巻でしたが、『重耳』は三分冊、『孟嘗君』に至っては五冊です。大長編で手を出すのに勇気が入りますが、短編集もあります。

漢語について

 宮城谷昌光は漢語が本当に多いんです。例えば、適当に文章を抜き出してみても、
 重耳がこの桓公の厚沢に感激したかは、この地で生まれた自分の子に驩という名をつけたことからでもわかる。驩は馬のよろこびをいう。ちなみにこの男子は嫡子となり、死後、襄公とよばれる。
こんな具合で一段落に二つくらい漢語が出てきます。なんとなく前後から意味は類推できるようになっていて、そこが宮城谷昌光の優れている点です。
 しかし僕はタブレット、漢和辞典などで逐一意味を調べながら読んでました。気になったら調べなければ気がすまないので。しかし中にはいくら調べても載っていないものもあり、そこは読み飛ばしました。
 また漢語を使っている割に全体としてひらがなが目立ちます。中島敦もまた中国を題材に小説をかいていますが、例えば「山月記」*1の冒頭を抜き出してみると、
隴西の李徴は博学才穎、天宝の末年、若くして名を虎榜に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介、自から恃むところ頗ぶる厚く、賤吏に甘んずるを潔しとしなかった。いくばくもなく官を退いた後は、故山、虢略に帰臥し、人と交を絶って、ひたすら詩作に耽った。
 とあるように漢字が目立ちます。もっと多かった気がしますが、高校の頃の印象なので、あまり当てにはなりませんね。
 ただ一つ思ったのは、通常、感じで書いているところを敢えて、ひらがなにしているのではないかということです。例えば「名をつけた」「わかる」、「よろこび」……、みんなひらがなですよね。どうしても漢語を多くすると、漢字が多くなってしまうが、古代中国が舞台であると漢語を使ったほうが雰囲気が出る。もしかしたら雰囲気以上に当時の語彙に忠実でありたいという思いがあったのかもしれませんが、これは漢字と平仮名のバランスをとるためだと考えました。

文献

 宮城谷昌光は文献を作中に引用しながら語っています。例えば
 孔子はこの二人について、『論語』のなかで
──晋の文公は譎りて正しからず、斉の桓公は正しくて譎らず
 と、批評している。
 僕は中国史に詳しくありませんので、どこまで正確なのかは確かめようがないのですが、実在の史料に基づくことである程度のリアリティを帯びてきます。加えて『天空の舟』*2の後書きでこう述べています。
 さらに無謀だといえたのは、題材を古代にとったことである。そこにある同時代史料は甲骨文と金文だけである。
 宮城谷昌光は全くの空想ではなく、白川静などの研究に基いて描いているのです*3。
重耳(中) (講談社文庫)

全体の構成

 三分冊ということもあり、怯んでいました。精神的に調子がいいと『戦争と平和』などにも意欲的に手を出すのですが、気分が下がっていたこともあるかもしれません。
 しかし、読み始めてみると実に面白かったです。人の気持ち、感情よりは国の趨勢を描いていますので、重耳などに感情移入したい人にはおすすめできません。現に重耳の臣下である介子推が隠遁する心理はうなずけるのですが、また重耳のもとに戻ってくるまでの心理が一切省かれてしまっているので、消化不良な印象すら覚えます。

人物描写

 また閹楚という重耳の暗殺者が途中から改心するのですが、これまた心理が一切省かれています。それに重耳も閹楚を安々と受け入れすぎ。しかも「わが運を、汝にゆだねよう」と全幅の信頼まで寄せるまでに。
 最初こそ疑いますが、
「わたしはすでに刑を終えた身です。いまさら処刑を愁いてはおりません。そんな者でも引見なさらなかったら、おそらく君は後悔なさるでしょう」
 閹楚が口をむすぶと、重耳は膝をついた。はじめて閹楚の正体をみたおもいであった。
 ──忠そのものの男ではないか。
 ただし君命に悪が含まれている場合、閹楚の行為は善行にはみえない。そこが閹楚の不幸であった。
 「わしが至らなかった。ゆるせ」
 一見、美談ですが、この台詞が嘘かもしれませんし、本当だとしても安々と許せないと僕は思うんですけどね。しかも重耳がお人好しの君主として描かれているのならまだしも戦果の報奨を入念に審査して与えるという、どちらかと言うと慎重な人間。しかも実の父親に殺されかけるなど数々の辛酸を舐めてきたんです。ここで軽率に閹楚を許すのは、やはり違和感があります。

国の趨勢

 さて、宮城谷昌光の関心は個人の心象描写にあまり関心を置いていません。戦いの場面も確かにありますが、手に汗握るというよりは淡々と描いています。例えば、最後、宋と楚が戦う場面。窮地に陥った宋の武将、公孫固が「晋へ行って、援軍を請うてくる」と「稠密な陣をたくみにぬけて、北へと奔」るのですが、手に汗握る展開にもできたはずです。それなのに宮城谷昌光は緊迫感を敢えて排除しています。それは彼が迫力の戦闘場面よりも国の勃興を描きたかったのではないかと思います。
 現に晋を統一する場面では臣下が詭諸にこんなことを言います。
天上からこの戦いをごらんなさい。これは本家と分家の小さな争いにすぎません。因由がどこにあるにせよ、私怨のぶつかり合いです。天とは正義に味方するものです。したがいまして、天によって浄化されない時と所において戦う場合、どちらの怨念も消滅せず、たとえ敵がこの世から消え去ることとなっても、勝者は敗者の怨みを生涯うけなければなりません。殊功を立てたものこそ、最多の怨みを受けることとなります。
 この天という概念は古代中国で非常に重視されていました。今でこそ、空の様子にしか使いませんが、自然の摂理、社会の法則などだったのです。今でも「人事を尽くして天命を待つ」という言葉にその名残を留めていますね。
 したがって、西洋で言うGODに近いのではないでしょうか。

歴史小説の意義

 ここで歴史小説の意義について考えてみました。特に古代中国を描く意味について。前述のように古代中国では自然法則、社会法則に従わないと、天から罰が下るという考えがありました。政治にしろ道徳にしろ、全てにおいて。要するに人を赦すことを含め、よい君主とは何かと問う役割があります。
 例えば虢軍と戦うために詭諸が徴兵を布こうとすると、臣下の士蔿に諌められます。「城はつくりましょう。しかし、虢を攻めるのは早すぎます」。
 礼は、むさぼる心にはなく、ゆずる心にあり、楽とは人と和することを楽しむということである。肉親を愛し、人の死を悲しむ心がもてるようになって、はじめて民を兵として用いることができる。真の戦力とはそれであり、傲慢な虢公には目にうつりがたい戦力を蓄えようとする気はあるまいそれゆえ虢は戦いに勝てば勝つほど、戦力ばかりか国力も消耗することになる。
 そういって士蔿は詭諸の怒りと焦りをなだめた。
 重耳(下) (講談社文庫) 国民を蔑ろにした政権はいずれ滅びることが天の摂理なのですが、それをダイレクトに表現すると政治色が強くなってしまいます。そこで古代中国を描き、間接的に表現する効果があるのではないでしょうか。








*1 中島敦「山月記」(青空文庫)
*2 宮城谷昌光『天空の舟〈下〉』(文藝春秋)
*3 同上



島崎敏樹『生きるとは何か』(岩波書店)

生きるとは何か (岩波新書 青版 881)

はじめに

 森有正『生きることと考えること』に続いて人生論。疲れてるんじゃないかって思われそうですが、なんてことはない図書館の本が予定より早く読み終えたから、たまたま本棚にあった本を読んだだけです。新書は入門書や、下手するとエッセイ・随筆という内容が多いんです。
 したがって軽いものだと2時間くらいで読了できてしまうんです。僕にとってはいい暇つぶしの材料です。教養の獲得、語彙力の上昇、そんな思いは全くありません。
 僕はこんな風に意識が低いんですね。なので『生きるとは何か』について感想を書いていいのか迷ってしまうんです……。

内容

 著者の島崎敏樹さんは精神科医。wikipediaを見てみると有名な人らしく、現代文の教科書などにも載るほどだと*1か。知りませんでした。
 『生きるとは何か』では生き甲斐、居場所を中心に据えています。こういった人生論は生き甲斐・居場所の重要性を熱く語って、自己満足になることが多いんです。たとえ暇つぶしでもそういった本は読みたくありませんが、『生きるとは何か』は面白く読めました。
 例えば下記のくだり。
生れおちたときの私たちは白紙であって、この上にどんなことばが書きこまれたかによって私たちはひとりひとり別の人間になる、それは疑うことはできない。それでは白紙である以上はだれも等質で平等なであろうか。おなじ白紙とはいっても紙質はさまざまあるではないか。
 この文章はジョン・ロックを始めとする、タブラ・ラサ*2、つまり人間は白紙の状態で生まれてくるのだという考えを念頭に置いています。この島崎敏樹さんの文章は白紙の比喩を踏まえつつ、反論していることです。
 その根拠は、一卵性双生児の兄弟でも片一方が殺人犯、片一方が聖職者になったという事例。語り口もそうなのですが、多くの臨床例、文献を引用して、人間の心は不思議だと思わせてくれます。

