有沢翔治の読書日記

 同人小説家、有沢翔治のブログ。  いいものを書くためにはいいものを、幅広く。

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二人であることの問い

 双子の姉、亜衣の様子がおかしい。何かあったのではないかと真衣から萌は相談を受ける。やがて亜衣の部屋からバタフライナイフを買った痕跡が見つかり……。亜衣は何を考えているのか?

フリードリヒ・ヘルダーリン

フリードリヒ・ヘルダーリン『ヒュペーリオン』(筑摩書房)

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ヒュペーリオン ギリシアの隠者 (ちくま文庫)

フリードリヒ・ヘルダーリンについて

 ドイツの作家で、詩人。ヒュペーリオンにも現れていますが、汎神論的な思想の持ち主でした。汎神論とは哲学者、スピノザに代表されるように、自然こそが神だと考える立場です。ヘルダーリンはスピノザを熱心に読んでいたので*1、その影響もあるかもしれませんね。
 生前はあまり評価されず、統合失調症を患ってしまいます。シュレーゲルなどロマン主義の作家は評価されていたのですが、それきり。ゲーテからは酷評されますが、19世紀に入ると、ゲオルゲなどから支持を受け注目されることになります。
 そしてその後、ハイデガーやニーチェに評価され、ドイツ文学に大きな役割を担います。とりわけハイデガーは『ヘルダーリンの試作の解明』という論文を書いていますし、ニーチェは『ヒュペーリオン』を青年時代に愛読していたことが知られています。
 また日本では『ヒュペーリオン』に影響され、三島由紀夫が『潮騒』を描いています。

ヒュペーリオンについて

 原題はHyperion oder Der Eremit in Griechenland。ところどころ大文字なのはドイツ語は名詞を大文字にするという決まりがあるからです。その他の単語についても辞書で調べてみました。
・oderは「または」(英語のor)
・Eremitは「世捨て人」
・Griechenlandは「ギリシャ」という意味なのですが、たぶん、2格(属格)のenがついて「ギリシャの土地」という意味になるのではないかと思います*2。
 つまりギリシャの隠者という意味になるのです。他にも岩波では「世捨人」という翻訳がなされています。

あらすじ

 時は18世紀。ギリシャはトルコに占領されていました。ヒュペーリオンはトルコからギリシャを解放するために立ち上がります。そんな彼にも恋人が。名前をディオティマと言います。彼女は古代ギリシャの美しさを現していました。
 いったんはギリシャ独立のためにディオティマが制止するのも聞かず、戦線に参加します。しかし、民衆が暴走して失望。ヒュペーリオンは彼女の元へ戻ろうとしますが、ディオティマは絶望して、この世を去っていたのです。
 虻蜂取らずに終わり、山に引きこもるのでした。

感想

 さてこの『ヒュペーリオン』を現代の視点から物語として見た場合、2つの不満があります。

ストーリーが解りにくい

 書簡体小説なのですが、いつの手紙なのか書いていないので時系列が解りにくいんです。手紙の内容から推察するしかありません。
 また主題も大自然から、ギリシャの独立へ話が移るため、唐突な印象を僕は持ちました。何より唐突だったのは、アラルバンの過去。伏線ってありましたっけ?

ベラルミンが物語で重要な役割を果たしていない

 ほとんどの手紙はベラルミンに充てられているのですが、このベラルミンは登場しません。……ベラルミンって結局、誰? と最後まで消化不良になってしまうのです。
 もちろん、これは現代の尺度を18世紀ドイツに当てはめているに過ぎませんし、解釈次第ではヒュペーリオンの精神的な成長を描いているようにも見えます。しかし僕はストーリーよりも思想を語っているように思うのです。

