有沢翔治のlivedoorブログ

 同人小説家、有沢翔治のブログ。  いいものを書くためにはいいものを、幅広く。

【こんな小説を書いてます】

二人であることの問い

 双子の姉、亜衣の様子がおかしい。何かあったのではないかと真衣から萌は相談を受ける。やがて亜衣の部屋からバタフライナイフを買った痕跡が見つかり……。亜衣は何を考えているのか?

フィヒテ『全知識学の基礎』(岩波書店)

全知識学の基礎 上巻 (岩波文庫)

フィヒテについて

 フィヒテはカントの『純粋理性批判』を引き継いだ哲学者です。カントは主観と客観の二つに分けて考えましたが、フィヒテは自我という概念を持ち込むことで、その統合を図ろうとしました。『全知識学の基礎』は知識についての学問であり、自我を持った主観的な人間がいかに客観的な物事を捉えられるようになるのかを考えています。
 そしてこの方法はヘーゲルにも引き継がれていくことになります。

独断のまどろみ

 フィヒテは独断論Dogmatimusを批判しています。独断論とは「絶対的な明証性を持つもの」があると仮定する立場のこと*1。この議論はプラトンのイデア論、アリストテレスの形而上学などにも見られますが、ドイツ哲学、とくにライプニッツは演繹的・合理的に考えていくことで、神羅万象を認識できると考えました。当たり前かと思われるかもしれませんが、これを推し進めていくと歴史の法則性も認識できるようになってしまいます。つまり人間はいずれ完全な未来予知が可能であり、自由意志は存在しないという結論になってしまうのです。
 一方、イギリスのヒュームらは全く正反対の立場を取っています。全ては経験に基づくものであり、太陽が東から昇ると考えるのも昨日まで観測していた事実がそうだったからにすぎない、という立場です*2。

カント

 僕は(演繹的に考えるのが苦手なので)この経験論に強く共感するのですが、カントはヒュームの著作を読んで衝撃を受けたそうです。
私は率直に告白するが、上に述べたデーヴィッド・ヒュームの警告こそ十数年前に初めて私を独断論の微睡から目覚めさせ、思弁哲学の領域における私の研究に、それまでとは全く異なる方向を与えてくれたものでる
 カントは「プロレゴメナ」*3の序文でこう綴っています。この「プロレゴメナ」は『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』の入門書なのですが、カントは「人間はどこまで物事を知ることができるんだろうか」という問題を考えました。そしてどんなに理性を働かせてもこの世界を成り立たせている前提条件、「物自体」は演繹では認識できないと考えたのです。しかし経験によってなら認識できると*4。

フィヒテ

 フィヒテもその問題意識を引き継いでいることが解ります。
自我自体こそは観念論の客観である。この体系の客観は従って或る実在的なものとして現実に意識に現れる。それは物自体として現れるのではない、そうすれば観念論はそれがあるところのものたることを止め、独断論に変ずるだろう(なお木村訳は旧字、歴史的仮名遣いを使っているが、引用者の判断で適宜改めた)
 と。カントは「物自体」を神の存在、真理などという神学的な意味で用いているように感じますが、フィヒテは自我を「物自体」として考えています。自身はデカルトの名前を挙げていますが、デカルトの時代は神の存在をしなければいけませんでした。しかしフィヒテが自我を考えるようになった理由はフランス革命の影響があると思います。現にナポレオンが占領した時に、ドイツ国民に対して演説をしています*5。
 ナポレオンは国民投票で皇帝になっていて、自由とは何かが考えられている時代でした。個人の自由は自我という概念があって初めて成立します。
 この問題に取り組んだのはフィヒテだけではありません。同時代の哲学者、ヘーゲルも自我について考えています*6。

ヘーゲルとの関係

 『全知識学の基礎』を読んでいると、フィヒテがヘーゲルに与えた影響が読み取れます。異なったものと出会うことで新たな段階へと進む。これがヘーゲル弁証法の大雑把な説明なのですが、フィヒテも同じ論理で話を進めていきます。
綜合措定なくしては異別措定が可能でなく、異別措定なくしては綜合措定が可能ではないように、同様にまた措定(Thesis)なくしては、即ち、一個のA(自我)を何等他のものに定立することもなく何等他のものに反対に定立することもなくして唯端的に定立するところの端的になる定立無くしては両者は可能ではない。吾々の体系に関係させて云えば、この措定が全体系に支持と完結とを与えるのである。
 ただしヘーゲルが思い描いていたのは『法の哲学』*7からも窺えるように、国家の形成であり、フィヒテは人間がどのように知性を獲得していくかに興味を示していたのではないでしょうか。「相反立的なもの、自我と非我とを、合一することであった」という「課題」がそれを端的に表しています。そして合一されて理性を獲得した自我を「絶対的自我」と呼ぶのです*8。

百科全書

 さて、ここで百科全書との関係について考えてみましょう。ディドロやダランベールが中心となって百科事典を編纂しています。技術から演劇まで網羅的に。しかし、相互の繋がりについては述べられていませんし、それが目的でもありませんでした。全知識学の基礎 下巻 (岩波文庫)
 カントは知識の限界について述べていますが、学問がどのように進歩・発達していくのかは触れられていません。『純粋理性批判』の原題はKritik der reinen Vernunftだということからも解るように、あくまでもカントの関心は理性Vernunftであり、知識ではなかったのです。
 一方のフィヒテの関心は、知識Wissenschaftであり、これは百科全書の影響が少なからずあるように思います。

*1 Wikipedia「独断論
*2 デイビッド・ヒューム『人性論』(中央公論)
*3 イマヌエル・カント『プロレゴメナ』(岩波書店)
*4 イマヌエル・カント『世界の大思想〈10〉純粋理性批判』(河出書房)
*5 Wikipedia「フィヒテ」、なお、『ドイツ国民に告ぐ』は未読。
*6 ヘーゲル『世界の大思想〈12〉精神現象学』(河出書房)なお、僕のヘーゲル理解は長谷川宏によるところが大きい。
*7 Wikipedia「法の哲学
*8 なお、絶対的自我は国民が団結した時の自我とも解釈可能である。



吉行淳之介『砂の上の植物群』(新潮社)

砂の上の植物群 (1967年) (新潮文庫)

あらすじ

 化粧品のセールスマン、伊木一郎は女遊びを繰り返していた。しかもアブノーマルな女遊びを。父親の記憶はあまりないが、理髪店の主人らによると女遊びをよくしていたのことだった。
 ある日、一郎は京子という女と出会い、一夜を共にする。しかし、同名の私生児がいたと理髪店の主人は語った。一郎は近親相姦の恐怖に駆られ、ついには「父親の凶器」とまで京子を表現するようになるのだが……。

第一印象

 吉行淳之介という作家がいて『砂の上の植物群』が代表作。他には「驟雨」などの小説がある。これくらいの予備知識しか持っていなかったので、刺激的でした。もちろん色んな意味で。かなり過激な性描写があり、これはポルノ小説だろうと思いながら読みました。別に僕はポルノ小説だからと言って劣っているとかいうつもりは全くありませんが、単なるポルノ小説として片付けるにはあまりにもったいない作品です。

精神分析

 さて磯田光一も解説で指摘していますが*1、この作品はフロイトを使って読み解くことができます。まず主人公の一郎は亡父の記憶がなく、贔屓の床屋などから聞いた話を断片的に繋ぎ合わせていきます。頭の形が亡父そっくり、所帯じみたところがない云々。
 そしてその話には必ず「伊木一郎にとって何かの棘が含まれてい」て、その棘が「彼を刺す」と〈語り手〉は表現しています。

