有沢翔治のlivedoorブログ

 同人小説家、有沢翔治のブログ。  いいものを書くためにはいいものを、幅広く。

【こんな小説を書いてます】

二人であることの問い

 双子の姉、亜衣の様子がおかしい。何かあったのではないかと真衣から萌は相談を受ける。やがて亜衣の部屋からバタフライナイフを買った痕跡が見つかり……。亜衣は何を考えているのか?

ウィリアム・バイナム『医学の歴史』(丸善)

医学の歴史 (サイエンス・パレット)

概要

 医学はどのように、どのような社会環境で発展してきたのだろうか。臨床、書物、病院、共同体、実験室から医学史を解き明かす。
 古代ギリシャ、ローマ人はどのように病気を説明していたのか。外科や内科はどのような社会的背景で発展していったのか。フランス革命はどのような面で医学教育に影響を与えたのかなどを解説していく。

科学史

 友達とツイッターで中国の歴史から東洋医学の話になりました。それで外科と内科の歴史は違うのではないかという話になり、確かめるために読みました。
 これまで科学史や科学哲学の本は何冊か読んだことがあるんですが、医学に焦点をしぼった本は初めてでした。調べてみると、同様のタイトルで中公新書と講談社学術文庫から本が出ていました。

ヒポクラテス

 さて、医学の歴史はヒポクラテスに始まります。現代でもヒポクラテスの誓い(あるいはそれに類したもの)を学位授与式のときに唱えることからも、ヒポクラテスの影響力は大きいと推察できましょう。具体的な内容はWikipedia「ヒポクラテスの誓い」*1によると、
・この医術を教えてくれた師を実の親のように敬い、自らの財産を分け与えて、必要ある時には助ける。
・師の子孫を自身の兄弟のように見て、彼らが学ばんとすれば報酬なしにこの術を教える。
・著作や講義その他あらゆる方法で、医術の知識を師や自らの息子、また、医の規則に則って誓約で結ばれている弟子達に分かち与え、それ以外の誰にも与えない。
・自身の能力と判断に従って、患者に利すると思う治療法を選択し、害と知る治療法を決して選択しない。
・依頼されても人を殺す薬を与えない。
・同様に婦人を流産させる道具を与えない。
・生涯を純粋と神聖を貫き、医術を行う。
・どんな家を訪れる時もそこの自由人と奴隷の相違を問わず、不正を犯すことなく、医術を行う。
・医に関するか否かに関わらず、他人の生活についての秘密を遵守する。
 といったような医の倫理、プライバシーの保護などが掲げられています。ただし実際に医学部で唱えられているものではなく、原文の直訳したものですが。
 このようにヒポクラテスの知名度は高く、古代ギリシャを代表する医学者です。また、『古い医術について』も邦訳されているのですが、その生涯はよく解っていません。プラトンも言及しているように有名な医者だとは推察できますが、残っているのは断片的な著作のみ。その断片的な著作も広範囲に及び、「診断、治療、予防や内科学、および外科学の多くの側面を取り扱」っています。

全体を見る医学

 このようにヒポクラテスの論考は、一貫性を欠いているように見えます。しかし、「患者全体を見ている」と指摘し、現代の医学も「ヒポクラテスに落ち着き先を見出している」とあります。たとえば、「食餌などの健康な生活にかかわる忠告」「環境が健康と生活に影響を及ぼす役割」などは予防医学の先駆けとも言えましょう。
 予防医学というと現代的なイメージがありますが、文化的な背景があります。例えば「人体を切開することを嫌」いました。
 死因を確かめるために、死体解剖を行わず、ギリシャ人医師は、弟子たちに身体深部にわたる解剖学を教えなかった。(中略)彼らが知っていたのは、皮膚に近い部分の解剖学と病気がたどるであろう経過を示す兆候を求めて患者を注意深く観察する鋭い感覚だった。
 外科は確かに文化的な背景が大きく、死体の解剖はタブーだったのも頷けます。ヒポクラテスはヤギの頭を切開したという記録が残されていますが*2、せいぜいその程度。
 確かにエジプトでは頭蓋縫合や脳の表面などの記述がパピルスから窺えます*3。しかし、治療目的というよりも、ミイラづくりという宗教的な目的だったのではと僕は思います。

内科の限界

 内科に関して言えば、今でいうオカルティズムの側面が強いんです。例えばガレノスはを4つに分類しました。今でも痰などで健康状態を図りますが、古代ギリシャ人にとって体液で全て病気の流れを説明していました。
 具体的に、血液、黄胆汁、粘液、黒胆汁の四つなのですが、これらはアリストテレスの四大元素や人生の段階とも結び付けられて考えられました。今でこそオカルティズムなのですが、古代・中世の人々にとっては目に見える世界が全てだったのです。
 もう一つ考えなければいけないのは、当時にしてみたら、これが「科学」*4であり万物の理論だと信じていました。現代の科学理論、科学体系も百年後、あるいは五十年後、オカルトだと評されているかもしれないということです。つまり見下す資格はあるんだろうか、という点。
 細菌がいるかどうかすら解っていない時代なので、体液に原因があると考えるのは無理もないように思うのです。

イスラムに

 医学に限らず、ギリシャの科学的知識はイスラムに渡ります。理由はいくつかありますが、宗教的な迫害や戦争による亡命です。
 バグダッドに大きな図書館ができ、そこでギリシャ語の文献がアラビア語に翻訳されまるのですが、当然ながらガレノスなどの著作も含まれていました。そこでイブン・シーナー、イブン・ルシュド、そしてアル・ラーズィーなどの医学者が生まれるのです。
 アル・ラーズィーは麻疹と天然痘を区別しましたし、イブン・シーナーは治療法だけでなく、薬学、公衆衛生などにも言及しています。ウィリアム・バイナムはこれを「多様な興味」と評していますが、細分化していないので、「医学」という一つのカテゴリだったのだと僕は思います。

ルネサンス期

 さて、内科と外科は大きく隔たりを見せ始めます。11世紀にはイタリアのサレルノ医学校ができるのですが、その基盤はもっと古く、詳細は不明。すでに9世紀には医学研究が行なわれていました*5。

内科と外科

 内科はガレノス、イブン・シーナーなどの著作を読んで、当時の理論に照らして診断していました。つまりラテン語やギリシャ語の教養が必須だったのです。もしかしたらアラビア語も読めなければいけなかったのかもしれません。
 内科医は「ガレノスとアビケンナ(イブン・シーナー)の細かい差異を論じることができる」かという文献学だったのです。
 一方で解剖学は、ガレノスやアラビア医学による文献がメインでした。最初の公開解剖は1315年、ボローニャ大学で行われます。しかし、当時のスタイルとして、「死体を身分の低い者が解剖し、教授がガレノスなどの書物から該当箇所を読み上げ」るのが一般的でした。
 そんな中、外科学教授、ヴェサリウスは自分でも解剖を行ないました。ガレノスが描いた通りになっていないと気づいていました。例えば、心臓について。ガレノスは左心室と右心室の間は血液が行き来すると説いていましたが、ヴェサリウスは厚い壁があることに気が付いていました。

解剖学

 他にもガレノスは人間の解剖はできませんでしたので、豚の解剖結果を人間に当てはめていました。こうしてヴェサリウスはガレノスの間違いを修正し、『人体構造論』を発表します。これがグーテンベルグによって広まり、「ごく普通の医者でも数冊を所有することができる」ようになります。他にもレオナルド・ダ・ヴィンチが解剖学を手がけるなどルネサンス期には解剖学の知識が広まります。
 解剖は逆説がはらんでいるとウィリアム・バイナムは指摘しています。つまり、死体を解剖するのは冒涜的だが、その冒涜的な要素が知識の最前線だという逆説です。しかも解剖学の本は当然図版が入ります。当時は写真などあるわけがありませんので、図版画家が描いていたのです。つまり芸術性も伴っているのです。
 解剖学は高価で美的な図版を持つ書物の主題でもあ(中略)った。芸術と科学、知識と表現をこのように組み合わせた学問は、医学の中でも解剖学に勝るものはなかった。
 僕はこれとは別に、人間の暴力性、あるいは死についても逆説が指摘できるといましょう。人は死を怖れていると同時に、死に興味があります。例えば死ぬとどうなるのかなどの言説は尽きることがありません。そして解剖学は死をまざまざと見せつけられます。
 この逆説も解剖学の本が広まった要因といえるかもしれません。

パラケルスス

 さて、ガレノスなどの著作が間違っていることが解り、古代ギリシャの権威も落ちてしまいました。ガレノスなど古代ギリシャの著作をもとに薬の調合を内科医は考えていたのですが、その拠り所が疑わしくなってしまったのです。その中にはアリストテレスなども含まれていました。
 そんな中、古代ギリシャの文献などに頼らない、あるいは独自解釈した内科医も現れます。パラケルススもその一人です。アリストテレスは四大元素として、風、土、水、火を考えていたのですが、パラケルススは水銀(液体性)、硫黄(燃焼性)、塩(個体性)の三つだと考えました。
 実際、水銀を薬として患者に与えていたのです*6が、これはパラケルススが鉱物を医薬品として用いていたこと、つまり薬草以外のものも医薬品として用いていたことを表すものと言えましょう。折しもこのころ、中国では本草綱目が成立。タイトルだけを見ると、薬草だけかと思えるのですが、鉱物が医薬品として紹介されています*7

