悠覧亭無飛行

文学的関連及び自身の日常非日常による構成也。 何処を眺めているんだか知れない。 光陰矢の如し。急がば回れ。早すぎて置いて行かれる。 まあ酒でも飲んで酔っ払っていませう。

最近の読み物

 悪夢のような気候から桜の咲く頃になり、ようやく頭の加減が良くなったので読書をしてます。
 本好きでも一ケ月本を読まなくても生きてはいけますね。死んでましたけど。

 で、中公文庫の潤一郎ラビリンスの「初期短篇集」から読んでます。

 十年振りくらいに「刺青」を読みましたけど、書き方に露悪なところがあって・・・・・・まだ受け付けられません。
 伏字になっていた「瓢風」の方が面白かったです。

 半分くらいまで読んで分かったのが、谷崎と性癖が似てる、と云うことに気付きました。

 足フェチなところとか、女性に振り回されたいところとか。

 そうか、私が谷崎を苦手なのは同族嫌悪なのか。覗き趣味は無いけど。

 などと気付きながら読むと、露悪ささえ除けば興味が持てます。

 読み終わったら更新します。全十六巻。

梨くうや

 今日、十年ぶりに梨を食った。
 美味い梨で良かった。
 あと、色色と胃が痛くなる経験をしたのを思い出して、その感覚にびくびくしている。
 十年前は三年前だったし、そうして、その三年間は尽くすことができたのかと疑問視してはいるが、答えは別に欲しくも無い。
 ただ、面白かったなあ、と愉快がれる本日である。

竹千代逝去

 去年から肥満細胞腫(人間で云う癌)を患っていたチワワの竹千代が、ぬくもりを残しつつ冷たくなっていた。
 正直、意外だった。確かに、今年だけでも6月9月と手術をしたものの経過は順調。
 その3日程前にフィラリアの薬をもらうための定期健診に行ったばかりだった。
 それが、どうも今日は食事を食べない。食いしん坊の竹千代が腫れ薬もエサも食べられないのはおかしい、と思っていた。
 そうして、翌日になって、朝食事を摂らなければ病院に連れて行こう、と考えていた。
 寝床に入って、人とメールをしていて、ふと、パソコンから添付ファイルを送ろうと考え、書斎に足が向いた。
 そうして、犬の様子が気になったので覗いてみると、もう、冷たくなっていた。
 もう、長くはないだろうと思い思い、人にもそう話していたのだが、それは、もっと癌が重くなっていって、抗がん剤を使うつもりはなかったから、看取れるものだろう、先は長い。来月は人間で云う還暦。今年は越えれるだろう、と考えていたところだった。
 全くの不意打ちだった。
 舌を口から少し出して、目を開けたまま眠るように逝っていた。
 彼を犬小屋から取り出して、大好きだった毛布にくるんだ。
 そうして、母屋の家族に事情を説明して丁度良い段ボール箱をもらって、それに入れてやった。地べたに置き去りにしなくていいと思うと、気が楽になった気がした。
 それから、気が付いて、ゆっくりと目を閉じてやった。
 その間、人に電話しながら、わんわん泣いた。覚悟はしていたのに。

 翌日、家族に竹千代を見せた後、一緒に泣いた。そうして、生き物を飼うことを悔やんだ。でも、ありがたかった。
 それから、田舎の家には連絡をしてあったので、残った千代松と共に田舎へ向かった。彼は段ボールの中で、耳を立てていて、ご飯だよ!と呼んだら動きそうだった。
 田舎の家族、皆で彼を弔った。
 代々のペットを埋めて来た所に埋葬してやった。毛布も一緒だ。

 竹千代、ありがとう。

石、宝石、鉱物のこと

 「道端の石ころが宝石に見たら君も一流」

 これは、坂出達典『ビターズ二滴半 村上三郎はかく語りき』の文中、村上氏の言葉であるが、最初は、路傍の石が宝石に見えることなどあるかしら。
 と思っていたが、よくよく考えてみれば、人工的な造りをされた宝石よりも、そのまま生の形を持った路傍の石の方が大小さまざま色色な形があって素敵じゃないか! と云う事に気が付いた。

