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人質カノン (文春文庫)

人質カノン

 いつもよく行くコンビニにふらりと立ち寄った逸子を待ち受けていたのは強盗だった。しかし強盗とは不釣り合いのものを落とす。それは子供のガラガラだった。何でこんなものを持っているんだろう? と不思議に感じて、逸子は捜査をはじめるが……。
 タクシードライバーが過去の殺人を語る「十年計画」、何も書かれていない手帳を問題にした「過去のない手帳」……全七篇収録。

1.全体として


 「人質カノン」とと「過去のない手帳」はミステリに何ができるか、ということを考えてしまいます。
 社会学者のヴァルター・ベンヤミンは未完の草稿『パサージュ論』*1において探偵小説について論じた箇所があります。要するに都市生活者が個室を獲得することで、孤独になる。それが都市生活者のアイデンティティを脅かす。そして殺され、死体の身元調査が行なわれることではじめてアイデンティティが回復される、と。例えば誰もが断片的にしか僕を知りません。
 でも僕が不審な死を遂げたら、僕の人間関係などは全て警察によって洗い出されるわけです。都市生活者の「孤独」はこのように解消されるのです。
 宮部みゆきの「人質カノン」もこうしたテーマに切り込んだ作品です。コンビニという人が集まりやすい、しかし、匿名的な人物でどこの誰とも知らないというモチーフを用いたという点で新鮮な作品でした。逸子はコンビニで起きた強盗事件のあと、眼鏡くんを見かけても声をかけることはできませんでした。また眼鏡くんも「友達をおさえて、駆け寄ってきてはくれなかった」のです。
 そうか、コンビニ友達なんだな、あたしたち──ホームにぽつりと立って逸子は思った。
 (中略)それでいいんだろうな、と逸子は考えた。
 逸子は「だけど、コンビニとはそういう〔顔を出すような〕場所ではない」と言います*2。
 このことからこのヘルメットをかぶるという行為についても実は近代社会の特性を象徴していると解釈できます*3。というのも近代社会は一方的に相手の素性を知ることができるんですよ。
 例えば、僕は今日の電車でたまたま乗りあわせた人の会話を立ち聞きしていました。もしこれが、前近代、つまりみんなが顔見知りの社会ではそうはいきませんよね。

2.さらに細部に渡って見ていく  さて、そういった都市の匿名性や記号的な人物についていうなら、僕は二つの点を指摘します。一つは登場人物の匿名的で記号的な登場人物です*4。例えば、登場人物は内的固定焦点化と犯人の名前以外は全て〈眼鏡くん〉、〈中間管理職〉など記号化されています。
 とりわけ〈中間管理職〉については、強盗事件において重要な位置付けであるのにもかかわらず名前は出ておらず、その代わりに社会的地位を表わす肩書きで呼ばれています。つまり、このことからこの〈語り手〉にとって大事なのは名前ではなく、肩書きだということが読み取れます。ただそうした場合、近所の主婦に今井さんという名前が与えられているのがどう解釈していいのか迷う所ですが。
 もう一つは『QアンドA』という店の名前です。これは宮部みゆきが逸子の口を通じて「冗談みたいな名前」と評しているように、意識的につけられたのは明らかです。
 おそらくユーモアの気持ちでつけたのだろうが、『QアンドA』にという店名も近代的な都市の特徴に対しての解釈が可能となってくる。
 前述した「ヘルメット」のくだりのように、都市社会では見る−見られるという関係が薄い。これは聞く−答える、という関係でも同じことが言えます。例えば「人質カノン」において語られている場面においてもそれは言えると思います。主婦、今井が「驚きのあまり目を丸くした」ことからも解るように一方的に知られる立場です。そうした中で『QアンドA』という確実に聞けば答えが返ってくる、という意味の店名は理想的な対人関係と言えます。
 そしてそれと正反対なのが店内に流れるBGMです。「愛してる」という重要な呼びかけにもかかわらず「宛て先」*5が不在なのです。しかし、この点を除けばちゃんと問いかけに対して店内では答えが確実に返ってきます。
 そして「過去のない手帳」はもちろん、「十年計画」でも都市の匿名性を上手に使っています。「十年計画」において犯罪の告白ができるのは匿名的な存在だからです。

成長物語としての「生者の特権」

 「生者の特権」は成長物語として読めます。ここで成長物語の定義は主人公が何らかの試練を乗り越えて成長を遂げる物語であり、ゲーテ『ウィルヘルム・マイスターの修行時代』などがあげられます。
 さて、「生者の特権」は失恋したOL、明子が自殺を考えて死に場所を探していると、男子小学生が泣いているのを見つけます。話を聞いてみると肝試しとして宿題を隠され、返して欲しかったら夜の校舎にとってくるようにというあらすじです。
 明子は男子小学生と夜の校舎に忍び込むのですが、僕は夜の校舎を無意識の象徴として捉えました。多かれ少なかれ精神分析は無意識の探究であり、それを意識することで治療します*6。
 そういった中で大事となってくるのが鏡です。鏡はラカンにおいて、ばらばらになった主体を統一する象徴でもあります。これはラカンが使った意味においては生後間もない段階においてのみ適応される概念*7です。
 明子は心がばらばらになっていて、自我を再統合しなければなりません。その意味で鏡は実に効果的に機能してるといえます。
 また、明子はこの物語は井口からの精神的な自立を図ります。この井口は明子にとっては自殺を考えるほどの絶対的な存在です。そういった意味で、エレクトラ・コンプレックスにおける〈父親〉の概念と呼応すると考えられます。
 ただ精神分析の観点からすると白い布をどう読み解いたらいいのか困るところですが(笑)




*1 ヴァルター・ベンヤミン『パサージュ論』(岩波書店)
*2 この辺りはインターネットの社会とよく似ているかもしれない。
*3 ジャック・デリダは『マルクスの亡霊たち』(藤原書店)の中でハムレットの亡霊が出てくる場面を読み解いて、一方的に見られることを「バイザー効果」と読んでいる。
*4 これは村上春樹が書いた小説を論ずる上でも重要となってくる。
*5 ラカンの言う意味においての。つまり、メッセージが誰に向けて発進したものかを示している。
*6 フロイト、ブロイアー『ヒステリー研究』(筑摩書房)では抑圧されていた記憶を意識することでヒステリー(今でいうところの健忘症)の改善が図られたという事例が報告されている。
*7 ラプランシュ、ポンタリス 『精神分析用語辞典』(みすず書房)

書誌情報
著者:宮部みゆき
タイトル:人質カノン
出版者:文藝春秋
分類:推理小説
分類:社会派
国籍:日本