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有沢翔治の読書日記

 同人小説家、有沢翔治のブログ。  いいものを書くためにはいいものを、幅広く。

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二人であることの問い

 双子の姉、亜衣の様子がおかしい。何かあったのではないかと真衣から萌は相談を受ける。やがて亜衣の部屋からバタフライナイフを買った痕跡が見つかり……。亜衣は何を考えているのか?

エッセイ、ノンフィクション

コリン・ウィルソン『殺人の哲学』(角川書店)

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殺人の哲学 (1973年) (角川文庫)

概要

 典型的な犯罪は時代の特徴を反映しているのではないか。この仮説をもとに、作家、コリン・ウィルソンは歴史を追いながら殺人事件を分析していく。殺人に関する考えがどのように変遷していったか、実例を踏まえながら示していくのだ。また殺人犯の他に、指紋などの犯罪捜査法についても言及している。

はじめに

 僕は推理小説が好きで、書いてもいます。その参考になるかと思って買ったまま積読だったという次第。しかし今、図書館がコロナウィルスの影響で閉館しています。この際だから、積読本を消化していこうと読みました。
 あとがきで、「殺人に対する哲学的観点から本書を執筆したと(中略)述べていることを勘案し、『殺人の哲学』という題名にした』*1と述べていますが、『殺人の哲学』は大げさ。『殺人の歴史』というタイトルのほうが本書の性格に一致していたのではと感じました。
 また『殺人の哲学』および、この記事には猟奇殺人などのグロテスクな描写を含みます。

古代ローマの殺人観

 この『殺人の哲学』ではルネサンスから始まりますが、その前に古代ローマの殺人観について触れておきましょう。もちろん人権の概念はフランス革命以降の発明だと考慮しなくてはいけません。つまり法律で殺人罪の概念があったとしても、(今でいう)全ての人々に適用されていたわけではないのです。
 例えば奴隷などは当然、「人間」として扱われなかったでしょう。その証拠に剣闘士の殺し合いを見世物として提供していました*2。また国家を守る公法と自由民の権利を守る私法に分かれ、殺人は私法に分類されています*3。
 どうして剣闘士の事例を持ち出したかといえば、コリン・ウィルソンの補説になるからです。コリン・ウィルソンは「人間は、文明化されるためには、けわしい道を歩まなければいけなかった」とあります。
 そして古代ローマでは動物的本能がルネサンス期よりも強かったと言えるのではないでしょうか。

十五世紀の殺人鬼

 十五世紀の有名な殺人鬼にソニー・ビーン一族がいます。彼らは洞窟に住み、追剥をして生計を立てていました。必ず殺しただけでなく、食糧としていたのです。捕まらないように殺害したのでしょうが、なかなか捕まらなかった理由はこれだけではありません。「世間から遠く離れていたので(中略)長い間、見つからないでいた」とあるように、未開拓地、つまり文明化されていない土地が多かったのです。
 一応、イングランドの領土で、ジェームズ一世の支配下にはあるものの、警察権が目の届く範囲に限界がありました。当然、残虐な刑に処されますが、「ビーンらは、わずかな人間的特徴を残している、一群の狼」のようなものだったのではないか、と述べています。そもそも邪悪という観念はジェームズ一世から見た概念です。
 彼ら〔ジェームズ一世〕がソーニー・ビーンに示した残忍性は裏庭で毒蛇の巣を壊している人間の残忍性と(略略)異端者を焚殺する宗教裁判官の残忍性ににているのである。
 つまり、文明のはずのジェームズ一世もソーニービーンに負けず劣らず野蛮である、と述べているのです。

ルネサンス

 ルネサンスと言えば、文学ではシェイクスピア、哲学ではフランシス・ベーコン、科学ではウィリアム・ギルバートなどが登場。文化を花開かせました。

クリストファー・マーロー

 イギリスのルネサンス期を代表する文学者はシェイクスピアが挙げられるでしょう。日本での知名度はいくらか落ちますが、他にもクリストファー・マーローがいます。そしてこのクリストファー・マーローですが、殺害されているのです。
 これについて後世の研究者が様々な説を展開しているのですが、偽装殺人で他人を殺したあと、自身は大陸に渡りシェイクスピアの筆名で作品を書いたのではないかとホフマンは考えました。
 もともとシェークスピアは謎に包まれており、著名人がペンネームを使ったのではないかと実しやかに囁かれてきました。例えば、フランシス・ベーコン説は古くから唱えられてきていましたが、
シェークスピアが、最も頻繁に使った言葉も四字以上のものであった(中略)〔しかし〕ベーコンはもっとずっと長い言葉を使い、その字数の平均も四字をずっと上回っていた。
 つまり語彙統計学から割り出しています。このように様々なテクストの語彙分布を調べたところ、マーローとシェイクスピアの語彙の使い方が同じだったそうです
 しかし哲学書、かたや大衆作家、比較対象のテクストそのものに疑問が残ります。ベーコンは「長い言葉を使う」とは言っても、それは哲学書で、マーローが一致したのは同じ詩人だからなのではないでしょうか。また現代英語に限って言えば英単語の平均字数は4.5字、つまりクリストファー・マーロウでなくとも4字の単語を多く使用していたと言えるでしょう。
 さらには、ジョイスは『ユリシーズ』の中で様々な文体を使って書いていることからも解るように、文体が偽造できることにも注意しなければなりません。

死が見世物

 シェイクスピアの作品を読めば解るように、悲劇では登場人物がほとんど死にます。『タイタス・アンドロニカス』はとりわけ残虐な場面がありますが*6、『ハムレット』も登場人物のほとんど死にます。
 もちろん、これだけならあまり趣味がいいとは言い難いにせよ、シェイクスピアの個人的な趣味を反映しているだけだと言えるかもしれません。しかしイギリスでは1868年まで公開処刑が続いているのですが、庶民の見世物で見物客が多く訪れました。「1807年には殺到した見物客100人以上が圧死する事故も起きてい」*7ます。
 ルネサンス期も当然、処刑は市民の娯楽でした。コリン・ウィルソンによれば、死刑に失敗すると、見物人が激高し「護衛つきで〔死刑執行人を刑場〕その場から連れ出さなければならなかった」こともあるそうです。
 感情についてもコリン・ウィルソンは興味深い指摘をしています。「激情に駆られやすく、激情は彼らの文学の題材でもあった」と。したがって当時の殺人も怨恨、金品目的の殺人が多いのです。
 また、死体を切断するなどの小細工は一切ありませんでした。かまどでも焼かれていないことを考えると、死体損壊の道具が普及していなかったわけではなく、宗教的な問題があったのかもしれません。

革命期

 革命期ではフランスの事例を紹介しています。

ヴィドック

 フランス革命を経て、本格的な警察機構がしました。その際、ヴィドックは欠かせません。彼は囚人でありながら、探偵、そして警察局長を勤めました*8。
 ヴィドックは犯罪者の情報網を活用し、逮捕していきます。探偵小説の登場人物ではなく、実在の人物。彼の『回想録』はコナン・ドイルやエミール・ガボリオなどにも影響を与えました。
 ヴィドックの時代にはまだ科学捜査が確立されていません。また、ヴィドックの情報網は個人的に築き上げたものだったので、永遠には活用できないでしょう。ヴィドックの後任にアラールという人が就くのですが、部下のカンレールは「犯罪者の心理の動きについての知識を活用し」て逮捕しています。
 しかし、「犯罪者というものは、一つの偽名が気に入って、それを何度も繰り返し使うことがあった。そこでカンレールは下宿屋を一軒一軒訪ねて歩き、宿帳を見せてもらった」とあるように経験則と地道な聞き込みの結果と言えるでしょう。
 皮肉なことにヴィドックと似たような人生を歩んで、立ち直れなかった犯罪者もいます。それがカンレールの逮捕したラスネール。
 「どんなふうに犯罪者になったかを説明する意で」彼は獄中で『回想録』を書いており、それがドストエフスキーの目に止まります。ドストエフスキーは自分の雑誌に回想録を掲載。有名人になり、高価な外套までプレゼントされます。

ジャック・ザ・リッパー

 指紋などの科学捜査は1892年にようやく法医学として利用できるという論文が掲載されました。イギリスでの実用化は1901年*9。つまり1888年に起きたジャック・ザ・リッパーは指紋なしで操作していたのです。
 経験則、ひたすら聞き込み、犯人の心理を想像しながらの捜査……。ジャック・ザ・リッパーの場合、警察へ挑戦状が二通以上送られていますので、筆跡鑑定はできたかもしれませんが、いずれにせよ科学捜査と呼べるものではありませんでした。

殺人捜査

 20世紀に入ると科学的な観点から犯罪捜査が行われるようになります。しかも組織的に。

指紋

 指紋は犯罪捜査以外の場面で最初使われていました。事務手続き。
 一八六○年代のインドでウィリアム・ハーシェルという文官が、同一の指紋は二つとないことを発見した。彼はインド人の兵士に年金を支払うという自分の仕事にそれを使った。インド人の兵士はほとんど字が書けなかったし、イギリス人の眼には、彼らはみな同じように見えたのである。そのことがわかると、年金受給者たちは自分の年金を二度受け取ったり、またもどって来て他人の年金を受け取ったりし始めた。
 また指紋が実用化される以前に、ベルティヨンが人体の各部を測定して、個人を同定しようと試みました。しかしサンプルを集めている途中で、指紋での同定が実用化されて、ベルティヨン測定法は結局実用化されることはありませんでした*10。

血液型

 今でこそDNA鑑定が行なわれますが、血液の鑑定は人間の血かどうかを判定するものでした。
1.外気に長時間触れていても、正確に検出できること
2.血液以外のタンパク質に反応しないこと
3.人間の血液か動物の血液かを見きわめること。
 パウル・ウーレンフートは防御反応を司っている血漿に注目します。
 卵白を注射された兎から血漿を採った。そして、その透明な血漿の入った試験管に卵白を一滴垂らすと、その血漿は白濁した。
 コリン・ウィルソンは例えとして「卵白か精液かをという点にかかっているとすれば、それは素早く検査することができる」とありますが、17世紀には顕微鏡が発明され、精子を確認しているので*11、この二つならパウル・ウーレンフートを待たずとも弁別できます。そしてこの技術が認知されるきっかけとなった事件が1904年に起きます。つまり血液検出と指紋が20世紀初めに実用化されているのです。
 やがて、輸血すると凝固する人がいることから、血液型が発見されると、この技術で血液型が解るようになります。

写真

 写真の技術も犯罪捜査で大きな貢献を果たしたのは言うまでもありません。写真技術の原理は1725年に塩化銀が陽にさらされると黒ずむことを発見、1802年、トマス・ウェッジウッドが最初の写真を撮ろうとします。しかし感光を防ぐすべがまだ確立されていなかったので、陽に当たるとすぐに変色してしまいます。
 ニーセフォール・ニエブズが1826年に最初の風景写真を撮りました。動いたら正確に写真が撮れなかったのです。従って、初期の人相写真は「犯人をカメラの方に五分間向かせておく間(中略)、刑事がその犯人をじっと押さえておかなければならなかった」のです。