近代医学の誕生

 こうして外科と内科は分かれていたのですが、フランス革命を機に統合されます。別に旧体制を全て否定したわけではなく、新政府で軍医の要請が急務だったことが挙げられます。
 革命政府は自分たちの兵士や船員が病気や怪我のために医療を必要とすることを知った。陸軍は軍医を必要とし、さらに言えば医学と外科術の訓練を受けた医者が必要だった。旧来の二項対立は野営や戦場の只中では意味がなく、1794年には、新たな共和国の軍隊での必要を満たす人材をおもに育てるための医学校が3校再開校した。
 革命が起こると対仏大同盟を組んで革命を押さえ込もうとします。その周辺諸国に対抗するため軍隊を整えなければならなかったのです。
 ちなみに軍隊と医学ですが、古くから結びついていたようです。インカ帝国は棍棒が主力だったため、急性硬膜下血腫になりました。頭蓋骨を切り開き、固まる前の血を排出しないと死に至ります。すなわち宗教的な儀式ではなく、医学的な根拠があるのです*8。もちろん現代の医学とは全く違う説明のなされ方かもしれませんが。

パストゥール

 さて、現代医学は科学的なのですが、何を持って科学とするのか考えると壁が立ちはだかります。もしある一定の理論に基づいて検証するのなら、アリストテレスの四元素をだって立派な理論です。また観察結果から治療を行なうという点で言えば、薬草などを与えていたのは科学的かと問われることになります。
 顕微鏡は医学の発見を劇的に変えました。最初は17世紀に知的好奇心旺盛な人たちがいろいろなものを覗き込むだけだったのですが、フックのおかげで細胞の単位で物事を考えられるようになったのです。これより前は人間の最小単位は臓器でした。
 ルイ・パストゥールは微生物に関して業績を残しているのですが、微生物そのものは顕微鏡の発明と同時に語られていますし、それが病気の原因だと最初に語ったわけではありません。彼が名声を得られたのは偶然(と性格)によるものです。
 生物はどこから発生するのかが疑問視されていました。なにもないところから発生すると考えられていたのですが、パストゥールは実験でそれを否定したのです。が……、
 パストゥールの実験ノートによれば彼の実験もときおり失敗した(中略)がこうした結果は黙って捨て置いた。(中略)これを伏せて、パストゥールは論敵を打ち負かした
 科学者としてどうなの、と思いますが、この実験で生物学の第一人者になります。
 腐敗の原因も当時、ドイツの科学者たちは単なる化学的な変化だと考えていました。しかし、パストゥールは生物の仕業だと突き止めます。もちろん結果的に生物が化学変化を引き起こしているのは変わりませんが。
 またフランス政府から蚕の伝染病を調べて欲しいと頼まれます。しかし、パストゥールは昆虫の知識はまったくなく、ファーブルに相談します。本当に基本の基本も知っていなかったそうで、ファーブルは呆れたらしいです*9。
 ワクチンの開発もして、実際に狂犬病予防にも一役買っていますが、狂犬病はウイルスなのでパストゥールの時代にはその姿は確認できませんでした。
 

*1 Wikipedia「ヒポクラテスの誓い」。
*2 Wikipedia「解剖学
*3 同文献
*4 もちろん科学scienceという意味も現代とは異なっている。
*5 Wikipedia「サレルノ大学
*6 村上陽一郎、伊東俊太郎、広重徹『思想史のなかの科学』(平凡社)
*7 コトバンク「本草綱目
*8 Wikipedia「穿頭
*9 Wikipedia「ルイ・パストゥール



桃太郎の歌詞について(替え歌)

 突然ですが、桃太郎の歌詞をご存知だろうか。そう「ももたろさんももたろさん、お腰につけたきびだんご、一つわたしにくださいな」という童謡である。
 そのフルバージョンは6番まである。
桃太郎さん 桃太郎さん
お腰につけたキビダンゴ
一つわたしに 下さいな

やりましょう やりましょう 
これから鬼の征伐に
ついて行くなら やりましょう

行きましょう 行きましょう
あなたについて どこまでも
家来になって 行きましょう

そりゃ進め そりゃ進め
一度に攻めて攻めやぶり
つぶしてしまえ 鬼が島

おもしろい おもしろい
のこらず鬼を攻めふせて
分捕物(ぶんどりもの)をえんやらや

万万歳 万万歳
お伴の犬や猿キジは
勇んで車を えんやらや
 いや、きびだんご一つで身を投げ出す辺り、家畜、もとい社畜だと思うのですが、そこはお伽噺なので。
 問題発言は五番「おもしろい おもしろい」。あの、桃太郎さん、殺戮を楽しんでますがな。子供は桃太郎が正義の味方だと思ってるのに。
 というわけで、歌詞の続きを考えてみました。
 「不公平 不公平。なぜに我らの取り分が きびのもち 対してあいつは金の山」
 「たまらない たまらない 討伐終えても命令だ 今度は我らに 金を掘れ」
 「金細工 銀細工 我らが掘った金銀で 権力握る 桃太郎」
 「まだ掘れる まだ掘れる 犬の苦労もつゆ知らず 犬はとうとう 過労死に」
 「もう掘らぬ もう掘らぬ 命令背く我々に 金の力で 傭兵を」
 「残党だ 残党だ 雉は 鬼の生き残り 見つけて猿が交渉し」
 「伏兵だ 伏兵だ 地の利を生かし ゲリラ戦 ついには坑道 誘い込み」
 「石落とせ 崖の石 坑道の 入り口塞げば 傭兵まとめて窒息死」
 「棒がない 棒がない 気付けば 後ろに 桃太郎」
 「内通者 内通者。作戦漏れてて 乗った振り 一枚上手の桃太郎」
 「弟が 弟が 政権奪取を くわだてた 急いで都に 帰還する」
 「正統だ正統だ、革命分子は 弟で 政権擁立 かつぎ上げ」
 
 

 


シュテファン・ゲオルゲ『ゲオルゲ詩集』(岩波書店)

ゲオルゲ詩集 (岩波文庫 赤 431-1)

詩とは何か

 まず、詩の感想文を書くに当たって、僕が詩をどう考えているかについて話さなければなりません。詩とは具体的な<物>を通して、抽象的なものを描くことです。例えば、典型的な例は「桜の花」。桜の花は目に見える、具体的な物です。でもそこから美しさ、儚さという抽象的なもの、目に見えないものを描いているわけですよね。<美しさ>そのものは<美しいもの>を通してしか描けませんので。
 しかし、何を美しいと感じるかは傾向はあるにせよ、基本的には人それぞれです。中には桜を美しいと思わない人もいるかもしれませんし、桜を見ると恋人と花見をした思い出が蘇ってくる人もいるかもしれません。その人にとって桜は恋愛と結びついているのだと思います。

異化作用

 よく文芸批評史を読んでいると、異化作用*1という言葉が出てきます。これはロシア・フォルマリズムの用語。慣れ親しんできたものに新鮮さを与えるための手法です。
 例えば、「無為の騎士」という詩が収録されています。
かすかに聞こえるのは武具の音か、
軍馬を仕度する騎士たちか?
高窓からの警めの叫び、
槍は鳴る?

いや、風が扉に打ちつけているのだ。
 これは、「風が扉に打ちつけている」音を、武具の音、「軍馬を仕度する騎士たち」の音に喩えています。そうすることで日常聞き慣れている音でも、改めて聞いてみると、「武具の音」に聞こえてくるかもしれません。
 ちなみにゲオルゲはもちろんオートロックのマンションには住んでいませんし、木造の日本建築にも住んでいません。この詩から察するに、枠組みは木で錠前は金属だったのではと思います。
 風が吹くたびに錠前がガチャガチャ鳴って、その音が武器を仕度する音に聞こえたのでしょう。
 ロシア・フォルマリズムの論客の一人、ミハイル・バフチンは内容よりも形式にこだわった理由として、文学の分析が行きづまっていることを指摘しています*2。
 つまり個人的な生い立ちを研究するのか、それとも政治思想を研究するのか、という二者択一にならざるを得ないと考えていました、そしてその状況を脱却しようと、文体という点にスポットを当てたのです。

ドイツの詩

 詩そのものを多く読んでいません。しかも、ドイツ人でまとまったものを読んだことがあるのはゲーテ、ハイネ、リルケ、そしてヘルダーリンくらいです。したがって、象徴主義云々、ヘルダーリンとの関係を語れるほど詳しくありません。
 しかし生前、評価はあまり芳しくないヘルダーリンの詩を、再評価したのがゲオルゲでした。現にゲオルゲは明らかにヘルダーリンの影響を受けています。例えば「紛乱の時代の詩人」では「心臓(Herz)」をドイツの意味で使用しているのは、ヘルダーリンの詩「ドイツ人の心が歌う」に由来していると、手塚さんは指摘しています*3。
 確かに、ゲオルゲは「原始風景」などで大自然を主題にしています。
暗い樅の繁みから青空へ鷲は翔った、
またその木の間から狼の雌雄は歩み出、
浅い流れにのどをうるおし
するどく見まもりながら仔らを森へと追いかえした。

ついで 散り敷いたつややかな葉を踏んで、
鹿のむれが足早にあらわれ 水をのみ あたりを怖れながら
森の闇へと帰ってゆく。ただ一匹が蘆間にのこり
友の群れを避けてしずかおのれの最後を待った。
 これがドイツの自然を描いたものなのか、ゲオルゲの心象風景なのかは解りません。この原始風景からは、狼をドイツ人、鹿の群れを多民族に置き換えると選民思想とも解釈できます。ゲルマン神話にはフェンリルという怪力の狼が登場し、鉄の鎖を引きちぎります*4。
 事実、ヒトラーはゲオルゲの詩から選民思想を読み取り、利用しようとしました。しかし、「ゲオルゲはそれを避けるようにドイツを去り」*5ました。したがってゲオルゲ自身に選民思想は一切なく、ヘルダーリンの影響を受けただけなのでしょうか。

