有沢翔治のlivedoorブログ

 同人小説家、有沢翔治のブログ。  いいものを書くためにはいいものを、幅広く。

【こんな小説を書いてます】

二人であることの問い

 双子の姉、亜衣の様子がおかしい。何かあったのではないかと真衣から萌は相談を受ける。やがて亜衣の部屋からバタフライナイフを買った痕跡が見つかり……。亜衣は何を考えているのか?

ウィリアム・シェイクスピア『尺には尺を』(白水社)

尺には尺を (白水Uブックス (26))

あらすじ

 ウィーンの公爵が留守の間、統治の全権を委任されたアンジェロは杓子定規に法律を運用し始める。婚前交渉を持った男子を死刑に処す、という法律があったが長い間、運用されてこなかった。アンジェロはこの法律の規定通りに取り締まりを始めたのだ。
 クローディオはたった一回の不義密通で、死刑を言い渡された。妹で尼僧のイザベラはアンジェロを説得しようと屋敷を訪れる。
 アンジェロは彼女に一目惚れして、操と引き換えにならクローディオを釈放すると言う。イザベラは怒り心頭に発し、クローディオを釈放しなくてもいいと屋敷を出ていった……。

タイトルの意味

 タイトルのMeasure for Measureですが、しっぺい返しという意味です。
「早急には早急を、猶予には猶予を、頬には頬を、/尺には尺をもって報いるのが普遍の法の精神だ」という公爵の台詞があり、法律の話として用いられています。英語のことわざなので日本語に訳し難いのですが、出典はマタイによる福音書。
「あなたがたがさばくそのさばきで、自分もさばかれ、あなたがたの量るそのはかりで、自分にも量りが与えられるであろう」
 アンジェロは性道徳を取り締まろうとしますが、自分も性欲があると自覚します。そしてイザベラとの交渉を要求しますが、結果的に売春婦と結婚を命じられます。まさに同じ秤で計られるのです。

法律はどのように運用されるべきか

 『尺には尺を』では法律が一つのテーマとなっています。インターネットの書評を見ていると、アンジェロを酷評する人が多いようですが、僕は同情的です。というのも、彼は杓子定規とはいえ、法律に書いてあることを忠実に実行しているに過ぎなません。

アンジェロについて

 アンジェロが法律についてどう考えているかは主に下記の台詞から窺えます。
1.「法律を案山子同然のものにしてはなるまい、害をなす鳥を脅すために立てたものも、いつまでも同じ姿にしておけば、鳥も慣れ、恐れるどころか止まり木にしてしまう」
2.「罪を許せばその後、多くのものがわざわいを招くだろう」
3.「禁じられた快楽にふけり/神の姿に似た人間を作る邪淫を犯すことは、すでに作られてある人間のいのちを奪う殺人を許すことと同じ」
 などという台詞からも読み解けます。3についてはキリスト教に疎く、説明ができません。しかし尼僧のイザベラが「それは天国での定め」と言っていることから、アンジェロは法律論だけで裁こうとしているのではないことが解ります。
 つまりイザベラと寝るために新しく法律を作ったわけでもなければ、既存の法律を拡大解釈したわけでもないのです。そもそもイザベラに一目惚れすることはアンジェロにとって想定外でした。その証拠にアンジェロの葛藤が長い台詞で語られています。
 とりわけ象徴的なのが、下記の文章。
 あの女のせいかおれのせいか。
 誘惑するものと、されるものとどちらの罪が重い? ああ!
 あの女ではない、あの女が誘惑したのではない、
 おれなのだ、すみれのそばに横たわる死骸のように
 日の光に花は咲き誇るがおれは貞淑な輝きに
 腐っていくのだ。
 アンジェロの心がどう変化していったのかを表しているばかりではありません。すみれでイザベラを喩え、死骸でアンジェロ自身のことを喩えているのです。

公爵について

 むしろこの公爵が非難されるべきだと、僕は思います。自分に非難の矛先が向くのを恐れて、アンジェロが執行するように仕向けているのです。
これまで寛大にしてきたのはわたしの責任だが、
かと言ってここで厳罰を課せば圧政になるだろう、(中略)
そういうわけで、神父、その厳しい役目をアンジェロに負わせたのだ
 仮に百歩譲って、アンジェロに汚れ役を押し付けたのは許すとしても、です。報奨こそ与えられ、罰の対象になるのは不当です。



伊東俊太郎『近代科学の源流』(中央公論)

近代科学の源流 (中公文庫)

概要

 ケプラー、ガリレオ、ニュートン……科学革命が一六世紀から一七世紀にかけて起こり、そこから近代科学は作られていった。しかし暗黒の時代だと思われていた中世に、その素地は作られていた。
 ローマ時代のセネカやキケロはどのような自然観を持っていたのか。ギリシャ哲学はアラビアにわたってどのような発達を遂げたのか。長きに渡って支配的だったアリストテレス哲学はどのように補強され、また否定されていったのか。中世科学史の名著。

中世の科学について

 中世というと立ち遅れている、というイメージがあるかもしれません。本当にそうだったのでしょうか。

農業革命とその余波*1

 九世紀頃、農業改革で食糧の生産が向上しました。そしてその結果、農業に依存していた産業から、商工業が生まれました。もちろん九世紀以前にもイスラム商人はヨーロッパへ来ていました。
 しかし、奴隷を持ち帰っていたのです。それが商工業の発達に伴い、毛織物が取引されるようになります。すると、商人たちは販路を求めて自分からアラビアに売り込み、アラビアの文化を持ち帰るようになるのです。
 その結果、都市を形成し、大学が誕生していきます。そうすると好奇心旺盛な人は純粋に好奇心から物事を探求していきます。彼らは家庭教師をする傍らで、修道院にしばられることなく自由に研究活動をしていきます。

五世紀頃の科学知識

 しかし五世紀頃にも、科学知識はありました。例えば『哲学の慰め』で知られるボエティウスは、アリストテレスをギリシャ語からラテン語へと翻訳しました。またそれをもとに注釈書、手引書をつくり、中世に伝えました
 算術、音楽、幾何学、天文学の手引書のうち天文学だけは残念ながら全く伝わっていません。手紙などから内容を類推するだけしかできないのですが、論理学の本についてはかなり具体的なところまで解っています。
 カッシオドロスは学問そのものというよりは「修道院において、神学文献や学術文献を蒐集し、整理し、筆写し、保存するという習慣を作り上げたということにあ」ります。今日で言う図書館の役割を果たしたのです。神学だけでなく哲学の文献も蒐集し、結果として、ギリシア科学を保存していくのです。
 西ゴート王国の廷臣、イシドルスは百科事典を作ります。この百科事典は十三世紀にまで読まれ続けることになるのですが、内容は「文法、修辞学、算術、幾何学、音楽、天文学」に加え「医学、法律、年代学、人類学、動物学、宇宙論、地理学、鉱物学、農学、植物学、さらには料理や園芸や馬術」まで多岐にわたります。
 この百科事典には曖昧な点も多く「中世科学がいかに貧弱であったかをこれが示してくれることである」という歴史家もいます。しかし伊東俊太郎は彼の評価について、当時の科学的な状況を無視していると批判しています。
 そしてイシドルスは「世俗の学問も正当な求知心に基づく人間の教養」という考えがなされていることが重要です。というのも、当時は神学と哲学が学問の頂点であり、それ以外は世俗的だと考えられてきたからです。
 ベーダは復活祭の日を定めるのに天文学の本を書き表しますが、「単に暦作成の方法のみならず、それに関連した当時の天文学、自然学、数学、地理学、さらには化学や医学の片鱗までも含んで」いるのです。
 『時間の計算について』では潮の干潮について記録があるのですが、知識の羅列ではありません。注意深く観察しながら、批判的に書かれているばかりでなく、港の潮候時について書かれているのです。

