原田勝二の想い

ふるさとを想う素晴らしい人々との出会いを! 鈴鹿市議会議員原田勝二のふれあい広場♪

この国の形・自立。

日本は、昭和の時代に敗戦国となってから、自立していない国になってしまった。
その一例として、自国の空を自由に飛べない国である。
この国のかたちが、未来永劫続くことに何とも思わない国民であったとしたら、
もはや、それは自立でなく自滅の道に進んでいる国であると言わざるをえない。
敗戦から70有余年経過した現在、国の根幹を示す憲法論議が行われているが、
模範とすべきは、スイスの永世中立国であろう。
自らの国は自らの手で守るという強い意志と覚悟を、全世界に認めさせることこそ
自立した国ではないのだろうか。
今から148年前に廃藩置県が行われ、この国の形が大きく変化した。
このことが、のちに一極集中がすすみ、いわゆる地方との格差が増幅してしまい、
今や手がつけられない状況となってしまった。
少子高齢化の遠因はまさに、中央集権が招いた負の遺産と言える。
元号が変わろうとしている今こそ、地方分権を推進する最大の好機ととらえ、
道州制を採用し、人口の分散、一極集中からの脱却をはかり、外交、防衛など
を除く分野の行政機構の省庁を地方に分散するなど改革をなすべきであろう。
一方で、責任体制を明確にした行政組織を構築するとともに、肥大化した組織、
要員をスリムにする必要がある。
民主主義には多くのコストがかかることは理解できるが、だからと言って、
現在のような肥大化した行政組織にはコストがかかりすぎである。
一般企業の経営と、行政機構の運営の違い、それは会計方式の違いであろうが、
このことに真剣に向き合わないことこそ、行政機構が求める費用対効果の検証は
絵に描いた餅の例えに等しい。
この国の国会議員の皆様に一考願いたいものである。

ほっと一息?

本日から恒例の市議三役を決する日程にはいりました。
先ず、監査役から始まりますが、私は議員活動最終年を迎え、勝手ながら、誰も手を
あげない状況であれば監査に立候補をしたいと周囲の人に告げていました。
結果として二人の候補者があり選挙がおこなわれることとなりました。
私はこの状況にほっと一息という、何とも言えない幸福感に包まれました。
議員活動20年目にして、こんな心境になったのは初めてでした。
来年の改選時まで、この心境の日々で過ごせればとの思いです。
合掌。

真実と信頼。

人は、自己を中心に生きて行くものです。
信頼する人に裏切られ、何が真実かわからなくなった時、目の前の事しか考えられず、
自分ひとりで悩み苦しみ結論を導いてゆきます。
その場合、未来の展望を描ける状態ではありません。
そんな時こそ身近にいる信頼できる人に救いの手を求めるべきです。
その人は、悩みを客観的に冷静に判断して助言してくれると思います。
一人で悩むとき、その人には周囲にいる信頼できる人さえ見えなくなっています。
私たちは、多くの人々と共に未来を語りあえるのです。
人生の出会いは、さまざまなご縁で繋がっています。
自分の考えは正しいでしょうが、他人の意見も素直に聞いてみるべきです。
どこに真実があり、どこに信頼関係を築いてきたのか、一人で悩むことなく相談する。
そこに、活路が見出せると信じています。
人生は長く未来は謎に満ちています。
早々に結論を出さず、じっくりと時間をかけて目標を達成しましょう。
信頼できる仲間と真実を探求しながら!
合掌。

