新版 電子と原子核の発見 20世紀物理学を築いた人々 (ちくま学芸文庫)

概要

 ノーベル物理学賞を受賞した理論物理学者ワインバーグ。デモクリトスから湯川秀樹に至る電子と原子核の発見についての壮大なドラマを物語っています。また加速度、質量、力などの定義も解りやすく基礎から解説しています。
 それもそのはず、ワインバーグは既存の物理学の啓蒙書を「広大な砂漠を渡るようなものだ」と延べ、物理学の啓蒙書を改革しようとしているのです。

科学史

 電気の流れ方、重力についてというような科学そのものにも興味があります。しかしそれよりも科学史や科学思想・科学哲学に興味があります。
 例えばニュートンは何のために自然哲学を研究していたのか、ライプニッツはさまざまな分野で論文や政治的提言を行なっているが、彼はどういった世界観だったのだろう。というようなこと。

天動説と地動説

 中でも興奮するのは、パラダイムが次のパラダイムに移って行く瞬間です。
例えば、ガリレイにしろコペルニクスにしろ、天動説を否定したとは言いがたい。あくまでも地動説でも説明が可能だという説明にすぎません。ニュートンもかなり地動説に打撃を与えましたが、まだ地動説でも説明できる余地がありました。天動説というと宗教心に取り付かれて非科学的ではない、という印象を持ってしまうかもしれません。しかしよく調べてみると地球上の観測結果が(複雑ながらも)矛盾なく説明できるのです。つまり僕たちが思っているよりもはるかに観察に基づいていたのです。
 これが完全に打ち破られるのはフーコーの振り子。彼は振り子の動きから公転も自転も証明したのです。
 こういう科学者が試行錯誤を重ねていく姿を僕は見たいのす。

信念と信念のぶつかり合い

 往々にしてそれは科学者自身の信念と結びついているんですね。例えば、マッハは、熱を原子で説明しようとしたボルツマンを攻撃するんです。個人的な確執はあったかどうかは解りませんが、マッハは最終的な証明は五感によってなされるべきだ、という思想が根底にありました。要は原子を見られない以上、存在を認めたら神秘思想と変わらなくなるじゃないか! というものです。

ホイッグ史観

 ワインバーグはあくまでも現代の目から物理学者を評価しています*1。この態度には注意が必要で、当時はどのような価値観だったのかを考慮しないと、正しい理解が得られません。
 これをホイッグ史観といいますが、この欠点は歪めて理解してしまうことにあります。例えば 例えば、
 「電気とは物質それ自身に内在する性質ではなく、それ物質をこすることで生まれて作られたか、あるいは物体に移動してくるのではないか」という考えが自然に生まれた。
 とあります。しかし、実は自然に生まれたのではなく多くの間違った理論の中から正しいものが生き残ったのです。
 ウィリアム・ギルバートを物理学者と評していることからもそれは現れています。彼はギリシャ語の「琥珀electron」にちなんで、琥珀同士をこすって物質が引き寄せられる現象をelectricaと名付けたのですが、当時は「自然哲学」と呼ばれていました。
 これは単に名前の問題だけではありません。物理学者は自然現象に関して一般法則を見つけるのが目的ですが、自然哲学者は自然現象から神の意図を読み取ろうとしました。
 例えば例えばニュートンは聖書解釈学や考古学の研究も行なっているのですが、それは現代物理学者が趣味で行なうような性質のものではなく、神の意図を汲み取ろうとしていたのではないかと思います。

電子と原子核の発見

 ようやく本題です。デモクリトスとレウキッポスの考え方が最初に紹介されています。「すべての物質は『原子』と『真空』からできている」と。急いで補足するなら、万物の根源とは何かという問いかけは、タレスに遡ります。万物の根源は水であるときわめて素朴な考えでした。
 デモクリトスは原子という言葉を最初に使ったのですが、文献上で遡れる限り万物の根源を考えた人はデモクリトスよりも前にいたのです。

近代科学における「原子」

 さて、近代科学になると定量化され、数式の概念操作によって法則が記述されるようになります。それにともない、性質ではなく、量の問題を考える概念として使われるようになります。例えばワインバーグはアイザック・ニュートンを例に取りながら、気体の膨張を原子が真空へ広がっていくものと解釈しています。ここでいう「原子」も「真空」も現代的な意味とはほど遠いのですが。
 ドルトンになるとかなり説得力が強くなります。倍数比例の法則は化合物を作る際に、単純な整数比になるというもの。アイザック・アシモフ『化学の歴史』*2によれば、ドルトンの推論は下記のようなものだったとのこと。
 たとえば(質量で)水素1部と酸素8部と結合して生じた。もし水の分子が水素1原子と酸素1原子から成り立っていると仮定するならば、酸素原子は水素原子の8倍の重さがあるということになる。もし水素原子の質量を1に等しいと定めれば、この基準で酸素原子の質量は8となる。
 もちろんこれは相対的なものですが、例えば水素1gの体積は(1/2)*22.4=11.2Lとなります*3。
 一方、酸素1gの体積は(1/16)*22.4=1.4になります。11.2:1.4=8:1となり、この割合は常に一定です*4。つまりすべての物質は水素の整数倍で表せる……ようにも見えました。
 ともあれこのドルトンの発見が原子論に一歩近付いたのでした。もちろんイギリスでは原子論は受け入れられましたが、ドイツでは受け入れられませんでした。これのことについて、ワインバーグはニュートンとドルトンの功績と言っていますが、国民性の違いだと思っています。イギリス人はよく言えば.実用的ですが、ドイツ人は思索的な国民性です。