ローマの科学について

 さてベーダなどの鋭い観察力を持っている人はごく少数に留まりました。当時のヨーロッパは自然の中から道徳的なものを導く、という考え方が主流でした。これはセネカの『自然の諸問題』で論じられていることなのですが、これがキリスト教の教父たちにも受け継がれていきました。

キケロ

 また、彼と肩を並べる哲学者にキケロがいますが、ローマ人の学風がキケロの発言から窺えます。
ありがたいことに、ローマ人は、ギリシア人とは違って、数学などは実際に応用できるものだけに局限していた
 キケロ自身はギリシャ哲学を全く知らかったわけではありません。修辞学に関して言えばギリシア人から直接、教えを学んでいることもあり、『弁論家について』ではアリストテレスなどのギリシャの修辞学とローマの科学との融合を図ろうとしました*2。

ローマ哲学のテーマ

 ギリシア人は自然現象に関心がありましたが、これは自然を制御できなかったからだと僕は考えています。例えばアイスキュロスの戯曲には嵐を鎮めようと娘を生贄に出す場面が*3、またソフォクレスの戯曲には飢饉が描かれていますが*4、まさに自然の猛威と戦う時代でした。ソフォクレスの時代には疫病が流行っていて、それが『コロノスのオイディプス』*5などにも反映されていると吉田敦彦は指摘しています*6。
 しかし、ローマ人は自分の人生について関心を抱くようになります。生活は安定していき、市民は娯楽に興じるようになります。ユウェナリスは「今では一心不乱に、専ら二つのものだけを熱心に求めるようになっている―/すなわちパンと見世物を…」*7と嘆いていることからもそれは窺えますね。こう言った背景をもとにさまざまな人生観が生まれてくるのです。現世の快楽こそが幸せだと説いたアリスティッポス*8、知的好奇心を満たすことが幸せだと説いたエピクロス*9、そして禁欲的な生活が大事だと説いたストア派*10……。
 自然哲学は確かに失われましたが、哲学そのものが失われたわけではありませんでした。

アラビアの科学

 さて、自然哲学はその後、アラビアに中心が移っていきます。ギリシャ哲学の文献はボエティウス訳のアリストテレスが数作残っているだけ。ほとんどがアラビアからの再翻訳でした。ここで注意しなければいけないのは、アラビア科学の定義です。イスラム帝国は、スペインの一部まで支配に置いていました。つまり、土地ではなく「アラビア語で書かれた自然哲学書」と定義しなければならないのです。

アラビア科学の先見性

 アラビアの科学はヨーロッパよりも進んでいました。例えばアルハーゼンはニュートンに先駆けて光学を幾何学で解明しました*11。
 数学でいえばウマル・ハイヤームはカルダノに先駆けて三次方程式を解きました*12。またアル・フワーリズミーが代数学について書いているのですが*13、この本のタイトルは『アルジェブール(al-jabr)』。これがヨーロッパに入って、algebraと名前を変えるのですが、今日でも代数学の意味に使われています。
 al-jabrですが、alはtheを意味する定冠詞で、アル・ジャジーラ、アル・カイダなどでも有名ですね。一方、jabrは整えるという意味。移項して整える、という計算手順を打ち出しているのです。プログラマーにとって馴染み深く、また頭を悩ませる問題に、アルゴリズムという概念があります。計算手順という意味なのですが、この語源もまたアル・フワーリズミーという人名がヨーロッパ流に発音されていった結果です。
 医学で言えばイブン・シーナーが有名ですが、他にもセルベトゥスに先駆けて血液循環説を唱えたイブン・アルナフィース。彼は心臓が4つの部屋に分かれていることを見つけました。それまでは目に見えない壁があるというガレノスの学説が信じられてきたのです。
 他にも哲学分野で言えば、イブン・ルシュド*14はアリストテレスの注釈書を書きました。また、アル・ガザーリーはデカルトよりも早く自分を哲学の対象にしていました*15。

背景

 さて、どうしてイスラム帝国でこのような百花繚乱の状況になったのでしょうか。キリスト教徒のギリシャ人が難民として逃れてきたという状況があります。同じキリスト教徒でも色々な考えがあり、特にこのころは正統な教義も確立していませんでした。
 例えば父と子と聖霊が同じものであるという三位一体論。これは今でこそカトリックなど多くの宗派で共有されていますが、300年〜400頃にようやく確立していきます*16。
 正統な教義が確立されれば、当然、異端として認定される人も出てきます。ネストリウス派は「431年のエフェソス公会議において異端認定され(中略)」*17、ペルシャに難民として逃れます。ネストリウス派はキリストを神性と人性の二つに分けて考えたので、三位一体説と合致しなかったのです。
 またキリストでは人ではなく神であると考えた単性論者も異端視されます。単性論者はシリアに逃れ、そこで布教活動をしていきます。
 伊東俊太郎によれば、この二つの宗派がイスラム科学の発展に大きく寄与していきました。
 しかしコーランの教義にも受け入れる下地があったのだと僕は考えています。なぜならコーランでは預言者としてのキリストを認めているからです。イスラムではイエスをイーサーと呼んでいるのですが*18、
本当にかれ(イーサー)は、(審判の)時の印の一つである。だからその(時)に就いて疑ってはならない。そしてわれに従え。これこそ、正しい道である。
 とも述べているのです。もともとイスラム帝国は商人の国家なので、他の宗教には寛容でした。

中世科学と近代科学の違い

 さて、十二世紀から十三世紀に掛けて、アラビア語の文献が大量にラテン語に翻訳されていきます。その過程で多くのアラビア語がラテン語に入っていきます。アルカリ、アルケミスト(錬金術師)などの科学用語からバザー(市場)、ハザード(災難、偶然)、シャーベットなどの日常語まで!
 しかし、近代科学はアラビア科学の剽窃ではありません。中世科学はアリストテレスの運動論を補強・注釈していました。つまり、アリストテレスの枠組みでしか考えていませんでしたが、近代科学ではアリストテレスの運動論をむしろ否定して、それに変わる運動の概念を作り出していったのです。

*1 伊東俊太郎『十二世紀ルネサンス』(岩波書店)
*2 キケロ『弁論家について〈下〉』(岩波書店)
*3 アイスキュロス『アガメムノーン』(岩波書店)
*4 ソフォクレス『オイディプス王』(岩波書店)
*5 ソフォクレス『コロノスのオイディプス』(岩波書店)
*6 吉田敦彦『オイディプスの謎』(講談社)
*7 Wikipedia「パンとサーカス
*8 Wikipedia「アリスティッポス
*9 エピクロス『教説と手紙』(岩波書店)
*10 Wikipedia「ストア派」、Wikipedia「エピクテトス」など。
*11 アルハーゼンのアラビア名はイブン・ハイサムである(Wikipedia「イブン・ハイサム」)
*12 Wikipedia「ウマル・ハイヤーム
*13 Wikipedia「アル・フワーリズミー
*14 Wikipedia「イブン・ルシュド
*15 ガザーリー『中庸の神学』(平凡社)
*16 Wikipedia「三位一体
*17 Wikipedia「ネストリウス派
*18 Wikipedia「イスラームにおけるイーサー


伊東俊太郎『十二世紀ルネサンス』(岩波書店)

十二世紀ルネサンス―西欧世界へのアラビア文明の影響 (岩波セミナーブックス)

概要

 今までルネサンスは14世紀のイタリアで始まり、15世紀のシェークスピアで結実する、と考えられてきた。もちろんそれは誤りではないが、その前段階として12世紀にもアラビアを通じてギリシャ文化が入ってきていた。つまり、アラビア語の文献が12世紀にラテン語へ翻訳されていたのである。
 そしてこの中には結果的にニュートンやガリレイの発見と酷似したものも含まれていたと言う……。

