比較文学プロムナード―近代作品再読

概要

 一つのテーマでも描き方は作家によって当然、異なる。比較文学とは同じテーマを扱った、異なる作品を比較することで、その差が何から発生するのか研究する学問の手法である。
 具体例を挙げればディケンズ『二都物語』と坪内逍遥『当世書生気質』は、ともに激動の中で社会の世代交代が行なわれていく過程を描いている。しかし、描かれ方には大きく差があり、これには日英の差を反映している。
 『文学プロムナード』では島崎藤村、北原白秋などの作品を比較、生い立ちに原因を求めている。また、作家が読んだ外国文学を通し、文化的背景を探っている。

はじめに

 もう国際化が叫ばれて久しくなり、外国人観光客も多く見られるようになりました。

国際化を生き抜くための文学

 そのような状況下で比較文学は役に立つと思います。日本人とはなにかという問いへの真摯なアプローチとして比較文学が挙げられるからです。差異が述べられるようになって、初めて物事が分かったと言えましょう。
 日本人とイギリス人の違いはもちろん、外見、言葉などの表面的な事柄だけではありません。物事に対する考えもまるで違います。文学・絵画・音楽などはこれを端的に現しているのです。つまり、国際人になりたいのなら、まず翻訳でも構わないので、芸術に触れることです。

娯楽としての文学

 もちろん読書は娯楽の一つだと思っていますので、僕はそのような真面目な気持ちで読んだわけではありません。小説をどのように楽しむかの参考として、また新しい作品を知る手がかりとして読みました。
 それともう一つ。剣持武彦は作品論として読解しています。小説を作家に従属していると見なし、作家の日記、手紙などを通して読み解く作品論と、読者に自由な解釈を許すテクスト論の二つがあり、現代ではテクスト論が主流になっています。
 しかし、作品論として読むことで作家がどのような影響を与えたのか知ることができました。これは創作活動にとって大きな収穫と言えるでしょう。

比較文学とは

 それでは比較文学についてもっと具体的に見て行きましょう。
 比較文学はフランスにおいて、ヨーロッパ各国間の文学の交流と影響関係を文献に基づいて実証する学問として成立した。したがって時代をルネサンス以降の近代文学に限定し、古代と近代との比較・異文化圏との比較はその対象としない方針であった。
 どう派生していったのかを調べるに当たっては共通の土台を起点にしなければ、意味がありません。ルネサンス期に入りイスラム世界を通して、ギリシア、ローマ文学がヨーロッパに流れ込み、共通の文化的土台を造り上げました*1。どうしてルネサンス期に限定したのか、このようなに基づいているのでしょう。
 時代が下るにしたがって「ヨーロッパ圏以外の文学も英訳で親しまれるようにな」ります。例えばサイデンステッカーは源氏物語の他にも谷崎潤一郎や川端康成を翻訳しています*2。それに従って、「共通のテーマ、共通の問題意識、類似の表現法が注目されることにな」ります。例えば近親相姦をめぐる物語は源氏の桐壷だけでなく、古代ギリシアの演劇『オイディプス王』や、アステカ神話のケツァルコアトルとケツァルペトラトルの物語*3。
 このような背景で比較文学は誕生しました。

『比較文学プロムナード』の楽しみ方

 さて、『比較文学プロムナード』はどのように楽しんだらいいのでしょうか。もちろん、剣持武彦の論を追いながら、楽しむのが一般的でしょう。明治文学の理解も深まり、さらに楽しいものとなります。また他の作品を読むときにも応用ができます。この楽しみ方の場合、実際に作品を突き合わせながら読んでいくとさらに楽しいものとなるでしょう。
 しかし僕は別の楽しみ方をしました。既存の小説をどのように使うかが、創作の鍵となります。したがって文豪がどのように小説を使っていたか知ることで、創作活動に役立てようと思ったのです。
 また翻訳文と原詩を比較しながら読み解いているところでは、原文の音を大事にしながら、翻訳を行っていることが解り、苦労が垣間見えました。例えば、明治期の翻訳家、上田敏はヹルハアレン「時鐘」を訳す時に、「フランス語のCo、quの硬音が日本語のka, ki,kuの硬音に対応」させながら訳すなど、原文の音をできるだけ忠実に翻訳しているのです。

