有沢翔治の読書日記

 同人小説家、有沢翔治のブログ。  いいものを書くためにはいいものを、幅広く。

【こんな小説を書いてます】

二人であることの問い

 双子の姉、亜衣の様子がおかしい。何かあったのではないかと真衣から萌は相談を受ける。やがて亜衣の部屋からバタフライナイフを買った痕跡が見つかり……。亜衣は何を考えているのか?

チャールズ・ディケンズ『ドンビー父子』(こびあん書房)

ドンビー父子 (上)

ドンビー父子 (下)

画像はありませんでした。

あらすじ

 貿易商の社長ポール・ドンビーは待望の男子を得たが、それと引き換えに妻は命を落とす。娘のフローレンスには愛情を注げないでいた。事業の後継者にするべく、息子にもまたポールと名付け、詰め込み教育を受けさせる。しかし、息子のポールもまた命を落としてしまった。失意の父、ドンビーはイーディスと再婚するが、彼の高慢な性格から妻を愛せないでいた……。

はじめに

 今年は長編小説に挑みたいと思って、図書館から借りてきました。総ページ数900ページ以上で読む前から怖気づきましたが、言っても大衆小説ですから少なくともジョイス『ユリシーズ』よりは読みやすいだろう、と。
 『ドンビー父子』の画像はありませんが、それだからと言って読まないのは本末転倒になりかねません。感想を載せるために本を読むのではなく、あくまでも読書が主なのですから。

ディケンズの長編

 さてディケンズの長編をいくつか読んできての第一印象は、連続テレビ小説と構成が似ているということです。もちろん『ドンビー父子』なら一章ごとの分量に差はあれど六十二章です。それというのも、『ドンビー父子』を月刊誌に書いてきました。
 つまり大衆受けするように工夫しなければならなかったと推察できるのです。この辺りは視聴率を気にする連続テレビ小説とも相通じるものがあるといえるでしょう*1。それからディケンズの小説をいくつか読んでみて、明るく、登場人物が個性的な作品が多いと感じました。
 もちろん、『二都物語』*2はあまり明るくありませんし、『オリヴァー・ツイスト』*3のオリヴァーは覇気がなく、ただ運命に動かされているような印象すら覚えます。主人公でなかったら残忍なビル・サイクス、おどおどした悪党のフェイギンなどに掻き消されてしまっていたかもしれません。
 『ドンビー父子』も例外ではなく、事業拡大のためなら家庭を省みないドンビーはもちろん、策略家のカーカー、そして純粋なフローレンスなどが登場します。
 ただ、登場人物が多すぎる上に、父−子−孫ともにポール・ドンビーと名付けています。西洋では実際によくあるのですが、混乱するため、この記事ではそれぞれドンビー1世、ドンビー2世、ドンビー3世と書き表します。

タイトルの違和感

 さて、邦訳は『ドンビー父子』とあまり違和感がありません。強いていえば、『ドンビー父娘』としたほうが作品には忠実だと思える程度ですが、娘も子供ですから許容範囲。しかし原題は『Dombey and Son』であり、『Dombey and His Daughter』ではありません。ドンビー1世とフローレンスの和解に注目すれば、『Dombey and His Daughter』のほうが適切でしょうが、事実を曲げることになります。
 ドンビー2世だと思って読み進めていくと、呆気なく死んでしまいます。ディケンズの作品にはプロットの破綻がまま見られます*4。したがって、最初はドンビーに後を継がせるつもりで書き進めていたのが、途中で死なそうと思ったのではないでしょうか。僕は割とプロットを作ってから書くのですが、経験があります。
 しかし、それでも強引に解釈するなら、『Dombey and His Son』ではないので、ドンビー2世とは限りません。最後にはフローレンスと和解し、孫と戯れるのですが、この孫もフローレンスの息子。つまりはSonなのです

翻訳へ違和感

 以上は原文なので翻訳者には責任がありません。しかし翻訳はちょっと癖があります。地の文に口語体が混ざっていたかと思えば厳しい文体で書いているのも原文がそのようになっているのでしょう。
 しかし漢字とひらがなの基準が今ひとつ解りません。例えば、「ずい分よくなりましたよ」と常用漢字をひらがなで書いています。常用漢字と言っても、漢検一級や準一級相当ですから難読語だと判断したのだろうと僕は解釈して読み進めていたのですが、「縡切れる」と書かれていたときは疑問符が浮かびました。漢和辞典で読みは確認したものの、「縡切れる」と書くなら「随分」と……。また非常に細かい点で、著者ではなく編集者の責任なのですが、三点リーダではなく二点リーダになっていませんか? しかも一箇所ではなく、ほぼ全て。

プロット

 重箱の隅を突くのはこれくらいにしておいて、内容に話を戻しましょう。

結末について

 結末について翻訳者の田辺洋子は下記のように評しています*5。
『ドンビー父子』がディケンズの傑作の一つに数えられないのはどうしてだろう。それには(中略)ドンビーの急転直下の「改心」が関わっているようだ(中略)取って付けたような大円団で、それまで細やかに織り成されていた創作の綾が一気に破綻したという訳だ。なるほど冷血無比なドンビーが好々爺に「豹変」する展開は唐突すぎるという批判は妥当には違いない。
 下巻において階段や部屋がどのように比喩として機能しているか、何を象徴しているかに注目しながら論を展開しています*6。もちろん否定するものではありませんが、僕は下記のように解釈しました。
1.登場人物の心理として
 ドンビー1世は破産し、健康を損ない、何もか損ないます。一度は落馬で肉体的に、二度目は精神的に。そのような中で残された「財産」は娘と孫だけだと気づいたのでしょう。もちろんこれはフローレンスが献身的に世話した影響です。図らずもポール2世が序盤に発した問い、「おカネって、けっきょくなんなのさ?」「おカネって、どんなことができるってことさ」の答えを見出しているのです。
 恐らく同じ名前だという点もドンビー2世を連想しますし、ディケンズ自身も「あれ、おじいちゃま。ぼくまたそんなに亡くなった小さなおじさまにそっくりだった?」とあるように繋がりを意識しています。
2.ディケンズの心理として
 もちろん作品の外と内を軽々しく結びつけるのは注意が必要です。ディケンズ自身の思想がドンビー1世の人生に反映されていると思い込んだら、固定観念に囚われて解釈の可能性を狭めることになりかねません。
 それを承知でなお結びつけるのなら、『クリスマス・キャロル』*7のスクルージと比較することで読み解けるのではないでしょうか。『クリスマス・キャロル』はディケンズの代表作ですが、他の作品と異なりファンタジーの要素を含んでいます。つまり、ある意味で異色作。ではどうして、異色作を書かざるを得なかったかと言うと、当時の商業主義を批判したかったからに他なりません。商業そのものが悪いのではなく、行動様式が悪いとディケンズは言いたかったのでしょう。しかし他人が改心するには何かきっかけが必要です。どうしようか考えて、ディケンズはとりあえず、魔法に頼ったのだと推察できます。そして魔法に頼らず、現実的な話で傲慢な商人たちを改心する話を書きたいと思ったとも解釈できるのです。
 つまりこの結末は初めからディケンズが用意したものだったのではないでしょうか。

登場人物たち

『ドンビー父子』の登場人物たちは最初こそ赤の他人のように描かれているものの、物語が進むに連れ関係が明らかになったり、主要登場人物と知り合ったりして物語において多かれ少なかれ重要な役割を果たしていきます。
 どう絡んでいくか、伏線が張られているところもあるので、推理小説のような面白さもあると言えましょう。例えば、フローレンスが序盤で追い剥ぎのブラウン婆さんに遇うのですが、彼女とドンビー1世は因縁があると解ってきますし、彼女の娘とドンビー商会は図らずもつながっていきます。まさに世間は狭いのですが、これはマスメディアの存在が大きく変化していたせいかもしれません。

世間とは何か

 人々がコミュニケーションを取るには共通の話題が必要で、マスメディアはそれを作っています。そして「共通の話題」を話し合う人々を大衆、話される空間を世間と言うのかもしれません。つまり古代ギリシアを除けば、大衆は近代の民主国家になってようやく誕生したのだと言えましょう。
 ディケンズは大衆への風刺を『ピックウィック・クラブ』*8で揶揄していますが、世間とは何か、世間という存在のイメージも『ドンビー父子』で描かれています。
 世間。世間が自分をどう思うか、いかように見るか、何をあげつらうか、何と取り沙汰するか──これが彼の心に巣くった悪魔であった。世間は彼の行く先々にいる。いや、忌々しいことに、彼の行かぬ先々にいる。
 ここで日本語で言う「世間」、「社会」、「共同体」がどう違うか考えてみましょう。世間とはあくまでも一個人の範囲における人間関係の総体だと気付きます。例えば、町内会の人、学校の友だちは「世間」と言いますが、テレビで報じられるような容疑者や芸能人は、その人と知り合いでなければ「世間」とは言わないのではないでしょうか。芸能人が町内に住んでいたら「世間は狭いね」などというように、世間という時にはどこの集団に属しているかが大きく関わってきます。つまり何を「世間」と考えるかは人それぞれだと言えるでしょう。「共同体」とは「世間」のうちでも利害関係で結びついたものを指していると解ります。
 社会という言葉も似ていますが、客観性が加わります。人間関係に関係なく特定の地域にすむ集団のことなのではないでしょうか。例えば、見ず知らずのホームレスは「世間」に含まれなくても「社会」には含まれます。また制度が変わったら「この社会おかしい」「面倒な社会になった」といいますが、「この世間おかしい」「面倒な世間になった」とは言いません。制度を変える人間が、人間関係にはいないですから。「面倒な世間になった」、あるいは「世間が煩わしい」という時、環境などの変化で人間関係が面倒になった場合を言うのではないでしょうか。
 さて、以上の定義に基づけば、ドンビー1世が大切にしていたのは「世間」の中でも特に「共同体」であって「社会」ではないのではないかと言えるでしょう。イーディスは上の定義に照らせば「世間」になるはずですが、イーディスをあしらっています。最初のドンビー1世は「共同体」にしか興味がなかったのではないでしょうか。

「共同体」から「社会」へ

 ブラウン婆さんとアリスの存在は「世間」と「社会」の違いを表わしていると言えるでしょう。つまり二人はドンビー1世にとっての「世間」ではありませんが、紛れもなく「社会」の一員です。
 また、ドンビー1世とブラウン婆さんの構図は、物語全体においての本土と東洋の描かれ方にも当てはまるでしょう。つまり最初はワインなどの商品を通してしか、植民地は描かれていません。しかし、後半は下記の通り描写されています。
土気色のインド人の老紳士が今朝、うら若き妻を娶るのに伴い、列席者を満載した馬車が六台お成りとあって〔座席案内人のミフ夫人は早くから持ち場についていた〕。ミフ夫人が小耳に挟んだところでは土気色の顔の老紳士は教会までの道をダイヤモンドで敷き詰めても一向サイフにひびかぬとか。
 つまり、一登場人物として〈語り手〉は描いており、しかも「ドンビー氏が婚礼を挙げた立派な教会」と書いてあることも相俟って、ドンビー1世をどこか彷彿とさせるのです。ついでに言うと、ブラウン婆さんと言う名前と土気色の顔も類似性を少し感じました。
 外国の描写も「共同体」から「社会」へと変化していく様子が窺えるのです。

共同体の崩壊

 これを踏まえて、上で引用した箇所の続きを見てみましょう。
そいつは従者に紛れて彼と共に外出するが、それでいて屋敷に居残ってヒソヒソ耳打ちしている。ふと見れば、そいつは通りで後ろ指をさしている。(中略)人込みの中を手招きしたり、ペチャクチャやりながら歩いている。
 世間の目、世間体などと言いますが、このくだりはまさにそれを表していると言えましょう。どうして急に世間の目を意識するようになったのでしょう。田辺洋子の指摘通り、ドンビー1世は今まで家の中で過ごしてきました。しかし、ここの場面でドンビー1世は「外出」しているのです。
 そして倒産は言うまでもなく重要な点。倒産すると利害関係の結びつきは弱まり、「共同体」から必然的に「世間」に目が行くようになります。
 これと関係して、『ドンビー商会』の主であることだけが、ドンビー1世の自尊心だったのですが、倒産すると世間からどのように見られるか気になり始めます。さらに、「人込み」などは知り合いでない以上、ドンビー1世にとって、「世間」ではなく「社会」とも呼ぶべきもの。しかし、ここで「共同体」の崩壊とともに「世間」を意識する間が極めて短かったため「社会」と「世間」を混同しているのではないでしょうか。
 しかし、そもそも貿易商を営んでいる以上、本来なら「共同体」ではなく「社会」と密接に関わっているはず。つまり、ドンビー1世は本来なら「社会」を意識しなければいけないのです。
 例えば植民地。『ドンビー父子』では植民地が舞台にこそならないものの、言葉の端々に登場しています。
 これまでも何度とのう東インドへ行っちゃあ帰り、いつぞやは世界をぐるりと回って来おったこいつ〔ワイン〕のことを考えてみるがええ。
 しかし、いずれの場面でもドンビー1世はいません。これも「共同体」と「社会」の差が現れていると言えるでしょう。

家から海へ

 視点の変化を踏まえれば、最初「家」の一室で始まり、最後は海で幕を閉じる場面構成は象徴的です。「家」は言うまでもなく狭い「共同体」を表わし、イギリス社会に目を向け、最後、ドンビー1世の視野は海を向けています。これは、「共同体」→「世間」→「イギリス社会」→「国際社会」へと視野が広がっていく家庭を表わしていると言えるかもしれません。
 そのような点を踏まえれば、三人称の視点も「社会」を考える上で必要だったのではないでしょうか。もちろん、様々な視点で描写ができるので、大衆娯楽小説では重宝されます。しかし一人称視点では原理的に言って「世間」が精一杯です。もちろん複数の一人称を登場させることもできましょうが、これもそれぞれの「世間」を描いているに過ぎません。



*1 川崎寿彦『イギリス文学史』(成美堂)
*2 チャールズ・ディケンズ『二都物語』(新潮社)
*3 チャールズ・ディケンズ『オリヴァー・ツイスト』(新潮社)
*4 例えば『リトル・ドリット』などはご都合主義すぎる。
*5 田辺洋子「解説」(チャールズ・ディケンズ『ドンビー父子(上)』こびあん書房)
*6 田辺洋子「解題」(チャールズ・ディケンズ『ドンビー父子(下)』こびあん書房)
*7 チャールズ・ディケンズ『クリスマス・キャロル』(光文社)
*8 チャールズ・ディケンズ『ピックウィック・クラブ』(三笠書房)


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アダム・スミス『国富論』(日本経済新聞出版社)

国富論 国の豊かさの本質と原因についての研究 (上)(下)巻セット

概要

 アダム・スミスの主著『国富論』。道徳哲学と修辞学の講座を持っていただけで、学問が今ほど細分化する前だったとはいえ「経済学」を専門にしていたわけではない。それにも関わらずマルクス経済学などにも受け継がれている。一見すると自由放任主義で楽観論に思えるが、税制についての論考は全てを自由に任せておけばいいとは考えていないことが窺える。

はじめに

 毎年、年末年始休みは「人生の宿題」と勝手に決めて、分厚めの古典作品を図書館で借りてるんです。去年は同人関係の都合から、イブン・ハルドゥーンの『歴史序説』にしましたが今年はアダム・スミスの「国富論」。マルクス経済学を知ってから、ずっと興味を抱き続けていたのですが、経済学はあまり得意ではないので尻込みしてました。
 検索端末で調べたところ、2冊しかなかったので予約をしてきたんですが、ハードカバーで上下分冊でした。幸いだったのは『法学講義』も借りて、アダム・スミスがどのような関心を抱いていたのかが何となく分かっていた分かっていた点です。その上、『法学講義』には「国富論草稿」も載っており、これも参考になりました。
 また一般的に言って、岩波文庫の翻訳は日本語として不自然。しかし、山岡洋一の翻訳は違和感があまりありません。強いて言えば、一文が長く3行に渡ることもあるのですが、これは恐らくアダム・スミスの文章がそうなのでしょう。僕としては、ウィリアム・フォークナーの『アブサロム、アブサロム』やヴァージニア・ウルフ『ダロウェイ夫人』など、意識の流れでもっと長い文章に触れていますので、さほど苦にはなりませんでした。感覚が麻痺しているのかもしれません。

時代背景

 まず、時代背景を抑えておいたほうがいいでしょう。

三角貿易

 「国富論」でも「ラム酒は重要な輸出品であり、植民地はこれをアフリカに輸出し、奴隷を購入している」とあり、大西洋三角貿易*1の時代。この辺りは『砂糖の世界史』*2で詳しく取り上げられているのですが、下記の通り輸出していました*3。
・カナリア海流:ヨーロッパ → 西アフリカ(繊維製品・ラム酒・武器)
・南赤道海流:西アフリカ → 西インド諸島など(奴隷『“黒い積み荷”』)
・メキシコ湾流・北大西洋海流:西インド諸島など → ヨーロッパ(砂糖・綿『“白い積み荷”』)
 まず前提となるのは紅茶の普及とともに砂糖の需要が高まったことです*4。しかし砂糖の精製にはサトウキビの収穫から、精製まで莫大な人手がかかっていました。そこで大英帝国は西アフリカに武器を輸出し、黒人を奴隷として拉致。そこで綿花や砂糖を精製後、本国へ輸出するというビジネスモデルを作り上げていました。
 アメリカ南部では黒人を使い、大規模農場を経営。この影響で、今でも黒人差別は残っています。問題になったBlack Lives Matterや、ウィリアム・フォークナー『響きと怒り』*5にも描かれています。