ルネサンスは一回だけではなかった

 ルネサンスは一回だけではなく、小さな技術革新や文明の交流という下地があって、その出来事が積み重なった結果ではないか、というのが伊東俊太郎の主張です。
 十二世紀から十三世紀にかけて、イスラム・アラブ世界を介して、ギリシャ哲学が入ってきました。いや、ギリシャ哲学だけではありません。医学、哲学、代数学、イスラム神学などはアラビアが中心でした。これらの本はもちろんアラビア語だったのですが、十二世紀にヨーロッパへ翻訳されたのです。

九世紀の農業革命

 九世紀には三圃農法や重量犂の開発など農業革命が置きます。従来では、植える土地と植えない土地を一年ごとに入れ替える二圃農法だったのですが、三分割しました*1:
1.春に豆・燕麦・大麦などの種を巻いて、秋に収穫する土地
2.秋に小麦・ライ麦などの種を巻いて春に収穫する土地
3.放牧する休耕地
 また、犁も改良されました。「冶金術の発達により重量犂が作られ、それを馬に引かして農耕をやるのですが(中略)繋駕法を改良して肩に力がかかるようにして牽引能力を非常に高めました」とあります。それ以前には「馬の首を締めるよう」に引いていたのです。
 当時の絵画などがあればいいんですが、見つかりませんでした。

商業の発展

 食料生産は農業革命を経て、人口は急増します。農業革命以前までは経済をほとんど農業に依存してきましたが、ここにきて商人が出てくるようになります。人口のほとんどが農業をしなければ、国家を支えきれなかったんですが、それがなくなると職人、商人たちが登場します。
 もちろん商業の発展以外にも取引が行われていました。しかしオリエントからは香料などが入ってきて代わりに奴隷を持っていかれるのです。しかしこの時代になり、「ヨーロッパに毛織物の産業が興ってくる」と毛織物を扱う職人、そして商人が現れます。ここで誤解して欲しくないのは、アラビアの商人たちは毛織物ができたから接触したわけではなく、それ以前にもずっと接触してきたということです。
 毛織物が売れると分かったら、シリアや北アフリカなどにも売り込んでいき、その土地の文化を吸収していったのです。つまり交易品だけでなくイスラム文化も持ち帰ったのです。
 そして商業が発達していくと、都市が勃興していきます。商人は封建制のもと、「領主から特別な権利を与えられて」自由な経済活動を行なうことができるのです。これもイスラムの都市をモデルにしたのではないかと伊東俊太郎は指摘しています。

大学の発達

 もう一つ、都市の勃興と関係して、ルネサンスには大学ができます。大学では医学、法学、神学、哲学が教えられるわけですが、当時、物理学は自然哲学と呼ばれていました*2。もっと後の時代のニュートンも『自然哲学の数学的諸原理』*3と言うふうに自然哲学、と呼んでいます。つまり、今で言う自然科学も教えられていたわけです。大学も十世紀にトルキスタンにありましたし、知恵の館は9世紀にありました*4。
 なお、ヨーロッパ最古の大学はボローニャ大学で、11世紀には法律の教育が行われていました*5。医学校として有名なサレルノ大学は13世紀に設立されたのですが、保養地として有名で各地の貴族が治療に訪れていました*6。また、9世紀には医学研究が行われていたことから察すると*7、医学研究の電燈があったのではないかと僕は思います。

知識人の誕生

 大学の誕生は、知識人の誕生を促します。今まで聖書研究者は修道院などに属していましたが、彼らは教会の意向を忖度しながら研究を進めていたのです。これが商業の発展に伴い、独立して研究が行えるようになりました。
 例えばアベラールは聖職者ではなく「知識そのものを純粋に真理のために研究」していました。普段は個人の家庭教師や、貴族のために酒の歌、恋の歌を作って暮らしていました。

イスラム社会との接点

 このようにしてイスラムとの文化交流は継続的に行われていたのですが、十世紀までは誤解と偏見にまみれていました。例えばアポロンがイスラム教の神様として描かれていたり、ムハンマドが預言者ではなく神様として描かれていたりしたのです。
 彼らの実態を知るのは、一○九四年から一一五六年まで生きた尊者ピエールです。彼はコーランをラテン語に共訳させるのですが、その際、イスラム教徒をメンバーに加えているのです。これにより、イスラム教の理解が進んだのです。

翻訳作業

 さて、コーランの他にもイスラムの文献がラテン語に翻訳されています。たとえば『代数学』、ユークリッドの『原論』……。当時のヨーロッパにはアリストテレスの著作が何作か、しかも翻訳のみが残されていただけでした。

『代数学』

 代数学は英語でAlgebraと言いますが、アラビア語の名残を留めています。Alというのは英語で言えばtheという意味の定冠詞です。
 このgebraですが、アラビア語で整えるという意味。次数を整理、移行して、いくつかの基本的な形に整えてから計算しようというものです。
 例えばx2+2x+4x+6+1-xならx2+5x=7の形に整えるという計算方法を提唱しました*8。

自然哲学

 これまで自然哲学というと何の象徴かという風に考えていました。例えば風は精霊の象徴、というふうに。例えばセネカは『自然の諸問題』で自然哲学について論じているのですが、道徳的なものの象徴として論じているのです。
 ところがイスラムの考えが入ってくると「自然的原因だけで(中略)合理的に明らかにしよう、という態度が現われます」。例えばシャルトル学派は創世記の記述を合理的に説明しようとしました。
 もちろん今の感覚から見れば、バカバカしいのですが、彼らの考えそのものは今日まで受け継がれているのです。

*1 Wikipedia「三圃式農業
*2 Wikipedia「自然哲学
*3 Wikipedia「自然哲学の数学的諸原理
*4 B・C・ヴィッカリー『歴史のなかの科学コミュニケーション』(勁草書房)
*5 Wikipedia「ボローニャ大学
*6 Wikipedia「サレルノ大学
*7 同上
*8 Wikipedia「フワーリズミー」も参照。



丸山圭三郎『ソシュールを読む』(講談社)

ソシュールを読む (講談社学術文庫)

概要

 フェルディナン・ド・ソシュールの『一般言語学講義』は言語学だけではなく、哲学、文芸批評、精神分析、社会科学などにも大きな影響を与えた。しかし彼らは歪曲している、と丸山圭三郎は考える。『一般言語学講義』というテクストは、学生のノートをまとめたものであり、ソシュール自身の手によるものではないからだ。しかしソシュールは講義が終わったらメモ書きを破棄してしまう性格で原資料はほとんど残っていない。断片的なメモが遺されているだけ。
 その残されたメモを手がかりに、ソシュールの思想を復元。再解釈を通し、文明批判や人間批判を試みる。

テクストについて

 ソシュールは三回の講義をしていますが、話すと言っていた事柄を話していないなど、未完に終わっているフシがあります。ソシュールのメモ書きは三回に渡って発見されるのですが、断片的なものだということが重要です。つまり同じ文章を使っても全く別の意味に解釈されてしまうのです。ゴデルという研究者が『原資料』を、また、エングラーという研究者は『校訂版』を出すのですが、「全く別のやり方で原資料に断章番号を付しています」。
 しかし、海外の研究者でさえ『原資料』や、『校訂版』を精読せずに講義ノートを参照していました。丸山圭三郎はそんな中、『原資料』や『校訂版』を参照したのです。

ソシュール言語学の諸概念について

 ソシュール言語学の諸概念について復習していきましょう。ソシュールは同一性は差異によってしか担保され得ないと言います。具体的にはよく似た漢字、「犬」、「大」、「太」を区別できるのは点の位置が違うからです。
 文字ばかりではなく概念でもそうです。丸山圭三郎はカラーの本を引用して、虹の色について言及しています。実は虹が七色に分かれるといいますが、文化によって違います*2。実際はくっきり別れているわけではなく、ぼんやりと分かれているに過ぎないからです。
 例えばバッサ語の母語話者は虹を二色と考えています。そこで英語の色を一気に教えても無意味だと考えて、まず茶色だけ教えることにしました。カバンなどを茶色のものを見せて、ある程度教えたら別室に連れていき、茶色のものを選ばせる、という実験をしたのです。ところが500個以上集めても、茶色を識別できなかったと、丸山圭三郎はカラーの著作を引用しながら指摘しています。
 失敗の原因は、茶色意外の色を教えなかったこと。「ブラウンと他の色との関係を把握した時に初めてブラウンとは何かを把握するであろう」とカラーの結論を紹介しています。
 もっと言えば、茶色に固有の何かがあるわけでないのです。

