2006年08月

2006年08月01日

三十帖策子補遺

三十帖補遺





手元の資料から三十帖策子中の「法」字の資料が出てきた。ここに繰り返し出てくる「法」字の「かたち」「筆意」「空間」をよく味わってほしい。結局一文字がすべてを語りうるのである。


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6)空海の宗教と書

379b76e0.JPG十喩詩
















図左  益田池碑銘  図右  十喩詩


6)空海の宗教と書
空海晩年の書と伝えられるものには「雑体書」「飛白書」などと言われる特異な書体で書かれたものが多く、遊戯的とか、悪く言うと技をひけらかしているというそしりさえあります。空海の宗教的な面については深いことは解りませんが、たったひとつの音声や文字が宇宙の真理を顕現することができるという考えを聞いたことがあります。また真言宗の祖師像や仏像を見るとまるで肉身を見るような赤い唇の表現に驚かされます。また、空海が早くから腕、肉体の自然な理法に帰一するところに書法の秘訣を見いだしていたことも想起しましょう。これら荘厳された文字の数々は、そのまま空海の生身の肉体を通した奔放な動きでありながら、あるいはだからこそ同時に風信帖や灌頂記とおなじ筆の理法が一貫しています。ここに益田池(図左)と十喩詩(図右)を挙げておきます。十喩詩は後世の拙劣な模本と思われますが、曲がりくねる線に何の必然性もありません。益田池碑銘は臨模ではあっても奔逸する筆勢が奥深く焦点を結び巨大な空間を現前するもとのすがたを思い見ることができます。そういう世界を想い見る機会を恵んでくれているのがこれらの空海の晩年の書なのではないでしょうか。

参考文献
書論23号
墨美
仏教美術研究上野記念財団助成研究会報告書8集
弘法大師真蹟集成(法蔵館)
弘法大師真蹟全集(平凡社)
弘法大師書蹟大成(東京美術)
空海の言葉と芸術(NHK)真鍋俊照
空海と最澄の手紙(法蔵館)高木荼
空海―生涯とその周辺―(吉川弘文館)高木荼



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5)書の見方

12baa186.JPG灌頂記














図  灌頂記


5)書の見方
結局書の見方というのは「かたち」だけを見ていては見たことにならないのです。
「筆意」は「かたち」に優先し、「空間」は「筆意」に優先するということになります。一字ずつ取り出して比較するやり方は「かたち」「筆意」「空間」等、その書をそのような姿にあらしめている構造を把握してはじめて意味を持ってくるのではないでしょうか。





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施福寺本の筆者2

6e33f764.JPG大日















図右  大日経開題  図左  施福寺本


施福寺本は最澄と空海どちらの書にふさわしいか?
 さてこの書は最澄の書か、空海の書か、どちらの書としてふさわしいでしょうか。いくつかの字を取りあげて見ていきましょう。法(図左施福寺本・図右大日経開題・東寺本は前の図をご覧ください)以下、聞(図・施福寺本・図・灌頂記・図・東寺本)師(図・施福寺本・図・灌頂記・図・東寺本)成仏(図・施福寺本・図・大日経開題・図・東寺本)を見ていきましょう。(図は前のところをご覧ください。クリックすると大きくなります。)
このように1字あるいは部分を取りあげて比較するやり方は多くの場合恣意的になりやすく、ただこの字とこの字の形が似ているからと言うだけでは今ある空海の書をすべて最澄だと「証明」することもできるようなものです。
 「法」という字を見ましょう。同じ字で、しかも「東寺本」は空海のものの写しらしいので形が一見似ているのは当然です。施福寺本のさんずいから右の横画上がるところ、どう御覧になったでしょうか。下側の上にはねたような線と上の長い横画、これはさんずいの最後で深く紙にひっかかって割れた筆をそのまま右上に押し切ったために生じた線です。かなりの筆の力がないとこの種の線は生まれません。大日経開題ではおなじところ筆はひとつにまとまっていますが同質の力が見てとれます。東寺本にはこういう筆の働きは見られません。おなじく空海の「法」の最終画は大きな筆圧を持ちながら筆が紙を蹴って立ち上がる働きがあざやかに見えますが、東寺本はきわめて平静に収筆しています。風信帖などもご参照ください。このちがいはさらに言うと字の周囲の空間のありようのちがいとしても見て取ることができます。東寺本は明るくさわやかですが、空海の深く焦点を結んで大きく広がっていく空間との質のちがいがよくわかります。同じように「聞」「師」「成仏」等の字についても、その形、筆意、空間について各自ご検討ください。
 一字一字についてもっと詳細に検討することもできますが、検討すればするほどこの施福寺本が空海書としてこそふさわしいと納得していただけると思います。



