火車と死者 (角川文庫 (5498))

あらすじ

 友人の結婚式のスピーチを考えていた神津恭介はロビーで見知らぬ女に声を掛けられる。火車伝説に見たてて狐・猫・烏にちなんだ事件が起こると言うのである。何となく気にかかりながらもその日は過ぎた。
 しかし鴉を飼う男が失踪し、その庭で女性の腕が発見されたのである……。

物語の展開

 この物語は読者を飽きさせないような構成になっています。冒頭部で神津恭介は浦野和歌子から声を掛けられ、こんな話を聞かされるのです。
 はい、最初に鴉が屋根にとまって、嘴で死体をあやつり人形のように動かして家の外まで引っ張り出すのだそうです。家の外は猫と狐の受持で、一度死体が家の外まで出てしまうと、その後はもうどうなるかわからない。どんな奇怪な現象が起こるか知れないというのです。
予言とも取れるような謎の言葉、次々と起こる見立て、誘拐……。短編小説を長編に書き直すと*1、冗長になりがちなのですが*2、『火車と死車』は全くそんな様子がありません。そこは高木彬光の力量でしょう。
 三つの事件が立て続けに起こると短編では気忙しくなります。したがって改稿時に動物を増やしたのかもしれません。

社会

 高木彬光は当時の社会情勢と本格の要素を取り入れました。初期は本格推理小説を書いていましたが、『破戒裁判』*3で部落差別を、『白昼の死角』*4で経済犯罪を扱うなど、社会問題を扱い始めます。
 そして『火車と死車』はこの二つの融合を試みているように感じました。大枠こそ火車伝説に見立てて事件は進んでいきますが、途中、神武景気や満州事変の話が出てくる等、それを現していると言えるでしょう。
 社会的な話がなくても、物語は充分に成立します。したがって本格と社会的な要素の関係は薄いと言えます。
 物語の上で関係があるかないかで言えば、横溝正史のほうがまだ関係しています。例えば『獄門島』*5では復員船での頼まれごとが事件に発展し、『犬神家の一族』*6では相続人の顔が見分けがつかなくなるほどの火傷を追った理由が戦争なのですから、物語の発端としては社会的な要因が絡んでいると言えるでしょう。

フロイト

 この『火車と死車』では見立て殺人を扱っているのですが、推理小説をざっと読んでみると、理由は三つに分けられます。(1)幼児性(2)複数犯を単独犯に見せるため(3)被害者たちと関係する事柄で見立て、恐怖心を煽る復讐法

見立て殺人の理由

 この分類で言えば、おそらく(1)に分類されるでしょう。しかし、従来の推理小説がこの問いに苦し紛れの回答しか与えてこなかったのに対し、高木彬光はそこから抜け出そうと試みています。
 その際に高木彬光はフロイトの精神分析を参考にしているように思いました。その根拠として挙げられるのが、「人間の潜在意識というのは子供のころ、多くは記憶というものが、まだ固まらない六つまでの間に形成されるのだというのです」という神津恭介の台詞です。フロイトもまた幼児期と性格形成に注目しています*7。
 そればかりではありません。今まで忘れていたはずの、幼少期の出来事をふとしたきっかけで犯人は思い出すのですが、これこそフロイトが治療に用いていた手法でした*8。自我の安定のために嫌な記憶、不愉快な記憶は普段、思い出さないと考えたのです。
 また偶然性は人間にとって制御できませんが、これに「神秘的な恐怖」を感じ、見立て殺人を行ったと神津恭介は推察しています。占いや験担ぎなどを考えると、共感できないにせよ、了解可能な心理だと言えるでしょう。
 『火車と死者』でも高川警部がある種の験担ぎとして、狐うどんを食べています。「狐を退治」すると述べていることからも察せられるように、これも犯人逮捕ができるか解らないという不安を鎮めようとしているのです。

錯語行為・連想

 さて、精神分析の目で見れば、『火車と死者』ではそのような箇所が多いと解ります。例えば神津恭介は「このような火車──いや、華燭の宴に」と「つまづきながら」スピーチをしています。
 もちろん物語の演出では火車というキーワードを読者に印象づけた、神津の視点では火車伝説で頭が一杯だったなどの理由が挙げられるでしょう。しかし精神分析の要素を僕は読み取りました。
 言い間違いなどの錯誤行為をフロイトは分析し*9、しかもこれには無意識が関わっていると考えました。結婚式よりも事件のことを考えたいのだと、精神分析の見地からは解釈できるでしょう。
 また連想もフロイトにとって重要です。そして「女は度しがたい──という一言から、謎の女、浦野和歌子の不可解きわまる行動を連想して、いったい、あの時、あの女はどういう気持で、あんな気違いじみた行動をやったのか、おぼろな思索を走らせていたのである」とあるように、この小説において連想する場面は頻繁に登場しています。
 しかも上述の文章では、長い一文。絶えず流れている意識を表現しているとも解釈できるのです*10

*1 二神洋一「解説」(高木彬光『火車と死者』角川書店)
*2 シオドア・スタージョン『人間以上』(東京創元社)
*3 高木彬光『破戒裁判』(角川書店)
*4 高木彬光『白昼の死角』(角川書店)
*5 横溝正史『獄門島』(角川書店)
*6 横溝正史『犬神家の一族』(角川書店)
*7 ジグムント・フロイト『世界の名著〈49〉精神分析学入門』(中央公論)
*8 ジグムント・フロイト『ヒステリー研究(下)』(筑摩書房)
*7 ジグムント・フロイト『世界の名著〈49〉精神分析学入門』(中央公論)
*10 Wikipedia「意識の流れ



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