甲斐

 さて、島崎敏樹さんは生き甲斐に注目しています。そもそも「甲斐」とは「なにかをするにあたってあらかじめ期待した予測どおりにことが運んだかどうかできまる評価」だといいます。つまり、未来を予想し、ちゃんと物事が進んでいるかをチェックすることだと解釈しているのです。
 広辞苑で調べてみたら、「1 行動の結果として現れるしるし。努力した効果、2 期待できるだけの値うち」という意味が載っていました*3。
 生き甲斐とは居場所があるということです。実際、昇進、昇給が勤め甲斐の一位に来るのは男子だけであって女子社員で同じアンケートを行なうと居心地の良さが一位に来るそうです。もっとも、これは時代柄もあるので、今は変わっているのかもしれませんが。
 この居場所という考えこそ『生きるとは何か』の中で繰り返し述べられています。そして会社への「行き甲斐」につながってくるとも。

居場所

 さて、島崎敏樹さんは臨床例を紹介します。息子のために完璧な嫁さんを探してきたがために、自分の居場所を失ってしまった。彼女は嫁に難癖をつけはじめて、嫁を追い出してしまいます。島崎敏樹さんは「居場所」という意味で「居がい」を使って、次のように開設しています。
息子と二人で一緒に生きている暮しの地盤が〔嫁に〕うばわれて、どっしりと坐っていられる「居がい」をなくしてしまったせいである。
 自分の地位が脅かされるので、必死になって取り戻そうとするんです。これは実世界のみならず、ドッペルゲンガーや影という形で文学作品に多く見受けられます。

 河合隼雄によれば、影は自分と正反対の性格でありながらも、見たくない自分の側面です*4。例えば典型例なのがアンデルセンの『影法師』。学者が影にそそのかされて王女と結婚するのですが、影が本体の地位を乗っ取ってしまった、というあらすじらしいです。
 『影法師』に限らず影はいつの間にか本体を乗っ取る存在として描かれることが多いと河合隼雄は指摘しています。そして荒唐無稽な御伽噺の世界ではなく「実際、自分の無意識に動かされて行動し、後になってから後悔しても、自らの破滅を防ぎきれないようなことが起こり得る」*5と書いています。
 先の中年婦人がどこまで意識していたかは解りませんが、嫁は「影」だったのではないでしょうか。中年婦人にとっては居場所が回復できて幸せだったのかもしれませんが、家庭を破滅させています。そういった意味において「自らの破滅を防ぎきれない」という河合隼雄の記述とも合致しますし。

 さて島崎敏樹さんは旅についても居場所という観点で考察しています。「旅に出る朝の気の重さを経験しないひとはない」としています。僕はそう感じないんですが、森有正はパリ留学のときに気が重かったと述懐しています*6。
 しかし中には放浪の旅をしている人もいます。
全く別の特質をもった旅がひとつある。漂流、放浪、流浪がそれであって、果のないこの旅をかさねる人では生きる土台が露出してさらされ、安定性、不動性を失ってしまっているので、その正体をつきとめるために別扱いをする必要がある
 「男はつらいよ」の車寅次郎は放浪の旅に見えますが、家があります。本当の放浪の旅は、帰る家すらもありません。したがって彼らには居場所がないのです。もちろん、ジル・ドゥルーズのように新たな世界像として提示するか*7、それとも島崎敏樹さんのように否定的な意味としてとらえるかは別にしても。

死に場所

 さて、島崎敏樹さんは居場所の重要性を訴えてきたのですが、その姿勢は死の床でも変わりません。不思議なことに人間は年老いると、幼児に逆戻りしていきます。僕の祖母は認知症でしたが、本当に時間の感覚が麻痺していくようでした。
 確か西丸四方だったかと思いますが、「人は、死の恐怖から逃れるために認知症になるのである」ということを読んで、説得力を感じた覚えがあります。
 田舎の農夫が死期を悟ったときに、家族を呼び寄せ晩餐会を開いたというエピソードが示すように、最後の最後まで居場所を求めるのです。そしてそれは「人体」として扱われるよりも一人の「人間」として扱うという意味でもあるのです。

 
*1 wikipedia「島崎敏樹(精神科医)
*2 wikipedia「タブラ・ラーサ」より
*3 広辞苑「甲斐」の項目
*4 河合隼雄『影の現象学』(講談社)
*5 同上
*6 森有正『生きることと考えること』(講談社)
*7 ジル・ドゥルーズ『アンチ・オイディプス』(河出書房)。なおドゥルーズは既存の枠組みに囚われない新たな世界観として、肯定的な意味で使っているように思う。



森有正『生きることと考えること』(講談社)

生きることと考えること (1970年) (講談社現代新書)

要約

 森有正さんはデカルトやパスカルの研究者です。そんな彼が自分の生い立ちをもとに哲学を語っています。森有正さんは経験を非常に重視し、そこから考えるということを非常に重視しています。
 幼少期の読書経験、大学、そして留学、恋愛……。個人的な経験をもとに人生について考えていきます。森有正さんにとって、人生と思索は密接な関わりを持っているのです。

背景

 森有正さん(とインタビュアー)の問題意識は「観念だけが自己回転をしている」*1現状をを打ち破ることにありました。
 実存主義がはやるとときにはサルトルの独自の用語を、構造主義がはやるとたちまちミシェル・フコーなどの用語を巧みに弄びながら、新時代の論説を形作ります*2。
 確かに哲学のそういう面は否定しませんが、学問である以上、客観的な、あるいは普遍的な真理を築き上げるものです。根拠を自分の経験に求めてしまうと、自分以外の人間には伝わりません。言葉は他人に伝えるためのものなので、伝えるように努力しなければ行けないと思うのです。

空疎な自己回転は日本人特有の問題か

 もう一つは、さも日本人特有の問題であるかのように解かれていますが、フランス現代思想は他人から見ると「観念だけが自己回転をしている」ような印象を与えるのではないでしょうか。あとサルトルの『存在と無』、ハイデガーの『存在と時間』、ヘーゲルの『精神現象学』とか。
 問題意識は「解る」んだけど、もっとすっきり言えないのか、と。二人とも勝手に定義もしないのに用語を作りすぎ。カントみたいに論理的に書けないのかと

二分法と役割

 『生きることと考えること』についての論理展開を見ていくと、まずフランスと日本での二分法で考えていることが解ります。確かに「日本人、あるいは日本の文化というものを根本的に見直させてくれる」という側面もあるのでしょう。
 役割に固執するあまり、フランス人は日本人のことを単細胞生物と呼んでいるらしいのですが、森有正さんは日本人というペルソナに固執しているように思いました。

客観性の問題

 『生きることと考えること』は確かに一人の個人史としては確かに面白い。ですが、論理性の面はお世辞にも優れているとはいい難い。早い話が独りよがりなんですね。
 例えば細かいことで言えば、「たとえば、若いお嬢さんと男の人だったらもう離れることのできない恋人になってしまう」。一見すると何気ない文章ですが、僕には引っかかりました。僕の交友関係を考えると、女友達や若い女の上司、そういった関係が圧倒的に多いんです。結婚してもSNSでアニメや文学談義をしています。
 「ヨーロッパ人は、肉体的に結びつくこと以外には考えません」とありますが、人それぞれでしょう。現にダンテとベアトリーチェは精神的な愛を貫いたわけですし、騎士道では女性との精神的な愛を説いています。
 またLGBTの問題もあります。確かに今ほど話題になっていませんでしたが、オスカー・ワイルドは同性愛で投獄されたというエピソードは知っていたはずでしょう。そういったことを考えると、若い男女が恋愛に陥るなんて短絡的な発想は出てこないんじゃないのかなぁ。

日本語の問題

 もう一つ気になったのが、日本語について問題。
 日本語には判断を差し控える形が、言語構造の中に多すぎる。そのために客観的な認識というものが発達しないのです
これはもう噴飯物。日本語だって極めて客観的な文章が書けます。例えば、村上陽一郎や山本義隆の文章は客観的です。
 また主語云々に関して言えば、古文を学んだ人には解ると思うのですが、最高敬語などで判断できるようになっています。例えば「遊ばす」、「あらせられる」、「賜う」などは天皇家にしか用いません。
 加えて、ラテン語にも主語がありません。例えば、「cogito ergo sum」、デカルトの「我思う故に我あり」という言葉ですが、cogitoは「考える」という意味の一人称、ergoは故に、sumは「ある」という意味です。動詞の中に主語が含まれてるので、明確な主語はありませんが、それは日本語も同じ。
 森有正さんの論法を注意深く読めば解るように、世界中に当てはまる事例をさも日本特有の事例かのように論じています。そして日本人を非難しているのです。
 どうしてこうした問題を取り上げたかというと、僕にとって「考える」とは上記のような作業だからなんです。つまり事実をもとに何が間違っていているのか考えていく。

