有沢翔治の読書日記

 同人小説家、有沢翔治のブログ。  いいものを書くためにはいいものを、幅広く。

【こんな小説を書いてます】

二人であることの問い

 双子の姉、亜衣の様子がおかしい。何かあったのではないかと真衣から萌は相談を受ける。やがて亜衣の部屋からバタフライナイフを買った痕跡が見つかり……。亜衣は何を考えているのか?

ベンジャミン・フランクリン『フランクリン自伝』(岩波文庫)

フランクリン自伝 (岩波文庫)

概要

 印刷業者から身を立て、やがて政治家となり、科学者として足跡を残したベンジャミン・フランクリン。アメリカ資本主義精神の育ての親とまで呼ばれている。彼はいかにして幅広い分野で活躍できたのかがここに記されている。
 アメリカのロングセラー本。

少年時代

 ベンジャミン・フランクリンの父親は、蝋燭・石鹸の製造と染物を商っていました。本業は蝋燭・石鹸の製造でしたが、需要が少なく、副業で染物をしていたのです。
 フランクリンは十歳の頃から本業を手伝っていました。いや、嫌いだったらしいですので、手伝わされていたと言ったほうが正確かもしれません。

公共的な企業精神

 フランクリンの企業精神につながるエピソードとして下記の通り語っています。
 水車池と一ヶ所に接して塩沢があって、潮が差してくると、私たちはその岸へ行って小魚を取りに行ったものだが、始終踏み歩いている中にそこらがまるで泥沼のようになってしまった。そこで私は足場に都合のいいお台場を創ろうじゃないかと言い出して、山のように積んであった石材を仲間の者へ指し示した。それは沼の傍に家を新築するための石だったのだが、わたしの目的に誂え向きのように思えた。(中略)とうとう全部運んでしまって、小さなお台場が出来上った。
 結局、父親に叱られたのですが、「小さい時から私には公共的な企業精神があった」、つまり小さな頃から皆のために人の上に立っていた、とフランクリンは回想しています。
 しかし、フランクリンの自己分析通り、幼少期の性格がフランクリンの成功につながったかどうか、僕は疑わしく思っています。
 フランクリンは自伝の中で方法とともに性格を変えたと綴ってるのですが、このことからも解るように性格は変わるもの。
 もう一つの論拠は、幼少期の性格と後世の業績とはあまり当てになりません。多かれ少なかれ、フランクリンのようなエピソードは経験したことがあるのではないでしょうか。しかし、このような体験をしているからと言って、全員、フランクリンのようにはなりません。特に自伝を読む上で気を付けなければいけないことは無意識にせよ、エピソードを成功と結びつけがちなところにあると思います。

父親

 フランクリンが成功を収めた秘訣は二つあると、読んでいて思いました。一つは「食事の時にはできるだけしばしば賢い友だちや近所の人を話相手に招くことを好み、そしていつも子供たちの心を高めるに役立つような気のきいた、または有益な話題を持ち出すように気をつけた」という父親の教育。
 一方、「食事の上手下手、味の良し悪し、季節のものであるか(中略)を問題にすることはほとんどなかった」そうです。おそらく日本人だからでしょうか。特に今が旬か否かは大事な食育で、むしろ問題なのは楽しもうとしないこと。「〔旅行に行った時、〕連れの連中は、私とちがって食物のことをやかましく言うように育てられて味覚も食欲も大いに奢っている」とあります。これは難癖をつけるだけで、具体的な解決策を考えないので不平不満が出るのでしょう。
 楽しみ方は人それぞれなのでなんとも言えませんが、たとえ、下手な料理が出たとしても何故まずいのかを分析し、道中に解決策を話し合い、帰国後、実際に試行錯誤を重ねて作ってみましょう。あるいは料理のまずさを正確に文章にしようものなら、逆説的ですが、まずさを味わわなくてはいけません。
 料理ができないので偉そうなことは言えないのですが、本を読んでいて自分とは違った表現に出会うことがあります。結局、文芸書では善悪の基準を自分の価値観、文体、語彙に合うか合わないかで決めがち。
 そしてこれは料理でも言えることでしょう。つまり自分たちの感覚に合ったものを善い、合わないものを悪い、と判断しているに過ぎないのです。

読書

 もう一つ、成功の鍵は「幼い時から本が好きで、わずかながら手にする金はみんな本代に使った」とあるように、本が好きだったことが挙げられるでしょう。バニャン、デフォー等の小説、ロック等の哲学、歴史……実に幅広く本を読んでいると解ります。もちろん本好きだからと言って必ずしも成功者になれるわけではありませんが、フランクリンの場合、本好きが成功の一助を担っていることは間違いありません
 父親が印刷屋になったらどうかと勧めるのです。この頃すでに、フランクリンの兄が印刷屋を始めており、そこで働き始めます。少年時代によくあるのですが、詩も何本か発表。しかし兄と折り合いが悪くなり、決裂。フランクリンによると、「兄は(中略)ほかの印刷屋に口が見つからぬようにしてやろうと、町中の印刷屋を廻って歩いて、一々主人に話したものだから、誰も私を雇おうと言ってくれるものはいなかった」とあります。フランクリンはどこでこの情報を仕入れたのでしょうか。
 このようなことを考えれば雇ってくれないのを兄のせいにしている可能性もありうるでしょう。ともあれ、フランクリンはフィラデルフィアで印刷屋を開業するのです。そしてこの印刷屋は繁盛し、官報、議事録なども引き受けるようになりました。
 前の発注先は「不手際で誤植だらけ」だったのですが、「きれいに、正確に印刷し直して、各議員に一部ずつ配った」のです。ここでもフランクリンの読書量が生かされたのでしょう。手書き文字を判別するには、その言葉を知らなくてはいけません。つまり語彙力が必要なのです。

政治家として

 その後、フランクリンは州の初期になります。独立戦争の時代ですが、人生の大半は植民地時代であり、その様子が窺えるでしょう。
 これは訳注も参考になります。例えば州知事は当然、大英帝国から送られてくるのですが、「英国王直属のもの、国王の許可を得て自ら知事を選んだもの、土地の下付を受けた領主の派遣する知事を戴いたもの」の三種類がありました。

シャントー

 また一七二七年、フランクリンは友人たちとシャントーというクラブを作ります。倫理・政治ないしは自然科学についての論文を書き、討議するのですが、「議論のために議論するとか、相手を打ち負かすために議論するのではなしに、真理探求という真面目な精神で行うこと」を目的として結成されました*1。
 数学者のことを「何にでも普遍的な正確さを要求し、(中略)みんなが話を進めるのにうるさくて仕方なかった」と否定的に書いています。しかし「真理探求」を普遍的な正確さと考えた場合、この態度は極めて真摯だと言えましょう。
 また、会員の蔵書を一ヶ所に集め、索引化。この発案は管理上の問題から一年半で頓挫するのですが、構想は組合図書館に発展していきます。会費を払えば図書館の本を借りることができるというもの。この図書館に触発され、アメリカ全土に組合図書館が作られました。さらには独立戦争の遠因を作ったと自負しています。
 月次になりますが、一回では諦めず、失敗から何を学ぶかでしょう。

人の動かし方

 さて、自分に好意を持っていない相手をどう動かすかも、フランクリンは述べています。
他人の敵意のある行為は恨んでこれに返報し、敵対行為をつづけるよりも、考え深くそれをとりのけるようにしたほうがずっと得なのである。
 本を貸してくれるように手紙を書いたことを取り上げて、この説の論拠としています。もちろん国民性、時代の違いもあるでしょう。フランクリンの方法は理想ですが、現代日本で通じるのか果たして疑問です。手紙を書いたところで、体よく断られるのが関の山ではないでしょうか。
 しかし上述の文章は言葉を少し変えれば、現代日本でも十分通用します。つまり、自分の敵意に読み替えて、その敵意はどこから来るのかを探れば、大半は幻だと気付くでしょう。バカにされたと思っていても、もしかしたら相手にそのような意図はなく、自分がバカにされたくない、と過剰に思っていることの現れなのではないか、など。このことに気が付けばどうして過剰反応するのかを丁寧に分析していけば、恨むことはなくなり、その時間を有意義に過ごすことができます。つまり、ずっと得なのです。

科学者として

 さて、フランクリンは雷が電気だと突き止めたことでも有名で、学研のマンガにも載っていました。しかしこれは、誤って伝えられたのではないかと『フランクリン自伝』を読んで、思いました。
 まず前提として、この実験はフランクリン自身のもとへ雷が直撃するので、下手すると命を落としかねません。このような危険な実験に成功したのであれば、誰かに話したくなります。フランクリン自身も冒頭で認めているように、自伝を書くのは自惚れを満足させるため。それなら科学者としての大発見を書いていてもおかしくありません。
 それなのに『フランクリン自伝』には全く書かれていないのです。他の手柄話は書いてあるのに。
 しかし、「実験器具を買い取って、電気に関する実験を熱心に進めて行った」とあるように。フランクリンが自然科学、特に電気学の実験をしていたのは事実です。
 このような好奇心を考えると、組合図書館の他にも消防団を設置しているのですが、社会実験の一環と捉えることもできそうですね。

*1 イギリスでも好奇心を持った人の集まりが、学会の前身となっている(Wikipedia「王立協会」)。



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キケロー『キケロー書簡集』(岩波書店)

キケロー書簡集 (岩波文庫)

概要

 古代ローマの弁論家、政治家のキケロが家族、同僚などへ宛てた手紙を、時系列に沿って配列したもの。娘の死などキケロのプライベートはもちろん、カエサルへの接近、反乱、独裁制への失望、暗殺直後の混乱……
 これらの出来事を中心に『内乱記』前後のローマ国内が窺い知れる。

