【アウトサイダーの遠吠え】 はみだし駅長ブログ

     

この地に自生するコウホネが

こともなげに迎えてくれた日

頑固そうで怪しいほど黄色の花

繁茂する骨のような茎をひた隠し

寡黙ながら凛とした姿で現れたあの日

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アベリアの白く小さな花びらが放つ芳香に

ふと立ちどまった日

夕焼けのメランコリーを引きずって

蠱惑的なつぼみにとらわれたあの日

そんな景色を懐かしむ

白髪まじりのおとこがいた

もうすぐ

この地から忘れ去られるおとこ



草花には

ひとを感傷に浸らせる力があるという

その秘密を知りえたこと

そんな健気な彼女らに出逢えたこと

それを想うだけで

おとこの脳天はグニャグニャになるほど

沸騰してしまうのだ



ゆめ無きうつつの味気無さ

仕組まれたおとこの脳髄は

あの頃

きっと

うつつがゆめであることに

打ち震え愉しんでいた

        

こうして

この地はおとこの言葉の外側に

 新たな言葉の沃野があることを

 気づかせたに違いない

それはおとこにとって

予想だにしない衝撃だった

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『この地を愛せよ』と命じたのは

 誰だったのか

 その犯人捜しをしたら

 想わぬ落とし穴が待っていた

 視えない犯人は己れのなかに

ひっそり棲んでいたのだ

 能面にも似たのっぺらぼう

異邦人よ



もうすぐこの地の草花が

 誇らしげに咲き始めるころ

 おとこは

 規則という垢だらけの欺きにへつらい

悟り切ったような

 薄ら笑いをつくりながら

 この地を去ろうとしていたのだ



 だがおとこよ

 偉そうに振る舞うことはたやすいが

 その我欲にまみれたこころのシワを視よ

老い腐り悪臭にまみれた醜態を直視せよ!



