人間失格、グッド・バイ 他一篇 (岩波文庫)

スカイプ読書会

 昨日はスカイプ読書会でした。というわけで、僕の読みをメインにちょっとみなさん(しゅがぁさん、ざーさんさん、millさん、みぬこさん)などの読みを補足的に書こうかなーと。

あらすじ

 女性の身辺整理をしようと、田島は思い立ち、十人の愛人と別れようとする。そして化粧をするととびきり美しいキヌ子に妻として演じてもらおうとする。
 しかし、キヌ子はそれを利用して大飯を食らうばかり……。たまりかねた田島はキヌ子に関係を迫ろうと部屋に押しかけるが……。

男性性と女性性の転倒

 この小説において顕著なのは、男性性と女性性が転倒していることです。それは田島がキヌ子に支配されています。また「田島は器量自慢、おしゃれで虚栄心が強」く他人の視線を異常なまでに気にしています。そしてこれは女性の行動のように僕は思うんですよ。一方男性はというと、それこそキヌ子のようにもんぺ姿でおしゃれには無頓着です。
 これに加えて決定的に男性性と女性性が転倒している場面は、
 田島は窮して、最もぶざまで拙劣な手段、立っていきなりキヌ子に抱きつこうとした。
 グワンと、こぶしで頬を殴られ、田島はぎゃっという甚だ奇怪な悲鳴を挙げた。その瞬間、田島は十貫を楽々とかつぐキヌ子のあの怪力を思い出し、慄然として……(後略)
 このようにキヌ子が怪力なのに対して、田島が非力です。
 戦前の価値観なら、家父長制度から男性が女性を支配していました。しかし、戦後それが衰退してしまい、既存の価値観が崩れてしまいました。つまり男性が女性を支配する時代は終わりを告げたのです。
 それは冒頭の一文、「文壇の、或る老大家が亡くなった」ことからも受け取れると思います。これは物語の流れから見ると田島が身辺整理を思いつくきっかけとなったのでしょうが、老大家ということに注目するとこれもまた家父長制の崩壊につながってくるエピソードではあります。
 老大家は家父長制の頂点に位置し、それがいなくなるということは家父長制の崩壊を思い起こさせるエピソードでもあります。家父長制の崩壊、といえば重要なのが敗戦です。つまり、老大家は大日本帝国のイメージだと解釈できるのです。
 その一方で、一見するとSがMを支配しているように見えますが、実はその構図を利用することでMがSを支配している、とも言えます。
 この物語において果たして支配しているのはキヌ子でしょうか、それとも田島でしょうか。一見するとキヌ子のように見えますが、もし田島がこの計画を中止すれば、キヌ子は田島を支配できなくなります。つまり田島もまたキヌ子を支配している、と言えるのです。
 ちなみに女性が男性を支配するというモチーフは谷崎潤一郎「刺青」から『痴人の愛』に至るまで描かれています。

志賀直哉

 もう一つ別の解釈は、この「グッド・バイ」を太宰の私生活に踏み込んで読んだ場合には、老大家の死は志賀直哉への当てこすりだと解釈できます。太宰は志賀直哉に『晩年』や「犯人」をこき下ろされたことがあり、エッセイ「如是我聞」*1の中で下記のように綴っています。
 「暗夜行路」
 大袈裟な題をつけたものだ。彼は、よくひとの作品を、はったりだの何だのと言っているようだが、自分のハッタリを知るがよい。
 このときすでに志賀は「文壇の老大家」であり、冒頭の一文は彼との確執を踏まえて読むと志賀の死の願望をほのめかしています。

化粧する


 さてもう一つ。田島が見られることを過剰に気にしている、と書きました。この見られるという観点から言えば、キヌ子の化粧につながってきます。
 馬子にも衣装というが、ことに女は、その装い一つで何が何やらわけのわからぬくらいに変る。(中略)しかし、この女(永井キヌ子という)のように、こんなに変身できる女も珍しい。
 この化粧は〈見られている〉こと前提にするもので、自分を覆い隠すものだと解釈できます。この小説は三人称視点なのに、一人称視点かと勘違いするほど田島にスポットが当てられています。それはキヌ子が化粧というバリアーを張って「素顔」を読み取られないようにしているからだと思います*2。
 しかしそんなキヌ子も一瞬、素顔を見せるところがあります。それは部屋にあげて、すっぴんの「男だか女だかわけがわからず、ほとんど乞食」である服装で出迎える場面です。汚い部屋に文句を言う田島に押入れの中を見せる場面です。
 清潔、整然、ふくいくたる香気が発するくらい。タンス、鏡台、トランク、下駄箱の上には、可憐に小さい靴が三足、つまり、その押し入れこそ、鴉声のシンデレラ姫の、秘密の楽屋であったとわけである。
 しかし、すぐに押し入れを閉めてしまいます。つまり、この部屋をキヌ子の心と読むならば、汚いのは上っ面だけでその奥にはちゃんと美意識が備わっていると考えられるのです。


*1 太宰治『人間失格、グッド・バイ他一篇』(岩波書店)収録。
*2 谷崎潤一郎「秘密」(谷崎潤一郎『潤一郎ラビリンス〈1〉 初期短編集』中央公論)とつながるかも?


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著者:太宰治
タイトル:人間失格、グッド・バイ他一篇
出版者:岩波書店
国籍:日本