アメリカの状況

 このアメリカは「国富論」が出版されたころ、独立から十年も経っていませんでした*6。初版発行の4ヶ月後にアメリカ独立宣言がなされ、「国富論」にも反映されています。例えば、関税についてのくだりで「アメリカ植民地の動乱の前には、フランス産の農産物や製品の大部分で七十五パーセントが最低の関税率だったといえる」とあります。この他にも植民地経営の話が随所に出てきますが、これは当時の時代背景の現れでしょう。
 大英帝国の植民地政策を、アダム・スミスは支持しています。
 ヨーロッパの政策はアメリカの植民地を建設し、現在〔大英帝国〕の繁栄を築くうえで(中略)たった一つの点だけで大きく貢献した。人びとの偉大な母という点で。つまり、これほど偉大な〔アメリカ〕帝国の基礎を築く能力がある人材を生み出し育てたという点で。そして世界の他の地域にはこのような人材を育てられる政策を実行している国はない(中略)。
 もちろん大英帝国時代のイギリス本土出身で、しかもアメリカの植民地へ渡ったことはありません。この称賛はそこを割り引いて考える必要がありましょう。

貨幣か商品か

 当時は金貨、銀貨などの貨幣をイギリス国内に集める政策が取られていました。「富とは通貨、つまり金銀にあるとする通俗的な見方」に反論しています。
 今で言えば、銀行の預金残高。確かに預金残高が多ければ商物はたくさん買えます。しかし、アダム・スミスは下記の問題意識を抱えています。
国の富とは金銀だけにあるのではなく、土地、建物、各種の消費財にあるとの見方から出発しながら(中略)金銀を増やすことが国の商工業にとって最大の目的だと考えているかのような主張に(中略)陥っている。
 この結果、「国を豊かにする方法は輸入の規制と輸出の奨励の二つになった」と言います。その結果、前述の通り、高い関税を掛けることになったのです。
 しかし、貨幣は物を買ってこそ意味があります。カネゴンではないのですから、金銀を食べるわけにはいきませんし、現代に至っては預金通帳やネットバンキングの画面を眺めて、いくら増えていく残高を眺めていてもただの自己満足。それよりも自分の価値観に照らし合わせて、本を買ったり、絵画教室に通ったりするほうがよっぽど建設的です。
 このアナロジーは国の経済においても言えることだとアダム・スミスは指摘しているように思います。下手に輸入を規制するよりも、関税を撤廃。色々な商品を国内に行き渡らせたほうが、「富んでいる」とアダム・スミスは考えているように、僕は思います。
 また、これに関係して、アダム・スミスは「ある種類の産業を特別に奨励し(中略)ようとするか、ある種類の産業を特別に抑制し(中略)しようとする政策はすべて、実際にはその制作の意図とは反対の結果をもたらす」と結論づけています。
 ただ後世の人間だからかもしれませんが、関税や補助金などは自国の産業を保護するための措置。例えば、植民地のインドは安価な大英帝国の綿花に押さえて、打撃を受けました*7。
ガンディーは20世紀のはじめに独立運動のリーダーとなった時、「糸車」を運動のシンボルとした。自立を目指すインドにとって、綿工業の再生は自立を象徴するものであったのだ。しかしガンディー自身この時まで実際に糸車を見たことはなかったという。それほどにインドの綿工業は姿を消してしまっていたのである。
 このように関税がかからないと、自国の産業を保護できません。国の豊かさの尺度を商品(サービス含)の多様性だと、僕は定義しましたが、この観点から言っても国産商品を選べないのは「貧しい」と言えるでしょう。加えて、多様性の確保は非常時の保険にもつながります。

マルクス経済学との関係

 ところで、貨幣と商品の議論を推し進めていくと、使用価値・交換価値に行き着くでしょう。

分業

 さて、マルクス経済学では分業も重要な概念なのですが、「国富論」ですでに提示されています。重要な点は市場の要求がなければ分業は発生ないこと。例えばゲームを作るとして、一人でプログラム、写真、シナリオ、テストプレイ、音の収録などを行なっているとします。この状態で回っているときはあえて人を雇おうとはしません。一人で手一杯になったときに始めて、分業が生まれるのです。
 すでに分業の概念は『法学講義』の段階でも見られますが*8、さらに詳細に描かれています。アダム・スミスは「国富論」でピンの製造に置き換えて説明しています。
分業の結果、どの産業でも生産量は増加している。(中略)他人の生産物を大量に買える価格で売却できる。人はみな、他人が必要とするものを大量に供給でき、自分が必要なものを大量に供給できるので、社会のすべての層に豊かさがいきわたっていく。
 『資本論』ではアダム・スミスの経済理論とヘーゲルの観念論を基盤に置いて、生活必需品が行き渡ったら次の社会が訪れるのではないかと言っているにすぎません。そして、分業が進むと生産性が向上し、生活必需品が行き渡る点ではアダム・スミスもマルクスも間違ってはいないのです。

労働価値説

 さて、マルクスはアダム・スミスから労働価値説も引き継ぎました。商品の価値は労働によって生み出されるという考えで、下記のくだりにそれが現れています。
労働こそが当初の対価であり、当初の対価、本来の通貨であり、当初はすべてのものが労働によって支払われていた。世界の富はもともと、金や銀ではなく、労働によって獲得されている。
 物をもらっても交換するものを持っていなかったら、相手の作業を手伝うのが、労働の本来の姿だとアダム・スミスは考えています。これは恐らく大航海時代を経て、様々な未開の文化に触れたせいもあるでしょう。
 アダム・スミスは労働と労働力の区別がついていません。労働とは例えば木の運搬で数値化できません。労働を求めていると言った場合、1日かけて1本の丸太を運んでも、1日に10本運んでも「同じ」とみなされます。一方、労働力と言うと、どれだけ丸太の運搬ができるのか数値であらわすことができます。マルクスはこの二つを明確に区別し、資本家は労働ではなく労働力を求めていると結論づけました。

価格、交換価値・使用価値

 使用価値・交換価値の話はマルクスの資本論で知ったのですが*9、「国富論」にも書かれています。
この「価値」という言葉に二つの意味があることに注意すべきだ。ときにはあるものがどこまで役立つか(どこまで効用があるか)を意味し、ときにはあるものを持っていることで他のものをどれだけ買えるかを意味する。この二つを「使用価値」、「交換価値」と呼ぶこともできる。使用価値がきわめて高いが、交換価値がほとんどないものも少なくない。逆に、交換価値がきわめて高いが、使用価値がほとんどないものも少なくない。水ほど役立つものはないが、水と交換して得られるものはほとんどない。これに対して、ダイヤモンドは、ほとんど何の役も立たないが、それと交換してきわめて大量のものを得られることが多い。
ここですでに交換価値、使用価値という言葉が使われていることは注目すべきでしょう。使用価値と交換価値について一言、補足するなら、使用価値と交換価値の逆転は起こりえます。例えば水とダイヤモンド。漂流したボートでは水、食料などが交換価値、使用価値ともに高いのは言うまでもありません。ボートは大げさにせよ、沙漠では水が石油よりも高いのです。
 またダイヤモンドは人口のダイヤモンドが天然物と同じように作る技術が確立するかもしれません。この場合、ダイヤモンドの「交換価値」は低下します。カッターなどの刃にはダイヤモンドが使われますが、これはダイヤモンドの使用価値ですので、問題にはなりません。
 また歴史的にこのようなことはいくらも起きてきました。例えば香辛料。中世では金1gとコショウ1gが交換され、それゆえ、通貨としても使用されていました*10。しかし今の価格は、そのように高くありません。つまり、当然ながら交換価値は変動するのです。
 これはアダム・スミスのいうところの「真の価格」と「名目価格」にも関わってきます。真の価格はどれだけ買い物できるか、名目価格は額面上の値。この二つは一致していません。極端な礼だと長レンテンマルクですが、日常生活でも値上がりすることがあるでしょう。また値段を据え置いて、容量が減っているなど。
 アダム・スミスに倣って言えば、これらは名目価格と真の価格の乖離が原因だと言えるでしょう。そしてこの二つは最低賃金の問題を考える上で役立ちます。例えば最低賃金を1000円に引き上げるべきだと言われていますが、これは名目価格でしょう。物価が上がったら意味がありません。
 逆に、名目価格がいくら低くても、真の価格が下がっていたら国内においては問題がないのです。
 では物価はどのようにして決まるのでしょう。例えば絵画のように売り手と買い手の意志によってきまるものありますが、市場原理によって決まります。物の値段ばかりではなく賃金も市場原理で決まります。そしてこれら二つは長期的に見たら、均衡が取れます。
 もちろん現代から見たら当然なのですが、経済学史からいったら均衡理論につながるものとして評価されています*11。そしてこの均衡こそ見えざる手なのです。

見えざる手

 さて、アダム・スミスと言えば、「神の見えざる手」、あるいは単に「見えざる手」が有名でしょう。

「国富論」と「道徳感情論」

 利益を追求していても、不思議と全体的に社会的利益になることを比喩的に表わした言い方です。これだけ有名にも関わらず、「国富論」と「道徳感情論」にそれぞれ一文しか出てきません。
もっとも、各人が社会全体の利益のために努力していようと考えているわけではないし、自分の努力がどれほど社会のためになるかを知っているわけでもない。(中略)だがそれによって、その他の多くの場合と同じように、見えざる手に導かれて、自分がまったく意図していなかった目的を達成する動きを促進することになる(太字は有沢による)。
 ただしこの見えざる手が発動するのは市場原理に任せたときです。市場価格は需要と供給のバランスで落ち着くので、変に政府が介入しないほうがいいと説いています。
 あくまでも理論上はネットで品物を買い占めた後、法外な値段で売っても全く売れません。そこで値段を下げていき、そのうちに顧客の出せる値段と釣り合うのです。したがって転売はいかに高く売るかではなく、いかに早く顧客との均衡点を見つけ出せるかにかかっているのかもしれません。
 一方、『道徳感情論』では価格均衡より、生活必需品の分配に重きがおかれています。
富裕なひとびとの生まれつきの利己性と貪欲にもかかわらず、かれらは、自分たちのすべての改良の成果を、貧乏な人びととともに分割するのであ(中略)る。かれらは、「見えない手」に導かれて、 大地がそのすべての住民のあいだで平等な部分に分割されていたばあいに、なされただろうのとほぼ同一の、生活必需品の分配をおこなう(中略)のである。(太字は有沢による)
 こちらの「見えない手」は残念ながら発動しているとは言い難いのですが、国富論の「見えない手」は発動しています。
 ちなみにアダム・スミスは上述の通り、神の見えざる手と言っていません。どこから神の見えざる手になったかは定かでありませんが、見えざる手の由来を考えれば解る可能性があります。この「見えない手」はもともとキリスト教の用語で「信徒は神の見えざる手により救済される」という考えによるもの。
 そしてこの背景を踏まえれば、『道徳感情論』で楽観主義とも呼べるような考えに至ったのかも了解可能でしょう。

自由放任主義か

 このように書くとアダム・スミスは自由放任主義ではないかと思われるかもしれませんし、前述の通り、特定の業界に保護したり抑制したりすることは反対しました。しかし、公収入については『法学講義』でも「統治の諸費用を支払うため、ある財源が形成されなければならない」と言及されています。
 そして統治の諸経費こそが、青少年の教育・生涯学習、株式会社の法整備、大衆娯楽の普及なのです。大衆娯楽の普及は「大衆の迷信や狂信の温床になる陰鬱な気分が大部分、吹き飛ぶだろう」とあるように、「娯楽と気晴らし」が目的です。ただし大衆娯楽でも「娯楽と気晴らしを提供しようとする人に完全な自由を求めるだけでいい」とあるように、ここでも自由が求められています。
 このように考えていくと「国富論」には自由という主題も見え隠れしているのかもしれません。

*1 本稿で述べる三角貿易以外にも大英帝国−インド−清国の三角貿易を行なっている。混同を防ぐために、北米−大英帝国−西アフリカの三国の貿易を大西洋三角貿易と呼ぶ。なお、区別のため、植民地経営時代のイギリスを大英帝国、ブリテン島のみをブリテン、現代のイギリスの国土をイギリス本土と呼ぶ。
*2 北川稔『砂糖の世界史』(岩波書店)
*3 Wikipedia「三角貿易
/4 同文献。
*5 ウィリアム・フォークナー『響きと怒り』は四人の語り手が一つの出来事を多角的に語るが、その一人、ジェイソン・コンプソンは差別主義者である(ウィリアム・フォークナー『響きと怒り(下)』岩波書店
*6 Wikipedia「国富論
*7 三上喜貴「技術大国インドの研究:歴史篇
*8 アダム・スミス『法学講義』(岩波書店)
*9 カール・マルクス『世界の大思想〈18〉資本論〈1〉』(河出書房新社)
*10 Wikipedia「コショウ
*11 根岸隆「解説 『国富論』と現代経済学」(アダム・スミス『国富論(下)』日本経済新聞出版社)


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アダム・スミス『法学講義』(岩波書店)

法学講義 (岩波文庫)

概要

 アダム・スミスはグラスゴー大学で法学の講義も受け持っていた。学生の筆記録が発見され、復元に至る。『法学講義』と言っても法律だけでなく、社会の諸制度、社会正義など広範な分野を考察。ホッブズなどの議論を引き継ぎながら、国家の歴史・役割、立憲君主制などについて言及している。

はじめに

 今年の年末年始は国富論に挑戦したいと思っています。カール・マルクスはアダム・スミスから分業と労働価値説を引き継いでますし、ノーベル経済学賞受賞者のアマルティア・センなどはアダム・スミスの影響を受けているらしいです。
 図書館で『国富論』を予約したんですが、予約画面で上下巻と表示されていたので、文庫本で上下巻だと思って、ついでに『修辞学・文学講義』とこの『法学講義』も借りてきました。岩波文庫ではもっと冊数が出ているはずだけど、記憶違いかと思ったんです。ところが、ハードカバーでした。少し衝撃を受けましたが、いざとなったら延長をすればいいだけだと考え直すことに。
 幸いなことに、『法学講義』には附録として「国富論草稿」も載っていますので、「国富論」の理解には役立つと思います。
 この『法学講義』ですが、学生の筆記録から講義内容を復元したもの。また、『法学講義』は翻訳者の水田洋さんが便宜的につけた邦題です。当時はどのような講義名だったかは解りませんが、学生のノートには「Juris Prudence or Note from the Lectures on Justice, Police, Revenue and arms deliverer in the Universty of Glasgow by Adam Smith Profesor of Moral Philosopy(有沢訳:法律学、もしくは正義・統治*1・収益および軍隊についての注釈。講演者、グラスゴー大学アダム・スミス道徳哲学教授)」と書かれています。つまり、広範囲について述べられていたと窺えるでしょう。

もろもろの権利

 さて、1763年ごろに開かれており、フランス革命の約30年前。すでにイギリスでは名誉革命を経験しており、立憲君主制でした。絶対王政では国王が絶対的な権限を持っていますが、立憲君主制では憲法の範囲内でしか活動できません。

上院・下院

 アダム・スミスは『法学講義』で下記の通り述べています。
自由にたいしてはいくつかの安全保障がある。司法の運営のために任命される裁判官は、終身官であり、国王からまったく独立している。さらに国王の大臣たちは失政について下院の弾劾にさらされ、国王はかれらをゆるすことができない。(中略)これらすべての確立された慣習は、国王が何かを企てることを絶対的に不可能にする。
 これら「全ての慣習」の中には「国王が人を思うままに長く牢獄にとどめておくという専制政策」、「選挙の方法と、あらゆる選挙について判断する権限を下院の手中に置いたこと」が挙げられます。
 イギリスでは上院は貴族から、下院は民衆からそれぞれ構成されます。もともとイギリスではマグナカルタなどが発行されてきました。愚策を封じ込めるために当時の貴族たちが約束事を明文化して、ジョン王に突き付けます。もちろん、民意はまだ反映されていませんが、国王の権限を文書で制限したので、憲法の制定史において重要となっています*3。

イギリス革命

 マグナ・カルタを一回は受け入れたものの、ジョン王は教皇に働きかけて強引に無効化します。しかし、ジョン王が死亡すると、九歳のルイ王子を即位させマグナ・カルタを突き付けます*4。ルイ王子はマグナ・カルタに署名し一件落着したかのように見えました。
 しかし、17世紀になり、清教徒たちが中心となって革命を起こします。当時は絶対王政に戻っており、しかもイギリス国教会を押し付けてきたのです。また、一部の商人を保護してきたので、イギリスの地主は面白くありません。このとき、マグナ・カルタを根拠として権利の請願*5を行ないますが、聞き入れなかったため1642年、国王に反旗を翻しました。反乱は1649年まで続きましたが、国王、チャールズ1世を処刑します。国王がいないので政体は共和制。クロムウェルが権力を掌握し、独裁政治に走ります。これに対抗するために、チャールズ1世の子供、チャールズ2世を即位させます。ただし、議会の決定には従うことを条件に。
 こうして、1660年、王政復古を果たしました。しかし統治権は神から与えられたものだと言い始め、カトリックを保護し始めます。チャールズ2世と議会との関係は悪くなかったのですが、追放されます。むしろチャールズ1世が処刑されているので、追放されただけでよかったと言えるかもしれません。
 また共和制に戻すと、クロムウェルの二の舞になってしまいかねないので、国王を海外から呼び寄せます。それがオランダのウィリアム3世でした。こうして、立憲君主制が誕生します。清教徒革命から名誉革命にかけての哲学者は、『市民政府論』のジョン・ロック、『リヴァイアサン』のトマス・ホッブズなどが挙げられるでしょう。
 アダム・スミスはホッブズ、ロックたちから多大な影響を受けています。
 ホッブズが、自然権としての自己保存権を基礎に据えて大陸自然法を転倒再構成したことに、スミスは気づいていたように思われる。ホッブズなくしてスミスなしということであろうか。
 このように解説で水田洋*6は評しています。

