電子書籍の時代は本当に来るのか (ちくま新書)

僕の関心

 僕は、1.インターネットで何が起きているか、ということを別の視点からも眺めてみたいということ2.素人が作ったいわゆる同人誌、同人マンガなどを始めとする芸術の発表の仕方、方法がどうなっていくのかという点に関心があります。
 とりわけ2は今後、僕がどう創作活動していくかにも関っていく問題です。といいたいところだけど、創作活動はほとんどしてないんだけどね! でもあくまでもフィールドは表現する人ですので、電子書籍もそっちの方向からきりこんでいます。

キンドルとiPad

 僕はiPadを使ったことがありますが、かなり使いづらい。入力用端末としても、タッチパネル式のキーボードになれないこと、画面が小さいことなどがあります。読書用の端末としてもこれまたビミョーなんですよね。まず、これは電子書籍全般に言えることなんですが、目と脳が疲れる。画面のバックライトが明るすぎるんですよね。
 それからこれもiPadに限った話じゃないんですが、傍線を引くなどの書き込みができない。また、できたとしてもかなり面倒なことになる。
 これは僕の変な本の読み方をしているせいなのかもしれませんが、僕は線を引いたり、余白に結びつきそうな文献や概念を書き込んでるんですよね。それでその文献を隣において読む、というスタイルを取ってるんです。また付箋を索引としても使ってます。
 アンダーラインを引くだけなら指で引くだけで簡単に実現できるかもしれませんが、書き込むとなると厄介。あのクソめんどくさいキーボードでいちいち入力してたら気軽さが失われます。こういったメモの類いは僕の場合、少しでも面倒だと思ったら取りません。断言します、基本的に僕は面倒くさがり屋なのです。
 僕は寝ながら読むことが多いんですが、鉛筆がベッドの上にあったらもう「メモはいいや、大したことじゃない」と思ってしまうほどの面倒くさがりなのです。実はメモしなかったことを後悔したりするのですが、それでもメモをとらないのが僕(笑)*1。
 なので、気軽さに余白へ書き込めることは僕の読書スタイルにとって重要なことなのです。また実際、古本屋で本を買ってみると前の人の書き込みが読めるから、書き込みしながら読むのは僕だけではないらしいです。
 またiPadにしかり、立ち上げるのが面倒くさい(笑)。充電が面倒くさい、つーか忘れる。僕の忘れっぽさときたら半端ないですよ。だって、「グーグル立ち上げる→えーと何を検索しようとしてたんだっけ」というのがデフォなんだぜ☆
 そんな僕にはやっぱり電子書籍は向かないわけですよ。

同人活動をしてみて実感した

 そもそも、電子書籍ありきで論を進めていますが、同人関係のイベントに出席して思ったわけですよ。まだまだ紙はすたれないな、と。同人関係は作り手と受け手が同じという特殊な消費モデル*2なんですが、同人こそ電子化すればいい、と思いません? 実際、同人誌専門の電子書籍取扱店などもあり、僕は「e3paper」のプレオープンに立ち会ってます。
 同人誌を出すのには、僕のサークルだと20ページの本で30部の本を2種類(うち一冊は付録としてサウンドノベルを入れたCD−ROMが入っています)を作るのに、紙代、通信費で合計約2700円かかりました。実際にはインクのトナー代、イベントの冊子購入費などがありますから、もっとかさんでると思います。
 それでも、です。「とらのあな」や「まんだらけ」は健在ですし、僕たちの作った同人誌作成補助データは毎月平均で80前後のダウンロード数があります。つまり最低でも毎月80人前後の人は紙の同人誌を作ろうとしている計算になるのです。もちろん同人誌を作ろうと思った人が全員、このデータをダウンロードしてるなんていうのは傲慢ですから、潜在的にはもっと紙媒体の同人誌を作ろうとしていることになります。
 その原因として挙げられるのは、PDF配信はイラストが重たいということです。現在、同人誌はイラストが多いのは有名ですが、このデータを配信しようとすると1ページあたり12000KBくらいかかってしまい、とても配信できるようなデータ量ではないのです。A5をPDFで300dpiのプリンター印刷可能にした場合の数値。これよりも落とすと線が薄くなってしまったりします。1枚物ならJPG、PNGもありなのですが、冊子となるとねぇ。
 もう一つ、コミュニティに溶け込むには対面販売が有効的です。実際、前回の同人イベントで合同企画の話も出てきましたし*3。

