
概要、経緯
そういえば『このミステリーがすごい!』で話題になってたし、読書メーターの方でも話題になってたな……。おまけにドイツのミステリーとは珍しい、ということで図書館で借りてみました。内面を敢えて書かない文体で、犯罪者の心理を逆に浮き彫りにしています。
フェーナー氏
渇いた文体で、淡々と事実のみが綴られています。心理描写はほとんどなく、例えばフェーナー氏では新妻イングリッドとの初夜を下記のように書いています暑さにめげず、ふたりは愛し合った。(中略)見て解るように淡々としています。普通ならこんなに可哀想なのに、とか同情を引く場面なのにあえて一切何も書いていないのです。
それから彼女は話し始めた。フェーナーと出会う前に付き合った男の話だ。失望と挫折、そしてフランス人中尉とのあいだに子どもができ、中絶して死にかけたことまで。彼は驚いて彼女は驚いて腕に抱いた。彼女の心臓の鼓動を胸に感じた。どうしていいかわからなかった。心の底から信頼されていると思った。
犯行場面、公判の場面なども同じく非常に淡々としています。意図的に書かず、フェーナーの心を想造させる効果があると思います。読者はむしろ書かれていない場所、より厳密に言うと、書いてあって当然のことが書かれていないとそこを埋めようとするのです*1。例えばF・R・ストックトン「女か虎か」は当然提示されるはずの結末が提示されていません。つまり結末を書かないことであえて読者に想像させているのです。
なぜDoktor Fahnerではないのか
またフェーナー氏(Fahner)はよく考えてみれば奇妙なタイトルです。なぜならこのフェーナーは「ロットヴァイルの開業医」で、「Doktor Fahner(フェーナー医師)」でもおかしくありません。このことは何を意味してるんでしょうか?フェーナーを尊敬される医師ではなく、ただの一人の人間として見ているのです。なぜかというと医師だろうと、ホームレスだろうと等しく裁かれるからです。つまり弁護士にとっては被告が医師だろうが、そんなものは関係ありません。その思いがDoktor Fahnerではなく、単にFahnerとした理由だと僕は思います。
正当防衛
語らないことがよく現れている作品は、「正当防衛」。ベックとレンツベルガーというチンピラにサラリーマンが絡まれるます。しかし、サラリーマンは警察では黙秘します。私〔弁護士〕と二人だけになると、男ははじめて顔を上げた。私は身分を告げた。男はていねいにうなずいたが、無言だった。私はドイツ語、英語で話しかけ、しまいには片言のフランス語も使ってみた。(中略)ペンを差しだしても、つっかえされた。とあるように語ることを拒んでいるのです。
より正確に言うと、語らないことを通して語っているのです。語りたくない理由があるのだろうと推察できます。なぜここまで頑なに拒むのか、あるいは男は何者なのか……。ここに空所が生まれ、読者の様々な想像力を掻き立てるのです。
身元がわからないということ
被告がなにも言わないため、彼の身元が判りません。警視正はそれを理由に被告を勾留し続けますが、「私」は「解らないのはそれだけです」と言います。原文が解らないので何ともいえないのですが、identifyという言葉が恐らく使われていると思います。なぜ警視正はidentifyが分からないと「何も解らない」と思うのでしょうか。普通、identifyはその人にとって唯一無二である証拠だという意味で使われています*1。
この警視正と弁護士の食い違いは立場によるものだと思います。つまり警視正は被告、被害者が誰であるのかを特定する仕事なのですが、「私」は被告が有罪か正当防衛なのかが解ればそれでいいという考えなのです。
それを決定づけているのが、「教科書どおりの、完璧な正当防衛ですね」という台詞です。また判決も正当防衛に傾きます。
正当防衛であることは明白だ。ナイフと金属バットで脅され、刺され、殴られる危機に瀕した者が、自分の身を守(中略)ることは認められる。正当防衛で一件落着かと思いきや、この後、さらに空所を残すところがシーラッハの面白いところかと思います。
実は別の事件に関与しているかもしれない、というのです。
あなたの依頼人が逮捕された朝、ヴィルマースドルフで死体が発見されているのです。心臓をナイフでひと突きにされていました。指紋も、DNAも細胞組織もなにひとつ残されていませんそしてほのめかし、警視正が去っていっく場面で物語は終了するのです。
従来のミステリ作品なら弁護士がこの後、依頼人と別の事件の関係を追っていって事件に巻き込まれてく……という流れになりそうなのですが、シーラッハはそのようなことはせずにあくまでもリドル・ストーリーとして楽しませてくれます。
カミュ『異邦人』
アルベール・カミュは『異邦人』という小説を書いていますが、人間の心の不条理さ*2を描いています。人間の心はわけがわからない、だからこそ人間の心なのだという解釈を僕はしています。「太陽が眩しかったからアラブ人を殺した」ムルソーは実は我々自身の姿なのです。なぜそういったことを書いたかというと、この『犯罪』に登場する犯人はどことなくムルソーに似てるかなと思ったからです。
*1 「コウビルド英英辞典」参照
*2 不条理さというのは、「乾かしたかったから水に飛び込んだ」などという理屈に合わない行動を指している(アルベール・カミュ『シーシュポスの神話』新潮社)