制度の歴史

 制度の歴史を狩猟時代から振り返っています。このあたりもホッブズの影響を受けていると言えるでしょう。君主政治、貴族政治、民主政治の三つに分けられがちですが「じつに、さまざまなやりかたで、混同されうる」と述べています。
 共和制……君主がいない国。例えば現代のフランス。
 貴族制……富裕層、家柄などが、国家運営の為政者を選ぶことができる。
 民主政……「国事の運営全てが国民の総体に属するばあい」
 君主制……「最高の権力と権威が一人のに与えられているばあいであって、その人は和戦を決し、諸税を課する等々のことを、自分が思うままに行なうことができる」
 つまり、アダム・スミスの定義する「君主制」は絶対君主制であり、イギリスのような立憲君主制は含みません。
 統治について正しく考えるために、最初の状態はどうであったかを振り返っています。これらは先述のロックとホッブズが自然状態を考えたのと似ていると言えましょう。

狩猟時代

 何を統治、社会というかがはっきり定義されていないのですが、「所有がないかぎり、統治というものはありえない」と述べているように、私有財産を守る機構ではないかと推察できます。
 この辺りは意志を意思決定の機構と定義すれば、狩猟時代どころか二人の子供でも統治は成立すると言えるでしょう。例えば、狩場をどこにするか、どちらが追い立てるのかなどを決めなくてはいけません。
 アダム・スミスは狩猟状態の統治について「正規の統治ではない」としながら、下記の通り理由を述べています。
 かれらのなかには非常に尊敬されていて、かれらの決定に大きな影響力をもつ人が、いるかもしれないが、それでもかれは全体の同意なしに何かをすることはけっしてできないのである。
 原始的な社会では「権威というものをしら」ず、「社会全体が、あらゆる犯行に利害関心をもつのである」といいます。反論の前に具体的な状況を整理しておきましょう。このころの社会はせいぜい一家族、親戚同士でした。
 狩猟社会と言っても、狩猟だけで生計を立てていたのではありません。例えば木の実、野草の類も採っていましたし、魚を原始的な釣り竿などで釣っていたのです。また狩猟なので腐ってしまうと考えたのでしょう。食料の備蓄もあまりなかったとアダム・スミスは考えているようです。したがって、食料を黙って一人が多く取っていると、家族全体の利害に関わってきます。また家族の同意なしに裁くことはできません。大事な食料確保の担い手であり、たとえ子供が一人かけても、木の実などの採集量が減っていたことは容易に想像できるでしょう。
 確かに本格的な私有財産は牧畜などで誕生しますが、私有財産は本当になかったのかと言えば疑わしいと僕は思っています。このころは、食料、服などが主な財産だったのは想像に難くありません。魚などは海に近ければ、塩漬けにできますし、それを考えると海水自体も貴重な資源でした。また木の実などは保存が効きます。
 また当時の衣服は獣の皮を剥いで作られていましたし、打製石器など作られていました。これらは交換可能という点で見れば、財産と言えるでしょう。実際、狩猟中心の生活という点では日本の縄文時代に当たりますが、栽培も行われてたこと*7を考えると当然、所有の概念もあったのではないかと推察されます。
 加えて「それでもかれは全体の同意なしに何かをすることはけっしてできない」という一文には極めて違和感を覚えます。これは理想的な民主主義の形ですし、意思決定を統治の定義に加えるなら、先述の通り、二人でも統治は成立します。

牧畜時代

 牧畜時代になり、貧富の差が産まれました。この時代の財産は「牛や羊」などの家畜ですが、獲物を飼いならしたことが起源だとアダム・スミスは考えついます。また付け加えると、放牧地を遊ばせておくのはもったいないと考え、畑作を発展させたと推察できます。
 このようになってくると、家畜の中でも牛が重要な位置づけを持ってきます。金属製の鋤は技術が低くてできなかったにせよ木鍬・木鋤は当時の技術で製造可能でした。そして、木製の農具を牛に曳かせれば、人間が働かなくても家畜が動くだけで畑を耕せるのです。
 財産が誕生すると当然、盗むものが出てきます。そこで安全保障の概念が産まれてくるのであり、「所有がない限り、統治というものはありえないのであり、その目的はまさに、富の安全を保障し、貧者に対して富者を防衛することなのである」という一文はアダム・スミスの考えがよく現れていると言えましょう。
 この段階になると、家畜などを多く所有していたら、権威が生まれてくるようになるでしょう。日本の場合は弥生時代、高床式倉庫に米を保管していました。また農耕が始まると自然、雨乞いの「上手な人」が求められるようになります。
 パフォーマンスの能力はもちろんですが、空模様、風の肌触りなどから、雨が降りそうかを判断しなくてはいけません。富による権威以外にも、このような知識・技術による権威もあったと推察できます。
 政府が誕生すると立法権、裁判権、行政権が誕生するとアダム・スミスは言っています。三権の概念はモンテスキューが『法の精神』で1749年に唱えられました。この講義は1763年ですので、影響を受けていても不思議ではありません。
 特にアダム・スミスは立法に関心を寄せており、下記のように述べています。
 法律をつくり規則をもうけて、われわれ自身だけでなく、われわれの子孫やそれらをつくるのに決して何の合意も与えなかった人びとをも拘束するということは統治の最高の仕事であるからだ。
 マグナ・カルタを念頭に置いていたのかもしれませんが、『修辞学・文学講義』でコミュニケーションの問題を修辞技法の面から取り上げていたことを考えると*8、新たな市民社会で人間関係の基盤となるものは何かと考えていたのかもしれません。

共和制

 アダム・スミスは共和制の起源をホメロスに求めています。ギリシアの叙事詩なのですが、完全にフィクションというわけではありません。ある程度までは真実を反映しているのです。ずっと後年になるのですが、トロイア遺跡をシュリーマンが発見していることを考えると、少なくともトロイア戦争はあったと解ります。
 この頃から農作業を本格的に始めたとアダム・スミスは考えているようで、隣国との交流が盛んに行われていたとしています。
 土地の分割がおこり、その耕作が一般におこなわれるようになると、そういう国に居住する人びとが彼らの生産物の余剰を、隣人たちのあいだに売りさばくのが自然であろうし、このことはかれらの勤勉を促進したであろう。
 実際、ギリシアとフェニキアは交易をしていました*9。しかしそれとともに争いが起こり、「国全体の境を要塞化するよりも都合のいい場所の町を要塞化する」ことを思いつきます。このような状態だと誰か一人に権限を持たせるより、共同で話し合って統治する流れになるのは頷けましょう。
 アダム・スミスはホメロスを例に取りながら、君主のように振る舞っても権威への妬みから、追い出されたのではないかと推察しています。この辺りはもしかするとクロムウェルを思い描いていたのかもしれません。いずれにせよこの時、一つの王国というよりいくつかの都市国家の連合体でした。各都市国家の代表者たちが古代ギリシアの安全保障について話し合っていたのですから、全体からみれば*10君主政治ではありません。貴族政治です。

君主制

 しかし、この都市国家の連合体も征服の憂き目に遭います。征服者が君主として振る舞うようになったのは言うまでもありません。このように君主制が成立したのではないかとアダム・スミスは見ています。
 例えば、ローマ帝国は「慎重で、自分たちが征服した土地を属州に分割し、それらは元老院によってその目的のために任命された人物によってかなり絶対的に統治されていたので」す。彼らは総督、もしくは属州総督*11と呼ばれ、例えばイエス・キリストの処刑を命じたピラトが挙げられるでしょう。

民主制

  しかしローマ帝国の力が弱まるに連れ、各属州は独立を始めます。例えばフランスではカペー朝が、ドイツでは神聖ローマ帝国が誕生し、イタリア、オランダ、スイスでは都市が連合体を組織。共和制になります。
 アダム・スミスは特にオランダとスイスの事例をもとに主権者の義務と権利を考えています。絶対君主制において、主権は言うまでもなく国王ですが、共和制では国民です。しかし、国民とは何かと考えたとき、話が複雑になります。オランダとスイスでは「国民」の定義が違うのだと言いますが、少なからず現代に於いても当てはまるでしょう。
 例えば「日本人」と「アメリカ人」。それぞれ国籍の取得条件が違います。例えば日本国籍を持つためには、日本人と結婚しているか、両親ともに日本国籍を持っているか、帰化しているかに限られています。一方、アメリカ人はアメリカ領土で産まれた人をアメリカ人と定義しています。
 当時のイギリスに於いては、イギリス国民にのみ相続権が発生しましたので、遺言の法的拘束力を持つ人とアダム・スミスは定義しています。
 国民は国王に対して抵抗権をもっています。
 抵抗の原理はうたがいもなく合法的であるに違いない。なぜなら、まったく制限されない権威というものはないからである。
 これは言うまでもなく、清教徒革命と名誉革命を反映しています。

経済学

 さて、後半部の話は経済学に移っていきます。ここで興味を引くのは、労働価値説と分業。

労働価値説

 労働価値説とは、「人間の労働が価値を生み、労働が商品の価値を決めるという理論」*13であり、リガードを経て、マルクスへ受け継がれることになります。国富論で本格的に展開されるらしいのですが、『法学講義』でも見られます。
 一国の富はいくら貨幣を持っているかではありません。どれだけ商品があるかだとアダム・スミスは考えています。
われわれの富が貨幣にではなく商品にあるということの理由は、貨幣は生活上の目的のうち、どれにも使用できないが、商品はわれわれの生活資料に適していることである。もし消費可能性ということばを使ってよければ、品物の消費可能性が、人間の勤労の大原因であり、勤勉な人びとはつねに、かれらが消費するより多くを生産するだろう。どこの国でも、公共の富裕にたいして現金の割合がいかにちいさいかを、示すことは容易である。
 マルクスは『資本論』*14で価値を使用価値と交換価値に大別していますが、アダム・スミスも似たような話をしています。貨幣は交換価値はあっても使用価値はありません。金貨・銀貨は単なる貴金属の塊なので最終的には商品と交換しなければ意味はないのです。
 一方、一部の品物には使用価値があります。例えば食料品などがその典型。そしてアダム・スミスはこれを消費可能性という言葉で言い表しており、これと勤労の関係を示唆しているのです。
 もちろんアダム・スミスの場合、大英帝国の植民地政策を反映しているのでしょう。当時のイギリスはインド、アメリカ大陸などに進出していました*15。このことから、金銀の流出よりも多様な商品が大英帝国内にあふれることを優先させていたのかもしれません。

商業の問題点

 これだけ見ると重商主義のように思えるのですが、商業の欠点も指摘しています。「六、七歳の少年は日に三ペンスないし六ペンスをかせぐことができ、親はかれらを早く働かせるのが有利だということを知っている」ので親が教育を怠るようになると言います。確かに日本でも少年少女が奉公に出ていました。
 しかし、読み書き計算ができればもっと多くの稼ぎを得られ、外国語ができればさらに多くの稼ぎが得られると確信すれば教育に対して熱心になるかもしれません。
 また教育の欠如は治安の悪化にも影響するといいます。
 成長したときに自分をなぐさめうるような諸観念をもたない。それゆえ、仕事からはなれると、かれは酒をのんで大さわぎにふけるにちがいない。そのとおりに、われわれはイングランドの小商人たちの大部分が、こうした軽蔑した状態にあることを知っている。(中略)乱暴放蕩のほかには週の後半の楽しみがない。
 この辺りは強引な論理展開だという気がしなくもありませんが、適切な気晴らしの方法が見つからないという点においては、鬱病患者の増大と繋がるかもしれません。

分業

 分業もまた、カール・マルクスとのつながりを考える上で重要だといえるでしょう。マルクスは『ドイツ・イデオロギー』で分業と所有の関係を考察しながら下記のように述べています*16。
 この分業(Teilung der Arbeit)と同時にまた分配(Verteilung )が、しかも労働とその生産物との量的にも質的にも不平等な 、、、、分配、したがって所有があたえられる。(中略)分業と私有は同じ表現であり──同じことが分業では活動についていいあらわされ、後者では活動の生産物について言い表されているのである。──さらに分業と同時に個々の個人または家族の利害と、互いに交通するすべての個人の共通利害としての矛盾が現れる。
 マルクスが考えているのは物の所有ではなく、労働力の所有です。例えば経営者が人を雇い、データの入力を任せるとしましょう。マルクスの『ドイツ・イデオロギー』にしたがって言い直せば、労働力を所有し、分業を行なうことになます。このように考えていけば、分業と所有はおなじことを言っているにすぎないのです。
 そしてこの分業はアダム・スミスにも現れています。
 文明社会には、たしかに分業があるのだが、平等な分割があるのではない。(中略)。富裕の分割は、仕事に対応しない。商人の富裕は、かれの事務員のすべてをあわせたよりも大きいが、かれはかれらよりすこししか働かない。
 経営者が「少ししか働かない」と考えるのは疑問の余地があるにせよ、上述した『ドイツ・イデオロギー』と照らし合わせれば、アダム・スミスとカール・マルクスの影響は一目瞭然ではないでしょうか。
 また、分業が進むと一人一人の視野が狭くなる点も指摘されています。
 分業が完全にしあげられたところでは、各人が一つの単純な作業だけを遂行することとなる。この作業にかれの注意が局限され、したがってそれに直接に関連をもつもののほかには、かれの心に生じる観念はほとんどない。心が多様な対象について使用されるときには、とにかく拡張拡大されるのであり、いなかの手作業工が都市のそれをはるかにこえた思考の範囲をもつことが広くみとめられるのはそのためである。
 僕は同人ゲームをほぼ分業しないで作っていたこともありますし、コピー本は印刷会社を通さずに作りました。もちろん経済的な面もありますが、誰かに作業してもらっていては技術も知識も身に付かないのです。ページ番号をどのように配置したらいいのか、プリンターのdpiなどの問題……。
 もちろん学術分野に於いても言えることで、例えば、マルクスなどは経済学・社会思想のみならず、貨幣の動きや階級闘争が作品内でどう描かれているかに注目すれば文学研究にもなりますし、フランクフルト学派への流れに注目すれば、哲学史になるでしょう。
 もともと人間の知的営みは相互に関係していますが、分業によって「知」の全体像を把握しきれていないのかもしれません。もっとも一長一短。喩えて言うなら航空写真で見るか、個人の部屋の写真を見るかの違いでしょう。航空写真では細部の作りまで解りませんし、個人の部屋の写真を見ていては周りの風景までは掴めません。


*1 policeは言うまでもなく、現代では警察の意味である。しかし、アダム・スミスは警察機構について触れていない上、当時は概念、警察機構ともに発展途上だった(Wikipedia「イギリスの警察」及び「警察」)。したがって、ここでは本来的な意味でのポリス、つまり統治の意味だと考えた。
*2 日本大百科全書「立憲君主制」によれば、「13世紀末以来、議会の地位と権限が順調に発展してきたため」とあるが、これはジョン王の影響があるのではないか。
*3 Wikipedia「マグナ・カルタ」およびWikipedia「ジョン(イングランド王)
*4 Wikipedia「ジョン(イングランド王)
*5 Wikipedia「権利の請願
*6 水田洋「解説」(アダム・スミス『法学講義』岩波書店)
*7 「縄文時代には畑でいろいろな作物が作られていました
*8 水田洋「訳者序」(アダム・スミス『修辞学・文学講義』名古屋大学出版会)
*9 Wikipedia「フェニキア
*10 もちろん都市国家には王がいたので、一つ一つの都市国家について言えば君主制である。
*11 Wikipedia「属州総督
*12 Wikipedia「ピラト
*13 Wikipedia「労働価値説
*14 カール・マルクス『世界の大思想〈18〉資本論(1)』(河出書房新社)
*15 Wikipedia「イギリス帝国
*16 カール・マルクス『ドイツ・イデオロギー』(岩波書店)なお、旧字体は新字体に改めた。



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アダム・スミス『修辞学・文学講義』(名古屋大学出版会)

アダム・スミス 修辞学・文学講義

概要

 『国富論』『道徳感情論』を書いたアダム・スミス。彼は大学で文学と法律学を教えていた。これは複数の学生の講義録をもとに復元されており、聞き違い、脱落箇所も多い。しかし経済学と倫理学以外に、アダム・スミスがどのような分野に関心を寄せていたかを探る上で役立つ。
 文学と言っても思想的なものではなく、表現技法を中心に論じており、それ故に修辞学が問題となってくる。ほぼ同時代の詩人、ポープから古代ギリシアの弁論家イソクラテスまで幅広く引用している。