認知件数

 コリン・ウィルソンは二○世紀に入り「犯罪の件数がこれまでよりはるかに多くなった」と述べています。強姦事件も増えてきたというのですが、僕はこの見解に疑問を呈しています。
 まず、犯罪発生件数ではなく犯罪認知件数で、この二つには大きな隔たりがあります。失踪人扱い、事故・自殺に見せかけられたため殺人だと解らなかったこともあるでしょう。特に強姦は女性への権利意識と大きく関わります。権利が低いと合意の上だと見なされがち。
 例えば男尊女卑が激しい国に強姦は<ありません>。強姦の概念がなければ、強姦そのものが<ない>ことになるのです。しかし、果たして強姦という事象が発生していないことを意味するのでしょうか。
 そう、概念がなければ事象はあっても、記録も認知もされないのです。

快楽殺人の時代

 二○世紀に入り、動機なき殺人が発生し始めます。その前身はジャック・ザ・リッパーやソニー・ビーンなのですが、合理的な理由もなく死体を損壊する犯人が目立ち始めるのです。例えば身元を解らなくする、発覚を遅らせるため遺棄しやすいように死体を解体するなどは了解可能なものですが、了解不可能なものが増えてきていると言います。

二○世紀の犯罪について

 「第二次大戦後、犯罪発生率は徐々に増加し、変態性欲と奇怪な空想から生まれた殺人事件の数は法外なもの」となりました。「われわれは殺人が挫折感から、サディズムから、反抗から、あるいは単に倦怠から行われる時代にいる」のです。
 例えば殺人鬼、ゴスマンについて下記のように分析しています。
 この事件で注目すべき主要な点はゴスマンの疎外感である。──「なんて滑稽なんだ。こんなことになるはずがない」。ほとんどすべての殺人犯と同じく彼も一つのゲームをやっていたのである。彼は神秘主義に関心を持っていたにもかかわららず、人生が重大なものだと感じることはできなかった。
 アルベール・カミュの『異邦人』はその意味で象徴的な小説。

エド・ゲイン

 ただ了解可能か、了解不可能かは個人の共感能力、社会経験などにも大きく差が出ます。したがってコリン・ウィルソンが了解不能だと言っても、別の人から見れば了解不可能である場合もあるでしょう。
 例えば、「死体の肉を食べ、皮膚でチョッキをつくり、それを自分の肌にじかに着ていた」エド・ゲインについて、コリン・ウィルソンは下記のように述べています。
 ゲイン事件は、おぞましいものであるが、ともかくも全くわからないというものではない。ショーツをはいた女の足をもって見たことがある男なら、誰でもこの事件の本質を幾分か理解することができる。
 僕なりに精一杯解釈するなら、崇高な美を取り込み、身にまとうことで征服し、一体化しようとしたのだと思います。三島由紀夫は『金閣寺』で自ら、憧れの対象を破壊することで絶対的なものになろうとした〈私〉を描いています*12。崇高で絶対的なものを自ら破壊すれば、その絶対的なものを超えられる、と錯覚するのです*13。

スタニャック

 エド・ゲインの心境をある程度、コリン・ウィルソンは了解していたと思うのですが、僕は了解しにくかったです。それよりも了解しやすかったのはポーランドで起きたスタニャック事件。
 両親と妹は、氷の張った道路を横断しているところを、スリップした車にはねらねた。その車は、ポーランド空軍の飛行士の若い妻が運転していたもので、非常なスピードを出していた。その女は、無謀運転で起訴されたが無罪となった。スタニャックは、最初に殺した少女の写真を新聞で見て、その飛行士の妻に似ていると思った。それが彼女を殺した動機だった。彼は、飛行士の妻は殺すまいと思った。そんなことをすれば、自分が犯人だということがわかってしまうだろうから。
あくまでも復讐が目的なのですが、それが叶いません。そこで、似ている背格好の女性を殺すことで飛行士の妻へ復讐していると仮想、あるいは夢想していたのでしょう。

社会背景

 第一次・第二次世界大戦を経て、猟奇殺人が増えたとしたら何が原因でしょうか。「生の価値の低減が、今世紀では当たり前のこととなった」と序文で述べていますが、第一次、第二次世界大戦の大量死がまさに「生の価値の軽減」どころか全く生を無意味にしたと言えましょう*14。自分の生だけでなく、他者の生をも。


*1 高儀進「あとがき」(コリン・ウィルソン『殺人の哲学』角川書店)
*2 Wikipedia「剣闘士
*3 Wikipedia「ローマ法
*4 佐藤洋一「英文のエントロピー」。なお、中世英語ではないことに注意
*5 ウィリアム・シェイクスピア、ジョン・フレッチャー『二人の貴公子』(白水社)
*6 ウィリアム・シェイクスピア『タイタス・アンドロニカス』(白水社)
*7 Wikipedia「公開処刑
*8 Wikipedia「フランソワ・ヴィドック
*9 1892年、フランセスカ・ロジャースが指紋を根拠に逮捕されている。これが最初の例である。
*10 『バスカヴィル家の犬』にベルティヨン測定法の言及がある(コナン・ドイル『バスカヴィル家の犬』新潮社)
*11 Wikipedia「レーウェンフック
*12 三島由紀夫『金閣寺』(新潮社)
*13 ジョルジュ・バタイユ『エロティシズム』(ちくま書房)
*14 笠井潔『探偵小説と二○世紀精神』(東京創元社)



佐野眞一『東電OL殺人事件』(新潮社)

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東電OL殺人事件 (新潮文庫)

概要

 1997年、東京電力のエリートOLが殺害される。夜の顔は売春婦として、夜な夜な街頭で客引きをしていた。
 容疑者はネパール人の客、ゴビンダ・プラサド・マイナリ。しかし、どうも冤罪の可能性が高い……。物証は何一つなく、状況証拠の積み重ねで有罪にしようとしているらしい。
 圧巻のノンフィクション。

熱意に圧倒

 基本的に好意的な印象を持ちました。まずネパールにまで行って、ゴビンダの家族に会っていることに熱意を感じます。取材費は自腹でしょうし、事実と異なれば、訴訟を起こされるかもしれません。
 それなのに、です。後述の問題はあるにせよ、このような大作を書き上げるのは大変な労力が必要なのは解ります。

感想の難しさ

 それゆえにノンフィクションの感想は難しいのです。

知識面

 まず僕は知識面で佐野眞一さんに叶いません。もちろん、文面から違和感を覚えた箇所などは指摘できますが、情報を全面的に信用する他ないのです。
 もし、他の学術書なら、検証の余地は読者も残されていますが、こと犯罪のルポルタージュに関しては、読者に検証の余地は科学的な部分しか残されていません。それも『東電OL殺人事件』の情報を基に検証することになり、佐野さんの誠意に任されているのです。

倫理面

 僕はご存じのように小説を中心に読んでいます。もしこれがフィクションならば放談もできましょう。もし私小説だとしても、作者は批評されると承知の上で作品を書いていますので、自由に論じることができます。
 しかし、ノンフィクションの感想となると登場人物も生身の人間です。被害者*1の遺族もまだ生きているでしょう。この事件の遺族には母と妹がいると紹介されており、二人がこのブログを見る可能性はゼロではありません。加えて、インターネットという安全圏から感想を僕は書いています*2。被害者の心境について勝手に憶測するのは控えなければいけない、と僕は思っています。Wikipediaのリンクすら貼るのは躊躇われます。
 一方、佐野眞一さんに対しては自由に物を言う権利があると思います。したがって、佐野眞一さん、あるいはノンフィクションの一般論について、という限定的な感想になっています。

完全に中立なノンフィクションなどない

 ノンフィクションに限らず、全ての文章、すべての言葉は中立ではありません。偏向報道に眉を顰める人もいますが、人の言葉は全て偏っているのだと僕たちは自覚して読む必要があるのです。
 この『東電OL殺人事件』に関して言えば、明らかにゴビンダ寄りの視点。もちろん当時の報道機関が検察寄りだったらしいので、均衡を図るためにあえて弁護側に寄り添ったのでしょう。
 しかし、『東電OL殺人事件』一冊だけを読む場合には、弁護側に寄り添っていることを念頭に置きながら読まないと、検察・警察を一方的に断罪しかねません。陳腐な善悪二元論に陥りかねないのです。
 加えて、『東電OL殺人事件』からはそのような印象を強く受けました。検察がゴビンダの罪を強調しているように、佐野さんもまた検察・警察の罪を読者に印象付けようとしています。
 一ページめくるごとに、女検事はゴビンダの顔をねめまわすようにのぞきこんだ。ゴビンダを完全に犯人と決め込んだその目は、私には獲物を狙うときの蛇の目のようにみえた(中略)。
 女検事が、残酷な遺体の写真を見せて被告人の同様を引き出しているとすれば、江戸時代の「お白洲」そのものではないか。(中略)広い娑婆でもし同じことが演じられれば、とんだお笑い草の茶番劇にしかならないと思った。
 つまり検察を批判しているにもかかわらず、その論法を行なっているのです。
 もう一つ、検察側と同じ論理に陥っている箇所があります。検察は物的証拠もないのに状況証拠だけでゴビンダを犯人扱いしている、と佐野さんは指摘しています。事実そうなのですが、佐野さんもまた、「定期入れを落とした男を犯人だと確信している」とあるように状況証拠だけで犯人を決めています。
 憶測、偏見……検察が冤罪を生み出した、まさにその態度で犯人を指摘しているのです。

独特の文体

 もう一つ、事件とは関係ないことを通し、当時の世情を反映したかったのではと思います。例えば、
この日、テレビ朝日系の「土曜ワイド劇場」では九時から森村誠一のサスペンスドラマを放映中だったが、それも終わりに近づき、NHKラジオの人気番組「ラジオ深夜便」ではそろそろ放送時間に入っていた。
 このような情報を入れることで、文化を記述しようとしているのではないかと解釈しました。単に被害者としてだけではなく、当時の文化を写す鏡と見ていることからもそれは明らかでしょう。

*1 なお、『東電OL殺人事件』では被害女性の実名も出ているが、本ブログでは「被害者」とした。
*2 もちろん炎上の可能性はある。



宮尾登美子『母のたもと』(文春文庫)

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母のたもと (文春文庫 (287‐2))

概要

 『一絃の琴』で直木賞を受賞した宮尾登美子が、土佐の風物について、創作について、生い立ちについてを語る。例えば、『一絃の琴』を思いついたきっかけ、太宰賞の受賞について、両親と結婚が自身の創作にどのような影響を与えたのか……。
 創作のことばかりではない。土佐の食べ物についても触れられている。

エッセイとは知らず

 エッセイとは知らず、しかも宮尾登美子の名前すら知らず、読みました。なぜ読んだのかって? たまたまこの本があったからです。こういう本との出会いもなかなか良いもので、普段は好みの本ばかり読んでいるのでどうしても趣向が偏りがちになるのを、補正してくれる効果があると思います。
 『一絃の琴』を読んだことがなくても、僕は楽しめました。