経験から考えること

 とは言え、森有正の方向性を全否定しているわけではありません。名所のくだり、体験と経験の区別については、興味深かったです。
 学問の場では確かに客観性が求められますが、経験によってしか確実な知識は得られないと思っています。数学的な知識でさえも経験によるものがかなりあるのではないでしょうか*3。

17世紀の哲学者たち

 哲学者の間で認識の問題が取り沙汰され始めたのは、ちょうどデカルトのころ。デカルトなどの大陸合理論とジョン・ロックなどのイギリス経験論に二分されていました。知覚がウソを付く以上は、経験も信用できないのではないかとデカルトは考えました。
 遠くからは円形に見えていた塔が、近づいてみると四角に見えることもあったし、また塔の頂に据えられていた巨大な彫像が、地上から眺めると大きく見えないこともあった(後略)*4
 一見するとデカルトは懐疑論であり、また、実際方法的懐疑によって、真理にたどり着こうとしました。そして最終的には理性に行き着きます。
 しかし森有正が「デカルトの思想の中には、経験というものを非常に大事にするという考え方があると同時に、一方において感覚を精神から遠ざけるということがあ」ると語っているのは、単に間違った経験を生かしているだけではありません。『省察』は、デカルト自身が神の信仰に行き着く過程を描いています。したがって『省察』にはどうしても自分の体験を重視しています。

森有正が目指したもの

 森有正は恐らく『省察』のように誠実な自己省察を目指したのでしょう。しかし、それは成功しているとは言えません。
 おそらくはヨーロッパに憧れが合ったのでしょう。幼少期の頃に読んだキリスト教の本が影響していたのかもしれません。しかしその憧れからか今度は日本人を矮小化しています。では日本人のいいところは何なのか、ということを論じないと、「日本人とは何か」考えたことになりません。
 もう一つは、インタビュワーの存在。弟子がインタビューをしているのですが、ついつい格好良く振る舞ってしまいがち。人前で失敗談を話せる人はなかなかいません。

*1 伊藤勝彦「まえがき」(森有正『生きることと考えること』講談社)
*2 同上
*3 カントは『純粋理性批判』で多くのものは経験に依存するが、数学的な認識だけは経験に依存しないと考えた(イマヌエル・カント『世界の大思想〈10〉 純粋理性批判』河出書房)。
*4 デカルト「省察」(ルネ・デカルト『世界の大思想〈7〉 方法序説/省察/哲学の原理』(河出書房)



墨子『墨子』(筑摩書房)

墨子 (ちくま学芸文庫)

諸子百家

 殷、周と続いてきた古代中国ですが、周が終わると春秋戦国時代に突入します。春秋戦国時代も始めのうちは魯、呉、越など様々な小国がしのぎを削っていたのですが、後半になるとこの小国も併呑されて斉など七つの国で派遣を争うことになります。
 そんな中、多くの孔子、老子、荘子などの思想家たちが生まれます。彼らのことをまとめて諸子百家といい、荘子と老子は毛色が違うのですが、多くの場合、政治思想を説いています。墨子もその一人で、春秋戦国時代後期の人です。

墨子とは

 墨子とは一言で言うと、面白い集団。傭兵なんですが、戦争は出費がかさむと説いています。
 国家が命令を発して軍隊を出動させると、民の生活を奪い妨げ、民の利益を奪い尽くすこと、このように甚だしいものがある。それにもかかわらず、何のためにこのようなことをするのであろうか。
 このような論法で現実的な立場から戦争を説いています。自分の立場はどうなるのかと思われるかもしれませんが、防衛専門の傭兵だったのです。また傭兵というと体育会系のイメージが強いですが、墨子には(本書には収録されていませんが)、幾何学や物理学の対話もあり*1、理系でした。おそらくはもともと技術官僚*2で、城などを建てていたのではないかと思います。少なくとも様々な文献を引用しているところからみるとただの職人ではないと森三樹三郎さんは推察しています。

兼愛思想

 墨子自体、文献が非常に少なく、司馬遷の『史記』など名前が残っている程度。また兼愛の思想は儒家と対立するため、儒教が国教化されてからは疎まれることとなります。儒教は家族愛の延長上で愛国心を説いていたため、為政者は政治的に利用しやすかったに違いありません。
 墨子の兼愛思想はというと、「すべての人々が相愛する」ことで、自分を愛するように他の人を愛せという思想。他の人であれば遠かろうと近かろうと同じこと。この思想は兼愛篇以外にも見られます。例えば耕柱篇では兼愛について、弟子の巫馬子が墨子に言っています。
 私の家人を村人より愛し、私の親を家人より愛し、我が身を親より愛します。つまりそれだけ自分に近いからです。
 村人、親戚、親、そして自分……より自分に近いものを愛するという発想は極めて自然だと言えましょう。誰だって見ず知らずの人よりは親を助けたくなりますよね。ところが自分を愛するように他人を愛せと墨子は説いています。
 これがキリスト教の博愛思想と類似するかはともかく、「君の説に共鳴する人は〔自分の説だと主張するために〕君を殺すだろうし、君の説を不快に思う人も殺すだろう」と墨子は明らかに話を逸しています。共鳴する人は異国の人でも共鳴するし、親でも不快になる、とせめて答えておけばまだ説得力があったような気がするんですけどねぇ。
 森三樹三郎さんは解説でキリスト教との類似していると指摘しています。しかし、キリスト教は自己犠牲の精神があり*3、自己を愛するように他人を愛しなさいという墨子の思想とは違います。つまり墨子は自分と他人が同じ程度の価値だと考えているのに対し、キリスト教では他人のほうが価値があると考えているのです。
 この自己犠牲は行き過ぎると卑屈になってしまいかねないので、墨子の兼愛思想のほうが僕は好きです。

非戦

 非戦も墨子の特徴です。反戦は「戦争に背(反)く」と書くので、戦争そのものに反対する立場です。つまり思想的な背景からの兵役拒否も含みます。
 他にも「運動の具体的な内容には徴兵拒否、軍隊からの脱走、デモ活動(集会・行進)、ビラ配布、戦争当事国の輸出品目の不買運動、軍需産業の従業員によるストライキ、当局関係者による内部告発などがあ」*4ります。
 不戦は「戦争をしないこと」ですが、個人の思想というより国家間の取り決めです。
 国家がどういう政策を取るかで、墨子は非戦を論じています。平たく言えば、「攻めない」という立場。実際、「甲や盾、五種の兵器を作る目的は何かといえば、戦乱や強盗殺人を防ぐためである」とあるように軍備の必要性は墨子も認めています。
あなたの国の楚は、領土内に開拓しきれぬほどの荒れ地があり、いくら人口をいれても余るほどの空き地があります。それにもかかわらず宋や鄭の空き地を見ると、目を光らせてこれを盗みとられる。
 とあるように軍備はあくまでも専守防衛。侵略戦争は反対の立場を示しているのです。

儒教との関わり

 儒教では音楽を尊びますが、墨子はこれについて反論しています。「何のために音楽を行なうのか」と墨子は儒家へ質問したところ、儒家はこう答えました。「楽しむために音楽を演奏しています」と。
 墨子は同語反復だと言って、満足しません。「部屋を作るために部屋を作ると言っているようなものだ」と墨子は指摘するのです。この辺り技術者の発想だと思うのですがいかがでしょうか。
 ともあれ孔子は「子曰はく、詩に興り、禮に立ち、樂に成る」と言っています。これは人間が人格者になる道を表しているのですが、孔子は礼節を重視するために音楽を演奏するべきだと考えていました*5。しかし時代が下るに従って、それが段々と豪華なものになっていったんです。
 音楽は人格を作る上で重要な要素だと孔子本人なら答えていたかもしれませんが、当時の儒家たちも形骸化していたのかもしれません。
 ところで、こういう切り返しならいかがでしょう。「楽は学に通じる」と

*1 Wikipedia「墨子」より
*2 Wikipedia「テクノクラート
*3 ヨハネによる福音書15章13節には「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない」という文章がある(wikisource「ヨハネによる福音書」)この思想はイエス・キリストが磔刑に処されて、人類の罪を贖ったという考えが根底にある(Wikipedia「自己犠牲」)
*4 wikipedia「反戦運動
*5 論語(泰伯第八の八)

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プロティノス『美について』(講談社)