ヘルダーリンとの差異

 ヘルダーリンの「ライン」「ドナウの水源で」などの詩で、大自然を詠みました。
 これはヘルダーリンが自然と神を同一視していたという汎神論によるものです。ヘルダーリンの作中には、その思想がいたるところに現れています。例えば、『ヒュペーリオン』*6という小説には、
 生けとし生けるものとひとつであること、至福の忘我のうちに自然のいっさいのなかへ帰ってゆくこと、これこそは思想の喜びの頂点、聖なる山頂、永遠の安らぎの場なのだ。
 という一文が出てきます。

シュテファン・ゲオルゲ

 さて、ゲオルゲの宗教観はどうだったのでしょう。そのことが窺える詩がこちら。
 わたしは一者であり両者だ
 わたしは父であり母胎だ
 わたしは剣であり鞘だ
 わたしは生贄であり刺殺者だ(中略)
 わたしは影であり実在だ
 わたしは終局であり開始だ
 つまり、この詩で描かれているのは汎神論ではなく、人格を持った神であり、伝統的な一神論です。「影」と「実在」の対比についてですが、プラトンの影響です。プラトンの『国家』*7には、洞窟の比喩が出てきます。「縛められ壁に向き合った人々は、影だけを見てそれを実体だと思い込んでいる」*8という話です。
 プラトンの思想はルネサンス期に、中東を経由してヨーロッパ世界に持ち込まれました*9。それがキリスト教に取り込まれ、現在にいたるのですが、上に見るように影、実体がキーワードとなっているのです。
 「実体であり影」であるような、あるいは「終局であり開始」であるような、二つの相反する要素を同時に含むような存在。つまり万物を司っている神だということになります。

悲しき国

 この「悲しき国」は第一次大戦で荒廃したドイツを歌ったものです。僕はてっきりカサンドラなどの記述からトロイア戦争を描くことで、栄枯盛衰を詠んだ詩だと解釈していました。ドイツも第一次大戦以前は英仏ほどでないにせよ、それなりに栄華を誇っていた国*10。
 カサンドラはアイスキュロスの戯曲『アガメムノン』などに登場する預言者です。この戯曲はトロイア戦争を描いているのですが、アポロンからの逆恨み*11でカサンドラを誰も信用しなくなります。……この辺り復讐が陰湿ですが、とにかく破滅を予見しながら誰からも信頼されず、結果的に国家が滅亡してしまうのです。
 もちろん第一次世界大戦を予見していた人もいるでしょう。ゲオルゲはそんな人たちとカサンドラを重ねていたのかもしれません。そして図らずもこの後、第二次大戦へと突入していくのです。



*1 Wikipedia「異化
*2 ミハイル・バフチン『ドストエフスキーの創作の問題』(平凡社)
*3 手塚富雄訳注『
ゲオルゲ詩集』(岩波書店)
*4  Wikipedia「フェンリル
*5 Wikipedia「シュテファン・ゲオルゲ
*6 フリードリヒ・ヘルダーリン『ヒュペーリオン』(筑摩書房)
*7 プラトン「国家」(『世界の大思想<1> 国家/ソクラテスの弁明/クリトン』河出書房)
*8 Wikipedia「洞窟の比喩
*9 B・C・ヴィッカリー『歴史のなかの科学コミュニケーション』(勁草書房)
*10 プロイセンは普仏戦争でアルザス=ロレーヌ地方を取得している(wikipedia「普仏戦争」)
*11 アポロンは失恋の腹いせに、カサンドラの預言の信頼性を奪った。そのことからカサンドラがトロイア戦争を予言しながらも誰も信じてもらえなくなった(Wikipedia「カッサンドラー」)



青木保『異文化理解』(岩波書店)

異文化理解 (岩波新書)

要約

 例えば、インターネット、テレビ、映画、外国文学……。現代において異文化との接触は避けられなません。文化人類学者、青木保さんがタイでの修行僧経験を取り上げ「異文化理解」とはどういうことなのか考えています。まずその中に行ってみないと異文化は理解できません。例えばタイを知りたかったら、タイに実際に行ってみること。そして現地の時間感覚を味わうことが重要。
 第三章では、E・M・フォースター原作の映画『インドへの道』を題材に、いかに西洋文化がいかに東洋を偏見の目で見てきたかを探っていく。そしてステレオタイプが異文化理解の邪魔をしている、とも。

僕の感覚について

 まず『異文化理解』の感想文を書く上で申し上げなければいけないことがあります。僕は社会というものに余り実感がわきません。
 例えばイスラム国の問題ももちろんニュースとして知っていますし、大雑把な世界地図は把握しています。またイスラム教についてはコーランやアル・ガザーリーを読んで少しは知識があります。しかし社会の実感としてどうも湧きません。それどころか他人の心さえも実感が沸かないのです。
 したがってそんな人間が『異文化理解』の感想を書くのは適さないかもしれませんが、それでも書いてみようと思います。

異文化をめぐる情勢

 この『異文化理解』が書かれたのは2001年6月。かなり世界情勢は様変わりしています。だからこそ『異文化理解』は必読だと思います。
 『異文化理解』では書かれていませんが、2001年9月11日、アメリカ同時多発テロ事件が起きます。それがISによるテロの遠因となりました*1。アメリカではイスラム教徒に対して風当たりが強いそうです*2。現にトランプ大統領は空港でイスラム圏からの入国を拒否しました。
 こんな状況なので異文化理解はかなり厳しいように思われます。『異文化理解』ではインターネットについても述べられています。
 インターネット(中略)の急速な普及をみる情報化社会は、異文化理解を進める側面も持っていますが、一方で、異文化に対するステレオタイプ的な決めつけが生まれやすいことも事実です。情報化時代というのは、ひとつのイメージで全て決めてしまう、そういう(中略)非常に恐ろしい時代でもあります。
 どちらかといえば否定的にインターネットを捉えているなのですが、これも時代柄仕方がないことです。今でこそfacebookが普及し、国際的な交流ができるようになりました。しかし2001年の段階では自分から海外のチャットに足を運ぶしかありませんでした。つまりこの時点ではまだまだハードルが高かったのです。
 今は英語さえできればなんとかコミュニケーションは取れますし、英語も辞書を引けばいいだけのこと。以前と比べるとかなり「異文化」を見つけるのは簡単になりました。したがってこの記述はSNSが普及すると変わってくると信じています。もちろん僕の希望的観測ですが、外国人観光客も増えてますし。

オリエンタリズム

 文学が僕の関心分野なので、オリエンタリズムについても少し書いておきます。『オリエンタリズム』*3はエドワード・E・サイードの主著です。『オリエンタリズム』の中で、文学・絵画などで植民地がどう描かれているかを分析し、その根底にあるものをあぶりだしました。それは「憧れ」と「偏見」なのですが、そのどうして相反する二つの感情が起こるのでしょうか。サイードは下記のように分析しています。
 人は事物を、まったく新奇なものとまったく既知なものとの二種類に分かつ場合には、判断を停止する傾向がある。新しい中間カテゴリーが浮か び上がってきて、そのために我々ははじめて見る新しい事物を、既知の事物の変形にすぎないと考えることができるようになるからである
 われわれは全く経験していないことを、想像できません。その一方であらゆるものを意味のあるものとして受け取ろうとします。ロールシャッハ・テストがその代表でしょうね。
 「全く珍奇なもの」を見た場合、間違っているか否かにかかわらず、ロールシャッハ・テストのように受け取るのかもしれませんね。

個人間でも「異文化」である

 さて、味の素が豚の脂を使って、イスラム教徒から反感を買った事例など『異文化理解』では国際的な意味が強いです。しかし、『異文化理解』の内容は個人間にも当てはまるのではないでしょうか。もちろん「異文化を体験する」ことはできませんが。

象徴を理解するには

 人の行動を理解するには3つのレベルがあるといいます。1つは「自然」。これはボールがきたら避けたり、キャッチするなり、動物的な本能です。
 二つ目は「社会」。これは冠婚葬祭には礼服をきるなど、どこの社会にでもある程度共通した部分です。
 三つ目は象徴。
 たとえばキリスト教を信じている人には十字架は意味を持ちますが、信じていない人にとっては何の意味も持ちません(中略)。その価値とか意味を共有している人間しかわからないということが多いですが、日本の文化でも外国人にとってわかりにくいのはこの部分です。
 確かに象徴を理解するのは難しく、この理由は2つあるかと思います。
 一つ目:抽象的を表そうとしている。例えば信仰というのは目に見えません。これを目に見える形で置き換えようとしているわけですから、理解が困難になります。
 二つ目:論理的な必然性がない。例えば十字架と信仰には論理的な必然性がありません。僕がここでいう論理的な必然性というのは「偶数と2n(nは自然数)」のように一意的に決まるものを指しています。
 別に信仰を現すのには、手を合わせること、ひざまずくこと、などの手段もありますよね。僕が十字架と信仰の間に論理的な必然性はないと言ったのはそこなんです。
 この象徴は物語という観点でなら理解ができます。つまりイエス・キリストが十字架にかかった物語を聞くことで、信仰と十字架との結びつきが理解できるのです。
 これは個人間でも言えること。例えば犬に噛まれたら、犬は恐怖の象徴として映るでしょう。逆に子供の頃に犬と遊んだ経験があれば、犬は優しさの象徴として映るかもしれません。どうして犬が怖いのか、その物語を酌むことが他者(つまり異文化)理解です。

アイデンティティを決定する軸は一つではない

 自分は日本人だ、というアイデンティティを持つとあたかも軸が一つであるかのように錯覚してしまいます。前述の通り、僕は社会という概念が極めて希薄です。
 日本国籍を持つもの以外にしか考えていません。国籍は客観的な事実ですので。例えばフィリピン人も日本国籍を取得したら、僕の感覚だと「日本人」です。歴史を持ち出す人がいますが、先祖をたどればフィリピンか、朝鮮半島に行き着きます。そしてそれがたまたま1000年くらい遅かっただけのことですが、これも人類が誕生してからの歴史に比べると、本当に小さなこと。
 僕は日本人です。しかし同時に男性でも、異性愛者でも、本好きでも、文学作品が好きでも、同人ゲーム製作者でも、アマチュア小説家でも……どの要素が優位かは、もちろんその場の状況に応じて変化します。
 小説の話をする場合は、本好きとして、投票に行くときは日本人として。日本人という自意識が強すぎると自文化中心主義に陥ってしまうのではないかと思います。