分析対象の小説を読んでいなくても

 さて、『比較文学プロムナード』のような本を読む時に分析対象となる小説を読んでいなければ解らないのではないかと思う人もいるでしょう。しかし、小説や戯曲ではあらすじが掲載されています。また当然のことですが、議論に必要な箇所は引用されているので、心配はありません。
 事実、僕も分析対象の明治文学はほとんど読んでいませんでしたが、困りませんでした。それにいざとなったら青空文庫に行けば読めますし。加えて、もともと紀要論文、学会発表などをまとめた著作なので、一つの長い評論ではありません。十五編の評論が掲載されている上、「結び」、「結論」が掲載されています。

近現代の日本文学を中心に

 さて、どの評論でも日本の近現代文学を絡めながら論評しています。その理由としては(幻イ入手しやすいこと∪祥諒験悗流入して比較しやすいこと6畭紊僚佝点であることが挙げられるでしょう。
 特に坪内逍遥とディケンズを始め、尾崎紅葉とシェイクスピア、国木田独歩とワーズワース等の比較からも解るように、剣持武彦は西洋文学との対比を重視しています。
 明治に入り、医学と憲法はドイツに、民法はフランスに学びました。しかし、夏目漱石がイギリスに留学していることからも解るように、イギリスからも学びました。

坪内逍遥「当世書生気質」とディケンズ『二都物語』

 その一例として「当世書生気質」と「二都物語」が挙げられます。ディケンズは『二都物語』でフランス革命を扱い*5、坪内逍遥は戊辰戦争に端を発する「当世書生気質」を書いています。両者とも民主主義の出発点となった事件。特に明治日本ではこれから国を作らんとしている只中にあるのですから、フランス革命には当然、興味があったのでしょう。
 ディケンズはカーライルの『フランス革命』から着想を得て、『二都物語』を書いているのですが、明治期の大学生はカーライルで学んでいました。当然ながら、坪内逍遥もカーライルを読んでいたと剣持武彦は推察しています。
 しかし、『二都物語』の暗い結末に対し、「当世書生気質」は大団円で終わります。同じディケンズの作品でも『二都物語』ではなく、『オリヴァー・ツイスト』*4を参考にしたと僕は解釈しました。

尾崎紅葉とシェイクスピア

 尾崎紅葉は『色懺悔』の自序でサミュエル・ジョンソンのシェイクスピア論に言及しており、シェイクスピア作品へ傾倒しています。学生時代『金色夜叉』を読んだときに『ハムレット』と同じような印象を持ちました。その時、復讐譚はありふれているし、単なる偶然だろうと思っていたのですが、違ったのです。
 他にも具体例として、剣持武彦は『オセロー』と『三人妻』を挙げています。多少の違いこそあるものの、人物造形はもちろん、役割まで一致しています。尾崎紅葉といえば文語体の代表的な作家。古めかしい文体ですが、その中にも西洋の文学を取り合わせていたのです。
 また、シェイクスピアの換骨奪胎というのも偶然とはいえ、数奇と言えるでしょう。シェイクスピア自信もまた、プルターク『英雄伝』などを下敷きにしているのですから。

国木田独歩とワーズワース

 国木田独歩とワーズワースはともに自然を題材に作品を書きました。まず国木田独歩は大学時代に英語を専門にしており、ワーズワースも読んでいました。しかし、省察の結果を詩に表すという思想面をワーズワースから受け継いだのではありません。むしろ、「可憐で短い抒情詩」を受け継ぎ、形式や題材において影響を与えたのです。
 他にもこの頃、二葉亭四迷がツルゲーネフの『あいびき』を翻訳しており、独歩はその影響を受けていました。

