キャラクター小説の作り方

僕がこの本を読んだ理由

 僕は趣味で小説を書いているのですが、なんか昔から人物の作り込みが弱いんです。それを克服しなければいけないと思い、買いました。『キャラクター小説の作り方』という割には余りキャラクター作りについて触れられていないのが残念でしたが、参考になる部分はありました。
 ただキャラクター小説というよりは「私」小説の書き方というタイトルの方がしっくり来るんですが、このタイトルだと売れない、と判断したんでしょうか。文体こそ「ですます体」で書かれていて、読みにくいですが、それを除けば小説作法というよりは文芸批評です。ただし偏っていることは否めませんが。

僕の課題

 上に参考になる部分があったと書きました。それは例えばどういうところなんでしょう?

パターン

 キャラクターとはパターンの組み合わせだと大塚英志は指摘します。手塚治虫の画風について語った著作を題材に取り、身長やリアルさなどの項目に分けて「オリジナリティ」について言及した上で下記のように語っています。
 こういった手塚の、キャラクターとはパターンの組み合わせである、という考え方は「画風」という絵の水準に留まりません。キャラクターそのものの特性さえ、手塚はパターンの組み合わせだと考えていたように思います
 とした上で3つの水準があるとしています。
1.キャラクターの基本形を決定するパターン
2.髪型・服装・小道具などでキャラクターの性格付けを具体化するパターン
3.キャラクターを演技させるときのパターン
 例えば、富豪ならスーツで、ワインを飲んでいて、貧しい人ならユニクロの服で若葉やゴールデンバットを吸っていて、カップ酒を飲んでいる、という類の話です。このスーツ、ワインなどで表されるキャラクターの性格を記号といいます*1。でも大塚英志の方法論だと確かに「キャラクター」の特徴、同じ時刻、どんな職業で、何を持って行って、何を飲んでいたかは決まります。
 しかし、どのような生い立ちでそのような職業になっていったのかは大塚英志の方法では決まりません*2。僕が精神分析に強い関心を示しているせいかもしれませんが、どのような経緯でそのようなキャラクターになったのかを決めないと魅力あるキャラクターは生まれないと思います。自戒を込めて。

データベース

 大塚英志は「物語は組み合わせである」と述べています。これは大塚英志の代表作『物語消費論』*3に詳しく出てきますので、そちらを参照してください。
 それで、僕の最大の問題は、人物のデータベースが圧倒的に少なかったことにありました。人物のデータベースを増やすにはどうしたらいいのか、と考えた結果、二つの方法が浮かびました。
1.人と積極的に話すこと
2.自伝、あるいは評伝、あるいはルポルタージュを読むこと。
 この二つが圧倒的に不足していました。具体的な対策としては読書会やオフ会への参加などを検討しています。あるいは評伝やプライベートな資料を読むこと。

文芸評論としての問題

 田山花袋の「布団」を俎上に載せ、近代によって「私」が見直されたと指摘しています。これについて僕は異論があるのですが、問題点はそこではありません*4。大塚英志のオリジナルの考えであるかのように書かれていますが、柄谷行人『日本近代文学の起源』*5にあるのです。
 いくらデータベースを持ちだしたとしても、これは剽窃。

私小説批判

 もう一つの問題は私小説の呪縛をものすごく大雑把な枠組みとしてしか捉えていないことです。
 この〔ルパン三世のような小説を書きたかったという〕新井素子さんの試みは、実は日本文学市場画期的なことだったのです。誰もが現実のような小説を書くことが当たり前だと思っていたのに、彼女はアニメのような小説を書こうとしたのです。だから大袈裟に言ってしまえば、彼女は自然主義リアリズムという近代小説の約束事の外側にあっさりと足を踏み出した人だったのです。
 ともあれ、ひとまずこの大塚英志のテクストだけに目を向けてみましょう。この文章は後の江戸川乱歩について言及した一文とも矛盾します。
 かつて自分たちのジャンルは写生文的なリアリズムに基づかないと言い切ったのは、日本の探偵小説の祖とも言える江戸川乱歩ですが(後略)
 だとすれば、「近代小説の約束事の外側にあっさりと足を踏み出した人」は江戸川乱歩だということになります*5。
 また近代リアリズム小説の約束事を無視する試みは戦前にもすでに行なわれていました。泉鏡花がその代表例ですが、稲垣足穂、芥川龍之介の河童、そして漱石でさえも「夢十夜」「吾輩は猫である」など現実のような小説を乗り越える試みが行なわれてきました。
 もちろんこの小説は現実を描写するべきである、という考えは今でもあります。だからこそリアリティの問題が取り沙汰されるのでしょう。その意味では大塚英志の文章は嘘とはいえません。嘘とは言えないのですが、大雑把すぎて、誤解を招く可能性があります。


*1 この記号について論じたのがウンベルト・エーコである(wikipedia「ウンベルト・エーコ」)。しかし僕は記号というと「A⇒B」などの論理学を思い浮かべる。むしろ属性、あるいはプロパティといった方がしっくりとくるが、キャラの属性というとまた誤解を招きかねない。
*2 このキャラクターの記号化については、現代文学、例えば村上春樹などにおいて特徴的である。
*3 大塚英志『底本 物語消費論』(角川書店)
*4 例えばマルクス・アウレリウス『自省録』、アウグスティヌス『告白』など、自伝は近代以前でも見られる。
*5 この探偵小説の祖という言い方にも違和感を覚える。谷崎潤一郎の「途上」(谷崎潤一郎『犯罪小説集』集英社)、横溝正史の『恐ろしき四月馬鹿』(角川書店)などがあるからである