ケータイ小説

 例えばYoshiの『DEEP LOVE』とかその後の『恋空』なんてamazonでこき下ろされてる始末。272件中172件が☆1つなので、歌田さんの分析する「完成度の高い物は必ずしも必要ではない」という言説も疑わしくなってきます。
 これまでメディアの情報発信者は完成度を高めて送り出してきた。
 小説ならば、文章の技術を磨き、(中略)刊行されてきた。
 しかし受けてがもっとも重要に思うのはかならずしもそうしたことではなかった。どういうものが最優先されるかはそのときどきで変わるにしても、たとえばケータイ小説ならば、それは「共感できる物語」かどうかということだろう。
 そうした観点から言えば、小説の技術は二義的なものでしかなかった。
 メディアが完成度を高めてきたかはともかく、曲がりなりにも創作をしてきた身にとってはどうやって「共感できる物語」を作り出すかこそが小説の技術です。たとえば、下手くそな小学生の作文みたいな文章は読む気がなくなりますし、フィクションの中にも人間のリアリティを織り込まないと「共感」が得られませんよね。だから少なくとも僕にとって、小説の技術は「共感できる物語」を産み出すための一つの要素です。
 ケータイ小説は一時期のブームにすぎないと見ていいと思いますよ。その後、ケータイ小説から村上春樹の『1Q84』や東野圭吾『容疑者Xの献身』など従来の作家が注目されてることを見ると。まぁ野いちごっていうケータイ小説サイトから新人を発掘しようっていう動きがあるみたいですが、こちらも今んところは目立った動きはないみたいですし。
 むしろオンライン小説の動きでいったら『小説家になろう』『ライトノベル作法研究所』『作家でごはん』、あと新参者としては『のべぷろ』を注目しています。とりわけ『のべぷろ』なんかは作者が課金でき、モチベーションがたかくなると思われます。

これからの新聞報道

 新聞記事を有料で電子書籍化する取り組みが取り上げられていました。これは新聞の読み方として利に叶ってると思います。僕もインターネットで新聞を読んでるんですが、有料版は使いたくない。ネットの情報は無料があたり前なのではなく、厳しいようだけど、既存メディアはインターネットユーザのほとんどから信用されていません。マスゴミという言葉に象徴されるように。
 ではなぜ信用されていないのか。健康番組などでウソや恣意的なデータがリアルタイムで発覚するような仕組みがある。普通は視聴者に抗議の電話などがあって気付くのですが、そういった積極的な行動を起こすのはごく一部です。しかも対応が「不誠実」だとその録音したやり取りをyoutubeなどで晒される始末です。
 ここからは僕の願いでもあるのですが、僕がお金を出してもいいかな、と思うような情報があります。毎日新聞みたいなイエロー・ジャーナリズムに走らず、確実な報道です。インターネットの情報は、速報的でである分、ネタもまざっているので逆立ちしても速報性、多様性では勝てません。
 たとえばツイッターのタイムラインを見てみると、余震がきたら、「余震……」とか、もうその場でツイートされ、原理的には全世界に広まってるんだぜ。
 こんなものに太刀打ちしようったって土台無理じゃありませんか。しかし、新聞社には大学の先生に人脈などはあるはずですよね。その専門家の方々、少なくとも僕ら素人とは経験量が違っている……の方々は僕ら一般素人では相手にされません。
 もちろんその道の「プロ」が恣意的な統計操作を行なえばその人には見向きもされなくなりますが、新聞なり雑誌なりはプロへのインタビューを通じてのみ有料化は可能になってくる、あるいはインターネットで取り上げられてなかったり、あまり話題にならないトピックを探すことで有料化は可能になるのでは?
 その意味では僕は名チャリの朝日新聞を評価したいし、その少し前に掲載された「東京都青少年の健全な育成に関する条例」に関する社説を評価したい。前者はインターネットでは話題になりっこない典型的な例ですので。地方の社会実験はよほどうまくアピールをやらないとインターネットで話題にならない。

*1 もちろん仕事では自分用のメモは断片的なメモだが(最終目標とそこに到る最低限のステップ)、伝言のメモは意味が二重に取られないように注意をしている。
*2 普通の本の流通のモデルにおいて、執筆者が直接顔を会わせて、その著者の本を買うことはほとんどない。しかし同人は同人であるがゆえに、つまり細分化されていないので、著作者は編集者でもあり、売り子でもあり、消費者でもあるのである。
*3 『Uiro』という企画。みんな買ってね!


著者:歌田明弘
タイトル:電子書籍の時代は本当に来るのか
出版社:筑摩書房
分類:産業
分類:出版業
国籍:日本