ヘルダーリンの思想

 ヘルダーリンは自然こそが神だという考えです。そしてその汎神論は下記の文章によく現れています。
 いっさいとひとつであること。これこそは神の生、これこそは人間の生だ。
 生けとし生けるものとひとつであること、至福の忘我のうちに自然のいっさいのなかへ帰ってゆくこと、これこそは思想の喜びの頂点、聖なる山頂、永遠の安らぎの場なのだ。
 そしてこの後にも「生けとし生けるものとひとつであること」という文言が繰り返されています。「生けとし生けるもの」とは「この世に生きている全てのもの」という意味ですし、「自然のいっさいの中へ帰ってゆくこと」という文言からも自然との一体化が理想であると窺えましょう。

古代ギリシャ

 この物語において、ギリシャはオスマン・トルコに支配されていますが、実際にオスマン・トルコの支配下でした。
1715年にはコリントス、ナフプリオ、ナヴァリノ 、コロン、モトンなどペロポネソス半島に残っていたヴェネツィア領も占領され、ここにイオニア諸島を除くギリシャ全土がオスマン帝国領となった*3
 詩人、バイロンはギリシャ独立戦争に参加し、命を落とすのですが*4、ヘルダーリンも古代ギリシャの復権を夢見ていたのでしょうか。確かに古代ギリシャを題材にして、『エムペードクレス』を書いていますし、古代ギリシャを題材にして詩も書いています。
 しかし僕はそうは思いません。むしろ栄枯盛衰という歴史の流れとして諦めの念を抱いていたように感じます。その理由としては下記の3点が挙げられます。
1.「古代の石の廃墟でたけだけしく弔歌をうたうジャッカルの叫びが、ぼくの夢想を破るではないか」という一文で使われている廃墟や弔歌という表現
2.民衆が暴徒と化して、ヒュペーリオンは革命を断念するという筋書き。もし、本当にギリシャの復権を信じていたのなら、革命の成功で小説を終わらせるはずである。
3.ディオティマの死。彼女は古代ギリシャを象徴しており、ディオティマの死を通して、古代ギリシャの滅亡を暗示している。
 以上の理由からヘルダーリンが古代ギリシャの栄華を取り戻そうとは考えていないことが明らかとなります。

憧れの地

 ギリシャは当時のヨーロッパにとって異質な存在でした。トルコに占領されていたからばかりではありません。文化的に見ても、ギリシャ・ローマ文化は直接的に引き継がれておらず、一回、アラビア世界を経由してヨーロッパに伝わりました*5。
 ヨーロッパ人はトルコより西の世界に対してある種の憧れを抱いていたのですが*6、この憧れがギリシャに対してもあったと推測されます。実際、ヨーロッパ人はルネサンス期にこぞって、ギリシャや古代ローマの文献を探していました。

ドイツに対する苛立ち

 もう一つ、ヒュペーリオンは後半部においてドイツに対する苛立ちを語っています。 おそらく、「あまりにも思想内容を気にすることがいることを、また、あまりにも安易に受け取る人がいることを、わたしは恐れる」という一文も、無闇な攻撃を避けるための文言だったのでしょう。
 きついことばだが、あえて言おう。真実なのだから。ドイツ人ほど支離滅裂な人間はいない。職人はいる。だが人間がいない。思想家はいる。だが人間がいない。聖職者はいる。だが人間はいない。
 ここで繰り返されている「人間」とは一体何なのでしょうか。もちろん文字通りの人間ではなく、近代的な市民だと思います。当時のドイツは、小国同士が同盟を結んでいました。政治体制も君主制で、まだまだ、前近代的。
 支離滅裂、「五体が切り刻まれて散らば」っているようだという表現はこの事実を現しているのではないでしょうか。一。隣ではフランス革命が勃発。ナポレオンの影響があったかどうかは解りませんが、ヘルダーリンはフランス革命に興味を持っていたそうです*7。おそらく隣国が自由を手に入れているのに、このままでは「ドイツ」はどうなってしまうのか、という危機感があったのでしょう。

 


*1 wikipedia「ヘルダーリン
*2 大阪大学言語文化研究科「ドイツ語講座(初級文法編)第4回
*3 wikipedia「トルコクラティア」より引用。なお、「ギリシャ独立戦争」も合わせて参照。
*4 阿部知二「解説」(『バイロン詩集』新潮社)、およびwikipedia「ジョージ・ゴードン・バイロン
*5 B・C・ヴィッカリー『歴史のなかの科学コミュニケーション』、矢島祐利『アラビア科学の話』(岩波書店)など。
*6 wikipedia「オリエンタリズム」。
*7 青木誠之「解説」ヘルダーリン『ヒュペーリオン』筑摩書房