 宝石は人工的な技術としての幾何学や職人の腕などが冴え渡っていて、それはその凄さがあるのだけれど、矢張り生彩を欠いた感じがする。

 一方、磨けば光る、ダイヤの原石、と云う言葉があるが、宝石以前の原石、鉱物は凄く好きだ。
 理科標本などを眺めることがあると矢張りそこにある生命力と云うか、生の雰囲気が少し出ていていいと思う。正直、カット前より欲しい。

 元来、ダイヤなどの宝石なんて価値があるのかなあ、と疑問視していた所で、その言葉をもらい、駐車場の石粒を見ていて、はたと思い付いた。
 宝石と石ころなんて変わらない、と思っていた所に投げかけられた言葉である。補訂しておくと、その投げかけられた言葉によって石も宝石も価値が無い、と云っているわけではない。宝石も石も貴いんだ、と考えたのである。
 逆説的に云えば、「意味」と云うものなんぞは人間の考えたことなので全ての物には意味があり、意味が無のである
 ただ、私としてはカットされて原型を失った宝石(云わば死んだ鉱物)よりも、色色な形をした石(生きた鉱物)の方に惹きつけられる次第である。

 もっと石の声を聞けなければ駄目である。

 『ビターズ二滴半』はまだまだ読み込みが足りないので、再読再三して読み込まなければいけない。
 それにしても、ここまでの克明な村上氏の言動を記録し、伝えることの出来ている坂出さんの文業には驚かされた次第である。



『シュルレアリスムと抒情による蜂起ーアンドレ・ブルトン没後50年記念イベント全記録』Amazon、日本の古本屋にて委託販売中!

 エディション・イレーヌから刊行されている、『シュルレアリスムと抒情による蜂起ーアンドレ・ブルトン没後50年記念イベント全記録』、都合により出船が登録編集が出来ないので、画像も無く、塚原史さんの単独訳みたいになっていて弱るのですが、星埜守之さん、前之園望、松本完治さん、錚々たるメンバーの翻訳、改訳、解説、来日記録、等収めておりますので、シュルレアリスム、アンドレ・ブルトン、等等ご興味おありの方は是非ともご購入下さい。
 日本の古本屋なら送料が一番安く、クレジット決済も出来て手軽なので、そちらがおすすめですよ。

 以前書いた、新刊入荷、の記事をより詳しく書いてみたりしました。

 いい本ですぞ〜。

百離侫.鵝研究ブログ、「鬼園山房」、開設しました

 百慮Φ翡が再燃してきたので、姉妹サイトとして、鬼園山房を立ち上げました。まだ何も書いてないですが、百隆慙△了は全部そちらに書いていく予定です。

日本の古本屋で頑張ろう!

 アマゾン向けのものと日本の古本屋向けのものが本によってあるのですが、日本の古本屋にあるべきものがアマゾンにしかない、と云うことがちょこちょこある。
 一組合員としてはえっほえっほと日本の古本屋に力こぶを入れて行きたいと思ってます。
 まあ、私は全集系を扱うことが多いので、そういうものは基本的にアマゾン向けではないのですが。
 ちょっとしたものならアマゾンに沢山あるのですよねー。
 そして謎の価格破壊。
 これにはあまり合わせませんが、うーん、と唸ってしまうこともあります。
 よし! 日本の古本屋頑張ろう!

新刊入荷

 エディション・イレーヌの新刊、『シュルレアリスムと抒情による蜂起ーアンドレ・ブルトン没後50年記念イベント全記録』入荷しました。
 現在、HPはないので日本の古本屋かアマゾンにてご注文下さい。
 日本の古本屋の方が送料は多少ながら安くできます。

 皆さま、貴重な証言、記録、資料の数数を是非お手に取りくださいますよう。

エディション・イレーヌのインフォメーション

 みなさん、エディション・イレーヌのインフォメーション、読まれてますか?
 新刊書籍のチェックに目が行きがちですが、インフォメーション、相当面白いです。
 松本先生の美文と、その豊かな学識により満足できる世界が広がっています。
 新刊書籍の発表と同時に更新されることが多いのですが、それ以外にも更新されることがあり、個人的には書籍紹介が素敵だと思います。