はじめに

 毎年、年末年始は人生の宿題と称し、トルストイ『戦争と平和』、ジョイスの『ユリシーズ』などの長編小説を図書館から借りて読んでるんです。今年は『国富論』を読もうと図書館から借りてきたのですが、上下分冊。そこでついでに、『修辞学・文学講義』と『法学講義』を借りてきました。
 学生の講義ノートが出版されるのは珍しくありませんが、翻訳者には相当な苦労が窺えました。例えば、「手稿はcalll in that of the adjetivesと読むことができるので、thatと表現した」と注を付してあります。またこの底本は講義ノートなので、後から手書きで書き加えた箇所も多く、このような加筆箇所を水田洋さんは〈 〉でくくっています。
 ちなみに『国富論』を読もうと思った理由は、マルクス経済学だけではなく、ノーベル経済学賞のアマルティア・センにも影響を与えているらしいからです。

文体の話

 『修辞学・文学講義』では文体の話が主に述べられています。
明晰な文体は、われわれが使用する表現が、同義語に由来するすべてのあいまいさから自由であるだけでなく、表現する言葉が、われわれがそれで話している言語の、もしそう〈いって〉いいなら本来語でなければならない。
 この点、ロシア・フォルマリズムにも関係しそうな話と言えるでしょう
 一見すると、「短文は、長文にくらべてひと目で理解することが容易なので、一般に長文よりも明晰である」とある通り文章作成術を教えているように思えるかもしれません。またある側面だけ捉えればそれは事実だと言えるでしょう。また下記のくだりからは喜劇論につなげることもできるでしょう。
自分たちの想像のなかで高貴な諸対象とむすびついているのになれている文章が、卑小でとるにとらない諸対象にたいして使われているのにであうと、たのしくなるのである。ここからもじり(すなわち、ある著者の章句を、一種の書きかえによって、まったくちがった種類の主題にあてはめること、および個別の章句を転用したよせあつめ名文集)のこっけいさが生じる。
 とるに足らないことをわざと物々しい文体で言うなどは、例えば狂言の口調でコントを行なっている「すゑひろがりず」があげられるでしょう。
 また悲劇に限らず、再読したくなるときがありますが、この理由についても考察されています。
 諸事件はわれわれにとってはあたらしいものではないが、俳優たちにとってはあたらしいのであり、事件全体の重要性とともにこの集団によって、われわれに興味を持たせるのである。
 〈どの悲劇においても、破局のゆるやかで正当な展開がたいへんな美しさを構成するのだが、それでもそれは必要なことではない。そうでなければ、劇を二度目にきいたり見たりして、われわれがいくらかでも快楽を感じることは、けっしてありえないのに、くりかえしによって、そういう快楽がしばしば増加するのである(後略)〉
 このようにあらすじが全く同じでも、作品によっては繰り返し見たくなる理由を、俳優の違いに求めています。もちろん、アダム・スミスのころはDVDなどがなかったので、このような解釈に至っても無理はありません。
 しかしDVDなどの複製技術時代の芸術において、アダム・スミスの解釈が全く成り立たないかといえば違います。「俳優にとってはあたらしい」とあるようにアダム・スミスは演技者の解釈の違いに注目しています。解釈するのは演技者だけではありません。観客もまた解釈しているのです。つまり俳優を観客にまで拡張させればアダム・スミスの論は生きてくるでしょう
 また、演劇に限らず、小説でも思い出がつきまとっています。例えば、大学時代に行った演劇などは当時の思い出があるでしょう。読んだときの記憶が幸せなら、その時間も含めて追体験したいと思うのかもしれません。

修辞学へ

 このように見ていくと、アダム・スミスは文学について述べているように見えます。また事実、文学について述べているのですが、文学の修辞技法に注目しているのです。修辞技法はレトリックともカタカナで書くこともあり、ともすれば、詭弁などの印象があるかもしれません。しかしこれは誤解。例えば直喩・隠喩・擬人法などは文学研究の一分野ですし、近年では認知の方法としても注目されているのです。

修辞学とはそもそも

 修辞学とは主として言語表現が受け手にどのような影響をもたらすかについて研究する学問です。言語表現とは小説に限りません。演説なども含みますし、また寓喩や象徴などの技法は絵画などでも適用可能です。
 例えば、最も初歩的なのが「犬のような男」。これは直喩であり、直接的に比喩だと解りますが、「犬の男」は比喩だと言われなければ、この一文だけで解りません。このように見た目は普通の言葉ですが、解釈すると比喩になっている表現を暗喩と言います。
 実はこの暗喩は忌み言葉に多く使われています。例えば死ぬことを「お隠れになる」などと言いますが、隠れん坊をしているわけではありません。本来なら全く違うものを共通点でそれとなく結びつけているのが隠喩です。
 また特徴・部分から全体を表すこともあり、これを換喩*1といいます。たとえば、鍋を食べる。字義通りに解釈すれば、鍋は調理器具なので食べられません。正確には鍋に入った料理を食べているので、鍋の一部を食べているのです。他にも、「顔を見せる」。この顔は人間全体を表わしていますが、顔という一部分で表されています。
 このように考えていくと、レトリックは詭弁ではなく、認識のありかたと深く関わっているといえるのではないでしょうか。

修辞学の研究史

 しかし、レトリック、つまり修辞学が詭弁だという印象はある一面を捕えています。例えば「ご飯論法」本来、修辞学は人を説得するための技術であり、プルタルコスなどのソフィストたちが教えていました。
 その後、プラトンが批判的に描きましたが、アリストテレスに受け継がれたのです。
 ローマ時代にキケロは古代ギリシアの弁論家たちを研究しました。特にイソクラテスを賛美したといいます。ギリシア時代には民主政が、ローマ時代には共和制が敷かれていました。このような背景で修辞学の研究は育まれていったのです。もちろん、ルネサンス以降、古代ギリシア・ローマの学問が注目されたこともあるでしょう。
 しかし、名誉革命の影響で市民社会の到来が確実となっていました。その理論的な基礎は、ホッブス『市民論』*2、ジョン・ロック『市民政府論』*3などで築かれいますし、ちょうど大陸ではルソーが登場していました*4。
 もちろん、革命以降は色々な身分の人が空間をともにしてきたのでしょうし、それ以上に演説や対話の能力が必要とされていたのでしょう。したがってアダム・スミスは古代の修辞学を教えていたと推察されます。

近代社会

 このように見ていくと、修辞学よりもむしろ市民社会で大衆ががどのように結びつくのかに、アダム・スミスは関心を抱いていたと言えるでしょう。人は言葉で結びついているのは言うまでもありませんが、修辞学などの言語表現を分析することで、人間同士のつながりを探ろうとしていたと言えます。ルソーの『言語起源論』を参考にしながら、言語の起源を探求しています。
 もちろん、今日、言語の起源は詳しいところまで解ってるに違いありません。しかし、彼らが言語そのものを探求している点でアダム・スミスと異なると言えます。
 ビジネスの文体についても歴史的な側面から触れられており、ここでもまた彼の関心が人間関係にあると窺えます。アダム・スミスは散文から韻文へ発展してきたと主張しています。
社会の最初の時代において、人びとが必需品の調達におわれているとき、かれらは自分たちのビジネスと快楽を完全に区別し、快楽にビジネスを混入せず、ビジネスに快楽を混入しない。散文には装飾がつけられないし、韻文はビジネスの問題に適用されない。快楽が追求される唯一のものになったときにはじめて、散文が研究されるようになる。
商取引に限って言えば、韻文は使われなかったに違いありません。誇張法、換喩を使ったら、商取引に混乱が生じます。しかし、商取引ができるようになるのは余剰資源が発生してからでしょう。つまり、「社会の最初の時代」ではありません。「社会の最初の時代」とは狩猟などで生計を立てていた時代。そしてこの時代には、ソーラン節などの労働歌が歌われていた可能性があります。少なくとも労働歌があり、これは労働の中で培われました。もちろん「社会」をどう定義するかにもよって違うので、食い違いはそこが原因かもしれません。商取引が行なわれている集団を「社会」と定義すれば、アダム・スミスの主張は頷けます。
 また『道徳感情論』でも「モラル」とは何かを分析しており、これも近代社会の人間関係に興味を抱いていたと言えるでしょう。また『道徳感情論』では「われわれは、自分の快適な情念よりも不快な情念のほうを、いっそう友人たちに伝達したがる」*5とも書かれており、意志の伝達という点で『修辞学・文学講義』の主題と重なり合っていると言えます。

*1 Wikipedia「換喩
*2 トマス・ホッブズ『市民論』(京都大学出版部協会)
*3 ジョン・ロック『市民政府論』(岩波書店)
*4 アダム・スミスがルソーを読んでいたことは著作の引用から窺える。
*5 アダム・スミス『道徳感情論(上)』(岩波書店)



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オルハン・パムク『白い城』(藤原書店)

白い城

あらすじ

 わたしことファルク・ダルヴンオールは役所の文書庫で十七世紀のオスマン・トルコ帝国時代に書かれた手記を見つける。
 あるイタリア人奴隷が書いたもので、医学的知識により奴隷船を生き延びたと記されていた。しかし医学の本を携えていたが、医師ではない。トルコ人はイタリア語が解らないため、医師だと誤解したのである。その後も機転を聞かせ、宮廷の知識人に仕えることとなる。彼は「師」と呼ばれていたが、わたしと風貌は瓜二つだった……。

メタフィクション

 この物語は枠物語の構成で、ファルクが見つけた手記が大半を占めています。しかし、外枠も手記も一人称視点で書かれており、しかも「わたし」と訳されているので混乱を免れません。そこで、外枠の「わたし」はファルクと固有名詞で表し、手記の「わたし」はそのまま「わたし」と記します。
 通常、小説の人物は読者、作者などの作品外部を意識しません。僕たちが、世界の外部を意識しないのと同じように。例えば僕たちが現代の社会では創造主に呼びかけませんし、ましてや誰かに操られていると言いません。
 現実世界を反映しているという価値観のもと近代文学は成り立っています。いわゆるリアリズム文学だけではありません。ファンタジー小説ですら、リアリティの有無が問題となります。それは、この価値観の現れだと言えるでしょう。このように現実で外部の世界を意識しない以上は、小説の中においても外部の存在を意識しないのです
 しかしメタフィクションを使うと、このような壁が取り払われ、例えば登場人物が作者の都合を語り出したり、読者の存在について言及したりします。例えば、マーク・トゥエインの『ハックルベリー・フィンの冒険』はメタフィクションの手法が使われています*1。
おらのことは、『トム・ソーヤーの冒険』ていう本を読んだ人でなければ、だれも知るめえが、そんなことはかまわねえ。その本はマーク・トウェーンさんが書いたもんで、あらましは本当のことが書いてある。
 一見して解るように、登場人物がマーク・トウェインの存在など、小説の外について言及しています。これがメタフィクション。メタフィクションを使うと異質な感じが得られ、そのための手法だと言えるでしょう。しかし、『白い城』は異質な印象を受けませんでした。
 メタフィクションの定義を踏まえると、オルハン・パムクの『白い城』でもメタフィクションが使われていると言えます。「この物語を読んだ人ならもう解るだろう」「いまあなたが辛抱強く読んでくれているこの本のための下調べのためもあったろうと思う」などと「わたし」は読者に呼びかけています。もし「序」がなかったらメタフィクションの小説に過ぎませんでした。しかし、序があるので「読者」の概念は注意深く使わなければいけません。
 なぜなら、小説でも「ファルク」が「わたし」の手記を読んでいる以上は、下記の3通りの可能性が考えれられるからです。
1.ファルクのみ
2.現実世界の読者のみ
3.現実世界の読者とファルク
 しかし、「序」がある以上、2であるはずがありません。そして、ファルクを指している時、メタフィクションと呼べるかどうかは疑わしくなるでしょう。なぜなら、ファルクは登場人物の一人であるので、小説の「外」へは出ていないのですから。
 ファルクもまた「この物語を出版することにした」という程度に留められています。具体的に『白い城』と記されているのなら典型的なメタフィクションなのですが、そこまでの言及はありません。また「わたし」も「ファルク」という登場人物を想定しているように、ファルクの想定する読者もまた小説にしかいないかもしれません。これを裏付けるのは「よき娘、よき妹、エルギュン・ダルヴオール(一九六一−一九八○)のために」という献辞。これもまた架空の人物であり、架空の読者を示唆していると言えるでしょう。
 下記の通り図式化できます。
   実世界  オルハン・パムク−読者
 小説内世界  「わたし」−ファルク−小説内世界の読者(ニルギュンもその一人)
 通常のメタフィクションであれば実世界と小説内の世界はどこかで交わりますし、そのために使うのですが、どこまで行っても交わりません。むしろメタフィクションの手法を使いながら、小説の世界を拡張していると言えるでしょう。

双子

 師は「わたし」と双子のようにそっくりだと、隣人たちから言われます。
 あんたは胡座をかかずに、異教徒のように机で食事を摂っているじゃないか。色々な書物を大枚をはたいて買いこんでは、それを地に放り出し、どころか預言者様の名前が書かれた書物の上に積み上げさえする。(中略)あの奴隷〔=「わたし」〕は、本当はあんた(=師)の双子の兄弟なのだ
 もちろん実際には双子の兄弟でない以上、比喩的なものに過ぎません。しかし、思い過ごしではなく、実際に瓜二つなのだと解ります。もしこれが視点人物の独白だとしたら、思い込みだとも解釈できるでしょう。
 逆になぜ視点人物の独白ではなく、「隣人たち」と複数にしたのかと考えていけば、ある程度の客観性を持たせたかったからだと解釈できるのです。もちろん、そう描かなければこのストーリーが成立しないのですが、それ以上にこの「双子」は示唆に富んでいます。念を押すかのように繰り返して語られる以上、「わたし」は意味を込めているに違いありません。

師は「わたし」の影か

 ユング心理学の「影」、つまりあり得るかもしれなかったもう一人の自分。河合隼雄は『影の現象学』*2で下記の通り述べています。
 各人の自我はまとまりをもった統一体として自分を把握している。しかし、ひとつのまとまりをもつということは、それと相容れない傾向は(中略)無意識界に存在しているはずである。その人によって生きられなかった半身、それがその人の影であるとユングは考える。
 奇しくも『白い城』でも「夢の中で見た(中略)己の影を愛するかのように」師を愛していたと、「わたし」は物語終盤で述懐しています、この一文だけなら単なる偶然に過ぎないと思うかもしれません。
 一見すると師は「わたし」の影だと思われるかもしれませんが、わたしが師に憧れていたという記述は見当たりませんでした。辛うじてそれが窺えるのは、師がわたしの手柄を横取りした時の心理描写です。
 師はいかに皇帝を感化し、名声を勝ち得た語り、わたしは疫病が都から去ったわけではなく、疫病対策が中止されたのでふたたび発生する恐れがあると言葉を尽くした。師は、(中略)おまえはわたしを妬んでいるだけだ、と言った。彼のいうとおりだった。
 このように語りながらも「すべてが、われわれ二人の(中略)望みだった」としています。もし、これが「わたし」個人の望みだとしたら「わたし」は師の影であると解釈できるのですが、このように「二人の(中略)望み」だと書かれている以上、これは成立しません。

「わたし」は師の影か

 一方、逆に「わたし」が師の影だと解釈したほうが、一貫した説明ができるのではないでしょうか。医者ではないにせよ、医学だけではなく自然科学の知識に詳しいので、奴隷ながらに、花火作りを皇帝から命じられたとき、助言者として師の役に立つのです。
 「わたしはわたしだ、わたしはわたしだ!」と言っている通り、師は自分の存在が揺らいで鬱屈します。とうとう奴隷に「なにをすればいいのかね?」と尋ねる始末。苛立って「わたし」は「おまえは、わたしなしではなにも考えられないではないか」と言いそうになります。
 もしこのことを師が自覚していれば、「わたし」が師の影であると解釈できるでしょう。ただし、この解釈が成立するためには、自分で考えて行動したい師がと考えていなければいけません。これも条件付きであるとは言え、饒舌に自慢話を語っている様子が傍証になっていると言えるでしょう。

支配と被支配の転倒

 さて、「『白い城』の底流を為す「自己と他者」、他者によって溶解していく自己という構図は(中略)安部公房の『他人の顔』を彷彿とさせる」と、訳者の一人である宮内遼は訳者あとがきで述べています*3。
 しかし僕はむしろ、支配と被支配の逆転という点において、谷崎潤一郎の『痴人の愛』を思い浮かべました。「師を思うままに操っているのだと、わたしは感じはじめてい」るように支配と被支配の逆転は「わたし」自身も明言しています。それだからこそ「幼子がされるような罰を与えられるほど屈折した安堵感に満たされていった」のです。
 谷崎の『痴人の愛』*4もまた、支配と被支配の逆転を描いています。君子と評されるほどの譲治がナオミを支配しようとしていくうちに、いつのまにか支配されているというあらすじです。
浮気な奴だ、我が儘な奴だと思えば思うほど、一層可愛さが増して来て、彼女の罠に陥ってしまう。ですから私は、怒れば尚更自分の負けになることを悟っているのです。
 最後の描写はこのように締めくくられています。もちろん『白い城』では「背中に拳骨を振り下ろされる」など直接的な暴力であるのに対し、『痴人の愛』ではわざと男友達を自室へ連れ込んで嫉妬心を起こさせるという精神的なものですが、いずれにせよ、「一層可愛さが増して来」る以上は被支配の喜びをかんじていたのでしょう。