創作について

 宮尾登美子は『一絃の琴』を書くのに十七年もの歳月を掛けたと述べています。テクスト論が作者と作品を切り離すと言っても、この事実はやはり注目すべきこと、尊敬すべきでしょう。

『一絃の琴』との出会い

 そもそも宮尾登美子は『一絃の琴』を書き始めるきっかけとして下記のように述懐しています。
ラジオの仕事などもしており、仕事のひとつに「一絃琴の紹介」というのがあって、取材に出かけたのが最初の出会いである。
 (中略)寺田寅彦邸で人間国宝・秋沢久寿栄さんと会い、その演奏を聞いたのだったが、このときの驚きは今も決して忘れられないほど、深いものがあった。このとき秋沢さんはたしか七十九歳のはずで、生涯で最高の円熟期にあり、その迫力ある演奏に打たれたのはむろんだけれど、なおその上に土佐にこんな優雅な音楽がいまなお一縷の水脈を保って伝えられていることに、言いしれぬ感動を覚えたのだった。
 このエッセイを読んだ後、『一絃の琴』をさっそく読んだのですが、確かに人間国宝の一絃琴奏者、蘭子が寺田寅彦邸で弾く場面が出てきます。この体験から蘭子のシーンを思いついたのでしょうか。
 『一絃の琴』では琴奏者が二人登場するのですが、そのうちの一人、苗は最初、結婚に失敗しています。宮尾登美子自身も結婚に対して成功とは言えなかったと語っています。
 顧みて離婚に関する唯一の残念は、家出以来一度も夫に逢う機会を作らず、人を介して協議離婚を成立させたことで、それ故に今も解かれることのない誤解は(中略)二人の娘に撥ね返ってくる事実である。これは明らかに母親としての配慮を怠ったものとして、今も深い悔いが残る。
 そうすると『一絃の琴』に登場する公一郎は理想の投影なのでしょうか。もちろんそのような解釈も可能でしょうが、宮尾登美子の再婚相手は「私とも娘とも口争いひとつしたことはな」いような人。

創作の武器

 さて、上記のように宮尾登美子の人間関係と結びつけて考えているのには、理由があります。宮尾登美子は創作の遍歴をこう語ってるからです。新人賞は「あくまで自らの空想」でしたが、その後の創作について下記のように語っています。
 しかし本格的な勉強の手間を省き、小器用に思い付き一つで小説作りする態度にはすぐ限界が来てしまい、上京後、作品を持って訪れた出版社からは悉く慇懃な断られようであった。
 このように方針の結果を余儀なくされるのですが、「私的な心情吐露」を決意します。
 もう一つ、創作について大きな力となっていたのが、古典文学です。「長い年月磨き抜かれてきた先哲の作品は、改めて知識を与えてくれたばかりではなく、もの書きとしての覚悟を根本から私に問い直してくれるようであった」。
 宮尾登美子は平家物語、万葉集、伊勢物語などを読んだと言いますが、洋の東西を問わず、古典文学は本当に大切です。自分とは全く語彙が異っているため、語彙力が身に付きます。加えて豊かな発想の宝庫でもあります。例えば、平家物語は合戦の中にも人情があふれる場面がありますし、伊勢物語は恋愛模様が描かれています。
 また芥川龍之介も平安時代を舞台に、換骨奪胎した物語を書いています。

父親について

 『一絃の琴』では父親に触れられていないのですが、『櫂』*1では父親をモデルにして書いています。
 しかし父親、岩伍と仲が悪かった、と宮尾登美子は語っています。土佐で身売りの斡旋をしていて、しかも岩伍自身はこれを人助けだと思っていました。念の為、弁護しておくと、宮尾登美子の言うように、「国の福祉政策のない時代、一家を飢えから救う一番手っとり早い方法はこれ」だったのです。
 加えて、「浮浪者や乞食のたぐいを寄せつけ(中略)私は一人娘のはずなのに、戸籍上では何と六女になってい」ます。学校の入試で落とされたことがきっきけで父親を恨みます。
 しかし、もし本当に「父の職業を心から呪」っていたら、岩伍のことをエッセイに書くでしょうか? 岩伍をモデルとした登場人物が『櫂』では登場しているのですが、そのような気は起こるでしょうか。
 不思議なもので物語を書いていると、心の傷が癒えてくるものだと、河合隼雄は言います*2。そうだとすれば宮尾登美子にとって『櫂』の執筆は、文学観の転換だけではなく、父親との和解だったのかもしれません。

*1 宮尾登美子『』(新潮社)
*2 河合隼雄『昔話の深層』(講談社)



森下典子『日日是好日』(新潮社)

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日日是好日―「お茶」が教えてくれた15のしあわせ (新潮文庫)

概要

 二十歳のころ、母の勧めで近所の小母さん、武田さんに茶道を習い始める。初めは退屈な稽古だったが、終わってみればいつも爽快な気分になっていた。
 いつしか茶道は彼女の身近なものになり、さまざまなことに気付き始める。そして茶道は人生の指針となっていった。茶道の経験を綴ったエッセイ。

自分は何も知らない

 作者の森下典子が茶道を習い始めたころ、手順ばかりで「意味」を説明されませんでした。それゆえに反発心を抱いていたと言います。こんな手順すぐに覚えられるだろうと高をくくっていました。
 ところが、いざ自分が行なおうとすると、
 どこに座ればいいのかわからない。どっちの手を出せばいいのかわからない。何を持つのか、どう持つのか……、手も足も出ないのだ。
 できることなど、一つもなかった。ついさっきやったばかりのことなのに、何一つ残っていなかった。
 ここで断わっておくと森下典子の成績は「まあまあ」です。この体験を通じて、森下典子は思います。
ものを習うということは、相手の前に何も知らない「ゼロ」の自分を開くことなのだ。それなのに、私はなんて邪魔なものを持ってここにいるのだろう。(中略)
 からっぽにならなければ、何も入ってこない。
 多かれ少なかれ、誰しもこのような経験があるのではないでしょうか。傍からは簡単そうに見えるのに、いざ自分が行なうとできない。もたつく。
 僕自身、印刷会社で手書き原稿の入力を行なっていたんですけど、誤字だらけ。自分の知っている語彙で勝手に読んでしまうんですよ。しかも今以上に語彙が偏っていたので、始末に負えない。
 また、僕は大学時代に創作の勉強をしていたのですが、先生から教わったのが過去の名作を忠実に書き写すというもの。物書き志望にとってはいい勉強法らしいです。
 コピー・アンド・ペーストではなく手で書き写すこと。確かにコピー・アンド・ペーストなら手書きに比べて、速くて正確です。その意味では「効率的」かもしれません。しかし、長い目で見たら漢字を覚えることができずにある意味で非効率です。例えばと令。違う文字だと思うかもしれません。しかし、手書きか印刷用の書体かが違うだけで同じ文字*1。
 手で書かないと、を見たときに「令」と認識できないかもしれません。例えば印刷・出版会社で手書き文字を入力しなければいけない人、あるいは子供の勉強を見なければいけない場合、<結果的に>非効率になります。
 これはウェブサイトの作成にも言えます。ホームページビルダーやブログを使えば誰でも手軽につくれるようになりましたが、ちょっと凝ったことをしようと思うとやっぱりHTMLやCSSの知識が必要になります。例えば異体字の表示、例えばshōjiなど長音の表記。そのためにはソースコードをコピー・アンド・ペーストせずに愚直にソースコードを手で打ち込んでいくなかで覚えていくのです。

西欧思想との違い

 ソクラテスも「無知の知」を残していて、共通点が指摘できます。『ソクラテスの弁明』では、「何かを知っていると思っているが、実はほとんど何一つ知りはしない人間たちを、惜しげもなくたくさん見つけてしまったのです」*2という一文があります。
 しかしソクラテスと武田先生の「知」は正反対だと言ってもいいくらいに対照的です。ソクラテスは「なぜ」と問うことで、つまり言語化して知と向き合おうとしています。これが西欧的な知識のあり方で、数式はその極地と言えましょう。そしてその思想は学校教育の現場にも反映されていることが描かれています。
 わからないことを鵜呑みにしてはいけない。わからなかったら、その都度、理解できるまで何度も聞きなさい。
 一方の武田先生は「わけなんてどうでもいいから、とにかくこうするの」と答えます。そして練習を繰り返しているうちに、夏休み明けでも自然と手で覚えていると気付くのです。
 一つ一つの仕草を正確に繰り返すことで、たくさんの「点」を打つ。「点」と「点」が、いっぱい寄り集まって、だんだんと「線」になる。
 私たちのお点前は、ところどころに「線」ができ始めていた。
 どちらが正しいというわけではありませんし、一長一短があります。どうしてか追求し始めると、一つのことに特化する代わりに、全体を見渡せなくなります。例えば物理学の研究者は技巧的な小説を見ても理解ができない人が多いと思いますし、逆に文学の研究者は物理学の最新研究を理解していない人が多い。一方、なぜと問うことを止めれば、今は解らなくとも後々になってそれらが一つの意味を持ってきます。

理由を問うことの危険性

 もう一つ。「なぜ」と言う問いかけはある意味で危険な問いかけです。確かに自然現象を客観的に「見る」のには有効な問いかけでしょう。しかし人生の意味について考えるとなると非常に危険。例えば「なぜ病気になったのか」、「なぜ生きているのか」という問いかけは、医学的に説明されても納得ができませんし、絶望が深まるだけで何の役にも立ちません。
 さらにはできないことにも理由をつけようとします。例えば、「才能がない」から書けない、「教え方が悪い」から上達しない……。しかし自分が傷つかないための言い訳だと森下典子は気付きます。
 もし教え方が悪い、と辞めていたら、
 初めから先生が全部説明してくれていたら、私は長いプロセスの末に、ある日、自分の答えを手にすることはなかった。(中略)
「もし私だったら、心の気づきの楽しさを、生徒にすべて教える」……それは、自分が満足するために、相手の発見の歓びを奪うことだった。
 と気づくこともなかったでしょう。これらはすべてできない、上達しない「理由」を探しているからに過ぎません。
 これらに答えを出すには、なぜという問いかけをいったん辞めて、「今の行動」に集中するしかないのです。恐らくメモを取ることよりも稽古に集中させようとしたのは、「今」に集中させようとしたこともあるのではないでしょうか。
 文字化すれば、確かにあとで見返すことができます。しかし、今、覚えようとする気を奪うのです。プラトンは『ゴルギアス』で文字に対して、エジプト神話を引用しながら下記の通り述べています*3。
〔文字は〕記憶の秘訣ではなくて、想起の秘訣なのだ。また他方、あなたがこれを学ぶ人たちに与える知恵というのは、知恵の外見であって、真実の知恵ではない。すなわち、彼らはあなたのおかげで、親しく教えをうけなくてももの知りになるため、多くの場合ほんとうは何も知らないでいながら、見かけだけはひじょうな博識家であると思われるようになるだろうし、また知者となる代りに知者であるといううぬぼれだけが発達するため、つき合いにくい人間となるだろう。
 言葉が違うので解りにくいのですが、武田先生の「そうやって頭で覚えちゃだめなの、稽古は一回でも多くすることなの。そのうち手が勝手に動くようになるから」というメモ批判はこれと合致します。
 プラトンの文脈では「頭で覚える」ことを想起の秘訣、「手で覚える」ことを記憶の秘訣と言っているだけで内容はほぼ同じことです。しかも「知者であるといううぬぼれ」はすでに指摘した通り、森下典子に見られましたね。

