概要
「ひきこ森」という森の妖精さんについて描かれたフィクション。この著者によると大学にいっぱいいるらしい。なおこの樋口氏によると準ひきこもりは社会に適応できないどころか、親を悲しませる存在であり、社会の支援が必要であると書かれています。ホラーの特徴
このフィクションはホラーの構成を取っています。まず「準ひきこもり」がいかに不適応かについて語られ、その次に、自分はこうして改善した、という救済策が語られます。ここで大事なことは「他の人には真似できない」救済策を提示することです。例えば、
1.「授業中に趣味のことをやっている人は準ひきこもり」などという誰もが当てはまるような曖昧な定義を使います。この定義の曖昧さこそが、ミソなのです。あとからいくらでも拡張し、本来の定義とはかけ離れた人も「準ひきこもり」にできる。
2.相手には到底到達できない目標を設定する。
「バイトもしていない」人に「ブランド物を買うように」勧めたりしています。(もちろん遠まわしであるけれども)。ここで重要なのは「自分はこうやって克服した!」と自分の自慢話をすることで、神格化しているということです。
ここまでくると、もう新興宗教です><
なお「ひきこ森」の特徴として、「他者からの目を意識できない」というものが挙げられます。
なおこの世間一般に言われるような引きこもりとは何の関係もないことを明言しておきたい。
「ひきこ森」相手にテレパシーを使える!
この著者は「ひきこ森」の頭の中を覗けることが書かれています。「高尚な思索にふけっているように見えるが、その実、考えていることはアニメのことぐらいなのである」とありますつまり、樋口氏が「適切な会話」ができるのもテレパシーが使えるからなのです。また、これを裏付ける証拠として「相手の本心が見抜けない」とあります。
これはつまり樋口氏自身は「相手の本心が見抜ける」ことを意味し、テレパシーが使える有力な証拠となりえるのです。もし自分も相手の本心を見抜けないのなら、こんなことわざわざ書くことはありません。
例えば僕が女の子にケータイ番号を聞いたとします。そうしたら「ごめん、ケータイ変えるから」という返事が帰ってきました。この場合、厳密にはこの「ケータイ変えるから教えても意味がない」という命題が真偽は特定できません。
ただ言えるのは「教えない」という事実のみです。
しかし樋口氏は「教えたくない」のか「教えられない」のか解る方法がある、と言っているんです。しかもそれはごくごく樋口氏にとって、ここに書き記すまでもないような簡単な方法らしいのです。
その方法を執筆したら大ベストセラー間違いないのですが……。w
また大した根拠もないのに「ひきこ森」と決め付けている可能性があります。しかしこの場合、第二次大戦に政府にそぐわない人は弾圧、粛清された歴史とかぶりますので、そんな時代錯誤なことはしているはずがありません。大学の先生ともあろうお方がそんな偏見に満ちたやり方でアプローチするわけがありません。
樋口氏は人間ではない
樋口氏は「性的な妄想」をする人が「ひきこ森」だとしています。しかし、性欲は人間だれでもあります。むしろそういう気持ちを抱かないほうが「異常」なのです。こういう記述があるということは樋口氏にとって「性的な妄想をしない」ことが普通なのです。
このことから「樋口氏は人間ではない」ということが言えます。つまりテレパシーが使えたりするのも樋口氏がロボットだからに違いありません。
樋口氏は機械である
人間であれば苛ついたり、悲しんだりします。それが人間だからです。ところがこの樋口氏は「自分で感情をコントロールできない」ものが「準ひきこ森だと言っているんです。これは自分が感情をコントロールができることを意味しています。しかし、この本からは自分にとって気持ち悪い人を「準ひきこもり」としているような節が見受けられます。これは樋口氏が差別主義者ということを意味しています。例えば「爬虫類が好きである」ことを準ひきこもりの特徴としてあげています。
つまりこの樋口氏自身、「自分で感情のコントロールができない」、「自分を客観視できない」準ひきこもりです。
後書き
今回は書いていて微妙だな、と思いました。少し言い訳を。毎回、エイプリルフールにはこの手の「学術書もどき」を暴こうと企画してるんです。前回は森昭雄『ゲーム脳の恐怖』を取り上げました。
それで、今回は東浩紀『一般意志2.0』を取り上げようと思って図書館まで行ったんですよ。貸出中でした。しかも予約件数7件。エイプリルフールだからって嘘じゃないですよw
というわけで今回は「準ひきこもり」でした。
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詳しいコメントはこの本の著者と同じ論理になってしまうので避けたいと思いますが、本当にいろんな人がいますよね。