亡霊

 亡父とそっくりな髪型に散髪してもらった後、鏡に向かってこう問いかけます。「死んでから十八年も経つのに、あなた〔亡父〕はまだそこらをうろついているのですか」と。これは一郎の幻影なのは言うまでもありませんが、どうしてこのような思いに捕らわれたのでしょうか。
 それは意識しているからです。口に出すと幻影はすっと消えるのですが、この亡父の存在はその後も一郎を縛り続けます。例えば亡父は「食べることと、女の方だけは、人の二倍はやっていた」と言います。そして一郎もまた女遊びを繰り返します。

亡父との思い出

 それでは亡父についてどのような思いを抱いていたのでしょうか。「彼にとって父親は時折目の前に現れて、ふいに怒り出す、父親という名前を持った男であった」と語られており、実際、無理やり散髪に行かせようとするなどかなり気分屋です。
 亡父の幻の手が、彼の家庭に棘を持ち込んだのだ。彼は地道に、棘を取り去ろうと努力したが、完全に取り去ることはできなかった。
 こう述べるように父親の幻影は完全に退治できません。
 しかも父親の私生児と交わってしまったのではないかという思いが一郎を支配するようになります。つまり、自分の姉と関係を持ってしまった、と。
 近親相姦がどうして禁じられてるかという根拠を問うのは難しいです。事実、古代エジプトでは近親相姦が許されていました。強いて言うなら文化的な問題であり、「加害あるいは被虐的嗜好」や「多人数での同時性交」と同じように性的頽廃とは言い切れないのです。
 ここで文化相対主義を唱えても意味がありません。それよりもどうして一郎が恐怖心を抱いていたか考えてみることが重要でしょう。そしてもっといえば京子を通して一郎は父親を見ていたということが恐怖心の根底にあると言えます。
 そして理不尽に怒るという点でも恐怖の対象となるのですが、これは女性的なイメージでもあります。もちろん、女性像であり、実際の女性とはかけ離れているかもしれません。

蔑視と崇拝のあいだで

 さて吉行淳之介には女性蔑視の考えが現れている──上野千鶴子を始めとする何人かの評論家はこのように指摘しています*2。彼は特定の女性と関係しているわけではなく任意の女性と関係を持っています。その意味で女性蔑視とも受け取ることができます。

悲しみ

 しかし表現に注目すると一郎が女性に対して、蔑視だけではない感情を抱いていたことが窺えるのです。例えば
乳首から白い液体が迸ったのである。僅かな分量だが、間歇的に三度続いた。乳白色の液体が、点々と乳房の上を飾った。悦びのために流れる白い涙のようにみえた。またその白い水滴に女体の悲しみが凝縮しているようにも、彼の目に映った
 という表現。言うまでもなく母乳を想起させますが、育児は女性にとって「悲しみ」だと一郎には映っているように思います。そしてどうして育児が「悲しみ」だと思うようになってしまったのでしょう? 「余りに若い年齢で、父親になったことを、彼は理不尽な目に遇わされているように思っていたのではなかろうか」と一郎は亡父の心境を予想していることからも解るように、一郎にとって育児は理不尽なものであり、その前段階である出産や妊娠も理不尽なものだったと思います

神秘の対象

 男性は妊娠しないことからも解るように、妊娠は男性にとって訳がわからないものです。いくら科学で解き明かされても、胎内で起こる実感は、男性にとって理解できません。また乳汁を宝石に喩えているように、これも一郎にとっては神秘の対象です。
 サイードは西欧から見た東洋を評し、「オリエントは、全体として、見慣れたものに対し西洋が抱く軽蔑の念と、新規なものに対して感ずる喜び──あるいは恐れ──の戦慄とのあいだを揺れ動くことになるのである」*3と述べていますが、これは男性から見た女性にも当てはまります。
 そして縛るという行為は理解不能な女性を支配下に置きたいという欲望の現れだとも受け取れるのです。

*1 磯田光一「解説」(吉行淳之介『砂の上の植物群』新潮社)
*2 Wikipedia「吉行淳之介
*3 エドワード・サイード『オリエンタリズム』(平凡社)


ロジェ・カイヨワ『遊びと人間』(講談社)

遊びと人間 (講談社学術文庫)

概要

 「遊び」とは一体だろう。例えば、子供の「ままごと」。これは大人の生活をそのまま模擬的に遊んでいるだけなのだろうか。つまり大人の文化を小さな形で反映させただけなのだろうか。
 従来、遊びの研究は遊具の歴史にとどまっていた、とカイヨワは指摘してこれに異を唱える。遊びが社会や文化を作ってきたのだと。ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』と並ぶ遊戯論の古典。

「遊び」の定義

 日本語で「遊び」というと否定的なイメージが伴います。同じ言葉でも「ギターで遊ぶ」と言ったらギターを振り回す等の動作を思い浮かべます。しかし、I play the guitarにはそのような意味合いは全くありません。
 これは恣意的な例かと思われるかもしれませんが、カイヨワはギターの演奏、演劇なども「遊び」として定義しているのです。従って英語で言うplayという言葉に近いのかなと思いました。
 しかし原題は「Les jeux et les hommes」で、このjeuxはゲームという意味なんです。ちなみにplayとgameは「勝敗を決めるなどのルールや環境または他人との相互作用を元に行なわれる活動である」*1と明確に区別しています。オックスフォード英英辞典によると「 A form of competitive activity or sport played according to rules.(競技的な活動や規則にもとづいて行われるスポーツの形)」*2という意味が出ています。
 一方playは「Engage in activity for enjoyment and recreation rather than a serious or practical purpose.(実用的なことや真面目であることよりも、娯楽や気晴らしに関係する活動)」*3だという意味が出てきます。

『ホモ・ルーデンス』

 ホイジンガは「遊び」という文化を考察して、下記のように定義しています*4。
 この行為はいかなる物質的利害関係とも結びつかず、それからは何の利得も齎されることはない。それは規定された時間と空間のなかで、決められた規則に従い、規則正しく進行する。またそれは秘密に取り囲まれていることを好み、ややもすると、日常世界とは異なるものである点を、変装の手段でことさらに強調したりする社会集団を生み出すのである。
 しかし、「決められた規則に従い、規則正しく進行する」という考えを拡張していって裁判制度にまで当てはめているのです。
 もちろん、決められた役割を規則に乗っ取って遂行する、という点では裁判制度にも通じるところがありますが、「何の利得も齎すことはない」という条件に反します。確かに起源をたどれば「遊び」との類似点も指摘できます。
 しかしホイジンガの目的は文化の起源を「遊び」に求めることで、現代文明を批判することにありました。

『遊びと人間』

 カイヨワの目的は現代批判ではなく、現代文明を「遊び」の延長線として肯定的に捉えているように思いました。
 例えば学問は「遊び」から発展しました。これは『ホモ・ルーデンス』でも共通していることなのですが、彼は十九世紀以降、真面目という風潮が支配するようになったと述べています。そしてすぐに飽きてしまう現代人の性質を「小児病」と名付けて批判しています*5。
 一方のカイヨワは純粋に社会学的な側面として、より洗練された形で捉えています。

競技と偶然

 僕がとりわけ注目したのが「競技」と「偶然」。まずカイヨワは遊びを四つのタイプに分類していきます。一つ目は競技。厳格なルールにのっとって行われる遊びで、スポーツや将棋などが当てはまります。

