2007年06月20日
Concluding Remarks
何度も言ってるし、みんなが言ってることだけど、あっという間の2年間でした。
到着した時の無地の状態からみれば、まがりなりにも別れを惜しむ場所や思い出や友達ができ、少なからずの寂しさというものがこみ上げてきます。
最終日、家の片づけが早めに終わったのでLAを一望できる高台にアメリカ最後の夕暮れを見にいきました。いろいろな事が思い出され、ごちゃごちゃとスモッグに融けて風景を見飽きることなく夜景になるまで眺めてました。
留学生活の総括的な事を書きたくて断片的に感想や疑問や尊敬や怨嗟や羨望や怒りやルサンチマンやシャーデンフロイデを書き留めてましたが、どうにもよくわからなくなったので止めます。日本に帰ってアメリカがまた外国になったら、少し頭が冷えると思います。
一言だけいえば、やはりアメリカは良くも悪くも偉大でした。頭の良し悪しは別として、少なくとも日本よりいろいろと大人です。誤解を恐れずに言えば、頭の良い子供と頭の悪い大人、というのが二国の正直な感想。どうでもいい感想ですが。
これをアップしたらネットを切ります。
無事飛行機が日本に降り立つことができたら、また遊んでください。
それでは。いろいろありがとう。
2007年06月16日
この支配からの卒業式
ぶっちゃけ今週もレポートに追われ、小旅行をしたりもしてたので、感慨一入モードに入る余裕もなく気がついたら式当日の朝で。
ガウンとか四角い帽子とかかぶってみるとどうにもドリフの合唱隊(古)だったけど、もう一生しないコスプレだしコスプレ嫌いじゃないしコスプレの出づる国に帰るからいいかなと。
ちなみに一緒に写ってるおっさん、年喰った卒業生だなぁと思うかもしれませんが、ゲスト・スピーカーとして卒業式に来ていただいていたノーマン・Y・ミネタ前運輸大臣です。
日系二世で大戦中は強制収容されていた経験があり、そこで感じたこと、そこから国務大臣に登りつめた経歴を語ったスピーチはアメリカ人にどう映ったか分からないけど、自分にとっては最後を飾るのに十分すぎる印象を残してくれた。式後、どうしても直接言葉を交わしたくて僭越にも話しかけたが、とても丁寧に対応して頂き、励ましの言葉をいただいた。
職業柄権威に弱いので心地よく背筋が伸びる。
この2年間は長かったし短かった。たいしたことはしなかったけど、これ以上の時間の過ごし方はなかったような気がする。友人達と別れの握手を交わして家に帰ってこの生活が終わる実感が始めて沸いてきた。
朝もらった妻からの手紙。
"Walk tall today, Grad.
You did an awesome job.
楽しい生活をありがとう。"
2年間支え続けてくれたことに、ただただ感謝。
2007年06月10日
全授業終了
先週で修士課程の全ての授業が終了。
ただ卒業式の前にまだレポートが3本ほど残っている。
週末もずっと家にこもってレポートを書いてる状況。
もう疲れたから早く帰りたいです。
レポートのうち1本がチームプロジェクトなんだけど、あいかわらずアメリカ人は無責任。
スケジュールは勝手に変えるし、打ち合わせで合意した事が全く守られない。
言い訳だけ一流。
あと感化されて無礼さとか自分勝手さばかり身につける日本人も多いけど、彼らも好きになれない。海外で生活していて難しいのは現地人になることよりも母国人でありつづけること。例えば日本的であること、授業で無意味な発言をしないとか決まり事を重視するとか礼儀を重んじるとか、そういうことに引け目を感じてアメリカ人のように振る舞いたくなる衝動に対して懐疑的であること。いままでの自分のやり方に意義を探すこと。そういう風に自分の出自に敬意を払わず、たんに英語だけ話せても国内的にも国際的にもしょうがないと思うんだけど。
・・・最後までつまらん愚痴言ってすまん。
まあいいやもう帰ろう。
いろいろと、いい潮時感満載。
ていうか無事卒業できるのか?