この本を読んだ経緯

 僕は作家の私生活に基本的に興味がありません。また読むとしたら、下記の三つに分けられるかもしれません。
(1)変な私生活……野口英世の借金*1、ルソーの性癖など*2。
(2)思想と人生が直結する時……夏目漱石の神経衰弱と『吾輩は猫である』
(3)分析の下敷きとなっている時……ジャック・デリダ『グラマトロジーについて』*3とルソー『告白の関係。
 しかし以前から、登場人物を作り込むために、自伝・評伝を読まなくてはいけないとは思っていました。そんな中、ツイッターでキケローの書簡集が話題になったのです。

編集・選択の妙

 さて、この書簡集を読むだけでもキケローがカエサルに複雑な感情を抱いていたと解ります。邪道かもしれませんが、ところどころ穴の空いた書簡体小説のような印象を持ちました。
 判読不能、詳細不明な箇所があることはもちろん、この本に収録されていないだけで、書簡はたくさん残されています。キケロだけでなく、関係者全員の膨大な書簡が。しかし、この一冊にまとめ上げることはできません。「穴の空いた書簡体小説」 と評したのはこのような理由があります。
 また訳注も時代背景が丁寧に解説されていました。これはキケローの筆や、訳者の質よりは編集の腕が高いのでしょう。

カエサルとの関係

 キケローは共和制を支持していたわけでも、君主制を支持していたわけでもありません。優柔不断な印象を僕は持っており、これは今でも変わりません。

カエサル支持

最初、キケロは書簡に「自分はカエサルの法を支持するが、それを実現に持っていくまでの手続きはカエサル自身がすべきことだ」と書いています。
 カエサルの法とは農地法のこと。農地を持たない兵士に、公有地を分け与える法律を強引に可決させました*4。他にも日報を作り、毎日壁に張るよう指示します*5。
 この裏ではカエサル、ポンペイウス、クラッススが政治的な主導権を握っており*6、キケロは不満を抱いていたことが記されています*7。もちろんカエサルたちは元老院に対抗するという目的がありました。
 このような中、カエサルはキケローを好条件で属州ガッリアの副官に招いています。しかも、この副官、カエサルが特別に提示したのではありませんが、「安全性が高く(中略)、ローマにいることができる」としています。キケロにとっては願ってもない話なのですが、「自己嫌悪」を感じていると綴っています。
 しかし、国政のことについては、これ以上書きたくない。私は自己嫌悪に陥っており、書くのにひどい苦痛を感じる。
 このころ、カエサルたちは強引に政策を進めていたようで、自分の農地法に従うよう強制しています。キケロはこれを圧政と評しているのですが、独裁的なカエサルたちに従いたくはなかったのでしょう。

カエサルの暗殺

 さて、カエサルは暗殺されるのですが、混乱についても記録しています。
 われわれがいかなる状況にあるのか、認識しておいてくれたまえ。(中略)昨日の夕方、私のもとにヒルティウスがおり、アントーニウスの意向がどうなのかを教えてくれた。言うまでもない。最悪で不誠実極まる。自分は私に属州を与えることはできないし、われわれの誰かが首都に安全にいられるか、判断がつかない、と。加えて兵士と民衆が激昂している、とすら言った。
 カエサルの死後、このアントニーウスたちが政権を引き継ぎ、アントニーウス、オクタウィアヌス、レピドゥスとともに第二回三頭政治の一人になります。しかしアントニーウスも職権を乱用し、キケローと対立します。また暗殺者自信にも明確なビジョンはありませんでした*8。

キケローの教養

 さて、この『キケロー書簡集』からはキケローの教養が伺えます。キケローは『弁論家について』*9でギリシャ人弁論家、イソクラテスをプラトンとアリストテレスの系譜に位置づけて論じています*10。このようにギリシア哲学の教養があったと言えましょう。
 書簡集でも、エンニウス「年代記」はもちろん、ヘラクレイトスの原文を引用しています。今でこそ哲学と言えば、片隅に追い遣られているのですが、当時は哲学が中心でした。政敵、スッラの手を逃れるために、ギリシアへ「転地療養」に向かいます。そこでギリシア哲学を学びました*11。
 このころギリシアは政治的に混乱こそしていましたが、まだまだ哲学が栄えていました。例えばプルタルコスはギリシアとローマの英雄を比較しました。この原文をたどるにはギリシア語が必要なのはいうまでもありません。
 またフィロンはユダヤ人の哲学者ですが、ギリシア哲学の影響を受けています*12。その後も実にAD5世紀ごろまでギリシア人が学問を牽引し続けました13。つまり、最先端の知識に触れるには当時、ギリシア語が必要だったのです。

*1 渡辺淳一『遠き落日(上)』(集英社)
*2 ジャン=ジャック・ルソー『告白(上)』(岩波書店)
*3 ジャック・デリダ『グラマトロジーについて』(下)(現代思潮新社)
*4 長谷川博隆『カエサル』(講談社学術文庫)
*5 モンタネッリ『ローマの歴史』中公公論新社
*6 Wikipedia「三頭政治」第一回三頭政治
*7 「59年4月書簡 キケローよりアッティクスへ」の訳注(8)(キケロー『キケロー書簡集』岩波書店)
*8 高橋宏幸「解説」(キケロー『キケロー書簡集』岩波書店)
*9 キケロー『弁論家について(上)』(岩波書店)
*10 アリストテレスは弁論術について書いている(アリストテレス『弁論術』岩波書店)。
*11 山本光雄『ギリシア・ローマ哲学者物語』(角川書店)
*12 Wikipedia「アレクサンドリアのフィロン
*13 Wikipedia「プロクロス

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ウィリアム・バトラー・ イエイツ『ケルト幻想物語』(筑摩書房)

ケルト幻想物語 (ちくま文庫)

あらすじ

 ケルト民族はかつてはフランスなど広範囲に居住していたが、段々とイギリス、アイルランドへと追い遣られていった。
 妖精の物語などケルトに伝わる伝説を、ノーベル文学賞受賞者のアイルランド詩人、イエイツが聞き取り調査。それを『ケルト幻想物語』は選択して、収録したものである。

神話と科学

 民話なので、木の扉が話したり、食べ物が生命を持ったり色々現実離れしています。
 このような面を考えれば、一見すると科学と似ても似つかないでしょう。しかし、この二つには密接な共通点があります。法律はどうしてあるのか、世界はどのようにできたのか*1、死んだらどうなるのか、これらを神話も科学も説明しようとしているのです。例えばどうして豊かな作物が穣るのか。金の林檎を植えると「この木はこの地方全体の穀物や果実の、あふれるほどの豊かさの原因となり、その結果、この果実の持っている不思議な魔力によって(中略)肥沃で豊かな土地となった」と語られています。他にも地震はどうして起こるのかなど。もちろんあくまでも伝承ですが、素朴な疑問への回答という点では科学とも通底しているでしょう。
 また、湖の底はどうなっているのか好奇心は今も昔も変わりません。しかし、海底現代とは違い、探査ができないので、想像で補うしかなかったのです。
 その結果、「湖の底には美しく素晴らしい都があって、立派な人々がキリスト教徒とまったく同じように暮らしている」という神話が生まれたのでしょう。
 また先人の智慧もあります。例えば、ケルト神話では死ぬと蝶になるとされています。
集まった学生たちは、その生きものを見ると、それが魂であることが誰にも分かった。(中略)そしてこの生き物こそ、アイルランドに初めて現れた蝶であった。蝶が死んだものの魂であることは今や誰もが知っている。
これは蝶がどうしているかだけではなく、身近な人を喪った時の慰めになるかもしれません。今日的にはグリーフケアに繋がりますが*2、とりわけ、医療技術が未発達で、今よりも死が身近だったでしょう。
 例えば、「オウニーとオウニー・ナ・ピーク」は金銭トラブルから従兄弟の目玉を潰す話です。ケルト神話に限らず*3、神話や童話で残酷な場面が多いのは、死や大怪我が身近だったからかもしれません。

各地の伝承と混ざり合って

 さて、もう一つ重要な点は、異なる二つの神話が混ざり合うことです。例えばケルト神話にはエジプト神話の影響が見られると言います*4。
 中には道具や食べ物でかなり具体的に年代が特定できる話もあります。例えば「悪魔との賭け」では、じゃがいもが登場しますが、じゃがいもはもともと南米産。16世紀から17世紀にかけて、ヨーロッパに伝わります。
 しかし「悪魔との賭け」自体がこの時期以降にできたかと聞かれれば、一概に肯定できません。もともと麦などの一般的な作物だったのが、途中からじゃがいもに変わっていった可能性もあるのです。
 また、ケルトの土着信仰はドルイド教ですが、ローマ帝国に弾圧されました*5。この結果、ドルイド教は衰退しキリスト教文化の影響を受けたのです。『ケルト幻想物語』の話は多く、キリスト教に関係しています。
 だからといって、ドルイド教は完全に途絶えたわけではありません。中世文学の中にも現れていますし、今でもドルイド教は続いています*6。

ケルト神話の特徴

 さて、ケルト文化はドルイド教の他にウィッカーマン*7、アーサー王伝説が挙げられます。ガイ・リッチー、アントワーン・フークアが映画化しており、日本での知名度も高いのではないかと思います。
 また、アーサー王伝説を知らなくても、エクスカリバーの名前はRPGでも登場し、これはケルト神話に由来*8しています。

 また馬を神聖視しているのも特徴的*9で、『ケルト幻想物語』にも馬が特別な動物として登場していました。「巨人の階段」ではロビンが夢の中で白馬に蹴られ、その傷跡が後々大事な役割を果たしていきます。

妖精

 さて、イエイツは妖精をケルト神話の特徴として挙げています。ゲルマン神話にもエルフが登場するのですが、ケルト神話の妖精は人間をさらいます。さらわれると「人目を避けるようになり、静かなところをひとりさ迷うのを好むようになる」と言います。その代わり特別な感性を授かるようで、「大詩人になったり、音楽家になったり」するそうです。
 子供が妖精にさらわれるという伝承があり*10、イエイツの代表作「さらわれた子供」*11はこの伝承を下敷きにしているのでしょうか。
 現実的な解釈をすれば、おそらく空想にふけっているうちに、森で迷子になったのかもしれません。
 また、日本にも神隠しの伝承が伝わっており*12、これと比較しても面白いでしょう。