今を大事に

 もう一つ。文字化すると「今」そのものは見えなくなります。文字化したときの記憶が甦った状態で「今」を見ることになるのです。もちろん記録は大事ですが、「今」そのものを見るのには適しません。
 どういうことか、例えば、昨日の日記を読み返したとしましょう。昨日、悔しいことがあったとします。しかし、その全く同じ悔しさは「今」感じていません。自分の内面を覗いてみれば解りますが、気持ちは刻一刻と変わっていきます。文字は、過去と今を切り離したい場合、かえって邪魔となるのです。逆に過去と現在、あるいは離れた場所を結びつけたいのなら、文字は強力な道具となるでしょう。

今、ここにいる私

 しかし茶道は「今、ここにいる〈私〉」と向き合うものだと森下典子は繰り返し述べています。例えば、武田先生は「さあ、気持ちを切り替えるのよ。今、目の前にあることをしなさい。『今』に気持ちを集中するの」と言います。しかも夏と冬とでは部屋の座り方が違う等、徹底しているのです。そのため
「夏のお茶」とは異なる手順や注意が、これでもかこれでもかと押し寄せた。
 それに慣れるだけで精一杯だった。前のことはたちまち頭から消え失せた。忘れなければ今のことができなかった。
 とあります。
 例えば転職しても前職での成功体験が今回にも当てはまるとは限りません。しかし、どうしても成功体験に固執しがちで、それがかえって弊害をもたらすこともあります。この弊害を避けるためにも成功体験も失敗体験もいったん、忘れなければいけないのです。
 しかしいったん、体に染み付いてしまったものを本当に忘れることは難しいですよね。季節で変わるお茶の作法はそのためのトレーニングだと言えましょう。

季節を味わう

 さて、「今を生きる」ことは和菓子にも当てはまります。
 裏ごししたそぼろ状の餡を、餡玉の芯の周りに寄せ集めた「きんとん」は三月の菜の花、四月の 桜」、五月の「つつじ」へと、目先を変える。夏は、葛や寒天で涼しげに「水」を表現する。素材そのものの味に、季節感が加味されていた。
 「菜の花 きんとん」、「桜 きんとん」、「つつじ きんとん」でそれぞれ画像検索をすれば出てきます。それぞれの特徴を捉えていて、季節が感じられました。
 ちなみに口絵にはあじさい、初かつを、ゆず、落ち葉などの写真が掲載されていて、どの和菓子も花の特徴をよく捉えています。ゆずは本当にゆずそっくり。和菓子からも窺えるように季節を味わっているのです。
 しかし、4月はたくさん巡ってきますが、2019年の4月は一回しか巡ってきません。このことからも同じお茶席は二つとない、と言えましょう。そして下記の考えにもつながってくるのです。
 私たちは過去を悔やんだり、まだ来てもいない未来を思い悩んでいる。どんなに悩んだところで所詮、過ぎ去った日々へ駆け戻ることも、未来に先まわり準備することも決してできないのに。
 過去や未来を思う限り、安心して生きることはできない。(中略)過去も未来もなく、ただこの一瞬に没頭できた時、人間は自分がさえぎるもののない自由の中で生きていることに気付くのだ……。
 これは仏教思想と関わってくるように思えます。「執着するもとのもののない人には憂うることがない」*4と原始仏教聖典、スッタニパータでも述べているように、仏教の最終目標は悩みからの解放です。

鑑賞眼

 また和菓子の一件は「本物」を見ることにも繋がってきます。僕は洋菓子党ですが、職人が芸を凝らせば、洋の東西を問わず逸品となります。ただ本物は高いですが!
 また鑑賞の相手は芸術品だけではありません。茶会への出席を通して本物の茶人か否かも養なっていくのです。これは茶人や芸術品に留まらず、広く一般に当てはまると言えましょう。


*1 ねとらぼ「漢字の「令」の書き方、どっちが正しい?
*2 プラトン『ソクラテスの弁明』(光文社)
*3 プラトン『ゴルギアス』(岩波書店)
*4 中山元[訳]『ブッダの言葉』(岩波書店)



林郁『満州・その幻の国ゆえに』(筑摩書房)

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満州・その幻の国ゆえに―中国残留妻と孤児の記録 (ちくま文庫)

概要

 満州を豊かにして、王道楽土を築こう。植民地政策のもと、開拓団が1931年から送り込まれた。インタビューの中心人物、山田タミもその一人である。
 しかし、王道楽土どころか地獄絵図に。抗日ゲリラに手を焼き、第二次大戦が始まるとソ連の参戦、そして戦後は日本人でありながら中国に留まることを余儀なくされた。当然、日本人は敵対国なので、イジメに遭い……。インタビューや手紙などで綴る、ルポルタージュ。

満州開拓団

Manchukuo_map 満州国の名前は聞いたことがあったのですが、地理的には不確かだったのでどの辺りにあったのかを確認しました。モンゴルと内モンゴル自治区くらいかな、と思っていたのですが意外と広い! そしてモンゴルが入っていませんでした。
 満州事変の詳細が『満州・その幻の国ゆえに』では記されていないので、このブログに書いておきます。

満州事変

 満州は昔、ロシアの領土だったのですが、日露戦争で日本が借りるという条約を結びます。しかし実質的には中華民国の領土でした。日本としては満州を手に入れたい。
 関東郡参謀石原莞爾らは1931(昭和6)年9月18日、奉天郊外の柳条湖で南満州鉄道を爆破し、これを中国軍のしわざとして、軍事行動を開始し、満州事変がはじまった。(中略)翌1932(昭和7)年になると、軍はほぼ満州国の主要地域を占領し(中略)宣統帝溥儀を執政とし、満州国の建国を宣言させた*1。
 表向きは日本が満州国の独立を助けたということになっているのですが、実際には日本の傀儡政権だったのです*2。

満州開拓団

 そのような背景のもと、満州開拓団を募りました。「日本で貧しく暮らすよりも満州で楽しく一旗上げよう」という思いで、農村を中心に集まります。とりわけ長野県は満州移民に熱心で「分村」を多く設立しました。山田タミも長野県読書村の出身です。また満蒙開拓団は各都道府県にノルマが課せられていました*3。
 他にも「当時は左翼インテリが満州へ行く風潮があ」ったそうです。例えば房吉と言う青年は、
 マルクス主義に惹かれて警察に監視され、一般村民からも白い目で見られがちであった。彼は日本では生きていけないから、満州の新天地で存分に活動したいといって、みずから先遣隊をかってでた。
 とあります。
 また、開拓団は「王道楽土」というスローガンを掲げていました。これは、「アジア的理想国家(楽土)を、西洋の武による統治(覇道)ではなく東洋の徳による統治(王道)で造るという意味が込められている」*4というもの。しかし「また、第一次武装移民団と(中略)、翌年に公心集近くの千振村に入植した第二次武装移民団の土地の大半は現地民の既耕地で、入植に先立って満州開拓公社が安値で取り上げたもの」でした。このことが後に恨みを買うことになります。
 山田タミの家もまた「ただ同然で強制収用したもの」で、王道楽土の理念からは程遠いものでした。彼らは村報を発行し、内地に送っているのですが、その中に匪賊という言葉が出てきます。
 この匪賊は字義通りに解釈すれば盗賊団なのですが、実体は抗日ゲリラでした。
 例えば一九三四年に土龍山一帯の現地民が謝文東の指導で「東北民衆自衛団」に結束し、日本の武装移民団や現地駐屯軍を攻撃し」ました。しかし房吉はそれを知りませんし、タミもまた満州の人から開拓団が「購入」したとしか聞かされていませんでした。

言語について

 『満州・この幻の国ゆえに』では触れられていませんが、以前、ピジン言語について調べたときに満州語の文法を知りました。とても興味深かったのでご紹介。
 実は満州語は日本語と文法的に極めて似ているのです*5。
・主語、修飾語、被修飾語、述語の順番
・「彼は酔った人である」などのように名詞を動詞で修飾したいとき、英語ではHe is a man who drink alcohol too muchというが関係代名詞を使わない。代わりに動詞の連体形を使う。
・屈折語ではなく膠着語である。助動詞が動詞の語幹に付くことで過去形を作る(英語もadventuredなどはその傾向にあるが、中にはmadeなど動詞そのものが変化することもある)
・後置詞と呼ばれる品詞があり、動詞の後に付くことで、命令文などを作る。これは終助詞のような品詞である。例えば、英語だと「Do not look」などと助動詞を先頭に持ってくることで命令文を作るが、「見る」などのように動詞の後に語を付けて禁止などの意味を作る。
 そして朝鮮・韓国語*6やモンゴル語*7もこの3つの特徴があります

ソ連侵攻

 さて、当時、日本はソヴィエトと不可侵条約を結んでいましたが、1945年4月5日、ソヴィエトは破棄を表明しました*8。日ソ不可侵条約は「満州国とモンゴル人民共和国それぞれの領土の保全」*9も謳っています。

残留へ

 当然、これも無効になり、満州はソヴィエトの侵攻に遭いました。当時の様子をタミはこう振り返っています。
「さっさと乗れ」とタミは背中を押され、列車に乗りかけた。すると別の誰かに「非国民! 逃げるとは何事か」と引き戻された。
 その後、「幹部たちの命令で全員開拓地に踏みとどまることにな」ります。そして人々が家に帰ると、略奪に遭っていたのでした。始めこそ「不案内な土地へ移動するのは危ない」などと理由を付けて、非難はしませんでした。

逃避行

 しかし八月十五日、現地民が洋梨片村で草刈り鎌、斧、日本刀、竹槍などを手にして、集団蜂起します。他にも、蜂起は中和屯村でも起こりました。
 洋梨片と中和屯の二部落は、読書分村の先遣隊が本体を迎える一年前の一九三八年七月から住みついていた土地で、ここも満州公社が現地民からただ同然の安値で取り上げたものであった。二部楽を襲ったのは、主にその現地民だといわれている。
 現地民の襲撃は珍しくありませんでした。「纏足の老婆までも鎌を振りあげ、怨みの声をあげながら日本人たちを追いかけた」と言います。このような状況を生き延びた青年の話によれば、「土地や家屋を奪われた怨みによるもの」でした。
 蜂起からタミたちは逃げたのですが、「敵」は現地民ばかりとは限りません。
 タミは自決したがる母を叱り、五歳の妹を背負って歩いた。タミのすぐ下の妹が一歳の妹を背負い、休むときはタミが一歳の赤子を抱いていた。赤子を母に渡すと道づれにして自決されそうだし、それに母の乳房は空っぽだった。タミはわずかな食べ物を嚙みくだいて、口うつしに一歳の妹に食べさせて命をもたせた。
 もちろん錯誤などもあるでしょうからタミ一人の証言に頼るのは危険でしょうが、貴重な記録です。