ただ卒業式の前にまだレポートが3本ほど残っている。
週末もずっと家にこもってレポートを書いてる状況。
もう疲れたから早く帰りたいです。
レポートのうち1本がチームプロジェクトなんだけど、あいかわらずアメリカ人は無責任。
スケジュールは勝手に変えるし、打ち合わせで合意した事が全く守られない。
言い訳だけ一流。
あと感化されて無礼さとか自分勝手さばかり身につける日本人も多いけど、彼らも好きになれない。海外で生活していて難しいのは現地人になることよりも母国人でありつづけること。例えば日本的であること、授業で無意味な発言をしないとか決まり事を重視するとか礼儀を重んじるとか、そういうことに引け目を感じてアメリカ人のように振る舞いたくなる衝動に対して懐疑的であること。いままでの自分のやり方に意義を探すこと。そういう風に自分の出自に敬意を払わず、たんに英語だけ話せても国内的にも国際的にもしょうがないと思うんだけど。
・・・最後までつまらん愚痴言ってすまん。
まあいいやもう帰ろう。
いろいろと、いい潮時感満載。
ていうか無事卒業できるのか?
2007年06月04日
2周年
2007年06月02日
defying gravity
ヌーヨークに行くたびに観ようとしてはチケットが取れなかったWickedは2003年の初演以来世界4都市の全ての公演で満席が続いているらしい。一地方興行であるLA公演ですら半年前でやっとチケットが取れた。
LA公演はPantages Theatreという昔はオスカーの授賞式にも使われていた築80年近い官舎もびっくりの大劇場が会場で、ブロードウェイにもまして装飾品が無駄に豪華。
それとLA公演の特徴としては、観客の肥満率が高いため会場が異様に暑苦しい。また開演前には、座席の肘掛けと肘掛けの間に自分のケツが入らない客がなんとかその限られた空間に体をねじ込もうとして奮闘する姿が随所で見られ、さらに暑苦しい。
ちなみに内容であるが今年観たミュージカルの中では確実にいちばん良かった。地方と思ってみくびっていた主演の二人の表現力と迫力は半端なかった。ひさしぶりに歌声で鳥肌が立った。いくつかの曲は琴線にぴったり張り付いたまま今も耳を離れない。こんなことならダフ屋から買ってでもブロードウェイで観ればよかった。
アメリカで心の底から英語の能力を渇望したことは結局ほとんど無かったけど、素晴らしいミュージカルを観た時だけはネイティブをほんとうにうらやましいと思う。ストーリーはわかっても、きっとどこまでいっても彼らほど深く言葉を楽しむ事ができない。結局これは彼らと彼らの言葉の文化であり、自分のものではない、という事を毎回思い知らされる。
さっき2年間でアメリカで観たミュージカルの本数を数えてみたら14本だった。非NYC居住者にしては幸運な部類だったと思う。この先30年くらい、この思い出をおかずに白飯を食べていくんだろうなぁ。これで、見納め。
そういえばWickedは、最近翻訳業に専念している劇団四季でも公演するらしい。
きっとすばらしい直訳を見せてくれるにちがいない。
2007年05月30日
草葉の陰
南北戦争以来の国のために戦って死んだ兵士を偲び讃えるというこの祝日は、「戊辰の役から」というキャッチフレーズでおなじみのあの施設と似たコンセプトの行事だが、予想通りアメリカの場合はカリフォルニアの青空なみに陰り無くすがすがしい記念日として扱われる。
極東の島国の大臣自殺がどう報じられるかと思ってつけたテレビは星条旗と墓地とイラクと兵士とその家族が交互に写るだけの国威発揚自慰番組ばっかりだった。日本の夏のアレルギー反応も好きじゃないけど、これはこれで気持ち悪い。
そんなにも英霊の御霊を大事にしているのか、と思って近所の国立戦没者墓地に行ってみた。
星条旗に埋め尽くされた墓地。
風景としては壮観である。
でもテレビで中継してたほど盛り上がってないし、人も多くない。多数の移動中継車のほか、殊勝な老人や軍人がちらほらいたけど、ほとんどは家族連れが墓の横の芝生で寝ころんでたり、カップルがジョギングしてたり。なんかテレビ撮影用のスタジオとその見学者たち、みたいだった。
今日に関する純粋な感想としてアメリカの国体って表面的には新興宗教っぽい。単純なアジテーションと信者の連鎖。しかし、2年間の田舎暮らしでは表層の安っぽさの陰にある核、ほんとうの支配とシステムを見学する事はできなかったなぁ。
ぜんぜん関係ないけどあの大臣に関するLAタイムズの記事はこう結ばれていた。
なぜか解らんが齟齬感とともに「恥ずかしい」という感情が沸いてくる。
"The country also has a deep-rooted tradition of ritual suicide, which was considered a way to restore one's honor or take responsibility for failings in feudal Japan."