電気の発見

 静電気の性質は古代ギリシャ時代にすでに記述されています。プラトンの『ティマイオス』に琥珀を毛皮でこすると髪の毛を引き付ける現象が記述されています。小学生のころプラスティックの下敷きを服でこすり、髪の毛を立たせる遊びが流行りましたが、あれと同じですね。また琥珀の他にも石炭を圧縮した黒玉でも起こることが知られるようになります。
 中世というと自然科学が研究されなかったというイメージがありますが、実態はそうではありません。イギリスの修道士ベーデは潮の満ち引きを研究したり、100年間のイースターの日を計算するなど自然科学の研究を行なっていました。
 しかし、「黒球を摩擦して温めると(中略)どんなものでも引き寄せる」と書いてしまったのです。こすったことが原因だとわかるのは今の目線で見てるから。18世紀まで年に渡り、温めたことが原因なのか、こすったことが原因だったのか、区別がついていませんでした。
 琥珀だけでなく、ガラス、硫黄、ろう、宝石などもこすると引きよせる16世紀になるとわかってきます。ワインバーグは微粒子の流れだと解るまでの記述を一切省いているのですが、中にはたくさんの理論が生まれました。例えば、電気は糊であると考える人もいました*5。微粒子が動いているのではないかという説は当時はその中の一つにすぎなかったのです。

2種類の電気

 さてデュフェイはガラスをこすったときに出る電気と樹脂をこすった時に出る電気が違うものだと考えました。金属の小片を帯電させたガラス管に近づけたら反発したのですが、ガラス管を樹脂に変えたら互いに引き合ったのです。つまりガラス電気と樹脂電気の二つがあるのではないかと考えたのです。
 これに対して、ベンジャミン・フランクリンは、「電気は非常に繊細な粒子からなる1種類の流体である」と結論づけます。
 ガラス管を絹でこすると、絹の中の電気の一部がガラスに移動し、絹には電気が不足する。デュフォイが樹脂電気と読んだものはこの電気の不足である。同様に琥珀の棒を毛皮でこすると、電気が琥珀に移り、琥珀の中の電気が不足する。琥珀の中の電気が不足した分だけ毛皮の中の電気が超過する(後略)
 このようにフランクリンは粒子(=電子)の移動によって引き合うかどうかを考えたのです。
 電気の不足を「負の電気」、超過を「正の電気」と呼びました。また、電荷という概念を導入、これらは一定だと考えたのです。電荷が不足した物同士、あるいは超過した物同士は反発すると説明しました。
 またフランクリンは雷を研究し、避雷針を発明します。
 ちなみにこの電気ですが、化学にも大きな影響を与えています。キャベンディッシュは電気分解を使って水が化合物だと証明しました。こう書いただけではキャベンディッシュの功績が伝わってこないと思うので補足します。18世紀になっても、まだまだアリストテレスの影響が残り、万物の根源は水、火、風、土だと信じられてきました*6。こんな中、キャベンディッシュは水が万物の根源ではない、と証明したのですから当時の科学界にとっては衝撃だったわけです。同時に水を分解できる電気とは一体何ものなのか、と。これが電気が注目された理由の一つだと僕は思います。

磁気の発見

 磁気は古代ギリシャからすでに見つかっていて、プラトンの『ティマイオス』に記述があります。この鉱石は天然磁石で、リソスマグネティス(マグネシアの石)と呼ばれていました。マグネシアとは街の名前で、天然磁石の採掘地でした。
 また古代中国で紀元後88年には方位磁石として使われたという文献が残っています。中国では常に南を示すものだと書かれていますが、ヨーロッパでは北を示すという対比がなされています。西欧で磁石と方角の関係について知られたのは中国よりも遅れ、1269年に文献として出てきます。
 さて、電気と磁気はよく似ていますが、静電気はこすると発生し、しかも金属だけではなく、小さな物質なら何でも引きつける、という点が違ってきます。
 ウィリアム・ギルバートはこのように電気と磁気を区別するのですが、電気と磁気の間には関係性があると解ってきます。19世紀、エルステッド導線に電気を流すとたまたま近くにおいてあった方位磁石が揺れたのです。

電気と磁気の関係

 このエルステッドの結果についての講演が1820年に開かれるのですが、その聴衆にアンペールの姿がありました。この講演の後、アンペールは次の結論にたどり着きます。つまり「磁気とは電磁気現象であり、天然磁石はそれを構成している粒子の中の小さな回転電流が磁気の性質を与えてくれる」と。
 電流と磁石の相互関係だけでなく、電流同士にも影響を与えているのです。これで電磁気は研究しやすくなりました。なぜなら電気を研究すれば磁石の性質も解ってくるのですから。
 こののちマックスウェルがこの二つの力の関係を明らかにし、本格的に統一していきます。

*1 スティーブン・ワインバーグ『科学の発見』(筑摩書房)で、ワインバーグはあえてホイッグ史観を取っていると言っている。
*2 アイザック・アシモフ『化学の歴史』(筑摩書房)
*3 1気圧の場合。
*4 この理屈は計算過程を見てもらえれば推察できるが、計算方法が確立されたのはずっと後のことであり、当時は8:1になることしか分かっていなかった。
*5 ガストン・バシュラール『科学的精神の形成』(平凡社)
*6 アイザック・アシモフ『化学の歴史』(筑摩書房)


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