ソヴィエト

 逃避行の末に待っていたのは、ソヴィエト兵でした。もちろん紳士的に扱われるはずもなく、惨状が繰り広げられます。
 ソ連兵は地面にじかに寝ている避難民を軍靴で踏みつけながら、適齢の女を捜し回り、見つけ次第、近くの空地で次々と犯した。輪姦に次ぐ輪姦にたまりかねて叫び、その場で射殺された娘。娘が犯されて発狂した母。抵抗する女を銃尾で殴る音。(中略)タミは軍歌に踏みつけられても、奥歯を噛みしめて耐えた。
 中には「親切な将校」もいたのですが、このような経験から元満州開拓民たちはソ連を憎んでいる人も少なくありません。
 女性たちは生き延びるために満州人の妾になるしかありませんでした。例えば現地民の豆腐屋に嫁いで、暖かそうな服を着せてもらった人。当時の日本人は陰口を叩いていましたが、高待遇に惹かれて、次々と嫁いでいきます。
 しかしタミ自身は収容所へ残りました。看護師の資格を持っていたため、その後、八路軍の高待遇に惹かれ衛生兵として入隊します。しかし妹たちが心配で一週間で除隊しました。
 その時の看護婦仲間には結婚して、長野県に帰郷。給食婦として公立学校で勤務し始めますが、「ひところ、中共に洗脳されたアカだと言われ、日本社会の狭量さを痛感させられたとい」います。

中国残留

 さて、タミは中国に留まり子供を作りましたが、結婚の際に一悶着ありました。差別意識もあったのでしょう。タミの母から満州人に嫁がせたくはない、と言ったのです。もちろん自由恋愛で結婚するのではありません。文字通り養ってもらうために、嫁ぐのです。
 結婚相手のWは旧日本軍の倉庫から盗んでは売買していました。そのため、羽振りがよかったのですが、売上はみんな情婦の人妻に渡してしまいます。しかも情婦とタミの部屋は同じで、Wの不倫現場が見えるのです。

近所付き合いの変化

 タミが炊事をするときには、親族はおろか、近所の人まで寄ってたかって嘲笑しました。しかも
 生活習慣の違いでまごつくとWの手が頬に飛ぶ。Wは極端に短期で、折檻も激しかった。小柄でやせたタミはWの一撃で部屋の隅まで吹っ飛んだ。
 とあるように今で言うところのDVを受けていました。しかしWの家を追い出されたら家族が凍死してしまいます。タミは耐えるしかありませんでした。
 このような仕打ちは現代的な視点から考えれば、到底許されることではありませんが、恐らくタミが日本人だということが原因ではないでしょうか。満州の人は日本政府や関東軍を恨んでいたのは言うまでもありません。しかし、直接的に復讐はできないので、日本人のタミをいじめて満たしていたのだと考えられます。
 その証拠に「日本鬼、ざまを見ろ」という言葉で罵られていますが、タミ個人というよりは日本人だからいびっている風に読み取れました。
 あとがきで述べているように、加害民衆は被害者であり、加害者になることによって被害者になり、被害者は加害者となる──そういう重層的な仕組みの中に在るからこそ、民衆は悲しい歴史を繰り返す」のでしょう。これについてはタミが積極的に手伝い、だんだんと改善していきます。そして次第に共同体へ溶け込んでいくのです。
 例えば彼女の子供が現地の子供に「日本鬼子」などといじめられるとタミは、「叩くならおばさんを叩きなさい。この子に罪はない」と言ってかばいました。それを見て、現地の女性は「おとなしい民おばさんがおこるのだからよほどのことだ。もういじめてはいけないよ」とタミ親子を助けてくれたそうです。
 さらにかばったのは村民だけではありません。「共産党員の知り合いは、人民と日本帝国主義を分けており、人民はいじめてはならない」と言ってくれました。しかし村民もタミには親切でしたが、反日感情は根強かったそうで、それがタミにとって辛かったと言っています。

ヒューマニズムの裏には

 日本人の孤児を満州の人は積極的に引き取った、という事実だけを見れば、人道的に見えるでしょう。しかし、
 当時は売買婚だから女の子なら売れるし、男の子も将来、労働力として役立つと考えた人も中にはいただろう。植民地教育により、日本人は頭がいいと思い込まされていた人たちは日本人の子は将来役に立つというので孤児の世話をした。
 とあるように打算もあったのではないかと分析しています。

文化大革命

 さて、一九六六年の中国では文化大革命が起こります。毛沢東が資本主義思想を排除し、社会主義一色に中国を染める、と言う名目で政敵を追放したのです。ちなみにこのときに国民党の蒋介石は政争に破れ、台湾へ逃げ延びました。
 文化大革命では、労働者の敵を黒五類と呼びます。具体的には「地主、富農、破壊活動分子、反革命、右派分子」の5つ。日本人も黒に含まれ、差別されることになります。
 一方で労働者階級は紅として、高待遇を受けるはずでした。しかし日本人を妻に持っているので、Wは「黒」として冷遇されます。
 日中関係、中国人の対日感情が悪化しないという絶対の保証がない限り、日本人との文通の証拠など持たない方が中国人にとっては安全なのだ。「里通外国(外国と密通)」の罪に問われでもしたら、彼らが気の毒だ、とタミはいう。中国で生きる子どもらを思えば言動に気を使わざるを得ないともいう。
 このような理由から、タミは日本に帰っても、中国の友人に返信を出しませんでした。ようやく一九七二年の日中国交正常化で、気軽に文通などができるようになりました。
 そして一九七五年に一時帰国を果たすのです。

*1 石井進、笠原一男、児玉幸多、笹山晴生[他]『詳説 日本史B』(山川出版社)
*2 加藤陽子『満州事変から日中戦争へ』(岩波書店)
*3 Wikipedia「満蒙開拓団
*4 Wikipedia「王道楽土」 
*5 Wikipedia「満州語
*6 飯田秀敏、イウナ『韓国語を学ぼう』(私家版)
*7 Wikipedia「モンゴル語
*8 Wikipedia「日ソ中立条約
*9 同上



渡辺淳一『遠き落日』(講談社)

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遠き落日(上) (講談社文庫)

野口英世の評伝

 野口英世といえば、貧しい農村の出身。障害を負いながら、苦学の末に医師となり、黄熱病の研究に命を捧げた、というイメージがあるのではないだろうか。立派な医師の代表として語られがちである。確かにそれは間違いではない。
 しかし余りに偏って、作り上げられている。実際の野口英世はかなりの借金魔であり、学歴コンプレックスの塊だった。野口英世の人生に迫る。

評伝の注意

 一般的に言って、評伝にはいくつか注意点があります。

どこまでが真実なのか

 例えば今回は渡辺淳一が直に取材をしています。当然、証言者は、よく言うでしょう。悪い事実は伏せておきます。事実には違いありませんが、証言者が「編集」しているかもしれない、と念頭に置かなければいけません。
 また記憶違いもあります。手紙や借金の証書のように残っていれば話は別ですが、証言の場合、記憶違いもあるでしょう。
 これは証言を取るときの問題ですが、他にも作品として組み立てる時の問題もあります。
 誰も知るはずのないことが書いてある箇所があるということです。例えば、野口英世が死ぬ場面、
 ときどき、「早く、早く……」といったり、「おっ母……」と叫ぶ。夢うつつの境いをさまよいながら、英世の頭は仕事のことと、故郷の会津を行き来しているらしい。もっとも前者は英語だったが、あとの言葉は日本語だったので、誰も意味はわからなかった。(強調は有沢による)
 一見、人情味たっぷりに書かれていますが、この一文は信憑性に疑問があると気付きます。前提として渡辺淳一は取材をもとに書いています。つまり「おっ母ぁ」……という言葉も誰かが記憶していなければなりません。しかし、「誰も意味が解らな」いのであれば、記憶している可能性は低くなります。
 日記などが残っていればそこから読み解けるのですが、このような病状では日記など書けるはずがありません。
 そのような目で読むと、物語としては面白いけど信憑性に乏しい部分もあるのです。

僕のスタンス

 さて、僕の読み方はかなり特殊で、強いて言えば創作活動の参考なんです。例えば野口英世のような登場人物を登場させたらどうなるのか、という作品レベルの話から、創作の糧となる考えはしてないのかという、執筆レベルの話まで。
 かなりせっかちだったらしく、友人の歯科医が論文を書き上げると、即日出しに行くよう促します。また不眠不休で研究を続けたとありますが、このような話が美談として取り上げられるうちは過労死がなくならないだろうなと思いました。実際問題として、不眠不休で研究するより、時折休憩を取ったほうが脳のパフォーマンスは向上します。

野口英世について

 野口英世は東北出身で当然、訛りが強いんです。そのせいで、言葉へのコンプレックスがものすごくありました。そのせいで船の中で英語や中国語などを猛勉強。たとえば北里柴三郎から呼び出され、清国へ行くようにと命じられます。
 他の職員たちと同行することになるのですが、「一週間後、〔中国の〕牛荘に着いたときには、日常会話には、ほとんど支障のないまでになってい」ました。他の職員は「日支辞典や日支会話」を見ながら勉強していたのですが、
船艙に下りて、下級船員の中国人と身振り手振りで話した。寝るとき以外はほとんど中国人と接していた(後略)
 野口英世の勉強法は極めて実践的で、また人と話すため意欲も向上します。
 今はツイッターを使えば、もっと手軽にできます。で適当に外国人へリプライを飛ばせば、少なくとも読み書きは飛躍的に向上します。

学歴コンプレックス

 さて、東北出身という学歴コンプレックスが原動力となって、語学を次々と覚えていきました、しかし学歴コンプレックスは野口英世を極端な行動に走らせます。
 英世はこの論文を東大でなく京大の医学部に提出した。しかも本人のからの直接でなく、血脇守之助が推薦した形で提出した。本来、英世が東京で医術開業試験を受け、一時的にせよ北里研究所にいたことを考えれば、東大に送るのが自然で京大に提出するのは極めて不自然である。
 だが、英世は意識的に東大を避けた。北里柴三郎は東大出であり、研究所にも東大出が何人かいたが、英世は彼らに対して余り好感を抱いていなかった。
 おまけに欧米に一、二年留学しただけで教授になる。こんなやつに審査されるのは極めて癪だったのです。そうはいっても日本で学位を取りたい。日本でしか通用しないと解っていながらも、自分より能力が下のものが博士号を持っていると思うと口惜しかったのです。これは英世の学歴コンプレックスの影響でしょう。