プロティノス「美について」 (講談社学術文庫)

新プラトン主義

 プロティノスは新プラトン主義で最初期の哲学者です。新プラトン主義とはプラトン哲学の(自称)正統派解釈と名乗り、独自の哲学を説いた人々。正統派解釈と独自の哲学とは矛盾しますが、ほら、あくまでも自称ですので。
 しかし長らく正統派後継者だと思われてきました。アウグスティヌスの『告白』*1などからもそのことは窺い知れます。実際にはプロティノス(しか読んだことはありませんが)の哲学はプラトンのイデア論を下敷きにしながらも「一つのものから全ては流れ出る」といったパルメニデスの影響も垣間見えます。プラトンの対話篇に『パルメニデス』という著作があるので、それを読んでのことかもしれませんね。
 この思想はキリスト教の教義と親和性が高く、アウグスティヌスを通して神学に取り入れられました。ただプロティノスそのものは西ヨーロッパに伝わっておらず、ルネサンスに再発見されました*2。

プラトンの思想

 プロティノスの思想と言っても、僕は『この美について』(原題はエネアデス)しか読んでいません。他にあるのは調べ物をしたときの断片的な知識のみ。
 まずはプラトンの思想から見ていきます。

イデア論

 プラトンはイデア論を唱えました。イデアというと解りにくいのですが ideaと書くと違うのではないでしょうか。そう、考えという意味のアイディアですね。例えば誰からも教わることなく、三角形と聞いて、ある程度の形が思い浮かぶのは、あるいは犬と聞いて、みんな猫を思い浮かべないのは、三角形の、あるいは犬についての共通認識が頭の中に備わっているとプラトンは考えました*3。

イデア論の問題

 その中でも「善のイデア」を特に重視しましたが*4、主な問題は2つ:
(1)イデアが実在するかどうかも疑わしい。この問題意識はアリストテレスに引き継がれます。そこで三角形をいっぱい集めれば三角形ってこういう形だよね、と言えるのではないかとアリストテレスは考えました。
 △▽……こんな感じで、帰納的に物事を考えようとしたのです。
(2)各イデアがどういうつながりを持っているか語られていない。
 たとえば、有沢翔治を考えてみましょう。男であり、飲食店勤務であり、日本人であり……。こういうイデアがあるのですが、日本人のイデアと、男性のイデアはどういう関係? 飲食店を辞めたら飲食店勤務のイデアはどうなるの? といった問題があります。
 一応、善のイデアが全てを束ねていると言っても、どのような相関関係、あるいは階層関係にあるのかが語られていません。

プロティノスについて

 このような問題を抱えながらも、イデア論をプラトンが唱えました。(2)の問題に取り組むため、プロティノスが考えたのが美のイデアです。彼は「善のイデア」を「美のイデア」と解釈します。
 これは日本語でも善を美しい行ない、美しい心と言うことからも解るでしょう。プロティノスは
 魂は知性によって美しいものとなる。次いで、その他の美しいもの、つまり行動における美しさや、仕事における美しさは魂の形成的作用に由来する。さらに実際、人が美しいと称する肉体をも美しくするのは魂である。何故かと言えば、魂は神的なものであり、いわば美の一部である。
 人それぞれじゃないのかと僕なんて思ってしまうのですが、美と善を同じものとしてみているようです。つまり美というものを考えることで善を考えようとしたのです。「美の源となすものを、善とみなすべき」「善と根源的美とを同一視すべき」などと述べていることからも明らかです。

論証の方法について

 繰り返しますが、プロティノスはプラトンの正統派後継者を自称しています。しかしプロティノスはアリストテレスの論法に近いんですよ。プラトンは美しいものの共通認識があるという立場、アリストテレスは美しいものを列挙していけば美しいものが解るという立場でしたね。
 プロティノスは音、芸術作品、行動などの「美しい」と思えるものを考えていっています。もちろんアリストテレスも読んでいたのでしょうが、納得が行かない……。ただ良くも悪くも常識人のアリストテレスに比べて、プロティノスはどこか神秘主義的。神について語っているからかもしれませんが。

一者

 プロティノスの哲学を一言でいうなら「美のイデアは完全な存在であり、目に見える世界はそこから流出した」という考えです。
この神は一人でありながら、すべてでもある。さらにそれぞれの神々も一人であって、すべてであり、集まって一人になっているのだ。
 一見すると新興宗教のようですが、プロティノスの哲学を端的に表しているように思います。アリストテレスは『形而上学』*5で、第一原因について、つまりすべての始まりについて語っています。
 もちろんプロティノスはこの話も念頭にあったのでしょう。しかしアリストテレスは一人の理性的な神を思い描いていました。一方、字面を見る限り、プロティノスは最上位に神がいて、神を束ねており、それが集まって一人の<人格>を形作っているという世界観を思い浮かべているように感じました。恐らくゼウスを思い描いていたのかもしれませんね。
 どうして、プロティノスは一者という考えに至ったのでしょうか。僕は二つのことを想像しています。
(1)エジプト出身だということ。プロティノスはエジプト出身ですので、ギリシャ神話とは異なる体系です。彼よりも前の哲学者になりますが、プルタルコスはギリシャ神話とエジプト神話の共通点を比較しています*6。エジプト神話とギリシャ神話を統合するような理論体系を構築したかったのかもしれません。
 しかしその目的ならエジプトの神々に言及しているはずですし、ギリシャ哲学を援用した理由はどこにあるのか疑問が残ります。統合が目的ならどちらかに肩入れすることせずに公平に論じられてるはず。
(2)キリスト教の影響。僕には予備知識があるので、そう見えてしまうだけなのかもしれません。もちろん、後世の神学者がプロティノスを読んでいたことも考慮する必要があります。しかし世界は善に満ちあふれているという下記のくだりはキリスト教の要素を感じました。
かのものは善である。なぜなら、かのものは「思慮深い主」知性的生の原因となる一つの力でもあり、そこから生も知性も、さらに実体や存在に関わるものすべてが生まれるからである。──さらにかのものは一でもある。──なぜなら単一で究極のものだから──始原でもある──すべてのものは彼から始まったので。第一の原因も彼から始まった。
 原文がどうなっているか解らないのですが、第一の原因、始原という言葉からはアリストテレスを思い起こさせます。
 しかしアリストテレスは神を理性的な存在だと考えたのに対し、プロティノスは神を愛(エロス)という概念で捉えようとしていたのではないでしょうか。

*1 アウグスティヌス『告白 』(中央公論)
*2 Wikipedia『プロティノス
*3 田丸徳善、佐藤正英、片山洋之助[他]『高等学校 倫理』(教研出版)
*4 プラトン「国家」(『世界の大思想<1> 国家/ソクラテスの弁明/クリトン』)
*5 アリストテレス『形而上学〈上〉』(岩波書店)
*6 プルタルコス『エジプト神イシスとオシリスの伝説について』(岩波書店)


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ウィリアム・バイナム『医学の歴史』(丸善)

医学の歴史 (サイエンス・パレット)

概要

 医学はどのように、どのような社会環境で発展してきたのだろうか。臨床、書物、病院、共同体、実験室から医学史を解き明かす。
 古代ギリシャ、ローマ人はどのように病気を説明していたのか。外科や内科はどのような社会的背景で発展していったのか。フランス革命はどのような面で医学教育に影響を与えたのかなどを解説していく。

科学史

 友達とツイッターで中国の歴史から東洋医学の話になりました。それで外科と内科の歴史は違うのではないかという話になり、確かめるために読みました。
 これまで科学史や科学哲学の本は何冊か読んだことがあるんですが、医学に焦点をしぼった本は初めてでした。調べてみると、同様のタイトルで中公新書と講談社学術文庫から本が出ていました。

ヒポクラテス

 さて、医学の歴史はヒポクラテスに始まります。現代でもヒポクラテスの誓い(あるいはそれに類したもの)を学位授与式のときに唱えることからも、ヒポクラテスの影響力は大きいと推察できましょう。具体的な内容はWikipedia「ヒポクラテスの誓い」*1によると、
・この医術を教えてくれた師を実の親のように敬い、自らの財産を分け与えて、必要ある時には助ける。
・師の子孫を自身の兄弟のように見て、彼らが学ばんとすれば報酬なしにこの術を教える。
・著作や講義その他あらゆる方法で、医術の知識を師や自らの息子、また、医の規則に則って誓約で結ばれている弟子達に分かち与え、それ以外の誰にも与えない。
・自身の能力と判断に従って、患者に利すると思う治療法を選択し、害と知る治療法を決して選択しない。
・依頼されても人を殺す薬を与えない。
・同様に婦人を流産させる道具を与えない。
・生涯を純粋と神聖を貫き、医術を行う。
・どんな家を訪れる時もそこの自由人と奴隷の相違を問わず、不正を犯すことなく、医術を行う。
・医に関するか否かに関わらず、他人の生活についての秘密を遵守する。
 といったような医の倫理、プライバシーの保護などが掲げられています。ただし実際に医学部で唱えられているものではなく、原文の直訳したものですが。
 このようにヒポクラテスの知名度は高く、古代ギリシャを代表する医学者です。また、『古い医術について』も邦訳されているのですが、その生涯はよく解っていません。プラトンも言及しているように有名な医者だとは推察できますが、残っているのは断片的な著作のみ。その断片的な著作も広範囲に及び、「診断、治療、予防や内科学、および外科学の多くの側面を取り扱」っています。