学問

 「偶然」は賭博などの偶然性を利用した遊び。コイントスなどもそうですね。どうしてこの二つが重要に注目したかというと、学問はこの競技、偶然の要素が強いからです。それはカイヨワが揚げている確率論やゲーム理論の研究だけでなく、学問のルール自体が厳格に定まっているのです。
 例えばデータを捏造しない、参考文献を明示することなどいくつかのルールが定められています。そして、ルールに従って競い合うことこそが、カイヨワ(そしてホイジンガ)の定義する「遊び」なのです。

「いじめ」と「いじり」

 競技である以上は参加プレイヤーが公平に扱われなければいけません。しかも「原則として敵を信頼し、敵意なしに敵と戦うことである」と述べています。このことから「いじめ」と「いじり」を次のように分けることができます。自由意志に基づくことはもちろん、いじる側がいじられる側に回っても、「あらかじめ覚悟し、怒ったり自棄になったり」しないのなら「遊び」、そうでないなら「いじめ」です。

模擬

 文学、映画、マンガ、つまり全ての物語は模擬とつながってきます。そして一番低年齢でもできる遊びが模倣だと思うのです。例えば競技。これはルールを知らなければ遊べません。偶然も勝ち負けの基準がはっきりと解らなければ遊べません。
 次に眩暈。これは知覚を使った遊びです。「高い高い」などがあるでしょうが、誰かに高い高いをしてもらわなければいけません。しかし模倣だけは一人でも遊べるのです。例えば一人で「ままごと」、一人で「お店屋さんごっこ」。かくいう僕も一人で飛影のマネをしていたことがあります。邪王炎殺黒龍波、とか。
 ところでカイヨワは模擬に対して下記の通りに記述しています。
他者になる、あるいは他者であるかに思わせる。これが楽しみなのだ。しかし事は遊びであるから、見物人を欺くことは本質的な問題ではない。
 それでは誰を欺くことが目的なのでしょう。カイヨワは明示していませんが、自分自身を欺くことがその目的だと僕は思います。いかになりきるか、つまり自分を忘れることができるか、という点です。飛影になりきっていたときは本気で邪王炎殺黒龍波が出せると思ってました(もちろんその時だけ)。
 そしてこれは読書の時、そして小説を書いているときでも現れてくるのです。むしろなり切らないと小説は書けません。
 空想にふけることから模擬は始まると僕は考えています。

遊びの役割

 空想にふけるのは辛い現実を忘れるためですが、ここから遊びとは何かが見えてくると思います。辛い現実を忘れさせてくれるものだ、と。従ってこの意味においてなら「遊んで」暮らすことは考え方次第で可能です。「遊びながら」仕事をすることはもちろん、真面目に遊ぶことも。
 逆に人間関係、金銭などから義務的に行なっているのなら、それは「遊び」とは言えません。例えば接待ゴルフなどは純粋な遊びと言いがたいのです。

*1 Wikipedia「ゲーム
*2 Oxford Living Dictionaries「game
*3 Oxford Living Dictionaries「play
*4 ヨハン・ホイジンガ『ホモ・ルーデンス』(中央公論)
*5 同上



フランソワ・ケネー『経済表』(岩波書店)

ケネー 経済表 (岩波文庫)

概要

 マルクス以前の経済学と言えば、アダム・スミス、リカードなど、イギリス中心だというイメージがあるかもしれません。事実、マルクス以前の経済学はイギリス古典派経済学とも呼ばれていました。
 しかしフランスにも経済学者がいなかったかというとそういうわけではありません。フランソワ・ケケネーはアダム・スミスと同時代に、富の流れを図示して分析しました。
 そしてその分析はマルクス経済学へと受け継がれていくことになります。
 ちなみにこのケネーの本業は医師でした。血液循環に着想を得て、経済を分析したのです*1。

この本を読んだ目的

 普段、経済学なんか全く興味がありません。そもそも社会なんか幻想だと思っています。バブル崩壊はどうして起こるのか、など経済現象そのものには興味がないんです。確かにジンバブエドルがハイパーインフレーションを起こした時は、「牛乳500ミリリットルが600億ジンバブエドル、牛肉1キロが4380億ジンバブエドル」*2と聞いて笑いましたけど。
 僕が興味があるのは、第一に創作小説へ使えないかということ。知っている知識だけではどうしても創作の幅が広がらないので、他の分野も見に行かないとなぁ、と思っていたところです。
 第二にマルクスにどのような影響を及ぼしたかということ。僕は経済現象には興味がありませんが、マルクスという人がどのような考えに基いて資本論などを書き上げたかには興味があります。事実、カール・マルクスは『経済表』について「実に天才的な、疑いもなく最も天才的な着想」*3と述べており、その影響力が窺えます。

重農主義者

 ケネーは重農主義と呼ばれ、農業重視の政策を説いています。例えば、「家畜の増殖が奨励されること。家畜こそが、高収穫をもたらす肥料を土地に与えるのであるから」などの一文がその典型例です。
 高校時代の世界史の教科書には、ケネーの名前が載っています。「経済学ではケネーが富の源泉は商業ではなく農業であり、自由な経済活動が自然の秩序にかなうとして重商主義を批判した」、と。この文面からすると、商業を否定したように見えますが、ケネーは商業に関して肯定的な意見を持っています。
主権者と国民は、土地が富の唯一の源泉であり、富を増加させるのは農業であるということをけっして忘れないこと。なぜなら富の増加は、人口の増加を保証するからである。人間と富が農業を発展させ、交易を拡張し、工業を活気づけ、そして富を増加させ永続させるのである。こうした豊かな源泉にこそ、王国の行政のあらゆる部分の成功が依存している。
 つまりまず農業を発展させ、商工業はその次だという考えなのです。
 これには恐らく二つの理由があったのではと思います。

四度の飢饉

 ケネーは1694年に生まれ、1759年に経済表を書きますが、この間、フランスでは四度の飢饉*4に見舞われています。
1693年–1694年
1706年–1707年
1709年–1710年
1738年–1739年
 このような背景もあったのでしょうね。

二国のバブル

 もちろん産業革命以前ですので、工業と言っても今のような大規模ではありません。主な産業は農業か商業に限られてくるかと思います。しかし、1721年にフランスでバブルが崩壊します。当時、北アメリカの一部はフランス領で、ミシシッピ計画*5というミシシッピ川の開発計画があったのです。
 当時、金貨が流通していましたが、「金貨」そのものに価値はなく、金に価値があります。いつでも貴金属と交換ができるから貨幣にも価値がある……このような貨幣を兌換貨幣と呼びます。しかし、この兌換貨幣は不純物を混ぜて金の含有量を落とすことが、古今東西、何度か行われてきました*6。例えば金の含有率を50%に落とすと、物価は単純計算して2倍になります。
 そしてルイ14世は金の含有量を下げて、流通させていたのです。物価が上がってきたからまた純金で作り、また安定したから今度は75%に……という風にしていたら、混乱していきます。
 時のフランス王立銀行総裁、ジョン・ローはこう考えました。金の含有量に依存しないで、貨幣そのものに価値を持たせたらどうか、と。これを信用貨幣と呼び、現在の経済はこれによって動いています*7。兌換貨幣に比べ、価値が安定しているので、当然、国民からは支持されます。
 しかしフランス王室は当然面白くありません。貴金属との交換を前提として、貨幣を鋳造してきたのに、その意味を全面否定するような方法なのですから。その結果、圧力がかかります。
 ジョン・ローはミシシッピ川の開発に掛かる株券を大量発行し、それを買うために紙幣も刷ります。ミシシッピ川の開発は海の向こうで行われていること。フランスからはあまり実態が分かりません。上手く行っているかどうかの目安は株価のみですが……当然、紙幣を刷って買っているわけですから株価は上がります。
 国民はこぞってミシシッピ川に投資していきます。フランス国内でバブル経済が訪れるのですが、段々と、ミシシッピ川開発計画を疑問視する雰囲気が漂っていきます。次第に株を売り始め、バブルが崩壊していきます。
 また同時期にイギリスでもバブルが崩壊しています*8。つまりケネーの時代には二つのバブル崩壊があったのです。ケネーが商業を否定的に捉えても無理からぬ話です。