因果関係

 しかし。「あらゆる物事の間に関連性を見出そうとするのは、思うに今日のわれわれが抱える疾患である」とファルクは述べています。訳者の宮内遼は小説の評論家だと解釈していますが、僕はこの言は人生そのものだと解釈しました。 
あらゆる物語は、実のところ、一つ一つの偶然が鎖のように束ねられたものであると知るものは多い。しかし、この真実に親しむものでさえ、人生のとある時期にそれを省みてみると、偶発的に生じた一つ一つの出来事が、実際には必然だったのだと断ずるようになるものだ。
 この上記の言葉に加え、もし因果関係を否定したいのなら、もっと偶然性に頼るでしょう。
 例えば『僕の違和感』などを読んでいて感じたのですが、恐らく、オルハン・パムクは他人の人生に興味があるのかもしれません。そして少なからず〈ありえたかもしれない自分〉なのかもしれません。

*1 マーク・トウェイン『ハックルベリー・フィンの冒険(上)』(岩波書店)
*2 河合隼雄『影の現象学』(講談社)
*3 宮川遼「訳者あとがき」(オルハン・パムク『白い城』藤原書店)
*4 谷崎潤一郎『痴人の愛』(青空文庫)


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谷川俊太郎『二十億光年の孤独』(集英社)

二十億光年の孤独 (集英社文庫)

概要

 谷川俊太郎は『朝のリレー』などで馴染み深いが、彼の処女詩集が『二十億光年の孤独』だ。弱冠十八才の時に出したこの詩集は孤独などの心境が描かれている。また万有引力などの科学用語を詩に使っているが、平易な言葉で書かれている。
 谷川俊太郎の詩論、英訳などを付した。

はじめに

 谷川俊太郎の『朝のリレー』が中学校の教科書に載っていたこともあり、ある一定の年代の人は懐かしいのではないかと思います。「カムチャツカの若者が/きりんの夢を見ているとき/メキシコの娘は/朝もやの中でバスを待っている」で始まる詩。
 Neslèのテレビコマーシャルでも流れていたそうですので、こちらで覚えている人もいるかもしれません。
 詩の味わい方ですが、Neslèのナレーターのように、あるいは学校の授業のように朗読するのも一つの手です。もう一つは、一言一句正確に書き写すこと。もちろん手書きでも構いませんが、パソコンでも構いません。検索が利くので、僕はパソコンを使っています。
 それから詩に限るなら、比喩に注目して読むのも一つの手だと言えるでしょう。

異化について

 現代批評で詩とは異化と結びつけられています。異化とは「慣れ親しんだ日常的な事物を奇異で非日常的なものとして表現するための手法」*1と定義されます。日常的な言葉は通じやすいが故に、独自の視点が消えています。逆に独自の表現を全面に押し出せば押し出すほど、作者以外が読んでも解らなくなります。しかし、自分のイメージを、世界観を正確に伝えたいと思えば思うほど後者に近づいていくのは言うまでもありません。そして、読者は詩人の世界観を追体験することで、日常を再認していくのです。これが異化。

「わたくしは

 例えば、「わたくしは」の冒頭は「わたくしの生命は/一冊のノート/価格不定の一冊のノート」です。これは人生を「一冊のノート」に喩えています。もちろん、文脈は違えど、ジョン・ロックも白紙に喩えています。これを踏まえれば谷川俊太郎の発想は目新しくなく、異化作用は薄いかもしれません。
 しかし、「価格不定」だと考えることが詩的だと感じました。もちろん十八才までに書かれているので、自分の価値について悩んでいたのでしょう。人生が一冊のノートなら価格はいくらだろう、十八才なのでまだまだ価値など解らないと考えて「価格不定」だと表現した、と解釈できるのです。そして、この「ノート」すなわち自分がいずれ市場に出回り、売られ、他者に書き込まれていくとも予感していたのかもしれません。もし書き込まれると思っていなければノートに自らを喩えないでしょう。
 いずれにせよ、まだ未熟者だと自覚しており、これは第三連の「拙い不器用」というフレーズからも窺えます。そしてこの考えていくと、第四連の「ノートをかかえ 二十世紀の原始時代を(中略)歩いている」という文言も納得が行くでしょう。額面通りに受け取れば二十世紀は原始時代でありませんので、意味が通りません。しかしこの未熟で、自らを守るすべを持たない年代の比喩だと解釈すれば意味が通ります。
 少なくとも谷川俊太郎『二十億光年の孤独』収録の詩に関して言えば、比喩というよりも心象風景と現したほうが適切かもしれません。

「かなしみ」

 このように比喩、あるいは心象風景を軸として読んでいけば、「かなしみ」の解釈もできるでしょう。
「かなしみ」
あの青い空の波の音が聞えるあたりに
何かとんでもないおとし物を
僕はしてきてしまったらしい

透明な過去の駅で
遺失物係の前に立ったら
僕は余計に悲しくなってしまった
 「とんでもない落としもの」とは何だったのか。子供時代の好奇心など、純心無垢な心でしょう。「青い空の波の音が聞える」とありますが、実際にはもちろん鳴るはずがありません。しかし南国のイメージからか、どこまでも青さが広がっているからか、子供時代には青空を眺めているとなぜか海を連想した記憶はあるでしょう。そのころの純粋さ。
 したがって「遺失物係の前に立ったら/僕は余計に悲しくなってしまった」のです。なぜならもう、子供時代の純粋さは手に入らないから。「透明な過去の駅」は人生を列車に列車に喩えているばかりではありません。よく透き通った目をしている、ということからも解るように、純粋さは透明で表されるのです。また、見えないという共通点もあるでしょう。

「電車での素朴な演説」

 さて、同じ言葉でも具体的に示しているかは詩で違います。詩の中に散りばめられている言葉をもとに、その都度解釈し直さなくてはなりません。例えば「駅」と「電車」。これらは辞書的な意味でこそ類縁関係にあるものの、「かなしみ」と「電車での素朴な演説」とでは詩的イメージが違ってくるのです。
 「電車での素朴な演説」の書き出しは「このきれいで明るい電車に/みんなおんなじ目的で/乗りあわせたのだし」とあるように複数人が乗車しています。さらに「電車をよくしようと/ささやかなのでも みんなの努力が/必要なのではないでしょうか」ともあり、これは現状「電車がよく」ないことの現れでしょう。それにも関わらず詩の〈語り手〉は「こんなきれいで楽しい電車を/汚く傷つけ」ていると述べています。一見矛盾しているようですが本来は美しい「電車」を「みんなが汚く傷つけている」と解釈すれば矛盾は解消されます。しかも「──なにしろ赤信号はつきっ放し」と冒頭にもあるように、ずっと進めません。
 このように考えていけば「電車」は地球の暗喩だと解釈できるでしょう。このような解釈では、「赤信号」とは地球の諸問題を指しているのです。もはや「ノオ スモオキング」は単に字義通りの「禁煙」の意味ではなくなりました。煙を出し、公害の原因となるもの、つまり、工場の煙突、自動車の排ガス。「ノオ スピッティング」も辞書的な「吐き出さないでください」の意味ではなく、工場排水などの比喩だと捕えることもできるのです。

科学用語

 科学用語は意味が一意的に定義されているので、詩には向かない傾向にあります。ところが、表題作「二十億光年の孤独」では科学用語が詩的要素として成立しているのです。
万有引力とは
引き合う孤独の力である

宇宙はひずんでいる
それ故みんなはもとめ合う

宇宙はどんどん膨らんでゆく
それ故みんなは不安である
 科学用語として万有引力の法則とは、木からりんごが落ちるのと全く同じ理屈で、月も地球に引き寄せられているという法則を指しています*2。あらゆるものに引力が働くから万有引力。
 谷川俊太郎はそれを人間関係にも働いているのではないかと想像したのでしょう。「人類は(中略)ときどき火星に仲間を欲しがったりする」、火星人もまた、「しかしときどき地球に仲間を欲しがったりする/それはまったくたしかなことだ」とあるように孤独だと語られています。そしてこの世界観は「宇宙はひずんでいる/それ故みんなはもとめ合う」という一文からも窺えるでしょう。
 科学は因果関係を追い求めます。そしてこの詩も因果関係が描かれていますが、もちろん科学的な見地からいえば、荒唐無稽な因果関係。人の心と宇宙の膨張など関係あるはずがありません。しかし、谷川俊太郎の胸の内では「不安」と「宇宙の膨張」の間には因果関係を想像しているのです。

文字について

 さて、カタカナは尖った直線を中心に、ひらがなは曲線を中心に構成されており、もたらすイメージは全く違います。例えば同じ〈わたし〉と読むにしても、「わたし」とひらがなで書けば若い女性の印象、「私」と漢字で書けば社会人一般の印象を受けます。谷川俊太郎ももちろんそのことを意識していたのでしょう。

「世代」

 それぞれの文字が与える印象について、「世代」は扱っています。
──詩をかいていて僕は感じた

漢字はだまっている
カタカナはだまっていない
カタカナは幼く明るく叫びをあげる
(中略)

漢字はだまっている
ひらがなはだまっていない
ひらがなはしとやかに囁きかける
(後略)
 確かに漢字だけの文章は密集していることもあるのでしょうか、埋没しているように見えなくもありません。その様子を「だまっている」と表現したのでしょう。一方、カタカナは甲高い印象を持っています。例えば「キイキイと音がする」「きいきいと音がする」どちらがより雰囲気が出ているかと言えばカタカナのほうなのは言うまでもありません。この甲高さは谷川俊太郎の中で幼さと結びついたのでしょう。「カタカナは幼く明るく叫びをあげる」という一文と結びついています。
 原民喜の詩、「水ヲ下サイ」*3は文字の印象を最大限に活かしていると言えるでしょう。詩集『原爆小景』に収められますが、下記の通り、漢字とカタカナのみで構成されています。
水ヲ下サイ
アア 水ヲ下サイ
ノマシテ下サイ
 これはカタカナの印象と原爆の地獄絵図が結びついており、「水を下さい/ああ、水を下さい/のまして下さい」などのようにひらがなで書くと、非日常的な光景だと感じません。
 一方、「きいきいと音がする」とひらがなで書くと、小さな音であるかのような印象を持ちます。曲線もありますが、普通の文章においてひらがなが一番多く使われています。特に戦後、すべてローマ字で書くようにGHQ側から要望がありました。識字率の悪さが軍部の独裁を許したと考えたのです*4。
 さすがにこれは極論だとして、見送られましたが、当用漢字が定められました。当用とは「さしあたって用いる」の意味であり、このことからも解るように段々と漢字を廃止していこうとしていました。しかし、「1948年(中略)漢字と識字率には関係がないことが証明された」*4のです。谷川俊太郎が17才の時。
 これを踏まえて考えると、漢字、ひらがな、カタカナなどの表記に対して敏感になっていたのも無理もないでしょう。

「はる」

 「はる」についても特徴的な詩。
「はる」
はるをこえて
しろいくもが
くもをこえて
ふかいそらが

はなをこえ
くもをこえ
そらをこえ
わたしはいつまでものぼってゆける

はるのひととき
わたしはかみさまと
しずかなはなしをした
 どうして全部ひらがなで書いたのでしょう。もちろん「世代」で言及されている通り、谷川俊太郎は「ひらがなはしとやかに囁きかける」イメージを持っているので「はるのひととき/わたしはかみさまと/しずかなはなしをした」と呼応させたのかもしれません。もちろんそれも一つの解釈。
 詩の〈語り手〉は春に死んだと解釈もできるでしょう。「はるのひととき/わたしはかみさまと/しずかなはなしをした」という一文からでも窺えるのですが、春のひとときに瞑想をして、無我の境地に至ったとも解釈できるので、説得力がありません。根拠は「はなをこえ/くもをこえ/そらをこえ/わたしはいつまでものぼってゆける」という第二連。煙になったと解釈すれば辻褄が合うでしょう。
 そのように解釈すれば、全部ひらがなの表記も積極的な意味を見出せます。つまり、ひらがなの曲線で煙の形を現そうとしたのではないか、あるいはひらがなの柔らかい形や「はるのひととき」という季節から老衰で眠るように死んだことを現そうとしたのではないか等。

翻訳について

 さて、全詩集は英訳も付されており、読み比べてみると面白いかもしれません。

注釈

 「世代」はどのように訳されているのか疑問に思って参照すると、それぞれの文字に対して、注釈が書かれていただけでした。
kanji: Japanese writing using Chinese charactors, nomally in connection with hiragana to account for Japanese grammical forms.
katakana and hiragana; There are two systens of syllabic writing, based chinese charactors. One is an angular form called katakana and is used mainly for forein words.The other is a cursive form colled hiraganaand is the more widely used of two systems.
有沢訳 なおhiraganaなどのイタリック体は〈ひらがな〉など表記した
〈漢字〉:日本語の書き言葉は中国の文字が用いられ、これは通常、〈ひらがな〉に挟まれるのが、日本語文法の形である。
〈ひらがな〉と〈カタカナ〉:この二つの音節上の表記〔表音文字*5〕は、中国の文字〔である漢字〕がもとになっている。角張った形〔の文字〕は〈カタカナ〉と呼ばれ、外来語を中心に用いられている。一方の曲線的な形〔の文字〕は〈ひらがな〉と呼ばれ、二つの〔文字*6〕体系より幅広く用いられる
 この詩に関しては仕方がないにせよ、「はる」はせめて全編ひらがな表記であると注釈をつけて欲しかったです。
 また英語の注釈を読むと、時代背景が書かれているものもあり、日本の読者でも勉強になります。例えば「霧雨」(英訳:Misty Rain)の注釈よると、米軍に占領されたころに書かれたそうです。他にも「祈り」が朝鮮戦争の頃の詩だと書かれています。

対訳

 さて、ただ機械的に翻訳すればいいかといえば、そうでありません。例えば、W. I. エリオットは「祈り」を「A Prayer」と訳していますが、これは「誰か一人の祈っている人」という意味です。
 一方「The Prayer」としたときには「特定の祈っている人」という意味になります。また「Praying」と訳せば「祈ったこと」という過去の行為を指し、「To Pray」は「祈るつもりだということ」という未来の行為を指します。また「Pray」と訳せば「祈りの動作」に軸足が置かれます。作者が生きていれば、聞き取りながら翻訳もできるでしょう。しかし当然ながら死んでいたら、翻訳者の解釈が生まれるのです。
 ちなみに「祈り」は動作に軸足が置かれているように感じたので、僕は「Pray」と解釈しました。

Godの問題

 さらに翻訳困難な単語があります。Godと神。キリスト教の神は祈れば許してくれますが、伝統的な日本の神はそのようなことはありません。むしろ合格祈願、家内安全、無病息災などの現世利益と強く結びついているのです。
 また、西洋のGoḍは自然を創っているのに対し、日本の価値観だと自然の中に神を見出しています。どちらかと言えば、ギリシャ神話やゲルマン神話のような抽象概念を擬人化しているといえるでしょう。
 例えば太陽の擬人化は天照大神、月の擬人化は月読、火の擬人化は火之迦具土……。このような状況で「神」をGodと機械的に訳して、注すらないのは誤解を招きます。しかも「暗い翼」の一節は下記の通り訳されています。
I can hear God getting bored with people
and letteng mathines replace them.