全体を見る医学

 このようにヒポクラテスの論考は、一貫性を欠いているように見えます。しかし、「患者全体を見ている」と指摘し、現代の医学も「ヒポクラテスに落ち着き先を見出している」とあります。たとえば、「食餌などの健康な生活にかかわる忠告」「環境が健康と生活に影響を及ぼす役割」などは予防医学の先駆けとも言えましょう。
 予防医学というと現代的なイメージがありますが、文化的な背景があります。例えば「人体を切開することを嫌」いました。
 死因を確かめるために、死体解剖を行わず、ギリシャ人医師は、弟子たちに身体深部にわたる解剖学を教えなかった。(中略)彼らが知っていたのは、皮膚に近い部分の解剖学と病気がたどるであろう経過を示す兆候を求めて患者を注意深く観察する鋭い感覚だった。
 外科は確かに文化的な背景が大きく、死体の解剖はタブーだったのも頷けます。ヒポクラテスはヤギの頭を切開したという記録が残されていますが*2、せいぜいその程度。
 確かにエジプトでは頭蓋縫合や脳の表面などの記述がパピルスから窺えます*3。しかし、治療目的というよりも、ミイラづくりという宗教的な目的だったのではと僕は思います。

内科の限界

 内科に関して言えば、今でいうオカルティズムの側面が強いんです。例えばガレノスはを4つに分類しました。今でも痰などで健康状態を図りますが、古代ギリシャ人にとって体液で全て病気の流れを説明していました。
 具体的に、血液、黄胆汁、粘液、黒胆汁の四つなのですが、これらはアリストテレスの四大元素や人生の段階とも結び付けられて考えられました。今でこそオカルティズムなのですが、古代・中世の人々にとっては目に見える世界が全てだったのです。
 もう一つ考えなければいけないのは、当時にしてみたら、これが「科学」*4であり万物の理論だと信じていました。現代の科学理論、科学体系も百年後、あるいは五十年後、オカルトだと評されているかもしれないということです。つまり見下す資格はあるんだろうか、という点。
 細菌がいるかどうかすら解っていない時代なので、体液に原因があると考えるのは無理もないように思うのです。

イスラムに

 医学に限らず、ギリシャの科学的知識はイスラムに渡ります。理由はいくつかありますが、宗教的な迫害や戦争による亡命です。
 バグダッドに大きな図書館ができ、そこでギリシャ語の文献がアラビア語に翻訳されまるのですが、当然ながらガレノスなどの著作も含まれていました。そこでイブン・シーナー、イブン・ルシュド、そしてアル・ラーズィーなどの医学者が生まれるのです。
 アル・ラーズィーは麻疹と天然痘を区別しましたし、イブン・シーナーは治療法だけでなく、薬学、公衆衛生などにも言及しています。ウィリアム・バイナムはこれを「多様な興味」と評していますが、細分化していないので、「医学」という一つのカテゴリだったのだと僕は思います。

ルネサンス期

 さて、内科と外科は大きく隔たりを見せ始めます。11世紀にはイタリアのサレルノ医学校ができるのですが、その基盤はもっと古く、詳細は不明。すでに9世紀には医学研究が行なわれていました*5。

内科と外科

 内科はガレノス、イブン・シーナーなどの著作を読んで、当時の理論に照らして診断していました。つまりラテン語やギリシャ語の教養が必須だったのです。もしかしたらアラビア語も読めなければいけなかったのかもしれません。
 内科医は「ガレノスとアビケンナ〔イブン・シーナー〕の細かい差異を論じることができる」かという文献学だったのです。
 一方で解剖学は、ガレノスやアラビア医学による文献がメインでした。最初の公開解剖は1315年、ボローニャ大学で行われます。しかし、当時のスタイルとして、「死体を身分の低い者が解剖し、教授がガレノスなどの書物から該当箇所を読み上げ」るのが一般的でした。
 そんな中、外科学教授、ヴェサリウスは自分でも解剖を行ないました。ガレノスが描いた通りになっていないと気づいていました。例えば、心臓について。ガレノスは左心室と右心室の間は血液が行き来すると説いていましたが、ヴェサリウスは厚い壁があることに気が付いていました。

解剖学

 他にもガレノスの著作には間違いがありました。宗教上の理由から人間の解剖はできませんでしたので、豚の解剖結果を人間に当てはめていたのです。
 ヴェサリウスはガレノスの間違いを修正し、『人体構造論』を発表します。これがグーテンベルグによって広まり、「ごく普通の医者でも数冊を所有することができる」ようになります。他にもレオナルド・ダ・ヴィンチが解剖学を手がけるなどルネサンス期には解剖学の知識が広まります。
 解剖は逆説がはらんでいるとウィリアム・バイナムは指摘しています。つまり、死体を解剖するのは冒涜的だが、その冒涜的な要素が知識の最前線だという逆説です。しかも解剖学の本は当然図版が入ります。当時は写真などあるわけがありませんので、図版画家が描いていたのです。つまり芸術性も伴っているのです。
 解剖学は高価で美的な図版を持つ書物の主題でもあ(中略)った。芸術と科学、知識と表現をこのように組み合わせた学問は、医学の中でも解剖学に勝るものはなかった。
 僕はこれとは別に、人間の暴力性、あるいは死についても逆説が指摘できるといましょう。人は死を怖れていると同時に、死に興味があります。例えば死ぬとどうなるのかなどの言説は尽きることがありません。そして解剖学は死をまざまざと見せつけられます。
 この逆説も解剖学の本が広まった要因といえるかもしれません。

パラケルスス

 さて、ガレノスなどの著作が間違っていることが解り、古代ギリシャの権威も落ちてしまいました。ガレノスなど古代ギリシャの著作をもとに薬の調合を内科医は考えていたのですが、その拠り所が疑わしくなってしまったのです。その中にはアリストテレスなども含まれていました。
 そんな中、古代ギリシャの文献などに頼らない、あるいは独自解釈した内科医も現れます。パラケルススもその一人です。アリストテレスは四大元素として、風、土、水、火を考えていたのですが、パラケルススは水銀(液体性)、硫黄(燃焼性)、塩(個体性)の三つだと考えました。
 実際、水銀を薬として患者に与えていたのです*6が、これはパラケルススが鉱物を医薬品として用いていたこと、つまり薬草以外のものも医薬品として用いていたことを表すものと言えましょう。折しもこのころ、中国では本草綱目が成立。タイトルだけを見ると、薬草だけかと思えるのですが、鉱物が医薬品として紹介されています*7

近代医学の誕生

 こうして外科と内科は分かれていたのですが、フランス革命を機に統合されます。別に旧体制を全て否定したわけではなく、新政府で軍医の要請が急務だったことが挙げられます。
 革命政府は自分たちの兵士や船員が病気や怪我のために医療を必要とすることを知った。陸軍は軍医を必要とし、さらに言えば医学と外科術の訓練を受けた医者が必要だった。旧来の二項対立は野営や戦場の只中では意味がなく、1794年には、新たな共和国の軍隊での必要を満たす人材をおもに育てるための医学校が3校再開校した。
 革命が起こると対仏大同盟*8を組んで革命を押さえ込もうとします。その周辺諸国に対抗するため軍隊を整えなければならなかったのです。
 ちなみに軍隊と医学ですが、古くから結びついていたようです。インカ帝国は棍棒が主力だったため、急性硬膜下血腫になりました。頭蓋骨を切り開き、固まる前の血を排出しないと死に至ります。すなわち宗教的な儀式ではなく、医学的な根拠があるのです*9。もちろん現代の医学とは全く違う説明のなされ方かもしれませんが。

