完全な真空 (文学の冒険シリーズ)

最初にスタニスワフ・レムについて

 スタニスワフ・レムと言えば『ソラリスの陽のもとに』*1が有名で、タルコフスキー監督*2が映画化しています。他にも『砂漠の惑星』などで知られています。このように最初は普通の(?)SFを書いていたのですが、後に『完全な真空』、『虚数』などの前衛的な手法に挑戦していきます。
 『虚数』は小説の序文を集めたもの……なのですが、全て架空の小説です。もはや『完全な真空』は一発芸で、二回目は飽きてしまうような気がするのですが、実在しない小説の書評については他にも『挑発』などその後も出版しています。

完全なる真空について

 世の中に書評は数多くありますが、スタニスワフ・レムの『完全な真空』は存在しない本を扱っています。そんな本を読んで楽しいのかは人それぞれ好みが別れるでしょうが、前衛的な試みには違いありません。このアイディアはボルヘス「ハーバート・クエインの作品の検討」*3はもちろん、ラブレーの時代にはすでに見られたと述べています。しかし、この記事を鵜呑みにするわけにはいきません。なぜなら架空の書評である以上、その内容もまたフィクションであるかもしれないのです*4。真偽の程を検証するもよし、全て架空と捉え、大風呂敷を笑うもよし様々な楽しみ方ができます。
 言うまでもなく一般論として小説は架空の物語。それなら、架空の物語についての架空の書評があったら面白いのではないか。そうレムが考えていたかは解りませんが、少なくとも僕はそう受け取りました。

架空の作家という発想

 『完全な真空』を読んでいたかは解らないのですが、この試みは村上春樹も行なっています。
 僕は文章についての多くをデレク・ハートフィールドに学んだ。
 後に告白しているようにデレク・ハートフィールドは架空の作家です*5。多分、アメリカ文学が好きな村上春樹なので、『完全な真空』より恐らくはカート・ヴォガネット・ジュニア『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』*6から着想を得ているのかもしれません。

焚書との関係

 スタニスワフ・レムの時代、ナチス・ドイツがポーランドに進行しました。また冷戦時代はソ連の衛星国になっています。
 ナチス・ドイツは反体制派の書物を焼きました*7。
1933年4月6日、ドイツ学生協会(Deutsche Studentenschaft)が新聞やプロパガンダの手段により、全国的に「非ドイツ的な魂」に対する抗議運動を行う宣言をし、運動は火による書物の「払い清め」(Sauberung)によってクライマックスを迎えた
 またソ連も検閲を行なっていました。ポーランドでも検閲が行なわれていたかは解らないのですが、その不安は「親衛隊少将ルイ十六世」などでも現れています。
 また近現代だけではありません。ヨーロッパでも、異端と認定されると焚書の憂き目に遭いました。その上、昔はパピルスに書かれていて、劣化が早かったのです*8。例えばタレスなどの著作はディオゲネス・ラエルティオスの引用集によってしか知りえません。
 つまりかつては存在していたが、今は存在しない書物、あるいは検閲によって出版予定だった書物も多数あったのです。実在しない本の書評という発想は、検閲や焚書と無関係ではありますまい。

個別の作品について

 個別の作品を見ていきましょう。

創造

 『ロビンソン物語』という架空の小説ですが、セルジュ・Nという人が無人島に漂着するという設定。このセルジュ・Nが人間を作るのですが、「自分自身だけでなく島全体をもまったくゼロの状態から作り上げて行こうと決心」します。しかしいたずら心を働かせ、三本足にします。
 ここでは創造というテーマが現れてきます。奇形を作るという点で「フリークス」を思い浮かべますが、セルジュは優越感に浸るために奇形にしたのではありません。むしろ普通ではないという点で三本足の人間たちは「普通ではない」小説、つまりこの『完全な真空』や「ロビンソン物語」と対応しているのです。そういった点では「てめえ」の冒頭部が意味を持ってきます。
 小説は作者の中へと後退しつつある。つまり、フィクションという唯一の現実を離れてフィクションの誕生の場所へと戻りつつあるのだ。(中略)作家たちはフィクションの必要性を信じられなくな(中略)ってしまったのである。(中略)今、作家たちが書いているのは、ひょっとしたら自分に書けたかも知れないことについてである……
 ここでもまた実在しない本が登場します。
 創造という点では「新しい宇宙創造説」で締めくくっていることも創造という点でつながってきます。

架空

 文化人類学の研究書「誤謬としての文化」についての書評も興味深いです。なぜならサドボッタムという架空の哲学者を登場させながら、「サドボッタムはその主著の中で、人間社会が文化を作り出すのは誤謬や(中略)誤解などの結果であると主張している」と語っています。
 このもっともらしい論文が誤解の元、実在しているかのように受け取られれば、それは文化を形成しうるのだとレムは言っているように思うのです。
 さて「完全な真空」と言うタイトルについて「中身は全く空っぽで、“何もない”ということ」に由来しています。そしてこれは、「とどのつまりはなにもなし」というタイトルともつながってくるのです。

*1 スタニスワフ・レム『ソラリスの陽のもとに』(早川書房)
*2 アンドレイ・タルコフスキー『惑星ソラリス
*3 ボルヘス「ハーバート・クエインの作品の検討」(ボルヘス『伝奇集』岩波書店)
*4 なお、架空の書物についての歴史が解説には載っている。
*5 『週刊朝日』 (一九七四年五月)
*6 カート・ヴォガネット・ジュニア『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』(早川書房)
*7 Wikipedia「ナチス・ドイツの焚書」 
*8 B・C・ヴィッカリー『歴史のなかの科学コミュニケーション』(勁草書房)