神々が人間に疲労して
機械の代りにさせているのを僕は聞く
 対比のために原文を下に書きましたが、明らかに神々と複数形なのに、英訳は単数形が用いられています。「replace them」で複数形だとは解りますが、ここはGodsと訳して欲しかったです。複数形だと解るので、解釈の問題ではありません。また原文は「聞く」とだけ書かれていますが、対応する箇所を見ると「I can hear」と可能の意味が付け加えられています。

*1 Wikipedia「異化
*2 Wikipedia「万有引力
*3 原民喜「水ヲ下サイ」(原民喜『原爆小景』青空文庫)
*4 Wikipedia「当用漢字
*5 表音文字は英語で「phonogram」であるが、原文はsyllabic writingである。syllabicは音節を意味するsyllableの形容詞なので、「音節上の」と訳した。
*6 原文ではtwo systemsとだけ書かれており、何の体系かは触れられていない。しかし、文脈からして漢字とカタカナの二つだと判断した。
*7 厳密に訳すならfollowがあるので、「アメリカ軍に占領されている1950年の日本だと仄めかされていることがつきまとっている」と訳すべきだろうが、日本語として違和感がある。したがってfollowはあえて訳さなかった。



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W. M. ワット『イスラムの神学と哲学』(紀伊國屋書店)

イスラムの神学と哲学 (1976年)

概要

 イスラム哲学はギリシャ哲学の影響を受けながら、神学を補強する形で発展してきた。そしてイスラム社会では政教一致がなされており、政治と神学、そして哲学は強く結びついている。またイスラームの統治下だったスペインから、ヨーロッパ社会はイスラム哲学や古代ギリシア哲学を学んだ。
 しかし、黄金時代を過ぎ、モンゴルに征服されると、イスラム社会では独創的な哲学が生まれなくなる。現代までを概観する。

はじめに

 僕は今、同人でイスラム国家をモデルに小説を書いてまして、その資料として図書館で借りてきました。あとは校正だけで、読む理由は失われたのですが、読んでおけば後々役に立つだろう、と考えた次第です。別に国際的な教養を身につけたいと大仰な話ではなく、創作活動の素材づくり程度。
 もともと創作と哲学は密接に結びついます。例えばペルシャの詩人、ハーフィズはイスラム神秘主義の影響*1を受けていますし、イブン=トファイルは小説『ハイイ・イブン・ヤクザーン』で哲学と宗教の問題について論じました。
 僕の関心は西洋哲学ですが、イブン=シーナーやイブン=ルシュドは西洋哲学にも影響を与えたのです。例えばトマス・アクイナスはイブン=ルシュドの注釈書でアリストテレスを勉強しました*2。それにも関わらず、一次文献の翻訳はあまりなされていません。

前史

 さて、今、中東情勢でシーア派、スンナ派などの言葉を耳にしますが、国の指導者、カリフを決める方法の違いです。

シーア派とスンナ派

 シーアは党、スンナは慣習の意。
 シーア派がカリフはムハンマドの血統でなければいけないのに対し、スンナ派は信者の考えを重視しています*3。ムハンマドの亡き後、四人の後継者が治めるのですが*4、当然ながら後継者争いが起きます。第三代、ウスマーンが反乱で死亡*5。
 そして四代目のカリフに養子、アリーが就任するのですが*6、シーア派は彼の子孫だけが共同体を正しく導けると信じています。つまり、シーアの「党」とは「アリーの党」の意で、当然ながらアリーはウスマーンの殺害を認めようとはしません。
 これらの人々はアリーの如き指導者(中略)はいかなる過失をも犯しえず、悪事をもなしえないと信じていた。これに反対するグループはアリーが過失を犯しうると考えたのみならず、ウスマーン殺害に責めある人々を擁護するその態度があまり明確でなかったことから、アリーは実際に誤りを犯しているとみなした。
 一方、伝統的な慣習にしたがって、ウスマーンたちも指導者として認めようとするのがスンナ派。こうしてムハンマドの血統は絶え、秘書の一人であるムアーウィヤがカリフとなりました*7。このムアーウィヤが立ち上げたのがウマイヤ朝。ムアーウィヤの統治も最初うまく行かず、「アリーに対しては五つもの小反乱がムアーウィヤ(中略)の治世のもとでは二十回ぐらい反乱もの反乱があ」りました。

ハワーリジュ派

 もちろん、シーア派、スンナ派二つしかないのではありません。キリスト教もカトリックとプロテスタント意外にも、ロシア正教、イギリス国教会などがあるように、イスラム教にもハワーリジュ派など様々な宗派があります。ハワーリジュとはアラビア語で「離脱」、「出ていく」の意。日本語に訳せば、「離脱派」です。
 当然ながら、アリーはムアーウィヤを最初後継者と認めません。したがって、スィッフィーンの戦いで決戦を行なうのですが、最終的に和平を結びます*8。当然ながら、この決断に納得が行かないものもいました。「狭義にはアリー軍とムアーウィヤ軍とで交わされた和議に反対し、アリー陣営から離反した者達をいう」*9ように彼らが既存のシーア派を「離脱」し、ハワーリジュ派を立ち上げます。

ギリシャ哲学の影響

 時代はくだり、ウマイヤ朝からアッバース朝へ。スンナ派の後継者は信者の考えが重視されるのですが、ムアーウィヤは世襲制を取ります。前述の通りシーア派もアリーの一族からしか後継者が選ばませんでした*10。したがって次第に不満が募っていくのですが、反乱を起こすには協力者が必要です。そこで引き入れたのが、他宗派とペルシア人です。シーア派は前述のように、ウマイヤ朝へ遺恨を残していましたし、ペルシア人は虐げられていたのです。

異民族の活躍と知恵の館

 アッバース朝はペルシア人を引き入れた手前もあり、アラーの前では平等と説かざるを得ません。またペルシア人は以前からササン朝ペルシア帝国を築いていたので、統治技術を持っていました。加えてキリスト教徒やユダヤ教徒なども庇護民として住んでいました。彼らは税金さえ払えば、自治を許されていたのです*11。
ズィンマ契約は、具体的には非ムスリムがムスリム統治者による統治に服従・協力し、非ムスリムとしての人頭税であるジズヤや地租であるハラージュを支払うことと引き換えに、生命・財産の安全と自らの宗教・信仰の自由が保障されることを原則としていた。
 そしてこれが結果的に、イスラム哲学の黄金時代を作っていきました。事実、初期の知識人はペルシア人やユダヤ人が多かったのです*12。
 イスラム哲学はまずギリシャ哲学の翻訳から始まります。アッバース朝第七代カリフ、マームーンが大規模な図書館を設立し、そこで研究が行なわれていました。「もろもろの〔ギリシャ語の〕書物が翻訳され、書写され、かくて、文庫が参考用に保存されていった」のです。その代表的な翻訳者がイスハーク。彼はキリスト教徒でしたが、バグダードで医学の教師となりました。
 ヒポクラテスやガレノスの医学、ユークリッドやピタゴラスの数学などが訳されました。哲学に限っていえばアリストテレス、プラトン、そして新プラトン主義が多く*13、ソクラテス以前はほとんど翻訳されていません。ヒポクラテスやガレノスが翻訳された理由は、「健康への関心」という実際的な理由がありました。
 また、占星術は今の天文学であり、暦の作成。これは農業と結びついていました。

コーランの解釈学

 ここでイスラム法についても触れておきましょう。イスラムはコーランが重視されているのは言うまでもありませんが、法律もコーランを解釈しながら作られるのです。そうしてできた法律をシャーリアと呼びます。神から与えられた以上、コーランは不変ですが、このシャーリアはコーランと矛盾しなければ変えることができます。
 したがってイスラムではコーランの解釈と法律は密接に結びついています。そしてコーランの解釈にも様々な学派がありますが、厄介なことにコーラン自身も「神の手」などの表現に満ちているのです。
 字義通りに解釈するのが、ハンバル学派。例えば「神の手」なら神に手があると解釈します。一方、ムウタズィラ学派は「神の手」を比喩と見なし、「恩恵」などと解釈します。現実的ですが、主観的な観点が入り、無尽蔵に解釈が生まれるでしょう。また過度に人間の理性を信じているので、慣習と合いませんでした。例えば人間の自由意志。現実的・現代的な観点から見れば至極当然ですが、人間に自由意志があれば、神の意図に反して行動できてしまうこととなり、ひいては全能性を否定してしまう、と当時の人々は考えたのです。これは形こそ違えどどこの国でも起こると僕は思います。極端な話、窃盗の自由、詐欺の自由などを主張する人が現れてもおかしくはありません。そして厄介なことにこれらはつまるところ道徳の問題に行き着きます。僕は道徳の源泉は法律だと考えているのですが、法の網をかいくぐって「完全」犯罪を行なう人も一定数いるでしょう。
 神学者、アシュアリーはこのような問題があるのでムウタズイラ学派を脱退し、ハンバル学派に身を起きます。しかし今度は保守的すぎる。彼の解釈法はムウタズイラ学派とハンバル学派の中間を行きます。

法学

 イスラムで基本的にアルコールは禁止で、醤油もドバイでは発売禁止となりました*14。
 複数の地元紙は8月8日、ドバイのあるアラブ首長国連邦の気候変動・環境省がキッコーマンのしょうゆの輸入を禁じた、と一斉に伝えました。当局の検査で、アルコールを含んでいることが確認されたとしています。
 しかし、トルコでは同じイスラム教なのにラク酒が売られていますし、ボザも少しながらアルコールが含まれています。これは宗派よりも法解釈の問題。ハナフィー法学派*15は飲酒に比較的寛容で、マーリク法学派*16は飲酒に厳しいのです。
 つまり指導者の選び方、コーランの解釈方法、法律の運用の三つの観点があると言えるでしょう。1.スンナ派、シーア派……指導者はどのように選ぶのか。
2.ムウタズィラ学派、ハンバル学派……コーランはどのように解釈すべきか
3.ハナフィー法学派、マーリク法学派、ハンバル学派……法律はどのように運用すべきか
 もちろん、この三つは相互に関わっています。例えば、神学と法学は密接に結びついているため、ハンバル学派はコーランの解釈学と実際の法律運用、両方を論じています。また、ハナフィー法学派はスンナ派政権の庇護を受けて発展してきました。
 ハナフィー派は理性を重視しており、「ある事例から僅かに異なった事例への類推によって、論ずる」、類推解釈を認めています。また、裁判官個人の裁量が大きく*17、柔軟な法解釈ができます。このように理性を重視していますので、「ムアタジラ〔=ムウタズィラ〕派と類似せる傾向により教義上の事例に理性を使用するということに関心を抱くに至った」ハナフィー学派の徒がいたとあるよるようにムウタズイラ派に関心を寄せています。

黄金時代

 さて、ムウタズイラ派などは「アリストテレスなどのイスラーム世界外の思考法を部分的に借用した」*18ようにギリシャ哲学の影響を受けていました。「知恵の館」の影響もあったとも推察されますが、あくまでも部分的で、本格的な導入ではありません。

東方

 東方で有名なイスラム哲学者といえば、イブン=シーナーが挙げられるでしょう。西欧ではアヴィセンナという名前で知られていますが、ここでは基本的にアラビア語の名前で書きます。医学はギリシア哲学に加え、インドの医学書『アーユルヴェーダ』、ペルシアの民間療法などを総合して発展していきました*19。
 今でこそアリストテレスと医学ほ結びつきませんが、当時は万物が四元素から構成されていると考えられており、イブン=シーナーの医学書にもそれは反映されています*20。医学とアリストテレスの関係は16世紀のパラケルススの時代まで続きました。
イブン=シーナー
 イブン=シーナーは十七歳までに「手に入る限りの科学的、哲学的書物をむさぼり読」み、「独学で医学を研究し、(中略)臨床の医師たちが彼の指針のもとにもろもろの医学書を読むにいたるほどに完璧に理論的把握を達成したので」す。「彼はまた患者たちを扱うことで自分の医学的知識を検証し、増大させて」いきます。情報源が自伝なので全面的には信頼できないにせよ、学識豊かだったことに違いありません。
 彼はアリストテレスの『形而上学』を繰り返し読みますが、それでも理解できずにアル=ファーラビーの解説書にたどりつきました。そしてこの本で理解したと自伝に書いています。W. B. ワットはこの逸話について「哲学上の普遍的立場といってもよいほどそれに近い立場を彼に取らせたものはより古きイスラム哲学者の直接的な影響力であった」と述べています。原書や翻訳書を読むよりも母語の解説書から入ったほうが解りやすいので、その類だったのかもしれません。
 アル=ファーラービーは単にアリストテレスを翻訳しただけではありません。アリストテレスから「離陸」し、独自の理論を形成していきます。例えばアル=ファーラビーは預言者の資格を想像力に求めました。一方のイブン=シーナーは預言者の資格を知性に求めていますが、「現実の支配者は、神的知慧について並はずれた分与を受けている」ことは証明できないとしています。この点で「ムアタジラ派と近い立場」だと評しています。
 シーア派はアリーの子孫に対して神的知慧があると主張していますが、この点を否定する形。これはシーア派のファーティマ家が熱心に布教活動を行なっていた反撥だとW. M. ワットは分析しています。
ガザーリー
 アル=ファーラビーとイブン=シーナーへ論駁するために『哲学者の自己矛盾』*21をガザーリーは書きました。「アル=ガザーリーは哲学と神学とを結集させることで(中略)アヴィセンナにおいてその極に達する哲学運動を克服した」のだと評しています。アリストテレスや新プラトン主義の行き着く先は理性であり、神の啓示に取って代わるものだと考えました。そしてこれはイスラム教と相容れないのは言うまでもありません。ガザーリーはスーフィズムを取り入れ、この問題を調停しようとしました。
 スーフィズムとはイスラム神秘主義の修行法。瞑想などを取り入れ、無我の境地に達しようとします。また、自伝『誤りから救うもの』*22を読むと、自我の問題を早くも取り扱っています。しかもデカルトの『省察』と問題意識も方法も似ていると読書会で話題になったことがあります。

イスラーム・スペイン

 当時、スペインから北アフリカまでイスラム帝国の領土でした。歴史的な動乱は『イスラーム・スペイン史』*23にそれぞれ譲ることにして、イブン=ルシュド、イブン=パーッジャについて書きます。
 イブン=バーッジャやイブン=ルシュドなどイスラーム・スペインの哲学者は、理性に重きを置いていました*24
イブン=パージャたち
 イブン=パージャは西洋でアヴェンパケと呼ばれています。しかし、W. M. ワットの記述は少なく「唯物論的見地や俗物根性にたいする倫理的抗議とな」り、「このこの分析は、それ以後の哲学者たちにとって大きな関心と価値を有してきた」としか書かれていません。しかし、『中世イスラムの政治思想』によれば哲学と宗教の同じ目的だとしながらも、哲学は高度な理性が必要なので支配者向けであり、宗教は大衆に適していると語っています*25。
 彼の後継者、イブン=トファイルも彼の経歴と寓話的な哲学書のあらすじしか載っていませんでした。この二人に関しては『中世イスラムの政治思想』のほうが断然、詳しいでしょう。
イブン=ルシュド
 イブン=ルシュドはコルドバの裁判官で、アリストテレスの研究者でもありました。イブン=ルシュドもまた理性を重視しており、哲学の役割についてかきの通りとらえています。
 哲学は、細かい点では誤謬や誤解があったかもしれないにしても、一般には真であり、不変である。したがって、調停という仕事は主としてもろもろの聖典の調和的な解釈を見出していくことによって、遂行されなければいけないのである。
 彼はガザーリーにも反論しています。ガザーリーは哲学よりも信仰を重視しましたが、イブン=ルシュドはこの二つが調和するものだと、「矛盾の矛盾』でアリストテレス哲学を用いながら論証していくのです*26

暗黒時代

 さて一二五○年から一九〇〇年まで、イスラム哲学は独創性が消えてなくなり、注釈書や辞典の編纂が主となります。注釈書も独創性を発揮できるのに、なぜ「硬直した保守主義」に陥ってしまったのでしょうか。
 一つはモンゴル帝国の侵略がありますが、エジプトまでは入っていないので、充分な説明となっていません。オスマン帝国の支配も要因としてよく挙げられるのですが、「ペルシアや東方のイスラム諸国もオスマンの勢力下に入らなかった」ので、影響は限定的だと言います。
 このころ、オスマン帝国以外にもイスラム諸国はインドのムガル帝国、サファヴィー朝ペルシャなどがありました。特にムガル帝国では詩が大いに発展していき、ミール・タキー・ミールなどの抒情詩が生まれます*27。「すべて説明できるわけではない」としながらも重要な要因として宗教的知識人と政治の癒着です。彼らの任命権が政府に握られていたために「阿諛・追従の態度を取っていた」のです。
 もう一つの特徴は、因果関係は解りませんが保守的な勢力のハンバル学派が活力を持っていたということです。ハンバル学派の神学者イブン=タイミーヤは理性の力も瞑想法も否定し、人間には啓示によってしか*28神を知ることはできないと説きました。ひたすらシャーリアを守り続けることこそがアラーの教えだと考えたのです。スーフィズムは無我の境地への到達が最終目標ですが、イブン=タイミーヤによれば、シャーリアを完全に遂行しても無我の境地にたどり着けると言います。
 他にも例えば、北アフリカのムワッヒド朝では聖者崇拝が行なわれていました。これはベルベル人の風習と深く結びついているのですが*29、異国的諸要素と一緒にイブン=タイミーヤは非難します。

現代

 現代、イスラム諸国は保守的なサウジアラビアから西欧的なトルコ共和国まで幅が広くなっています。特にトルコ共和国はイスラム国家のうち、最初に西欧的な法体系を敷きました。もちろんオスマン帝国どころかビザンツ帝国以来、東西の交流が盛んです。交流が盛んと言うと聞こえはいいかもしれませんが、歴史を振り返ってみると、侵略の加害者にも被害者にもなってきました。さらには、ソ連と隣接していたので、欧米諸国はトルコを共産主義から守る「防波堤」としてつかっていました*30。
 今後のイスラム教についてW. M. ワットは「知的再生と社会改革とが相携えて進んでいかなければいけない」と述べた上でさらにこう語ります。
 偉大な諸宗教の信徒たちは、以前には決してなかったほどに、他の信仰の支持者たちに伍していかに生くるべきかを学ばざるを得なくなっている。結局は、人々を統一された世界宗教へ駆り立てていく強い圧力が存在するのである。数ある宗教のうち、価値を有するすべてのものは、この一つの宗教へと止揚さるべきであるが、しかし、人間性を持って始めることは、この理想には全く達しないかもしれないし、こうした道では多くの価値が失われるかもしれないということがありうるのである。
 もちろん宗教と言っても「価値観」程度のものから、具体的な礼拝まで含んだもの、そしてこれらを体系化したものまで様々なレベルがあるでしょう。また昨今、宗教の垣根を越えて世界平和の会議が行なわれています*31。
 もし、世界宗教が誕生するとしたら、三つのパターンが挙げられるのではないかと思います。
(1)無関心
 日本のように「無関心」な国。無関心と言っても、全く無関心ではありません。価値観の体系なら個人にもあるでしょうし、死体損壊や墳墓発掘罪は突き詰めれば宗教に行き着きます。このように前置きしても、なお、宗教心は希薄だと言えるでしょう。
 それを象徴するのが年末年始。キリスト教のクリスマス、仏教の除夜の鐘、神道の初詣。見事に共存しています。しかし、無関心であるがゆえに調べようとはしないので、印象だけで決めてしまいかねません。
(2)当事者
 当事者同士の交流が盛んな場所で恐らく、新しいものが生みだされる可能性はあると言えるでしょう。トルコなどがその代表的な国。しかし、当事者であるがゆえに冷静な判断力が損なわれるかもしれません。
(3)サイバー空間
 SNSなどで簡単に異国の人と接するようになりました。宗教にも大きな影響を与えるでしょう。しかし、昨今のTwitterなどを見てると期待は持てません。