 まだ、手に入れてませんが『ビターズ2滴半』これは非常に気になる内容です。欲しい・・・・・・

 そして、個人的には邦訳されている単行本を揃えたのはコルヴォ―男爵でした。

 『ヴェニス書簡集』、『コルヴォーを探して』、『コルヴォー男爵』、その全てが興味深く、感動を覚えました。

 お願いです、河村先生、コルヴォーを邦訳してください・・・・・・私、外国語読めないんです。

 最近では、サン=シル=ラポピーに行かれた訪問記が良かったです。名文を写真付きで楽しめます。特に、『あの日々のすべてを思い起こせ――アンドレ・ブルトン最後の夏』を読まれた方には読んでほしい文章です。

 7月23日付記
 インフォメーションが更新されておりました。
 8月11にLIBRAIRIE6さんで開催されるトークショー「詩人アンドレ・ブルトン」の案内でした。
 前之園先生は今回の新刊でブルトンの詩の新訳と、その詳細な解説を書かれたお方です。
 インフォメーションでは松本先生がフランスへ行かれた事のまた詳細な話をされる、との事です。
 ご都合の宜しい方は是非、LIBRAIRIE6さんへお問い合わせください。

ツイッターで呟いたこと。その修正文。

 今月15日、東京恵比寿はLIBRAIRIE6 / シス書店さんで、塚原史先生と松本完治先生の対談会がありました。
 出船は行けませんでしたが、中中盛り上がりを見せたようで。

 塚原先生は最近、『ダダ・シュルレアリスム新訳詩集』を刊行され、その前にもツァラの『ムッシュー・アンチピリンの宣言 ダダ宣言集』を上梓された方ですが、『ムッシュー・アンチピリン』は読みやすさと解説の熱が伝わっていい本でした。
 松本先生はエディション・イレーヌから今月、『シュルレアリスムと抒情による蜂起』を上梓されました。去年アニー・ル・ブランさんが講演されたものの全記録です。こちらにも塚原先生が関わっており、また、前之園先生のブルトンの新訳、解説も掲載されております。星埜守之先生も携わっておられます。
 LIBRAIRIE6さんのブルトン没後50年のギャラリーもフルカラーで載っており、大変見応えのあるコレクションに大満足です。だって、ブルトンのデカルコマニーとかあるんですよ!
 最後の、松本先生の文章はアニーさんの来日記録が書かれてますが、これも読み応えあり! 名文です。ただの記録を超えてます。
 アニーさんを招く準備から始まり、招聘、講演会、その後の日本案内、アニーさんが時折呟く警句の数数。現存する、シュルレアリスト「だった」人間への評価。これはただの来日記録ではありません。貴重な、大いなるシュルレアリストの証言です。
 じかにエディション・イレーヌさんへお問い合わせ頂きたい。
シュルレアリスムに興味のある方は是非とも手に取って頂きたい書籍です。

エディション・イレーヌ新刊本

エディション・イレーヌ既刊本






ブルトン没後50年記念出版 4冊読了

 巨星アンドレ・ブルトン没後50年の本年、エディション・イレーヌさんから4冊もシュルレアリスム関連の書籍が発刊されました。

 どこの大手出版社も成し遂げなかった偉業と云って良いでしょう。
 この記念すべき年に何も成さなかった出版社の目は節穴ですな。


1 太陽王アンドレ・ブルトン

アンリ・カルティエ=ブレッソン アンドレ・ブルトン 松本完治訳

 先ずはブレッソンの写真と文章から。太陽王とは彼なりの冗句でもあるのだが、ブルトンの言動はまさに太陽王である。こと、ブレッソンの写真は石を拾うブルトンの喜々とした様を写しており、その瞬間を捉えた腕は本物である。
 また、付されたブルトンの「石の言葉」も面白く、それに対する膨大な注釈も圧倒された。

2 あの日々のすべてを想い起こせ―アンドレ・ブルトン最後の夏

ラドヴァン・イヴシック 松本完治訳

 まるで小説のような物語。美しき訳。
 間違いなく、今回の刊行の目玉でしょう。
 一気に二度精読したが、その豊かな情緒性は師、生田耕作の訳文を上回るもの。
 一つのジャガイモを買いに行かなければ、イヴシックの人生は変わらなかった・・・・・・
 晩年のブルトンの姿も伝わらなかった。ブルトンの「客観的偶然」が齎した美しくも哀しい書籍です。

3 等角投像

アンドレ・ブルトン  松本完治編 鈴木和彦・松本完治訳

 ブルトンが発掘した22人もの画家の作品を一挙掲載。
 てっきり、絵画がお目当てかと思えば、付された、エッセイ、インタビュー、愛読書リスト、年譜・・・・・・
 全てが素晴らしい!
 愛読書リストは意外なものがあるし、かと思えば年譜は生まれて初めて読書で満腹感を物理的に覚える、と云う体験を味わった書籍。限定500部なのでこれは抑えたい一冊!

