2023年11月
2023年11月16日
悲しいお知らせ
晩秋の趣、紅葉の頃となって参りました。京都の町は外国人観光客が急増し、昼間の祇園町や夜の木屋町や先斗町では外国人観光客ばかりです。
急に寒くなりましたが皆さまにはお変わりございませんでしょうか?
招猩庵の宴の時に来て頂いていた三味線の野中さんにおかれましては11月10日にご逝去されました。
3年前に急性骨髄性白血病を発症され、その後は骨髄移植をされて此で回復されるとご本人も我々も思ってましたが、その後に再発されて2年半の闘病生活を送っておられましたが無念にも43歳の生涯を閉じられました。
野中さんとの出逢いは祇園町のバーでBGMの如く三味線を弾いて居られたのが実に心地好く、一緒に飲みましょうとお誘いしたのがきっかけでした。
大分県から京都に来られて23年の歳月が流れ、京都でしっかりと野中さんの存在が出来、この先50代60代と歳を重ねながら更に芸達者となられて多くの人達を楽しませる男衆となられた筈でしたのに残念で無念でなりません。
ご葬儀は昨今ない程の多くの方々のお見送りで、ご出棺の時には宮川町のお茶屋「花傳」の弥千穂姐さんの「淡海節」でお見送りでした。
淡海節は野中さんがお座敷を勤めて下さった時には必ず唄われた曲でした。
野中さんの闘病生活中には皆さまよりクラウドファンディングをお寄せ下さり本当に有り難うございました。来年の桜の頃には皆さまにお目もじが叶うのを楽しみにされていましたのにそれが叶わず誠に残念でございます。
急に寒くなりましたが皆さまにはお変わりございませんでしょうか?
招猩庵の宴の時に来て頂いていた三味線の野中さんにおかれましては11月10日にご逝去されました。
3年前に急性骨髄性白血病を発症され、その後は骨髄移植をされて此で回復されるとご本人も我々も思ってましたが、その後に再発されて2年半の闘病生活を送っておられましたが無念にも43歳の生涯を閉じられました。
野中さんとの出逢いは祇園町のバーでBGMの如く三味線を弾いて居られたのが実に心地好く、一緒に飲みましょうとお誘いしたのがきっかけでした。
大分県から京都に来られて23年の歳月が流れ、京都でしっかりと野中さんの存在が出来、この先50代60代と歳を重ねながら更に芸達者となられて多くの人達を楽しませる男衆となられた筈でしたのに残念で無念でなりません。
ご葬儀は昨今ない程の多くの方々のお見送りで、ご出棺の時には宮川町のお茶屋「花傳」の弥千穂姐さんの「淡海節」でお見送りでした。
淡海節は野中さんがお座敷を勤めて下さった時には必ず唄われた曲でした。
野中さんの闘病生活中には皆さまよりクラウドファンディングをお寄せ下さり本当に有り難うございました。来年の桜の頃には皆さまにお目もじが叶うのを楽しみにされていましたのにそれが叶わず誠に残念でございます。
shojoann at 04:32|この記事のURL