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日蓮は法華経を一乗とする立場から厳しい他宗批判を行った。その要諦は、四箇格言(しかかくげん:諌暁八幡抄、御義口伝上等による)に明確にあらわされている。当時4つのメジャーな宗派を謗法(誹謗正法の略)として、快刀乱麻に切り捨てる。これは、こ気味よき批判といったレベルをはるかに通り越して辛辣のきわみと言ってよい。

曰く、真言亡国(真言宗は亡国の教えである)、禅天魔(禅宗は魔の教えである)、念仏無間(念仏宗を信じれば無間地獄に落ちる)、律国賊([真言]律宗は国賊である)というのだから取り付く島がない。

その前提として、日蓮は、法華経以前の釈迦が説いた教えは、全て「方便」として示されたものであり、その教えでは成仏はかなわず(爾前無得道論)、積極的に法華経に帰依することのみが成仏の道であると説く。もっとも、日蓮逝去後、日蓮宗派内でも法華経のなかでの重要部分とそうでない部分(迹門(しゃくもん)と本門)に分けて論争するという「内部分裂」を生むので、実はそう単純な話ではない。



【真言亡国論】

真言宗は大日如来を第一とする。大日如来は大日経などによる法身(架空)の大日如来で、実在の釈迦の位置づけは相対的に低い。しかし、大日経>法華経、大日如来>釈迦(如来)の考え方は完全に過ちであり、これを信じる限り亡国はまのがれない、とする。また、その前提として、天台宗>真言宗の考え方があろう。



【禅天魔論】

禅宗の考え方には、道元で有名な正法眼蔵の言葉がある。これは、大梵天王問仏決疑経の中の正法眼蔵、涅槃妙心、実相無相などの考え方に根拠があり、かつ文字を立てず教外に別伝する(不立文字・教外別伝[ふりゅうもんじ・きょうげべつでん])を旨とする。

日蓮は、この根本である大梵天王問仏決疑経を偽経とし、涅槃経からの引用(「仏の所説に順ぜざる(したがわない)者あれば、当に知るべし、これ魔の眷属なり」をもって、禅宗を天魔の教えと批判する。



【念仏無間論】

ここは既に述べた。特に法然への批判が強い。日蓮は法然の主著『選択本願念仏集』から、捨、閉、閣、抛の言葉と取り出しこの4字をつなげ、浄土宗批判の標語「捨閉閣抛」(しゃへいかくほう)をつくる。法然は主体性なく「捨て、閉じ、閣(さしお)き、抛(なげう)って」念仏せよと説いたとし、これは積極的に生きる導きの法である法華経の教理からはなれ、むしろ法華経を誹謗するものと解釈する。そして、法華経譬喩品には「この経を毀謗する者は阿鼻獄(無間地獄)に入る」と説かれていることをもって、念仏は無間地獄への法であるとする。



【律国賊論】

律宗(真言律宗を含む)の教えは、釈迦在世の「正法」時代の法であり、その後の「像法」時代をへて今日の「末法」時代にはそぐわないとする。一方、修行に励み高潔な人徳をめざす当時の律宗の代表選手、叡尊や忍性といった高僧については、一見、社会事業を行っているかに見えるが、これは権力と癒着し、国の税金を配分しているだけである批判した。律宗は、現実からはなれ権力と結びついて世を誑惑させる教えであり、戒律を説き清浄を装う律僧は人を惑わし、国を亡ぼす国賊であるとする。


(以上、『日蓮の本 末法の世を撃つ法華経の予言』
1993年 学研 およびhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E7%AE%87%E6%A0%BC%E8%A8%80 を参照)



これらの批判は当時の世情にあって、相当な説得力をもつものもあったであろうが、いささかならず一方的なきらいもある。果たして、「諸法の王」と呼ばれる法華経自身にかかる排他的な考え方が横溢しているのかどうか、そこは十分な検証が必要である。