イスラーム法理論序説 (イスラーム古典叢書)

イスラーム法とは

 ヨーロッパ、あるいはそれに倣った国々では、憲法を人間が制定し、必要に応じて修正を加えます。しかし、厳格なイスラム教の国ではコーランなどを解釈し、国を治めているのです。コーランは神が定めたものであり、文言は変えることができません。これに対して人間が定める法律を世俗法といいます。今やほとんどの国が世俗法とイスラム法の混合で統治されていますが、イブン・ザイヌッディーンの時代はイスラム法のみで統治されていました。
 また少なくとも日本では法律というと、遺産相続、刑事事件、あるいは冠婚葬祭など日常生活と縁遠い存在。しかし、イスラム法は禁酒、豚肉の禁止など、食生活に至るまで書かれています。

イスラム法について

 イスラム法について具体的に見ていきましょう。

イスラム法の法源

 世俗法は人が刑法、民法などを定め、裁判を進めていきます。このように裁判の法的根拠を法源といいますが、イスラム法ではコーランの他にも三つの法源があります。
(1)スンナ……マホメットやその弟子の言動、慣習。これはマホメットの言行録、ハディースに記載されている。
(2)イジュマー……コーランやハディースに関しての合意。イブン・ザイヌッディーン以前は軽視されていました。
(3)理性もしくは類推……シーア派の場合、コーランやハディースに関する論理的な解釈。スンナ派の場合、コーランやハディースの内容から類推した解釈。例えば「ワインを飲むな」という文言があったら「ウィスキー」などのアルコールも禁止されるはずであると類推して解釈すること。
 ただ類推解釈はどこに注目するかで大きく変わってきます。例えば、アルコールに注目すれば、ウィスキーは禁止されるでしょう。しかし、ブドウという点に注目すると葡萄ジュースも禁止、葡萄も食べてはいけない、という結論にもなりかねません。
 そして、これらの宗教法をシャリーア(Shari'a)といい、その知識をフィクフ(fiqf)といいます。
 もちろん、世俗法とは異なり、コーランもハディースも体系的に述べられていません。それ故、言語の意味論、文献批判についてもイブン・ザイヌッディーンは触れています。

五つの段階

 イスラーム法では人間の行為を義務、推奨、許可、忌避、禁止の五段階に分けています。さらにこの規範が有効か無効かが大きな焦点となります。例えば豚肉の脂も禁止されるのですが、意図的に破った場合と過失とでは同じとは言いがたいでしょう。
 刑罰もコーランをもとに決められるハッド(Ḥudūd)*1があります。例えばインドネシアは酒の販売も禁止されているのですが、これを破ったとして鞭打ちの刑に処された事例*2がありました。
 またこの他には同害報復のキサース*3がありますが、被害者は賠償金か同害報復かを選ぶことができます*4。
 さらに義務の礼拝を怠った場合も、足を骨折していた等であれば無効となるかもしれません。
 イブン・ザイヌッディーンは十六世紀の法学者ですが、宗教の法典に基づいて裁いていたのはイスラム教だけではありません。同時代で見れば、キリスト教でも宗教裁判が行なわれていたのです。

シーア派とスンナ派

 さて、法解釈に類推を用いるか理性を用いるか以外にもスンナ派とシーア派では法解釈に差異が見られます。そもそもシーア派とスンナ派は、マホメットの後継者をどこから選ぶかが大きな違い。マホメットの死後、親族がイスラム教の「教皇」になり、これを正統カリフ時代と呼びます。しかし、正統カリフも第四代のアリーで途絶えてしまいました。
 シーア派はあくまでも、カリフをアリーの親族から選出すべきだと主張したのに対し*5、弟子たちから選出すべきだと主張したのがスンナ派*6。
 イスラム法解釈で言えば、コーランの独自解釈をスンナ派*7では禁止し、先人*8の教えを無条件に受け入れています*9。したがって、スンナ派では立法者*10が存在しないことになります。

文献学

 コーランを解釈しなければならないので、意味とは何か、基本意と転意では基本意を重視すべきだという主張は解ります。しかし、伝承の信頼性といった一見、法解釈とは全く無関係の事柄が描かれています。この理由は、マホメットの伝承も法源に含まれているからです。
 しかし、「(預言者またはイマームから伝えられる)伝承(ḥadīth、khabar)は確定的な伝承mutawātirと不確定な伝承(āḥād)に分けられる」とあるように、この伝承は玉石混淆だったようです。したがって伝承の確からしさという問題が持ち上がってくるのです。
 ここから察するに、イスラームの最終目標はマホメット一行の生活を体現することにあったのではないでしょうか。


*1 Wikipedia「ハッド刑
*2 Wikipedia「キサース
*3 「酒販売の女性キリスト教徒に公開むち打ち刑 インドネシア」. (AFPBB News.)
*4 Wikipedia「ディーヤ
*5 Wikipedia「シーア派
*6 Wikipedia「スンナ派
*7 イジュディハード(ijtihād)。なお、この項目は英辞郎「ijtihad」の項目も参考にした(英辞郎「ijtihad」)
*8 イマーム(imām)
*9 また、このような行為をタクリード(taqlīd)、このような人をムッカリド(muqallid)と言う。
*10 ムジュタヒド(mujtahid)。