マルクスとの関係

 マルクスも経済学を図式化して考えていましたが、ケネーの発想によるところが大きいようです。もちろんマルクスのほうがより一般化されていて、洗練されています。ケネーは複雑な経済現象をより一般化、モデル化しようとしました。

再生産表式

 マルクスは『資本論』において再生産表式を分析しているのですが*9、『経済表』の手法が使われています。しかしケネーのモデルは農業を念頭に置き、しかも人々が生存できるかどうかを中心に考えられていました。つまり極めて限定的なモデルだったのです。
 マルクスはそれをより一般化し、資本主義において商品の流通過程について考察していったのです。最終目標も人間の生存ではなく物の価値とは何かという点で、ケネーとマルクスは違いが見られます。

均質化

 マルクスは『資本論』において、需要と供給の関係を述べています*10。ケネーもまた「ある国で価格が少しでも有利になれば商品はそこに引き寄せられ、〔価格の〕均質化が絶えず再現するのである」と述べています。しかしこのケネーの分析も非常に限定的なものにとどまっています。
 マルクスはより精緻に、そしてより一般化しようとしていたのです。

*1 Wikipedia「フランソワ・ケネー
*2 「牛乳500mlが600億ジンバブエドル、ハイパーインフレに見舞われた国の今」(AFP通信)
*3 Wikipedia「経済表
*4 Wikipedia「飢饉の歴史
*5 Wikipedia「ミシシッピ計画
*6 日本の江戸時代にも同様の事例が見られる(Wikipedia「元文丁銀」)
*7 例えば1万円は1万円分の貴金属が埋め込まれていない。日本国が1万円として保証してくれているから1万円として機能するのである。
*8 Wikipedia「南海泡沫事件
*9 マルクス『世界の大思想(18)資本論 1』(河出書房)
*10 マルクス『世界の大思想(20)資本論 3』(河出書房)


ウィリアム・シェイクスピア『トロイラスとクレシダ』(白水社)

トロイラスとクレシダ (白水Uブックス (24))

あらすじ

 時はトロイ戦争。トロイアとギリシャが戦っていた。ギリシャの総大将、アガメムノンはトロイの城門まで攻めてきている。すでにトロイアの王子であるパリス、将軍、アンティーナーが捕虜となっていていた。ギリシャ側はこの二人を釈放する代わりに、クレシダを捕虜として差し出すように要求する。恋人で反戦主義者のトロイラスは猛反発するのだが、軍法会議で決定したと告げられる。
 二人は永遠の愛を誓い合い、クレシダはギリシャに引き渡されることとなった。それにもかかわらず、トロイラスがこっそりギリシャ陣営へ行ってみると、ギリシャ人の将軍に口説かれているところだった。しかもクレシダの気持ちは揺れ動いている……。その姿にトロイラスは愕然として一気に戦争を支持するのだった。

副次的な「トロイラスとクレシダ」

 僕はトロイラスとクレシダの二人に注目してあらすじを書きました。しかし、この話はトロイ戦争を中心に話が進んでいきます。その証拠にトロイの将軍ヘクター(ヘクトル)がアキリーズ(アキレス)に倒されたところでほとんど劇が終わっています。「トロイラスとクレシダ」という題目なのに、と思われるかもしれませんが、これ自体はそんなに奇妙でもありません。例えば、「ジュリアス・シーザー」はむしろブルータスを中心に話が進んでいきます*1。
 しかし「ジュリアス・シーザー」はブルータスたちはシーザーの暗殺が目的であり、その点においては違和感がありません。一方と『トロイラスとクレシダ』はトロイラスが復讐を誓ったはいいものの、最終的に復讐計画がなされないまま終わってしまいます。なんか不完全燃焼。

喜劇?

 僕はこの戯曲を喜劇だと解釈しました。サーサイティーズ(テルシーテース)はシェイクスピアの創作だろう、と思っていましたが、調べてみるとホメロスにも登場しています。悪辣な性格もシェイクスピアの創作ではなく、ホメロスの原典通りです*2。
 トロイラスは「おれはこんなこと〔女一人のために〕戦うことなどできん、この剣をふるうにはあまりに貧弱な大義名分だ」と言っているにも関わらず、戦争に参加した理由がクレシダがギリシャ人の将軍に寝取られたから。つまりパリスたちと全く同じ論理で結局はギリシャ側に宣戦布告をするのです。

ルネサンス文学の特徴

 ルネサンス文学の特徴として、古代ギリシャや古代ローマ帝国への憧憬があります。しかし、これらの文献はヨーロッパには残っていませんでした。一回、イスラム世界に保存され、十二世紀頃にイスラム世界との接触を通じてもたらされたのです*3。

簡単な経緯

 古代ローマ帝国は三九五年に東西に分裂します。東ローマ帝国はビザンティン帝国としてギリシャ文献を保存しますが、西ローマ帝国はゴートの侵略、フン族などで壊滅的な被害を受けます。またギリシャ人はローマ帝国からも宗教的な迫害を受けてきました*4。
 彼らがたどり着いた先が、今のイラクだったのです。ヨーロッパはイラク経由で古代ギリシャ哲学や古代ローマ哲学を吸収していきました。

シェイクスピアの時代

 シェイクスピアの時代、古代ギリシャがもてはやされていました。例えばペトラルカはキケロを題材に、ダンテはギリシャとイスラム世界の知識人を『神曲』*5で描いています。(イスラムの扱いが酷いですが)
 またチョーサーも『トロイラスとクレシダ』を題材に詩を書き、シェイクスピアはそれを材源にしました*6。

昔の栄華

 古代ギリシャ演劇の特徴に、「コロス」という存在があります。コーラスの語源となったこの言葉は、途中で歌を挟む、劇の要約や背景を伝えるなどの役割があります*7。解説では蒲池鶴美は序詞訳を置いた理由はベン・ジョンソンのパロディと述べていますが*8、古代ギリシャ演劇を意識したのだと僕は解釈しました。

トロイの栄華

 しかし単に流行しているからと言って、シェイクスピアはトロイ戦争を取り上げたのでしょうか。僕は昔の栄華がいつまでも続くとは限らない、というテーマをこの戯曲から読み取りました。かつてはトロイも繁栄を誇ったとされていますが、今は遺跡にその名残を留めるだけです。古代ギリシャも同じ。無敵と言われたヘクター(ヘクトル)もアキリーズ(アキレス)に殺されます。

人の心も

 そして人の心も移ろいゆくことが、「トロイラスとクレシダ」の話です。初め、「この金髪をかきむしり、バラ色の頬を引っかき/美しい声を嗚咽でひび割らせ、トロイラスの名を叫んで/心臓を破裂させましょう。私はトロイを離れません」と述べているように、クレシダはかなりトロイラスに愛情を寄せていることが解ります。
 トロイラスもこれに応じ、毎晩あなたに会いに行こうと述べています。
 しかし陣営でギリシャ人の将軍ダイアミディーズ(ディオメーデース)に口説かれているところを目撃します。手引役を務めたユリシーズは「あの女はどんな男でもひとめ会っただけで夢でも見てるようにボーッとなるんですよ」と言います。
 恋愛なんてそんなもんだ、という考えもあるでしょう。しかし、このエピソードもある意味で万物──人の心も移りゆくことを示していると言えます。