2007年05月28日
この国の残像
しかも今週末は土日に祝日がついて、どこかに旅行に行こうかという話になった。
でも別に特に行きたいところも残ってなくて、けっきょく何度行っても居心地がいいサンディエゴに3泊ほどまったりしにいく。
普段であればホテルのプールかビーチで一日中寝るところ、今回はやる気を出してテーマパーク的なところをハシゴして健康的に疲れてみた。
まぁどこも意外と楽しかったけど、どこに行ってもアメリカ人家族の行儀の悪さに嫌気がさした。園内各所で「しつけ」とか「行儀」という概念にあたる英語を探して待ち時間をつぶした。
アメリカに住む最大の利点のひとつに、好き放題まわりの悪口を言えることがある。
僕らはシャチやイルカやパンダや象やレゴの大群よりもアメリカ人たちを好奇に満ちた眼で眺め、思う存分酷評した。偏見ベースの歪んだ結論として、アメリカ中産階級の家庭に生まれ育たなくてよかったと心底思った。
そういえばLAに住んで最初に行った旅行もサンディエゴだった。
2年前の夏に行ったオールドタウンのメキシカン・レストランにもう一度行って同じマルガリータを頼んでみる。あいかわらず美味い。懐かしい、と思えるだけの時間がこの国でも蓄積したんだなぁ、と思う。この2年間はいろんなことを学んだし、いろんなことを考えたし、なんとなく20代最後としては最高の過ごし方だったんじゃないか、と確信を持った。
テキーラはいつだって思考をポジティブにしてくれる。
2007年05月20日
余命1ヶ月
帰国に際し、会社から宿舎が提示された。
あと数年で廃止予定の築37年ものだった。
年上は嫌いではないが、ちょっと素敵すぎる感じもする。
日本の住む家が決まるとだいぶ帰国が現実味を帯びてくる。
2年のあいだ、何も引かれず、何も足されてないであろう母国のクオリティ・オブ・ライフの実感が沸いてきて、あぁあそこに戻ってしまうんだ、という安堵と恐怖と郷愁と悲哀が混ざった感傷につつまれる。
こちらでも家具を少しずつ売り捌きはじめたり、生活を畳む準備を進める。2年前の、何も無かったところに生活が少しずつ戻っていく。
さっきもPS2とウィニング・イレブンを売ってきた。30にもなってこんなにもプレステとの別れがつらいとは思わなかった。
アメリカそのものは全く名残り惜しくはないけど、穏やかな生活が無に帰していくのは少し寂しい。
2007年05月12日
解放
修士2年生になってからずーっと苦しみ続け、紆余曲折を経て3月に提出した修了研究のようなもののオフィシャルなプレゼンテーションが今日あった。
英語でのプレゼンはいままで何回もごにょごにょと切り抜けてきたけど、学科の主だった教授陣と多くの同級生に囲まれ、さすがに久々に本格的に緊張した。
ガチガチだったが直前に詰め込んだ内容を玉音放送のようなモノトーンボイスで何とか説明できたし、質疑もくぐり抜けられた。とにかく疲れた。
二人という比較的少数のチームでやったため、研究の企画段階から最後のプレゼンまで当事者であることを逃れられなかった。
自分で選んで二人プロジェクトという逃げ場のない道を選んだわけだが、途中何回も後悔した。つたない言葉で知的作業をすることがどんだけ辛いか。どんだけ疲れるか。
パートナーのステファニーとは9月以来何十回とミーティングを重ね、研究はのろのろと動き始め、行き詰まり、議論し、方向転換しては元に戻り、妥協し、奮起し、そしてコミュニケーションが成立していった。
前書いたように研究そのものは本当にしょぼいし、学問的には何の成果も無いし、要アテントなほどの多大な残尿感も残っている。日本語だったらもっといろいろできたのに、という貧乏根性は最後まで抜けなかった。
でも成果らしきものを挙げろといわれれば、このコミュニケーションが成立した感じ、だろうか。おそらく彼女にはいろいろ不満やら不自由があったと思うが、最後には信頼関係がちゃんとできた。
30にもなってこの程度のプレゼンで緊張していた自分の器の小ささを嗤いながら、帰って速攻ビールを空ける。
またひとつアメリカ生活が終わったなぁ、と思う。