 この不意撃ちに

 虚心に向き合うことのむずかしさ

 果たして

天の声がおとこを救うことができようか

『シュウタイヲチョクシセヨ!』






 この地は自然の恵みにあふれていた

 澄んだ風・四季を演ずる大地

海と緑・野鳥と沼

可憐な花々と勁き草々

そして

それらにまとわりつく蝶と虫たち

 しかし

 その自然の恵みの真ん中に

 「ひと」がいることを

 だれも気づけないでいた



花のように無垢で

儚くて

哀しくて

愛すべき「ひと」が

たくさんの生き物のなかに

混在していることを

だれも気づけないでいた



そして

恐ろしいことに

その「ひと」が

実は古から言葉を持ち

ほんとは言葉を探す生き物で

その探し当てた言葉を

やっとの思いで口にするということ

その激しくも美しいわななきに

だれも気づけないでいた



 そんな言葉の未開の地

 この地は

 だから不思議な「くに」であり

 こんなにも去りがたい「くに」だった



 異邦人はいま

 そんな思いを抱え込み

 この地を

さらに後生大事に生きようと

 かなり深い淵をのぞきながら

 思っていた

                        end



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エピローグにかえて



前回の195回目の更新で本『駅長ブログ』を閉じる宣言をしました。

ところが、「まだ駅長しているじゃないか。書かないといけません!」と

仲間から(特に女性陣)お叱りを受ける始末。

そこで、思案した結果、このようなお粗末な詩の形をとって、思いを綴る

ことにした、という次第です。


どうしても、「対話」にこだわる己れから離れることができませんでした。

言葉をもつ人間同士、いずれは判り合える関係であることを信じ、己れから逃げることなく向き合うことが希求されている、と改めて思いました。

詩のフォームは考えず、過去と未来の接続点としての「いま」の思いをイメージしたままに書きなぐった感じです。

散文とは異なり、非力ゆえに多くの時間を弄してしまいましたが。


結局、私は異邦人感覚から抜け出ることができないのでしょう。

生まれてこの方、「異邦人」であり続け、これからもきっとそうなのです。

とまれ、この地で素晴らしい仲間に恵まれたことで、「異邦人も捨てたもんじゃない」、と思えたことは大きな至福となりました。

ご笑覧くださった読者各位に改めて感謝申し上げます。



【啓蟄の朝に思う】

 『ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる(ためし)なし。』

この美しくも象徴的な書き出しをもつ『方丈記』に、還暦間近の作者が閑居での生活ぶりを吐露している興味深い一節があります。

 『・・或は()(ばな)を抜き、岩菜を取り、雫余子(ぬかご)をもり、芹を摘む・・』というとてもリアルな独り暮らしならではの「食」にまつわる一面が描かれています。

 「茅花」は子供のころから普段にその辺にあった麦に似た雑草であり(その実を食する)、「岩菜」は「いわたばこ」のことで山野草として珍重される紫の可憐な花の実であり、「雫余子」は今日でも秋になると《食菜館くらら》の棚に上げられる小粒なヤマイモの一種、「芹」は当地でキリタンポのお供として欠かせないあの芹です。

 私がこの雫余子の正体を初めて知ったのは、或る農家の方が出荷した《食菜館くらら》の棚のなかででした。

 「ああぁ、これが長明のゆう雫余子なんだぁ!」とそのどんぐり状の小ぶりな姿を発見して興奮したことを憶えております。

 その興奮はこの雫余子がきっと一千年以上の昔から、広く先祖が食してきたこの国の在来品種であり、そのことを他ならぬ今年で没後丁度800年となる鴨長明によって教えられたからではなかったか、と思っています。

 私の心の師匠は、ほとんどが現存しないのですが、鴨長明はとびきりインパクトの強いわが師のうちの一人です。

 

 あの頃の私は『方丈記』に出会い、鴨長明という人物に痛いぐらいの共感を覚えながら新しい職場となった《天王グリーンランド》に通っていました。

 その出会いのタイミングや『方丈記』の考えと文脈に何やら運命的なものを感じていましたから、私はその豊かな語りが織りなす景色を愉しみながら、ハンドルを握っていました。

 というのは、ジュンク堂書店から川久保潔の朗読、堀田善衛の解説によるCDを買い込み、車で往復一時間の通勤時、毎日のように聴きながら通ったからでした。

 片方の風景が日本海の水平線を仰ぐ道を走りながら聴く『方丈記』は、何とも言えない贅沢な時間であった、としみじみと回顧することができます。

 『方丈記』には、還暦を過ぎて尚、我執にとらわれる私に遠くから「喝」を入れられているような、こころを無垢にして傾聴させられる長明の語りが多く含まれていました。

 いや、正確に述べますと、それを聴いているうちに、こころ無垢にさせられた、と言うべきかもしれませんが・・。

 

 鴨長明という人物の魅力は端に偉大なるエッセイストにとどまらない。

 「ひとり調べ、ひとり詠じて、みづから(こころ)をやしなふばかりなり」と文中にあるように、彼は琴と琵琶を御前で奏するほどの当時一流の芸達者であったと言われております。

 その音楽を愛する姿勢と、『方丈記』全編に沁みこませた交響楽的な構成と文章の躍動感に私は一発でノックアウトされてしまいました。

 私が真正面から鴨長明に向き合った年齢は丁度閑居のたたずまいを通したであろう彼が没した歳とピタリと重なっていたことも、因縁を感じさせました。

 そして、それ以上に因縁を感じさせたのは、このエッセーが書きあげられた時節が「弥生のつごもりごろ」、つまり三月の下旬であった、とゆうことなのです。

 

 初めて『方丈記』を傾聴しながら《天王グリーンランド》に赴任したのが3月の初旬、このたび心残りではありますが当地を去ることになったのも3月末、そして、その『方丈記』が書き上げられたのも弥生のつごもりごろということで、正に「因縁の弥生3月」と言えるのです。