*1 「イスラム国」なぜ生まれた? 国際政治学者・酒井啓子先生に高校生記者が聞く(前編)
*2 THE HUNTINGTON POST「9.11同時多発テロから15年 イスラム教徒への偏見と憎悪はまだ続いている」 
*3 エドワード・サイード『オリエンタリズム』(平凡社)



ジル・ドゥルーズ、フェリックス・ガタリ『カフカ』(法政大学出版局)

カフカ―マイナー文学のために (叢書・ウニベルシタス)

ジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリについて

 ジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリはフランス現代思想の代表的な人物です。『アンチ・オイディプス』*1などの共著で知られていますがすが、単著もあります。調べてみると、ある時期から二人で書き始めたというものではなく、『アンチ・オイディプス』が書かれても『襞』*2を単独で書いています。
 また『差異と反復』*3などでは微分などの数学用語をでたらめに使ったとして、アラン・ソーカルから批判されています。

マイナー文学のために

 さて、この評論においてドゥルーズとガタリはマイナー文学という概念を提示しています。ここでいうマイナーとは知名度の問題ではありません。
 ドゥルーズ、ガタリは「少数民族が広く使われている言語を用いて創造する文学である」と定義しています。例えばこの評論ではカフカを中心に論じられていますが、カフカはユダヤ人でした。当時、カフカの母語はイディッシュ(Yiddish)*4という言葉で、これはドイツのユダヤ人が話している言葉。したがってカフカにとってドイツ語は外国語だったのです。
 ドゥルーズとガタリはこの「マイナー文学」という概念を通して、領土とは何かという問題を考えているのです。

領土とノマド

 取り急ぎ補足しなければならないことは、ドゥルーズが「領土」というとき、特殊な意味で用いられています。一般的に日本の領土と言うと、地理的・物理的な意味で用いています。
 しかしドゥルーズとガタリはある価値観が支配している、その影響範囲という意味で用いています。例えば資本主義が現在、優勢を占めていますが、ドゥルーズに従えば資本主義の「領土」なのです。そして、この支配からいかに抜け出すかを、ドゥルーズとガタリが模索しているのです*5。
 遊牧民という意味のノマドも重要概念の一つ。遊牧民は定住することはなく、絶えず動き続けます。モンゴルやフン族が戦争をしながら領土を拡張していったからでしょうか、ノマドを戦争機械と名付けています。しかし『アンチ・オイディプス』を初め、ドゥルーズが言う機械とは工作機械だけではなく、一連の流れに基づいていればなんでも構いません。例えば資本主義を「欲望する機械」と呼んでいますが、生産→消費→生産という欲望の流れを差しているのです。
 をまた、『アンチ・オイディプス』において、定住者を将棋、ノマドを碁に例えています。将棋には役割が与えられています。例えば飛車と角は攻め駒、金銀で守りを固めて、という具合に。金将と銀将は攻め駒としても有効なのですが、役割は固定されています。
 しかし、囲碁は戦況次第で役割が変化していきます。つまりそれぞれの石の役割が固定されていないのです。このような世界観はドゥルーズの至るところで見られます。『カフカ』の第一章で「カフカの関心をひくものは、常におのれ自身の廃棄と関係している」と述べていますが、『変身』含む幾つかのテクストはまさに役割を変えることにあると言えましょう*6

マイナー文学

 マイナー文学を読むことで統一的な価値観の支配から抜け出す手がかりにしました。ドゥルーズとガタリの問題意識を分析するのに、カフカは最適な作家だったと思います。
 カフカはイディッシュ演劇も盛んに見に行っていました*7。その傍らで日常は労働保険局で働いていたので、公務員というオーストリアの価値観が色濃く出る仕事でした。つまりオーストリア人とユダヤ人という二つの価値観が共存していたのです。

書くということ

 フランス現代思想を代表する人にジャック・デリダ*8がいます。彼は書くこと(エクリチュール)について深く考えたのですが、ドゥルーズとガタリによればカフカが物を書くことが単なる思想表現だけではありません。
プラハのユダヤ人がエクリチュールに近づくことを妨げ、彼らの文学を不可能なものにしている袋小路を定義する。つまり、書かないことは不可能なのであり、ドイツ語で書くことは不可能なのであり、他の言語で書くことは不可能なのである。
 ドゥルーズとガタリはこの根拠をマックス・ブロートに宛てた手紙に求めています。「抑圧された民族意識は、かならず文学に支えを求めるもので」す。
 また、純粋なドイツ語で書くことが不可能です。確かにカフカはドイツ語で原稿を書いていますが、カフカはドイツ語の母語話者ではありません。こればかりでなく、オーストリア・ハンガリー帝国で話されていたドイツ語はドイツから見ると少し違っているのです。実際、母語話者がカフカの文章を読むと少し違和感があるようです。
 しかしイディッシュで書いていては広まりません。だから母語であるイディッシュで書くことはできないのです。価値観から抜け出す、というとまるでバラ色の人生に聞こえてしまうのですが*7、カフカ読解で、この作業の孤独さ・難しさが窺えます。

中心のない世界

 ドゥルーズの世界観は、必然的に中心のないものになっていきますし、ドゥルーズ自身もこれをリゾームと読んでいます*9。この言葉は根茎という意味。地上の樹が幹を中心にいくつもの枝分かれしてるのに対し、根茎は中心がなく複雑に絡み合っていますよね。そのイメージで語られています。
 カフカの読解においても、「巣穴」*10などのテクストを分析しながら、中心や特権がないということを分析しているのです。そもそも『城』というテクスト自体、もともとカフカは順番を書いていません*10。マックス・ブロートが再編成したものです。そして、これは順番など関係ないという意味です。
 これはストーリーだけの話に留まりません。カフカは本来、作品について特権的な役割を果たしているのですが、その著者すら中心に位置しないという風に解釈ができるのです。
 でも、素材はカフカでなくとも同じことが言えるんじゃないでしょうか? 現に手を変え品を変え、あちこちで言ってるわけでしょう? 自分の世界観にカフカを無理やり合わせているようで、嫌なんですよね。ドゥルーズの世界観は面白いと思うだけに残念です。
 とは言え、このマイナー文学という考え方はポストコロニアルにも使えそうですね。

*1 ジル・ドゥルーズ、フェリックス・ガタリ『アンチ・オイディプス』(河出書房新社)
*2 ジル・ドゥルーズ『襞―ライプニッツとバロック』(河出書房新社)
*3 ジル・ドゥルーズ『差異と反復』(河出書房新社)
*4 イディッシュ語ともいうが「Yiddish」のishには「言葉」という意味がある。したがってイディッシュ語という表記は重ね言葉になる(Wikipedia「イディッシュ語」)。
*5 この問題を詳述しているのが、『アンチ・オイディプス』である。
*6 『変身』はサラリーマンが虫に変化する話であるが、「橋」は橋としての役割を自らが放棄する話である(フランツ・カフカ『カフカ短篇集』岩波書店)
*7 粉川哲夫『カフカと情報化社会』(未來社)
*6 ジャック・デリダもまた、フランス本土ではなくアルジェリア出身である。
*7 一時期、ドゥルーズとガタリの言葉を濫用してノマドワークという言葉が持て囃された。
*8 フランツ・カフカ『カフカ寓話集』(岩波書店)収録
*9 ジル・ドゥルーズ、フェリックス・ガタリ『アンチ・オイディプス』(河出書房新社)
*10  wikipedia「



フランツ・カフカ『カフカ寓話集』(岩波書店)

カフカ寓話集 (岩波文庫)

寓話と言うけれど

 カフカの作品が寓意に満ちています。寓話集というタイトルに特別な意味はない、と翻訳者は言っています。確かに、「巣穴」や「歌姫ヨセフィーヌ、あるいは二十日鼠族」は動物が主人公なので、寓話と言う印象が強いのですが、「断食芸人」は「寓話」と呼ぶには違和感があります。
 さて、カフカはどの作品でも不条理な世界観を描いています。例えば、いつまでも宮廷から抜け出せない「皇帝の使者」、漠然とした恐怖にかられ巣穴を掘り進めるモグラ……。カフカの作品では主人公がこういった「迷宮」をさまよいます*1。

不条理

 カフカの文学はカミュと並んで、よく不条理だと言われます。不条理とは、理屈に合わない行動であり、例えばカミュは『異邦人』*2の中で「太陽が眩しかったから人を殺した」というムルソーを描いています。このようにカミュは人間の心はわけがわからない、つまり不条理なものだということを描きたかったのではないかと思うのです。

カフカの『不条理』

 一方、カフカは人間の心というよりは、社会制度に不条理さを見出しているように思います。例えば『城』は、わけがわからないまま王様に呼びつけられ、城に行こうとすると、身元確認のため、城下町をタライ回しにされます。結局、城にはたどり着けない、という話なのですが、この場合、城下町という社会システムが理屈に合いません。この辺り、カフカが労働災害保障局の役人だったことも影響しているのではないでしょうか。

