シェリー詩集 (新潮文庫)

概要

 パーシー・ビッシュ・シェリーはロマン主義の詩人である。感情を肯定し、自然を賛美するとともに、「イングランドの人びとへ」などの社会問題を扱った詩も多く残している。本書は時系列順に配列し、さらに文学と倫理の関係について論じた詩論、「詩の擁護」をも併録している。

ロマン主義

 さて、イギリス文学史によれば、ロマン主義は自然をキーワードだと言います。そもそもnatureは「生まれたまま」という意味です。<生まれつき>理性が備わっていると見るか、それとも<生まれつき>情動が備わっていると見るか、の違いにすぎません。

Nature

 また、18世紀のイギリスでは<Natural Gardens>が流行しました*1。中でも詩人の1720年代、アレクサンダー・ポープは自分の庭園を自然風にしています。また初期のロマン派の詩人、ワーズワースも重要な人物。
 彼にとって<自然>とは、もはや少年の目を喜ばせた緑の葉のそよぎとか、澄んだ小川のせせらぎとかいうような表面的な美にとどまっていなかった。それは宇宙と人間とに備わる「生まれながらに」備わる創造的な力でなくてはならない。
 例えば物理法則、もっと言えば神の法則を感じるような創造力だったのです*2。そしてワーズワースはこの自然観を体得するのに、想像力が必要不可欠だと考えました。

想像力

 さて、パーシー・ビッシュ・シェリーもこの流れを組んで、想像力の重要性を説いています。詩論『詩の擁護』で下記のように述べています。
詩は、ひろく言えば、「想像力」の表現であると定義できよう。しかも詩は起源を、人間と同じくしているのである。
 人間は外と内から奏でる楽器だとしています。つまり琴を風が奏でても、それが内面化し、記憶として呼び覚まされるうちに、メロディーとして調整されていくのです。風鈴も素晴らしいですし、もっと言えば、無音すらも音楽として解釈されるのです*3。
 さらにシェリーは太古に思いを馳せながら下記の通り述べています。
太古、人びとは踊り歌い、かつ自然の事物を模倣したが、このような行為において、他のあらゆる行為と同じく、ある種のリズムと秩序を守っていた。そして、(中略)、類似した秩序を舞踊の動きや、歌のメロディー、ことばの言い回し、あるいはつぎつぎと続く自然の事物を模倣するさいに、守ってきたからである。
 ここにおいてもnatureが「生まれながら」という意味で使われていることが解るでしょう。つまり一人の人間(a man)が<生まれたままに>ではなく、人間の存在(human being)が生まれたままに、という意味です。
 太古への思いはそのまま自然への畏敬につながります。例えば、「モン・ブラン」という詩はモン・ブランの雄大な自然を題材にしていますし、「ひばりによせて」では、ひばりの囀りを賛美しています。
 めざめても 眠っていても
   おまえは 死について
 わたしらが人間が夢みるよりも 真実な深いものを
   考えているにちがいない
さもなければ どうして こんな清澄なうた声が流れようか。
 人間よりも真実に近いと考えています。もちろん生態学的に自然のまま、という理由も考えられましょう。しかし、人間が持っている知恵は小手先で、小鳥の持っている知恵のほうが真実に近い、とも考えられるのです。

恋愛詩

 さて、「アジオーラ」という詩も小鳥が出てきます。これは恋人が「アッジオーラの声が聞こえる」と言うのを聞くのですが、〈語り手〉は男の名前だと勘違いしているんです。しかし小鳥*4のことだと解り、アジオーラが好きになったという内容。おそらくメアリーと書いているので、〈語り手〉はシェリー本人だと解釈するのが妥当だと思います。
 アジオーラは技巧的な詩ではありませんが、「しおれたすみれに」では第一連、第二連ですみれのことを描写しています。
わたしは泣く──が 涙はそれをよみがえらさない!
  わたしは溜息をつく──が それはもう わたしにささやかない
言葉もなく ただ耐えしのぶ 花のいのちは
  わたしの運命でもあろうか
 しかし、最後は自分の心を比喩的に言い表していると言えましょう。もちろん今となったら陳腐だと言えますが、昔の詩を鑑賞するときには時代を差し引かなければいけません。つまりパーシー・ビッシュ・シェリーが使った当初は目新しくても、彼に触発され色んな人が使っているうちに段々とありふれた表現になっていった……とも考えられるのです。

社会

 さてパーシー・ビッシュ・シェリーは<自然>の他にも、社会にも関心を抱いていました。例えば「イングランドの人びとに」などの詩は典型的でしょう。この詩のハイライトは第五連から第六連の下記の下りです。
君たちがまく種子を 刈りとるのは他のやつらだ
君たちが探し出す富を 手にするのは他のやつらだ
君たちが織る服を 着るのはほかのやつらだ
君たちが鍛える武器を 使うのはほかのやつらだ

種子をまけ──だが、暴君に刈らせるな
富を探し出せ──だが、ぺてん師の手にわたすな
服を織れ──だが、のらくろどもに着せるな。
武器を鍛えろ──自分たちを守るためなら
 労働者の富が地主や貴族に搾取されていました*5。したがって他の奴らというのは、地主や貴族のことです。
 ここにおいてもnature(生まれたまま)の概念が生きてくるように思います。シェリーはジャン・ジャック・ルソーに度々言及していますが、ルソーは『人間不平等起源論』*6において下記のように述べています。
 自然が法に服従させられた時期を指し示すこと、いかなる奇蹟の連鎖によって、強者が弱者に奉仕し、人民が現実の幸福と引き換えに想像上の安息を購うことに決心したのかを説明することである。
 おそらく、シェリーにとっては自然だけでなく、権利、感情もすべてnature(生まれたまま)と結びついていたのではないでしょうか。

*1 川崎寿彦『イギリス文学史』(成美堂)
*2 11世紀から14世紀までのスコラ哲学では、自然を観察することで神の意図を窺えると考えていた(Wikipedia「自然」)。
*3 Wikipedia「4分33秒
*4 「The Aziola」と付いているので、おそらく小鳥の種類だろう。しかしAziolaで検索しても出てこない。
*5 貧富の格差についてはシェリーの一世代後の作家、ディケンズも『オリヴァー・ツイスト』などで取り扱っている(チャールズ・ディケンズ『オリヴァー・ツイスト』新潮社)
*6 ジャン=ジャック・ルソー『人間不平等起源論』(岩波書店)