4 換気口 

アニー・ル・ブラン 前之園望訳

 換気口の著者、アニー・ル・ブランは唯一現存するシュルレアリスムの精神をブルトンから受け継いだ、後継者、と云っても過言では無い存在。
 そのレトリックは私には難解な個所も多く、全てを理解したわけではないですが、「ポエジー」による「世界の改変」を語られているような気がした。
 また、私としては、「展望の不在のせいでまだ世界の終わりに憧れている人」、「愛することの意味は他の全ての意味を与える」、と云う言葉は響きました。
 詩と云えば、ポオの「ユリイカ」を思い出したのですが、アニーさんの場合、より具体的に、詳細に、ポエジーに言及しており興味深かった。
 また、エディション・イレーヌの新刊予定に、アニー・ル・ブランの来日された際の講演録が出版される予定になっているので、こちらも楽しみである。

 以上、4冊、素晴らしき書籍たち。
 出船書房も一人でも多くの方に読んでもらいたいので、アマゾンで販売しております。中には既に中古で値が付いている書籍もありますが、出船書房が生きている間は、新刊がある限り、委託を受け続けるつもりですのでご安心を。
 ただ、品切れには対処しようが無いので、ご注文はお早めに。

太陽王アンドレ・ブルトン
アンリ カルティエ=ブレッソン
エディションイレーヌ
2016-05


あの日々のすべてを想い起こせ―アンドレ・ブルトン最後の夏
ラドヴァン イヴシック
エディションイレーヌ
2016-10


等角投像
アンドレ・ブルトン
エディション・イレーヌ
2016-09


換気口
アニー ル・ブラン
エディションイレーヌ
2016-10

信条

 精神的に貴族たれ。

私は人間が嫌いである

 おおよそ、私は人間が嫌いである。

 漱石式の個人主義者である私だが、故にか人間が嫌いである。

 功利功利の合理主義を嫌悪していることは以前にも書いたが、人類史を見て行ったり、講演を聴いたりすると、結局絶望させられるのである。

 人間が嫌い、と云うよりも正確に云えば、パンク寸前の資本主義の社会システムが大嫌いである。

 そして、サービス残業当り前、自らを社畜、と甘んじる人間。

 勝ち組負け組と阿呆臭いことを抜かす連中。

 その中で人間性はどこへ行ったのやら。

 便利より不便の方が大分いい、とは「たま」の歌詞にもあるが、全くその通りで、文明の度合いが高まれば高まるほど、如何に生産するか、如何に消費するかのシステムがより強固になって行き、自身が消費物のような人間ばかりである。

 それは人間なのだろうか?

 思考しない人間。向上しない人間。消費物の人間。

 それは人間ではない。

 パンツをはいた猿である。

オッペケペー

 パソコンのファイル整理をしつつ、昔書いた文章を読んでいたら、資料にしようと思って残しておいたオッペケペー節があったので、なんとなく掲載しておく。
 ただ、無断掲載なので、問題があれば削除します。

欧米漫遊の川上一座が、専売の「オッペケペー」をお聞きに達しまする。
ままにならぬは 浮世のならい 飯(まま)になるのは米ばかり
ア オッペケペー オッペケペッポー ペッポッポー
不景気極まる今日に 細民(さいみん)困窮かえりみず
目(ま)深にかぶった高帽子 金の指輪に金時計
権門(けんもん)貴顕(きけん)に膝を曲げ 芸者幇間(たいこ)に金を蒔き
内には倉に米を積み ただし冥土のお土産か
地獄で閻魔(えんま)に面会し 賄賂使うて極楽へ
行けるかえ 行けないよ
オッペケペー オッペケペッポー ペッポッポーィ