規則

 さて、無意味な規則に振り回される人々は『城』だけではありません。「掟の問題」の民衆も規則が問題になってきます。
 その掟について、民衆たちは余り知りません。貴族たちが定めたと言われているのですが、それも「古くからそう伝わるだけで」す。また「掟自体も色々解釈されてきたので、すでに解釈自体が掟となっている」とあります。
 膨大な事実を通してあれこれの決まりをうかがわせようとするような共通項がなくもない。ついては慎重に選び出し、現在および未来にわたる方針を立てようとすると──とたんにすべてが怪しくなってきて、しょせんは頭の遊戯にすぎないのではないかと思えてくる。というのは、われわれが見つけ出したと称する掟などそもそも存在しないかもしれないからだ。
 「掟の問題」からはさまざまな寓意が読み取るのですが、まず想像したのは、宗教の問題。ユダヤ教はタルムードと呼ばれる戒律に従って行動し、信仰のみならず生活の基となっています*3。またタルムードについては律法学者たちがそれこそ議論してきた、という点で「掟の問題」と共通しています。また他の短編、「使者」は形骸化したにもかかわらず、お布れを告げなくてはいけないという話です。
王がいないため、およそ無意味になってしまったお布れを、たがいに叫びたてている。だれもがこのみじめな生活に終止符をうちたいのだが、使者の誓約あってどうにもならない。
 このような宗教戒律と聖典と問題にしたのはカフカがユダヤ教の家庭に生まれ育ったからかもしれません。
 しかし、イスラム教ではコーランの解釈を巡って議論しています。またキリスト教でも聖書解釈学をめぐって議論をしてきました。つまり、このような議論はユダヤ教だけでないのです。

法律

 ユダヤ教などといった言葉が出てくると遠い異国の話で、日本人には縁遠いように思えるかもしれません。しかし、この「掟の問題」は法律の問題とも読み替えることができます。
 そもそも法律は宗教戒律から派生したものだと思いますし、現にイスラム諸国ではコーランに基いて裁かれます*4。
 このような歴史的事実はもちろんのこと、法律もこの「掟の問題」で描かれているようなイメージが僕にはあります。「〔解釈に加わるのは〕ほんのひと握りのものたちだけで、民衆全体は解釈に加わらないこと」や、「それによって生じてくる不都合」があると描写されています。
 このことは、まさに政治家の解釈で憲法の解釈が変えられたり、あるいは知らないうちに法律ができたりすることと似ていませんか?

自然法則

 さて、この「掟の問題」は自然法則とも解釈できます。ここでいう自然法則とは物理学だけではなく、経済学、言語学などの法則なども含みます。
 「掟の問題」という邦訳だけでは解りにくいのですが、原題は「Zur Frage der Gesetze」。このGesetzeが「掟」「法律」という意味ですが、科学の法則という意味もあります*5。
 自然科学の法則というと白か黒か二分されている、というイメージがあるかもしれませんが、科学でできるのは一定条件で再現できるかどうかのみ。法則性や理論は科学者が解釈し、その解釈が妥当とみなされた時に定説だと言われるのです。現在ではビッグバンが定説だと言われていますが、あくまでも仮説。他にも定常宇宙論などがありますが、ビッグバンがあったと仮定したほうがより多くのことが説明できる学者が多いというだけのことなのです。
 さて、宇宙がどのようにできたかなどは、それこそ我々と縁遠いでしょう。科学者たちが議論していつの間にか我々の生活に組み込まれていきます。例えば高血圧の知識、地球温暖化の知識などが挙げられます。そのことが貴族だけで掟を決めている、という描写と結びつきました。

迷宮

 『城』のあらすじは、あちこちタライ回しになるという点で迷宮とも深く関わってきます。実際、この『カフカ寓話集』には迷宮を思わせるものも収録されています。
 例えば「皇帝の使者」では、皇帝が使者に伝言を託すのですが、王宮が広すぎて外に出られません。結局は、外に出られないまま死を迎えます。
王宮内奥の部屋でさえ、まだ抜けられない。決して抜け出ることはないだろう。もしかりに抜け出たとしても、それが何になるか。果てしない階段を降りなくてはならない。たとえ下りおおせたとしても、それが何になるか。幾多の中庭を横切らなくてはいけない。中庭の先には第二の王宮がある。ふたたび階段があり、中庭がひろがる。それをすぎるとさらにまた王宮がある。このようにして何千年かすぎていく。
 伝言を待っているのに、届かないという皮肉な結末。池内紀は解説でカフカが読者のもとに作品を送り届けたかったことを表していると書いています。
 この場合、使者は友人、マックス・ブロートです。カフカの死後、原稿を燃やしてほしいと言ったにも関わらず、彼はカフカの小説を編集・出版しました。ここから密かに作家への野心を密かに燃やしていた、と論じています。
 しかし僕は、発信者と受信者がいかに乖離しているのかを読み解きました。カフカはユダヤ教からでしょうか、宗教的な戒律を主題に描いています。この作品もそれに照らせば「皇帝」を神、「使者」を預言者と解釈すれば、神の意図は永遠に伝わらないという諦めとも受け取れます。
 現に「メシアの到来」という短編では、救い主が「もはや必要なくなった時に」「やってくる」という話です。「メシアの到来」では使者がメシアに置き換わっていますが、結局意味がなかったという点において似ています。
 しかし、われわれ一般においてもコミュニケーションの齟齬はつきものです。特にカフカにとってドイツ語は母語でありませんでしたので、もどかしさを覚えていたのかもしれませんね。
 それにしてもカフカの描く迷宮とボルヘスの描く迷宮は似ていると思うのは僕だけ?

*1 例えば『』の測量士Kは城下町をタライ回しにされるが、同じ場所を強制的に行き来させられるという点でさまよっているといえる。また『訴訟』では永遠に裁判が終わらない話である。
*2 カミュ『異邦人』(新潮社)
*3 Wikipedia「タルムード」。
*4 Wikipedia「シャリーア
*5 Wikipedia「法則



大江健三郎『新しい文学のために』(岩波書店)

新しい文学のために (岩波新書)

概要

 ノーベル文学賞作家、大江健三郎が綴る文学論です。言葉の異化作用を中心に、神話、読みの多様性、そして創作の方法について論じています。
 異化作用とはミハイル・バフチンらロシア・フォルマリズムの用語で、詩について考えるときに重要です。事物をそのまま言葉にして置き換えるのではではなく、何か違ったものと置き換えることを詩の本質だと述べています。例えば、「鉛筆」は漢字で書くと「鉛の筆」と書きますが、翻訳した人はセンスがあると思います。筆は本来、先が毛。これを鉛という言葉と結び付けたのですから。こういう本来、関係のない二つの言葉を結びつけるのを異化作用と言います。日常言語の認識方法とはまた違いますよね。
 大江健三郎は全ての現象を異化しようと述べているように感じました。

大江健三郎

 はじめに断っておくと、僕は大江健三郎の小説は余り好きじゃないんですよ。試みは解るんですけど。
 中には政治思想が相容れない人もいるかもしれませんが、政治思想、作家、作品は切り離して考えてます。したがって純粋に文体の問題なんですね*1。
 その理由ははっきりしていて、文章が一文が長く、読みにくい。難しい言葉を使いすぎ。もちろん辞書を引いてその都度調べていますけど、思考が中断されて物語に集中できない。もちろん大江健三郎は意図的にやっているんですけど、僕の言語観と根本的に相容れません。
 言葉の本質は伝達です。異化作用ではなく、ありふれた言語で書かなければいけません。ダンテの『神曲』を岩波書店から引用しているのですが、ダンテはラテン語ではなくイタリアのトスカーナ方言で書きました*3。その意味を酌んで引用するなら、日常語で訳した筑摩版からの引用が望ましいでしょう。
 枝葉末節のように思われるかもしれませんが「様ざまなレヴェルにおいて」読むということは当然、そういった「レヴェル」も含んでいるものと思われます。

ウィリアム・フォークナー

 とは言っても大江健三郎の試みを紹介しないのは公平性に欠けます。大江健三郎が目指したものはウィリアム・フォークナーのような世界だと思うんですよ。ウィリアム・フォークナーの作品群では時間の扱い方が特徴的です。
 例えば『響きと怒り』*3の第一部では、知的障害者、ベンジーが語り手として登場します。したがってベンジーが感じている時間の通りで語られますので、物語がかなり錯綜しています。
 この方法は語り手が三人称になっても変わりません。「熊」*4という短編は南部の人が時間をどう感じていたかが反映されています。大江健三郎『万延元年のフットボール』*5では大自然が描かれていますが、その一場面の長さはウィリアム・フォークナーと似ています。

主題について

 大江健三郎を僕がどう評価しているかを書いた上で、『新しい文学のために』の感想文を書く必要があるように思いました。
 なぜなら、大江健三郎はこの評論でも小説と同様、まどろっこしく書いているように感じているからです。一文の長さもそうなのですが、全体的な構成も。

主体について

 大江健三郎は、主体について下記のように述べています。
核兵器や原子力発電の事故について考えれば、〔主体的な責任の〕問題はさらにひろがってゆく。それは説明するまでもなく明らかでしょう。逆に、個人的な問題に広めて言うなら、事故についての、主体的な引き受けという考え方は、まず僕の家庭に、頭脳に障害のある息子が生まれて来るという、この小説にも書いた事故があって、しかもそれを家族ぐるみ主体的に引き受けていくという経験をかさねた。その二十年のうちにかたまってきた主題なのです。
 ここで大江健三郎が述べているものはフクシマの原発ではありません。恐らく1986年に起きたチェルノブイリを意識しているんでしょう。もちろん1979年に起きたスリーマイル島原発事故の可能性もありますが、どちらか(あるいは両方)を意識していたかどうかはここからでは読み取れません。
 要は積極的に自らの問題として引き受けることが重要だと述べているのです。もちろん大江健三郎がこの文章を書いた時にはフクシマの原発事故なんて知るよしもなく、日本国民は他人事。しかも原発が次々と建設されていく中で、原発反対を唱えにくかったのは解ります。
 また核兵器の問題に関して言えば、原子力発電所を作れば核兵器に転用しやすくなります。こう言った問題を政府任せにしないで主体的に考えていかなければいけない、というのが大江健三郎の主張だと解釈しました。