この国のかたち

つぶやき・・・・・          
戦後、70有余年が経過した現在、テレビなどで評論家たちは北朝鮮に拉致された人々を救うためにアメリカに頼っている日本政府の批判に明け暮れています。
国会でも同じような議論がなされているように思います。
そこには、この国の安全保障について基本的な議論が抜けたまま空論を重ねていることに何ら気付いていないのか、わざと議論を避けているのか、誠に滑稽な議論が展開されています。
こんな空論を永遠と報道している機関も、まさに事なかれ主義のなにものでもないと思います。
 日本人が、なぜ、日本国民として世界に真実が語れないのか。
それは、戦後、1945年から1952年の7年間、アメリカの占領下にあった期間に、その理由があるのではないかと思います。
戦後復興に対する諸外国の支援や援助には感謝の言葉しかありませんが、かといって自国民の命が脅かされても他国だのみという現状を、政府のせいにして溜飲を下げているという、いかにも他人のせいにしている日本人の醜さに、もう気がついても良いと思います。
 北朝鮮に拉致された日本人の家族は、私たちの日本の国民であり家族です。
平和な生活を望むことと、日本人として自立して他国と対等な立場で物事を交渉できることになることに、なにか矛盾があるのでしょうか。
あなたは、現在、日本の航空機が日本の空を全く自由に飛べると思っていますか。
政府を批判する前に、これらの現状を理解し、どうすれば、この国のかたちが整うのか議論すべき時がきていると思います。
 昭和の時代の負の遺産をいつまで引きずって生きてゆくのでしょう。
今こそ、私たちが国の施策に関与し、真に自立した国づくりに取り組み、その結果として他国と共に平和な世界を共有し続ける国づくりをしなければならない時だと思います。
合掌。

人はそんなに強くない

高齢者と表現される年齢を迎え、鏡を見る度になるほどと感心させられる日々です。
しかし、自分だけは老けてたまるかと3kgのダンベルを両手持ち、20代の頃に
買い求めたLP盤のスローな曲に合わせて、上腕と腰のトレーニングをしています。
お陰さまで少しづつ腕の力がつき、重いものを待つ度にこれで良いのだと自分自身に
言い聞かせています。
これから暑くなり、Tシャツを着た時の姿を想像しながらのトレーニングを継続する
決意は若いころより強固なものとなっています。
強固より頑固と言ったほうがに似合っているのかもしれませんが。
しかし、人はそんなに強くありません。
何のためとか、どうせ老いて行くからだなのにとか、マイナス思考の考えが脳裏に
浮かびます。
そんな時、人はそんなに強くないと自覚し、だからこそ今やるべきことをやろうと
思います。
目も見え、歯も丈夫で、男としての熱いものがたぎる健康な時こそ、鍛えるときと
考え実践しています。
73歳の男のつぶやきです!

永遠の別れ!

PTA・・ぱっと・楽しく・明るく、をモットーに、30年余り前にPTA活動を
共にしたT/Kさんが亡くなられました。
お通夜の席で読経がはじまり思わず涙しました。
明るく元気な方で、チームの中心で笑顔を絶やさない人でした。
歳は、私より3歳下でもあり、まだまだやりたいこともあったと推察しますが、
残念でなりません。
同じ時代を生き抜いてきた同志として、哀悼の誠をささげたいと思います。
柩に眠るお顔に挨拶をすませ、あの世とやらで出会うかもしれないと念じつつ、
感謝してお別れをしました。
命あるものは必ず別れがきます。
これからは、別れのある日を覚悟して日々の生活を大切にしなければならない。
そんな覚悟の大切さを教えてくれました。
T/Kさん、永遠に幸せでいてください。
合掌。


議会報告会を終えて。

先日の日曜日に第8回鈴鹿市議会報告会が開催されました。
この度は、午前が庄野公民館、午後が加佐登公民館の二会場に出席致しました。
これまで、市議会議員の顔が見えないとか、行動が理解されていない等といった
お声をお聞きし、議会基本条例を定め報告会を実施しているところでございます。
一部で、3月議会の議案を説明し、二部で参加された方々のご意見や質問に答える、
といったスケジュールになっております。
このような機会を持つことにより、皆さんとまじかに顔をみながら話す機会を持ち
市議会議員の生の声をお届け致しております。
回を重ねるごとに、会場では市役所の職員と議員の役割がより鮮明に理解される
ようになっていることを肌で感じております。
地域によって要望や意見はさまざまですが、いずれにしましても鈴鹿市民の生活が
うるおい、鈴鹿市が発展することを望むお声ばかりでございます。
ご参加いただきました皆さまに厚く御礼申し上げます。
私といたしましては議員としての自覚を促して頂く貴重な時間でございます。
合掌。

