カフカ

概要

 カフカ(1883-1924年)はジョイスやプルーストと並んで、二○世紀を代表する作家だ。南米の作家、ボルヘスなど、多くの作家、文学者に影響を与えてきた。
 生きた時代、実存主義との関わりなど、先行研究を丁寧に読み比べることで、カフカの実像を描き出す。遺作で表現主義との関わりなども収録。

カフカの人生

 カフカはチェコのプラハでユダヤ人の家に産まれました。父親との折り合いが悪く、短編小説「判決」*1にも反映されており、怒鳴り散らす父親が描かれています。また婚約者、フリーツェは破局しますが、彼女との関係も見逃せません。

父親

 西洋文学に限らず、日本文学でも親子関係が文学の中に現れることがあります*2。カフカ父子もその例に漏れませんが、フランツ・カフカの父親、ヘルマンは暴君でした。ユダヤ商人で、行商から始め、プラハに店を持ちます。しかし、フランツ・カフカの文学的な興味には関心を示さなかったばかりではありません。暴力を振るわれていました。
 ある晩ぼくは水がほしいといって泣き続けました(中略)。あなたはぼくを寝台からひきずり出し、パウラチェ(中庭に面する長いバルコニー)に抱いていき、ドアをしめぼくをひとりシャツ一枚で立たせておきました。
 フランツは自身の作品『審判』を引用しながら、父親への手紙で「あなたのことを取り扱っていました」と書いてあるように色濃く反映されています。もっとも、この手紙は最後まで出されませんでしたが、フェリーチェとの関係に影響を及ぼしました。

フェリーツェ

 フランツ・カフカは親友マックス・ブロートの家へ出版の相談に行った時、フリーチェに出会います。『変身』を執筆するときには進行状況を逐一、書き送っていました*3。しかし、一方で、結婚の不安を日記に綴り、断念しようとすら思っています。しかし、フェリーチェからの手紙で結婚を真剣に考えます。
 この間、フランツ・カフカはフェリーチェ以外にも、十八歳のスイス人女性と仲良くなったり、フェリーチェの友達に夢中になったりしていました。日記にはフェリーチェなしでは生きられない、と書いてあるのに。
 結局、フェリーチェにプロポーズしていました。フランツ・カフカは友人に結婚生活の不安を打ち明け、別れるように薦められます。一方、フェリーチェも別の友人から警告を受けていました。その後、ベルリンのホテルで話し合い、婚約を解消します。この様子は後に『審判』にもつながっていきます。
 フランツ・カフカとフェリーチェの関係はキルケゴールとレギーネの関係と似ています。キルケゴールもまた、結婚直前で、婚約を破棄しているのです*4

マックス・ブロート

 フランツ・カフカの交友関係においてマックス・ブロートは欠かせません。親友の文芸評論家で、マックス・ブロートもまたユダヤ人でした。無名な作家、カフカに出版社を紹介したり、カフカの死後は(焼却処分の意向を無視し)出版したり、(良くも悪くも)カフカの伝記を執筆したりしています。いわばフランツ・カフカの立役者と言えるでしょう。ただユダヤ教を全面に押し出して解釈しているので、そこは差し引いて考えたほうがいいかもしれません。
 折しもナチス・ドイツでユダヤ人の書いた本は焚書になりました。カフカは辛うじて細々と発行されていましたが、自由に論じることができなくなります。このような事情から、フランツ・カフカはまずドイツ国外で有名になりました。またフランスではアンドレ・ブルトンの活動時期と重なったことも幸いしたのでしょう。ブルトンはシュールレアリズムの旗手。フロイトによれば夢こそ真実の表れであり、シュルレアリストたちはそれを読み解くことで真実に近づくと考えたのです*5。
 それゆえ、シュールレアリストたちは夢を題材に小説を書きました。『城』『変身』『審判』などは夢を見ているような話で、それがシュルレアリストたちの間では高く評価されたのです。
 また、ブルトンのシュルレアリズム運動のあと、1920年代にドイツ表現主義が起こりました。彼らは、客観的事実よりも内面の主観を描くべきだ、と考えました。彼らもフランツ・カフカを高く評価しました。