 また、丁度あの東日本大震災の発生も4年前の3月で、『方丈記』に『おびただしく大地震(おおない)振ること侍りき。そのさま、よのつねならず・・』と千年に一度と言われる「元歴の大地震」に遭遇したことが書かれており、天の配剤と言いますかその奇遇にはとても驚いたものでした。

つまり、800年前の長明と重なる体験を生きている実感がありましたから。

           

顧みると、丁度4年間の勤務期間であったわけですが、それはあたかも《天王グリーンランド》という大学に入学し、無事卒業する期間とも重なります。

 そう、私は還暦を経て、まだ入ったことのなかった4年制の実業大学の専門課程を終えて、目出度く(?)卒業するのです。

 このキャンパスには諸先輩やら部活や研究室の仲間がたくさんいらして、出来が悪く素行不良の私を無事に卒業できるよう激励をしてくれたのでした。

 まるで、あの「寅さん」が葛飾柴又の故郷から出立して(旅立ち)いろんな人たちと出会い(通過儀礼・冒険)、また故郷に戻ってくる(帰還)という映画の基本のスタイルと一緒のようです(笑)。

言わば、北野タケシみたいに4年という超のつく長い映画『天王グリーンランド物語』の監督・脚本・主演を一手に実践したかのようではありませんか?

 

 それにしても、ほぼ(よわい)を同じくする彼の鴨長明と大きく異なるところは、私には孤独を求めて「方丈の閑居」に甘んずる長明とは対極で、いつも身近に多くの慕うべき仲間が居てくれた、ということなのです。

 いずれ劣らぬ眩いほどの清純な魂を宿した素敵な仲間のみなさんです。

 振り返ると、私にはいつも、いつの時代もたくさんの支援者がそばに付いていてくれ、ともすれば「迷走」しがちな私を我執に捉われる悪癖から救ってくれたように思います。

 ですから、いま、《天王グリーンランド》というキャンパスに別れを告げるに当たって、その有り難さを反芻することしきり、というのが偽らざる心境なのです。

 

 『方丈記』を読んだり聴いたりしているうちに私のなかで育成され、豁然となった一つの考えを締め括りに記述します。

 それは次のような一条に集約されると思われます。

 『大自然の欠片(かけら)のような生き物である人間に「人生の目的」などとゆうものは元より在る筈もない。この世の生き物はただ「そこ」に生まれ、生きて、生かされ、死ぬのみだ。

であればこそ、私には生きていることや生かされていることの意味を全うに考えることが求められているのだ!・・・』というものでした。

これ即ち、鴨長明が800年の時を超えて、私に垂れた「訓え」であったのです。

私が我社において、頻りに「目標」「目的」を持たないといけない、と張り叫んだ背景には、きっとこの長明の訓えが内包されているのです。

どうか、このことを多くの後輩のみなさんに知っておいて欲しいと思います

(だって、チームを組んで営利事業に従事しているのですから、「目標」が無いなんて、あまりに辛いことではありませんか(笑)?)

 

 

 それはそうと、ここらで改めて告白しなければならないことがあります。

実は私、前回の本ブログ【分かちの儀式】を書き終えたあと、何かしら虚脱感にも似た空っぽというか魂の抜け殻のような気分に襲われてしまったのです。

ひょっとして、気心の知れた仲間が大勢そろっての私のための送別会があまりに衝撃的な歓びだったせいなのかも知れませんが・・。

 とにかく、その虚脱感のような真っ白な気分は、回復するどころか、日増しにその鮮明の度合いを高めてきました。

 ああ、この芯棒というか核(コア)が解体分裂したかのような精神状態を何にたとえようか・・・。

 いや、そも、この核の解体はどこからやってきたのだろう・・・?