ケルト文化への危機感

 さて、ケルト神話を聞き書きした理由について、イエイツは下記の通り語っています*13。
 未開人の方がわたしたちよりも、神秘的な力をはっきり生き生きと、(中略)感得していたことは確かである。ものごとを受けとって考える生活を、遮断し駄目にする都会生活や、他から離れ、孤立して動く心を助長させる教育は、わたしたちの魂の感覚を鈍らせている。
 このように現代文明と対比させたのですが、前述の通り、ケルト文化は存続の危機にさらされてきました。
 おそらく、ケルト神話を文字として残し、後世へ永遠に残したかったのかもしれません。

*1 世界の成り立ちについての神話はローラシア型神話群に特徴的な要素である。(Wikipedia「比較神話学」)なお、ケルト神話は地理的に見て、ローラシア型に含まれると思われる。
*2 グリーフケアとは(日本グリーフケア協会
*3 他にもグリム童話の「灰かぶり」は意地悪の報復として目玉をくり抜かれる(グリム『完訳グリム童話(一)』岩波書店)
*4 フランク・ディレイニー『ケルトの神話・伝説』(創元社)
*5 ドルイドって何? 古代ケルト、謎の社会階級(ナショナルジオグラフィック日本語版)
*6 同文献。
*7 Wikipedia「ウィッカーマン
*8 性格には「エクスカリバー」の名前は英語の音写が定着したもの。ケルト神話にはカレドヴルッフの名で登場し、これが古代フランス語などを経て、「エクスカリバー」と呼ばれるに至った。(Wikipedia「エクスカリバー」)。したがって、ケルト神話の件ではなく、ケルト神話由来の剣と表記した。
*9 アイルランドの作家、ジョナサン・スウィフトの代表作として、「ガリヴァー旅行記」が挙げられる。この小説には知性を持つフウイヌムという馬が登場するが、これもケルト文化の影響だろう(ジョナサン・スウィフト『ガリヴァ旅行記』新潮社)
*10 イエイツ[編]『妖精にさらわれた男の子』(岩波書店)
*11 イエイツ『対訳 イエイツ詩集』(岩波書店)
*12 柳田国男「遠野物語」(柳田国男『遠野物語・山の人生』岩波書店)
*13 井村君江「文庫版訳者あとがき」(イエイツ『ケルト幻想物語』筑摩書房)



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遠藤武文『サブマージ』(角川書店)

サブマージ 県警捜査一課・城取圭輔 (角川文庫)

あらすじ

 警部補、城取圭輔は刑事部長から代議士の柳平の身辺調査を依頼される。秘書が二人とも立て続けに死亡しているのだ。スキューバダイビングに溺死したらしい。しかし、秘書の実家に謎の手紙が送られてきていた。さらに葬式には正体不明の女性が来ていたという……。

サブマージの意味

 サブマージはsubmergeと綴り、「沈没させる」、「〔感情・秘密などを〕見えなくする」という意味です*1。おそらく、沈没すると、見えなくなることから同じ言葉なのではないでしょうか。
 このように英語のタイトルを付けると人目を引く反面、読者に不親切だという欠点が指摘できます。しかしこの「submerge」は下記のダブルミーニングになっているのです。
(1)証拠品、ビデオカメラの「沈没」
(2)犯人が見えなくなること

どう展開するのか

 いかに次を読ませるかが、推理小説などの娯楽小説では肝心となります。物語の内容ではなく〈語り〉の話。

冒頭

 例えば、『サブマージ』では「ひとつ、お前に頼みたいことがある」という刑事部長の台詞が始めに出てきます。ここで読者は何の頼みだろうと思うでしょう。ちなみに冒頭一行目からこの台詞で幕を開ければ、より印象的なのですが、今度は季節・時刻はいつか、語り手がどこにいるか等の基本的な情報を読者に提示する頃合いが図れません。
 台詞から始めるのは、勇気がいるのです。その点、情景描写から始めれば、強烈なインパクトは与えられないものの、自然な形で読者を物語へと引き込むことができます。
 この情景描写はたった二行ですが、工夫されています。
 刑事部長室の窓は開け放たれ、片隅に追い遣られたレースのカーテンが、時折、裾をひらめかさせていた。その度に、一陣の風が城取圭輔警部補の頬を撫でて行く。
 実にこの二行で刑事部長室にいて初夏の昼と仄めかしているのです。まず初夏ですが、窓を開け放していることから、少なくとも秋の終わりから冬場ではないと解ります。次に真夏なら冷房を入れるでしょう。頼み事をしているのなら、仕事をしている昼間だと推察できます。少なくとも夕方の可能性は低いでしょう。
 ついで、主人公の職業が警察官、しかも刑事部だと解ります。

5W1H

 このように5W1Hが早く出すことで物語を解りやすくなりますが、事件においても例外ではありません。端緒では(when)二○一四年、(Who)柳井代議士の秘書二人が、(Where)沖縄と和歌山で、(How)スキューバダイビング中に(What)死んだことが示されています。
 特にこの物語ではWi-Fiが重要な鍵を握りますので、早い段階で物語内容の時間を示さなければ、アンフェアに感じてしまうでしょう。
 また、柳平の事件の概要だけでなく、小説の概要をも示しています。つまり、(Who)城取警部補が(What)柳平の秘書が死亡した件を(How)非公式に捜査する筋だと読者に示しています。

捜査が困難な状況

 推理小説に限らず、娯楽小説は一般的に苦難を乗り越えてこそ面白いと言えましょう*2。近代捜査が入ると犯人がすぐに解るので*3、クローズドサークルなどの手法が編み出されてきました*4。今回のように、非公式の捜査も近代科学捜査を排し、娯楽性を高める工夫と言えます。
 しかも他県で起きた殺人で、もう送致が済んでいる案件。
 いまさら余所者が何を企んでいるのかって勘繰られるでしょうね。穏やかに〔捜査〕資料を提供してもらえるとは思えません
 本部長を介して、和歌山・沖縄の本部長に掛け合ってもらおうとするのですが、まあ、話はしてみる。あまり期待するな」という返事。
 また不正献金の資料請求も同様の返事。物語を面白くするため、遠藤武文が人間関係に軋轢を作っているようにすら思えました。

推理小説としてみたときに

 推理小説として見たときに、中途半端な印象が拭えません。暗号の謎と社会問題を絡めているのですが、暗号の謎はすぐに解けてしまいました。もちろん難易度は個人差があるのですが、問題はこれがログインIDとパスワードだということです。しかも、現実的な話をコンセプトとしているらしく、社会問題も出てきます。したがって、暗号の謎も現実的な解決を提示しなければなりません。
 現実的に、ログインパスワードはランダムな文字列が基本。高齢者などならいざ知らず、ログインパスワードを簡単なものにはしないでしょう。
 また、社会派の要素も取ってつけたような印象です。前半部で靖國参拝の「や」の字も出てこない上に、日中関係もあまり深く考察されていません。動機の中心となっているので、余計に違和感が残るのです。

*1 英辞郎on the WEB「submerge
*2 三浦しをん『風が強く吹いている』(新潮社)など
*3 科捜研の女、CSIなど、科学捜査で犯人を見つけるというコンセプトなら話は別である。
*4 アガサ・クリスティ『そして誰もいなくなった』(早川書房)など



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イブン=ハルドゥーン『歴史序説』(岩波書店)

歴史序説 (1) (岩波文庫)

概要

 イスラム最大の歴史家、イブン=ハルドゥーン。彼は膨大な歴史書を読んだが、玉石混交の伝聞をふるい分けずに伝え残していることに不満を覚えた。加えて、歴史から何も学び取っていないとして、王朝の勃興から衰退までの原因を探る。
 そればかりではない、経済史、文学史、科学史、思想史についても考察している。

この本を読むに当たって

 歴史の本といえば、一つのトピックごと、あるいは全体的な流れを時系列順に追ってるものが主流です。しかしイブン=ハルドゥーンはそのような形をとっていません。まず、イスラム帝国の領土、隣接している国と民族などについて書かれています。
 そして、イブン=ハルドゥーンが考える歴史の法則、それから具体例の順で書かれています。

昔の学術書

 もちろん、これは今の学術書のスタイルが確立されていなかったからで、彼以前は辻褄が合わなくても伝聞をそのまま書き写しているだけでした。もちろんこれも一つの証拠として民俗学的な価値はありますが、歴史的な事実を客観視したいときには邪魔になるでしょう。
 それから、もう一つ注意が必要な点は、イブン=ハルドゥーンに限らず、今では間違っているような知識もそのまま記載されていることです。
 例えば医学知識。悪い空気が病気を引き起こすと昔は考えられてきました。もちろん、これは空気感染や一酸化炭素中毒などを考えると、あながち間違っているとも言えないでしょう。十四世紀では顕微鏡も発明されていませんし*1、細菌が病気の原因だと解ったのは19世紀になってからです*2。
 また、王朝が四代で滅亡するとイブン・ハルドゥーンは言っていますが、徳川政権は十七代まで続きました。これも当時の観測では四代が精一杯だったのでしょうか。古代エジプトは第六代まで続いた王朝もありますので*3、四代で王朝が限界を迎えるという説はイブン=ハルドゥーンの調査不足か、自説に合わせて、事実を取捨選択して書き表したと解釈できるのです。

歴史学の意義

 さてこのような欠点はあるにせよ、『歴史序説』は歴史学の核心を突いています。
 方法論についてですが、「その情報源をよく見て自分の判断に頼るべきである」と記されています。また歴史とはそもそも何であるかという問いかけにも答えています。
内面的には、歴史は思索であり、真理の探求であり、存在物そのものやその起源の詳細な説明であり、また諸事件の様態とその原因に関する深い知識である。したがって歴史は哲学に深く根ざしており、哲学の一分派にかぞえるのが適切である。
この問いかけにはもちろん様々な回答ができましょう。
 例えばE. H. カーは「歴史は現在と過去の対話である」と言っていますし*4、ヘーゲルに至っては、自由を獲得する過程*5、カール・マルクスの唯物史観*6などにも見られます。
 そして、昔の歴史・科学書を紐解く面白さの一つに、その人が歴史・科学をどのように捕らえていたか知ることができるというものがあるでしょう。