パストゥール

 さて、現代医学は科学的なのですが、何を持って科学とするのか考えると壁が立ちはだかります。もしある一定の理論に基づいて検証するのなら、アリストテレスの四元素をだって立派な理論です。また観察結果から治療を行なうという点で言えば、薬草などを与えていたのは科学的かと問われることになります。
 顕微鏡は医学の発見を劇的に変えました。最初は17世紀に知的好奇心旺盛な人たちがいろいろなものを覗き込むだけだったのですが、フックのおかげで細胞の単位で物事を考えられるようになったのです。これより前は人間の最小単位は臓器でした。
 ルイ・パストゥールは微生物に関して業績を残しているのですが、微生物そのものは顕微鏡の発明と同時に語られていますし、それが病気の原因だと最初に語ったわけではありません。彼が名声を得られたのは偶然(と性格)によるものです。
 生物はどこから発生するのかが疑問視されていました。なにもないところから発生すると考えられていたのですが、パストゥールは実験でそれを否定したのです。が……、
 パストゥールの実験ノートによれば彼の実験もときおり失敗した(中略)がこうした結果は黙って捨て置いた。(中略)これを伏せて、パストゥールは論敵を打ち負かした
 科学者としてどうなの、と思いますが、この実験で生物学の第一人者になります。
 腐敗の原因も当時、ドイツの科学者たちは単なる化学的な変化だと考えていました。しかし、パストゥールは生物の仕業だと突き止めます。もちろん結果的に生物が化学変化を引き起こしているのは変わりませんが。
 またフランス政府から蚕の伝染病を調べて欲しいと頼まれます。しかし、パストゥールは昆虫の知識はまったくなく、ファーブルに相談します。本当に基本の基本も知っていなかったそうで、ファーブルは呆れたらしいです*10。
 ワクチンの開発もして、実際に狂犬病予防にも一役買っていますが、狂犬病はウイルスなのでパストゥールの時代にはその姿は確認できませんでした。
 

*1 Wikipedia「ヒポクラテスの誓い」。
*2 Wikipedia「解剖学
*3 同文献
*4 もちろん科学scienceという意味も現代とは異なっている。
*5 Wikipedia「サレルノ大学
*6 村上陽一郎、伊東俊太郎、広重徹『思想史のなかの科学』(平凡社)
*7 Wikipedia「第一次対仏大同盟
*8 コトバンク「本草綱目
*9 Wikipedia「穿頭
*10 Wikipedia「ルイ・パストゥール



桃太郎の歌詞について(替え歌)

 突然ですが、桃太郎の歌詞をご存知だろうか。そう「ももたろさんももたろさん、お腰につけたきびだんご、一つわたしにくださいな」という童謡である。
 そのフルバージョンは6番まである。
桃太郎さん 桃太郎さん
お腰につけたキビダンゴ
一つわたしに 下さいな

やりましょう やりましょう 
これから鬼の征伐に
ついて行くなら やりましょう

行きましょう 行きましょう
あなたについて どこまでも
家来になって 行きましょう

そりゃ進め そりゃ進め
一度に攻めて攻めやぶり
つぶしてしまえ 鬼が島

おもしろい おもしろい
のこらず鬼を攻めふせて
分捕物(ぶんどりもの)をえんやらや

万万歳 万万歳
お伴の犬や猿キジは
勇んで車を えんやらや
 いや、きびだんご一つで身を投げ出す辺り、家畜、もとい社畜だと思うのですが、そこはお伽噺なので。
 問題発言は五番「おもしろい おもしろい」。あの、桃太郎さん、殺戮を楽しんでますがな。子供は桃太郎が正義の味方だと思ってるのに。
 というわけで、歌詞の続きを考えてみました。
 「不公平 不公平。なぜに我らの取り分が きびのもち 対してあいつは金の山」
 「たまらない たまらない 討伐終えても命令だ 今度は我らに 金を掘れ」
 「金細工 銀細工 我らが掘った金銀で 権力握る 桃太郎」
 「まだ掘れる まだ掘れる 犬の苦労もつゆ知らず 犬はとうとう 過労死に」
 「もう掘らぬ もう掘らぬ 命令背く我々に 金の力で 傭兵を」
 「残党だ 残党だ 雉は 鬼の生き残り 見つけて猿が交渉し」
 「伏兵だ 伏兵だ 地の利を生かし ゲリラ戦 ついには坑道 誘い込み」
 「石落とせ 崖の石 坑道の 入り口塞げば 傭兵まとめて窒息死」
 「棒がない 棒がない 気付けば 後ろに 桃太郎」
 「内通者 内通者。作戦漏れてて 乗った振り 一枚上手の桃太郎」
 「弟が 弟が 政権奪取を くわだてた 急いで都に 帰還する」
 「正統だ正統だ、革命分子は 弟で 政権擁立 かつぎ上げ」
 
 

 


シュテファン・ゲオルゲ『ゲオルゲ詩集』(岩波書店)

ゲオルゲ詩集 (岩波文庫 赤 431-1)

詩とは何か

 まず、詩の感想文を書くに当たって、僕が詩をどう考えているかについて話さなければなりません。詩とは具体的な<物>を通して、抽象的なものを描くことです。例えば、典型的な例は「桜の花」。桜の花は目に見える、具体的な物です。でもそこから美しさ、儚さという抽象的なもの、目に見えないものを描いているわけですよね。<美しさ>そのものは<美しいもの>を通してしか描けませんので。
 しかし、何を美しいと感じるかは傾向はあるにせよ、基本的には人それぞれです。中には桜を美しいと思わない人もいるかもしれませんし、桜を見ると恋人と花見をした思い出が蘇ってくる人もいるかもしれません。その人にとって桜は恋愛と結びついているのだと思います。

異化作用

 よく文芸批評史を読んでいると、異化作用*1という言葉が出てきます。これはロシア・フォルマリズムの用語。慣れ親しんできたものに新鮮さを与えるための手法です。
 例えば、「無為の騎士」という詩が収録されています。
かすかに聞こえるのは武具の音か、
軍馬を仕度する騎士たちか?
高窓からの警めの叫び、
槍は鳴る?

いや、風が扉に打ちつけているのだ。
 これは、「風が扉に打ちつけている」音を、武具の音、「軍馬を仕度する騎士たち」の音に喩えています。そうすることで日常聞き慣れている音でも、改めて聞いてみると、「武具の音」に聞こえてくるかもしれません。
 ちなみにゲオルゲはもちろんオートロックのマンションには住んでいませんし、木造の日本建築にも住んでいません。この詩から察するに、枠組みは木で錠前は金属だったのではと思います。
 風が吹くたびに錠前がガチャガチャ鳴って、その音が武器を仕度する音に聞こえたのでしょう。
 ロシア・フォルマリズムの論客の一人、ミハイル・バフチンは内容よりも形式にこだわった理由として、文学の分析が行きづまっていることを指摘しています*2。
 つまり個人的な生い立ちを研究するのか、それとも政治思想を研究するのか、という二者択一にならざるを得ないと考えていました、そしてその状況を脱却しようと、文体という点にスポットを当てたのです。

ドイツの詩

 詩そのものを多く読んでいません。しかも、ドイツ人でまとまったものを読んだことがあるのはゲーテ、ハイネ、リルケ、そしてヘルダーリンくらいです。したがって、象徴主義云々、ヘルダーリンとの関係を語れるほど詳しくありません。
 しかし生前、評価はあまり芳しくないヘルダーリンの詩を、再評価したのがゲオルゲでした。現にゲオルゲは明らかにヘルダーリンの影響を受けています。例えば「紛乱の時代の詩人」では「心臓(Herz)」をドイツの意味で使用しているのは、ヘルダーリンの詩「ドイツ人の心が歌う」に由来していると、手塚さんは指摘しています*3。
 確かに、ゲオルゲは「原始風景」などで大自然を主題にしています。
暗い樅の繁みから青空へ鷲は翔った、
またその木の間から狼の雌雄は歩み出、
浅い流れにのどをうるおし
するどく見まもりながら仔らを森へと追いかえした。

ついで 散り敷いたつややかな葉を踏んで、
鹿のむれが足早にあらわれ 水をのみ あたりを怖れながら
森の闇へと帰ってゆく。ただ一匹が蘆間にのこり
友の群れを避けてしずかおのれの最後を待った。
 これがドイツの自然を描いたものなのか、ゲオルゲの心象風景なのかは解りません。この原始風景からは、狼をドイツ人、鹿の群れを多民族に置き換えると選民思想とも解釈できます。ゲルマン神話にはフェンリルという怪力の狼が登場し、鉄の鎖を引きちぎります*4。
 事実、ヒトラーはゲオルゲの詩から選民思想を読み取り、利用しようとしました。しかし、「ゲオルゲはそれを避けるようにドイツを去り」*5ました。したがってゲオルゲ自身に選民思想は一切なく、ヘルダーリンの影響を受けただけなのでしょうか。

ヘルダーリンとの差異

 ヘルダーリンの「ライン」「ドナウの水源で」などの詩で、大自然を詠みました。
 これはヘルダーリンが自然と神を同一視していたという汎神論によるものです。ヘルダーリンの作中には、その思想がいたるところに現れています。例えば、『ヒュペーリオン』*6という小説には、
 生けとし生けるものとひとつであること、至福の忘我のうちに自然のいっさいのなかへ帰ってゆくこと、これこそは思想の喜びの頂点、聖なる山頂、永遠の安らぎの場なのだ。
 という一文が出てきます。