親が窮(「貧」が正しい)すりゃ緞子(どんす)の布団 敷いて娘は玉の輿
オッペケぺー オッペケペッポー ペッポッポー
娘の肩掛け立派だが 父つぁん毛布(けっと)を首に巻き
どちらもお客を乗せたがる 帰り車(人偏)は駆け引きだ
本当に転覆(かえ)しちゃ危ないよ オヤいけないね
オッペケペー オッペケペッポー ペッポッポーィ

老猫往生

 今日、田舎に帰ったら猫が死んだ、との報せを受けた。

 うちに引き取られた時から年齢は分からなかったが立派な成猫で、にゃーにゃー鳴いていた。

 私が大学生時代に下宿している間にいつのまにかいたから、たまに帰ってくる私は殆ど他人だった。

 猫は家につくのだなあ、と思ったりもした。

 犬を飼うようになると、懐かない猫より従順な犬を可愛がっていたため、猫にもそれが通じてますます距離が遠くなった。

 一度だけ、私に布団に潜り込んできた時もあったけれども、一度きりで二度はなかった。

 どうもこいつは違う、と思われたらしい。

 引っ越して犬は引き取ったが猫は田舎に預けた。同時に飼うのは困難だったし、家人に懐いていたからそうしたのである。

 家人が留守にする度に、水やエサを与えるくらいで、あとは帰省した時に顔を見るくらいだった。

 晩年はにゃーにゃーが、ぎゃーぎゃーになって鳴いていたし、爪とぎをしなくなったので爪が肉球に刺さって膿んだりもした。

 最後は家人が看取る中、ゆっくりと息を引き取ったらしい。

 大往生である。

 惜しむらくは、最後の最後まで私に懐かなかったことである。

ドヤさんの観察対象

 先日、ロングの千代松を思い切ってサマーカットにしました。
 思いっきり短く頼んだので、出来た姿を見て思わず笑ってしまいました。
 いつも毛の長いロングだったのでイメージ激変。

 イメチェンもいいですね。

 そんなイメチェンした千代松を見たドヤさんの第一声。

ド「うわー! 千代松さん、巨根!」

 ちんこさえついていれば人間でも犬でもまず、股間から。
 それがドヤさん式。

先年ながら

 昨年、野坂昭如の訃報がショックだった。
 小説、エッセイとそこそこ揃えていたし、幻戯書房の単行本未収録小説集成の『20世紀断層』も買ったりしていた。
 その直後に訃報が届いたので驚いた。
 リハビリ中で年も年なので仕方なかったことだとは思うのですが。
 野坂氏一代で焼跡闇市派はなくなってしまいました。

 いい意味での戦争の引きずり方をした数少ない人だったと思うので、個人的に残念です。少しずつ不穏な世相に一喝を入れるのを、まだかまだかと待っていたのですが。

 妹さんに謝ることが出来たら良いなと思います。

 目礼。

生きてます

 ツイッターが主になった子がブログをおろそかにした時、みんなで「だからツイッターは駄目なんだ!」ってなことを云ってた一人ですが、見事にツイッターにはまってしまってブログの更新がおろそかに。
 某君、ゴメン!

 反応が即座に出たりでなかったりで、ツイッターはリアルタイムなので面白いのですよね。
 私は商売もしてます! 売りつけて買っていただいております!

 基本は読書感想が主ですが。

 ブログでもツイッターでも、商売のことばかり口にするのが嫌なんですよねー。
 他の方から、もっと活用すればいいじゃないか、とも云われたのですが、だべっているほうが楽しい。無駄口が面白い。
 かと云って、私物の読書感想して欲しい!って反応来ても、ううむ、となってしまうので。
 古本屋失格です。

 それでも、なんだか最近特装本が嫌に気取っているように思えてきたので手放すつもりです。もう、次の持ち主は決まっているので高めに手放したいですねー。

 来月は飲み会食事会多々、って感じで。

 おや、今年も終わる。なに、来年もあるさ。ブログの更新もきっと来年さ!(違

連日

 猛暑ですね。
 私はデスクワークが主なので、書斎でエアコンと本の打ち込みです。

 なので、そんなには暑さにやられてないのですが、それでも犬の散歩に行ったり、寝苦しかったりするだけでも今年はあかんだろうと実感します。日が出た瞬間から湿度と相俟って危険です。