*1 ウィリアム・シェイクスピア『ジュリアス・シーザー』(白水社)
*2 Wikipedia「テルシーテース
*3 伊東俊太郎『十二世紀ルネサンス』(岩波書店)
*4 同上
*5 ダンテ『筑摩世界文学大系〈11〉ダンテ』(筑摩書房)
*6 蒲池鶴美「解説」(ウィリアム・シェイクスピア『トロイラスとクレシダ 』(白水社)
*7 Wikipedia「コロス
*8 蒲池鶴美「解説」(ウィリアム・シェイクスピア『トロイラスとクレシダ 』(白水社)



エドワード・サイード『オリエンタリズム』(平凡社)

オリエンタリズム

概要

 西洋は東洋、つまりオリエントをどのように規定してきたのだろうか。単に憧れと異国情緒の対象として記述してきた、とされてきた。例えば、ゲーテの『東西詩集』、フィッツジェラルド訳の『ルバイヤート』。
 しかし、エドワード・サイードはそんな従来の見方を否定する。知識の対象、すなわち支配の対象なのだと。その契機となったのがナポレオンのエジプト遠征である。
 そもそもオリエントという概念自体が、地理区分ではなくヨーロッパとヨーロッパ以外のものを分けるための恣意的な概念だと指摘する。フーコーの理論を援用し、のちのポストコロニアル批評に影響を与えたサイードの代表作。

憧れの対象として

 従来の見方だと東洋は憧れの対象でした。例えば、サイードが引いている例ですと、フローベールは「彼の作品のすべてを通してオリエントを性的幻想による現実逃避と結びつけている」とあります。
ブルジョア階級の日常生活のなかで、彼らの持たざるものにあこがれる。(中略)すなわちハレム、王女様、王子様、奴隷、ヴェール、シャーベット、膏薬等などのなかに封じ込められた白昼夢の中に易々と現れる。
しかし『ボヴァリー夫人』*1をぱらぱらと捲ってみたのですが、見つかりませんでした。確かにエマはヴェールをかぶっていて、一見するとムスリムの真似事をしているかのように見えます。
 しかし、この場面がオリエントへの憧れとは一概に言えません。「コリント人への手紙」には下記のくだりがあります*2。
祈をしたり預言をしたりする時、かしらにおおいをかけない女は、そのかしらをはずかしめる者である。それは、髪をそったのとまったく同じだからである。もし女がおおいをかけないなら、髪を切ってしまうがよい。髪を切ったりそったりするのが、女にとって恥ずべきことであるなら、おおいをかけるべきである。(中略)それだから、女は、かしらに権威のしるしをかぶるべきである。それは天使たちのためでもある。
 つまりヴェールをかぶる文化はキリスト教にもあるのです。
 しかしサイードの名誉のために言っておきますが、フローベールがエジプトへ旅行したのは事実です。そして「性の制度化が相当程度進んでいた」、とあるようにフローベールたちは売春宿で遊んでいました。

ドラクロワ

 サイードは名前を出すにとどめているのですが、ドラクロワの『アルジェの女たち』が東洋趣味を代表しているといえましょう。アルジェリアのハーレムを描いているのですが、服装といい背景といい、オリエントを強調しているように思えます。
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 ドラクロワ アルジェの女たち


学術の対象として

 ところが、エドワード・サイードはそのような単なる異国情緒だけではなく学術の対象としての側面があったと指摘しています。

知ることは支配すること

 しかも知識の対象として記述すれば、必然的に支配の対象となります。エドワード・サイードは『オリエンタリズム』を書くに当たり、フーコーを援用しています。フーコーは知識を権力と結びついた支配構造として捉えます*3。
 原子力がその好例でしょう。原子力を知るのは知的好奇心のためではなく、原子力発電、ひいては原子力爆弾を開発するためです。そして権力と結びついているのです。
 つまり、東洋に関する言説の増加もそれと同じことが言えるのです。東洋の植民地政策と強く結びついていると指摘しています。
 特にイギリスにおいては東インド会社の支配と密接に関わっています。そしてインドを通るにあたって、トルコなどの世界をどうしても通らなければならなかったのです。一方、フランスは聖地巡礼の遍路としてオリエントを見ていました。

差別の対象として

 さて、西洋/オリエントの二項対立は差別意識を生み出します。しかしここで注意して欲しいのは、そもそもオリエントという概念自体、西洋が勝手に線を引いているに過ぎないということ。
 例えばルナンは比較言語学の観点からオリエントを規定します。西欧の人はインド・ヨーロッパ語族の言葉を話し、オリエントに住む人はセム語を話すという風に。ただ、サイードの見解によれば、「オリエント支配の象徴であり」、「誰よりもまずルナンが創造した言語」なのです。
 そしてセム語は「倫理的にも生物学的にも堕落」しているとして、差別の対象として認知され始めます。ソシュール以前の言語学は、もっぱら言語の起源を探っていました*4。自分探し、といえば聞こえはいいのかもしれませんが、言語によってもまたヨーロッパの正統性を高めようとしたのです。
 それには西洋人がオリエントに対して複雑な気持ちを抱いていたことの証明だと言うのです。
オリエントは、全体として、見慣れたものに対し西洋が抱く軽蔑の念と、新規なものに対して感ずる喜び──あるいは恐れ──の戦慄とのあいだを揺れ動くことになるのである。
 中東は科学史の目から見ても常に神秘の対象でした。例えば十三世紀に中東の医学、科学、数学、哲学がヨーロッパに入りました*5。当時のヨーロッパにしてみれば、イスラムの科学的知見が理解できなかったに違いありません。だからこそ1312年にヴィエンヌ公会議にて「アラビア語、ギリシア語、ヘブライ語、シリア語」の一連の講座を設置したのでしょう。イスラム科学を取り入れるために。ついで文化が神秘の対象となったわけです。

好奇の対象として

 ジョセフィン・ベーカーの踊り*6や浮世絵など、新規なものを求めます。これは「ボヴァリー夫人」のエマがオリエント世界を空想したように単調な生活を送っていると、非日常を味わいたくなりますよね。
 しかし一方で、行動が理解できないと、「非常識な人」として軽蔑することもあるでしょう。あるいは理解できないものが自分の生命に差し迫っている場合は怖いでしょう。
 『オリエンタリズム』に隠されている問題は、決して西洋/東洋だけではありません。また日韓問題などの旧植民地時代をめぐる言説だけでもありません。
 西欧人が自分の理解が及ばないものに対してどのように対応して、その結果、どういう結果がもたらされたかを検討する本──そのように僕は思います。

*1 ギュスターヴ・フローベール『ボヴァリー夫人』(新潮社)
*2 Wikisource「コリント人への第一の手紙
*3 ミシェル・フーコー『知の考古学』(河出書房新社)
*4 Wikipedia「フェルディナン・ド・ソシュール
*5 伊東俊太郎『近代科学の源流』(中央公論)
*6 Wikipedia「ジョセフィン・ベーカー



ウィリアム・シェイクスピア『終わりよければすべてよし』(白水社)

終わりよければすべてよし (白水Uブックス (25))

あらすじ

 フランス王は長患いで回復の見込みはないと言われていた。そこへ名医の娘で自身も医師であるヘレナが訪れ、治療を申し出る。ただし治療の成功報酬はフランス王子、ペーローレスと結婚させてほしいということだった。貧しく、身分違いの恋でもあり、彼女は想いを告げられずにいたのである。
 フランス王は二つ返事で快諾し、治療も成功する。しかし肝心のペーローレスはヘレナと結婚したがらない。フランス王の面子もあるので、渋々結婚を承諾するが……。

勝手に決められる結婚

 ペーローレスはヘレナとの結婚を勝手に決められます。しかも彼のあずかり知らぬところで。ヨーロッパの貴族の間で政略結婚は少なくとも19世紀まで続いていました*1。
 この『終わりよければすべてよし』は政略結婚でありませんが、君主の治療という政治的な条件と引き換えに、結婚を勝手に約束するという点では似ています。しかし男女が逆転している以外は。

女性は政治の道具?

