藤村詩集 (新潮文庫)

概要

 島崎藤村は「初恋」など多くの詩を残した。「まだあげ初めし前髪の/林檎のもとに見えしとき/前にさしたる花櫛の/花ある君と思ひけり」で始まる「初恋」は中学生の国語でも扱われており、覚えている人も多いのではないだろうか。
 「初恋」以外にも恋愛を抒情詩で恋愛を多く題材にしていた。『藤村詩集』では「若菜集」、「落梅集」などから収録している。

文語定型詩

 島崎藤村の詩はほとんどが文語定型詩です。百聞は一見にしかず。

文語

 島崎藤村「初恋」の第一連は下記の文章です。
まだあげ初めし前髪の
林檎のもとに見えしとき
前にさしたる花櫛の
花ある君と思ひけり
 「見えし」など言葉遣いが少し古めかしい*1ですね。このような形を文語と言います。明治は文章はこのように<書く>のが一般的でした。したがって「文語」と言います。ここで注意して欲しいのは、人々は「文語」で話していたわけではありません。江戸時代まで方言を使っていたため、地域が違うと意志の疎通が困難でした*2。そればかりではなく、武士、農民、貴族、それぞれ別の「言葉」で話していたのです。
 無理矢理にでも、言葉を統一しなければなりませんでした。そのような背景で「文語」は登場したのです。また色々な文体、表記法が登場しました。島崎藤村はそのような中で、今で言う文語体を選んだのです。
 一方、当時の「話し言葉」を口語と言い、広まるに連れ、これで詩を書こうとする運動も当然出てきます。萩原朔太郎が口語詩のパイオニア。

定型詩

 それとは全く別に定型詩、自由誌という分類もできます。定型詩は七、五、七、五、などのリズムよく作られているもので、自由詩はリズムに捕らわれずに作った作品のこと。音読すれば解りますが、初恋も「七・五/七・五/七・五」の調べで作られていますね。
 定型詩はリズムや押韻を意識して作られています。例えば「六人の処女」の一節に「七つの情(こころ)声を得て/根をこそきかめ歌神も」というフレーズが出てきますが、「か」行で韻を踏んでいます。
 これは音読が中心だったことの名残だったのではないかと思います。江戸時代までは文字は声に出して読んでいました。もちろん明治時代になったからと言って、黙読に切り替わるわけではありません。明治三十八年になってもなお、音読の習慣があったとされています*4。
 したがって、島崎藤村も音読を前提に詩を書いていたことは想像に難くありません。

散文詩

 さて、そのような時代で「炉端」が収録されているのは注目するべきことです。この詩は「散文にてつくれる即興詩」と注釈がついているのですが、散文詩を作ると散文と詩の境界が曖昧になり、詩とは何かを問う意味を持っています*4。
 しかし詩と散文が区別できないと気付いたとき、にこの問いかけは起こってくるもの。詩とは何かが五七調の韻律によって自明とされていると思っているうちはまだ発生しません。
 事実、本格的に散文詩を作り始めたのは、口語自由詩の開拓者、萩原朔太郎です*5。萩原朔太郎は「散文詩・詩的散文」*6という文章を残しており、散文詩を意識していたことが解ります。
 島崎藤村が「散文詩」という概念をどこまで意識していたかは解りませんが、手がかりとして挙げられるのは二葉亭四迷。西洋ではすでにツルゲーネフが散文詩を発表しているのですが、二葉亭四迷はツルゲーネフの翻訳を発表しています。問題は下記の二点。
(1)二葉亭四迷はツルゲーネフの「散文詩」を翻訳したという文献はあるか。
(2)二葉亭四迷と島崎藤村の交友関係。一応、同時代的には生きている。
 ちなみにフランスではボードレールが散文詩集『パリの憂鬱』を出版して、島崎藤村もフランスに留学しているのですが、島崎藤村が詩集を発表した時期とは合いません。

詩とは何か

 図らずも詩とは何かという問題を「炉端」は問うていますが、現代批評において詩は異化作用で説明されます。

異化

 異化作用とは言葉と認識を切り離す、もっといえば、その物を知らない人の気持ちや、その人なりの認識で書くということです。
 例えばエレベーターを「エレベーター」と表現してしまったら、人は「エレベーター」としてしか認識しません。しかし、エレベーターを「閉塞感が漂う狭い箱」と表現したら、表現者がどのようにエレベーターを見ているかが解りますよね。
 このことはエレベーターに閉塞感を抱いたことがない人にとって、新しい知覚をもたらすことになります。これが異化であり、批判はあれど、詩の本質だと考えられています。この表現に賛同者が増えて皆がエレベーターを「閉塞感が漂う狭い箱」と表現したら、それは常套句となり異化作用を失います。その結果、陳腐な言い回しになっていくのです。

恋愛

 現に島崎藤村は恋愛感情を様々なものに喩えて認知しています。 例えば「別離」は
「恋の花にも戯るる/嫉妬の蝶の身ぞつらき」と表現しているのですが「嫉妬」は否定的な意味で捉えがち。しかし蝶が戯れるポジティブな言葉に喩えることで花が蝶の周りを戯れているかのように、嫉妬すらも美しいものだというイメージを産み出しているのです。

枕詞

 常套句の最たる例が枕詞ではないでしょうか。「たらちねの」の後には「母」「親」「父」のいずれかしか続かない和歌の慣用表現。これは古くは万葉集に登場し、明治時代に入ってもなお続いています。
「たらちねの母が呼ぶ名を申さめど道行く人を誰れと知りてか」万葉集3102
「のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にいて足乳根の母は死にたまふなり」斎藤茂吉『赤光』
 このように「たらちねの母」はある種の決り文句で用いられてるのです。
 しかし島崎藤村は「たらちねの深きめぐみ」と表現しており、「母」に続けませんでした。これは常套句からの脱出と言えましょう。「深きめぐみ」と「母」とが結びついていたと解釈しました。だからこそ「たらちねの」を使ったのだ、と。

*1 「見えし」は「見ゆ」に過去の助動詞「き」が連体形をとると「し」と変化する。
*2 滝浦真人「はじめに」(『日本語は親しさを伝えられるか』岩波書店)
*3 永嶺重敏『雑誌と読者の近代』(日本エディタースクール出版部)なお、黙読が珍しかったらしく観光案内にも登場している。
*4 Wikipedia「散文詩
*5 同上
*6 萩原朔太郎「散文詩・詩的散文」(青空文庫)