 汗かくのは全集系の注文の箱詰めくらいでしょうか。なんて贅沢。

 今年は電気代が怖いですが、暑さにやられるよりはいいでしょう。

 頼むよ、電気代・・・・・・

 現在、『馬琴草双紙集』読み中。ワンパターンなところもあるけど面白い。流石馬琴。

夏に備えて

 扇風機を買いました。
 もう、10年以上使ってきたものばかりで故障も出てきていたので。

 居間、書斎、寝室に一つずつ。

 旧扇風機はお役目御免となり、隠居が一台。二台は置いておくわけにもいかないので処分。

 処分は「こわすごみ」として、買った翌日が捨てられる日だったので早速処分。

 朝早く目覚めたので、二台に別れを告げる。今までありがとうございました。

 そして、朝の犬の散歩で既にない扇風機。

 あり得ません。ゴミ収集車が七時代にくるわけないです。

 そんな事を思いながら、家人と朝のコーヒーを飲んでその事を話すと、

「あーこの辺外人が持ってってバラしてお金にするんだよ」

 こわされるだけがいいか、バラされてお金になるのがいいのか、扇風機とは微妙な別れになってしまいました。

犬を釣れ!

 最近、千代松が何を考えているのか散歩時にケージから出てきません。

 完全に引きこもり状態です。出れば活発なのですが。

 毎度毎度工夫して引きずり出してます。エサを置いても容易に出てこない。
 何が彼をそうさせるのか謎です。

 あと、私の顔を見ると必ず水を飲み始めるのも謎です。

さりげなく

 日本の古本屋、始めました。
 販路を広げよーってことで決定です。
 まだ全然出してませんが、これから少しずつがんばるよー。

 日本の古本屋で検索して貰えば、エディション・イレーヌの委託本で取り扱ってる範囲は多分、どこよりも送料安く提供できると思います。品物は新品ですよ。委託品ですから。

 少しずつ商売商売。

この中の発言の一つだけ嘘です

ド「手淫運転は危ないわよぅお!」

ド「やったわ! セックス依存症が治ったわ!」

ド「男の股間に顔うずめて寝たいわぁ」

ド「あー疲れたわぁ。オカマ忠臣蔵、観たいわぁ」

 どれか一つだけが嘘です。

 そんなドヤどや録。

ブログ開設

 あのドヤさんが、ブログを作りました。

 ドヤさんの内面を覗きにいってみてね。

 めけめけどやさん

 あ、ドヤどや録はそれなりに更新しますよ。交互にお楽しみ下さい。

車よ止まるな、私は帰りたい

 先日、珍しく遠出しまして、その帰りに一号線のど真ん中で車が停止しました。
 ど真ん中でも二車線の右側で、信号の先頭で止まってしまったので、クラクションを鳴らされるだけで済みましたが。

 すぐ、アラートランプを出して車の側から誘導。
 さっと保険会社に電話を入れて対応して貰い、その後警察に電話。
 誘導等は素人では危険なので、ランプだけ出しておいて傍に避難して下さいとの指示。

 警官到着後、試したら多少の前進が出来たので、脇のお店に許可を取り止めさせて貰いました。
 車で待つこと数十分、レッカー到着。
 そして車はレッカーで通ってる車屋さんへ。

 私は私で家人に連絡を取り、帰宅。その後車屋に電話で事情を話して修理。

 結果的に、ガソリンメーターが止まっていた事によるガス欠で、修理代は覚悟を下回っていたのですが・・・・・・

 いや、まあ、事故も起きないよう努めたし、対応は頑張った。

 レッカー待っている間に、止めさせて貰っているお店の人が気を利かしてくれて、缶コーヒー(ほっと)を下さりました。ありがたい反面、惨めな自分に泣きそうになりました。

 私は、この日を忘れない。

ドヤさんと千代松、竹千代

 小さい頃の竹千代は人の足も顔も舐めて舐めて舐め尽くす、という趣味があった。
 最近は「なでて」ポーズをしますがあまり舐めてはこないですね。ケージから出ると飛びかかってきますけど。

 今でこそ日に二回の散歩を心がけているのだが、昔はケージから出ることが少なかった千代松と竹千代。
 もっと遊ばせてやってもよかったのだが、庭で駆けめぐるようになったのは結構後。