シュテファン・ゲオルゲ

 さて、ゲオルゲの宗教観はどうだったのでしょう。そのことが窺える詩がこちら。
 わたしは一者であり両者だ
 わたしは父であり母胎だ
 わたしは剣であり鞘だ
 わたしは生贄であり刺殺者だ(中略)
 わたしは影であり実在だ
 わたしは終局であり開始だ
 つまり、この詩で描かれているのは汎神論ではなく、人格を持った神であり、伝統的な一神論です。「影」と「実在」の対比についてですが、プラトンの影響です。プラトンの『国家』*7には、洞窟の比喩が出てきます。「縛められ壁に向き合った人々は、影だけを見てそれを実体だと思い込んでいる」*8という話です。
 プラトンの思想はルネサンス期に、中東を経由してヨーロッパ世界に持ち込まれました*9。それがキリスト教に取り込まれ、現在にいたるのですが、上に見るように影、実体がキーワードとなっているのです。
 「実体であり影」であるような、あるいは「終局であり開始」であるような、二つの相反する要素を同時に含むような存在。つまり万物を司っている神だということになります。

悲しき国

 この「悲しき国」は第一次大戦で荒廃したドイツを歌ったものです。僕はてっきりカサンドラなどの記述からトロイア戦争を描くことで、栄枯盛衰を詠んだ詩だと解釈していました。ドイツも第一次大戦以前は英仏ほどでないにせよ、それなりに栄華を誇っていた国*10。
 カサンドラはアイスキュロスの戯曲『アガメムノン』などに登場する預言者です。この戯曲はトロイア戦争を描いているのですが、アポロンからの逆恨み*11でカサンドラを誰も信用しなくなります。……この辺り復讐が陰湿ですが、とにかく破滅を予見しながら誰からも信頼されず、結果的に国家が滅亡してしまうのです。
 もちろん第一次世界大戦を予見していた人もいるでしょう。ゲオルゲはそんな人たちとカサンドラを重ねていたのかもしれません。そして図らずもこの後、第二次大戦へと突入していくのです。



*1 Wikipedia「異化
*2 ミハイル・バフチン『ドストエフスキーの創作の問題』(平凡社)
*3 手塚富雄訳注『
ゲオルゲ詩集』(岩波書店)
*4  Wikipedia「フェンリル
*5 Wikipedia「シュテファン・ゲオルゲ
*6 フリードリヒ・ヘルダーリン『ヒュペーリオン』(筑摩書房)
*7 プラトン「国家」(『世界の大思想<1> 国家/ソクラテスの弁明/クリトン』河出書房)
*8 Wikipedia「洞窟の比喩
*9 B・C・ヴィッカリー『歴史のなかの科学コミュニケーション』(勁草書房)
*10 プロイセンは普仏戦争でアルザス=ロレーヌ地方を取得している(wikipedia「普仏戦争」)
*11 アポロンは失恋の腹いせに、カサンドラの預言の信頼性を奪った。そのことからカサンドラがトロイア戦争を予言しながらも誰も信じてもらえなくなった(Wikipedia「カッサンドラー」)



青木保『異文化理解』(岩波書店)

異文化理解 (岩波新書)

要約

 例えば、インターネット、テレビ、映画、外国文学……。現代において異文化との接触は避けられなません。文化人類学者、青木保さんがタイでの修行僧経験を取り上げ「異文化理解」とはどういうことなのか考えています。まずその中に行ってみないと異文化は理解できません。例えばタイを知りたかったら、タイに実際に行ってみること。そして現地の時間感覚を味わうことが重要。
 第三章では、E・M・フォースター原作の映画『インドへの道』を題材に、いかに西洋文化がいかに東洋を偏見の目で見てきたかを探っていく。そしてステレオタイプが異文化理解の邪魔をしている、とも。

僕の感覚について

 まず『異文化理解』の感想文を書く上で申し上げなければいけないことがあります。僕は社会というものに余り実感がわきません。
 例えばイスラム国の問題ももちろんニュースとして知っていますし、大雑把な世界地図は把握しています。またイスラム教についてはコーランやアル・ガザーリーを読んで少しは知識があります。しかし社会の実感としてどうも湧きません。それどころか他人の心さえも実感が沸かないのです。
 したがってそんな人間が『異文化理解』の感想を書くのは適さないかもしれませんが、それでも書いてみようと思います。

異文化をめぐる情勢

 この『異文化理解』が書かれたのは2001年6月。かなり世界情勢は様変わりしています。だからこそ『異文化理解』は必読だと思います。
 『異文化理解』では書かれていませんが、2001年9月11日、アメリカ同時多発テロ事件が起きます。それがISによるテロの遠因となりました*1。アメリカではイスラム教徒に対して風当たりが強いそうです*2。現にトランプ大統領は空港でイスラム圏からの入国を拒否しました。
 こんな状況なので異文化理解はかなり厳しいように思われます。『異文化理解』ではインターネットについても述べられています。
 インターネット(中略)の急速な普及をみる情報化社会は、異文化理解を進める側面も持っていますが、一方で、異文化に対するステレオタイプ的な決めつけが生まれやすいことも事実です。情報化時代というのは、ひとつのイメージで全て決めてしまう、そういう(中略)非常に恐ろしい時代でもあります。
 どちらかといえば否定的にインターネットを捉えているなのですが、これも時代柄仕方がないことです。今でこそfacebookが普及し、国際的な交流ができるようになりました。しかし2001年の段階では自分から海外のチャットに足を運ぶしかありませんでした。つまりこの時点ではまだまだハードルが高かったのです。
 今は英語さえできればなんとかコミュニケーションは取れますし、英語も辞書を引けばいいだけのこと。以前と比べるとかなり「異文化」を見つけるのは簡単になりました。したがってこの記述はSNSが普及すると変わってくると信じています。もちろん僕の希望的観測ですが、外国人観光客も増えてますし。

オリエンタリズム

 文学が僕の関心分野なので、オリエンタリズムについても少し書いておきます。『オリエンタリズム』*3はエドワード・E・サイードの主著です。『オリエンタリズム』の中で、文学・絵画などで植民地がどう描かれているかを分析し、その根底にあるものをあぶりだしました。それは「憧れ」と「偏見」なのですが、そのどうして相反する二つの感情が起こるのでしょうか。サイードは下記のように分析しています。
 人は事物を、まったく新奇なものとまったく既知なものとの二種類に分かつ場合には、判断を停止する傾向がある。新しい中間カテゴリーが浮か び上がってきて、そのために我々ははじめて見る新しい事物を、既知の事物の変形にすぎないと考えることができるようになるからである
 われわれは全く経験していないことを、想像できません。その一方であらゆるものを意味のあるものとして受け取ろうとします。ロールシャッハ・テストがその代表でしょうね。
 「全く珍奇なもの」を見た場合、間違っているか否かにかかわらず、ロールシャッハ・テストのように受け取るのかもしれませんね。

個人間でも「異文化」である

 さて、味の素が豚の脂を使って、イスラム教徒から反感を買った事例など『異文化理解』では国際的な意味が強いです。しかし、『異文化理解』の内容は個人間にも当てはまるのではないでしょうか。もちろん「異文化を体験する」ことはできませんが。

象徴を理解するには

 人の行動を理解するには3つのレベルがあるといいます。1つは「自然」。これはボールがきたら避けたり、キャッチするなり、動物的な本能です。
 二つ目は「社会」。これは冠婚葬祭には礼服をきるなど、どこの社会にでもある程度共通した部分です。
 三つ目は象徴。
 たとえばキリスト教を信じている人には十字架は意味を持ちますが、信じていない人にとっては何の意味も持ちません(中略)。その価値とか意味を共有している人間しかわからないということが多いですが、日本の文化でも外国人にとってわかりにくいのはこの部分です。
 確かに象徴を理解するのは難しく、この理由は2つあるかと思います。
 一つ目:抽象的を表そうとしている。例えば信仰というのは目に見えません。これを目に見える形で置き換えようとしているわけですから、理解が困難になります。
 二つ目:論理的な必然性がない。例えば十字架と信仰には論理的な必然性がありません。僕がここでいう論理的な必然性というのは「偶数と2n(nは自然数)」のように一意的に決まるものを指しています。
 別に信仰を現すのには、手を合わせること、ひざまずくこと、などの手段もありますよね。僕が十字架と信仰の間に論理的な必然性はないと言ったのはそこなんです。
 この象徴は物語という観点でなら理解ができます。つまりイエス・キリストが十字架にかかった物語を聞くことで、信仰と十字架との結びつきが理解できるのです。
 これは個人間でも言えること。例えば犬に噛まれたら、犬は恐怖の象徴として映るでしょう。逆に子供の頃に犬と遊んだ経験があれば、犬は優しさの象徴として映るかもしれません。どうして犬が怖いのか、その物語を酌むことが他者(つまり異文化)理解です。

