奇商クラブ (創元推理文庫)

あらすじ

 奇商クラブ。会員は誰も考えつかないようなビジネスモデルで生計を立てなければいけない。このクラブを巡って起こる珍事を、元裁判官のバジル・グラントが鮮やかに解決する。物理的な話ではなく、どれも人間心理が関係しているのが特徴だ。
 この他『背信の塔』と『騙りの樹』、中編二作を収録。

はじめに

 小学生から高校生にかけて、名探偵コナンのコミックを読んでいたのですが、青山剛昌の名探偵図鑑という文章が載っていました。この小文で一巻ずつ、古今東西の名探偵が紹介しており、シャーロック・ホームズから古畑任三郎まで幅広く収録されていました。ブラウン神父もこの文章から知り、高校時代に『ブラウン神父の童心』*1を読んでみたのです。初めて読んだときは、エラリイ・クイーンやディクスン・カーよりも見劣りするように思われ、この評価は大学卒業まで揺るぎませんでした。
 しかし今では本格推理小説の様式を使いながら、本格推理小説の問題点を解決している、あるいは試みていると解釈しています。本格推理小説は過度なまでに論理性、意外性を追求するあまり、小説としての面白さが損なわれてきました。つまり、初期のエラリイ・クイーンに限って言えば、人間が描けていません*2。
 チェスタートンは心理トリックを使っているのですが、先入観などの盲点をついています。これらの心理トリックで社会諷刺、文明批判、科学批判などが逆説を用いて語られているのです。

推理小説として

 『奇商クラブ』に収められている作品は「騙りの樹」も含め、どれも強引な解決など、推理小説では今一つ。特に自作自演の解決が多く、苦し紛れだと言えるかもしれません。
 しかし、チェスタートンの作風である逆説の論理が展開されており、その点では興味深いと言えるでしょう。

逆説

 さて、チェスタートンはどのような論理を展開しているのでしょうか。

非科学的だからこその判断

 推理小説を持ち出すまでもなく、科学が日常を支配し、それ故、我々は科学的な思考ができると思っています。少なくとも理性的な判断ができると。つまり、数値を計測したら推論できる、と。
しかし、バジルは現実にそのようなことはしていないと指摘しています。この世の実務は精神的な印象やら雰囲気なんかで営まれているんだ。きみはどんな理由で秘書志願者の採用、不採用を決める?(中略)きみは自分の仕事の助けになりそうだと思った奴なら採用するし、こいつはおれの銭箱を盗み出しそうだなと思ったら断わるだろう。
 もちろん第一印象に引きづられるのは非科学的。しかしこのような非科学的な決定を毎日、われわれは行なっているばかりか、忘れてすらいるのですから。
 今日でも多くの人事担当者がこのような採用を行なっています*3。逆に科学的な要素のみで厳密に判断していては時間がかかって仕方がないのでしょう。つまり、非科学的だからこそわれわれは決断できるという逆説をはらんでいるのです。科学そのものより、科学的な判断をしていると信じている人を、チェスタートンは批判しており「騙りの樹」などにも見られるでしょう。
 人を喰う樹が伝わっており、それが実際に起こるのですが、その中には下記の台詞が出てきます。
いわゆる自然な説明がつくだろうと前もって約束され、あなたがたの尊厳が奇蹟によって傷つけられないという保証が与えられないかぎり、みなさんは簡単な話の発端をも聞こうとはしないのです。どだい、自然な説明がなかったらどうします? あったとしても見つからなかったらどうします?
 そして、このような科学〈者〉批判は後の「器械のあやまち」*4でも受け継がれています。心臓の鼓動を計測し、嘘を割り出すという嘘発見器をアメリカ人科学者が開発したらしい、と相棒のフランボウが説明すると、ブラウン神父はこう返します。
 心臓の鼓動からなにかを証明するなんて、アメリカ人以外の誰が思いつく。それじゃまるで女の人が顔を赤くしたからおれはその人に愛されているんだと考える男とちっともかわらない(後略)。
 この「器械のあやまち」は測定器そのものは正しい結果を示しているのに、人間が先入観で測定結果を正しく解釈できなかった、という話です。

差別主義

 そして、これは当時の科学的な言説と大きく関わります。その証拠となるのが、「老婦人軟禁事件」の下記の台詞です。
適者生存を云々する人はその言葉の意味をまるっきり知らないばかりか、念のいった義説を創りあげる。ダーウィン運動は別にあらたまって人類に何かをもたらしたというわけではない。
 この時代、ダーウィンの進化論になぞらえ、黒人は猿に近く、白人のほうが優れているという説がスペンサーやゴルトンによって唱えられました*5。もちろん人種差別の正当化に使われたのは言うまでもありません。「適者生存(survival of the fittest)」の言葉はスペンサーが生み出したのですが*6、原文でもsurvival of the fittestが使われています*7。

アフリカ人を巡って

 「チャッド教授の奇行」ではアフリカ人を巡って、下記の発言が見られます。
月に向かって吠えたり、暗闇の中で魔を恐れたりすることは馬鹿げたことでも、無知なことでもないのだ。ぼくにはそれがいたって理にかなったことだと思われる。存在そのものの神秘と感じる人があったからと言って、どうしてそれを白痴と考えなくてはいけないのか。
 あからさまに社会進化論を意識している「老婦人軟禁事件」といい黒人差別と対決しているかのように思われます。しかし、後期の「銅鑼の神」*8では差別的な言動があからさまに描かれています。
 今さっき肩をいからせて出ていったあの黒人は、この世で並ぶ者のない危険人物なのです。何しろ、人食い人種の本能を持っているうえに、ヨーロッパ人の頭脳を備えているんですからね。
 このブラウン神父の発言からは典型的な白人至上主義者の言説。この対極的な違いはどのように解釈したらいいのでしょうか。困惑しています。

*1 G. K. チェスタトン『ブラウン神父の童心』(東京創元社)
*2 エラリイ・クイーンも後期になると、探偵としての関わりに悩むようになる(エラリイ・クイーン『フォックス家の殺人』早川書房)
*3 「面接は科学的に見極めろ。「直感」「経験」の採用に潜む落とし穴」(ハフィントンポスト)
*4 G. K. チェスタトン「器械のあやまち」(G. K. チェスタトン『ブラウン神父の知恵』東京創元社)
*5 Wikipedia「社会進化論
*6 Wikipedia「ハーバート・スペンサー
*7 G.K. Chesterton"CHESTERTON MYSTERIES: 100+ Crime Thrillers, Murder Mysteries & Detective (e-artnow)
*8 G. K. チェスタトン「銅鑼の神」(G. K. チェスタトン『ブラウン神父の知恵』東京創元社)



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