連帯意識

 さて、イブン=ハルドゥーンの主要概念の一つに、連帯意識があります。この連帯意識はもともと、部族間での連帯意識(‘aṣabīya)を指していて、否定的に捉えられていました*7。マホメットは部族間の絆よりも宗教的な結びつきを説いたのですから無理もないでしょう*8。
 しかし、イブン=ハルドゥーンはこの連帯意識を国民同士を結びつけるものとして肯定的に捉え直したのです。例えば王権(mulk)と王朝(dawla)の成立にも連帯意識が関わっています。「歴史は文明の本質に関わる諸状態、(中略)連帯意識、人間のある集団が他の集団を支配するためのさまざまな方法、それから生ずる王権・王朝」などを取り扱っており、集団意識を持った人間は他の集団を併合しながら王権を確立すると述べているのです。ここで王権と王朝は区別して使っています。王権は抽象的なもので、王朝は具体的な国家を指します。
 この連帯意識が弱まると王朝は衰退し、代替わりすると言います。第四代目の指導者について言及したところを見ましょう。
彼は連帯意識をともにしている人々を遠ざけて、彼らよりも自分の方が偉いと考えている。(中略)したがって逆に、彼らはそんな主人に反抗し、彼をさげすむようになる。こうして(中略)人々はその連帯意識によって、指導権を四代目もしくはその直系から他のある支族に移す。
 ここでは栄枯盛衰を繰り返すという循環論の歴史観が述べられています。さらにはひとたび権力を手にすると堕落し、「衣服・食物・家具・寝具などをできるだけ優雅なものにしようと」した結果、もとの気風が失われ、周りの部族に攻められたり、内乱が起きたりすると指摘しています。
 そしてこれはウマイヤ朝、アッバース朝、そしてモンゴルの襲来などと言った、イスラム帝国の歴史を踏まえていると言えるでしょう。ウマイヤ朝は一時期、スペイン、モロッコからトルキスタンまで広大な領土を支配下に収めていました*10。
 それがキリスト教徒に攻められ、内乱が起き、挙句の果てにはモンゴルに攻められ、モロッコしか残りませんでした。不思議だったのかもしれませんし、何とかして後世に自分たちの歴史を伝えたいとイブン=ハルドゥーンは思ったのかもしれません。現にイブン=スィーナーやイブン=ルシュド、ガザーリーなど様々な文献が引かれています。しかも全4冊もあるのにこれで、全体の7分の1しか翻訳されていないのです。

都市/「田舎や砂漠」

 さてもう一つの重要概念は、都市と「田舎や砂漠」の対立です。日本語で書くと三つの対立概念があるように誤解するでしょう。しかし原文は「田舎や砂漠」はbadwの一語です。
 イブン=ハルドゥーン自身は都会(ḥaḍar)の対立概念として使っているのですが、単に田舎と書くと農村地帯や山林を想起し、これを避けるために「田舎や砂漠」と森本公誠は訳しているのです*11。また、badwには始め、始原の意味もありますが、これは砂漠の生活からアラビアの生活が始まったからです*12。
 現にイブン=ハルドゥーンも砂漠は都会に比べて生活が素朴で、必要最低限しか持たないと述べています。
 田舎から都市に人口が移ることはあっても、都会から田舎へ人は移りたがらないと述べています。それ故、人口が集中するのですが、これもイブン=ハルドゥーンが調査した限りにおいての話。もちろん現代日本にそのまま分析を当てはめることはできませんが、過疎化などから窺えるように傾向としては合っているのではないでしょうか。歴史序説 (2) (岩波文庫)

ヨーロッパに先駆けて

 さてここまでイブン=ハルドゥーンの限界を指摘したのですが、ヨーロッパよりもいくつかの概念はヨーロッパよりに先駆けて論じています。
 その一つが労働価値説。

労働価値

 一般的にはアダム・スミスが『国富論』で論じており、森本公誠もその比較を行なっていますが、ウィリアム・ペティが嚆矢です*13。
 労働価値説とは賃金が価格決定に反映される、つまり労働が価値を持つという考えです。今にしてみば当然なのですが、ヨーロッパでこの考えが生まれたのは1662年。「歴史序説」の少なくとも100年から150年も後になります。
 それではどうして同時代のヨーロッパに労働価値説が生まれなかったかと言いますと、農奴制が影響しているのではないでしょうか。農奴の労働に賃金は発生しない以上、労働価値説など生まれるはずがありません。
 一方でイスラム世界ではウマイヤ朝からすでに商業活動が盛んでした。つまり賃金の概念が芽生えていたのでしょう。実際、イブン=ハルドゥーン『歴史序説』にも使用人についての記述があります。
 労働価値説がすでにあったので、当然、物価の変動についても記されています。ただ肉体労働だけでなく、技術や知識など無形の労働についても肉体労働のように価値が生まれると考えています。
たとえ技術以外のものによって儲けや利得を得たとしても、労働なしにはその利得を得ることはできないのであるから、それに要した労働の価値をこれらの利得の中に含ませねばならない。
 目に見えない分、労働として考えられにくいと思えるのですが、一般化しているところでもイブン=ハルドゥーンを評価できます。

万人の万人に対する戦い

 さて、ホッブスが「万人の万人に対する戦い」を『リヴァイアサン』*14等で展開していますが、「自分たちすべてを畏怖させるような共通の権力がないあいだは、人間は戦争と呼ばれる状態、各人の各人にたいする戦争状態にある」という内容。
 この背景として、清教徒革命が挙げられます*15。
 イブン=ハルドゥーンもまた、同様のことを述べています。
人間はお互いの権利侵害や確執といった動物的性質を持っているために、みんながそれぞれ必要なものは何でも手を伸ばして取ろうとする。(中略)そこで不和軋轢が起こり、それは敵意を生み出す。敵意は(中略)人類を破滅させる(中略)。
 こうして人間は無政府状態、すなわちお互いの不法行為を抑制する統治者のいない状態では、存続することができない。人間は抑制する者が必要なのであり、その人物こそが統治者なのである。
 もちろんイブン=ハルドゥーンもまた政治的混乱の只中にいました*16。したがって同じことを思いついたとしても不思議ではありません。

宗派の歴史

 さて、イブン=ハルドゥーンは宗派の歴史についても触れています。

ムゥタズィラ派とアシュアリー派

 例えば、ムウタズィラ派は合理主義であり、他人ではなしえない不可思議(khawāriq)な行為について、認めていません。しかし、奇蹟(muj‘jiza)は預言者が使命を確信するようなことがらであり、これは起こると信じています。これは「奇蹟が、嘘つきによって生み出されると信じるのは馬鹿げたことである」とあるように、偽預言者を篩い分けするためだったのではないでしょうか。
 またアシュアリー派を「不合理だ」と断罪していますが、彼らの文献もそれなりに紹介しています。この辺もムゥタズィラ派よりの史観となっているので、そこは加味しなければなりません。
 もともとムゥタズィラ派はギリシャ哲学の影響を色濃く受けていることに加え*17、アシュアリー派はムゥタズィラ派の分派*18です。確執があるのでしょうか。

スーフィズム

歴史序説〈3〉 (岩波文庫)イスラム教で苦行を積んで、神と一体化しようという思想をスーフィーと言うのですが、このスーフィーの語源は毛皮(ṣūf)から来ています。毛皮の服を来ていたからなのですが、その理由は華美な服装に抗う意図があったそうです。
 このスーフィーの僧侶であるバスターミーはインドの影響を受けて修行法を確立した、と井筒俊彦は分析しています*19。
 ちなみに一時期、スンナ派の教義を体系づけたガザーリーもスーフィーでした。

学問について

 もちろん宗教上の理由が大きいのですが、イスラム社会でコーランは法律学と深く関わっています。日本人の感覚だと、法律はトラブルが起きたときにしか登場しません。しかし、イスラムの感覚では日常の習慣まで事細かに宗教法で規定されているのです。例えば豚肉や飲酒の禁止も宗教法で規定されています。
 またコーランと並んで、法源とされるのはマホメットの言行録「ハディース」と法学者の合意です。法解釈にも細かい学派がありますが、この三つはどこの学派でも共通しています*20。

数学

 さてイスラーム世界はギリシャ哲学の影響を受けました。特に大きな影響を与えたのがアリストテレス。アリストテレスに批判的だったイブン=スィーナーにせよ、注釈書を書いたイブン=ルシュドにせよ、アリストテレスの影響を受けているのです。
 他にもユークリッドやピタゴラスも入ってきました。数学の一分野として、音楽が入っていますが、これはおそらくピタゴラスが音楽についての著作も残しているせいだと思います。ピタゴラスは弦の長さと音の高さの関係を割り出したと言われています*21。
 また今でこそ天文学は物理学ですが、当時は幾何学の一分野でした。天動説だと天球の概念が必要になるのですが、天球から地上までの角度を計算する関係から幾何学に含まれていたのです。

占星術と錬金術

 占星術は天文学の母胎となり、ケプラーも占星術師でした*22。科学史の観点から見れば、まったくの非科学的とも言えないのですが、イブン=ハルドゥーンは出鱈目な学問だと考えていたようです。
 もっとも明らかな証拠は、人間のなかで預言者がもっともこの技術に疎遠であるということである。預言者は、それが神からの啓示でなければ、超自然について報告しようともしない。
 このように宗教を使って否定しています。
 錬金術も化学の母胎となるのですが*23、イブン=ハルドゥーンは詐欺だと考えていたようです。錬金術は銅などから金を生み出す学問でした。現代的な観点からすれば、金は化合物ではないので核反応が起きない限り生成できないと解っているのですが、これはかなり後にならないと解りません。
 イブン=スィーナーは錬金術に関して否定的な考えを持っていたことが書かれています。
 イブン=ハルドゥーンの記しているように成功例がありません。これも疑いの目で見られる要因の一つだったのですが、これは当時の知識では仕方がないと僕は思います。
 しかし不誠実な態度の錬金術師もいたと書かれています。
 ある錬金術師は単なる偽造のみに専念した。それには銀を金で覆うとか、二つの金属を一対二あるいは三対一の割合で混ぜるとか、はっきり見分けられる型のものと、ある鉱物を類似の鉱物に見せるように処理するような、隠された型のものがある。
 たとえ化学の母胎になったとしても、それは後世から見た評価。このような態度は錬金術の信頼性を失墜させてしまったのでしょう。
 占星術にせよ錬金術にせよ、魔術的な学問についても、誠実に文献として残している姿勢は評価すべきです。

