フランクリン自伝 (岩波文庫)

概要

 印刷業者から身を立て、やがて政治家となり、科学者として足跡を残したベンジャミン・フランクリン。アメリカ資本主義精神の育ての親とまで呼ばれている。彼はいかにして幅広い分野で活躍できたのかがここに記されている。
 アメリカのロングセラー本。

少年時代

 ベンジャミン・フランクリンの父親は、蝋燭・石鹸の製造と染物を商っていました。本業は蝋燭・石鹸の製造でしたが、需要が少なく、副業で染物をしていたのです。
 フランクリンは十歳の頃から本業を手伝っていました。いや、嫌いだったらしいですので、手伝わされていたと言ったほうが正確かもしれません。

公共的な企業精神

 フランクリンの企業精神につながるエピソードとして下記の通り語っています。
 水車池と一ヶ所に接して塩沢があって、潮が差してくると、私たちはその岸へ行って小魚を取りに行ったものだが、始終踏み歩いている中にそこらがまるで泥沼のようになってしまった。そこで私は足場に都合のいいお台場を創ろうじゃないかと言い出して、山のように積んであった石材を仲間の者へ指し示した。それは沼の傍に家を新築するための石だったのだが、わたしの目的に誂え向きのように思えた。(中略)とうとう全部運んでしまって、小さなお台場が出来上った。
 結局、父親に叱られたのですが、「小さい時から私には公共的な企業精神があった」、つまり小さな頃から皆のために人の上に立っていた、とフランクリンは回想しています。
 しかし、フランクリンの自己分析通り、幼少期の性格がフランクリンの成功につながったかどうか、僕は疑わしく思っています。
 フランクリンは自伝の中で方法とともに性格を変えたと綴ってるのですが、このことからも解るように性格は変わるもの。
 もう一つの論拠は、幼少期の性格と後世の業績とはあまり当てになりません。多かれ少なかれ、フランクリンのようなエピソードは経験したことがあるのではないでしょうか。しかし、このような体験をしているからと言って、全員、フランクリンのようにはなりません。特に自伝を読む上で気を付けなければいけないことは無意識にせよ、エピソードを成功と結びつけがちなところにあると思います。

父親

 フランクリンが成功を収めた秘訣は二つあると、読んでいて思いました。一つは「食事の時にはできるだけしばしば賢い友だちや近所の人を話相手に招くことを好み、そしていつも子供たちの心を高めるに役立つような気のきいた、または有益な話題を持ち出すように気をつけた」という父親の教育。
 一方、「食事の上手下手、味の良し悪し、季節のものであるか(中略)を問題にすることはほとんどなかった」そうです。おそらく日本人だからでしょうか。特に今が旬か否かは大事な食育で、むしろ問題なのは楽しもうとしないこと。「〔旅行に行った時、〕連れの連中は、私とちがって食物のことをやかましく言うように育てられて味覚も食欲も大いに奢っている」とあります。これは難癖をつけるだけで、具体的な解決策を考えないので不平不満が出るのでしょう。
 楽しみ方は人それぞれなのでなんとも言えませんが、たとえ、下手な料理が出たとしても何故まずいのかを分析し、道中に解決策を話し合い、帰国後、実際に試行錯誤を重ねて作ってみましょう。あるいは料理のまずさを正確に文章にしようものなら、逆説的ですが、まずさを味わわなくてはいけません。
 料理ができないので偉そうなことは言えないのですが、本を読んでいて自分とは違った表現に出会うことがあります。結局、文芸書では善悪の基準を自分の価値観、文体、語彙に合うか合わないかで決めがち。
 そしてこれは料理でも言えることでしょう。つまり自分たちの感覚に合ったものを善い、合わないものを悪い、と判断しているに過ぎないのです。

