殺人の哲学 (1973年) (角川文庫)

概要

 典型的な犯罪は時代の特徴を反映しているのではないか。この仮説をもとに、作家、コリン・ウィルソンは歴史を追いながら殺人事件を分析していく。殺人に関する考えがどのように変遷していったか、実例を踏まえながら示していくのだ。また殺人犯の他に、指紋などの犯罪捜査法についても言及している。

はじめに

 僕は推理小説が好きで、書いてもいます。その参考になるかと思って買ったまま積読だったという次第。しかし今、図書館がコロナウィルスの影響で閉館しています。この際だから、積読本を消化していこうと読みました。
 あとがきで、「殺人に対する哲学的観点から本書を執筆したと(中略)述べていることを勘案し、『殺人の哲学』という題名にした』*1と述べていますが、『殺人の哲学』は大げさ。『殺人の歴史』というタイトルのほうが本書の性格に一致していたのではと感じました。
 また『殺人の哲学』および、この記事には猟奇殺人などのグロテスクな描写を含みます。

古代ローマの殺人観

 この『殺人の哲学』ではルネサンスから始まりますが、その前に古代ローマの殺人観について触れておきましょう。もちろん人権の概念はフランス革命以降の発明だと考慮しなくてはいけません。つまり法律で殺人罪の概念があったとしても、(今でいう)全ての人々に適用されていたわけではないのです。
 例えば奴隷などは当然、「人間」として扱われなかったでしょう。その証拠に剣闘士の殺し合いを見世物として提供していました*2。また国家を守る公法と自由民の権利を守る私法に分かれ、殺人は私法に分類されています*3。
 どうして剣闘士の事例を持ち出したかといえば、コリン・ウィルソンの補説になるからです。コリン・ウィルソンは「人間は、文明化されるためには、けわしい道を歩まなければいけなかった」とあります。
 そして古代ローマでは動物的本能がルネサンス期よりも強かったと言えるのではないでしょうか。

十五世紀の殺人鬼

 十五世紀の有名な殺人鬼にソニー・ビーン一族がいます。彼らは洞窟に住み、追剥をして生計を立てていました。必ず殺しただけでなく、食糧としていたのです。捕まらないように殺害したのでしょうが、なかなか捕まらなかった理由はこれだけではありません。「世間から遠く離れていたので(中略)長い間、見つからないでいた」とあるように、未開拓地、つまり文明化されていない土地が多かったのです。
 一応、イングランドの領土で、ジェームズ一世の支配下にはあるものの、警察権が目の届く範囲に限界がありました。当然、残虐な刑に処されますが、「ビーンらは、わずかな人間的特徴を残している、一群の狼」のようなものだったのではないか、と述べています。そもそも邪悪という観念はジェームズ一世から見た概念です。
 彼ら〔ジェームズ一世〕がソーニー・ビーンに示した残忍性は裏庭で毒蛇の巣を壊している人間の残忍性と(略略)異端者を焚殺する宗教裁判官の残忍性ににているのである。
 つまり、文明のはずのジェームズ一世もソーニービーンに負けず劣らず野蛮である、と述べているのです。