 もし、これが女性の結婚が勝手に決まったとしたら凡庸なストーリーになってしまいます。しかし、ここで考えて欲しいのはなぜ女性が「政略結婚」の道具になったらつまらないストーリーになるか、です。答えは簡単。ありふれているからです。つまり政略結婚で使われる「道具」を女ではなく男にすることで男尊女卑を批判する効果があったと考えられます。
 男女を入れ替えることで、政略結婚の奇妙さを浮き彫りにしようとしたのではないでしょうか。

改変された点

 もちろんこれは僕の勝手な推測にすぎません。
 現にシェイクスピアの書く物語には材源があり、この話はボッカチオ『デカメロン』をもとにして作られています*2。僕は『デカメロン』を読んでいないので、どの程度まで脚色されたのか判断しようがないのですが、解説を読む限りにおいて、息子の結婚を勝手に決めるというあらすじは同じです。
 ロシリオン伯爵にはベルトラーモという一人息子がおり、伯爵の侍医の娘ジレッタがこれに恋してしまう。(中略)フランス王がかかっていた重い病を、父に教わった処方で治し、ほうびにベルトラーモを夫にしてもらおうと考えたのである。(中略)かんじんのベルトラーモは身分の低い彼女との結婚をいやがる。
 材源と比較することでも僕の解釈が妥当かどうかを検討できます。
 原作ではフランス王が「望みをかなえるのをしぶ」*3るのですが、『終わりよければすべてよし』では、二つ返事で快諾しています。いくら命の恩人とは言え息子の同意なく、結婚を決めるのですから、原作の反応のほうがリアリティがあります。
 しかし、あえてシェイクスピアは改変に踏み切ったのです。この理由を検討する前にベッドトリックについて見てみます。

ベッド・トリックとセクシュアリティ

 また、シェイクスピアの演劇では変装がよく用いられるのですが、ときには周りがどうして気がつかないのか不思議に思うほど。今回、ヘレナは伯爵の想い人であるダイアナとベッドの中で入れ替わります。ヘレナがダイアナの母親に計画を打ち明けます。
 ここで注目すべきは、まず親に話をつけているという点。つまりダイアナの意志は蔑ろにされているのです。
 結婚、セクシュアリティが政治的に利用されることを示す証拠だと言えましょう。二つ返事で快諾したと変えた理由もそこにあると解釈できるのです。

『終わりよければすべてよし』の終わりとは

 文法的な解説をしているのではありません。この『終わりよければすべてよし』の「終わり」とはいつなのでしょう? 芝居の終わりでしょうか。確かにヘレナは結婚を成就させ、その意味では『終わりよければすべてよし』と言えましょう。実際、フランス王の口からも「終わりがこのようにめでたく収まればすべてよし」だと述べています。
 しかし僕には将来、この二人が上手く結婚生活を遅れるとは思えません。このパートラムはかなり我儘な人物として描かれているのです。その意味でこの「終わり」とは結婚生活の終わり、あるいは人生の終わりという含みがあるのかもしれません。

*1 例えばヴィクトリア女王などである。
*2 蒲池美鶴「解説」(ウィリアム・シェイクスピア『終わりよければすべてよし 』白水社)
*3 同上
*4 『シンベリン』、『ペリクリーズ』など



ジョージ・バイロン『バイロン詩集』(岩波書店)

対訳 バイロン詩集―イギリス詩人選〈8〉 (岩波文庫)

概要

 ロマン派の詩人、バイロン。彼は物語詩『チャイルド・ハロルドの巡礼』において一躍有名になる。また『マンフレッド』はニーチェが影響を受けるなど、後世に大きな影響を与えた。晩年は、オスマン・トルコの占領下にあったギリシャの独立戦争へ、義勇兵として参加。ギリシャの地で若くして死ぬことになる。
 本書はそんなバイロンの詩を、物語詩のハイライトを中心に紹介している。

詩とは何か

 詩とは何でしょうか。韻を踏んでリズミカルに表現すること、もっといえば朗読を前提とする文学でしょうか。

押韻

 確かに多くの詩は韻を踏んでいます。このアンソロジーに収められているバイロンの詩も例外ではありません。例えば、『貴公子ハロルドの巡礼』において、スペインの闘牛を下記の通りに表現しています。
Foil'd, bleeding, breathless, furious, to the last
Full in the centre stands the bull at bay..,
Mid wounds, and clinging darts and lancers brast.
And foes disabled in the brutal fray..
 見てわかるように 「ay」、「st」の音で韻を踏んでいます。
 加えて訳注では「途切れ途切れの文法構造は、息たえだえの牛のさまを表している」と解釈していますが、僕はf,d,b,th,sの音でも牛の息を表していると解釈しました。

比喩表現

 しかし、詩とは韻を踏む文学形式である、という考えは近代になって変わっていきます。ホイットマンが韻を踏まずに詩を書いたのです*1。僕はホイットマンの詩が余り好きじゃありませんが、自由詩を確立させたのは揺るぎない事実です。
 では現代になって詩とはどういったものとして考えられたのでしょうか? それは比喩表現、もっといえば、日常のものを違ったものとして見る方法です。普段は思いつきもしなかったけど、よく考えてみれば似てる、と*2。
 例えば『貴公子ハロルドの巡礼』だと、ハロルドがライン川の古城に佇み、「丁度一つの孤高の精神のようにして」と述べています。でもそびえ立つ古城の風格から、バイロンは孤高さを感じたのでしょう。精神と廃墟は本来、全く別のものですが、その人独特の感性で結びついた表現技法が詩なのです。そして多かれ少なかれ価値観、世界観を反映しています。
 そしてこの結びつきですが、文章はもちろん、詩全体に及ぶことが往々にしてあります。例えば闘牛の場面ですが、流血という繋がりをもって
1.復讐「幼児より、血に育まれた彼らの心臓は、復讐に、人の苦しみに、喜びを見出す」
2.戦争「全人民が一軍となって敵と相対すべき」
 なお、「一軍となる」の原文はphalanxというローマの重装歩兵を示す単語が使われています。もちろん、実際に戦争をしているわけではありませんが。
3.内紛「同胞に対して奸計を巡らしていることか/些細な怒りで血を流さねば気が/すまぬとは」
 というイメージも呼び起こします。闘牛と内紛は本来なら全く別のものですが、流れる血のイメージが重なり、あたかも共通の結びつきがあるように感じませんか?