借金魔

 また野口英世は金遣いが荒く、借金魔として有名でした。英世の父親が酒浸りだということもあり、すでにそれは小学校の頃から始まっていたのです。
小学校の教科書代
 今でこそ公立小学校の教科書は無料ですが、英世の時代はそうでありません。教科書は全て買い揃えなければいけませんでした。そこで英世はクラスメイトの親に買ってもらうのです。時にはクラスメイト本人からも施しを受けますが、もちろんただで物をもらっていたわけではありません。
 勉強を教えてもらったり、写生画などを代筆してもらっている弱みもあって、頼まれると無下に断れない。ずるずるということを聞いているうちに、ノート、教科書から外套まで皆取られてしまう
 ギブ・アンド・テイクといえば聞こえはいいのですが、釣り合いがあきらかにとれていません。しかも『「俺は優秀なのだからもらうのが当然だ」と開き直ってい』ました。
 確かに勉強は優秀だったため、村人たちも援助したいという気持ちはあったのです。
遠き落日(下) (講談社文庫)
渡航費用で豪遊
 貧しいのだから仕方がない、と思われるかもしれません。しかしアメリカの渡航費用を使い込み、女遊びをします。その額、当時でいう五百円。現在の貨幣価値で一○○○〜一二○○万円相当です。
 当時の上司、血脇守之助はもちろん頭を抱えました。そこで彼は金融業者に金を借りに行くのです。石川啄木も借金してまで女遊びをしていましたが*1、野口英世の場合は周りに迷惑を掛けているのでタチが悪いですよね。
貨幣経済
 おそらく貨幣経済に不慣れだったのではないかと思います。江戸時代、江戸や大阪では貨幣経済が一般的でした。また藩によっては藩札という紙幣も導入していました*2。もちろん、明治に入っても貨幣がありました。
 しかし、東北地方の農村まで貨幣経済が浸透していたとは限らないのです。
 

*1 「はたらけど はたらけど猶わが生活楽にならざり ぢつと手を見る」は豪遊の末である(NHK『歴史秘話ヒストリア』2016年9月16日)
*2 Wikipedia「藩札


ポール・ヴァレリー『精神の危機 他十五篇』(岩波書店)

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精神の危機 他15篇 (岩波文庫)

概要

 詩人、ポール・ヴァレリーは文学作品だけでなく評論などの分野でも鋭い著作を残している。ヨーロッパ文明の衰退を予言した社会評論の白眉「精神の危機」の他、機械文明に警鐘を鳴らした「知性について」……。精神、知性などをテーマにした評論アンソロジー。

栄枯盛衰

 この『精神の危機』ではヨーロッパの衰退を唱えています。 冒頭部でヴァレリーはシュメール、バビロニアの諸都市を引用して栄枯盛衰を訴えています。平家物語でおなじみ、日本人の世界観としては馴染み深いですね。
 しかし、日本人はあくまでも世界観であり、漠然としています。一方、ヴァレリーには具体的な危機感があったのではないでしょうか。

世界大戦

 第一次世界大戦後、ヨーロッパは戦場になります。初めこそ「馬による栄誉ある突撃」*1が主流でしたが段々と塹壕戦になっていきます。また毒ガス、戦車、機関銃などの火器……次々と新技術が投入されていきました。戦地だけではなく、本土では戦時体制が敷かれ、不便を余儀なくされます。
 また犠牲者もフランスだけで、述べ4,266,000人に上りました*2。このような時代背景のもと『精神の危機』で、ヨーロッパの衰退を唱えたのです。恐らくですが、キリスト教などの一神論では栄枯盛衰という概念は存在しないのではと思います。神は全知全能なので衰えることがありませんよね。
 このような宗教観の他に、
(1)300年間以上も続いていること
(2)世界各地に植民地を築いていたこと。
 を考え合わせれば、ヨーロッパは世界の覇者だと誰もが疑わなかったのではないでしょうか。
 しかしそのような中で世界大戦が起きてしました。ヴァレリーは世界大戦が終結しても、不安を感じています。それが
嵐が通り過ぎた。しかし、我々は嵐の前夜のような不安と焦燥感にとらわれている。(中略)教養ある頭脳でも到底、この不安を乗り越え、この暗鬱な印象を払拭し、社会生活の不透明な時期がいつまで続くのか予測することはできない。
 というフレーズに集約されています。
 実際、ヴァレリー個人の印象ではなく、実存主義が台頭していきます*3。これまでは本質主義といい、人間の普遍的なことがらを探ろうとしていたのですが、〈今ここにある存在〉*4を探ろうとしました。今、人間の世界がどうなっているのか、ひいては今後どうなるのかに関心が強まったのです。

予測不能

 しかし、ヴァレリーも述べているように、予測不能です。もちろん、当初、第一次世界大戦は短期決戦を予想していたにもかかわらず*5、数年間に渡ったことも要因の一つとしてあげられるでしょう。
 これは科学不信と大きくつながってくるように思います。科学は未来を予想できると信じてきました。例えばどの程度大砲を傾ければどこに到達するのか、課税はどのくらいが適切なのか、人口政策はどうすればいいのか……。みんな学問的に割り出せてきました。
 大量殺戮に使われるばかりではなく、予測不可能な社会になったという意味でも科学への期待が裏切られるのです。この科学礼賛から科学不信への動きはSFにおいてよく現れています。
 例えば、科学礼賛主義の小説はジョージ・ウェルズの『解放された世界』*6、これは第一次大戦で世界が統一され、世界連邦ができるという小説です。恐ろしい新兵器なども登場していますが、楽観的な結末。第一次大戦前夜に書かれているので、まだ科学に対して希望を抱いていたことが窺えます。
 一方、1920年〜30年になると、破滅的な世界が描かれていきます*7。栄枯盛衰は文明や王朝として捉えれば頷けますが、人間もいずれは滅ぶという考えは余り納得しないのではないでしょうか? 
 それはギリシアが、エジプトが、ローマが、あるいは平家が繁栄ののち滅んでいったのと同じ理屈です。しかし間違いなく人類の栄華はいずれ終わりを告げます。ただちにではありませんが、1000年か2000年か後には。

機械文明

 さて、ヴァレリーは機械文明に対しても苦言を呈しています。単なる老人の苦言ではなく、現代でも考えさせられるところがあります。機械が支配するというくだりはもちろんのこと、
さようなら、推敲を重ねた言葉、文学的省察、貴重な物象や精密機械にもなぞらえられる作品を生み出した数々の探求よ! 我々は刹那に生きて、衝撃や対照効果のみ気を引かれ、偶発的興奮あるいはそれに類するものが照射するものだけを捕らえるように強いられている。我々はスケッチ、荒削り、草稿で満足し、評価する。完成させるという概念がほとんど消えてしまったのである。
 文化にせよ、学問にせよ、じっくりと省察しなくして新しいものは生まれません。

現代の例

 例えば、スマホゲームでも、三つ並べれば消える、というアルゴリズムだけなのに動物、菓子、花などアイコンだけを変えているように思えます。もっといえばぷよぷよを4つから3つに変えただけです。
 しかしぷよぷよシリーズは広がりを見せていました。ディスクステーションの4コマ漫画、魔導物語シリーズなど。端的に言うと物語が感じられないのです。ZOO KEEPERはまだ動物園から逃げ出して彼らを捕まえるという物語がありました。
 もう一つの例はインターネット小説。僕はヴァレリーとは違い、ウェルギリウスも推理小説も面白ければ価値がある、という考えです。ただ問題なのは異世界転生で溢れかえっていること。しかもほとんどは二番煎じ、三番煎じどころか出がらし。もちろん、異世界転生が全て悪いと言っているのではありません。ただ戦国時代を中世ヨーロッパに変えただけ、という表面だけを模倣しているのです。
 少なくとも僕は2つの視点が思い浮かびます。
(1)異世界とは果たして何なのか、例えば、if世界史*8、多元宇宙論などを手がかりに模索していく方法。
(2)転生とは、死とは何なのか、という仏教哲学の視点から考察していく方法などが思い浮かびます。ライトノベルか否かは文体、形式の問題なので、これらの問題を内包させてたライトノベルは可能です*9。
 しかし性急な評価を気にかけるあまり、「省察」などの文化の本質を見失っているのです。
 さらにこれが現代では差別思想と結びついているので手に負えません。もちろんじっくり考えたすえの差別思想ならまだ救いがあります。しかし嫌韓、嫌中を唱えればとりあえずアクセス数や発行部数が伸びるという「刹那的」で「偶発的興奮」だけを追い求めていますよね。
 しかも歴史的な視点の誠実さを欠いているものもあります*10。
 新潮45の問題もこの延長線上にあります。

創造性に必要なもの

 真の意味で創造的な作業に必要なものを、ヴァレリーは二つ挙げています。感受性と、精神的に自由な時間です。精神的に自由な時間について、「忘我の時間」と説明した上で、「思い残しも明日への期待もなく、内的圧力もない状態で、あるのは忘我状態におけるある種の安らぎ、精神を本来の自由に返す有益な空白状態」だと語っています。
 まともに創作活動をしようとするなら心の余裕は必要不可欠です。そしてこの心の余裕は忘我の時間で生まれます。そして全人類にとっても。恐らくですがマインドフルネスなどは「忘我の時間」を回復するために生まれたのではないでしょうか。

独裁政治

 またヴァレリーは、独裁政治の問題も考察しています。
 政治権力の影響が及ぶ範囲や深度に対して過大な幻想が抱かれているふしがないわけではない。しかし、反省的思考と公的秩序の混乱とが出会ったとき、唯一形成されるのがそれなのだ。意識的か否かは問わず、みんなが独裁を思うのである。
 少なくとも公的秩序は混乱しています。小さなところで言えばハロウィーンの騒動、大きなところで言えばシリアの情勢など。このような問題を解決するには強い指導者が必要だと誰もが幻想を抱くのだとヴァレリーは指摘しています。

国粋主義

 ここまで現代とのつながりを探ってきましたが、ヴァレリーはヨーロッパの衰退を諦念で眺めていたわけではない、と感じます。むしろ衰退を食い止めようと焦燥に駆られているような文面です。
 あくまでも僕の印象なのですが、もし立て直そうと躍起にならなければ、繰り返し訴えないのではないでしょうか。
 もっと言えば、ヨーロッパ文化に対して悲観していたら、「フランスは〔トルストイやシェイクスピアやセルバンテスといった〕一級の人たちに事欠きません」などという言葉は出てこないはずです。ヴァレリーの文章からは第一次大戦で荒廃しても、再び文化の中心地として復興を遂げるという志が窺えます。

古典重視

 しかし、ヴァレリーはこの点、間違っているように思います。それは現状、アメリカが文化の中心という理由だけではありません。
 私が古典教育の実を信ずることがあれば、ツキジデスの小型本やウェルギリウスの愛蔵版を出して、新聞や推理小説の類を足元に踏みつけて、読み耽るのを目にしたときでしょう。
 つまりヴァレリーは推理小説よりも古典文学に重きを置いているのです。どちらかといえば僕も海外の古典文学が好きなのですが、あくまでも嗜好の問題。それに渡辺淳一、瀬尾まいこ、ライトノベル、WEB漫画なども読んでいます。そればかりではなく、ゲームなども行ないます。優劣などない、と少なくとも僕は思っています。
 また逆にシェイクスピアは当時の娯楽作品。今でいう映画のようなものです。