*1 黒柳恒男「解説」(ハーフィズ『ハーフィズ詩集』(平凡社)
*2 山本芳久 『トマス・アクィナス』(岩波書店)
*3 アーウィン・ローゼンタール『中世イスラムの政治思想』(みすず書房)
*4 Wikipedia「正統カリフ時代
*5 Wikipedia「ウスマーン・イブン・アッファーン」 
*6 Wikipedia「アリー・イブン・アビー・ターリブ
*7 Wikipedia「ムアーウィヤ
*8 Wikipedia「スィッフーンの戦い
*9 Wikipedia「ハワーリジュ派
*10 Wikipedia「アッバース革命
*11 Wikipedia「ズィンミー
*12 Wikipedia「キンディー
*13 アーウィン・ローゼンタール『中世イスラムの政治思想』(みすず書房)
*14 『ドバイでしょうゆ「禁止」 想定外のその理由…当局の不可思議な対応』(withnews)
*15 Wikipedia「ハナフィー学派
*16 Wikipedia「マーリク学派
*17 Wikipedia「ハナフィー学派
*18 Wikipedia「ムゥタズィラ学派
*19 S. H. ナスル『イスラームの哲学者たち』(岩波書店)
*20 アヴィセンナ『アヴィセンナ「医学の歌」』(草風館)
*21 ガザーリー『哲学者の自己矛盾』(平凡社)
*22 ガザーリー「誤りから救うもの」(ガザーリー『中庸の神学』平凡社)
*23 W. M ワット『イスラーム・スペイン史』(岩波書店)
*24 Wikipedia「イブン・パーッジャ
*25 アーウィン・ローゼンタール『中世イスラムの政治思想』(みすず書房)
*26 Wikipedia「イブン・ルシュド
*27 Wikipedia「ミール・タキー・ミール
*28 Wikipedia「イブン・タイミーア
*29 W. M ワット『イスラーム・スペイン史』(岩波書店)
*30 Wikipedia「トルコ
*31 「世界の宗教指導者、平和を祈る 京都に2千人集う」(朝日新聞デジタル)



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ジューン・トムスン『シャーロック・ホームズのジャーナル』(東京創元社)

シャーロック・ホームズのジャーナル (創元推理文庫)

あらすじ

 シャーロック・ホームズの物語には〈語られざる物語〉、つまり事件の特徴や依頼人の名前だけが記されているものがある。例えば「あやしい自転車乗り」には「ジョン・ヴィンセント・ハードンが不思議な脅迫を受けた」と書かれているが、コナン・ドイルは書いていない。ワトソン博士の未発表原稿が発見されたという話のもと、七つの〈語られざる事件〉を収録する。

二次創作の難しさ

 著作権法などの問題から、創作界隈だとどうしても二次創作が低く見られがち。しかしジューン・トムスンの二次創作は原作の設定を忠実に反映しており、相当に読み込んでいるのが解ります。
 ホームズの二次創作はコナン・ドイルの頃からありました。モーリス・ルブランの『ルパン対ホームズ』*1。これはコナン・ドイルからの苦情で「エルロック・ショルメ」(Herlock Sholmes)と改題して発表したのですが、綴りを見れば解るようにあからさまにSherlock Holmesを意識しています。他にもコナン・ドイルのSF作品にはチャンドラー教授が出てくるので、それとホームズを共演させるなどもあります*2。
 しかし、どちらも世界観を忠実に反映しているとは言い難いのが現実。それもそのはず。ホームズのの時代を舞台にすると、どうしてもヴィクトリア朝の文化を知らなくては書けません。具体例をあげるなら「口笛一度は四輪辻馬車、二度は二輪辻馬車」など。
 時代小説に挑戦した人なら解ると思いますが、当然、舞台の時代にはあるだろうと思い込んでて書いていると意外とまだ発明されていないことも。小道具程度ならまだ修正が効くのですが、物語で重要な物だと大幅に修正しなければなりません。物語終盤で気付いたときには心折れそうになりました。ええ、本当に。
 もちろん原典を踏まえている以上、翻訳者にも相応の知識が要求されます。

ホームズ物語について

 ところでホームズの物語は、今日的に見ても非常に興味深い手法が使われています。

ホームズ物語の特徴

(1)それは他の作品への言及です。例えば『緋色の研究』ではガボリオとポーの作品を引き合いに出しています*3。
(2)また、『四つの署名』では前作『緋色の研究』をホームズも読んでいるなど、自作への言及もあります。つまり、物語が作品世界内でも流通している体で小説が進んでいくのです。このとき、物語は単に「本」という物質的な媒体に留まりません。読者と同じ物語を登場人物が読むことで、作品内と読者を繋ぐリアリティの根拠となっているのです。
 二次創作を考えるにあたってこの特徴は役立ちます。二次創作は、登場人物が本当にいるという前提で書かれているのは言うまでもありません。このリアリティを保証しているのが(2)です。ジューン・トムスンであるにも関わらず、他作品に言及している点で(1)を満たしていると言えるでしょう。

増殖する物語

 さらに二次創作を考察すると、作者と登場人物の転倒が見られます。通常、作者は絶対的な神のごとく小説の世界を世界を支配しています。これは「最後の事件」*4でシャーロック・ホームズがモリアーティ教授と戦って、転落した結末からも解るでしょう。
 しかし二次創作を生み出すとき、シャーロック・ホームズさえ登場させれば構わないので、もはやコナン・ドイルである必然性はどこにもなくなります。しかも作者が死んでも、ホームズ物語は生み出され続けるのです。
 ジューン・トムスンの二次創作で興味深い点は、下記の体裁のもと書かれていること。
 それらの記録〔ワトソン博士の未発表原稿〕は(中略)叔父からの遺贈された品なのである。叔父はホームズ聖典〔コナン・ドイルの原作〕をあまねく研究し、世に認められた専門家となった。
 その事実ゆえに叔父は〔ホームズ物語の〈語り手〉〕、ジョン・H・ワトスン博士の外戚と自称するミス・アデリーナ・マグホワーターの訪問を受けることとなった。窮乏状態にあったミス・マグホワーターは、彼女が相続したという、蓋に「元インド派遣軍所属、医学博士ジョン・H・ワトソン」とペンキで記された、がたがたのブリキ製の書類箱を叔父に売りたいと申しでた。(中略)
 自ら書き足した脚注とともに問題の文書をわたしに残してくれたのである。
この物語を編纂したのはオーブリー・B・ワトスンなのですが、叔父から、そして、ジョン・H・ワトスン博士の親戚からもらった品だといいます。つまり、相続を繰り返して発表されているのであり、これは物語が「書き写され」、語り継がれていることの現れだと言えるでしょう。
 また「推定される」とあるように真偽不明です。この点も他の二次創作と競合させないための、配慮なのかもしれません。

ウォーバトン大佐の狂気

 原典の『緋色の研究』ではアフガニスタンに軍医補佐として従軍したとき、負傷して本国に戻ってきたと書かれています。その後、ホームズとベイカー街でシェアハウスをし、結婚を機に開業。往診の帰りなどにホームズ宅を訪れる生活。
 ウォーバトン大佐とはアフガニスタン時代に知り合い、「もっともまともな人間」と評するほどの人物。狂気に取り憑かれたと奥さんから聞かされ、何か事件に巻き込まれたのではないかとホームズへ相談に行きます。自分の人物評だけでなく、手紙やギンバイカの枝などからも異常な自体に巻き込まれたのではないかと窺えるのでした。

狂気について

 さて、この「ウォーバトン大佐の狂気」は狂気を主題に扱っている以上、狂気について考えるのが常套手段だと言えましょう。狂気とは端的に言って、「定義する能力がないのを告白したまさにその時点において性急で僭越な確信をもって、狂人を認知できるとしたので」*5す。確かに正常とは多くの人と<同じ>であることで、その閾値からはみ出していることを異常と定義できるでしょう。しかし狂気、正気は精神の問題であり、内面の問題。内面が同じであるとどうしていえるのでしょう。内面が「違う」と認定された以上は、患者本人がいかに「正常」であったとしても、判定者である精神科医が「異常者」だと診断を下してしまえば、その時点で異常になるのです。

男女の転倒

 もう一つ。男女の転倒が挙げられるでしょう。今でこそ女性の大学教授も珍しくありませんが、ヴィクトリア朝は教養豊かな女性でも家庭教師が精一杯でした。つまり圧倒的に男性中心の社会だったのです。そのような舞台設定のもと、『ウォーバトン大佐の狂気』を読み解くと興味深いものが見えてくるように思います。
 ウォーバトン大佐が精神疾患を口実に幽閉され、それを助けに奥さんがワトスン医師のもとを訪れているのです。しかも、裕福な人を精神病患者に仕立て上げるよう、犯人は精神科医を唆しています。医師も軍人も男性のホモソーシャルだということを踏まえれば、「ウォーバトン大佐の狂気」は男性中心主義の否定を描いているとも解釈できるでしょう。

歴史

 「アドルトンの悲劇』は歴史を題材にした話。考古学者の父、ヘンリー・アドルトン教授が陶器の破片を送られてから、態度が急変したので調べて欲しいというもの。原作の小説も「マスグレーヴ家の儀式」*7で歴史を扱っていますが、殺人事件を追っていくと宝の暗号に行きつくという話。単に宝探しのきっかけに過ぎません。
 しかし、「アドルトンの悲劇」は考古学者の父に過去、何があったかに行き着きます。つまりヘンリー・アドルトンの歴史を追っているのです。歴史と(個人の)物語との結びつきは、決して大げさではありません。「history」も「story」も、ラテン語の「historia」に由来しており、語源的にも結びついているのです。
 そしてこのhistriaは探求の意味です。
歴史を表すhistoryという語は、historia(探究)というギリシア語に由来している。歴史が単に人間世界で生起する諸事件の連続や総和なのではなく、その諸事件の意味連関を探究する人間の作業でもあるということを、その語の由来が示している*6。
 奇しくも『緋色の研究』で、「人生の無色の綛糸のなかに、殺人という緋色の糸が一筋まじっている。そしてぼくらの務めというのは、その綛糸をときほぐし、分離して、すべてを白日のもとにさらけだすことにあるのさ」*8と述べているように、まさにシャーロック・ホームズの行為はhistriaであると言えるでしょう。

大衆の不思議

 推理小説が誕生した背景に、大衆の誕生が挙げられます*9。大衆の中に犯罪者はアイデンティティを埋没させることで、身を潜ませています。そして「探偵役」は被害者から犯罪の痕跡を探り、アイデンティティを再構築していくのです。
 「エイブラハムズ老人の恐怖」は一見すると、バカミスですが、このアイデンティティを軸に読むと、また違った読みが成り立ちます。
 ホームズの行きつけの骨董店が、ある日を境にシャッターを下ろしてしまいました。店主のエイブラハムズは、ひどく怯えている様子。理由を尋ねると、ガラクタが入った小箱を譲り受けたときから、人相の悪い男が出入りするようになったということ。命を狙われているのだと思い、店を閉めているのだと言います。エイブラハムズ老人のためにホームズは調査を引き受けるのですが、ガラクタは二重底になっており、中からは宝石が……。
 実はこの男は探偵で、盗品の宝石を取り戻すように依頼人から頼まれていたのです。前述の通り、大衆の中にアイデンティティを埋没させているのですが、「エイブラハムズ老人の恐怖」では個性的な外見ゆえにエイブラムス老人を怖がらせています。
 ここまでなら単に間抜けな探偵だと言えるでしょう。しかし、推理小説での探偵がどのような位置を占めているか考えれば「エイブラハムズ老人の恐怖」の特徴が際立ってきます。
 まず探偵役は真相を解明するのですから、推理小説の探偵役は作品世界に於いて特権的な振る舞いをしなければいけません。一方で「エイブラハムズ老人の恐怖」に従うなら、探偵は没個性的に振る舞わなければいけないのです。つまり、没個性的でありながら特権的に振る舞わなければいけません。しかし、この二つは明らか相反しており、探偵役の特徴を現していると言えるでしょう。

*1 モーリス・ルブラン『ルパン対ホームズ』(偕成社)
*2 M・W・ウェルマン、W・ウェルマン『シャーロック・ホームズの宇宙戦争』(東京創元社)
*3 コナン・ドイル『緋色の研究』(東京創元社)
*4 コナン・ドイル「最後の事件」(コナン・ドイル『シャーロック・ホームズの思い出』新潮社)
*5 ミシェル・フーコー『狂気の歴史』(新潮社)
*6 世界大百科事典「歴史
*7 コナン・ドイル「マスグレーヴ家の儀式」(コナン・ドイル『シャーロック・ホームズの思い出』新潮社)
*8 コナン・ドイル『緋色の研究』(東京創元社)
*9 ヴァルター・ベンヤミン『パサージュ論』(岩波書店)


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安部公房『第四間氷期』(新潮社)

第四間氷期 (新潮文庫)<

あらすじ

 「私」こと勝見博士はプログラマーである。ソ連製の人工知能、モスクワ1号が次々と予言を的中させていく様に触発され、彼も予言機械をプログラミングを始める。いざテスト段階に差し掛かって、政府から圧力がかかった。株価の予言、次期総裁選の行方など政治的な問題は禁止されたのだ。それなら、一個人の運命なら予言しても構わないだろうと解釈し、対象者を選ぶが……。

はじめに

 まず、小見出しの付け方が面白い。「序曲」、「プログラム・カードNo.1」、「プログラム・カードNo.2」「間奏曲」「ブループリント」。

プログラミング

 この作品はコンピュータ・プログラムが重要な意味を持ってくるのですが、一九五九年に書かれたことに脱帽しました。そして的確なプログラミングの知識。今でこそ人工知能が(時として過度な期待とともに)もてはやされていますが、人工知能も突き詰めればプログラミング。ただし自分でデータを取り込んで、性能を高めたり、膨大なデータを照合させたりできるようになってきただけです。
 本質的にはプログラム・カードNo.1の冒頭に述べられている通り、「考えることがはできるが、しかし問題を作り出すことはできない」のです。プログラム・カードはパンチカードのことで、「厚手の紙に穴を開けて、その位置や有無から情報を記録する記録媒体」*1。もちろん今は使われていませんが、2進数の基本的な原理としては変わらないと言っていいでしょう。
 したがって、下記の言葉は今なお通用します。
プログラミングというのは要するに質的な現実を、量的な現実に還元することだけの操作ですね。その量的現実を、もう一度質的現実に綜合するものでなければ、本当に未来を掴んだことにはなりません。分かりきったことですが、〔勝見〕先生はその点でひどく楽天的だった。観念的に未来を予測することには、強い関心をよせられたけど、現実の未来にはどうしても耐えることができなかった。
 量的現実とは人間が1人の死、質的現実とは例えば自分の死。コンピュータプログラムにとっては同じ一人の死ですが、当事者にとっては大きく意味が異なるでしょう。
 そして、これは多かれ少なかれ統計報道に於いても言えることではないでしょうか。例えば新型コロナ感染者が500人超えたと報じられていました。もちろんその数字も大事な情報ですが、『第四間氷期』の言葉を借りて言えば、量的な現実です。質的現実はもっと生々しい、肉薄した現実。そして量的な現実に重きを置いているような気がしてなりません。

第四間氷期

 次に第四間氷期の意味について。科学的な事実として、地球は氷期、間氷期、氷期、間期のサイクルで成り立っています。今まで第一間氷期、第二間氷期、第三間氷期ときて、後氷期と呼ばれていますが、もし、氷期が来れば現在は第四間氷期となります。
 そして『第四間氷期』では氷期が到来すると予言。水中への移住計画が秘密裡に進められています