ルネサンス

 ルネサンスと言えば、文学ではシェイクスピア、哲学ではフランシス・ベーコン、科学ではウィリアム・ギルバートなどが登場。文化を花開かせました。

クリストファー・マーロー

 イギリスのルネサンス期を代表する文学者はシェイクスピアが挙げられるでしょう。日本での知名度はいくらか落ちますが、他にもクリストファー・マーローがいます。そしてこのクリストファー・マーローですが、殺害されているのです。
 これについて後世の研究者が様々な説を展開しているのですが、偽装殺人で他人を殺したあと、自身は大陸に渡りシェイクスピアの筆名で作品を書いたのではないかとホフマンは考えました。
 もともとシェークスピアは謎に包まれており、著名人がペンネームを使ったのではないかと実しやかに囁かれてきました。例えば、フランシス・ベーコン説は古くから唱えられてきていましたが、
シェークスピアが、最も頻繁に使った言葉も四字以上のものであった(中略)〔しかし〕ベーコンはもっとずっと長い言葉を使い、その字数の平均も四字をずっと上回っていた。
 つまり語彙統計学から割り出しています。このように様々なテクストの語彙分布を調べたところ、マーローとシェイクスピアの語彙の使い方が同じだったそうです
 しかし哲学書、かたや大衆作家、比較対象のテクストそのものに疑問が残ります。ベーコンは「長い言葉を使う」とは言っても、それは哲学書で、マーローが一致したのは同じ詩人だからなのではないでしょうか。また現代英語に限って言えば英単語の平均字数は4.5字、つまりクリストファー・マーロウでなくとも4字の単語を多く使用していたと言えるでしょう。
 さらには、ジョイスは『ユリシーズ』の中で様々な文体を使って書いていることからも解るように、文体が偽造できることにも注意しなければなりません。

死が見世物

 シェイクスピアの作品を読めば解るように、悲劇では登場人物がほとんど死にます。『タイタス・アンドロニカス』はとりわけ残虐な場面がありますが*6、『ハムレット』も登場人物のほとんど死にます。
 もちろん、これだけならあまり趣味がいいとは言い難いにせよ、シェイクスピアの個人的な趣味を反映しているだけだと言えるかもしれません。しかしイギリスでは1868年まで公開処刑が続いているのですが、庶民の見世物で見物客が多く訪れました。「1807年には殺到した見物客100人以上が圧死する事故も起きてい」*7ます。
 ルネサンス期も当然、処刑は市民の娯楽でした。コリン・ウィルソンによれば、死刑に失敗すると、見物人が激高し「護衛つきで〔死刑執行人を刑場〕その場から連れ出さなければならなかった」こともあるそうです。
 感情についてもコリン・ウィルソンは興味深い指摘をしています。「激情に駆られやすく、激情は彼らの文学の題材でもあった」と。したがって当時の殺人も怨恨、金品目的の殺人が多いのです。
 また、死体を切断するなどの小細工は一切ありませんでした。かまどでも焼かれていないことを考えると、死体損壊の道具が普及していなかったわけではなく、宗教的な問題があったのかもしれません。

革命期

 革命期ではフランスの事例を紹介しています。

ヴィドック

 フランス革命を経て、本格的な警察機構がしました。その際、ヴィドックは欠かせません。彼は囚人でありながら、探偵、そして警察局長を勤めました*8。
 ヴィドックは犯罪者の情報網を活用し、逮捕していきます。探偵小説の登場人物ではなく、実在の人物。彼の『回想録』はコナン・ドイルやエミール・ガボリオなどにも影響を与えました。
 ヴィドックの時代にはまだ科学捜査が確立されていません。また、ヴィドックの情報網は個人的に築き上げたものだったので、永遠には活用できないでしょう。ヴィドックの後任にアラールという人が就くのですが、部下のカンレールは「犯罪者の心理の動きについての知識を活用し」て逮捕しています。
 しかし、「犯罪者というものは、一つの偽名が気に入って、それを何度も繰り返し使うことがあった。そこでカンレールは下宿屋を一軒一軒訪ねて歩き、宿帳を見せてもらった」とあるように経験則と地道な聞き込みの結果と言えるでしょう。
 皮肉なことにヴィドックと似たような人生を歩んで、立ち直れなかった犯罪者もいます。それがカンレールの逮捕したラスネール。
 「どんなふうに犯罪者になったかを説明する意で」彼は獄中で『回想録』を書いており、それがドストエフスキーの目に止まります。ドストエフスキーは自分の雑誌に回想録を掲載。有名人になり、高価な外套までプレゼントされます。

ジャック・ザ・リッパー

 指紋などの科学捜査は1892年にようやく法医学として利用できるという論文が掲載されました。イギリスでの実用化は1901年*9。つまり1888年に起きたジャック・ザ・リッパーは指紋なしで操作していたのです。
 経験則、ひたすら聞き込み、犯人の心理を想像しながらの捜査……。ジャック・ザ・リッパーの場合、警察へ挑戦状が二通以上送られていますので、筆跡鑑定はできたかもしれませんが、いずれにせよ科学捜査と呼べるものではありませんでした。

