そもそもの疑問

 WEB小説を読んでいると5行に1回ほどの割合で開業している人がいる。今回は改行について考えるが、結論から言うと読む気が失せる。もちろん読みやすさを考慮しているのは解る。
 解るゆえに苦言を呈したくなるのだ。その理由は、
・冊子媒体の小説を読んでいないと解る。それどころか国語の教科書すらじっくり読んでいないことが解る。

読みやすい文章は表現の技術である

 例えば、「彼は学校に行くように僕に促した」という文章は「に」の連続で読みにくくなっている。おまけに主語と述語が離れているので意味が取りにくい。
 そこで「学校へ行くよう、彼は僕に促した」とすれば、助詞の連続は避けられる。他にも語順の入れ替え、語彙の選択などといった努力はしているだろうか。
 つまり文章を読みやすくするには推敲が必要である。読みやすさを改行などという小手先の技術で誤魔化そうとしている。そして手を抜いても読者は気付かないだろう、という思いが改行から透けて見えるのだ。

「読みやすい文章」は客観性の問題であるが、いい文章は価値判断の問題である


 もちろん僕も読みやすい文章はいい文章だと思っている。言葉は意味を伝えるための道具だからだ。しかし、これはあくまでも僕の価値判断が入っている。
 川端康成や大江健三郎などの文章は、意味が伝わりにくい。この二人の文章は悪文だと公言しているが、二人の意図は文体から酌み取ることができる。そして彼らの問題意識を忖度できるのである。
 とりわけ大江健三郎は、『新しい文学のために』*1でその意図について述べている。つまりわざと読みにくく文章を書いていることが窺い知れるのだ。

そもそも改行はどこから生まれたのか

 さて、5行に1回改行、というレイアウトの問題はどこから生まれたのだろうか。
 HTMLやCSSの問題と密接に関わってくる、と僕は思っている。HTMLで小説を書こうとすると<p>タグで地の文を囲うことになる。しかし、そのままコーディングするとmarginで少し開いたようなレイアウトになってしまうのだ*2。これを解消するにはCSSでmarginを0に設定しなければいけないが、ホームページをタグから打ち込むという作業を行なっている人はいなかった。
 これによりいつの間にか、WEB小説は5行に一回改行を開けるようになってしまったのではないか、と思われる。

*1 大江健三郎『新しい文学のために』(岩波書店)
*2 CSS マージンと余白