未来とは何か

 未来とは何かを、安部公房が『第四間氷期』で書きたかったとあとがきで述べています。ウェルズの『タイムマシン』*2、『解放された世界』*3等は未来予知の典型で肯定的に捕えている一方、オーウェルの『一九八四年』*4等は未来を否定的に捕えています。しかし、安部公房はこの二つに対して異を唱えているのです。
 この理由について安部公房は下記の通り述べています。
はたして現在に、未来の価値を判断する資格があるかすこぶる疑問だったからである。なんらかの未来を否定する資格がないばかりか、肯定する資格もないと思ったからである。
 真の未来は、おそらく、その価値判断をこえた、断絶の向うに「もの」のように現れると思う。たとえば室町時代の人間がとつぜん生きかえって今日を見た場合、彼は現代を地獄だと思うだろうか? 極楽だと思うだろうか? どう思おうとはっきりしていることは、彼にはもはやどんな判断の資格も欠けているということだ。この場合、判断し裁いているのは、彼ではなくて、むしろこの現在なのである。
 そして、キーワードとして出てくるのが、日常の連続性です。
日常の連続感は未来を見た瞬間に死なななければいけないのである。未来を了解するためには、現実に生きるだけでは不充分なのだ。日常性というこのもっとも平凡な秩序こそ、もっとも大きな罪があることを、はっきりと自覚しなければならないのである。
 この『第四間氷期』が一九五九年発表だということを踏まえると、安部公房が意識していた「断絶」とは終戦だったと容易に推察できます。
 おそらく秩序があるということは可逆的だと錯覚をもたらすからではないでしょうか。室町時代と現代を比較するまでもありません。例えばコロナウィルスが蔓延する以前の生活様式に戻れるという希望を、日常の連続感で抱きます。しかし、アフターコロナと呼ばれるように、コロナウィルス蔓延以降は明らかな断絶があります。したがって日常の連続性ではなく、日常の不可逆性にこそ、あるいはそれにも関わらず日常が可逆的だと信じていることにこそ大きな罪があるのではないでしょうか。
 また価値判断を下すのは社会ではありません。個人です。つまり、室町時代の人間が現代へタイムスリップしたとしても価値判断は下せるのです。しかし、それは室町時代の、というよりは室町時代に生きた一個人の価値観が多分に反映されていることを忘れてはなりません。これは僕が他人に対してどのような感覚を持っているかと密接に関わってくるでしょう。有り体にいって、他人は他人、自分は自分と思っているのです。それゆえ、一人でいてもさほど精神的には苦になりません。もちろん質問を受ければ答えますし、雑談にも応じますが、ただそれだけ。
 また終戦とコロナには大きな違いがあります、終戦は一九四五年八月一五日十二時○○を境にした劇的な変化だったと推察できますが、コロナは漸進的な変化だという点です。

 さて、勝見博士は自分の作ったプログラムから脅迫を受け、最終的には死を予感させます。これにはまず自己分裂があげられるでしょう。例えば会社での「顔」、家庭での「顔」、地域社会での「顔」がそれぞれ異なっています。
 また、勝見博士は二つの価値観に揺れています。また海底植民地計画の推進派も一致していないと研究助手の頼木は語るのです。
 邪説でけっこう。ぼくらと〔政界の〕友安さんとでは、立場がかなりちがうらしいんだから……。そうなんですよ、先生、ぼくらは行動こそ共にすれ、思想的にはかならずしも一致しているわけじゃないのです。
 安部公房の小説には主体の消失*5などが描かれていますが、ここでは消失のみならず分裂も描かれているのです。
 それに加え、プログラム「私」は〈語り手〉の影として描かれています。影とは、ユング心理学の用語で、「自分自身について認めがたい部分、その人の人生において生きてこられなかった側面を表すものとされます」*6。「このおれ〔プログラム「私」〕は君〔プログラマー「私」〕の理性的投影なのだから(中略)意識せざる意志だったと言える」という台詞に最もよく現れていると言えるでしょう。確かに〈語り手〉は「私的未来を予言しようと」思っており、その点で言えば、願望の現れだと言えます。
 しかし、この願望とその影は〈語り手〉だけでしょうか。未来を見たいと願っても、結果が自分に都合の悪いものだったら、否定するのではないかと思います。


*1 Wikipedia「パンチカード
*2 ハーバード・ジョージ・ウェルズ「タイムマシン」(ハーバード・ジョージ・ウェルズ『タイムマシン 他九篇』(岩波書店)
*3 ハーバード・ジョージ・ウェルズ『解放された世界』(岩波書店)
*4 ジョージ・オーウェル『一九八四年』(早川書房)
*5 安部公房「赤い繭」(安部公房『』新潮社)
*6 「影」の話(東京大学 学生相談所)


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シャルル=エマニュエル・デュフルク『イスラーム治下のヨーロッパ』(藤原書店)

イスラーム治下のヨーロッパ―衝突と共存の歴史

概要

 イベリア半島、シチリアは中世までイスラム帝国の領土であり、もちろんキリスト教徒、ユダヤ教徒などが暮らしていた。キリスト教徒は肩身が狭かったかと言うと、ある時期から差別され始めたが、最初のころは寛容だった。共存共栄を保ち、彼らは政府高官などの要職にすら就いていたのである。

はじめに

 今、僕は同人関係でイスラム国家を舞台にした小説を頼まれています。その参考資料として借りてきました。

きっかけは何でも構わない

 また、イスラム統治下でも他の宗教に寛容だと知ったのは高校時代。Age of EnpireIIのエル・シッドシナリオでのことです。もちろんゲームなので、多少は脚色を加えているのでしょうが、興味を持つきっかけとしてはは一考に値すると思います。この影響で「エル・シードの歌」*1にも手を出しましたし。

本の第一印象

 非常に解りやすいです。歴史に限らず抽象的な話だとどうしても解りにくなるのですが、具体的なエピソードなどが随所に紹介されていました。また、冒頭に問題意識も提示されており、これも読みやすい理由でしょう。
 キリスト教徒とムスリムの五○○年以上にわたる、この奇妙で複雑な共存が時の移ろいとともに、どのように実現され、また、どのようにアラブの血が世代を経るたびに、地元民の血で薄められていったのか。本書で明らかにしたいのは、この点なのである。
 確かに「ヨーロッパ文明はイスラーム文明から多くの養分を吸収してい」きました。シャルル=エマニュエル・デュフルクはイブン=ルシュドを例示していますが、イスラーム世界がアリストテレスやユークリッドを保存していたおかげで、古代ギリシア哲学に触れられると言っても過言ではありません。神学者のトマス・アクィナスはイブン=ルシュドの注釈書を使って、アリストテレスを学んでいたほど*2。
 またイスラームでは英語でアルゼブラというように代数学が発展しました。他にも錬金術のアルケミストから化学の「ケミストリー」という英語が派生しました*4

西ゴート時代

 イスラムに征服される以前は、西ゴート王国がイベリア半島を支配していました。イスラムの征服にはユダヤ人明人の協力があったのですが、西ゴート王国で冷遇されていたのです*5。宗教上の理由もあったのでしょうけど、職業の違いが大きかったようで、西ゴート族は農耕中心の生活者で商人たちを見下していました。そのような彼らにとって商人たちが何もしていないように映ったのも無理もありません。

南仏

 また、『イスラーム治下のヨーロッパ』でも触れられていますが、フランス北部は陥落していません。七二〇年以前からスペイン国境沿いのナルボンヌに攻撃を仕掛けており、七二五年、南部のカルカソンヌを陥落させています。
 マルセイユも同じ運命にあった。八三七年、アラブ人は同市に上陸し、蹂躙した。市壁外にあったサン・ヴィクトワール大聖堂を破壊し、多数のマルセイユ人を捕虜にした。
 このようにイスラム帝国はイベリア半島だけでなくフランスにも侵略していたのです。そして教会がいつも狙われました。もちろん信仰上の理由もあるでしょうが、「そこ〔=教会〕に金・銀の崇拝物、ときには象嵌された貴石や豪華な織物があることを知っていたのである」と記しているように略奪目当てだったと言います。
 フランス北部への侵攻を止めた理由について、トゥール・ポワティエの戦いに負けたこともありましょう。しかし、余力が充分にあったとし、フランスの気候がアラブ人に合わなかったのではないかとW. B. ワットは分析しています*6。

消耗戦

 またトレムセンの歴史家を引きながら、下記のように述べています。
 「アッラーは不信心者との間に大きい恐怖の年を巻き起こしたので、彼らは征服者に敢えて挑もうとはせず、ひたすら和平を請うのである」、と。実際、ムスリムはイスラームの教えに則り、(中略)武器で歯向かわない人びとの命と財産は保障したのである。
 この記述を読む限りでイスラム帝国への恐怖心が戦意を喪失させ、降伏し、イスラム帝国はそれを人道的に受け入れたと解釈できますし、一面を捉えているかもしれません。しかし、トレムセンは北アフリカの都市。伝統的にイスラム教徒が多ければ、イスラム帝国に有利な表現をしている可能性はあります。
 したがって割り引いて考えなければいけませんが、キリスト教側の文献にも戦いの様子が描かれています。「アラブはしばしば道端に潜んでは、ヨーロッパ人を待ち伏せする」とあるように奇襲作戦を仕掛けていたようです。
 これらの脅威に対し、当初は「休戦協定を締結し、(中略)一定額の年貢を現金と作物で支払うことを約束し」ていました。これはイスラム帝国にとっても、兵力の消耗を割けられる点で利があったのでしょう。このような休戦条約は共存の第一段階でした。しかし、協定期間が終わるとイスラム帝国は「貢納金をつり上げるか(中略)譲渡させ」ていました。
 このイスラム世界、つまりダール・アル・イスラームの拡張を目的としていたのです。

寛容の時代

 戦闘中は厳しく対応していましたが、前述の通り、一旦支配下に置いてしまえば信仰の自由が保証されていました。

信仰の自由

 どうしてイスラム教は厳格な一神論なのに、キリスト教やユダヤ教と競合しなかったのでしょうか。理由の一つにはコーランの中にイエスがイーサーという名で出てくる通り、またユダヤ教の創世記などに言及している通り、いくつかの伝承を引き継いでいるからです。それゆえ、「啓典の民」と見なしていました*4。
 イスラームは多神論的な偶像崇拝を弾圧する一方、唯一神から啓示を受けたムーサー(モーセ)の共同体(ユダヤ教徒)やイーサー(イエス)の共同体(キリスト教徒)をいずれも「啓典の民」と呼んで信仰の自由を保証していたのである。
 事実、彼らはジンミー(Dhimmī)と呼ばれ、保護されていました。このジンミーは訳語が定着しておらず、庇護民、被保護民などと呼ばれます。しかし、キリスト教の教義を無条件に受け入れていたわけではありません。「イエスを神のひとり、神、あるいは神の息子とすることによってその人格を歪めるという大きな過ちを犯している」と考えています。つまり、イスラム教の解釈に従えば、イエス・キリストは神の子ではなく預言者の一人にすぎません。
 イスラーム統治下のイベリア半島にいたキリスト教徒をモサラベと呼びますが、彼らもジンミーの一種と言えるでしょう。そしてイスラム帝国はジンミーから人頭税を取り立てて、税金としていました。これも迫害しなかった要因です。つまり、ジンミーを迫害すればイスラム教へ改宗し、税収が減るのです。事実、節税のためにイスラム教徒へ改宗する人も一定数、いたのですが、説得して思い留まらせていました*5。

統治の方法

 最初、貨幣にはアラビア語とラテン語でコーランの文句が刻まれていました。この貨幣とともにコーランの文句を広めるのは実に効果的。貨幣は生活必需品であり、多くの人が目にします。しかも二つの言語と併記することで、アラビア語、アラビア文字にも馴染み深くなるでしょう。しかし時代がくだるに連れ、アラビア語だけになっていきます。
 また、支配地域の都市も効率的に設計されていました。
 城や城塞都市を建造し、城砦のまわりに街を建設することによって実現した。これらは軍隊の拠点となって地元民を監視し、交通の要衝を支配する目的を持っていた。
 さらに連帯責任とも呼べる制度を取っていました。「『庇護』共同体の中の一人でもムスリムに害を加えることになれば共同体全体が保護される権利を自動的に喪失するものとみなされ」ていたのです。この相互監視は為政者に好都合で、日本でも五人組の制度が用いられていました*7。
 これ以外でもイスラム帝国の領土で内乱などでも引き割かれました。例えばトレドは七一三年に反乱を起こしたため、庇護市ではなくなりまた。自治権を奪われたのです。
 逆に反乱を起こさなければ自由な自治権が与えられていました。例えば前述のカルソンヌです。
 同市〔有沢注:カルソンヌ〕は七二五年にムスリムに包囲され、降伏して市領域の半分を勝利者に譲渡し、毎年貢納金を納めることを約束し、ダール・アル・イスラームと同盟関係を結んだ。それでも同市の伯はキリスト教徒の領主であり続けることができた。
 伯爵などの領主は同市内の家長によって「選出」され、イスラム帝国から承認を得る形だったのです。
 イスラム帝国ではキリスト教徒の支配者属に自治を認める代わりに、貢納金を収めさせていました。つまり持ちつ持たれつだったのです。この関係性を強化し、彼らを囲い込むべく、階級制度は壊しませんでした。時には強化することさえあったようで、新しい役職と権限を与えていました。例えばアンセムンド伯は新たな役職を与えられ、多数の都市の領主も管理しています。

アラブ化するキリスト教徒

 このような状況だとキリスト教徒にもかかわらず、アラブの風習を学ぶようになります。
 例えば言語。征服当時、地元民はアラビア語を学ぶことへ抵抗があったのですが、支配階級の言葉で公用語。学ばざるを得なかったのです。これに加え、学問の中心地はアラビア語でした。例えば、キンディー等。今の英語と同様、当時はアラビア語が読めないと、学問ができなかったのです。したがって教養人はアラビア語で文学作品を書くこともありました。アラブ人よりも完璧にアラブ詩を書いていると評価されていたほどです。
 一方、ラテン語など地元民も消滅したわけではありません。生き残っており、イスラーム支配下のヨーロッパを知る上で手がかりとなっています。例えばラテン語が全く書けないのに、アラビア語は上手になっているなどの嘆きの言葉。
 もちろん言語だけではありません。風習なども取り入れていきます。例えば寄付の制度。もちろん寄付自体はキリスト教にもあったのですが、イスラムの「ハブス」という寄付制度を取り入れます。これは慈善団体に収益を寄付することで共同体を救おうというもの。目的を決め、資産を共同体に寄付すると、譲渡不可能になる制度なのです。
 キリスト教徒もこの制度を取り入れ、教会や修道院に寄付しました。しかしこれにはイスラム教徒に資産を使われたくないと思っていた節もあるのです。
 キリスト教の風習がイスラム化していくに従って、イスラムの風習もキリスト教の影響をうけていきました。例えば聖ヨハネ祭に関して下記の記述が見られます。
 聖ヨハネ祭のあまりの輝かしさに、ムスリムたちも一緒に楽しんだ。玄関をタピストリーと飾りで覆ったキリスト教徒の家いえはとても美しく、ムスリムたちは物珍しげによってきては称賛する。キリスト教徒は祭りの期間中、好んでムスリムの友人たちに内祝いをしたのだった。彼らを気安く食事やおやつにも招待した。
 この結果、同胞意識に溢れていたといいます。
 また、イスラム統治下のキリスト教徒の中には権力の中枢に身を置くものもいました。

差別のきっかけ

 しかし、このような関係は段々と崩れていきます。アラブの文化をキリスト教徒が蚕食していったのです。例えば、布教を禁じていたにもかかわらずイスラムの王女がキリスト教に改宗しています。後年、特に十三世紀にキリスト教国がイベリア半島の奪還に乗り出し、レコンキスタが始まると、改宗者が続出します。
 キリスト教への改宗が進むと、キリスト教徒は特定の地域にしか住めないようになりました。これをアラバールと言います。またキリスト教徒だと外見上、解るようにしなければなりませんでした。類似の政策は、第二次大戦にナチスドイツのゲットー*8にも見られます。
 またムスリムは「ユダヤ人にもキリスト教徒にも、つねに『他人行儀に振る舞う』ことが求められ」ました。他にもシチリアではアラブ風の名前を名乗れなくなります。
 アラバールは必ず低い位置か平野にありました。これは守りにくく、攻めやすいからです。つまり単に文化の汚染だけでなく、反乱をも恐れていたことが解るでしょう。
 この結果、危険を感じて、イベリア半島の農村部ではキリスト教徒が都市部に移動しました。しかしその入れ替わりに、イスラム教徒へ改宗した人が農村部へと人口移動します。

奴隷について

 さて、奴隷と言えば教育を受けていないと思われがちですし、アメリカの黒人奴隷や農奴はそうでした。しかし、イスラム帝国の奴隷たちは「奴隷の学校」に通って(通わされて?)いました。
 「商品」のキャッチコピーが残っています。「教養を積み、学識ゆえに魅力的で、音楽、哲学(中略)解剖学などに通暁し(中略)天候を予測できます」。もちろん誇大広告の可能性も検討しなければいけませんが、どのような奴隷を望んでいたかは窺い知ることができます。
 すなわちイスラム帝国の奴隷は、アメリカの黒人奴隷とは異なり農作業の「道具」ではなかったのです。むしろ歩くアクセサリー。
 また購買層もイスラム帝国の場合は貴族が主に買い求めていました。女性の場合は当然、性的快楽の道具でもあったわけですが、子供が生まれると奴隷は解放され、市民権を与えられました。「自由人ムスリムの母親が奴隷であってはならない」というのがその理由。どんなに低い身分の奴隷であっても、〔ムスリムの〕主人の母親という資格で解放され」ていたのです。
 これはムスリムの教えも関係しているかもしれません。イスラム世界では「奴隷を解放することは最後の審判の後、天国に迎えられるために望ましい善行とみなされていたので非常に積極的に行われた」*9のです。

*1 『エル・シードの歌』(岩波書店)
*2 山本芳久 『トマス・アクィナス』(岩波書店)
*3 アイザック・アシモフ『化学の歴史』(筑摩書房)
*4 芝修身・芝紘子「訳者解説」(シャルル=エマニュエル・デュフルク『イスラーム治下のヨーロッパ』藤原書店)
*5 W. B. ワット『イスラーム・スペイン史』(岩波書店)
*6 同文献
*7 Wikipedia「五人組(日本史)
*8 Wikipedia「ゲットー
*9 Wikipedia「解放奴隷



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