異化と想像力の問題

 さて、大江健三郎は文学の基本原理を異化に求めています。異化については本稿の冒頭でチラッと触れましたが、改めて述べると、「近くをむずかしくし、長引かせる難渋な形式の手法で」す。
 その目的について、生活の感覚が言葉によって消え失せていく例が挙げた上でさらに続けます。
 戦争の恐怖ということを、僕らの時代でなら核戦争の恐怖に置き換えてみれば、さらにことは明らかになる。〔米ソ〕二大高の核兵器保有は全世界を熱い核戦争で焼き尽くすか、すべての生命を「核の冬」で凍らせるか、われわれを明日もさだかではない危機に直面させている。
 例えば「猫」という言葉は「我が家の飼い猫」も「他所の飼い猫」も一括りにして考えてしまうのです。要するに、イメージが画一化されてしまうのです。
 そしてロシア・フォルマリズムにはステレオタイプから脱却しようとする働きがある、と大江健三郎は考えているようです。確かにロシア・フォルマリズムは詩の研究や分析を通して最終的には文体に行き着きます。
 このロシア・フォルマリズムはアプローチとして面白いと僕は思います。しかし、行き過ぎると形式的なものに、あるいは表面的なものに囚われて「物語」を見失ってしまうのではないかと危惧しているのです。

文体の問題

 文体も個性の一つですし、大江健三郎は文体の重要性を説いています。しかし僕は文体が余り重要だとは思いません。だってすぐに文体は変えられます。さらに悪いことにはコツさえ掴めば文体模写が簡単にできてしまうことです。一文の長さ、語彙統計、重文を使っているか、複文を使っているか。村上春樹や蓮實重彦など特徴的な文体であればあるほど模倣は用意になります。
 誰にでも真似でき、しかもすぐに変えられるような代物を「個性」とは呼べませんよね。
 カップ焼きそばの作り方一つにしても、色々な文体で書くことができます*6。しかし伝えたいことはカップ焼きそばを作るという「物語」です。

神話

 大江健三郎は文体からしてフォークナーの影響を強く受けています。こう書くと大江健三郎だけがフォークナーの影響を受けているように誤解されるかもしれませんが、中上健次などもフォークナーの影響を受けています。

自然

 さてフォークナーの特徴は大自然で生きる人々を彼らの時間感覚で描いていることです。例えばフォークナーの「熊」には下記の描写が見られます*7。
サムがこうした古い時代や別の人種の死せる人々のことを語るにつれて、両方の人種を知る少年にはそうした古い時代は古い時代でなくなりはじめ、やがて少年の現在の一部分になっていった──まるでそれらが昨日起こったことに思えたばかりか、これから起こることのように思われ、サムの話の中を歩いた人は今もこの空気を吸って歩いていて、まだ埋められぬ大地に確かな影を落としていると思えるのだった。
 この文章を読者が読むにも時間が掛かるのは言うまでもありません。そして自然のゆったりとした流れを、フォークナーはあえて長い描写で表現していると解釈しています。
 雄大な自然という観点で言えば、太古の人々が共有していた物語──すなわち神話──につながってくるのです。現に『万延元年のフットボール』*8では、主人公蜜三郎たちの先祖について描いています。

神話と異化

 文学とは想像力の問題だとよく言われますが、この想像力は異化と大きく関わっている、と大江健三郎は考えているようです。 
 大江健三郎はガストン・バシュラールを引用しながら、「知覚によって提供されたイメージを歪形する能力であり、基本的イメージからわれわれを解放し、イメージを変える能力なのだ」と語っています。「イメージの思いがけない結合」とも。基本的イメージとは画一化されたイメージでしょう。
 科学と相容れないと思っているかもしれませんが、この定義に従う限り、科学も人の要素は充分に備わっていると思います。重力と波、目に見えないような小さな小さな物体がすべてのものの根源にあるという事実。あるいは月と地球の見えない力……。実際、科学史を紐解いてみれば、古代の原子論者ルクレーティウスは詩の形として自然哲学を発表していましたし、医学者イブン・シーナーは『治癒の詩』という医学に関する詩を書いています。
 「文学は、いかに人間を統合するか、いかにかたちをあたえて人間をとらえるかに、永い年月、努力をかさねてきたのだ」とありますが、これは神話の役割でもあります*9。つまり大江健三郎は文学の根源を神話に求めているように感じました。
 しかし、神話にはもう一つ、我々はどこからきたのか、そしてどこへ消えていくのかという根源的な問いかけに答える働きがあります。
 どこからきたのか、という好奇心の説明はかなり科学で解明されています。しかしどこへ消えていくのかという不安は科学では解明されても、大部分の人は解決できません。その解決を行なうのが大江健三郎の言葉を借りれば、「慰め」の働きだと思いました。
 


*1 同じ理由で小林秀雄と蓮實重彦も好きじゃない。試みは解るんですけどね。
*2 Wikipedia「神曲」より。
*3 ウィリアム・フォークナー『響きと怒り』(岩波書店)
*4 ウィリアム・フォークナー『熊 他三篇 (岩波文庫)』(岩波書店)
*5 大江健三郎『万延元年のフットボール』(講談社)
*6 「もしも○○がカップ焼きそばの作り方を書いたら」。なお、僕の経験上、江戸川乱歩は「あすこ」と書いて擬音語をカタカナにすれば、かなり雰囲気が出る。村上春樹の文体はイマイチ読み込めていないので、どのようにしたら文体模写ができるのかが不明。
*7 ウィリアム・フォークナー「熊」(ウィリアム・フォークナー『熊 他三篇 (岩波文庫)』岩波書店)
*8 大江健三郎『万延元年のフットボール』(講談社)
*9 河合隼雄『神話と日本人の心』(岩波書店)



泡坂妻夫『喜劇悲喜劇』(東京創元社)

喜劇悲奇劇 (創元推理文庫)

あらすじ

 売れない奇術師の楓七郎は、ショーのために旅客船に乗り込む。女子大生の助手、森真と一緒に。右近丸ではマジックショーを行なうのだが、出演者の一人が音信不通になったのだ。そして、代役としてマジックを披露してほしいという。
 出演者の一人には七郎の元妻、岡津唄子の姿もあった。今はドクター瀬川と結婚しているのだが、七郎は瀬川に嫉妬心を抱いていた。出航前夜に団員が殺されているが、オーナーは死体を隠してまで、船を出そうとする。
 しかし、それは連続殺人の幕開けだった。しかも被害者は回文の芸名を持つものばかり。Okatu Utakoと書くと、岡津唄子も立派に回分になることに気付くのだが……。
 章名全部を回分にした上に、「台風とうとう吹いた」というこれまた回分で始まる本格ミステリー! ぬいぐるみに運んでいた死体の入れ替わり、舞台上演中という衆人環視下の殺人……、本格推理小説好きには溜まらない一作。

作り手として

 まず作り手として、敬意を表します。これだけの趣向を凝らしながら、ストーリーとして面白いミステリを書くなんて泡坂妻夫さんの苦労は並大抵のことではないと思います。二文字の単語で揃えるだけでも僕は一苦労なのに。
 作者の泡坂妻夫さんだけではなく、解説者の新保博久さんも回文をところどころに織り交ぜています。いやぁ二人ともすごいですね。

本格推理小説として

 僕は本格ミステリから読書歴は始まるのですが、海外作家が主です。G・K・チェスタートンはブラウン神父シリーズの中で数々の心理トリックを生み出したのですが、『喜劇悲喜劇』は彼の短編を思い起こさせます。

手品と推理小説

 そもそも手品と推理小説は相性がいいんです。近年では『TRICK』、古くはクレイトン・ロースン『帽子から飛び出した死』*1、チェスタートン「グラス氏の失踪」*2など枚挙にいとまがありません*3。
 例えば『TRICK』の探偵役、山田奈緒子は本職が売れないマジシャンです。
 この理由は言うまでもなく、手品と本格推理小説のシュチエーションが似ているからです。つまり
(1)「種も仕掛けもありません」といった上で不可能なことが実際に観客の前で起こる。
(2)本格推理小説──特にジョン・ディクスン・カーなんかがそうなんですが──密室殺人などの不可能犯罪が実際に起こって、その謎を解く。
 この二つは明らかに似ています。

クローズドサークルかと思いきや

 警察が入ってしまったら(1)幾つかのトリックは成立しません。(2)また外部犯の可能性や、もうすでに逃亡してしまったという可能性も出てきます。
 本格推理小説ではこれは不都合。そこでクローズドサークルを考えだしたのです。よく嵐の孤島で、雪の山荘で、などという紋切り型の状況下で殺人事件が好まれるのは、上記二つの理由が挙げられます。
 『喜劇悲喜劇』は最初こそクローズドサークルかと思いきや、途中から警察の科学捜査が入ります。外部犯の問題は乗客名簿などから解決しますが、警察の介入を防ぐ方法が面白い。
 科学捜査と事情聴取の二つに分けられますが、科学捜査は日が経っていますし、台風で証拠品は洗い流されています。つまり、登場人物たちが警察へ協力しない、合理的な理由を考え出さなければいけないのですが、これは芥子之助の言葉を引用するのが手っ取り早いでしょう。
 穴熊てのが昔ながらのやり方でしてね、賭場が開かれている間中、あたしがその中にいて、親方に合図するんです。ほら、賽の目を動かしたり、札を誰かさんに合図したり……ね。
 もともと地下で賭博を行おうとしていました。つまり乗客全員が違法行為をしているので、警察に協力しないのです。
 さらには──泡坂妻夫がどこまで意識していたのか解りませんが──これには共犯関係という意識が生まれます。