ランガージュ、ラング、パロール

 ランガージュは純粋に音を出す能力です*3。例えば「あいうえお」と発音する能力で、生理学的な側面が強い。
 対して、ラングはランガージュに意味を与える社会的な要素が色濃く反映されています*4。言語の決まりごとなんですが、文法規則などが典型例です。「あいうえお」という発音だけでは何も意味も持ちませんが、「ぼくも かいしゃへ いく」という音は意味を持っています。これは音が文法規則にのっとっているから、なのですが意味を決定するのは文法規則だけとは限りません。例えば「男であり女である」という言葉は文法的に正しくても、普通は意味を持ちません。また、「五十音の最初の文字は」と子供へ問いかけている状況なら「あいうえお」も意味を持ちます。
 パロールは社会的な、つまり特定のラングのもとで行われる具体的な発話行為のことです。例えば「今日はどこに行くの」という聞かれたら、「会社へ行く」「会社へ行きます」などという言葉が返ってきます。また言いよどむこともあるかもしれません。こういった発話行為をパロールというのです。
 ちなみにソシュールはラングを最も研究すべきだと唱えました。このパロールですが、フランス現代思想、特にジャック・デリダは書き言葉との対比で用いています。

レファラン

 レファランは言葉が示す範囲で、丸山圭三郎はヘレン・ケラーのエピソードを例示しています。ヘレンは目も耳も聞こえず、「水」とは何か中々理解できませんでした。家庭教師のサリヴァンは理解させるのに、水を実際に触らせて「水」とは何かを理解させます。これがヘレンにとって、言葉の壁をひらくきっかけとなったのですが、「冷たく流れるもの」だったと述懐しています。この触ったときの「感じ」、つまり〈モノ〉と言葉の対応関係こそがレファランなのです。
 しかし、重要なことは水という〈モノ〉が解るということは、同時に水以外のことも解るということです。

シニフィエ、シニフィアン、そしてシーニュ

 シニフィエとシニフィアン。いつも混乱するのですが、シニフィエが「太陽」という文字や「たいよう」という音。そしてシニフィアンが「☀」、あるいは太陽と聞いて思い浮かべるイメージです。そしてこの対をシーニュというのです*5。
 「☀」を見て、英語母語話者ならSunと綴ります。特徴として、
1.必然性がない。たとえば、なんで「☀」は「たいよう」というのか、明確な答えは得られない。例え語源を説明したとしても、なんで「○○は○○と言うのか」という問いは無限に続く。
 また必然性があるなら「☀」はあらゆる国で「たいよう」と発音されるはずである。
 この一つの手がかりとして、少なくともヨーロッパの言語はラテン語、ギリシャ語の影響を受けています。したがって、通時性を研究することで Sunがもともとはどのような意味だったか探れます。実際、ソシュールまでの言語学は通時性の研究が主でした。これに対してソシュールは共時性を重視したのです。
 従来、訛などは正当な言語として研究対象でありませんでした。しかし同時代に話されている言葉なら、みんなラング(言語)として扱ったのです。一見、言語学だけのパラダイムシフトに思えますが、ラングは社会・文化と密接に関わっています。つまり
2.必然性がないにも関わらず、その言語体系の中では自明なこととして認識される。

ソシュール言語学の射程

 ソシュール言語学は科学的な知にもつながってくる、というのが丸山圭三郎の主張です。何か固有のものがある、という前提で同一性を考えていました。例えば人間なら染色体の数が46本〈ある〉ということ、あるいは大脳新皮質が〈ある〉ということ……。
 あらゆる概念は差異によって生まれるとなれば、全ての文化には優劣がなくただ差異があるだけだ、と。これが構造主義につながってきます。例えば文学作品の差異に注目したロラン・バルトは、レヴィ=ストロースは社会構造の違いに注目したレヴィ=ストロース……。
 構造主義が万能薬であるかのごとく扱われてた現状を、丸山圭三郎は疑問視したと語っています。

経済学との類似性

 さて、モノの価値は関係性によって決まるという点において、言葉は貨幣にも似ていると丸山圭三郎は指摘しています。丸山圭三郎は1万円が本当に1万分からできていないことを例示し、「本当は量化できるはずのない質を、恣意的に数量化してしまった報いとでも言うべきでしょうか」と言っています。
 ここの例示は解りにくいので、100円で変えるものを考えてみますと、プラスティックカップ、古本、鉛筆、消しゴム……。みんな100円で買うことができます。しかし同じ価値を持つとはいい難いですよね。
 しかし、それよりも言葉と似ている点があるように僕は思います。100円は、日本国内でしか価値を持たず、しかもその100円相当で買えるものは疑いえません。例えば100円の水、鉛筆、プラスチックカップ、消しゴムなどの価格は国によって違いますよね。サウジアラビアなら水は高くなります。しかし日本国内にいる以上は、ほとんどの人が、「同じ価格」だと思っているのではないでしょうか。
 日本語において「☀」が「たいよう」を示すのと同じように。

言語学を飛び越えて

 ソシュール言語学はいまや人間の知識を批判している、と指摘します。プラトンからデカルトに到るまで、ずっとただ一つの法則性があると信じて知識が組み立てられてきました。それは間違ってはいないのですが、科学的手法も考え方の一つです。
 現に進化論と聖書の内容を同時に教える学校もあります。これをアメリカならではの事情だと考えてしまうと、「科学主義」*6に陥る危険性があるのです。

*1 末永朱胤「解説」(丸山圭三郎『ソシュールを読む』講談社)
*2 Wikipedia「
*3 Wikipedia「ランガージュ
*4 Wikipedia「ラング
*5 Wikipedia「シニフィアンとシニフィエ
*6 Wikipedia「科学主義



相棒『幸運の行方』の計算について

 相棒『幸運の行方』の計算について違和感の正体が解ったので書いておく。
 トナーで4通りの数字を特定し、暗証番号を割り出す、というもの。なお、相棒そのものについては詳しくないので立ち入らない。

どうして4×3×2×1になるのか

 杉下右京は4!として計算していた。まずはどうしてこのような計算になったのかを見てみよう。
 仮に第一桁目をA、
   第二桁目をB
   第三桁目をC
   第四桁目をD
    とする。
 そして仮に7、3、2、8の数字の粉が消えていたとしよう。杉下はこれらの数字が必ず1回ずつ使われていると考えたわけだ。
 そうすると、Aは4つの数字を取りうる。
 Bは4つの数字のうち一つ使われていると仮定する。例えば7を使ったとき、残るは3、2、8なので3つの数字が残る。
 Cは4つの数字のうち二つ使われていると仮定する。例えば7、3を使ったとき、残るは2、8なので2つの数字が残る。
 Dは4つの数字のうち三つ使われていると仮定する。例えば7、3、2を使ったとき、7328とユニークに決まる。

 他の組み合わせについても同様なので、4×3×2×1と杉下は推理したのだ。

押し間違いは?