退職・人事移動。

3月は人事の月です。
本日は、17人余りの退職者(幹部職員)の方々からご挨拶を受けました。
皆さまそれぞれの思いを語られましたが、一様に爽やかなお顔でした。
30有余年、辛い日もあったことと推察いたしますが、無事に定年退職の日を迎えられ
たことに敬意を表します。
お疲れ様でした。
一方、庁舎内では職場の異動に関する内示もあり、いつもと違った雰囲気が漂っていま
した。
希望がかなった人、思いもよらない職場になった人、それぞれでしょうが、市の職員と
して市民のために職務に邁進して頂きたいと思います。
私は市役所で働いた経験はありませんが、市の職員は一つの仕事を長くすることはなく
多くの仕事を経験することができる組織です。
この度の異動で自分の望みが叶えられなかった人は、何事も経験だと割り切って職務に
専念して頂きたいと思います。
かつて私も、富田・津・四日市・松坂・亀山・と転勤を経験いたしました。
今になれば懐かしい良き思い出です。
「人生いろいろ」この歳になって、この言葉のあじが少しわかるような気がします。
人事は天命でしょうか。
合掌。



先生と生徒の関係

先日来、小学校や中学校の卒業式に来賓として出席させて頂きました。
式場では、校歌とともに歌の合唱を聞きましたが、先生と生徒の絆が感じられるもの
ではありませんでした。
今では「仰げば尊し我が師の恩・・・」という曲は遠い昔の歌となったのでしょうか。
卒業生が答辞を述べますが、そこには先生の恩や感謝という言葉が必ず入っています。
「仰げば尊し・・・・」と言う曲は、まさに生徒が先生に対する気持ちを表現するのに
ピッタリの歌だと思うのは私だけでしょうか。
「身を立て名をあげやよ励めよ・・・」この言葉が、競争を助長するからと考えるなら
教育の現場で現実から目をそむける、言い方を変えれば現実から逃避することを教えて
いるように思えてなりません。
生徒は先生に対し教えを受けたことに尊敬すること、そんな常識すら教えなくて社会人
として通用するはずはありません。
社会人となれば総てが平等でない現実に直面します。
そこには切磋琢磨して身を立ててゆく厳しさがあります。
甘やかされた平等とはかけ離れた世界があるのです。
卒業式に歌う歌詞の中からそんなことを学ぶこと、1944年生まれの私だからこんな
ことにこだわっている古い人間なのでしょうか
人は教育を受けてこそ人になれるのです。
先生方にお願いします。
どうか義務教育期間中に人として生きる基本を学ばせて下さい。
私たちは先生に対し生徒が「起立・礼」と号令をかけて授業を受けてきました。
今や、そんな言葉も死語なのでしょうか。
合掌。


鎮魂(3・11)

本日は、東日本大震災から6年という節目の日です。
遠く三重の地からではございますが被災された方々に鎮魂のまことをささげます。
私どもの地方では、東海・東南海地震が30年間の間に8割の確率で発生すると
言われてきました。
この予測は的中してほしくはないのですが、学者の言葉を信じない訳にもいかず
伊勢湾沿岸に住まいする私といたしましては、不安な日々を送っています。
当市の責任者には、常日頃からハード部分での整備をお願いいたしておりますが
予算をつけないようで、一部手当はいたしましたが満足な答えは得られません。
自然の脅威に想定内も想定外もありません。
対策を行なわないのは、人智を尽くす努力の欠如だと思います。
完璧ではないにしても、少なくとも常識の範囲は100%準備すべきです。
このような愚痴を言っていても何の解決にもなりませんが、3・11から6年が経ち
ましたが、当市に対して今後も対策を訴え続けてまいります。
合掌。
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