法律〈上〉 (岩波文庫)

概要

 プラトンにとって理想の国家とはどのようなものだったのだろうか。端的に言えば徳によって統治する、徳治主義である
 ほとんどの対話篇で登場しているソクラテスが、『法律』では登場していない。代わりにアテナイからの客人として具体的な国家像が語られる。法整備、刑罰、教育、神々と国家……。プラトン最晩年の著作。

ソクラテスが登場しない

 『国家』『ゴルギアス』『テアイテトス』など、プラトンはほとんどソクラテスの対話を通じて、思索を深めていくという形式で描かれています。したがって、ソクラテスと同時代にどのような哲学者がいたのかを窺い知る史料にもなるのですが*1、『法律』はソクラテスが登場していません。
 僕は『国家』なども読んでいて、物語としても面白いのですが、『法律』はいまいちつまりません。論戦が繰り広げられずに、アテナイからの客人が一方的に話しているのです。もちろんクレイニアスなども登場していますが、相槌を打つなどで全然、活き活きとしていません。

徳治主義

 さてプラトンが目指していたものは徳治主義です。
われわれの国の法律はすべてつねにただ一つの目標を目ざすのでなければならぬ、とそうわたしたちは言っていた(中略)。そしてその一つの目標は「徳」と名づけられるのが至当である
 そうアテナイからの客人が結論付けています。しかし、プラトン自身が政治にどこまで携わっていたのかは解りませんが、そもそも善悪の基準を決めるのは為政者です*2。また立法に携わるのも為政者です。
 プラトンが生きていた時代は、神々が信じられていました。したがって道徳と信仰を結びつけて考えることもできたのですが、現在、道徳教育は国家が担うようになりました。
 例えば戦時中は国のために死ぬことが美徳でした。また今は結婚しないといけない風潮がありますが、この価値観も少子高齢化で税収が減るからです。このように価値観、善悪と権力は恣意的に結びついているので、循環論法に陥ります。「徳」と言う概念そのものが為政者が恣意的に作っているのですから。

エリート教育

 プラトンは哲学を為政者たちに施すことで、円滑な統治ができると考えました。これはむしろプラトンの『国家』*3に現れていて、ソクラテスを通じて下記の通りに語っています。
「哲学者たちが国々において王となって統治するのでないかぎり」とぼくは言った、「あるいは、現在王と呼ばれ、権力者と呼ばれている人たちが、真実にかつじゅうぶんに哲学するのでないかぎり、すなわち、政治的権力と哲学的精神とが一体化されて、多くの人々の素質が、現在のようにこの二つのどちらかの方向へ別々に進むのを強制的に禁止されるのでないかぎり、親愛なるグラウコンよ、国々にとって不幸のやむときはないし、また人類にとっても同様だとぼくは思う。
 実際、このエリート教育を実現するために、アカデメイアという私塾*4を開校します。プラトンは衆愚政治を恐れていました。プラトンの時代に、ペロポネソス戦争が勃発。感情論だけでシケリアに攻め込んで、ギリシア軍は惨敗します。
 この反省を生かして、プラトンは政治の専門家による統治を提案したのです。感情に流されないために論理が必要だと考え、プラトンは幾何学を重視します。
 衆愚政治を回避するには、支配層だけでなく、国民全体が〈哲学〉の姿勢を学ばなければいけないと僕は思っています。〈哲学〉の姿勢とは哲学史ではなく、物事を真剣に考える姿勢です。

一般教育

 さて、一般教育はどのように考えていたのでしょうか。プラトンは職業と教育を結びつけて考えています。
たとえば、大工なら測定測量のことを(中略)あらかじめ学んでおかなければならない。また養育者は子供の快楽や欲望を、そういう遊戯を通じ、彼らが大きくなればかかわりをもたねばならぬものへさし向けるようにつとめなければならない。したがって、教育とは、これを要するに、わたしたちに言わせれば正しい養育なのです。
 つまり職業訓練、職業能力開発として、教育や遊びを取り入れようとプラトンは考えていました。
 また保守的な性格の持ち主のように見えますが、職業と遊びが結びついていたと解れば頷けないでしょうか。つまり世代を超えても一定の品質が維持されるという観点から見れば、そのまま継承したほうが確実ですよね。他にも軍事訓練などが盛り込まれていますが、これはペロポネソス戦争の影響だと思います。

刑罰

 さて、刑罰も奴隷制度が絡んでいるので現代の日本人には解りにくいと思います。例えば市民が奴隷を殺したら、半額を支払うこととする、など。現代から見たら差別主義ですが、何をもって「人間」としていたかは時代時代によって変わってきます*5。
 また尊属殺人は廃止されましたが、古代ギリシアでも親殺しはとりわけ重罪にすべきだとプラトンは考えていました。

神々と国家

 プラトンは神々と国家についても述べています。当時、無神論が台頭していたようで、それに対する反論となっています。プラトンは『法律』で素朴なアニミズムではなく、変化の原因としての神を規定しています。
 魂についてもさることながら、とくにそれの始源について、つまりそれは最初にあったものの一つであって、すべての物体に先立って生じたものであることや、また他の何ものにもまして、物体のあらゆる変化や変様を支配していることを、彼らは知っていないのです。
 法律〈下〉 (岩波文庫)つまり慈悲深い神ではありません。季節はなぜ巡るか、天体はどうして動くのかなどと言った、物事の法則性を表す神です。物事の法則性を探求するという観点に立てば、物理学と重なり合うところがあります。その他、社会法則・秩序など、学問的な法則としての神。
 そして国家運営にとって、社会秩序は大事ですが、無神論者はその秩序を乱しかねません。単に宗教を否定するのではなく秩序の必要性を否定するのですから。だから、プラトンはどうして無神論者を警戒していたのです。


*1 例えばプロタゴラスなど。
*2 ニーチェ『善悪の彼岸』(岩波書店)、またミシェル・フーコー『狂気の歴史』(新潮社)
*3 プラトン『国家〈上〉』(岩波書店)
*4 Wikipedia「アカデメイア」。
*5 ジョルジョ・アガンベン『開かれ』(平凡社)