 杉下の推理は正しい。ただし必ず同じ数字が使われていると仮定すれば。例えば質屋の久米が押し間違えたり、気が変わったりした場合はどうだろう。
 例えば実際は7、7、7、3だとしよう。2、8は押そうとしたが、気が変わったと仮定するのである。杉下の推理だと必ず1回ずつ使われていると仮定しているため、このケースは含まれない。なお押し間違いを含めると下記の計算になる。
  Aは7、3、2、8全ての数字を取りうる。つまり4通り
  Bは7、3、2、8全ての数字を取りうる。つまり4通り
  Cは7、3、2、8全ての数字を取りうる。つまり4通り
  Dは7、3、2、8全ての数字を取りうる。つまり4通り
 つまり4×4×4×4=256になる。ちなみに一回当たり10秒掛けたとして2560秒。43分なので1時間引き止めておけば、全てのパターンが試せる。計算が面倒なため、10秒と仮定したが実際にはもっと短時間で済むだろう。

ドラマでの解決策

 しかし、喜劇調のドラマでここまで考えると雰囲気を台無しにするという懸念もあるかもしれない。そこで本当に僭越ながらこの解決策まで考えてみた。
 月本幸子は数学が好きと「殺人の定理」に描かれていたので、それを使う。
 最初、256になると推理しておいて、月本幸子に
月本「もっと絞れるんじゃありません? 4×3×2×1で24通りとか」
右京「えぇ、でも、押し間違えたり、気が変わったりしたとも限りませんからねぇ。重複分を念のため」
カイト「どういうことっすか」
右京「……また今度、ゆっくり教えます」
カイト「……はい」
月本「カイトさん、数学苦手なんですねぇ」

 神戸くんなら下記のようにすればいい。負けず嫌いの性格と「お言葉ですが」という口癖を全面に出すと、神戸尊っぽくなる。
神戸「お言葉ですが、もっと絞れるんじゃありません? 4×3×2×1で24通りとか」
右京「えぇ、でも、押し間違えたり、気が変わったりしたとも限りませんからねぇ。重複分を念のため」
月本「神戸さん、数学苦手なんですねぇ」
神戸「ちょっと酔ってて、頭が回らなくて」

 冠城の場合は女たらしなので、ナンパを匂わせる発言をする。
月本「もっと絞れるんじゃありません? 4×3×2×1で24通りとか」
右京「えぇ、でも、押し間違えたり、気が変わったりしたとも限りませんからねぇ。重複分を念のため」
冠城「……おかみ、今度僕がゆっくりレクチャーを」


パーシー・ビッシュ・シェリー『鎖を解かれたプロメテウス』(岩波書店)

鎖を解かれたプロメテウス (岩波文庫)

あらすじ

 ギリシャ神話のプロメテウスは、神から火を盗んだとして鎖に縛られました。この話は古代ギリシャのアイスキュロスなどの戯曲でも取り上げられています。パーシー・ビッシュ・シェリーはこの話を下敷きに全く新しい物語を生み出しました。
 プロメテウスは主神ジュピターの権威が失墜、やがて彼の座が息子に奪われると知っていました。ジュピターはその秘密を聞き出そうとヘルメスを遣わします。しかしプロメテウスは答えません。そうこうしているうちに、息子がジュピターに退位を要求。そしてヘラクレスがプロメテウスの鎖を解き、新しい神を祝福するのです。

ロマン派とは

 パーシー・ビッシュ・シェリーはロマン派の詩人としてよく紹介されます。それまでの古典主義は啓蒙思想の影響で理性、知性に重きを置いていました。しかし、ワーズワスとコウルリッジはそれに反発。感情などに重きを起きました*1。
 パーシー・シェリー、バイロンなどがそれに続き、バイロンの別荘で怪奇小説を作るのです*2、がたまたま居合わせたパーシー・シェリーの(後の)奥さん、メアリ・シェリーが小説を書きます。この時書いたのが、有名なフランケンシュタイン。
 つまり、パーシー・シェリーは文学作品を何作も書いてきたのに、メアリ・シェリーの作品のほうが有名になってしまったのです。
 『鎖を解かれたプロメテウス』はこの時に書かれた作品ではありませんが、パーシー・シェリーにまつわるエピソードとして。

『鎖を解かれたプロメテウス』はロマン派というより

 確かに「悲惨という燃料、未だ燃え立たぬ燃料として──/狂気の秘密は、半ば開いたままにしておけ、正気の夢想家のためには──/汝らは/ますます残忍になる。憎しみというよりは、/恐怖のために。」というくだりは、感情を描くという点でロマン主義の作風です。
 しかし『鎖を解かれたプロメテウス』はロマン派というよりも、むしろ古典主義の特徴があると言えます。アイスキュロスを題材にしてることや、知性の象徴*3である火を主題にしていることなどです。

革命とパーシー・シェリー

 さて『鎖を解かれたプロメテウス』ですが、革命を主題にしているように感じました。パーシー・シェリーの時代にフランス革命が起こるのですが、ワーズワスとコウルリッジが革命に対して保守的な考えだったのに対し、パーシー・シェリーは革命を支持します。「ソネット──『知識』を積んだ気球に」は民主主義という知識を積んだ気球が「常夜灯となり、/虐げられた貧しきものを照らす一条の勇気とな」るとあるように、革命を題材にしています。

『鎖を解かれたプロメテウス』と革命

 さて、『鎖を解かれたプロメテウス』は息子のデモゴルゴンがジュピターの退位を要求します。ジュピターも絶対的な権力を持っているという共通点があり、絶対君主の退位を暗喩的に表現していると解釈しました。
 また、最後の「平等となり、階級なく、人種のへだて、国々の別もなく/畏怖、礼拝、身分の別けへだてが取り除かれ、王者として/自らを治め、──正しく、優しく、賢くなっている」というくだりで、パーシー・シェリーは革命後の理想が記されていると解釈できるのです。

プロメテウス

 プロメテウスは火を人間に与えるのですが、火を使って文化を作り上げたという点で知識の象徴です*4。しかし火は武器の鋳造、戦火なども伴うことは『鎖を解かれたプロメテウス』でも言及されています。
 見よ、広い平野の地平線のあたり、
 幾百万人の住む都市が、
明るい大気に戦いの煙を吐いている。
聞け、あの失望の叫びを、
そのものの穏やかな、優しい幻だ。
また見よ、もはやその焰は、
 蛍の灯火ほどになってしまった。
 「失望」などを癒やす宗教の側面。これも確かに文明は持ち合わせているのですが、「蛍の灯火ほどとなってしまった」と喩えているように、儚く淡く消え入りそうだとパーシー・シェリーは感じているのです。
「偽善」と「習慣」が、その精神を、
様々な礼拝を神殿としたが、いまは廃れた。
それらのものは、人間の状態のために、よいことを考えだしもできない
 というくだりからも宗教への失望は読み取れるでしょう。

科学的知識

 当時の宗教については解りませんが、パーシー・シェリーは「天文学(中略)、磁石、電気等々」*5科学にも興味があったそうです。1750年代から1820年にかけて、電磁気についてベンジャミン・フランクリン、ボルタ、アンペールなどが活躍しています*6。また「西風へのオード」という詩の記述は気象学的に正しい*7ことから解るように。パーシー・シェリーは科学に関しても教養があったのです。
 また宗教観は無神論に近かったとも言われています*8。『鎖を解かれたプロメテウス』からは宗教(や王政)に代わる新しい政治形態を夢見たことが伺えます。

*1 Wikipedia「ロマン主義
*2 Wikipedia「ディオダディ荘の怪奇談義
*3 Wikipedia「プロメーテウス
*4 同上
*5 石川重俊「解説」(パーシー・シェリー『鎖を解かれたプロメテウス』岩波書店)
*6 Wikipedia「電磁気学の年表
*7 パーシー・シェリー『対訳 シェリー詩集』(岩波書店)
*8 石川重俊「解説」(パーシー・シェリー『鎖を解かれたプロメテウス』岩波書店)



サミュエル・テイラー・コウルリッジ『コウルリッジ詩集』(岩波書店)

対訳 コウルリッジ詩集―イギリス詩人選〈7〉 (岩波文庫)