古代ギリシャの憧憬

 バイロンは古代ギリシャに憧れて、オスマン・トルコからの支配から解放させる義勇兵として参加します。その決意は『一八二四年』からも感じられます。
 もっとも、このキーツも「古代ギリシャの壺のオード」*3などの詩を書いていて、バイロンだけがギリシャに憧れていたわけではありませんが、『コリントスの包囲』などからもそれは窺うことができます。
 キーツなどはギリシャのみでしたが、バイロンはギリシャというよりも東洋世界へ興味を持っていたのでは思います。例えば『マンフレッド』*4という物語詩では、ペルシャの神が出てきます。また『海賊』の舞台ですが、地中海、つまりギリシャだけでなくトルコも舞台になるのです。
 パーシー・シェリー、ワーズワース……ロマン派は自然を題材にしていることが多いです。バイロンももちろん自然を題材にした詩を描いているのですが、『マンフレッド』とギリシャ独立戦争の印象が強く、東洋を題材にした詩を書いているというイメージしかありません。

*1 wikipedia「ウォルト・ホイットマン
*2 wikipedia「異化
*3 『対訳 キーツ詩集』(岩波書店)
*4 ジョージ・バイロン『マンフレッド』(岩波書店)



横溝正史『扉の影の女』(角川書店)

扉の影の女 (角川文庫 緑 304-26)

あらすじ

 年の暮れも差し迫ったある日のこと、金田一耕助のもとに依頼人が訪れる。「犯人を見てしまい、命を狙われるのではないか」、そして「警察に言うと自分が疑われるのでは」と依頼人、佳代子は言うのである。
 聞けば、被害者はハットピンで首を一突きにされ、謎のメモまで置いてあった。しかも、不思議な点はそればかりではない。犯行現場と佳代子が目撃した場所が違うのだ。
 金田一耕助は興味をそそられ、事件へ乗り出すのだが……。

推理小説というより

 犯人探しというよりも捜査の進展を中心に重きが置かれています。従って、『犬神家の一族』のような見立て殺人、あるいは『夜歩く』のような不可能犯罪というような謎は全くありません。強いて言うなら謎のメッセージですし、この謎を解くよう読者へ求められているかのように〈語り手〉は書いています。

謎のメッセージ

 実際、謎のメッセージが書かれた「便箋のひとひら」には「妙なこと」と断わっています。また、ギン生、タマチャンという名前についても江崎タマキと臼井銀哉だと言いますが、その直後にこう書かれてるのです。
 タマキさんのことをタマちゃんとは呼ばないと思いますの。タマキちゃんてひと、(中略)臼井さんみたい年下のひとからタマちゃんなどと呼ばれると侮辱を感ずると思うんです。ですから、これひょっとすると臼井銀哉さんが江崎タマキさんに書いたのではなく、まったくべつの、ギン生という人がいるんじゃないかって気がついたんです。少し偶然が多すぎるようですけど
 と違和感があると証言しています。
 その直前には、「叩けよ、さらば開かれん」という文句に触れています。つまりこの物語は「叩けよ、さらば開かれん」というメッセージを中心に展開していくことを仄めかしているのです。しかし凶器のハット・ピンの次を中心に話が進み、ようやく臼井銀哉に接触。そして、彼に謎のメッセージと同じ文言を書かせます。

語られないこと

 理由も告げられずに、臼井銀哉がこのメッセージを書くのもご都合主義ですが、百歩譲って目をつぶりましょう。しかし、読者が知りたいのは、誰が書いたのかではなく、むしろどんな意味だった、です。あからさまに、唐突に、そして不自然に語られないのでかえって読者は疑問をいだいてしまうのです。聖書の一節なのですが、そのことにも触れられないほど。
 「叩けよさらば開かれん」の真相は陳腐なものですが、陳腐なものでも演出や文体次第で面白いものになります。

犯人と推理

 さて推理小説として成立するためには、犯人の指摘ができるだけ論理的に行わなければいけません。しかし、金田一耕助も述べているのですが、この小説で犯人の指摘もそれに至る過程も全くの憶測です。

人物像

 さて、この『扉の影の女』は金田一耕助の私生活が書かれていることが特徴。しかし古谷一行の袴姿や、因襲が残る田舎が舞台になっていることからてっきり和食だと思っていました。しかし、トーストとサラダ……、うーむ意外と洋食。
 煙草銭すらないのは予想通りなのですが、まとまった金が入ると警部を高級料亭に連れて行くのは意外でした。てっきり、家賃滞納を支払って結局は儲けがあるかないか、という貧乏生活かなと思っていただけに。


小野寺健[編訳]『20世紀イギリス短篇選』(岩波書店)

20世紀イギリス短篇選〈上〉 (岩波文庫)

概要

 人生の断片を鮮やかに切り取った短編集、というコンセプトで集められたアンソロジーです。20世紀を代表するキップリング、モームなどを始め、下巻には貧困問題を扱った『あいつらのジャズ』などを収録。現代作家というとジョイスやウルフなど、実験的・技巧的な作品が多いと思われるかもしれませんが、意外とそういった作品は少ないです。
 ジェイムズ・ジョイスは短編集『ダブリン市民』から収録し、あのヴァージニア・ウルフでさえも読みやすい。

キップリング

 キップリングは短編小説の革新者と呼ばれました。オラシオ・キローガ短編小説の名手としてポオやモーパッサンなどとともにキップリングを上げています*1。このように短編小説に大きな影響を与えたことは間違いないのでしょうが、どうキップリング以前と以後では何がどのように変わったのか解りませんでした、

オリエンタリズム

 イギリス人作家が東洋を描くと野蛮で、神秘の国として描くことが多いです。例えば、コナン・ドイルは『四つの署名』*2でインドと財宝を結びつけていますし、サックス・ローマーはフー・マンチューを妖術を使うものとして描いています*3。このような西洋人が東洋へ対する誤解や偏見をオリエンタリズムと呼びます*4。エドワード・サイードはこのオリエンタリズムが学術研究の名のもとに植民地支配を推し進めるきっかけとなったのではないかと論じています*5。
 しかし、『航路の果て』という短編では、東洋人の神秘ではなく、西洋人の望郷を描いています。
 イギリス人たちがインドへ赴任してくるのですが、先任のジェヴァンズが死亡してしまったからだと語られています。実際、インドの地で体調を崩すイギリス人は多かったようで、そのことは下記のくだりにも現われてきます。
 「自殺か?」スパーストウがすぐに聞いた。全員の疑いを代弁した形だった。ハミルの地区にはこれらはない。熱病でも最低一週間はある。
 ここでスパーストウは単なる世間話をしているわけではありません。スパーストウが危惧しているのは疫病。
 しかも大英帝国は先進国だということになっていました。植民地、インドの病気などすぐに治せると、大半の西洋人は思っていたのではないでしょうか。しかし現実は違って、コレラなどの疫病などは治せませんでした。

キップリングの価値観

 他の作家は本国からの視点でインドを描写しているのですが、キップリングはインドからの視点でインドを描写しています。
 そのためか、インド人の死生観を反映した台詞も見られます。
「天から降った方でした。わたしの見るところ、この旦那さまだったかたは暗黒の地へお降りになって、その速さについて行けなかったために捕まってしまったのです。恐怖と闘っていらした証拠が、この拍車です。わたしどもの民族でも、眠る時間に悪霊に取りつかれて、眠れないときには刺で同じことをする者がおりました」
 ここに描かれているのは西洋人が勝手に空想しているような神秘ではありません。むしろ、インド人の心に実際に根付いている死生観・宗教心なのです。
 これはキップリングの生い立ちを反映していると思います。彼の両親はイギリス人でしたが、ラドヤード・キップリング自身はインドのボンベイで生まれています。また、イギリスに勉学のため渡った後は、インドに再び戻ってきています*6。