殺人捜査

 20世紀に入ると科学的な観点から犯罪捜査が行われるようになります。しかも組織的に。

指紋

 指紋は犯罪捜査以外の場面で最初使われていました。事務手続き。
 一八六○年代のインドでウィリアム・ハーシェルという文官が、同一の指紋は二つとないことを発見した。彼はインド人の兵士に年金を支払うという自分の仕事にそれを使った。インド人の兵士はほとんど字が書けなかったし、イギリス人の眼には、彼らはみな同じように見えたのである。そのことがわかると、年金受給者たちは自分の年金を二度受け取ったり、またもどって来て他人の年金を受け取ったりし始めた。
 また指紋が実用化される以前に、ベルティヨンが人体の各部を測定して、個人を同定しようと試みました。しかしサンプルを集めている途中で、指紋での同定が実用化されて、ベルティヨン測定法は結局実用化されることはありませんでした*10。

血液型

 今でこそDNA鑑定が行なわれますが、血液の鑑定は人間の血かどうかを判定するものでした。
1.外気に長時間触れていても、正確に検出できること
2.血液以外のタンパク質に反応しないこと
3.人間の血液か動物の血液かを見きわめること。
 パウル・ウーレンフートは防御反応を司っている血漿に注目します。
 卵白を注射された兎から血漿を採った。そして、その透明な血漿の入った試験管に卵白を一滴垂らすと、その血漿は白濁した。
 コリン・ウィルソンは例えとして「卵白か精液かをという点にかかっているとすれば、それは素早く検査することができる」とありますが、17世紀には顕微鏡が発明され、精子を確認しているので*11、この二つならパウル・ウーレンフートを待たずとも弁別できます。そしてこの技術が認知されるきっかけとなった事件が1904年に起きます。つまり血液検出と指紋が20世紀初めに実用化されているのです。
 やがて、輸血すると凝固する人がいることから、血液型が発見されると、この技術で血液型が解るようになります。

写真

 写真の技術も犯罪捜査で大きな貢献を果たしたのは言うまでもありません。写真技術の原理は1725年に塩化銀が陽にさらされると黒ずむことを発見、1802年、トマス・ウェッジウッドが最初の写真を撮ろうとします。しかし感光を防ぐすべがまだ確立されていなかったので、陽に当たるとすぐに変色してしまいます。
 ニーセフォール・ニエブズが1826年に最初の風景写真を撮りました。動いたら正確に写真が撮れなかったのです。従って、初期の人相写真は「犯人をカメラの方に五分間向かせておく間(中略)、刑事がその犯人をじっと押さえておかなければならなかった」のです。

認知件数

 コリン・ウィルソンは二○世紀に入り「犯罪の件数がこれまでよりはるかに多くなった」と述べています。強姦事件も増えてきたというのですが、僕はこの見解に疑問を呈しています。
 まず、犯罪発生件数ではなく犯罪認知件数で、この二つには大きな隔たりがあります。失踪人扱い、事故・自殺に見せかけられたため殺人だと解らなかったこともあるでしょう。特に強姦は女性への権利意識と大きく関わります。権利が低いと合意の上だと見なされがち。
 例えば男尊女卑が激しい国に強姦は<ありません>。強姦の概念がなければ、強姦そのものが<ない>ことになるのです。しかし、果たして強姦という事象が発生していないことを意味するのでしょうか。
 そう、概念がなければ事象はあっても、記録も認知もされないのです。

快楽殺人の時代

 二○世紀に入り、動機なき殺人が発生し始めます。その前身はジャック・ザ・リッパーやソニー・ビーンなのですが、合理的な理由もなく死体を損壊する犯人が目立ち始めるのです。例えば身元を解らなくする、発覚を遅らせるため遺棄しやすいように死体を解体するなどは了解可能なものですが、了解不可能なものが増えてきていると言います。