オリエンタリズム

 さて、この殺人の動機は馬琴一座がアメリカ巡業のときに、洞窟で怪しげな宗教儀式が行なわれていることに端を発しています。騙されて、資金繰りに困っていた馬琴一座は、彼らを麻薬漬けにして殺害。教団から像を奪ったのです
 ここで僕は像の描写に注目しました。
 新二の話ですと三○センチもある黄金の像で、女神が像を組み敷いている彫刻だと言います。確かな推定はできませんが、インドのパーラ王朝期の密教の特徴が見られるそうです。
 調べてみると、このパーラ王朝は実在の王朝でしたが*4、そんなことは関係ありません。重要なのはインドの秘宝がアメリカに、そして日本に渡っているということです。
 話の流れだけを考えると、インドでなくともキリスト教の聖遺物でも単に宝石でもなんでも構いません。しかし、泡坂妻夫はインドの密教にしました。インドの神秘的な空気と、奇術の空気が符合したというのもあったでしょう。
 しかしどうしてアメリカで? それは、インドの秘宝が西洋で見つかるということに特別な意味があるのです。帝国主義国は美術品を紹介、保全の名目で強奪していました*5。この背景についてエドワード・E・サイードは『オリエンタリズム』の中で帝国主義と美術研究が一体になってしまったという考えを表しています*6。
 これで『喜劇悲喜劇』でもインドの秘宝がなぜアメリカへ流出したかが、帝国主義と結びつけて解釈できます。 大日本帝国はインドへは侵略しませんでしたが、当初の計画ではオランダ領東インドを編入する予定でした*7
 『喜劇悲喜劇』ではアメリカに渡った後、インドの黄金像が馬琴たちの手で再度、流出しています。



1 クレイトン・ロースン『帽子から飛び出した死』(早川書房)
*2 G・K・チェスタートン『グラス氏の失踪』(G・K・チェスタートン『ブラウン神父の知恵』東京創元社)
*3 wikipedia「奇術」参照
*4 Wikipedia「パーラ朝」参照。
*5 Wikipedia「文化財返還問題」参照。
*6 具体例として、ナポレオンがロゼッタストーンを略奪したことが挙げられている(エドワード・E・サイード『オリエンタリズム』平凡社)
*7 Wikipedia「大東亜共栄圏」参照。



太宰治『走れメロス』(新潮社)

走れメロス (新潮文庫)

あらすじ

 「走れメロス」はいまさら言うまでもないでしょう。実は「駈込み訴え」を読みたくて借りてきたのですが、これが面白い! 太宰治は一見、深刻な状況なんですけどどこか喜劇的な作品が多いと思っています。
 「駈込み訴え」は「申し上げます! 申し上げます」という冒頭部から始まるように全文口語体の小説。聖書では裏切り者として知られるイスカリオテのユダ*1に焦点を当ててるのですが、イエス・キリストへのツッコミが満載です。例えば「その日のパンにも困っていて、私がやりくりしてあげないことには、みんな飢え死してしまうだけじゃないのか」などです。
 実際、ユダは会計係を任されていました。その立場からすると、マリアがイエス・キリストの足に香油を塗る場面は「もったいないと思わないか、なんというお前は馬鹿な奴だ」とさんざん叱るのも納得がいくのです。
 しかしイエス・キリストはマリアを庇います。ここでイエス・キリストのために金策をしてきたユダの怒りが頂点に達したと、太宰は解釈したのです*2。
 早い話がイエス・キリストへ一方的な想いを寄せた挙句に失恋。そしてヤンデレ化してキリストを裏切った、というユダの人物像を描いているのですが、ユダは男じゃなかったっけ?

駈込み訴えの特徴

 太宰にしては、というか小説にしては文体が珍しい。口述筆記の形を取ったらしいのですが、普通は小説といえば地の文や台詞で構成されているという固定観念があります。
 ところが「駈込み訴え」では先も紹介しましたが、口語体で書かれています。
 申し上げます。申し上げます。旦那さま。あの人は、酷い。酷い。はい。厭な奴です。悪い人です。ああ。我慢ならない。生かして置けねえ。
 はい、はい。落ちついて申し上げます。あの人を、生かして置いてはなりません。世の中の仇かたきです。はい、何もかも、すっかり、全部、申し上げます。私は、あの人の居所を知っています。すぐに御案内申します。
 と誰か(恐らく、ヘロデ王*3)に語りかけるような文体なのです。現代でもこの文体は珍しく、今、挑戦中なのですが、書いてみるとなかなか難しい。というのも状況を全て台詞回しから説明しなきゃいけない。
 例えば「いつ」、「どこ」なのかこの二つは最低限、必要です。そうしないと読者が想像できません。舞台演劇、サウンドノベルなら話は簡単です。背景・書割や衣装などで表現できますから。ところが小説だとそういうわけにはいかないでしょう。おまけに読者を強引に物語へ引き込まなければいけません。
 こういうわけで、僕(だけじゃありませんが)冒頭はかなり苦労するのです。

複雑な胸中

 太宰はユダの胸中を、単に失望や落胆といった単純な気持ちではなく錯綜したものとして描いています。例えば、「ああ。我慢ならない。生かして置けねえ」と言っているのに、「私はあの人を愛している。あの人が死ねば、私も一緒に死ぬのだ」と言っています。
 一見矛盾するように思いますが、話しているうちに自分の言葉に興奮してきたり、落ち着いてきたりすることはよくありますよね。特に思いが自分でも整理しきれていないと尚更です。
 それがよく現れているのが、最後。
私は、あの人を愛していない。はじめから、みじんも愛していなかった。はい、旦那さま。私は嘘ばかり申し上げました。私は、金が欲しさにあの人について歩いていたのです。おお、それにちがい無い。あの人が、ちっとも私に儲けさせてくれないと今夜見極めがついたから、そこは商人、素速く寝返りを打ったのだ。金。世の中は金だけだ。銀三十、なんと素晴らしい。いただきましょう。私は、けちな商人です。欲しくてならぬ。はい、有難う存じます。はい、はい。申しおくれました。私の名は、商人のユダ。へっへ。イスカリオテのユダ。
 今まで読んできたのであれば、いかにユダがイエスを愛していたのかが解るはず。しかし、「愛していない、はじめから、みじんも愛していなかった」というくだりは? このメッセージの宛先はヘロデ王ではなく、自分だということが分かるのです。つまり自分に言い聞かせるために言っているのです。「おお、それに違いない」と言う台詞も、自分を納得させるためでなければこの発言の意図が解りません。
 しかもその直前には「おや、そのお金は? 私に下さるのですか、あの、私に、三十銀。なる程、はははは。いや、お断り申しましょう。殴られぬうちに、その金ひっこめたらいいでしょう。金が欲しくて訴え出たのでは無いんだ。ひっこめろ!」と激高までしています。
 つまり愛しているのに裏切られて、復讐心からの密告。これが真相なのに、いつしか銀貨のために裏切ったと<自分でも>思い込んでるようにしているのです。

井伏鱒二との関係

 さて、太宰は井伏鱒二の弟子ですが、最後に彼を恨んで死んでいきます。井伏鱒二の弟子になったのが、1930年6月。「駈込み訴え」を書いたのが1940年*4。もちろん師弟という共通点だけでは断言できませんし、井伏鱒二との確執を知っているためそのように読めてしまうのかもしれませんが、井伏鱒二をイエス・キリストに、ユダを太宰自身に重ね合わせて書いていた、と想像してしまいました。

パロディ

 太宰はパロディ文学の名手だと思います。あるいは既存の文学を巧みに換骨奪胎し、自分の作品へ落とし込むのが上手です。芥川龍之介も平安文学を参考にしながら書いているのですが*5、太宰治のほうがより形式だけを借りて、自分の特色を出しています。
 例えば「駈込み訴え」では聖書の人物だけを借りて、自分の胸中を吐露しているように思います。逆に何かの事情でそのままの文章で描けなかったのだと僕は推察しているのですが。
 パロディは原作を皮肉たっぷりに語るだけでなく、自分の文章で書きたくても書けない事情があるときにも役立つと思っています。『走れメロス』だってシラーの詩から着想を得て書いていますし。
 もちろん太宰は原作を皮肉る『御伽草子』も書いているのですが……*6。

価値観

 「駈込み訴え」だけではありませんが、太宰は大衆の価値観よりも自分の価値観を大事にしています。例えば「駈込み訴え」ではユダに重きを置いていますし、「善蔵を思う」*7では「通俗名士」の葛西善蔵に焦点を当てています。
 葛西善蔵は同じ郷里や境遇ということもあったのでしょうか。漱石、芥川といった(当時からしても)文学の第一線で活躍していた人よりも葛西善蔵に価値を見出していたのかもしれません。
 またこの自分の価値観を大事にするという発想は、「富嶽百景」*8にも見られます。
 三七七八米の富士の山と、立派に相対峙し、みじんもゆるがず、なんと言うのか、金剛力草とでも言いたいくらい。けなげにすっくと立っていたあの月見草は、よかった。
 つまり富士山だけではなく、月見草にも価値を見出しているのです。