文学論

 イブン=ハルドゥーンは文学についても考察しています。日本やヨーロッパでは読書が娯楽として普及するのはかなり後。初めは講釈師や演劇などの演技を見て楽しんでいました。つまり聞いて楽しむという形を取っていたのです。
 イスラムにおいてもその順番は変わらず、物語師が口演して人を楽しませてきました*24。イブン=ハルドゥーンは詩について主に論じているのですが、このような背景があったのでしょう。また12世紀には散文だけの物語が出てきていますが、物語形式の哲学書でした*25。
 当時はすでに出版・印刷技術が確立していましたが、学術目的、行政文書での使用しか書かれていません。まず小説が大衆娯楽になるには、通常、低価格と識字率の上昇が挙げられるでしょう。しかし活版印刷はグーテンベルクを待たなければいけません。イブン=ハルドゥーンの死没、約30年後にようやく西洋で活版印刷が発明され、印刷物の大量生産が可能になるのです。
 詩が文学の主流だったことは味覚に喩えていることからも言えるでしょう。文学を味わうと言いますが、イブン=ハルドゥーンはそれ以上に深い意味を持っていました。
 味覚という言葉は、通常食物を取るときの感覚について用いられる。しかし、言語習性は、食物に対する感覚の場と同様、言葉を発音する場でもある舌に関係しているのであるから、「味覚」というこの比喩的な表現を用いてもよかろう。
 また声に出す以上、韻やリズムを重視します。
歴史序説〈4〉 (岩波文庫)
 その点ではイブン=ハルドゥーンも同じこと。しかし、「詩とは隠喩や描写をもとにした効果のある表現で、それはそれぞれ等しい韻律や押韻を持った各部分に分かれ、その各々は前後に関係なく独立の意味を持って(中略)いる」とイブン=ハルドゥーンは述べていることように、詩の構成要素として韻の他にレトリックも挙げています。音声の面以外の要素にも目を向けているのですから、これは意義深いと言えます。


*1 顕微鏡は十七世紀になって発明された(Wikipedia「アントニ・ファン・レーウェンフック」)
*2 Wikipedia「ルイ・パスツール
*3 Wikipedia「エジプト第3中間期」など。なお、この仮定も現代と同じ史料をイブン・ハルドゥーンが手に入れることができたという前提に基づいている。後世になって新史料が発掘された可能性も否定できない。
*4 E・H・カー『歴史とは何か』(岩波書店)
*5 Wikipedia「歴史哲学講義
*6 カール・マルクス『ドイツ・イデオロギー』(岩波書店)
*7 森本公誠「解説」(イブン=ハルドゥーン『歴史(四)』岩波書店)
*8 井筒俊彦『マホメット』(講談社)
*9 Wikipedia「歴史哲学
*10 Wikipedia「ウマイヤ朝
*11 森本公誠「解説」(イブン=ハルドゥーン『歴史(四)』岩波書店)
*12 同上
*13 カール・マルクス『経済学批判』(岩波書店)
*14 トマス・ホッブズ『世界の名著〈23〉リヴァイアサン」(中央公論社)なお、『市民論』でも展開されている(トマス・ホッブズ『市民論』京都大学学術出版会)。
*15 Wikipedia「万人の万人に対する闘争
*16 森本公誠「解説」(イブン=ハルドゥーン『歴史(四)』岩波書店)
*17 Wikipedia「ムゥタズィラ学派
*18 Wikipedia「アシュアリー学派
*19 「TAT TVAM ASI」(井筒俊彦『イスラーム思想史』中央公論)
*20 イブン・ザイヌッディーン『イスラーム法理論序説』(岩波書店)
*21 Wikipedia「ピタゴラス」。
*22 Wikipedia「占星術
*23 アイザック・アシモフ『化学の歴史』(ちくま書房)
*24 Wikipedia「アラビア語文学
*25 同上



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ミヒャエル・ヴォルフゾーン『ホロコーストの罪と罰』(講談社)

ホロコーストの罪と罰―ドイツ・イスラエル関係史 (講談社現代新書)

概要

 戦時中、ナチス・ドイツはユダヤ人の大虐殺、つまりホロコーストを行なった。アウシュビッツなどのホロコーストについて、戦後、ドイツはイスラエルへどのような対応をしたのか。またイスラエルはホロコーストをどのように政治利用してきたのか。ユダヤ人が抱えるアイデンティティの問題とは? ドイツ−イスラエル間の戦後史に迫る。

ユダヤ人の歴史問題

キリスト教とユダヤ教

 ユダヤ人とキリスト教徒は犬猿の仲。それは文学の形でも現れています。例えばシェイクスピアの『ヴェニスの商人』、ドストエフスキーの『罪と罰』にいたるまで、たいがい強欲な金貸しとして描かれています。実際、十一世紀までは貿易などの商業で活躍していましたが、イタリア人が台頭してからというもの、質屋や金融業者などを多く営むようになります*1。
 どうして、ユダヤ人はキリスト教徒から迫害されてきたのでしょうか。もちろん一般的に言って高利貸しは嫌われます。今も消費者金融に行きたくないのと同じこと。また教育熱心でもあり、スピノザなど多くの哲学者を排出しています。実際、ノーベル賞受賞者の22%はユダヤ人です*2。これらのこともあって嫉妬の対象となっていたのかもしれません。
 また旧約聖書はユダヤ人の聖典なのですが、この中に選民思想が説かれています。例えば『出エジプト記』、あるいは『申命記』*3。
 さらにはイスラム教もユダヤ教から分かれているので、エルサレムにはそれぞれの聖地があります。このことを踏まえれば兄弟と親子のようなもの。目くじらを立てなくてもいいと思われるでしょう。
 しかし、ユダヤ教はイエス・キリストを救世主として求めていないのです。またイエス・キリストの殺害にはユダヤ人が関わったという俗説が流れて迫害されることになりました。

古代イスラエル王国

 ユダヤ人は流浪の民として知られていますが、紀元前11世紀頃にはイスラエル王国がありました*4。今のエルサレムとヨルダン。しかし紀元前597年に新バビロニアが攻め込み、滅亡します*5。このとき、世界中に離散していき、この離散をディアスポラと呼びます。
 もちろんユダヤ人の中には、エルサレムに自分たちの国を持ちたいと願う人たちもいます。そしてこのような人をシオニスト、このような思想をシオニズムと言います。

ヒトラーとイスラエルの関係

 さて、ユダヤ人の間では「ホロコーストこそが、(中略)シオニズムが政治的に正当化されるよう後押しした」と言われているそうです。「ホロコーストの後では、世界はもはやユダヤ国家の建設に「否」ということはできなくなった」、とも。しかし、実際は否定的な反応でした。特に委任統治していたイギリスは、ユダヤ人ではなくアラブ人の国を作ろうとしていたのだ、とも。
 第一次大戦のとき、すでに似たような状況は起きていました。この時もイギリスが絡んでいます。ユダヤ人に配慮することで、資金援助を受けようとしました。これをパルフォア宣言と言い*6、ユダヤ人の国をイスラエルに築くことを約束したのです。
 しかし、実際は「ユダヤ人迫害を理由にユダヤ国家への移住を望んだのは(中略)少数派にすぎない」とあります。
 イギリスは最初こそ賛成していたものの、次第に反対していきます。したがって反英運動を強めていき、レジスタンス運動を行ないました。この運動はホロコーストによって中断されます。このことからもホロコーストがイスラエル建国と無関係だと言えましょう。

戦後の対応

 戦後、ドイツはイスラエルに大してどのような対応をしたのでしょうか。

補償と再軍備

 戦後、ドイツは東ドイツ、西ドイツに分かれ、それぞれソ連とアメリカの支配下におかれることとなりました。イスラエルは東西両方に補償を要求しましたが、直接交渉は拒否します。
 その仲介役を戦勝国に頼むのですが、ソ連は無視、英・米・仏は直接交渉を指示します。その後、一九五三年にルクセンブルク補償協定を成立させました。この協定の前後、西側は新生ドイツを必要としていました。社会主義国家の防波堤で、西ドイツと東ドイツとの軍事的緊張が高まってきたのです。
 ついに一九五五年、西ドイツに再軍備の許可が出ます。もちろんユダヤ人への賠償と再軍備に多額の費用が必要で、アメリカが支払わなければ資本主義陣営は窮地に立たされてしまいます。結局、アメリカはユダヤ人の補償要求にブレーキを掛けました。再軍備を優先して欲しいと考えたのです。
 通常、敗戦国は戦争を起こさないようにするため、軍隊が解体されます。平和のため、と言えば聞こえはいいのですが、戦勝国に恨みを抱いているでしょう。報復を恐れてのこと。事実、日本でもその結果、憲法九条が制定されました。
 しかし、朝鮮戦争が勃発すると、日本の共産化を恐れて、アメリカは警察予備隊を作ります*7。これが自衛隊の前身なのですが、西ドイツでも全く同じことが起きていたのです。つまり、戦後すぐに共産主義と資本主義という新しい戦いに入りました。