読書

 もう一つ、成功の鍵は「幼い時から本が好きで、わずかながら手にする金はみんな本代に使った」とあるように、本が好きだったことが挙げられるでしょう。バニャン、デフォー等の小説、ロック等の哲学、歴史……実に幅広く本を読んでいると解ります。もちろん本好きだからと言って必ずしも成功者になれるわけではありませんが、フランクリンの場合、本好きが成功の一助を担っていることは間違いありません
 父親が印刷屋になったらどうかと勧めるのです。この頃すでに、フランクリンの兄が印刷屋を始めており、そこで働き始めます。少年時代によくあるのですが、詩も何本か発表。しかし兄と折り合いが悪くなり、決裂。フランクリンによると、「兄は(中略)ほかの印刷屋に口が見つからぬようにしてやろうと、町中の印刷屋を廻って歩いて、一々主人に話したものだから、誰も私を雇おうと言ってくれるものはいなかった」とあります。フランクリンはどこでこの情報を仕入れたのでしょうか。
 このようなことを考えれば雇ってくれないのを兄のせいにしている可能性もありうるでしょう。ともあれ、フランクリンはフィラデルフィアで印刷屋を開業するのです。そしてこの印刷屋は繁盛し、官報、議事録なども引き受けるようになりました。
 前の発注先は「不手際で誤植だらけ」だったのですが、「きれいに、正確に印刷し直して、各議員に一部ずつ配った」のです。ここでもフランクリンの読書量が生かされたのでしょう。手書き文字を判別するには、その言葉を知らなくてはいけません。つまり語彙力が必要なのです。

政治家として

 その後、フランクリンは州の初期になります。独立戦争の時代ですが、人生の大半は植民地時代であり、その様子が窺えるでしょう。
 これは訳注も参考になります。例えば州知事は当然、大英帝国から送られてくるのですが、「英国王直属のもの、国王の許可を得て自ら知事を選んだもの、土地の下付を受けた領主の派遣する知事を戴いたもの」の三種類がありました。

シャントー

 また一七二七年、フランクリンは友人たちとシャントーというクラブを作ります。倫理・政治ないしは自然科学についての論文を書き、討議するのですが、「議論のために議論するとか、相手を打ち負かすために議論するのではなしに、真理探求という真面目な精神で行うこと」を目的として結成されました*1。
 数学者のことを「何にでも普遍的な正確さを要求し、(中略)みんなが話を進めるのにうるさくて仕方なかった」と否定的に書いています。しかし「真理探求」を普遍的な正確さと考えた場合、この態度は極めて真摯だと言えましょう。
 また、会員の蔵書を一ヶ所に集め、索引化。この発案は管理上の問題から一年半で頓挫するのですが、構想は組合図書館に発展していきます。会費を払えば図書館の本を借りることができるというもの。この図書館に触発され、アメリカ全土に組合図書館が作られました。さらには独立戦争の遠因を作ったと自負しています。
 月次になりますが、一回では諦めず、失敗から何を学ぶかでしょう。

人の動かし方

 さて、自分に好意を持っていない相手をどう動かすかも、フランクリンは述べています。
他人の敵意のある行為は恨んでこれに返報し、敵対行為をつづけるよりも、考え深くそれをとりのけるようにしたほうがずっと得なのである。
 本を貸してくれるように手紙を書いたことを取り上げて、この説の論拠としています。もちろん国民性、時代の違いもあるでしょう。フランクリンの方法は理想ですが、現代日本で通じるのか果たして疑問です。手紙を書いたところで、体よく断られるのが関の山ではないでしょうか。
 しかし上述の文章は言葉を少し変えれば、現代日本でも十分通用します。つまり、自分の敵意に読み替えて、その敵意はどこから来るのかを探れば、大半は幻だと気付くでしょう。バカにされたと思っていても、もしかしたら相手にそのような意図はなく、自分がバカにされたくない、と過剰に思っていることの現れなのではないか、など。このことに気が付けばどうして過剰反応するのかを丁寧に分析していけば、恨むことはなくなり、その時間を有意義に過ごすことができます。つまり、ずっと得なのです。

科学者として

 さて、フランクリンは雷が電気だと突き止めたことでも有名で、学研のマンガにも載っていました。しかしこれは、誤って伝えられたのではないかと『フランクリン自伝』を読んで、思いました。
 まず前提として、この実験はフランクリン自身のもとへ雷が直撃するので、下手すると命を落としかねません。このような危険な実験に成功したのであれば、誰かに話したくなります。フランクリン自身も冒頭で認めているように、自伝を書くのは自惚れを満足させるため。それなら科学者としての大発見を書いていてもおかしくありません。
 それなのに『フランクリン自伝』には全く書かれていないのです。他の手柄話は書いてあるのに。
 しかし、「実験器具を買い取って、電気に関する実験を熱心に進めて行った」とあるように。フランクリンが自然科学、特に電気学の実験をしていたのは事実です。
 このような好奇心を考えると、組合図書館の他にも消防団を設置しているのですが、社会実験の一環と捉えることもできそうですね。

*1 イギリスでも好奇心を持った人の集まりが、学会の前身となっている(Wikipedia「王立協会」)。



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