概要

 コウルリッジはワーズワースとともに『抒情民謡集』を出版。これがイギリスで本格的にロマン主義が始まります。これまでの文学は理性、秩序などを重んじていたのですが、ワーズワースとコールリッジなどは想像力、感情を重んじました。例えば秩序正しく家が立ち並んだ都市部を離れ、田園風景を詠みました。
 しかしコウルリッジは幻想的な詩や政治的な詩も詠んでいるのです。例えば、老いた船乗りが遭遇した神秘体験を描いた『古老の船乗り』、理想郷の風景を詠んだ『クープラ・カーン』などが挙げられます。

そもそも詩とは何か

 そもそも詩とはなんでしょう? それこそ詩人によって、あるいは文学者によって定義はさまざまですが、僕は全く異なった物をレトリックで結びつけた文学作品だと思います。
 例えば「ソネット─大学に向けて学舎を去るに際して」という詩は、「それはかつて泣き虫だった幼い頃、生まれた/土地から引き剥がされ、子ども心に悲しい涙を/交わした時のようだ──やもめになった寂しい母と」という文言で締めくくられています。
 これは家庭の事情で退学を余儀なくされた時の心境を、郷愁や夫の急死に喩えています。本来なら退学、愛別離苦、そして郷愁。この三つはとは別の気持ちであるはずですが、「別れ」や「寂しさ」という共通点も持っています。
 そしてこの共通点を探し、結びつけるのが詩だと僕は思います。

ロマン主義

 さて、ロマン主義とは「感情、想像力を重んじ」ているというのが大筋な定義で、ワーズワースもこの点を強調しています。しかし、自然(nature)も重要となってきます*1。

自然

 なぜなら、この頃、イギリスでは自然風庭園が流行し、自然の再評価が行われていたのです。 またnatureの語源は「生まれたまま」という意味*2。地球が「生まれたまま」の状態は自然になりますよね。現に『コウルリッジ詩集』では田園風景に価値を見出す詩も収録されています。
 例えば、「ブロックリー谷の左斜面を登る」という詩ですが、
平で広い石が苔の褥から突き出ていて、
 そこに私は休む──頂きここに極まれりだ。
 おお、何と豪勢な風景が私を迎えることか!
 とあります。これは言うまでもなく、山の頂から見下ろす風景に感銘を受けて詠んでいるのですが、自然や田園風景に価値を置いているのです。
 それがよく解るのが、「深夜の霜」という詩の一節。「大都会に育ち、薄暗い僧院に閉じこめられて/空と星以外に何も美しいものは見なかった。/だがわが子よ、おまえは微風のように/湖水や岸辺の砂浜を、太古からの岩山の麓を/そして千変万化する雲の下をさまようのだ。」と大都会は閉鎖的で美はほとんどありません。唯一あるのが「星と空」なのですが、これも人工物ではありません。
 一方、田園風景は湖、砂浜、岩山などなど、美しいものがたくさんあることが歌われているのです。

宗教観

「深夜の霜」はさらにこう続きます。
大空の雲は全体で湖とも岸辺とも岩山とも化して
地上を象る。したがっておまえが
見聞きすることになる美しい形象、澄明な
物音は、おまえの神が発する永遠の言語であり、
その言語によって神は万物のうちにご自身を、
ご自身のうちに万物を、永しえに示し給うのだ。
 ここで大空の雲について。雲が岩石になることなどあり得ないから、比喩として解釈しました。おそらく千変万化するものの暗喩として使われているのではないでしょうか? そうすれば、「万物を示し給う」神という最後のくだりにもすんなりつながってきますよね。
 コウルリッジは、万物は一つの完全なものから生まれるように感じました。コウルリッジはプロティノスについて論じていたので*3、その影響はあるでしょう。

政治について

 ロマン派の詩人は政治批判の詩を多く書いています。例えばパーシー・ビッシュ・シェリーの「ソネット──『知識』を積んだ気球に」*4では気球が知識を広め、自由になる願いが込められています。もちろん単なる自由ではなく、革命により自由を手にするという意味です。「無秩序の仮装行列」では「マンチェスターの虐殺に際し創作」*5という副題が付けられているように政治的な意味合いがかなり強い詩を書いています。
 またロマン主義の詩人、バイロンはギリシャ独立戦争に参加するなど、政治的な行動をしています。

コウルリッジの政治詩

 シェリーほど過激でないにせよ、コールリッジもまた政治に関わる詩を書いています。例えば、当時のイギリスでは三角貿易が行われていました。イギリスは西アフリカからラム酒、武器などを送り、西アフリカから西インド諸島へは黒人奴隷を、そして西インド諸島では砂糖、綿を作り、イギリスに持ち帰っていたのです*6。
 コウルリッジは黒人を奴隷として使うことを詩の中で批判しています。
我が同国人よ、われわれは奴隷制や苦役を、
そしてさらに恐ろしい悪徳を、遠い国ぐにの
民族に運んで行ったが、ゆるやかに堕地獄へ導く
後者の汚染は、人間を肉体と魂ともども、まるごと抹殺してしまうのだ
 やや宗教的な、ともすればおどろおどろしく感じ、説得力がないかもしれません。
現実の戦争から離れた地にいるわれわれには
雄叫びを発し戦いに血道を上げたがる。
悲しいことに戦争よりも凄惨な成り行き
(飢餓や疫病、野戦、城攻め、雪の中の
敗走など)を長年の間にすっかり忘れ去り、
われわれこの国のものすべてはこの国の戦争と流血を
叫び求めている。戦争は血湧き肉躍るスポーツで、
われわれは話の種に金を払ってそれを見る
顧客であって実際に戦う戦士ではない。
 しかしコウルリッジのこの箇所は現代にも──あるいは現代だからこそ、生きてくるのだと僕は思いました。

パンティソクラシー

 コウルリッジは詩人、ロバート・サウジーと一緒にパンティソクラシーという理想郷を考えます。どこまで本気だったかは解らないのですが、このパンティソクラシーは「私有財産や階級制度を認めない理認社会」*7です。
 今でいう共産主義でしょうか。

幻想詩

 さて、僕はコウルリッジと言えば田園詩の印象が強かったのですが、幻想詩のほうが有名らしいです。
ザナドゥにクーブラ・カーンは
壮大な歓楽宮な造営を命じた。
そこから聖なる川アルフが、いくつもの
人間には計り知れぬ洞窟をくぐって、
 日の当たらぬ海まで流れていた。
そのため五マイル四方の肥沃な土地に、
城壁や物見櫓が帯のようにめぐらされた。
あちらにはきらきらと小川のうねる庭園があり、
たくさんの香しい樹々が花を咲かせていた。
この描写から、ザナドゥ(Xanadu)は理想郷という意味で用いられるようになったほどです。もともとはモンゴル帝国の都市に由来しているので、恐らくは東洋への憧れもあったのでしょうね。

古老の船乗り

 『古老の船乗り』という詩は乗組員が「どさり、どさりと音立てて倒れ/次から次へと命なき骸とな」ります。死神が出てくるなど、ホラーのような詩なのですが、途中からは天国に向かっているかのようになります。
ヒバリの歌のようだった。
ある時は小鳥という小鳥が海と空とをいっぱいに
かわいい囀りで満たすかに思えた。

いま全楽器が一斉に鳴るかと思えば
次にはただ一つ鳴る笛のようにも聞こえた。
さらには天使の歌声ともなり、全天が
聞きほれて静まり返ることもあった。
 まるで空いっぱいにファンファーレが鳴って祝福されているかのようですね。やや唐突ですが、前半部分の暗い描写と、この明るい描写が印象的。
 僕はこの舟は〈語り手〉の心象風景だと捉えています。「鉛のように海の底へと沈んでいった」とありますが、脚注によるとこれは「罪の重さを暗示」しているとのこと*8。だとすれば、上の場面は罪の許しを暗示するものではないかと思うんです。
 ただこの解釈だと、舟の沈没を上手く説明できませんが……。