西ドイツの立場

 したがってアラブやアフリカ諸国などの旧植民地*8を米ソどちらが取り込むかが関心となってくるのです。例えば、イスラエル。「多くが社会主義的な世界観を持っていたにもかかわらず」ソ連側につこうとはしませんでした。イスラエルはイラクと隣接しており、ソ連はイスラエルの独立を手伝う形で足場を築こうとしたのです。さらには北アフリカとも近いので、北アフリカの共産化も視野に入れていたのかもしれません。
 このように、資本主義陣営は「中東から完全にたたき出されないようにするため(中略)アラブ世界と健全な関係を維持し、これをイスラエルと外交関係を樹立したり、特別な関係を誇示したり」しないように西ドイツへ懇願しています。
 イスラエルに卑屈な態度を取らないということは、相対的にアラブ諸国との外交を積極的に推し進めるべきだという論調を後押しします。彼らは「イスラエルを犠牲にしても、対アラブ外交付積極化するべきだ」と主張していましたが、西ドイツの首相、コンラート・アデナウアーはこれを阻止しようとしていました。

ホロコーストの政治利用

 そのような中、一部の極右青年がナチスの鉤十字を至るところに書きつけます。犯人の一部は東ドイツに雇われていたのですが、西ドイツの印象を悪くしました。
しかし、これに「〔イスラエルの〕ベングリオン首相は公式に旧ドイツ的な分子が何をしようとも私は新しいドイツを信じる、と声明」。もちろんイスラエルからは反発の声が多かったのですが、公式に対話してもいい、と言いました。
 このように書くとベングリオンは寛大に映るかもしれません。しかし西ドイツに対し、武器輸出を拡大するよう要求してきたのです。イスラエルの要求はますますエスカレートしていきます。ホロコーストの道義的責任を問う形で。
 つまりイスラエルは外交上の交渉道具として、ホロコーストを利用したのです。例えばホロコースト記念センターを悲劇の象徴として建てるなど。ここでは毎年、ホロコーストの犠牲者を追悼しており、「二分間にわたって全土でサイレンがなり、交通は止まり、人々は立ち上がる」のです。
 日本の原爆ドームと趣旨こそ同じですが、原爆ドームはあまり政治利用されず、またアメリカを批難する意図がないのに対し、ホロコースト記念センターはドイツを批判し、外交の手段として利用するという裏の顔があるのです。

薄れる宗教心

アイデンティティの問題

 また、ユダヤ人は基本的にユダヤ教の信仰で団結を図っていましたが、ユダヤ人も宗教意識があまりなくなってきたのです。
 ユダヤ人のアイデンティティは伝統的に宗教と歴史に結びついていた。しかし、ここ数年来の世論調査によると(中略)宗教と無縁となっている。それによって、宗教はユダヤ人のアイデンティティーの要素ではなくなった。
 例えば、「〔一九九○年にドイツ在住のユダヤ人へ調査を行なった結果〕六六パーセント以上が「ユダヤ文化の一員であっても、第一義的にはドイツ人である」という意見に賛成してい」ます。したがってイスラエルはもう彼らの故国ではなくなり、移住しようとは思わないと考えるユダヤ人が増えているのです。
 ここに来て、シオニストたちは新しく団結の「物語」を生み出さなくてはならなくなりました。それがホロコースト。

嫌われなくなったユダヤ人

 宗教意識の希薄化はキリスト教徒にも起きています。ありていに言って、ユダヤ人は前ほど嫌われなくなってきたのです。マラマッドには「湖上の貴婦人」*9という短編小説があります。主人公の青年は自分がユダヤ人だから、ボートの上で一目惚れした女性へのプロポーズを諦めるという話なのですが、このような話はもう起こらなくなりつつあるのかもしれません。
 イスラエルを例外とすれば、ユダヤ人の数は世界的に(中略)減少傾向に(中略)ある。理由の第一はユダヤ人と非ユダヤ人との結婚で、ユダヤ人的伝統にしたがって議論すればこれは危機的状況ということになる。
 もちろん、嫌われなくなり、喜ばしいことなのですが、ユダヤ人の母親から生まれたものもユダヤ人になります。しかし、混血すると線引が難しくなってしまうでしょう。またユダヤ人はもともと王族の家系だからか、伝統的に血統を重視します*10。近年では、イスラエルの教育省大臣が非ユダヤ人との結婚をホロコーストに例えて物議を醸しました*11。比喩が適切かはさておき、非ユダヤ人との結婚がユダヤ人を減少させていることは否めません。


*1 Wikipedia「ユダヤ人
*2 同上
*3 Wikipedia「選民としてのユダヤ人
*4 柴田三千雄、弓削達、辛島昇、斯波義信、木谷勤『新世界史 世界史B』(山川出版社)
*5 Wikipedia「古代イスラエル
*6 Wikipedia「バルフォア宣言」およびWikipedia「三枚舌外交
*7 Wikipedia「警察予備隊
*8 Wikipedia「第三世界
*9 バーナード・マラマッド『マラマッド短編集』(新潮社)
*10 Wikipedia「ユダヤ人
*11 非ユダヤ人との結婚は「2度目のホロコーストのようなもの」? イスラエル教育相発言の真意(「Newsweek」2019年7月12日)



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萩原朔太郎『萩原朔太郎詩集』(新潮社)

萩原朔太郎詩集 (新潮文庫)

概要

 「猫町」、「ウォレン夫人の黒猫」などの小説で有名な萩原朔太郎。口語自由詩の開拓者として知られている。自然主義で衰退した抒情詩を復興した。萩原朔太郎はボードレールの影響を強く受けているからか、孤独や死を題材にしていることが多い。
 この詩集では代表的な詩集「月に吠える」「青猫」からの作品以外に、散文詩なども収録している。

詩とは

 詩とはそもそも何なのでしょうか。

韻律

 素朴に考えてリズムが挙げられます。五・七・五・七・七・五・七・七……などの和歌、英国ではソネットやブランク・ヴァースなどの形式があります。現に島崎藤村などは和歌などのリズムで詩を作っており、これらを定型詩と言います。例えば島崎藤村は「初恋」という詩で、「まだあげ初めし前髪の/林檎のもとに見えしとき/前にさしたる花櫛の/花ある君と思ひけり」とは五・七の繰り返しで詠んでいます。これが定型詩。これに対し萩原朔太郎は「地面の底に顔があらはれ、/さみしい病人の顔があらはれ」とあるように五・七のリズムにとらわれていません
 しかし、リズムを蔑ろにしていたわけではなく、萩原朔太郎は下記の通り、語っています。
私の心の「かなしみ」「よろこび」「さびしみ」「おそれ」その他言葉や文章で言ひ現はしがたい複雑した特種の感情を、私は自分の詩のリズムによつて表現する。併しリズムは説明ではない。リズムは以心伝心である。
 このようにリズムを自分の感情に合わせて、自由に作り変える、というのが自由誌の特徴と言えるでしょう。他にも「ぴったりと肩に寄り添ひながら、ふるへる自分の心臓の上に、やさしい手をおいてくれる乙女」*1に喩えています。
 このように萩原朔太郎は感情を描こうとしたのですが、これには自然主義文学の影響が挙げられます。叙情的な感情を排してきたのですが*2、この潮流に抗ったのが、萩原朔太郎たちだったのです*3

比喩

 さて、何が詩なのか考える際、日本のこのような文壇事情とは別に、一般的な批評理論として異化が挙げられます。異化作用とはロシアの文芸評論家、シクロフスキーの用語で、日常の光景を見なれないようにする技法のことです*4。この異化作用で新しい意味を見出せるのです。
 例えば、散文詩「郵便局」は、普段見慣れた郵便局を「のすたるぢあ」、つまり、郷愁と結びつけ、異化作用の効果を生んでいます。郵便局の建物と郷愁とは結びつかないかもしれません。しかし、手紙と結びついたら故郷のつながりという点において、郷愁が感じられるでしょう。実際、萩原朔太郎は「さまざまな悲哀を抱きながら、(中略)故郷への手紙を書いてる若い女」や、「孤独に暮らしてゐる娘の許へ秋の袷や襦袢やを小包で送つたといふ通知」の代筆を頼んでいる老女が描写されています。

象徴

 もう一つ、詩の特徴として象徴が挙げられます。抽象的な概念を具体的な物で喩えること。例えば、裁判所のロゴには天秤が用いられていますが、公平性という概念を天秤という物で喩えているのです。このような時、天秤は公平性の象徴だ。もしくは天秤は公平性を象徴している、と言うのです。
 「郵便局」の散文詩で言えば、「郷愁」は目に見えません。しかし郵便局の中なら見ることができますし、手紙を書く女性、小包を郵送する老婦人も見ることができます。このように郵便局は郷愁を象徴しているのです。
 また、「竹」は「 かたき地面に竹が生え、/地上にするどく竹が生え、/まつしぐらに竹が生え、/凍れる節節りんりんと、/青空のもとに竹が生え/竹、竹、竹が生え」とあるように心を竹林に喩えていると解釈できます。
 このような解釈を行なった場合、竹を高揚感の象徴と見ることができます。しかし「青空のもとに竹が生え」という一文が引っかかりました。もしかしたら、「青空のもとに竹が生え」ると日陰がでることから、鬱々とした気持ちを表現しているのかもしれません。
 また象徴の技法自体はイソップ寓話から使われていましたが*5、それは常套句に限られていました。しかし、ボードレールなどの象徴派は既存の象徴だけではなく、詩で象徴を新たに生み出したのです*6。
 上田敏の訳詩から萩原朔太郎はボードレールの影響を受けていた*7ので、象徴主義の技法を多用しています。