二葉亭四迷とゴンチャロフ

 さて、国木田独歩は英文学などの他にモーパッサンなども読んでいたのですが、原典からではありません。英訳です。当時、トルストイにせよほとんど英訳を読んでいました。
 しかし二葉亭四迷はロシア文学を原典から訳し、小説の構成にもロシア文学の影響が見られます。剣持武彦は二葉亭四迷『平凡』とゴンチャロフの『平凡物語』を比較しています。二葉亭四迷は晩年になって、ゴンチャロフの著作が好きだと述べているように影響を受けたのは間違いありません。
 どのように影響を受けたかと言うと『其面影』の冒頭を見れば一目瞭然。
 弱々とした秋の日は早や沈んで、夕榮ばかり明々と西の空を染めた或夕暮れ、九段坂を漫々登って行く洋服の出立の二人連れがある。一人は細長く、一人は横太りの、反對は格講ばかりではなく、細長いのは薄汚れた霜降の脊廣の、洋袴の膝も疾に摺切れて毛がないのに、黒とは名のみで日向へは些と憚りある鍔廣の帽子で、是ばかりは不釣合な金縁眼鏡を掛た細長で頬の削けた、眉の割に毛が薄い、何處となく貧相な、一見して老書生といふ風彩の男で……
 典型的な三人称の文体であり、視点は情景描写から登場人物に近づいていき、そして人物の外見、職業を饒舌に語る方法はドストエフスキーなどにも言えます。。僕はゴンチャロフを読んだことがないので判断のしようがないのですが、試しに罪と罰の冒頭部を引用してみましょう。
 七月はじめ酷暑のころのある夕暮れ近く、一人の青年が、小部屋を借りているS横町のある建物の門へふらりとでて、思いまようらしく、のろのろとK橋の方へ歩きだした。
 彼は運良く階段のところでおかみに会わずにすんだ。彼の小部屋は高い五階建の屋根裏にあって、部屋というよりは納戸に近かった。賄いと女中つきでこの部屋を彼に貸していたおかみの部屋は一回下にあって、彼の部屋とははなれていたが外へ出ようと思えば、たいていは階段に向い開けはなしになっているおかみのだいどころの前を通らなければならなかった。そして、青年はその台所を通るたびになんとなく重苦しい気おくれを感じて、そんな自分の気持が恥ずかしくなり、顔をしかめるのだった。借りがたまっていておかみに会うのがこわかったのである。
 この後も一ページ以上、登場人物がどんな状況に置かれているか説明されます。二葉亭四迷の『其面影』と似ていますね!
 しかし『平凡』に於いて、ガラリと変わります。
 私は今年三十九になる。人世五十が通相場なら、まだ今日明日穴へ入ろうとも思わぬが、しかし未来は長いようでも短いものだ。過去って了えば実に呆気ない。まだまだと云ってる中にいつしか此世の隙が明いて、もうおさらばという時節が来る。其時になって幾ら足掻いたって藻掻いたって追付おッつかない。覚悟をするなら今の中だ。
 いや、しかし私も老込んだ。三十九には老込みようがチト早過ぎるという人も有ろうが、気の持方は年よりも老けた方が好い。それだと無難だ。
 単に一人称視点になっただけではありません。もちろん一人称視点か三人称視点かにも大きく依存するのですが、外から登場人物を見ていた視点に対し、登場人物から外を見て、述懐する手法、つまり告白体に変わっていったのです。
 この告白体の手法は夏目漱石『坑夫』に受け継がれていくと剣持武彦は語っています。しかし、坑夫の冒頭はむしろドストエフスキーと告白体を足しているような印象。「さっきから松原を通ってるんだが、松原と云うものは絵で見たよりもよっぽど長いもんだ」と情景描写を軽く済ませた後、状況説明。これはむしろ客観小説体の構成でしょう。
 折衷しているにせよ、告白体の影響を受けているのは間違いありません。二葉亭四迷は告白体をトルストイの『クロイツェル・ソナタ』から思いついたと言います。ここでもロシア文学の影響が見られるのです。

*1 B・C・ヴィッカリー『歴史のなかの科学コミュニケーション』(勁草書房)
*2 Wikipedia「エドワード・G・サイデンステッカー
*3 桐壺の更衣と『オイディプス王』の場合は母子だったのに対し、アステカ神話では兄妹という点で違いが見られる(Wikipedia「ケツァルコアトル」)。しかし多かれ少なかれ罰が下るという点では一致しているだろう。
*5 チャールズ・ディケンズ『二都物語』(新潮社)
*6 チャールズ・ディケンズ『オリヴァー・ツイスト』(新潮社)