ギリシャについて

 ギリシャはヨーロッパの古典に含まれるかも考える必要があります。それはギリシャがトルコに支配されていたという事実ばかりではありません*11。
 ギリシャ文学、ギリシャ哲学はヨーロッパでは宗教的に弾圧されて途絶えます*12。イスラム帝国を介して十二世紀に再発見されました。したがってヨーロッパは直接ギリシア文学を受け継がれてはいないのです。
 地理的にはヨーロッパですが、文化の連続性から言えば、むしろ東方ではないかと思うのです。

方言の軽視

 ヴァレリーの保守性はこれだけに留まりません。「正しい発音」と間違った発音の二分法に基づいて議論しているのです。
 フランス語を話す訓練が受けられない唯一の国がフランスだということです。東京やハンブルクやメルボルンに行ってごらんなさい。フランス語の正しい発音を教えてくれるかもしれませんよ。反対にフランスを一周してごらんなさい。色々な訛りに出会ってバベルさながらです。
 しかし、この多様性こそが逆に文化の源泉であるとも言えましょう。例えばダンテの神曲は当時、一般的にはラテン語で書くのが常識でしたが、トスカーナ方言で書かれています*13。
 したがって過度な保守性は文化を硬直させ、結果的に腐らせていきます。


*1 NHK『映像の世紀 第二集 大量殺戮の完成』(NHK)
*2 Wikipedia「第一次世界大戦の犠牲者
*3 Wikipedia「実存主義
*4 これを現実存在、あるいは略して実存という。
*5 NHK『映像の世紀 第二集 大量殺戮の完成』(NHK)
*6 ハーバード・ジョージ・ウェルズ『解放された世界』(岩波書店)
*7 Wikipedia「サイエンス・フィクション
*8 フィリップ・K・ディック『高い城の男』(東京創元社)、半村良『戦国自衛隊』(早川書房)
*9 Wikipedia「キノの旅
*10 古谷経衡「買ってはいけない「儒教本」のお粗末な中身」(プレジデントオンライン)
*11 Wikipedia「ギリシャ独立戦争
*12 B・C・ヴィッカリー『歴史のなかの科学コミュニケーション』(勁草書房)
*13 Wikipedia「神曲


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姜尚中『悩む力』(集英社)

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悩む力 (集英社新書 444C)

概要

 自由になり、〈自我〉を獲得したことで人間は悩むようになった。また近代に入り、科学主義・合理主義が席巻してきたが、この思想も悩むきっかけを作るようになったという。
 政治学者、姜尚中は漱石とマックス・ウェーバーを使って、現代人の悩みを解き明かす。

新書について

 小説だけでなく、僕は新書も読みます。学問の入門書、いろんな業界の話などが書いてあって面白いですよね! しかし、この新書は僕の好みに合いませんでした。以下、その理由を書きますね。

ウェーバーと漱石を出す必然性がない

 『悩む力』で姜尚中はマックス・ウェーバーと夏目漱石に言及しています。確かに夏目漱石は近代人の自我を主題にして、多く小説を書きました。そもそも漱石自身、神経衰弱に苦しみました。
 そうして書き上げたのが『吾輩は猫である』です。その意味では姜尚中が言っていることは正しいし、漱石を出す理由についても納得が行きます。しかし、マックス・ウェーバーを出す必然性がないように感じました。強いて言うなら、合理化の一文です。
 ウェーバーは西洋近代文明の根本原理を「合理化」に起き、それによって(中略)人間が救いがたく孤立していくことを示したのです。
 確かにウェーバーはそのような説を唱えています。他にもトルストイ、カント、エーリッヒ・フロムなど、数々の著作に触れていますが、『悩む力』の主張は漱石だけを引用するだけで充分で、ウェーバーまで引くと焦点がはっきりしなくなってしまいます。
 結果として、相互承認の必然性などの凡庸な結論を再生産することになってしまっているのです。もちろん結論こそ凡庸でも姜尚中が真に訴えるべきだと感じれば、著書に書くべきです。しかし理由付けや論点には姜尚中の独自性が必要となってきます。
 マックス・ウェーバーと夏目漱石の類似点を提示することで、それを達成しようとしているとのこと。それなら、近代的自我を持つとどうして悩むのかを深く掘り下げたほうがいいと思います。

論点

 論点も資本主義の行き詰まり、宗教の問題、知識の問題、恋愛の問題など多岐に渡ります。手広く手がけているといえば聞こえはいいのですが、一つ一つの論点が散漫としている印象を受けます。特にボードレールの詩などは思いつきで入れたという感じが強いと感じました。
 これらの問題は他者との関わり合いで一括りにできるのですが、論理構造が明確化されていません。論理構造というのは、『悩む力』の場合
1.労働とは他者との問題である
2.宗教も他者との問題である(ここでようやくマックス・ウェーバーが登場する)
3.知識をどのように社会に役立てるかも他者との問題である
4.恋愛も他者との問題である。
 故に近代的な悩みは他者との問題に帰結する、という帰納法的な考えに基づいています。
 そしてこの結論は『悩む力』で中途半端な位置に出てきます。
 社会というのは基本的に見知らぬ者同士が集まっている集合体であり、だから、そこで生き抜くためには何らかの形で仲間として承認される必要があります。そのための手段が、働くということなのです

 昔は宗教が共同体を維持していたのですが、今はそれが希薄になってしまったという点で宗教の問題ともつながってきます。姜尚中はこれを労働の問題で書いていることからも解るように、労働の問題のみとして扱っています。しかし、『悩む力』で述べられていることはほとんど上の一文から全ての問題が派生します。
 つまり、最初か最後に書いたほうが論理構造が解りやすいのです。ひいては姜尚中の主張が明確化するのです。

周りがどう言おうと自分の価値観を

 僕が悩む力で取り上げるとしたら、ニーチェとフランクルですね。二人ともこの『悩む力』に出てくるのですが、ほんの数行のみ。

自分の価値観がしっかりしていないと

 もちろん僕自身、この二人が大好きだということもあります。他者の価値観を本当に気にしなければ、悩みは薄らぐと思うのです。姜尚中は〈自我〉が肥大すると、自己中心的になってしまうと言っています。むしろ、自己中心的な人は周りに威張りたいのではないでしょうか。つまり、他者は意識にあるのですが、自分の価値観がしっかり定まっていないので他者から認めて欲しいのだと思います。だから否定的なことを言われると、傷つきやすい。例えば「絵なんて描いて売れるの?」と言われると意欲をなくします。
 また評価が得られないと、すぐに挫折

芸術家は

 これとはまた違い、芸術家、研究者の心境に近い。
 誰がなんと言おうと、芸術家は表現の道を追求します。自分の絵が社会でどう役立とうと気にしません。こういう人は「絵なんて描いて売れるの?」と笑われても「いや、描くだけで楽しいじゃん」と答えられると思います。価値観を含め他人はどうでもよく、自分が本当にいいと思える作品を作りたい、それが芸術家です。
 絵で名誉を得ようという気持ちはあるかもしれませんが、結局、その人は名誉や金銭に価値観を置いているに過ぎません。

僕自身の場合

 僕自身、趣味とは言え、小説を書いていて思うのですが、書いていて不安です。もどかしいです。思うように表現ができず、SNSに逃げてしまいます。また過去のいろんな人の評価が思い出されます。
 そこで自分の意見と他人の意見を「自分の価値観で」照らし合わせて、取り入れなければ軸がぶれてしまいます。そして、中途半端な作品に終わってしまうのです。
 創作に的を絞って話しましたが、自分の価値観を大事にすることは、他人に押し付けない限り、とても大事です。


龍田恵子『日本のバラバラ殺人』(新潮社)

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日本のバラバラ殺人 (新潮OH!文庫)

はじめに

 多分、プラトン、アリストテレスなどの小難しい本が好きそう、というイメージを持ってるかもしれません。しかし、病院の待合室では週刊誌を読みますし、哲学は高尚であり週刊誌は低俗だという先入観は持っていないのです。
 したがってゴシップ誌のように猟奇殺人を集めていますが、それなりに楽しめました。もともと推理小説が好きですし。

犯罪実録

 推理小説の前段階として犯罪実録が挙げられます*1。これは実際の犯罪を記録したもので普通は『日本のバラバラ殺人』のように殺人事件を取り扱ったものが多いそうです。警察24時なども犯罪実録と言えるのでしょうが、警察24時は交通違反、ストーカー問題などを扱っています。
 これは啓発運動か、下世話な好奇心を満たすのかの違いがあるのでしょう。もしくは映倫に引っかかるのかもしれません。僕の読書が偏っているせいかもしれませんが、後者の場合は世間の注目を集めた犯罪*2、できるだけ異常(に見える)犯罪を取り上げるようです*3。バラバラ殺人もその一つ。人間の身体を単なる物体として扱うようなことは道徳上、非常に嫌悪感を覚える人もいます*4。
 一方で、どうして非常に興味をそそられる人もいるのも事実。どうして、死体解体などという冒涜的行為に走ったのだろうと。読めば解りますが、実際には死体の解体が犯人の心理と直結している事案はさほど多くはありません。つまり死体の解体を詳しく説明しなくとも犯人の心理は説明できます。
 これにはある種の安心感が働いているのかもしれません。つまり犯人の内面、生い立ちを知ることで、自分とは無関係な人だと確認したいという安心感です。暴力を振るわれて、殺人を犯さざるを得なくなった「名古屋の亭主殺し」などを読むと、同情を引くと同時に、自分は暴力を受けていないと安心できるでしょう。
 また、幼い頃から貧しく保険金殺人を行った「極悪妻の白骨殺人」は、貧しい家庭環境に同情すると同時に保険金殺人を行うほど金の亡者にはなっていないと安心するのです。
 内面・生い立ちに興味があると聞くと、さも理解したいように聞こえます。しかし、以上のことを踏まえると理解したいという態度は表面上。実は自分と住む世界が違うと確認したいように思えるのです。

バラバラ殺人

 さて、死体をどうして解体するのでしょうか。大半は事件の発覚を遅らせるためです。まれに「ホラー映画も真っ青な悪魔祓い」など、宗教的な儀式で死体を解体するときもあります。また、明治時代の迷信が生んだ「病の治療薬に人肉スープ」なども宗教儀式と通じるところがあるかもしれません。本気で自分の行動は「正しい」と信じているのですから。
 ただ悪魔祓いは殺人の自覚がありませんが、人肉スープは殺人の自覚がまだあります。

痴情のもつれ

 殺人の動機は人間の心である以上、明確に線引きができません。例えば恋人に多額の金を貸しており、返す気がないと解って、口論の末、衝動的に殺害なんてのはよくあることでしょう。この場合、痴情のもつれと金銭トラブルが複合しています。
 加えて『日本のバラバラ殺人』では前半を男性が犯人、後半を女性が犯人と分類しているのですが、「ホラー映画も真っ青な悪魔祓い」は男女の共犯です。動機と同様に性別の区分は難しいことを断らなければいけません。
 それでもあえて分類するのであれば、『日本のバラバラ殺人』に収録されている事案でいえば、女性の動機は痴情のもつれが多いという印象を受けました。もちろん男性が起こした事案の中にも首無し娘事件、人違い殺人などの事案は痴情のもつれからの犯行。
 中でも一緒にいたいからと、女性の首を切断して持ち歩くなどヤンデレっぷりが半端じゃないです。殺されるほど愛され……たくはありませんね。