 そんな途方もない迷路のような思いに引きずられた思いで啓蟄の朝を迎えたのでした。

 そして、きっと、この『ぶつぶつモノローグ』の幕引きを図るときが早めに向こうからやって来たのではないか、と悟った次第なのです。

 そこで、つい先日までは、何としても「目標の200回更新を果たす」と大見得を切っていたのですが、今回の195回をもって閉じさせていただくことにしました(正確には次回の『退職のご挨拶』が最終ブログとなる予定ですが)

 

 2013年の8月1日からのスタートで、無謀にも3日に一篇というハードなペースを己に課して、どうにか冗長なる駄文を書き連ねることができました。

 《食菜館くらら》の仲間、取り分けS・Yさんには、毎回のように校正を依頼しては私の及ばぬところを助けていただきました。

 貴君がいなければ、到底このブログはモノに成りませんでした。

 また、《道の駅てんのう》のWさんらは、更新のたびに駄文を印刷していただき、少しでもみんなに読んでいただくようご配慮くださいました。

 休憩室に入ると、駄文集が綴られており、そこで時おり私も以前のブログを読み返して、「こんなこと書いたっけ?」と妙に感心することがあって、不思議な面白い体験をさせてもらったものです。

 我ながら「これは面白いブログ」と思えるものは数えるほどしかありません。

 でも、ほとんど真面目に読んでくれなかったMさんが(失礼)、嶽きみのKさん夫妻のことを書いたブログだけは(駄洒落?良かった、と褒めてくれて嬉しかったなあ。

 また、「小説みたい」と褒め上手な女性スタッフもいらして、嬉しかったなあ。

 この拙い「モノローグ」が、当初私が意図した「一体感の醸成」に寄与したか否かの判定は今後に委ねるとして、熱心に読んで下さったり、励まして下さった多くの仲間そして読者の皆さんにこの紙面を借りて、心からお礼を申し上げます。

 お蔭さまで、愉しい一年半のブログ生活を体験することができました。

 風化は避けられませんが、今後少しでも、ひも解いてくださってお役に立てることあれば、それ以上の喜びはありません。

 本当に、ありがとうございました。                         end

                                

 

 

 

 

 

 

 

 

【分かちの儀式】

 だいぶ以前の魁新聞の「きょうの言葉」(秋庭道博)に、中江藤樹「翁問答」から次の一節がとりあげられていた。



 『人間千々よろずのまよい、みな私よりおこれり。

     わたくしは我身を、わが物と思うよりおこれり』



 ⇒「あらゆる人間の迷いは、すべて「私」にこだわることから
    起こる。

  その「私」は自分を自分一人だけのものと思うところからき
    ている」。

「私」といえども自分だけのものではなく、大自然や多くの
人たちと無縁な存在ではない。それは、「自分は生きている」
と同時に「生かされている」ということでもある(秋庭道博解説)。



 20年ほども以前に、この「翁問答」に触れた小林秀雄の講演CDを聴いたことがあり、頭の片隅にこの一節が記憶されていたようだ。

 だから、この「きょうの言葉」を読んだ途端、懐かしさと共に一瞬の光明を得た気分になった。

 そして、己の我執そのものの醜い生きざまを想っていた。



 「やり直しの利かない人生という時間、どれほどのことを学び、習得しえたかを考えざるを得なかったけれど、己は未だに自己保身という狭い境地に棲息し、それに執着する生き辛い人間でしかないのだ」

 この「翁問答」が小生に訓えてくれた意味はこうしたものだった。

 だから、先日秋田の《イヤタカ》(小生の以前の職場)で開いてもらった小生の送別会を前にして、内心わざわざ大勢の方々に集まっていただくことに、恐縮至極の心境であった、と告白しなければならないのだ。



 当日は30名を超える職場を共にした仲間が小生のために《イヤタカ》に来て下さったが、社員のみならず主に《食菜館くらら》でお世話になっているお取引関係の方々までお越しいただいて、ますますその恐縮度が強まったのだ。

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 お取引関係のみなさんは小生と同様の団塊世代が多く、その顔ぶれはいずれ劣らぬ素晴らしい感性と実力の持ち主なのだ。