*1 川崎寿彦『イギリス文学史』(成美堂)
*2 デイビッド・ヒュームの著作に『人間本性論』があり、理性について説かれているが、この原題は A Treatise of Human Natureである。これは、人間は生まれながらにして理性を持っていたことに由来する。
*3 上島建吉「コウルリッジ略伝」(コウルリッジ『対訳 コウルリッジ詩集』岩波書店)
*4 パーシー・ビッシュ・シェリー『対訳 シェリー詩集』(岩波書店)
*5 同上
*6 Wikipedia「三角貿易
*7 上島建吉「脚注」(「アメリカにパンティソクラシーを建設する見通しについて」)
*8 上島建吉「脚注」「古老の船乗り」



ウィリアム・シェイクスピア『アントニーとクレオパトラ』(白水社)

アントニーとクレオパトラ (白水Uブックス (30))

あらすじ

 時はジュリアス・シーザーなきあとのローマ帝国。アントニーとオクテーヴィアス・シーザー、そしてレピタスは三頭政治を強いていた。かつてアントニーは、ジュリアス・シーザーの暗殺者一味を捉えた功績の持ち主だった。
 しかし今ではエジプトでクレオパトラとの恋愛にうつつを抜かし、政務が疎かになっている。そんななか、ポンペイが海賊を組織し、反乱を企てているとの情報が。シチリアとサルディニアを領土として与える代わりに海賊を解散し、小麦をローマへ送ることを、政務官三人は彼へ要求する。
 和解は成立ように見えたが、その後、オクテーヴィアスとレピタスは共謀してポンペイを監禁してしまった。この一件でアントニーとオクテーヴィアスの対立は激化。アントニーはクレオパトラと同盟を結び、オクテーヴィアスと干戈を交えることとなった……。

呼び名について

 シーザーという役名が出てくるのですが、ジュリアス・シーザーのことかと思ってました。確か、アントニーがクレオパトラと結婚したのってシーザーが暗殺されたからでは、と記憶があって調べてみたところ、別人だったことが解りました。それどころかアウグストゥス(もしくはオクタウィアヌス)として有名な人物だと。
 確かに Octavianusですので、英語風に発音すればオクテーヴィアスになるのかもしれませんが、これは解りにくい。もっといえば、アントニウスのほうが僕には馴染み深かったのですが、Antony and Cleopatraなので仕方がない。
 以下、劇の役名はアントニー、オクテーヴィアスと言った配役名で記し、史実の人物はアントニウス*1、オクタウィアヌス*2と言った教科書の名前で記します。

ローマを舞台に

 ルネッサンスにはローマやギリシャを題材としたものが好まれました。
 シェイクスピアは古代ローマを舞台に何作か書いているのですが、この『アントニーとクレオパトラ』もそのうちの一つ。他にも『ジュリアス・シーザー』*3や『コリオレーナス』*4などがあります。また、プルタルコスの『対比列伝』をかなり参考にしているようです*5。
 しかし、大衆受けするようシェイクスピアは大幅に書き換えていると思うんですよね。この戯曲からはクレオパトラが王族の地位も放棄して男遊びにうつつを抜かした、としか映りません。しかしシーザーやアントニウスに言い寄るということは、エジプトの庇護があったのではと思います。つまりクレオパトラは明確な政治的意図があって、ローマ帝国の有力者に女として勝負を仕掛けたのではないでしょうか。

メロドラマとしての『アントニーとクレオパトラ』

 この『アントニーとクレオパトラ』はそのような政治的な背景を削除。メロドラマになっています。現に「悲劇とはいっても晴朗感が一貫して漂い、きたるべきロマンス劇の誕生を予告するかのよう」*6で「中年の男女の恋愛を円熟した筆致で描ききっている」*7としています。
 アクティウムの海戦*8時点でアントニウスは52歳、クレオパトラは38歳。確かに二人とも中年なのですが、円熟しているかというと正直言ってそうではないように思うんですよ。

クレオパトラ

 例えばクレオパトラはジュリアス・シーザーから、心変わりをしたという設定に書き換えられています。
 あれ〔ジュリアス・シーザーに恋をしたこと〕は私の若葉の時代
 分別は青くさく、情熱も沸き立たぬころの話だわ
 そんなことを言ったのは!
 『ロメオとジュリエット』みたいに十代、二十代が主人公なら微笑ましいのですが、分別もついた四十代(に近い)クレオパトラ。しかも国の政治を取り仕切る立場にあります。
 オクテーヴィアス・シーザーとアントニーとの政治的軋轢を解消させるために、レピダスが彼の姉とアントニーと結婚を勧めます。このときクレオパトラは嫉妬するんですが、大げさに喚き立てます。加えて、史実・演劇ともにアクティウムの海戦でアントニウス・クレオパトラ同盟軍と決するのですが、劇中ではアントニーが戦場に出ると聞くと、クレオパトラも戦場に行くと言い出します。
 さすがに部下もそれは悟ったらしく、「宣戦の布告は私にたいしてもなされている、それなら/なぜ私が出陣してはならぬと?」と尋ねるクレオパトラに対しこんな独白をしています。
答えるのは簡単だ。
 雄馬と雌馬が出陣したら、雄馬は
 敗北するしかない、雌馬が雄馬を乗った武人ともども
 引っさらってしまうからだ。
 つまり色恋に溺れて、正常な判断がつかずに、負けてしまうと考えています。実際、クレオパトラは逃げ帰ってますし。……何がしたかったんだ。戦場デート?

アントニー

 アントニーはどういう人物なのか、意味が分かりませんでした。性格に一貫性がないんですね。例えば、クレオパトラが裏切ったとアントニーは誤解して、彼女を罵るんです。それでクレオパトラは家臣へこう命じます。
私が自害したとあの人に伝えて。
私の最後の言葉は「アントニー」だったと
そう悲しげに言うのだよ。さあ、早く。あの人が
私の死をどう受け取ったか知らせてね。
 このクレオパトラがアントニーを試す態度は怒りすら湧いてくるのですが、アントニーは彼女が死んだと思い込んで、あっさり許します。
 もっともシェイクスピアの作品は人物の性格が変わりやすく、アントニーもその一つとして受け取ることができます。しかし、どうして海戦が得意なのに、わざわざ陸戦を選んでいるのかなどが描かれていないので、アントニーの行動はクレオパトラ以上に不可解なものと感じました。
 最後には「二人の悲しい物語は、/そのもととなったこの身の栄光とともに/世人の同情を誘うだろう」と締めくくられているのですが、この台詞も空々しく感じました。

*1 Wikipedia「マルクス・アントニウス
*2 Wikipedia「アウグストゥス
*3 シェイクスピア『ジュリアス・シーザー』(白水社)
*4 シェイクスピア『コリオレーナス』(白水社)
*5 上野美子「解説」(ウィリアム・シェイクスピア『』白水社)
*6 同上
*7 同上
*8 Wikipedia「アクティウムの海戦


横溝正史『三つ首塔』(角川書店)

三つ首塔 (角川文庫)

あらすじ

 黒川弁護士は「私」、宮本音彌を訪れて、高頭俊作という人と結婚すれば百億の遺産が転がり込むと語った。その報せから数日経って音彌の叔父は還暦祝いのパーティーを開いていた。そこで繰り広げられる怪しげな光景、そして殺人。
 そして三つ首塔に事件の鍵があると知り、音彌はそこに向かった……!