金銭トラブル

 もちろん、女性が起こしたバラバラ殺人などにも金銭トラブルを扱ったものもあります。取捨択一の兼ね合いもあったのでしょうが、男性のほうが金銭トラブルから殺害しているという印象。
 山憲事件はその典型例でしょう。
 「国民に安価な米を行き渡らせようと」「公定価格で外来の米を売買させ、一定の手数料(中略)を与え、損失があれば政府が補填する」法律が施行されます。第一次大戦では戦勝国。絹などを作っていた農家は粟や稗などから食べるようになりました。この結果、米の需要が増えます。米価格が高騰し続けるものですから、当然のごとく買い占めが起こりました。ますます、米の価格が高騰し、暴動にまで発展していきました*4。
 これを抑えるために外国米を大量に輸入しました。一定の条件を満たせば、指定商店となって上記のように甘い汁が吸えたのです。被害者は指定商店になりたい鈴木弁蔵。「外米の買い占めで、莫大な富を得て」いる上に、売り惜しみの在庫もかなり抱えていました。
 責任者の山田憲に贈賄を行ないます。彼は株で借金を抱えており、鈴木にこう持ちかけます。
 つい先日、指定商になった某商店ですがね。ここは二十万円も出しました。なに、二十万円といっても、すぐに取り戻せますから、先方にしてみれば安い出費なんでしょうね
 計算基準にもよりますが、当時の1円は今の1000円くらいです。したがって約2億*4。遠回しに当時の貨幣レートで20万以上の賄賂を要求するのです。
 義憤に駆られたと警察では証言しましたが、十三円を盗ったのです。今の貨幣価値に換算すると1万3000円程度ですので、検事が「わずか十三円」と評しているのも納得行くでしょう。



*1 森田秀二「探偵物語とは何か
*2 佐野眞一『東電OL殺人事件』(新潮社)
*3 作務和一『猟奇快楽殺人』(ワニブックス)
*4 Wikipedia「1918年米騒動
*4 ツイッターで質問したところ、このような結論が妥当だと判断した。なお、米が急騰しているので、米の物価は基準にできない。



姉小路祐『推理作家製造学』(講談社)

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推理作家製造学〈入門編〉 (講談社文庫)

概要

 推理作家、姉小路祐が作家を志して、デビュー、そして職業作家として自立していくためを描く。失敗作や編集前の作品も載せている。もちろん今日では古くなった部分もあるが、作家に求められるものは変わらない。
 青春小説として読んでも作家指南の書と読んでも面白い。

作家を目指したきっかけ

 作家を目指したきっかけは様々です。例えば小林多喜二は政治活動の一環として、漱石は精神病の治療として書き始めました。姉小路祐が作家を目指したのは高校三年生。日本史の時間を受けている時、「おれは後世の高校生に名前を覚えてもらうような人物になれるだろうか」と思ったことがきっかけだと言います。
 しかし受験に忙殺されて、次第に作家への夢は忘れ去られていきました。
 僕が小説(らしきもの)を書き始めたのは中学三年生ですが、そのころはむしろ自己療養のささやかな試みに過ぎませんでした。小説の上でならどんな恋愛でもどんな格好いい自分にもなれる、と僕は思っていたのです。もちろん、自分の名前を後世に残したいという欲望はありましたが、そう思うようになったのは、大学生になってからのこと。

自分の名前を後世に残すこと

 僕は日ごろから思っていることがあります。それは自分の名前を後世に残すことはある意味において本能的な欲求ではないかということです。
 それというのも、人間に限らず生命体は子孫を残そうとします。非常に素朴なバクテリアさえも細胞分裂で増えていくでしょう。僕には子育ての経験はありませんが、教育を通して子供に善悪を伝えます。善悪は、大げさに言えば世界観の一つです。例えば協調性重視で教育をすれば、反発するにせよ従うにせよ、子供の発達に大きな影響を与えます。つまり、文字通りのDNAと一緒に善悪、価値観、そして世界観なども受け継がれていくのです。
 世界観の引き継ぎが、DNAを伴わないものだとしたらどうでしょうか。つまり世界観のみが受け継がれていくのだとしたらどうでしょうか。絵本、マンガ、ゲーム、そして児童文学も子供へ影響を及ぼします。例えば僕が推理小説が好きなのは、「金田一少年の事件簿」と「名探偵コナン」の影響です。
 むしろ重要なのはDNAの伝達より、思想内容の伝達なのではないでしょうか。理由は二つありまして
1.書かれたものの「寿命」。例えば、プラトン、アリストテレスなどの著作は残っています。またタレスの著作は散逸していますが、彼の思想は『ギリシア哲学者列伝』*1を通して知ることができます。
 またゴッホなどは死後、評価されたました。このように運と努力次第では肉体が死んでもなお評価されるのです。これは和久峻三さんが言っているように「いいものを書けば、自分が死んだ後も、作品は残り、自分の生きてきた爪あとをこの世に残すことができる」のです。
2.代理出産の問題。こんなSFめいた空想をしてみましょう。つまり代理出産が一般化して、生みの親か育ての親かを選択しなければならないとしたら?
 姉小路さんがこのようなことを考えているかどうかは解りませんが、名前を後世に残したいという欲求の裏側には世界観を伝えたい、という気持ちがあると僕は考えています。

現実逃避としての執筆

 さて姉小路さんが作家になろうという気持ちになったのは、大学
三年生の時。先輩たちが次々と進路を決めていく中、焦燥感もあったのかもしれません。「就職から半ば逃げるように」読書に没頭していたことが記されています。
 今でこそ石原慎太郎は政治家として有名ですが、もともとは作家でした。「太陽の季節」などの小説を書いています。石原慎太郎や大江健三郎に触発されて、作家を志すようになります。「就職せずに、作家というフリーな立場で活躍できたら、どんなにいいだろう」と考え、純文学の賞に挑戦するのです。
 現実逃避の結果が自己療養につながるのか、現実逃避と自己療養の執筆はどこか似ています。現に臨床心理士の河合隼雄によれば、「心理療法を受けている人が(中略)童話を書いてきたり、絵を描いてきたりすることがよくある」*2と言います。

新人賞へ

 こうして、純文学の賞へと応募するのですが、題材が定まりません。題材を得るきっかけとなったのは、偶然、高校の同級生と出くわしたこと。双方好きな女性が、芸者になっていると知り、そこから着想を広げていったのです。

冒頭の難しさ

 しかし、冒頭の一文でつまづきます。僕もWEBや文芸同人誌で小説を書いていて、新聞の書評欄でも取り上げられたことがあるのですが、冒頭はいつも苦労しています。
 姉小路さんが指摘しているようにストーリーの問題もありますが。冒頭で季節はいつで、どんな風景で、誰がいて、ということをある程度説明しなければいけません。しかも自然な形で。しかも書いている状況が、作者は自明のこととして書いています。しかし読者は何も知らないのです。
 したがって、しかも何も書かれていないと、現代日本として受け止めます。世界観も魔法も超能力も登場しない、普通の世界。近未来なら近未来だと説明しないと、読者は解りません。
 星新一の短編のように逆手に取るにせよ、冒頭の効果をしっかりと自覚しなければ面白いものは書けません。

落選

 さて、処女作は落選します。これでしばらくは原稿から遠ざかるのですが、社会人になって作家になろうと思い立ちます。人生への疑問がその転機。
 有名人志望というのはまた違うのですが、組織には捉われない自己の世界を持ち、世の中に“自分”という生きているんだという存在証明のようなものを得たい、という気持ちが少しずつ拡がってきました。
 社会では「個性や感情というものは、どうしても薄められ(中略)ているのではないでしょうか」と駅員を例示しながら、記しています。
 村上春樹の小説では登場人物が記号化されている、としばしば指摘されているように現代社会では没個性的になっているのです*3。また安部公房も都市生活者の孤独を強く意識しています。

デビュー

 さて、短編小説でデビューするのですが、選評で酷評されます。

説明と描写

「天網恢恢疎にして漏らさず」という短編は、最終候補にまで残り、全文が掲載されています。確かに面白いのですが、全体として説明書きを読んでいるような印象。昔の小説だから仕方がないのかな、と思ってましたが、やはり指摘されていました。姉小路祐さんは説明と描写の違いを下記の通り、説明しています。
 作者が高い立場から、たとえば「彼は内気な性格であった」というのは説明でしかなく、彼の行動や人となりや発言を書くことで読者に「彼は内気な性格なんだな」と分かってもらうのが小説に要求される描写だと言えるでしょう。
 プレバトなどを見ていると俳句の夏井いつきさんが映像化と言う概念をもとに添削していますが、映像を具体的に書くことでより鮮明に浮かび上がるのです。

原稿用紙の使い方について

 また「会話の「 」の後の文章は改行するという、基本的な原則を知りませんでした」とあるように原稿用紙の使い方も反省点の一つになっています。他にも冒頭部分での一次アキが抜けていたり、「!」や「?」の後は一字アキがされていないなど、基本的なところで違和感がある文章でした。細かいことかと思われるかもしれませんが、「原稿用紙は正しく使うこと」という点は新保博久さんも指摘しています。「応募作の半分以上は異様な使い方をしている」とのこと。

小説とはなにか

 しかし、生島治郎の評は手厳しくも小説とは、特に短編小説とは何か、評しています。「天網恢恢疎にして漏らさず」の選評で生島は下記の通りに述べています。
 女房を都合よく流産させたりしているけど、小説というのは生き物だから、そう自分勝手にはならないはずなんだ。それを安易にできると考えているんだ。
 特に推理小説では偶然が重なると、ご都合主義だと思われてしまいます。誰かの意志が介入しないとリアリティが出てこないのです。
 また「天網恢恢疎にして漏らさず」では刑事訴訟法の文面でしたが、設定ありきの小説もリアリティに欠けます。「大変厳しい言い方になるけれどもこういう、そういうことを考えている限り、物書きにはなり得ない」と言われます。
 現に「閑古鳥のたくらみ」の反省点として、「小説である限り、そのジャンルを問わず、人間をどう描き出すかが大切な課題になる」と語ります。
 現に短編の名手にはそのような作家が多いんです。例えばチェーホフやモーパッサンは日常の何気ない光景を切り取って短編に落とし込んでいます。またロアルド・ダールやロード・ダンセイニなどは人間の異常性を描くことに優れています。
 反感を覚えるかもしれませんが、僕の言うことはともかく、姉小路さんの言うことは非常に的を射ています。僕含め小説家を目指している人はぜひ読んでおきたい一作。


*1 ディオゲネス・ラエルティオス『ギリシア哲学者列伝』(岩波書店)
*2 河合隼雄『昔話の深層』(講談社)
*3 この没個性化の流れは少なくとも第一次世界大戦から始まっている。笠井潔は探偵小説の発展を第一次世界大戦と結びつけて考えている(探偵小説論〈供東京創元社)



有沢翔治について

同人で文章を書いています。

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