普段から熱心に仕事上の問題や今後の方法などについて相談したり討議したりして、教えを受けてきた小生のブレーンたち(と勝手に思っている)である。

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こうしたブレーンの一人に、産直施設《食菜館くらら》の立ち上げから色々とご指導くださったY氏もいたのだが、当日のスピーチで、Y氏が「ここにおいでの社員のみなさんが、送られる人の遺伝子を受け継いで、ドンドン仕事を進化させていってください」と話されたときは、有り難さと同時に、またしても身が縮む思いを痛いくらい感じたものだ。



レストラン《なっぱ・はうす》の店長M女史からは、「好きにやらせてもらって有り難かった云々」といったスピーチがあったが、これなどは『人を任ずるに疑うなかれ』という北里柴三郎の言を信じたまでのこと。

逆に、そう信じ込ませたM女史の力量があったればこそ、という話なのだ。

真実、我が社にはM女史のように、自ら考え、実行し、反省もし、前進しようとする優れた感性のスタッフが少なくない。

特に、女性陣にそういう誇れるスタッフが揃っていることは我社の財産として、自慢できるものだ。



《天王温泉くらら》に所属しているKさんが丹念に作ってくれたDVDには正直驚いたし、嬉しくて仕方なかった。

小生と仲間のこの4年間の様子を拾い集め、編集したDVDであるため、こうした全大会的な送別会において、「自分たちの活動」ぶりが絵として鑑賞できたことの意義は大きい、と思われたからだ。

DVDが流されている間の温かい一体感こそは、その場に居合わせた一人ひとりが忘れてはいけない貴重なもの、と今もしみじみ思っている。

改めて、KさんとこのDVDの制作に携わってくれた皆さんに、賞賛とお礼を言いたい。



こうして、多くの方々から「分かちの儀式」を開いていただき、実の縮む思いを孕みつつも、大いなる励ましと受け止めて、なんとか残された「やり直しの利かない人生という時間」を過ごしたい、と思っている。

「わかち」には「けじめ」という意味とともに、「わきまえる」「思慮」「分別」という意味が込められている、と広辞苑に引いた。

だから、余計に冒頭の「私」にこだわらず、「分別」のある生き方を希求しなければ、と思っているところだ。

「生かされている己」を見失うことなく・・。



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【Sくんの独白とKさんの帰還】

 弥生三月、大自然も世間もそして我々も、何かとせわしい年度末を迎えて、すでに一週間が経過した。

 一昨年の8月1日から書き始めた本『ぶつぶつモノローグ』も、そのエピローグに向けてのカウントダウンを開始した。

 今回で192回目の更新つまり193篇となるが、実は区切りのよい200篇でこの『駅長ブログ』を閉じることになったからである。

 カウントダウン開始の残り7回、いつも通り我田引水かつ融通無碍よろしく書かせてもらいたいと思っている。



 さて、今年は冬らしさが例年より稀薄だったこともあり、春の到来を待ちわびるという感慨も薄かったように思う。

 今日は仕事仲間のSくんと近くのラーメン屋さんで昼食後、お天気に誘導されて、久しぶりに出戸浜海岸脇のコンビニで駐車し、アイスカフェラテを飲んだ(ラーメンとコンビニ、この休憩パターンはいまや二人のお昼の流儀みたいなものだ)

 今日たまたま、出戸浜海岸の「海の家」が立ち並ぶ景色が一望できる位置に車を停めたことで、「忘れられない事件」が起きた。

 実は、昨年の初夏にも全く同様の場所に車を停めたことを二人が同時的に思い出したのだ。

 そして、その時に二人で聴き惚れたスティーブン・タイラーの濁声をもつ「エアロ・スミス」というヘビーメタルのCDのことも同時に思い出していた。

 「間が差した」というのはこのことだ。

 偶然にも小生の車のアタッシュケースに今日もその時の「エアロ・スミス」のCDが入っていたのだ(もう30年も以前に録音された「パーマネント・バケーション」という名盤)

 それを発見したいま、聴かない理由がないではないか!