精神分析

 さて、精神分析では父親との関係に注目して読み解いていきます。

エディプスコンプレックスとは

 母親の愛を独り占めしようとすると父親が禁止します。したがって、母親の愛を独占してしまったら子供は、復讐してくるのではないかという恐怖に怯えることになります。
 ところで、この恐怖ですが「言うこときかないとおちんちん切っちゃう」脅されるのだと言います。つまり、母親の愛を独占したら去勢の恐怖に怯えることになるでしょう。一方で母親の愛を独占できなかったら去勢されたと思うようになるのです。この心理状態をエディプス・コンプレックスと言います。いずれの場合においても父親は強い権限で息子へ禁止していると解るでしょう。
  フランツ・カフカもヘルマン・カフカとの関係からか、父親と結びついた権限や禁止などが度々出てきます。例えば「掟の門」*6などは典型的。その意味で、フロイトのエディプス・コンプレックスと密接に関わっていると言えましょう。

フランツ・カフカは精神分析をどう見ていたか

 当時、フロイトは精神分析を開拓し、フランツ・カフカも知ってはいました。しかし精神分析には批判的でした。1919年から1920年までの間、カフカの恋人*7だったミレナ・イェセンスカーに下記の手紙を送っています。
 精神分析学の臨床面には救いがたい誤りがあると思っております。これらのいわゆる病気〔有澤注:執筆中にともなう様々な感情〕は、どんなに痛ましく見えようとも、すべて信仰上の事実なのであって、窮地に陥った人間が、何らかの母なる地盤に錨を下ろしていることなのです。ですから精神分析学も、宗教の根源としては、この学問の考え方からいえば、個々人の『病気』の原因となっているもの以外は何ものを認めないのです。
 このように書き送った上で「人間の本質の中に予め形成されていくものだ」と語っています。
 フロイトに倣っていえば、恐らく幼児期の経験が日常生活に支障を来していると考えるでしょう。これが妥当な解釈のように思われますが、カフカは「信仰上の事実」、つまりユダヤ教の問題だと考えています。
 カフカの小説は人間が虫になって家族から虐待を受ける『変身』、いつまでも城に辿り着かない『城』、終わらない裁判を描いた『審判』などが挙げられますが、いずれもユダヤ教と深く関わっていると解釈できます。
 また、ユダヤ教のヤハウェはまさに戒律*8を与えており、その点において、禁止を与える父と似ていると言えるでしょう。
 しかし精神分析との親和性が非常に高く、エーリヒ・フロムやジョルジュ・バタイユなども精神分析を使って解釈しています。
 フロムの『審判』の論評は「通俗な宗教的解釈になっている」、と城山良彦は指摘しています。「すべてただ必然的だと考えなければならぬ」とあるように、「必然」との葛藤のうちに死ぬのですから。そしてこの「必然」とは唯一神とも呼べるものです。

ユダヤ教

 さて、初期のカフカ解釈ではマックス・ブロートの影響から、ユダヤ教との関わりが指摘されてきました。
 1930年に『城』をミュア夫妻が共同で英訳するのですが、そこでも宗教的な解釈をしています。
 『城』英訳にはブロートのあとがきとミュアの詳しいまえがきが付いており、ミュアはほぼブロートに沿いながら、バニヤンの『天路歴程』と比較した。ミュア自身必ずしもこの定義に満足していなかったがカフカの複雑曖昧な魅力は、この宗教的アレゴリーという規定を便利な通路としてイギリスに浸透していった。
 バニヤンの『天路歴程』はピューリタンの人生観を現しており、様々なところを旅しながら、天の都を目指す、という話。物語の類形自体はそれこそホメロスなどにも見られますが、カフカのような前衛的な作品を見るときに何か取っ掛かりがないと理解しにくいものです。カフカの『城』では見えているにもかかわらず結局、たどり着けないのですが、これは神の世界と重なってくるでしょう。旧約聖書などで見聞きはしているにもかかわらず、結局はたどり着くことができないという共通点が見られます。
 また、ユダヤ教では最後の審判*9が行なわれ、善行を積めば永遠の魂を手に入れ、悪行を積めば地獄に落ちると言われています。したがって、審判や裁判もユダヤ教徒にとっては身近で宗教的な概念なのかもしれません。
 さて『審判』*10のヨーゼフ・Kは、ある日突然逮捕され、終わることのない裁判に巻き込まれます。毎日の行ないが裁きの対象なら、裁判が終わらないのも納得行くように僕は思いました。
 アンドレ・ブルトンもまた、「従うべきものはなにか、掟とは何かという(中略)ほとんど宗教的解釈に沿ってい」ます。