群衆の中で

 さて、明治期に入ると、群衆の概念が重要になります。もちろん明治以前にも一揆などを考えれば群衆の概念はありました。しかし一揆は農民という同じ身分で、同じ土地です。しかも大多数の人たちは同じ土地で過ごしていました。
 一方、明治は廃藩置県が行われ、自由に東京へ出稼ぎができるようになります。しかも四民平等になり、雑多な人々が行き交うようになりました。啄木が「ふるさとの訛りなつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにいく」と短歌を詠みましたが、これは近代に入り、人の行き来が自由になったから詠み得たのです。
 また、萩原朔太郎も故郷をテーマに詩を書いています。「郵便局」は郷愁ですが、「公園の椅子」などで故郷への憎しみを歌っています。「我は指にするどく研げるナイフをもち、(中略)さびしき椅子に「復讐」の文字を刻みたり」。このナイフは反骨精神、見返す気持ちを象徴していると解釈しました。
 また、漂泊者も明治になって群衆の概念が誕生したから生まれたと言えましょう。「いづこに家郷はあらざるべし/汝の家郷は有らざるべし!」とあるように孤独な漂泊者を詠んでいますが、明治以前は故郷がないということはありえませんでした。身元確認ができなければ関所を通行できないのです。
 高村光太郎は「米久の晩餐」で賑やかな明るい群衆を詠んでいるのに対し*8、萩原朔太郎は群衆の孤独を詠んでいます。そしてこれはボードレールの影響だけではなく、萩原朔太郎の心象風景だったのでしょう。

死について

アイデンティティの不安

 群衆の誕生は死の概念も変えました。それがよく現れているのが、「漂泊者」で用いられている「孤独」という言葉。家がないのは大袈裟でしょうが、比喩としての家卿、つまりアイデンティティとして捉えることができます。身分の他にも、明治以前は生産と生活の場が同じでした。同じ地区の農民が同じ田畑を耕していたのですから、皆知っている者同士。誰が死んでもどのような人柄か、互いに共有・確認できていたのです。この状態ではアイデンティティは揺らぎません。
 しかし、近代に入ると、生産と生活の場がほとんどの人は違ってきます。例えば、親が会社でどのような仕事をしているか知らないし、また子供は学校などでどのようなことをしているか、監視していない限り解りません。互いにどのような人間なのか確認できないのです。アイデンティティが揺らぐのはこのような状態。親の前での自分と、学校での自分が違ってくるのですから。
 またこれは親に限った話ではありません。人ごとに対応が違うと「本当の人格」が解らなくなります。そしてこれは誰でも当てはまること。これがアイデンティティの分裂に繋がり、「本当の自分」すなわちアイデンティティを求めてさまようことになるのです。さながら「漂泊者」のように。
 しかしアイデンティティが他者によって統合される場合があります。それは変死した時。殺人事件の可能性があれば、警察は人間関係を調べるでしょう。この作業こそ、被害者がどのような人間だったかを調べるという点で、アイデンティティの回復に繋がるのです*9。
 そのようなことを踏まえると、萩原朔太郎が殺人事件を題材に死を書いているのは単に、ポオの影響とは言えないでしょう。

西洋と東洋

 さて文学に於いて「皮相なる西洋模倣によつて光輝を失つて居た」とあります。「皮相なる西洋模倣」とわざわざ限定しており、真の西洋模倣があると匂わせています。これは対立する考えがなければ、単に「西洋模倣によつてよつて光輝を失つて居た」と書くはずでしょう。
 つまり、西洋と日本を統合しようとしていたのです。そして、これはキリスト教の訓話を仏教の言葉で語った詩、「かつて信仰は地上にあつた」にもつながってくるのではないでしょうか。

*1 萩原朔太郎「月に吠える」の「序」(萩原朔太郎『萩原朔太郎詩集』新潮社)
*2 萩原朔太郎「月に吠える」の「再版の序」および、河上徹太郎の解説(萩原朔太郎『萩原朔太郎詩集』新潮社)
*3 この運動はシュトルム・ウント・ドランクやロマン主義運動にも通じてくる(Wikipedia「シュトルム・ウント・ドランク」、およびWikipedia「ロマン主義」)。
*4 Wikipedia「異化
*5 狐は狡賢さを象徴している。
*6 Wikipedia「象徴主義」によると「抽象的な観念とそれを表現するべきイマージュの間にこれら〔象徴主義〕の詩が打ち立てようと望む類比関係を指し示そうとして提案した」とある。しかし既存の象徴だけを使っていては、制約が出てくる。
*7 デジタル大辞泉「象徴派
*8 高村光太郎「米久の晩餐」(高村光太郎『高村光太郎詩集』新潮社)
*9 ヴァルター・ベンヤミン『パサージュ論(1)』(岩波書店)



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ギルバート・キース・チェスタートン『木曜の男』(東京創元社)

木曜の男 (創元推理文庫 101-6)

あらすじ

 詩人のグレゴリーは無政府主義者でテロを計画していた。法と秩序を重んじる詩人、ガブリエル・サイムに、本当は無政府状態でないのではないかと疑われる。疑いを晴らすため、グレゴリーはサイムを隠れ家へと連れて行った。そこでサイムは刑事だと知ることとなる。
 やがてテロの会議が始まり、〈木曜〉のコードネームを持っていた幹部に空席ができたと告げられた。グレゴリーに決まるかと思いきや、サイムが推薦される……。

チェスタートンについて

 チェスタートンはブラウン神父が活躍する推理小説を多く書いています。そしてブラウン神父の面白さは冴えない神父と鋭い推理力もさることながら、一見、逆説的な論理でも論理的な解決を提示しているところにあります。
 チェスタートンは『木曜の男』の二年後、1910年にブラウン神父を書くのですが、『木曜の男』ですでに逆説が活かされています。議長こと〈日曜〉はグレゴリーに下記のアドバイスをします。
それじゃ無政府主義者のまねをすりゃいいじゃないか。そうしたら誰も君を危険人物なんて思わない。
 『木曜の男』はブラウン神父シリーズに比べて、思想的な色合いが強いです。確かにあらすじこそ推理小説を装っていますが、序盤のグレゴリーとサイムの会話など多分にチェスタートンの思想を反映しているように感じました。
 例えば、サイムは最終的に下記の通り語ります。
「僕にはいっさいのことがわかった」と彼は叫んだ。「なぜ、地上のものはすべて、他のものと戦わなければならないのか。なぜ、世界にあるどんな小さなものも、世界全体と戦わなければならないのか。なぜ一匹の蝿も、一本のたんぽぽも宇宙全体を相手にして、戦わなければならないのか。それは僕があの恐ろしい七日の会議で、たったひとりだったのと同じ理由からなのだ。
 七日の会議とは無政府主義者の幹部会。サイムは〈秩序〉を守る刑事として無政府主義者の幹部会にたった一人で立ち向かうのですが、このように社会の秩序が一人一人の苦闘でようやく手に入れたものだと解るのです。
 もちろんチェスタートンの言っていることはかなり壮大で、神学論争をも仄めかしているのですが、そうでなくとも歴史の積み重ね、歴史の長い営みで社会的な秩序を勝ち得たことは中学・高校と世界史を学んでいるなら解るのではないでしょうか。
 確かにウォルムズ教授の正体が解った辺りから結末が読めてしまいますが、チェスタートンにとってどうでも良かったのではないでしょうか。現に物語そのものの面白さは損なわれていません。そう、夢オチだという以外は!

秩序と無秩序

 さて、秩序と無秩序をもう少し詳しく見ていきましょう。世界は無秩序のように見えて、実は秩序だっていると解釈しました。そしてこれは心の構造とも一致します。
 どういうことか? この物語は夢だったのですが、夢は脈絡がないように見えても、独自の秩序で成立していると精神分析では考えます。そして夢こそ無意識の現れなのです。
 ふたりはテーブルごと床下に落ちていった。(中略)
 グレゴリーが先に立って、その低い地下道をサイムに案内していくと、(後略)
とあるように地下へ落ちるのですが、地下は日が当たらず、なおかつ、地上に比べて広大な空間が広がっていることから無意識の象徴として用いられるのです。
 また冒頭部でグレゴリーが無秩序を擁護しているのに対し、サイムは無秩序を秩序・規則を擁護しています。
僕は汽車が駅に入ってくるたびに、それが何か敵の包囲網を突破してきて、人間が無秩序に対してまたしても勝利を博したような気がしてならないんだ。
  これは、理性と無意識の戦いと似ています。理性と秩序、無意識と無秩序はそれぞれ関連付けられているのですが、思い出したくない出来事は理性に「検閲」*1されます。このようにして自我を守るとフロイトは考えました。
 そして刑事という職業も、犯罪者を逮捕することで、社会に不都合な人を隠していると言えましょう。特に〈日曜〉たち、無政府主義者は社会を脅かす存在として描かれており、その点で自我を不快な記憶から守る理性の役割と似ているのです。

*1 コトバンク「検閲


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佐野眞一『東電OL殺人事件』(新潮社)

東電OL殺人事件 (新潮文庫)

概要

 1997年、東京電力のエリートOLが殺害される。夜の顔は売春婦として、夜な夜な街頭で客引きをしていた。
 容疑者はネパール人の客、ゴビンダ・プラサド・マイナリ。しかし、どうも冤罪の可能性が高い……。物証は何一つなく、状況証拠の積み重ねで有罪にしようとしているらしい。
 圧巻のノンフィクション。

熱意に圧倒

 基本的に好意的な印象を持ちました。まずネパールにまで行って、ゴビンダの家族に会っていることに熱意を感じます。取材費は自腹でしょうし、事実と異なれば、訴訟を起こされるかもしれません。
 それなのに、です。後述の問題はあるにせよ、このような大作を書き上げるのは大変な労力が必要なのは解ります。

感想の難しさ

 それゆえにノンフィクションの感想は難しいのです。

知識面

 まず僕は知識面で佐野眞一さんに叶いません。もちろん、文面から違和感を覚えた箇所などは指摘できますが、情報を全面的に信用する他ないのです。
 もし、他の学術書なら、検証の余地は読者も残されていますが、こと犯罪のルポルタージュに関しては、読者に検証の余地は科学的な部分しか残されていません。それも『東電OL殺人事件』の情報を基に検証することになり、佐野さんの誠意に任されているのです。