 直前まで、バッハの「マタイ受難曲」を聴いていたのだが、早速切り替えて昨年の情景を思い浮かべつつ、またしても「エアロ・スミス」を聴いてみることにしたのだ。

 

 「マジック・タッチ」というパワフルだが旋律の美しい傑作を最初に聴くことにした。

 ドーン・ド-ンという懐かしくハードな大音響に二人とも興奮した。

 この曲、このバンドならではの解放感という名の大波が二人を襲った。

 そのとき、小生の眼は向かい側に立ち並ぶ数軒の寂しげな「海の家」に向けられていた。


ブログ193 おもいで

 小生は何気なく数件の「海の家」の中から、《
デラックス温水シャワー完備おもいで》という鉢巻看板をつけた店を見つけ、眼を凝らした。

 「マジック・タッチ」はその間も威勢よく小生の耳朶を揺らし続けていた。

 その間、小生はリズムをとりながら、眼は《おもいで》に向けつつ、この曲やバンドの面白さと魅力を知ったかぶりよろしくSくんに話しかけていた。

 そして、いま目のあたりにする《デラックス温水シャワー完備おもいで》が「おいおい視ろ《デラックスヘビメタシャワー完備おもいで》みたいになったなぁ!」、と戯言を発したら、「うんうん」というSくん。

そのクチャクチャの満足げな笑顔が嬉しかった。

 さらに、曲は二人が大好きな名曲「エンジェル」に変わったが、その時だった、不意にSくんから小生の胸を直撃する槍のような言葉が飛び出したは。

 『おれの今までの人生で・・、こんなに人と別れを惜しんだことがないです・・』。

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 小生はそのSくんのやっとの思いで吐き出された言葉に、返す言葉を探したがあまりの衝撃で沈黙というカタチでしか応えることができなかった。

 人間のもっとも「饒舌」となる様式は「沈黙」なのだ、と反芻していた。

 そして、その沈黙がしたたかに(なみだ)を誘発し、一層小生を黙らせるのを深いところで自覚するのだった。

 やや間があって、泪のため彼を見れない小生は「デュード」という定番曲を掛けながら、おもむろに会社に引き返すべく車を走らせた。

 帰り道は行きとは逆に、愛車の走りが重くなっていることを受け容れた。





 共に入社して4年、《食菜館くらら》オープン以来、事務所を背負ってくれている「みんなの姉御」的存在のKさん。

 そのKさんが療養一ヶ月を終えて、この度無事元気に《食菜館くらら》事務所に帰ってきた(快気祝のどらやきをたんまり持参して)

 本ブログの1月14日更新で【予想外の好いこと】と題して語ったKさん。

「並みの社員も及ばない」と、その仕事への真摯な向き合い方や職場への慈愛の精神を誇らしげに語らせたKさん。

その逞しい「みんなの姉御」たるKさんが留守を守っていた多くのスタッフの歓待を受けつつ、一ヶ月ぶりに自分のデスクに坐した。

その時の彼女の周囲への配慮を彷彿とさせる輝くような眼差しは、まるで新入社員のような新鮮さで感動的なものだった。



「そこ」に居て、様になるのである。

組織において、「そこ」に居るべき人が確かに「居る」という安定感を何に例えよう?

現在の《食菜館くらら》にあって、Kさんは弦楽四重奏団のチェロ奏者。

Kさん不在では、例えばモーツァルトの弦楽四重奏曲をチェロ抜きで三人で演奏しているような、そんな落ち着かない演奏になってしまうと言えば、その存在の意味がお判りいただけると思う。

チェロは渋く、チェロは低音部でその曲の精神を安定的に補佐する。

ヴァイオリンのようにメロディアスな活躍は見せないが、リズムや和音を構成するうえで不可欠な「大人の音色」なのだから。



そんな「チェリスト」Kさんの復活で、ようやくこれからの繁忙期に向けての基本となる陣形が整ったことになる。

今後は、料飲部門を中心にさらに人員の補充や育成が求められるが、ここは慌てず立ち止まって作戦会議などを開き、運営上の知恵絞りを実施したいところだ。

「そこ」に居るべき人が「居る」組織の安定感をベースにして・・・。







 