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フリードリヒ・ヘルダーリン『ヘルダーリン詩集』(岩波書店)

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ヘルダーリン詩集 (岩波文庫)

ヘルダーリンについて

 ハイデガーがヘルダーリンに影響を受けたというので、前々から気になっていました。『ヘルダーリンの詩作の解明』*1という論文もあり、いずれ読んでみたいなぁと考えています。また解説によるとヤスパースもヘルダーリンについて論じているそうなのですが、こちらは知りませんでした。その他にも調べてみるとベンヤミン、アドルノなど様々な思想家がヘルダーリンの詩を取り上げているそうです。
 また詩人、シュテファン・ゲオルゲは、彼のことをゲーテに次ぐ大詩人だと評しています*2。当初、ゲーテやシラーなどの疾風怒濤派から冗長性、主観性を酷評されたのですが、ロマン派の詩人から絶賛されました*3。でも正直、疾風怒濤もロマン派も僕には区別が付かないんです。
 古典主義、啓蒙主義、疾風怒濤、ロマン派、自然主義という流れなのですが、古典主義はギリシャ、ローマの文学の復権を目指し、啓蒙主義で理性崇拝を唱え、疾風怒濤で感情を優先させ、ロマン派でそれを引き継いで、自然主義では自然科学にならって客観性を重視しようという考えになる……のですが、疾風怒濤とロマン派は理性よりも感情を優先させようという立場なんです。
 疾風怒濤の作家ゲーテはロマン派を批判していることから、何かしらの違いはあるんでしょうが、僕には解りません。

詩とは何か

 詩とは何でしょう? それは比喩の世界、目に見えないものを目に見える物で喩えた世界だと思います。例えば、私が「子供だった頃……」という詩は、「私が子供だった頃/神がよく助けてくれた(中略)そこで私はのびのびと遊んだ。森の花々と。/そして大空にそよぐ風も/私と遊んでくれた」という冒頭から始まります。
 自然を神に喩えているのか、あるいは自然の中に神を見出していたのか……、どちらかは解りかねます。しかし神は目に見えませんが、花や風は肌で感じることができますよね。このように詩とは具体的なものを通して抽象的・観念的なものを連想させるような作品だと思います。
 もちろん、自然から何を連想するかは詩人ごとで違ってきます。例えば「優しい駒鳥すらも豹か山猫のように/毛虫を貪り啄んでいる」とキーツは自然の中に弱肉強食の残酷さを見出しています。

ヘルダーリンの神

 さて、「若い詩人たちに」という詩を見てみましょう。「大いなる自然に助言を求めよ」という一文からジャン・ジャック・ルソーの影響がある、と川村二郎さんは「解題」*4で書いています。
 確かに教育論『エミール』などには子供は自然の中で育てることを説いています。このような自然に重きを置く考えは、処女論文『学問芸術論』から最晩年のエッセイ『孤独な散歩者の夢想』まで一貫しています*5。
 しかし「私が子供だった頃」という詩からはルソーではなくスピノザ『エチカ』の影響を僕は感じました。スピノザ『エチカ』*6では自然が神を作ったのではなく、自然の中に神がいる、という汎神論の立場を取っているんです。
 現に調べてみると、ヘルダーリンはスピノザの汎神論に深い感銘を受けているとのことでした*7。

