道化の死 世界探偵小説全集 41

あらすじ

 民族学者、ビュンツ夫人はマーディアン・キャッスルで行われる伝統芸能〈五人息子衆のモリスダンス〉という演目のフィールドワークに赴く。そして舞台の幕は開き、クライマックスにさしかかったところで、殺人が発生した。道化師役の男、ウィリアム・アンダーソン(ガイザー)が剣で首を切られて殺されたのだった。しかも被害者は幹線道路の予定地でいつまでも鍛冶屋を続け、息子たちがガソリンスタンドの経営案を出しても断固として反対し続けているのだった。
 集団監視の中での不可能犯罪にロデリック・アレン警視が挑む!

二種類の密室

 密室殺人にはおおまかに分けて二つあります。一つ目はオーソドックスな密室殺人。これは僕たちが思い浮かべるような鍵のかかった部屋で……というもの。二つ目は開かれた密室というもの。これは今回のように密室じゃなくても事実上なんらかの理由で密室状態になっていたというものです。例えば至る所に監視カメラがついていて、突然苦しみだして死んだ、だとか……。
 ちなみにいわゆる(足跡のない死体〉も開かれた密室に含んでいいような気がします。(足跡のない死体〉とは被害者の上に雪が降り積もっていなく、なおかつ、あしあとが一組しか(もしくは全く)ない、つまり犯行をなしとげるためには雪の上を通らなくてはいけないのだ。このアイディア自体はチェスタートン「翼ある剣」やルブランの「雪の上の死体」*1が最も古い時期に書かれています。しかし知名度においてはカーの『白い僧院の殺人』と『三つの棺』の他において他にはないと思われる。またセイヤーズの『死体をどうぞ』なども挙げられる。ちなみに最近の作家だと二階堂黎人『吸血の家』や法月綸太郎『雪密室』などが挙げられるだろう。また誘拐だと歌野晶午『ガラス張りの誘拐』等が挙げられる。
 ちなみに似たような集団監視下の殺人だとグレゴリー・マクドナルド『死の演出』が挙げられる*2。

うち/そと

 さて、この物語において重要なのはマーディアン及びアンダースン家が外の力によって崩壊していく点にあると思うんですよね。そしてそれは文明の利器であったり、近代科学であったりします。
 例えば今回の殺人の動機は幹線道路絡みですし、ビュンツ夫人はマーディアン邱を訪れた時、こんなやりとりをします。レッガージ卿の遺言で(五人息子衆のマーディアン・モリスダンス〉という踊りを調査しにきたのですが、「レッガージという名前はご存知ですわよね」という質問に対して、
「ああ、頭のおかしくなったレッガージ卿という人がいますわ」
「その方ではないと思います」
「レッガージ卿は亡くなられました。バップル近郊のウォーリックシャー家の人間です」
「その方ですわ。頭がおかしいなんて、あなたは誤解しています。立派な後援者でした。彼は(古代風習教会〉を設立したんですよ」
 またミセス・デイムも「まあ、いかれレッガージだね」といいます。そして数ページにわたり冷たい空気が流れます。ここで大事なのはドイツ人とイギリス人だから、というよりも外部からの侵入とみなしている点にあると思います。平安無事に執り行われる予定だった伝統が今、外部からの侵入によってバランスが壊れてしまったのです。そしてこれは処女作、『アレン警部登場』のトカレフにも同じことが言えます。
 つまりトカレフとは外界の象徴で、家の和を乱すものとして登場しています。それと同じことが『道化の死』にも言えるのでは? 今回の場合、それがストーリーラインの側面から考えるとビュイツという民俗学者の登場、そして、事件の真相という側面から考えると幹線道路の建設という外界からの刺激による崩壊が考えられると思います。
 そして、これは少なからず、ナイオ・マーシュがニュージーランドの先住民族、マオリ人ということに深く根を下ろしているように思うんですけど。
 そしてこれは横溝正史のうち/そとと共通点が見出せるような気がするんです。例えば『悪魔の手鞠唄』なんて歌手の里帰りと詐欺師の来訪で村の内部がごたごたしますし『八つ墓村』はスケキヨの帰還で家がごたごたします。
 ただ横溝の場合、一回、内→外→内という順序で戻ってくるパターンが多いのに対しマーシュの場合はドイツ、ロシアなどの文明国からごたごたの火種が持ち込まれる場合が多いんですよね……。

民俗学的視点

 さて、この小説を特徴づけているものの一つに民俗学的な視点が上げられ、フレイザー『金枝編』に言及しているなどその点で目新しさを感じます。レヴィ=ストロースに言及されていない*3のが哲学オタクとしてはやや残念でしたが……。
 上のうち/そとでも言及したようにこの小説においては外部からの侵入によってあるコミュニティの和が乱されるというテーゼが読みとれると言いましたが、1956年は文化人類学が盛んだった時期ではないでしょうか? フレイザーやマリノフスキーが文化人類学を創始してから30年。ようやく素人が手を出すのに適してきた時期だと思います*4。
 さて民俗学の特徴は恐らく、非文明国のアイデンティティを認めるという点にあるのではないでしょうか? 少なくともマリノフスキーやレヴィ=ストロースの考え方はそうですし、フレイザーもそういう考え方じゃなかったのでは? つまりマオリとしてのアイデンティティを求める動きが(『ヴィンテージ・マーダー』及び)『道化の死』では感じられるように思います。

ユング心理学の観点から

 そして道化はユング心理学において重要な位置を占めています。道化*5は既存の価値観の破壊者として位置します。そしてそれは真実を告げる役割を果たしている、とも言います*6。
 もはや近代においては「道化」は死んだ、つまり不要になった存在であることを示しているのかもしれません。もっといえば「道化」の喜劇的な側面は失われ、逆に「真実」を知ることが悲劇につながっている、と考えられます。
 「彼は、古いタイプの人間をお払い箱にして」とありますが、ユングがトリックスターの元型で説いているのはこれでありまして、他にもトリックスターの特徴には、トリックを弄して人を騙すがその騙しにかえって足許をすくわれることになる、などがあります*7。
 しかしこれでは犯人が道化となってしまい、ガイザーはむしろ既存の価値観に保守的な人間のように映ってしまう。この解釈についてブログ閲覧者サイドから何か面白い読み方があればお聞かせ願いたい。

*1 二階堂黎人『吸血の家』参照。ちなみに何で二階堂黎人が生き残ってるかの方が謎。まぁ増加博士や渋柿ものは面白いと思うけどさぁ。
*2 しかし、そんなことはどうでもいい。
*3 もうマーシュが『道化の死』を発表していた時期には『親族の基本構造』『悲しき熱帯』などの著作が出ていたが彼女を責めるわけにはいかない。
*4 例えば僕がデリダやジャン=リュック・ナンシーを哲学の最前線だと思って追っかけてみてもどうしてもタイムラグが生じてしまうのである。それは20〜30年だと思われる。要するに研究者でもない人間が最新の著作を読みこなすのは無理がある、ということ。
*5 山口昌男『道化の民俗学』を要チェック、なお僕はトリックスターという呼び名が馴染み深いのでトリックスターと読ぶことにしたい。
*6 河合隼雄『影の現象学
*7 C.G.ユング『続・元型論』参照のこと

参考サイト
貼雑帳
caramel tea
本の三昧境
日々是研究所


書誌情報
著者:ナイオ・マーシュ
著者:マーシュ
タイトル:道化の死
出版者:国書刊行会
分類:推理小説
分類:新本格
国籍:ニュージーランド