実存主義

 さて、カフカは実存主義の作家として分類されます。実存主義について、人間の本質を考えるのではなく、現実に存在する人間を考えようとする立場を言います。現実に存在する人間なので、現実存在、あるいは省略して実存と言います。
 一番身近で、一番確実な実存は〈この私〉。したがって、普遍的価値な価値を考えていく従来の哲学を、キルケゴールは批判しあくまでも個人的な価値を追求すべきだと考えたのです*11。

故郷喪失

 このように実存主義は個人的な価値を追求するので、アイデンティティ、生きる目的、故郷の問題と関わってきます。リルケは「プラハのフラチンの上には毎朝二つの太陽が昇る。一つはドイツの、もう一つは別のが(チェコを指す)」と当時のプラハについてこう述べています。フラチンとは城の名前でHradschinと綴ります。
 恐らくオーストリアとハンガリーによる二重支配のことを指しているのでしょう*12。このような二重の支配がどこまで影を落としていたかは解りませんが、故郷が曖昧になっていき、「自己喪失」を抱きます。その結果、「実存思想につながるのは自然なこと」だと城山良彦は述べています。

アルベール・カミュ

 しかし、リルケを実存主義に含めるかはさて置くとしても、当時の社会情勢だけでカフカを実存主義の系譜に引き入れるのは強引さが否めません。第二次大戦後の実存思想を牽引した哲学者としてサルトルが挙げられます。サルトルはカフカの『審判』について、「Kではその名誉のため、その人生のため、戦っている姿を一瞬たりとも見失うことがない」と主人公が何のために生きているかを読み解いています。これはまさに実存主義の主題だと言えるでしょう。
 またカミュは「フランツ・カフカにおける希望と不条理」*13で実存主義の立場から読解しています。
 フリーダはKにいう、「あたしには、ほんとにあんたがいるの。あんたを知ってからというもの、あんたがそばにいないと、あたし、ひとりぼっちでどうしていいか解らないほどになってしまうのよ」。(中略)出口のない世界に希望を生れさせる、この霊妙な薬、すべてががらりと変ってしまうこの突然の《飛躍》、これこそが実存哲学革命の、そして『城』の秘密なのだ。
 このように形や対象はどうあれ「愛すること」が実存にとって必要だとカミュは考えているのです。しかし、フリーダがKから助手に心変わりするように、この愛は永遠ではありません。

疎外と実存

 一方で、城山良彦は触れていないのですが、前田敬作は『城』のあとがき*14において、疎外を持ちだしながら下記の通り解説しています。
 現代社会はその経済的機構の不可避的な帰結として、人間を「自己疎外」の状態におとしいれた。人間を徹底的に機能化し、抽象化し、非人間化してしまった。人間とは社会の歯車、職業という形で、受け持たされている一つの機能にすぎない。(中略)ここでは職業が人間の唯一の存在形式なのだ。
 人間とはなんであるか。実存哲学は人間の「本来性」についての問いを絶望的に提出した。しかし、人間の「本来性」などもはや存在しないことを知っていたカフカは(中略)、それに答えようとはしない。
 そして、現代社会では職業こそ実存を決めていると述べ、カフカの小説にはそれが描かれていると分析しています。


*1 フランツ・カフカ『カフカ短篇集』(岩波書店)所収
*1 志賀直哉『和解』など。
*3 Wikipedia「変身_(カフカ)
*4 Wikipedia「キルケゴール
*5 アンドレ・ブルトン「シュルレアリズム宣言」(アンドレ・ブルトン『シュルレアリズム宣言・溶ける魚』岩波書店)
*6 フランツ・カフカ『カフカ短篇集』(岩波書店)所収
*7 Wikipedia「ミレナ・イェセンスカー
*8 関根正雄『出エジプト記』(岩波書店)
*9 Wikipedia「ユダヤ教
*10 フランツ・カフカ『審判』(岩波書店)
*11 樫山欽四郎『哲学の課題』(講談社)
*12 Wikipedia「チェコの歴史
*13 アルベール・カミュ『シーシュポスの神話』(新潮社)
*14 前田敬作「あとがき」(フランツ・カフカ『』新潮社)