ドイツ

 神といえばゲルマニアという詩は「その昔顕現した神の国/古き国の神々を/もはや私は呼ぼうとは思わない」という冒頭です。川村二郎さんはこの詩についてゲルマニア、つまりドイツを詠っているとも解釈できる、と前置きした上で、ギリシャを詠っていると解釈しています。
 つまり、「ギリシャの至高神〔有沢注、ゼウス〕使わしめなる鳥、鷲は東方から飛来する」*8というのがその根拠なのですが、翻訳した文章は「インダスから飛来した」ことになっています。確かにアレキサンダーはインドまで大遠征を行なったのですが、ギリシャ(ローマ)を意識したんなら、ここは南方と書くのが自然なのではないでしょうか? 確かにドイツから見てギリシャは東と言えなくもないのですが、むしろ南東に位置しています。しかもギリシャ文明の特徴である地中海はドイツから見て南です。
 また、ゲルマン神話のオーディンも鷲に変身すると言われていて、鷲が登場するからといってギリシャの神とは限りません。僕がギリシャではなくドイツだと解釈した理由はもう一つ。「期待に満ちて広がり 暑熱の日々のように/不吉な気配の天は 低く垂れ込め/あこがれる水とともに 我らを今日は翳らす」とあります。
 確かに「暑熱の日々」などからは温暖な気候を思わせます。しかし、あくまでも問題としているのは「低く垂れ込め」た「不吉な気配の天」。そしてこれはドイツの日照時間を思わせます。ドイツの夏は10時過ぎまで明るい、と言われますが、これは逆にいうと、冬の日照時間が極めて少ないという意味です。
 また「ライン」などの詩は、ドイツの自然を題材としています。
 なぜドイツ的なものを描こうとしたのでしょうか。実は当時、「国」としてのドイツはまだなく、プロイセン王国、ボヘミア王国などの小国が集まっていただけに過ぎなかったのです*9。1871年、ようやくドイツが統一されるのですが、ドイツ語の関心はこれ以前からありました。例えばグリム兄弟の一人、ヤーコプ・グリムがドイツ語の文法についての本を出版しています。
 Wikipediaのドイツ語*10によれば、
 17世紀にはドイツ人の民族としての自覚が高まり、知識人の間では統一されたドイツ語を求める国語浄化運動が盛んになった。近代ドイツ語の正書法はこの頃より整備されはじめる(名詞語頭を大文字にするなどの工夫は、この頃生じた)。この思潮はロマン主義の時代に引き継がれ、グリム兄弟による辞書の編集やコンラート・ドゥーデンの正書法辞典などによって新高ドイツ語が形成された。
 したがってヘルダーリンもまたドイツ人とは何かという問題を考えていたのではと推測されるのです。

ギリシャへの憧憬

 しかしそうは言っても、ギリシャを題材にした詩を多く書いています。中には「ギリシャ」や「エーゲ海」という詩もあり、その想いの強さが窺い知れます。もっともこれはヘルダーリンに限らず、ヨーロッパ文学全体の傾向として言えます。例えばイギリスの詩人、バイロンはトルコからギリシャを解放するために、義勇軍として参戦しています。
 しかし、ヘルダーリンの場合、ギリシャを単に憧憬というよりも失われた黄金時代、理想郷として描いています。「アテナイの廃墟に/青むやさしい緑よ 白日のもとに哀しみを秘めよ」という「エーゲ海」や「テーバイは凋れ、アテナイは凋れ、オリュンピアにはもはや/物具も戦車競技の金色の車もさやがず/コリントの船はもはや、花冠を飾ることがない」という「パンと酒」からはギリシャの栄枯盛衰を思い浮かべました。


*1 マルティン・ハイデッガー『ヘルダーリンの詩作の解明』(創文社)
*2 川村二郎「解題」(ヘルダーリン『ヘルダーリン詩集』岩波書店)
*3 同上
*4 同上
*5 ルソーの思想を表す言葉として「自然へ帰れ」が知られているが、彼の著作には一度も出てこない。(Wikipedia「ジャン=ジャック・ルソー」)
*5 川村二郎「解題」(ヘルダーリン『ヘルダーリン詩集』岩波書店)。
*6 スピノザ『エティカ』(中央公論新社) 
*7 Wikipedia「ヘルダーリン
*8 川村二郎「解題」(ヘルダーリン『ヘルダーリン詩集』岩波書店)。
*9 Wikipedia「ドイツ統一
*10 Wikipedia「ドイツ語


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