倫理面

 僕はご存じのように小説を中心に読んでいます。もしこれがフィクションならば放談もできましょう。もし私小説だとしても、作者は批評されると承知の上で作品を書いていますので、自由に論じることができます。
 しかし、ノンフィクションの感想となると登場人物も生身の人間です。被害者*1の遺族もまだ生きているでしょう。この事件の遺族には母と妹がいると紹介されており、二人がこのブログを見る可能性はゼロではありません。加えて、インターネットという安全圏から感想を僕は書いています*2。被害者の心境について勝手に憶測するのは控えなければいけない、と僕は思っています。Wikipediaのリンクすら貼るのは躊躇われます。
 一方、佐野眞一さんに対しては自由に物を言う権利があると思います。したがって、佐野眞一さん、あるいはノンフィクションの一般論について、という限定的な感想になっています。

完全に中立なノンフィクションなどない

 ノンフィクションに限らず、全ての文章、すべての言葉は中立ではありません。偏向報道に眉を顰める人もいますが、人の言葉は全て偏っているのだと僕たちは自覚して読む必要があるのです。
 この『東電OL殺人事件』に関して言えば、明らかにゴビンダ寄りの視点。もちろん当時の報道機関が検察寄りだったらしいので、均衡を図るためにあえて弁護側に寄り添ったのでしょう。
 しかし、『東電OL殺人事件』一冊だけを読む場合には、弁護側に寄り添っていることを念頭に置きながら読まないと、検察・警察を一方的に断罪しかねません。陳腐な善悪二元論に陥りかねないのです。
 加えて、『東電OL殺人事件』からはそのような印象を強く受けました。検察がゴビンダの罪を強調しているように、佐野さんもまた検察・警察の罪を読者に印象付けようとしています。
 一ページめくるごとに、女検事はゴビンダの顔をねめまわすようにのぞきこんだ。ゴビンダを完全に犯人と決め込んだその目は、私には獲物を狙うときの蛇の目のようにみえた(中略)。
 女検事が、残酷な遺体の写真を見せて被告人の同様を引き出しているとすれば、江戸時代の「お白洲」そのものではないか。(中略)広い娑婆でもし同じことが演じられれば、とんだお笑い草の茶番劇にしかならないと思った。
 つまり検察を批判しているにもかかわらず、その論法を行なっているのです。
 もう一つ、検察側と同じ論理に陥っている箇所があります。検察は物的証拠もないのに状況証拠だけでゴビンダを犯人扱いしている、と佐野さんは指摘しています。事実そうなのですが、佐野さんもまた、「定期入れを落とした男を犯人だと確信している」とあるように状況証拠だけで犯人を決めています。
 憶測、偏見……検察が冤罪を生み出した、まさにその態度で犯人を指摘しているのです。

独特の文体

 もう一つ、事件とは関係ないことを通し、当時の世情を反映したかったのではと思います。例えば、
この日、テレビ朝日系の「土曜ワイド劇場」では九時から森村誠一のサスペンスドラマを放映中だったが、それも終わりに近づき、NHKラジオの人気番組「ラジオ深夜便」ではそろそろ放送時間に入っていた。
 このような情報を入れることで、文化を記述しようとしているのではないかと解釈しました。単に被害者としてだけではなく、当時の文化を写す鏡と見ていることからもそれは明らかでしょう。

*1 なお、『東電OL殺人事件』では被害女性の実名も出ているが、本ブログでは「被害者」とした。
*2 もちろん炎上の可能性はある。



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宮尾登美子『一絃の琴』(講談社)

一絃の琴 (講談社文庫)

あらすじ

 幕末の土佐藩から物語は始まる。琴の奏者、亀岡の音色に苗は魅了され、その後、一絃の琴と生涯を通じて関わろうと決意した。有伯への弟子入り、二度目の結婚を経て市橋塾の開講に至る。弟子、蘭子と苗との確執。
 子供は産まれず、養女の稲子をもらい、塾を継がせることに。蘭子も一絃琴の塾を開講し……。

第一印象

 膨大な資料に目を通して、読み込んだことが、解る労作です。
 語り手はどのような人物なのか考えると、下記の特徴的が挙げられます。
・推察が入っており、全知の語り手ではない。
・苗に寄り添っているが、苗の死後についても書かれている。
・亀岡さんなどと地の文に書いてあることから、彼に親近感が湧いている。
 もちろん、宮尾登美子が書いている以上、〈語り手〉を彼女と考えることもできるでしょう。もちろんそのような解釈も可能でしょうが、作者が『一絃の琴』について述べたこと以外は間違いだと言うことになりかねません*1。
 したがってここでは物語の〈語り手〉は宮尾登美子と別人です*2。もう一つの前提として、苗に相当する人が実在し、いかに似ていたとしてもまずはあくまでもフィクションとして扱います。もちろん小説も現実を何がしかの形で反映しているので、どのように関わってくるかは別途、考察しなければなりません。

フェミニズム

 さて、『一絃の琴』はジェンダー批評が有効です。女性の社会的立場がどのように描かれているかに注目していく方法のこと。この物語では苗が結婚、そして死別、再婚を経て女性の地位を獲得していく姿が描かれています。
 また弟子の蘭子も最後には人間国宝にまで上り詰めました。

艱難辛苦

 一絃琴の習い始めから、最初の結婚までは艱難辛苦が続きます。有伯に弟子入りを頼んでも門前払い。ようやく面会の許しが出て、演奏の腕を問われます。しかし、琴を弾き終わると「その肩肘張った突っ張りようではまだ一年、いいや、半年とも覚えぬのう」という評価。
 「そなたもこの上の稽古は諦めなされ。今の儘でも女子供の前なら結構上手で通ろうほどだ」と言われて追い返されてしまいます。上の発言や「女子の稽古は遊び半分が多い」等から女性を見下していると僕は解釈しました。「女子供の前なら」と限定しており、「男の前では通用しない」という思いが透けて見えるのです。付け加えるなら、比喩の上でも男性を想起させます。
「琴を弾くには人の胸ぐら取っ摑まえて振り回すほどの怪力が要る。お前さんの力ではまだまだ聞く人を薙ぎ倒すところへは行かん」
 しかし、苗は自惚れがあったのではないかと反省して、頼み込みます。
 ようやく弟子入りを果たせたと思ったら、今度は結婚をして一絃琴を諦めざるを得なくなりましたた。「向う様では武術をお好みなされ、遊芸の類は固く忌まれると聞きます」とあるように苗の一弦琴に理解は示しません。
 戊辰戦争で苗の夫、望月健直が戦死するのですが、下記のくだりは時代の変遷を象徴しています。
 聞けば死因は砲弾の破片に当ったとの事で、苗はひそかに、もう飛び道具ばかりになっているこの頃の戦に、未だに自慢の槍を振廻していただけに砲弾を躱す暇もなかったのであろうか、と一人思った。
 この時代錯誤は健直だけではなく、望月家全体にも及んでいるように思います。

順風満帆

 死別後、再婚しますが、相手の公一郎は理解がある人でした。おまけに偶然、上等の一弦琴「白龍」を見つけます。おまけに後援会まで組織され、一躍一絃琴の第一人者になりました。
 この辺り、主人公に都合よく話が進みすぎだと感じましたが、資料が手に入らなかったのかもしれません。その場合、大胆に脚色を施すか、描写を省くかの二者択一。どこまで脚色を加えていのかは、実話を元にした場合、悩ましくなります*3。
 もし資料と誠実に向き合いたいなら、ご都合主義のそしりを覚悟して、省くしかありません。宮尾登美子が向き合いたかったのだと好意的に解釈しました。もしくは苗と蘭子の境遇を浮き彫りにさせるためだとも考えられるでしょう。
一見、女性としての自由を確立して、謳歌しているようにも見えます。
 結婚以来、公一郎に対して毛筋ほどの反逆も胸に抱いたことはなく、自分が頭を務める塾の運営でさえ「旦那様の仰せは即ち私の考え」という方針を取って来た身が、このとき始めて自分の心にも別の枝葉が芽生えていることを知ったというべきだったろうか。
 一方で、子供が産まれないことが気がかりでした。もちろん資料通りに記述したのでしょうが、テクスト論の解釈に従い、独立した一つのテクストとみなすなら、苗は女性性が欠如していると言えましょう。女性性とはその文化圏で女性と聞いて思い浮かべる事柄、女性の印象、女らしさのことです。
 別に一人の女性が女性性を持ち合わせていなくても構いませんし、ジェンダー批評ではこの差異に注目します。例えば、苗に子供がいないのは女性性の欠如であり、それと引き換えに地位を手に入れたと見ることもできるでしょう。あるいは、弟子の育成は文化を次に担い、「育児」の比喩とも取れます。この点で見れば、苗は女性性があるとも言えましょう。

西洋と東洋

 さて、江戸と明治という時間的な軸で見てきましたが、西洋と東洋という空間的な軸もあります。西洋は五線譜の通り弾けば原則的に再現可能ですが、一絃琴は違います。
 五線譜ほど正確でない故に細かい間、小節廻しの微妙なところは汲み取れず、それに第一、曲の持つ雰囲気は心を込めて口移しで教えなければ正しく伝わらないのである。
 この方法なら「洋楽の五線譜に比す普遍的な価値を持つもの」だと言います。
 ここで長らく文字は音声の代替物として西欧で考えられていました*4。音楽で言えば演奏があって譜面はそれを助けているだけに過ぎないと考えられてきたと解釈されるのです。一方、日本では文字が尊重されてきました。日記文学も後世へ永遠に残るように書かれています。
 しかし、『一絃の琴』では、日本が音声、西洋が譜面を大切にしており、西欧と東洋において、文字/口伝の価値が逆転していると言えましょう。

*1 知恵蔵「テクスト論」、およびWikipedia「語り手」参照。
*2 このことは一人称視点で語られていると解りやすい。例えばこの物語は蘭子の一人称視点で語ることももちろん可能である。その場合、〈語り手〉と作者を同一視すると、宮尾登美子が蘭子になるが、これは明確に間違いである。
*3 主要登場人物には全てモデルがいる(小松伸六「解説」宮尾登美子『一絃の琴』)
*4 ジャック・デリダ『散種』(法政大学出版局)




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