第一印象

 ごめんなさい、好きになれませんでした。理由はいくつかあるのですが……、一番大きいのは、これは推理小説なのか、と疑問が残ったことにあります。確かに金田一耕助も登場し、殺人事件も起こるので、推理小説のように見えます。
 しかし実際は怪しげなパーティーや、怪しげな倶楽部を描いているように思います。谷崎潤一郎はそういうことを作品に盛り込んでいて、それ自体は面白いのですが、肝心の三つ首塔に向かって以降、それまでの雰囲気が一転。宝探しのような雰囲気になるのです。
 挙句の果てには合理的な解決をする気がない、と作者自ら公言しています。音彌が夢の中で炭焼き窯から死体が這い出したと金田一耕助に語るのですが、掘ってみようと言います。そのときの台詞が、
われわれは俄然、超自然主義者、神秘主義者に転向したんですよ。音彌さんがこの炭焼き窯の中から、古坂史郎と佐竹由香利が、這い出してきたという夢をごらんになったところに、なにかしら超自然的な、現代科学の限界を超えた意味がありはしないかということを考え始めたんです。
 これは推理小説としてどうなんですか? ちなみに、幽霊の存在を探偵役が認める作品もありますが、あくまでも推理小説の中には犯人をおびき出すため。ちゃんと合理的に説明がつきます*1。この作品とは違い、事件の核心に超自然現象を持ち出してはいないのです。
 横溝正史の作品は論理性に乏しいのですが、これはいくらなんでも非論理的です。

雰囲気で勝負?

 横溝正史は祟りなどのおどろおどろしい世界が持ち味です。この『三つ首塔』ですが、確かに題名は「三つ首塔』と横溝正史らしいです。しかし、前述したようにこの作品には異常なエロティシズムが感じられます。
 例えば「それは全裸に近い肉体の、ところどころに申し訳ほど、きらきら光る金具や布で覆うふたりの女が、まるで軟体生物のように絡みあって踊る」などといった描写が繰り返し出てきます。しかも事件とは何の関係もありません。また繰り返し出てくると、どのエロスを描きたかったのかが解らなくなります。その結果、雑多な印象を受けるのです。
 雑多な印象を受けるもう一つの理由として、エロス、殺人、恋愛……、これらがストーリーとしての結びつきが弱いことが挙げられます。

変わりゆく音彌の性格

 『三つ首塔』は音彌の恋愛を軸として物語が進むのですが、肝心の音彌に感情移入ができませんでした。性別云々の話ではなく、音彌の行動に一貫性がないんですよ。
 例えば強姦されたのに惚れていくのですが、そこまでに到る道すじが全く描かれていません。しまいには「男とはなれられなくなっていき」、会えない晩を「筆にも言葉にもつくしがたい」と述べるほど。
 そればかりではなく、音彌性格が変わっていきます。初めは清楚なお嬢さんだったのですが、後半になると金と色にまみれていくのです。性格の変化自身は別にいいんですが、そこに至るまでの道すじが描かれていないと説得力がありません。
 考えを変えるきっかけとなったエピソードが皆無どころか、嫌悪感を抱くようなエピソードしか描かれていないのです。またマゾヒストな性格なのだとしたら、そういう性格に到るエピソードを描くべきだと思うんですけどね。

*1 アガサ・クリスティ「エジプト墳墓の呪い」など



バートランド・ラッセル『幸福論』(講談社)

『幸福論』を読みました(画像はありません)

バートランド・ラッセルについて

 集合論の命題、ラッセルのパラドックスやホワイトヘッドへの共著『プリンキピア・マテマティカ』、そして核兵器廃絶などで有名なバートランド・ラッセル。彼は数々のエッセイを残していますが、この『幸福論』もその一つです。
 幸福になるためにはどうしたらいいのか、仕事とは何か、教育とは何かなどをテーマに論じています。ラッセルも言っているように、「学問のある人」に向けては書かれていません。
 したがって極めて読みやすいのですが、「深遠な哲学」が一つも書かれていないというのは謙遜のように思います。少なくとも現代に通じる部分が多いですし、下手な自己啓発書よりも人生の指針として役立ちますよ。
 こんな楽天的な理想論を書いているので、さぞかし苦労知らずかと思うかもしれません。確かにバートランド・ラッセルは貴族の出ですが、逮捕、自殺未遂などを経験しています。

『幸福論』について

 『幸福論』というタイトルの本は他に何冊か出ています。有名なのはアランとヒルティですね! いかに生きるか、というテーマは哲学で扱うには俗っぽい印象を与えるかもしれませんが、エピクロスなどの古代ギリシャから論じられているものです。

好奇心と幸福

 ラッセルは、知的好奇心が重要だと問いています。
興味を持つものが多ければ多いほど、幸福を得られる機会が多くなり、運命に飜弄されることもそれだけ少なくなる。──なぜならもし一つを失っても、もう一つがあるからである。
 まず、食べ物の好き嫌いという簡単な例を挙げています。
 苺が好きだったとしましょう。苺が好きという点では、嫌いな人より「人生は楽しみにみちたもので」すよね。ラッセルは挙げていないのですが、葡萄も好きだった場合は? このように好きなものが多ければ、幸せになると説明しています。
 苺や葡萄だけではなく、趣味でも別に構いません。
 フットボールを見るのが好きな人は、その好きな程度だけ、そうでない人よりも〔幸福度が〕優れている。読書が好きな人は、そうでない人よりもずっと優れている。──なぜならば、読書の機会はフットボールを見る機会よりもはるかに多いからである。
 おおむね賛同するのですが、最後の行だけはだけは納得しません。僕自身、読書が好きなのですが、読書が優れていると思ったことはありません。
 これはラッセルの時代を考えると仕方がないのかもしれませんが、今はスポーツ専用チャンネルと契約すれば世界中のフットボールの試合を見ることができます。またプレイヤーとして参加もできるでしょう。

退屈と幸福

 本当な大事なのは退屈しないということ。仕事も「退屈の予防」という点で効果を上げている、と書いています。しかしラッセルにとって仕事は、単純作業ではありません。
機械生産の究極の目標は、あらゆる興味のない仕事は機械で行ない、人間を変化と創意にみちたしごと仕事ができるようにするところにある。── われわれがまだまだこの目標から遠く掛け離れたところにあるのは事実だが。そのような世界になれば、仕事は、農業が始まってからのどの時代よりもはるかに退屈が少なく、はるかに憂鬱にならずにすむだろう
 とあるようにむしろ新しく創り出すことに重きが置かれているのです。
 建設もまたラッセルが幸福の条件としてあげているのですが、これもまた新しく生み出すことと関係しています。奇しくも建設buildingという単語は教養Bildungを連想させました。僕はドイツ語には明るくなく、しかもドイツ語の辞書も持っていないのでなんとも言えません。しかし自分自身を建設するという意味に解すれば、建設と教養は似た概念のように思います。
 ところでラッセルは『幸福論』において、教養の俗物化を批判しています。
 アメリカでは、婦人たちが、毎月数冊の本を読むこと──また読んだふりをすること──が流行になっている(中略)しかし、彼女らは、名作を一つも読まない。(中略)ダンテについて知っていることが必要だった月も、一度もなかった。
 読書に興味を示すことは大いに歓迎しますし、文学に高級も低級もないと思います。例えば、ラッセルはダンテの他に『ハムレット』と『リア王』を挙げていますが、シェイクスピアはヴィクトリア朝の大衆娯楽でした。
 しかし、みんなが読んでいるから、流行だから自分も読むのは違うと思います。自分の価値観で本は選ぶべきだと僕は思っています。そして下らない本だと批判されても読み続けることこそ、読書の楽しさです。ラッセルは
成功を追うことこそが男たるものの義務であり、成功を追求しないような男はあわれな人間であると、心から信じ込まされているかぎり、彼の人生は、幸福であるためには、あまりに精根を打ち込みすぎ、あまりにもあくせくしすぎることになる。
 と述べています。このことは「成功を追求すること」という周りの価値観に流されて、自分なりの価値観を見出せないという点で読書の批判と似ています。
 周りから否定されようとも、自分の価値観で生きることこそが幸福につながるのではないかと僕は思います。




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