二○世紀の犯罪について

 「第二次大戦後、犯罪発生率は徐々に増加し、変態性欲と奇怪な空想から生まれた殺人事件の数は法外なもの」となりました。「われわれは殺人が挫折感から、サディズムから、反抗から、あるいは単に倦怠から行われる時代にいる」のです。
 例えば殺人鬼、ゴスマンについて下記のように分析しています。
 この事件で注目すべき主要な点はゴスマンの疎外感である。──「なんて滑稽なんだ。こんなことになるはずがない」。ほとんどすべての殺人犯と同じく彼も一つのゲームをやっていたのである。彼は神秘主義に関心を持っていたにもかかわららず、人生が重大なものだと感じることはできなかった。
 アルベール・カミュの『異邦人』はその意味で象徴的な小説。

エド・ゲイン

 ただ了解可能か、了解不可能かは個人の共感能力、社会経験などにも大きく差が出ます。したがってコリン・ウィルソンが了解不能だと言っても、別の人から見れば了解不可能である場合もあるでしょう。
 例えば、「死体の肉を食べ、皮膚でチョッキをつくり、それを自分の肌にじかに着ていた」エド・ゲインについて、コリン・ウィルソンは下記のように述べています。
 ゲイン事件は、おぞましいものであるが、ともかくも全くわからないというものではない。ショーツをはいた女の足をもって見たことがある男なら、誰でもこの事件の本質を幾分か理解することができる。
 僕なりに精一杯解釈するなら、崇高な美を取り込み、身にまとうことで征服し、一体化しようとしたのだと思います。三島由紀夫は『金閣寺』で自ら、憧れの対象を破壊することで絶対的なものになろうとした〈私〉を描いています*12。崇高で絶対的なものを自ら破壊すれば、その絶対的なものを超えられる、と錯覚するのです*13。

スタニャック

 エド・ゲインの心境をある程度、コリン・ウィルソンは了解していたと思うのですが、僕は了解しにくかったです。それよりも了解しやすかったのはポーランドで起きたスタニャック事件。
 両親と妹は、氷の張った道路を横断しているところを、スリップした車にはねらねた。その車は、ポーランド空軍の飛行士の若い妻が運転していたもので、非常なスピードを出していた。その女は、無謀運転で起訴されたが無罪となった。スタニャックは、最初に殺した少女の写真を新聞で見て、その飛行士の妻に似ていると思った。それが彼女を殺した動機だった。彼は、飛行士の妻は殺すまいと思った。そんなことをすれば、自分が犯人だということがわかってしまうだろうから。
あくまでも復讐が目的なのですが、それが叶いません。そこで、似ている背格好の女性を殺すことで飛行士の妻へ復讐していると仮想、あるいは夢想していたのでしょう。

社会背景

 第一次・第二次世界大戦を経て、猟奇殺人が増えたとしたら何が原因でしょうか。「生の価値の低減が、今世紀では当たり前のこととなった」と序文で述べていますが、第一次、第二次世界大戦の大量死がまさに「生の価値の軽減」どころか全く生を無意味にしたと言えましょう*14。自分の生だけでなく、他者の生をも。


*1 高儀進「あとがき」(コリン・ウィルソン『殺人の哲学』角川書店)
*2 Wikipedia「剣闘士
*3 Wikipedia「ローマ法
*4 佐藤洋一「英文のエントロピー」。なお、中世英語ではないことに注意
*5 ウィリアム・シェイクスピア、ジョン・フレッチャー『二人の貴公子』(白水社)
*6 ウィリアム・シェイクスピア『タイタス・アンドロニカス』(白水社)
*7 Wikipedia「公開処刑
*8 Wikipedia「フランソワ・ヴィドック
*9 1892年、フランセスカ・ロジャースが指紋を根拠に逮捕されている。これが最初の例である。
*10 『バスカヴィル家の犬』にベルティヨン測定法の言及がある(コナン・ドイル『バスカヴィル家の犬』新潮社)
*11 Wikipedia「レーウェンフック
*12 三島由紀夫『金閣寺』(新潮社)
*13 ジョルジュ・バタイユ『エロティシズム』(ちくま書房)
*14 笠井潔『探偵小説と二○世紀精神』(東京創元社)