アイデンティティを決定する軸は一つではない

 自分は日本人だ、というアイデンティティを持つとあたかも軸が一つであるかのように錯覚してしまいます。前述の通り、僕は社会という概念が極めて希薄です。
 日本国籍を持つもの以外にしか考えていません。国籍は客観的な事実ですので。例えばフィリピン人も日本国籍を取得したら、僕の感覚だと「日本人」です。歴史を持ち出す人がいますが、先祖をたどればフィリピンか、朝鮮半島に行き着きます。そしてそれがたまたま1000年くらい遅かっただけのことですが、これも人類が誕生してからの歴史に比べると、本当に小さなこと。
 僕は日本人です。しかし同時に男性でも、異性愛者でも、本好きでも、文学作品が好きでも、同人ゲーム製作者でも、アマチュア小説家でも……どの要素が優位かは、もちろんその場の状況に応じて変化します。
 小説の話をする場合は、本好きとして、投票に行くときは日本人として。日本人という自意識が強すぎると自文化中心主義に陥ってしまうのではないかと思います。

*1 「イスラム国」なぜ生まれた? 国際政治学者・酒井啓子先生に高校生記者が聞く(前編)
*2 THE HUNTINGTON POST「9.11同時多発テロから15年 イスラム教徒への偏見と憎悪はまだ続いている」 
*3 エドワード・サイード『オリエンタリズム』(平凡社)



ジル・ドゥルーズ、フェリックス・ガタリ『カフカ』(法政大学出版局)

カフカ―マイナー文学のために (叢書・ウニベルシタス)

ジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリについて

 ジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリはフランス現代思想の代表的な人物です。『アンチ・オイディプス』*1などの共著で知られていますがすが、単著もあります。調べてみると、ある時期から二人で書き始めたというものではなく、『アンチ・オイディプス』が書かれても『襞』*2を単独で書いています。
 また『差異と反復』*3などでは微分などの数学用語をでたらめに使ったとして、アラン・ソーカルから批判されています。

マイナー文学のために

 さて、この評論においてドゥルーズとガタリはマイナー文学という概念を提示しています。ここでいうマイナーとは知名度の問題ではありません。
 ドゥルーズ、ガタリは「少数民族が広く使われている言語を用いて創造する文学である」と定義しています。例えばこの評論ではカフカを中心に論じられていますが、カフカはユダヤ人でした。当時、カフカの母語はイディッシュ(Yiddish)*4という言葉で、これはドイツのユダヤ人が話している言葉。したがってカフカにとってドイツ語は外国語だったのです。
 ドゥルーズとガタリはこの「マイナー文学」という概念を通して、領土とは何かという問題を考えているのです。

領土とノマド

 取り急ぎ補足しなければならないことは、ドゥルーズが「領土」というとき、特殊な意味で用いられています。一般的に日本の領土と言うと、地理的・物理的な意味で用いています。
 しかしドゥルーズとガタリはある価値観が支配している、その影響範囲という意味で用いています。例えば資本主義が現在、優勢を占めていますが、ドゥルーズに従えば資本主義の「領土」なのです。そして、この支配からいかに抜け出すかを、ドゥルーズとガタリが模索しているのです*5。
 遊牧民という意味のノマドも重要概念の一つ。遊牧民は定住することはなく、絶えず動き続けます。モンゴルやフン族が戦争をしながら領土を拡張していったからでしょうか、ノマドを戦争機械と名付けています。しかし『アンチ・オイディプス』を初め、ドゥルーズが言う機械とは工作機械だけではなく、一連の流れに基づいていればなんでも構いません。例えば資本主義を「欲望する機械」と呼んでいますが、生産→消費→生産という欲望の流れを差しているのです。
 をまた、『アンチ・オイディプス』において、定住者を将棋、ノマドを碁に例えています。将棋には役割が与えられています。例えば飛車と角は攻め駒、金銀で守りを固めて、という具合に。金将と銀将は攻め駒としても有効なのですが、役割は固定されています。
 しかし、囲碁は戦況次第で役割が変化していきます。つまりそれぞれの石の役割が固定されていないのです。このような世界観はドゥルーズの至るところで見られます。『カフカ』の第一章で「カフカの関心をひくものは、常におのれ自身の廃棄と関係している」と述べていますが、『変身』含む幾つかのテクストはまさに役割を変えることにあると言えましょう*6

マイナー文学

 マイナー文学を読むことで統一的な価値観の支配から抜け出す手がかりにしました。ドゥルーズとガタリの問題意識を分析するのに、カフカは最適な作家だったと思います。
 カフカはイディッシュ演劇も盛んに見に行っていました*7。その傍らで日常は労働保険局で働いていたので、公務員というオーストリアの価値観が色濃く出る仕事でした。つまりオーストリア人とユダヤ人という二つの価値観が共存していたのです。

書くということ

 フランス現代思想を代表する人にジャック・デリダ*8がいます。彼は書くこと(エクリチュール)について深く考えたのですが、ドゥルーズとガタリによればカフカが物を書くことが単なる思想表現だけではありません。
プラハのユダヤ人がエクリチュールに近づくことを妨げ、彼らの文学を不可能なものにしている袋小路を定義する。つまり、書かないことは不可能なのであり、ドイツ語で書くことは不可能なのであり、他の言語で書くことは不可能なのである。
 ドゥルーズとガタリはこの根拠をマックス・ブロートに宛てた手紙に求めています。「抑圧された民族意識は、かならず文学に支えを求めるもので」す。
 また、純粋なドイツ語で書くことが不可能です。確かにカフカはドイツ語で原稿を書いていますが、カフカはドイツ語の母語話者ではありません。こればかりでなく、オーストリア・ハンガリー帝国で話されていたドイツ語はドイツから見ると少し違っているのです。実際、母語話者がカフカの文章を読むと少し違和感があるようです。
 しかしイディッシュで書いていては広まりません。だから母語であるイディッシュで書くことはできないのです。価値観から抜け出す、というとまるでバラ色の人生に聞こえてしまうのですが*7、カフカ読解で、この作業の孤独さ・難しさが窺えます。

中心のない世界

 ドゥルーズの世界観は、必然的に中心のないものになっていきますし、ドゥルーズ自身もこれをリゾームと読んでいます*9。この言葉は根茎という意味。地上の樹が幹を中心にいくつもの枝分かれしてるのに対し、根茎は中心がなく複雑に絡み合っていますよね。そのイメージで語られています。
 カフカの読解においても、「巣穴」*10などのテクストを分析しながら、中心や特権がないということを分析しているのです。そもそも『城』というテクスト自体、もともとカフカは順番を書いていません*10。マックス・ブロートが再編成したものです。そして、これは順番など関係ないという意味です。
 これはストーリーだけの話に留まりません。カフカは本来、作品について特権的な役割を果たしているのですが、その著者すら中心に位置しないという風に解釈ができるのです。
 でも、素材はカフカでなくとも同じことが言えるんじゃないでしょうか? 現に手を変え品を変え、あちこちで言ってるわけでしょう? 自分の世界観にカフカを無理やり合わせているようで、嫌なんですよね。ドゥルーズの世界観は面白いと思うだけに残念です。
 とは言え、このマイナー文学という考え方はポストコロニアルにも使えそうですね。

*1 ジル・ドゥルーズ、フェリックス・ガタリ『アンチ・オイディプス』(河出書房新社)
*2 ジル・ドゥルーズ『襞―ライプニッツとバロック』(河出書房新社)
*3 ジル・ドゥルーズ『差異と反復』(河出書房新社)
*4 イディッシュ語ともいうが「Yiddish」のishには「言葉」という意味がある。したがってイディッシュ語という表記は重ね言葉になる(Wikipedia「イディッシュ語」)。
*5 この問題を詳述しているのが、『アンチ・オイディプス』である。
*6 『変身』はサラリーマンが虫に変化する話であるが、「橋」は橋としての役割を自らが放棄する話である(フランツ・カフカ『カフカ短篇集』岩波書店)
*7 粉川哲夫『カフカと情報化社会』(未來社)
*6 ジャック・デリダもまた、フランス本土ではなくアルジェリア出身である。
*7 一時期、ドゥルーズとガタリの言葉を濫用してノマドワークという言葉が持て囃された。
*8 フランツ・カフカ『カフカ寓話集』(岩波書店)収録
*9 ジル・ドゥルーズ、フェリックス・ガタリ『アンチ・オイディプス』(河出書房新社)
*10  wikipedia「


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