グランド・ブルテーシュ奇譚 (光文社古典新訳文庫)

あらすじ

 メレ夫人は「五十年間、誰も立ち入らないようにして欲しい」という遺言を弁護士のルニョーは受け取る。奇妙だと思いながらも彼は引き受けることにするが、その館「グランド・ブルテーシュ」で起きた猟奇的な事件を宿屋の女将さんから聞かされることになる。(グランド・ブルテーシュ奇譚)
 乗り合い馬車で意気投合した相手にことづてを頼まれて、その男を知ることとなる「ことづて」。
 ある盲目になった貴族の過去と犯罪を知ることになる「ファチーノ・カーネ」など、バルザックの短編が収められています。

〈語り〉の構造

 この時代の小説は基本的に一人称です。弁護士ルニョーと「わたし」が出会い、その次に〈ルパの女将さん〉と出会います。プロットの上で、この「わたし」はあまり重要な役割を果たしていません。グランド・ブルテーシュに散歩に行くことをルニョーに注意され、そこから館の奇妙な遺言を聞かされるだけの役割です。
 「ファチーノ・カーネ」もプロットの上で「ファチーノ・カーネ」という渾名の人が身を破滅させるまでの小説で、「わたし」は聞き手役です。最後にプロットに少し絡んできますが、その後、すぐにカタルで死んでしまいます。
 この後、活躍するウィルキー・コリンズ*1などの語りはいっそう複雑になってます。
 なぜ、語りが重要となってくるのか。実は三人称の〈語り〉は近代以降の発明で、情報量は圧倒的に三人称のほうが多い。あと情報の正確性も三人称の方が確かです。

怪奇小説

 さて語り手自身も「ラドクリフ流の物語」とホラー小説の大家をひきあいに出しているように、全体的にゴシック小説のようです。僕は結末からもポーを思い浮かべたのですが、バルザックはポーよりも少し前の人なので当然引き合いに出せるはずもなく……。
 ゴシック小説とはホラーの一ジャンルで、「古城、屋敷に出る幽霊」などをモチーフとして使っている小説のことです。「夕暮れどきになるとわたしは一度ならず、この廃墟を囲む伸び放題になった生け垣にわが身を近づけてみた」というふうにいかにも「なにか因縁めいた話があるだろう」と予想できます。
 そして、伯爵夫妻の生活ぶりは、ずいぶん変わっていました。だれにも会わず、奥さまは一階に、旦那さまは二階に住んでいたのです。そして伯爵が亡くなられて、ひとり残された夫人は、教会に行く以外はお出かけにならなくなりました。その後は城館に引きこもられて、ご友人がたが訪ねてこられても、お会いするのを断わるようになっていました。
 実は伯爵が幽霊で……という陳腐な落ちではありません。それだったら200年も生き残れないと思うのです。もっと人間の生々しさに関わる問いがそこにはあります。
 メアリ・シェリーの『フランケンシュタイン』(1831年)、『モルグ街の殺人』(1841年)と怪奇小説が幽霊の仕業でなしに合理的・科学的な説明が付きます。
 この背景として考えられるのは、17世紀における科学革命だと思います。1687年にはニュートンがプリンキピアを完成させました。この功績は自然を神のものではなく数学的に捉えたところにあります。また、科学も熱力学ではシャルルの法則*2などが確立されました。
 また発展だけでなく、科学史に残るような論争もこのころが数多く見られました。有名なのが光の波動説・光の粒子説ですが、ドルトンによる熱素の否定なども地味にバルザックと同年代です。この科学の影響は文学にも影響していて、エミール・ゾラが感傷に流されず、事実のみを淡々と描こうという文学運動を起こしました。
 しかし一方でまだ、この時代は心霊現象に関する興味もありました。例えば、1882年にはイギリスで心霊現象研究会が発足、降霊術の研究が行われていました。1882年で本気で心霊現象に関する研究が行なわれていたのですから、バルザックの時代はどうなっていたか容易に想像できます。
 もう一つ、当時の都市化という背景も影響してくると思います。農村型社会では隣の人の素性は知れていたので怖くはなかった。農地をときには共同で耕していたこともあったと思います。しかし、都市は隣の人が何をやっているのかも知らない。それが恐怖の源泉だったと思うのです。
 そう言った意味では館で何が起きたか知っている人が〈ルパの女将さん〉という田舎内部の人間だということも頷けます。
 多くの科学的知見といまだ残る心霊への信仰などがバルザックなどの単に霊的現象で終わらないゴシック小説なのかもしれません。

隠すことと暴くこと

 さて、この「グランド・ブルテーシュ奇譚」は二重の意味で謎解き物語になっています。つまり、
1.館で何が起きていたのかを語り手が〈ルパの女将さん〉から聞くことで解かれる物語
2.館の住人であるメレ伯爵が妻の不貞を暴くため物語。
 この二つの謎は解決に至る道筋が明確ではないので推理小説ではありませんし、もちろんバルザックも推理小説として書いたのではないので僕の指摘はある意味では的外れもいいところです。しかし、謎という推理小説を語る上で重要な要素が登場したのは事実です。
 「グランド・ブルテーニュ奇譚」においてメレ伯爵夫人は浮気相手を館の秘密部屋に隠すのですが、これにどんな解釈が可能かを検討していきます。それは端的に言って、結婚という法律制度から隠れたものです。ここで注意していただきたいのはメレ伯爵夫妻の個人的関係、という枠組に留まった話ではありません。むしろ社会全体として、浮気について語ることはタブーとされてきたんだ*3という解釈が成り立ちます。
 「マダム・フィルミアーニ」も、なぜ愛しているのに全財産を貢いで振られたのかと主人公の伯父は疑いの目を向けます。実は、フィルミアーニと主人公の高潔な倫理観と関ってくるのですが、この物語も謎が関ってきます。しかも「グランド・ブルテーニュ奇譚」と比べると少しは説得力がありました。
 「ファチーノ・カーネ」も金銭トラブルなのですが、この物語では犯罪が絡んできます。これも推理小説にとってかかせない要素ですよね。実は新聞が大きな役割を果たしています。wikipedia「新聞」には
18世紀には、いろいろな新聞を読み放題のコーヒー・ハウスが登場した。裕福な商工業者であるブルジョワジーが新聞を元に政治議論を行い、貴族のサロンと同じように論壇を形成した。19世紀には、日曜新聞のような大衆新聞が成長した。印刷機の発達やロール紙の採用、広告の掲載などにより労働者階級に低価格で販売できるようになった。
 とあります。つまり国内の犯罪を知ることになったのです。これが大衆にまで広がって、犯罪への興味が高まった。そして「ファチーノ・カーネ」などの犯罪が盛り込まれた小説が誕生したのではないでしょうか*4。
 書籍業の現状について書かれたエッセイ*5も収録されているのですが、そこでも新聞について触れられていますし。


*1 『月長石』は複数の人物の証言や手記で構成されている。(ウィルキー・コリンズ『月長石』東京創元社)
*2 圧力が一定なら、温度が高いと気体は膨張する。
*3 ミシェル・フーコー『性の歴史I 知への意志』では近代の結婚制度について言及されている。参考になるかも?
*4 なお実在の犯罪者、ヴィドックの影響もある。
*5 印刷機の普及によって情報の伝達が早くなることを指摘しているが、これって現代のインターネットについての論点とほとんど変わらなくね? 
著者:オノレ・ド・バルザック
著者:バルザック
タイトル:グランド・ブルテーシュ奇譚
出版者:光文社
国籍:フランス