アーノルド・ベネット『故郷への手紙』

 アーノルド・ベネット『故郷への手紙』は患者が母親へ手紙を書き、それを友人、ダーキーに託すも彼はそれを燃やしてしまう、という粗筋です。病気になったのは、グロブナー・ブレイスというところ。調べてみると、
Grosvenor Place is a street in London, running from Hyde Park Corner down the west side of Buckingham Palace gardens, and joining lower Grosvenor Place where there are some cafes and restaurants. It joins Grosvenor Gardens to the south, which links it to Victoria railway station. No. 17 is the embassy of the Republic of Ireland.
(有沢意訳:グロブナー・ブレイスはロンドンの通りの名前である。ハイドパークの西側にあるバッキンガム宮殿庭園とつながっていて、そこからレストラン街に出られる。また南に行けばヴィクトリア駅がある。17番地には北アイルランド大使館がある)*7
 どうやらこのことからダーキー一行は観光客らしいことが解ります。友人はスタフォドシャのエンドン出身、だそうなのですが、ここはイギリス本土の真ん中あたり。「北に住んでいる」という台詞と一致しませんし、そもそも同じ国内なら看護婦にポストへ投函してもらえば済む話。
 てっきりアイルランドから観光に来ていて、同郷であるダーキーに手紙を託した、と思っていたんですが、的外れだったようです。
 さて、ダーキーの台詞からも、東洋への興味が窺えます。日本や中国に言及している箇所が見られるからです。しかも図らずも長崎の話。歴史的に見ても長崎は西洋と東洋が交わる場所であり*8、西洋からも見ても、そして日本人から見ても異国情緒あふれる都市なのです。

意識の流れ

 アーノルド・ベネット『故郷への手紙』は酢酸の匂いから故郷を思い出す場面が印象的です。母親が「リューマチの手当てに使っていたことから」、望郷の念に駆られ、母親に手紙を書くことを決意します。この臭いから思い出すという趣向はプルーストの『失われた時を求めて』を思い起こさせます*9。
 ところで、この短編集には意識の流れの開拓者、ジェイムズ・ジョイスとヴァージニア・ウルフが収録されています。ジョイスは『ダブリン市民』からの収録ですので、ユリシーズや『フィネガンズ・ウェイク』*10などに見られる意味不明な、もとい技巧的な文章ではありません。
 ヴァージニア・ウルフの『キュー動物園』は、これがウルフの文章かと疑うほど読みやすい。試しに『ダロウェイ夫人』*11の冒頭と比較しますと、
 ダロウェイ夫人は、お花は自分で買いに行こうと言った
 なにしろ、ルーシーはあれもこれもで手いっぱいなんだから。戸は蝶番から外されているんだろう、ランペルメイアーの職人衆がなおしにやってくるから。それにしても、とクラリッサ・ダロウェイは思った。なんてすてきな朝だろう──まるで浜辺にいる子供らにドット押し寄せる朝とでも言いたいほど新鮮だわ。
 こんな感じで花を買いに行くまでの取り留めもない回想が延々と続く、というのがダロウェイ夫人です。
 一方「キュー動物園」は一応、男女の会話というストーリーがあるので、ダロウェイ夫人よりはかなり読みやすい。

現代の問題

 さて現代の問題を浮き彫りにした短編小説が収録されています。
 家賃が払えなくなり、家を追い出された挙句、警察の厄介になる主人公を描いた「あいつらのジャズ」。一生懸命働いているのに、家族から感謝されず、嫌気が差してとうとう逃げ出してしまう「脱走」などなど。

ジーン・リース『あいつらのジャズ』

 原題はLet Them Call Jazzで、直訳すると「それらをジャズと呼ぼう」、もっとこなれた訳にすると「さあ、ジャズを歌おう」「さあ、みんなでジャズを」とでも訳したほうが意味が通りやすいかと思いました。
 もっとも、これは多分Themをどう解釈するか、だと思います。「あいつらのジャズ」だと自分とは関係ない人たちのジャズ、つまり刑務所で出会った囚人たちが歌っていたジャズという意味合いになります。もしくは改変されてジャズバーで演奏されるような音楽。
 確かに刑務所の囚人たちがジャズを歌って、タイトルはそこに由来しています。しかし、「刑務所にいたあの女は、わたしに向かってわたしのために歌っていたのだ(中略)他の歌と同じように、どうせわたしからは取り上げられてしまうのだ」とあるように、「わたしのもの」という意識を感じました。
 そもそも大声で歌を歌っていたくらいで刑務所に入れられるかはさておいて、ジャズは辛い出来事を紛らわすために黒人奴隷や移民が歌っていたもの*12。それならば、Themは語り手の辛い人生を紛らわすための歌と僕は解釈しました。

ジョイス・ケアリー「脱走」

 ジョイス・ケアリーの「脱走」は、「あいつらのジャズ」ほど社会性はありません。しかし家族から相手にされなくなったサラリーマンが突然、仕事も何もかも放り出したい気持ちになるのは解る気がします。
 とたんに、彼はこれ以上こんな生活は我慢できない、ばかげているという気になった。妻も子供ももうおれの生活とは何の関りもないみたいじゃないか。会社は明日企業合同に売却してしまおう。家族はそれでぬくぬくと暮らせるはずだ。ほんとうは、仕事を手放したくはなかった。仕事こそ彼の生き甲斐だったのだ。しかし自由のためにこんな虚しい生活を断ち切るのなら、それでかまわなかった。むしろ嬉しかった
ここで注意して欲しいのは、仕事でミスをしたわけでも家族から鬱陶しいと言われているわけではないということです。
 それどころか家族も仕事も順風満帆。ただ相手にされないということですが、この相手にされない。つまりいてもいなくても同じだということが主人公を虚しくさせている動機だと思います。もっといえば、自分ではなく他の誰かと結婚しても、家族は暮らしていける、と考えてしまったんです。20世紀イギリス短篇選 (下) (岩波文庫)
 その証拠に、主人公は妻、ルーイへ手紙を書きます。「新しい女にふさわしい男との結婚生活という奴だ」。この小説はサラリーマンの悲哀を描いているとともに、生きる目的という根源的な問いと関わってきます。

*1 オラシオ・キローガ「完璧な短編作家の十戒」『野性の蜜』(国書刊行会)
*2 コナン・ドイル『四つの署名』(新潮社)
*3 サックス・ローマー『怪人フー・マンチュー』(早川書房)
*4 wikipedia「オリエンタリズム
*5 エドワード・サイード『オリエンタリズム』(平凡社)
*6 小野寺健「解説」(小野寺健[編訳]『20世紀イギリス短篇選〈上〉』)
*7 wikipedia(英語版)「Grosvenor_Place
*8 江戸時代には出島が設けられていた。
*9 「機械的に、一さじの紅茶、私がマドレーヌの一きれをやわらかく溶かしておいた紅茶を、唇にもっていった。しかし、お菓子のかけらのまじった一口の紅茶が、口蓋にふれた瞬間に、私は身ぶるいした、私のなかに起こっている異常なことに気がついて。すばらしい快感が私を襲ったのであった、孤立した、原因のわからない快感である」とあるようにマルセル・プルースト『失われた時を求めて』では紅茶に浸したマドレーヌの味で少女時代を思い出している(マルセル・プルースト『失われた時を求めて〈1 第1篇〉』筑摩書房)
*10 Wikipedia「フィネガンズ・ウェイク
*11 ヴァージニア・ウルフ『ダロウェイ夫人』(角川書店)
*12 Wikipedia「ジャズ



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