 見た目からして可愛い千代松と対照的に、観察してるとかなり可愛い竹千代。
 あいつは味があります。びびりですけど。

 ただ、昔からかわいいかわいいと自慢していたし、人に噛み付くことは滅多にないので、犬の平気なお客さんが来ると遊んで貰っていた。

ド「わあ、かわいいぃ!」

 ドヤさんも感動。

 家人にキッスする竹千代。私に撫でられる千代松。ドヤさんが屈んだとき、竹千代がきゃっきゃとドヤさんにダッシュして、キッスをしようとした。

 瞬間、「しまった!」とばかりに前足に全体重を乗せ急ブレーキを掛け、反転していく竹千代。

 普通にドヤさんは傷ついた。

 今ではドヤさんはしょっちゅう旧悠覧亭にも新稿悠覧亭にも遊びに来てくれるので、すっかり懐かれてます。
 懐かれたきっかけは、千代松がドヤさんの靴におしっこをかけたことからですけど。

 散歩手伝って下さい〜、と頼むと、うんこを拾う以外のことはしてくれますし。

 松、竹をかわいがってくれるので、飼い主的には感謝してますよ。

ドヤを投げた日

 先日、普通に人がいるところでドヤさんをぶん投げました。

 まあ、セクハラとパワハラを兼ねてきたので、それへの対応です。云って聞く人じゃないので。

 綺麗に投げたものの、ドヤさんが踏ん張って私もこける。そのままドヤさんへ体落とし。

 それを見ていた人たちは「ドッ」と笑った。

ド「なんであたしが投げられるとみんな笑うのよぅお! そこ、怒る所よぅお!」

諸「まあ、それは一つの人徳かと」

 実際、それで救われているドヤさんだと思う。

セル画

 今月誕生日でした。
 私もいい年です。落ち着きを持って行動していきたいものです。
 誕生日に、小学生から友達の友人からアニメのセル画をもらいました。
 小学生時代の約束が、今果たされたのです。

 いや、むしろ、今は恥ずかしいから!

 小学生の頃の二次元初恋のキャラのセル画もらっても恥ずかしいから!

 しかも、10人くらいの友達の目の前で渡さないで! 拷問!

 さっと隠してさっと持って帰りました。

家「なにこれ?( ´_ゝ`)」

 嗚呼、家人の視線が痛い。

諸「えーと。二次嫁?」

 すかさず極まる家人のアームロック。

 があああああああああああっっっ!!

諸「これ以上はいけない!」

 私もいい年です。落ち着きを持って・・・・・・

極地

 先日届いたアンドレ・ブルトン『マルティニーク島 蛇使いの女』読了。

 発表順、形式はバラバラという恐ろしい書物。
 だが、ブルトンの見事な構成力で一冊の書物に人間の美と醜。ブルトンの言葉で云うと「耐え難い不安」と「輝かしさ」が一点に集中した書籍である。

 アンドレ・マッソンの挿絵も見事なもので、イメージの奔流が心地よい。

 あとがきも力が入っており、本編の解説並びにブルトンの後のアニー・ル・ブランまで言及されており面白い。アニー・ル・ブランは『塔のなかの井戸』のイヴシックの奥さんですが、ブルトン没後の謦咳を受けた人物としても活動されております。

 文中、合理主義への批判もあったのですが、それは私が常常、合理合理のごりごりが嫌だと云っていることと共感する部分もあり、頷きながら読めた。

 一読しただけでは多くの注を咀嚼出来なかった部分もあるので、間を置いて再読したい書籍ではあるが、よくこれだけの注を付けたなあ、と感心させられます。

 随所に暗喩や詩人からの引用がありますしね。

 これからもエディション・イレーヌには期待です。

シュルレアリストが作ったエクゾティズムの書物では唯一無二のものだ

 エディション・イレーヌより新刊書籍発刊。

 そのタイトルはアンドレ・ブルトン『マルティ二ーク島 蛇使いの女』

 新年早早、ブルトン到来!

 恐らく、多くのファンが予告に期待し続けてきたタイトルではないでしょうか。

 アンドレ・マッソンの挿絵も9葉あり、恐ろしく充実した書籍。

 是非、ご購入を!
我輩はディレッタントである。無恒産者無恒心。財産はまだない。何処にでもいる中年のバンカラである。近代文学中心。古書、出船書房店主。
記事検索
Recent Comments