 


 


 


 


 


 



 

【いぶりがっこの芳香に酔う】

 いぶりがっこは雪の多い山間地にあって、暖炉の火で乾燥させることからヒントを得て、楢や桜の木を燃やして燻製状態にしたあと、米糠やザラメ・塩などを調合して1~2ヶ月程度桶に漬け込む製法で作られる秋田の代表的な漬物。

素人ながら思うに、ざっくり言えば、「燻りの時間×調味料×漬け込む時間」などによって、微妙に味わいに特徴が出る、という繊細ながっこだ。

 2月28日(土)と3月1日(日)の二日間、《天王グリーンランド》初のイベント『桶だし・旬のいぶりガッコ祭り』を開催した。 


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 古くから秋田、とりわけ県南地区で加工食品として名高く、広く知られている定番食品であるが、何故か「いぶりがっこの旬」に気づかないでいた。

 つまり、漬け込んでいる桶から取り出したままが「いぶりがっこの旬」なのだが、ひょんなことからその旬のいぶりがっこをイベントとして取り扱えないか、と思いたった。

 このふっと湧いた思いをカタチ化してくれた人がいる。

 《あいのの温泉鶴ヶ池荘》のI氏、その人である。



 I氏とは以前も触れた『温泉サミット』で偶然同じテーブルで会食の機会を得て、何となく「馬が合う感覚」ということで、件の「旬のいぶりがっこ」イベントについて打診した経緯がある。

 I氏が代表を務める《あいのの温泉鶴ヶ池荘》の建つ山内地区は、いぶりがっこの里として広く知られており、その敷地内には《山内(さなえ)恵ちゃん》という可愛らしいネーミングの産直施設が小規模ながら置かれている。

 I氏の説明によると、旬になると《山内恵ちゃん》には約60軒ほどの農家が、競うように自慢のいぶりがっこを出荷するそうである。

 最盛期に同地域の60軒の農家が一斉に大根を燻る姿を想像してみよ!

 凄まじい景色なのだが、働いているほうも何やら燻り効果があるせいか、ほんのりと香ばしい人格に染まるのも当たり前なのかも知れない。

 たとえば、角館のC氏の一見茫洋たる雰囲気だが、内面は極めて実直勤勉でにこやかに他人を受け入れる柔軟さという性格の特性は、「燻されて」創られたのでは?と感じたほどなのだから・・・。



 今回のイベントの参加者は、くだんの《山内恵ちゃん》のほかに、今書いた角館町の《株式会社がっこ》、大仙市の《井上農産》、そして秋田市は雄和地区で大根の栽培から一貫して手掛けている《まこと農産》の四社であった。

 いぶりがっこの旬の味とはどんなものか、と興味津々イベントの日を迎えたのだが、試食品をついばむ多くの方々からは、「香りが佳い」「パリパリとした歯ごたえが佳い」などと異口同音に語られた。

 小生も全く同感で、普段真空パックの製品化されたものを食しているせいか、その風味と歯ごたえの良さが際立っていることに新鮮な驚きを懐いた。

 また、《食菜館くらら》で惣菜の加工品を出品しているKさんが、そのいぶりがっこを活かしたおつまみを試作して振る舞ったり、レストラン《なっぱ・はうす》のコックMさんが得意の「がっこチャーハン」をお披露目したり、いぶりがっこの食材としての豊かさ、奥深さが提示されたことも収穫だった。


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 二日間の実績としては、最初にしては「まずまず」というところだった。

 数字上の成果も大切だが、今後の展開を模索する意味で、二日目のイベント終了後は参加者全員から、さまざまなご意見をいただいた。

 皆さんから建設的でポイントをついた反応があって嬉しかった。

 それら生の反省点を踏まえて、二回目の『桶だし・旬のいぶりガッコ祭り』がさらに進化していくことを願っている。

 そう、我々にはこの祭り自体を今から「燻し続ける」ことが必要なのかもしれない、と思い至り、いっとき独りニヤニヤしていた。

 


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