女生徒

 「女生徒」は再読なのですが、今回読み直して感じたのは息苦しさ。あらすじは女生徒の視点から綴る日常生活です。しかし、今井田という人に逆らえない母親に嫌悪しつつも結局は自分も母親の意向に沿ってしまうのです。
 今井田さん、おかえりになる。何やら用事があるとかで、お母さんを連れて出掛けてしまう。はいはい附いていくお母さんもお母さんだ(中略)けれど、今井田御夫婦のあつかましさが、厭で厭で、ぶんなぐりたい気分がする。
 この語り手には「毎日、今井田御夫婦みたいな人たちに無理に笑いかけたり、相槌うたなければいけないのだったら、私は気ちがいになるかも知れない」と語っています。僕はこの一文から語り手の息苦しさを読み取りました。
 しかしどうやら語り手が息苦しい原因は今井田夫婦だけではないようです。
 先日私が、ケッセルの昼顔を読んでいたら、そっと私から本を取りあげて、表紙をちらっと見て、とても暗い顔をなさって、けれども何も言わずに黙って、そのまますぐに本をかえしてくださったけれど、私もなんだか、いやになって続けて読む気がしなくなった。
 つまり、母親の顔色を伺いながら読書しているのです。そしてこの姿は今井田夫妻に気を遣う母親と重なりました。
 「女生徒」は女性の一人称で書かれています。なぜ太宰はこのような文体を選んだのでしょう? 戦前は家父長制で女性は抑圧されていました。解説にもあるように、太宰は名士といえども六男。自分の部屋が与えられないなど、冷遇されていました。抑圧された女性に、冷遇されていた太宰自身はシンパシーを抱いたという解釈ももちろんあります。
 しかし戦争の話題も出ていることですので、この息苦しさは戦争前夜の空気ではないでしょうか。


*1 Wikipedia「イスカリオテのユダ
*2 香油のシーンについて『ダヴィンチ・コード』で、ダン・ブラウンはプロポーズだと解釈していた。しかしフィクションなのでどこまで妥当性があるのか解らない。
*3 Wikipedia「ナザレのイエス
*4 年譜(太宰治『走れメロス』より)
*5 「杜子春」「蜘蛛の糸」など(両作品とも『蜘蛛の糸・杜子春・トロッコ』岩波書店)
*6 太宰治「善蔵を思う」(太宰治『きりぎりす』新潮社)
*7 太宰治「富嶽百景」(太宰治『走れメロス』新潮社)





小倉金之助『日本の数学』(岩波書店)

日本の数学 (岩波新書 赤版 (61))

日本の数学史

 『日本の数学』では和算を取り扱っています。したがって戦国時代から江戸時代までを中心に扱い、高木貞治などの名前は出てきません。また数学そのものというよりは和算がどのような時代背景のもとに発展していき、西洋数学とは根本的にどう違うのかを見ていきます。
 たとえば江戸時代の「数学」者、関孝和はニュートンと同じ業績ですが、一概に比較できるものなのかなどが扱われています。そして明治期になり西洋の数学に取って代わられるまでを描いています。
 取り急ぎ結論から先に書いておくなら、「国民大衆の科学的水準を高め(中略)科学的地盤を作」ること──そのために「科学的にものを考え、数理的に事を処理する」という習慣を身に付けなければなりません。これは科学啓蒙の枠を超えて国力の増進にも目が向いているのです。

局所的に発達した和算

 よくニュートンやライプニッツと関孝和が引き合いに出されますが一概には比較できません。
 ニュートン、ライプニッツの微積分学が持っている概念の広さといい、方法の一般性といい、さらには応用の範囲の広大さといい───私たちはこういうことをも考えて見なければいけないのであります。
 確かにライプニッツは微積分を自分の哲学的な背景が窺えます*1。しかし、ニュートンは単に時速と加速度の関係を考えるために微積分を道具として使っていたような印象があります。確かに関孝和は力学などの一般法則は興味がありませんでしたけど、ニュートンの微積分も自分の問題を解くためだけに数学を使っているという点では余り変わらないような……。
 ともあれ、西洋の数学は、普遍的・一般的なものを求めていました。明治期に入って和算は西洋の数学に取って代わられるのですが、単に西欧礼賛だけではありません。こういった背景もあったのです。
 それは恐らく神学との兼ね合いでした。パスカルにしろライプニッツにしろ、自然哲学者たちは同時に敬虔なキリスト教徒だったのです。自然は神の被造物だという前提のもとで、彼らはその中に永遠の法則性を見出しました。
 キリスト教にとって神は普遍的な存在でした。デカルトはその傾向が一番強く現れていると言えましょう。

商業と測量

 一方、日本の数学は実用的な用途としてしか用いられてきませんでした。したがって小倉金之助さんによりますと数学の肝である厳密な証明もなされておらず、円の問題を考えるにもただ定義はされておらず、円をただ書いただけ。
 そんな具合でしたから、商業と測量で用いられてきました。また最初は大坂・京都が和算の中心でした。
 まず第一に、日常生活に直接必要な、例えば米の売買のこと、銭や銀や小判の両替のこと、(中略)──こういったような日常生活上の題目が第一取り上げられたのであります。
 第二には種々の技術、例えば色々な形をしている土地の面積を測る問題(すなわち検地のこと)(中略)川普請のこと、堀普請のこと、立木の長さを測ること(中略)。こういった技術的な事柄が、第二に取上げられました。
 江戸時代、さまざまな算術の手習書が出版されたのですが、もっとも和算を普及させたのは吉田光由『塵劫記』(1627年)。『塵劫記』は中国の算術書を日本の事情に照らし合わせて、書き直したものです。
 米相場と商人の交換でいえば、堂島米市場の事例がありますが、米商人による価格吊り上げは1730年。『塵劫記』が発表されてから約百年後のことです。しかし、金融業は平安時代にありました*2。
 測量に限って言えば日本に限った話ではありません。エジプトでもメソポタミアでも、幾何学は測量技術とともに発達したのです*3。そして今日で言うところの積分に行き着きます。円の面積をどのように求めるかという問題は和算でも「円理」という名前で取上げられていたのですが、関孝和は円に内接する正131072角形の円周を求めることで3.1415929という値を算出したのでした*4。随分と中途半端に見えるかもしれませんが、逆にどのように計算したのか知る手がかりになります。正4角形、正8角形、正16角形……、という具合に2倍、2倍にしていったのでしょう。数学的に書くと2n(ただしn≧2ですが)にしていけばn=17のときに、131072になります。これは今日で言う極限の考えに当たります。
 もっとも円周率を求める難しさは関孝和よりも以前に、沢口一之が指摘しています。

関孝和

 当時、和算は剣道や弓道と同じくいくつかの流派がありました。関孝和も関流という一つの流派の師範だったのです。一元方程式の解法に関しては、中国の天元術という方法で解けたのですが、二元方程式、三元方程式については余り知られてきませんでした*5
 四元方程式まで扱った文献もあるのですが、19世紀になってようやく見つかる始末。天元術は一元方程式がメインで多元方程式には不向きである、というのが江戸時代の共通認識でした。
 しかし関孝和は多元方程式を扱えるように、天元術を改良したのです。具体的には算木という器具を使わず、言葉で書き起こそうとしました。もちろんx、y、zではなく甲乙丙で表し、また加減乗除も決まった記号で表します。
 実は数学の加減乗除をどのようにあらわすか、ヨーロッパでは二百年くらいかけて議論してきたのですが、この作業を日本では関孝和一人で決めてしまったのです。

天文学

 また関孝和は天文学でも大きな功績を残しています。このきっかけとなったのが江戸幕府から暦の改訂を命じられたことでした。大人の科学.netには下記の記述があります*6。
 暦学では改暦の研究が知られている。それ以前の約8百年間にわたって使われてきた宣明暦は、このころには誤差が大きくなって使い物にならなくなっていた。これを改めるため徳川家宣(徳川綱豊)は新しい暦の制定を孝和に命じた。
 ではどうして、このような暦が800年間も使われてきたのでしょうか。小倉金之助さんは「大規模な灌漑経済を必要としなかった点」、言ってみれば中国やインドとは違い、小規模でも農業が営めた点にあるのではと分析しています。
 しかし小倉金之助さんは自然科学との接触がなく、暦法も中国のものをそのまま取り入れただけだと書いていますが、関孝和は暦法の改訂に関わっています。

秘密主義

 さて、このように書くと、関孝和はスーパースターで江戸時代の数学を牽引してきたという印象を与えるかもしれません。またそれは一つの側面なのですが、和算は秘密主義。解法はもちろん、教科書さえも他の流派に秘密でした。そのため、他の流派がどのような成果を上げているのか知る由もなかったのです。
 これは日本だけではなく、ヨーロッパでもルネサンス期では三次方程式の解放を公開しませんでした*7。理由はルネサンス期のイタリアでは数学の問題をいかに早く解けるかを競い合っていたのです。早く解けたら、その数学者にみんな教えを乞うたのですから、解放は自然と秘密になります。
 小倉金之助さんはさも日本独自の事情であるかのように書いていますが、この辺りは日本もヨーロッパも対して変わらないような気がします。

和算の普及

 さて、秘密主義ですから和算は余り普及しませんでした。そんな事情を打破したのが、関派から離反した会田安明でした。関の叙述が冗長すぎると会田は考え、和算の簡略化に務めたのです。
 当時の関派のトップ、藤田と議論を交わしたのですが、これが当時の大衆には人間臭く写ったのでしょう。藤田も会田も「数学を、系統的に簡単化する」という目的がありました。したがって、「その間には余り相違がないのであり」、数学的な見地からしたら無意味なものですが、数学の大衆化という点で役立ったと小倉さんは分析しています。

実用から芸道に

 さてこの辺りの記述がいまいち判然としません。和算家の地位が低かったのは理解できましたが、「幕府や諸藩の勘定方や天文方とか、測量や水利工事の技術者(中略)として生活した」人もいたそうです。また数学の大衆化に伴い、教えることで生計を立てていた。これも納得がいきます。
 まぁこれは就職口としては適切でしょうけど、それなら和算は「無用の用」として芸に遊ぶという考えには陥りにくいのではと思うんですよね。数学は商人に需要がありましたし。


*1 ライプニッツ『形而上学叙説』(平凡社)
*2 wikipedia「借上(中世)
*3 イアン・スチュアート『世界を変えた17の方程式』(ソフトバンククリエイティブ)
*4 ちなみに円周率は3.14159265359……なので関孝和の計算はかなり実用的なものだったと思われる。
*5 wikipedia「天元術
*6 「和算の開祖 関孝和」(大人の科学.net)
*7 おもしろ数学講座



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