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3)施福寺本請来目録の筆者

3)「施福寺本請来目録」について
「施福寺本請来目録上表」は飯島太千雄氏が発見され、墨美286号(1978)ではじめて紹介されました。その後
    弘法大師真蹟集成増補(1979)
    最澄と空海の書風(1981) 木下政雄氏
    弘法大師真蹟研究会影印(1985)
等で度々取りあげられ高野山大学等宗門でも空海の真蹟として扱われてきました。ところが「最澄書写説」が書論23号(1984)細貝保夫氏の論考で出され飯島氏もそれに同調して、最近は最澄書として扱われている傾向があります。細貝氏は
”写のあやまり
⊇靆
字形の類似
ど写時期
等を論拠に最澄書と主張されていますが、はたしてどうでしょうか。

4)施福寺本の書者は誰か
仝躓、署名等の問題
この「請来目録上表」は書き直しや誤記が多く草稿と考えられています。その推敲の後も子細に検討され草稿として不自然なところはないようです。自署を「空海」と書いたり「某甲」と書いたりしていますが、むしろ空海自書として自然な推敲課程ではないでしょうか。∈農,箸靴燭蕾浸どこで写したか?
空海はわずか二年あまりで学業を成就して留学生としては異例の短さで帰国しました。この「請来目録」はその成果をいち早く朝廷に報告した文書で、大同一年はまさにその帰国の年にあたります。空海としては短期の帰国を正当化し一日も早く都に上り宗教活動を開始する上できわめて緊急かつ重要な文書です。(それでも空海は大同四年まで九州に足止めをくいます。)一方最澄にとっても自分以上に密教の真髄を究めたと称する空海が帰国したわけでいったいどのようなものを持ち帰ったのか、痛切に関心を持ったはずです。空海の「請来目録」が上進されるや早速それを見ようとしたはずであり、そうする手段もあったと思われます。大同四年空海が都に出てから、わざわざその未定稿を借りて書写する必然性はありません。また空海が未定稿の草稿を最澄に貸し与える必然性もありません。


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空海書の特質2

7965bfb8.JPG模式図2













図左  模式図1  図右  模式図2


こういう筆の働きを模式的に表してみました。(模式図1)太い実線部分を書くために筆はさらに大きく動いています。そして書かれた線の奥底に焦点を結ぶような働きになっていることがわかります。いくつもの点画を組み合わせた文字でも、もう一つの模式図(模式図2)のようにそれは一つの文字全体がひとつの焦点を持つ円運動の中に包摂されていると言うことができます。文字はただ紙面の上の平面上にあるのではなく、紙面の奥底に焦点を持っている。そして紙面の手前にも大きく広がって行く力を持っている。そのように紙面の奥にも手前にも空気があるように見え、だから周辺の白は深く奥行きを持って見える。そういう世界があることが奥深い「空間」を感じさせるということだと思います。
「文字が焦点を持っている」と言うことも空海の書においてとりわけあざやかに見てとれることと思います。


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2)空海書の特質

c3ae4c2c.JPG三十帖














図右  三十帖策子 


2)空海の書の特質
 さてこうして見てきて共通して見られる空海書の特質ですが、用筆においては
「筆論曰手心覆為陰手心仰為陽。又曰左行為陰右行為陽。」
という言葉が注目されます。これは「大師流」で江戸時代まで秘伝のように伝えられた言葉です。左にすすむ時には手のひらを俯せ、右にすすむ時には仰ぐと教えています。いわゆる「俯仰法」という言葉のもとになっています。森田子龍は俯仰のために腕を動かすのではなく、腕の動きを解放し自然のままに腕を動かす時おのずからそうなる理法であると言っています。
そういう理法が空海書には特にあざやかに見てとれますがとりわけ「転折」のあり方に注目してみましょう。これは三十帖冊子の拡大写真(図右)ですがどこを見ても筆の折り返し(転折)部分があざやかにスカッとしています。このことは実は王羲之の書でも共通して言えることで、「喪乱帖」(図略)の転折にも同じことが言えます。進む方向に筆の先が十分行き届いていないとこのようにはできません。



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晩年期と思われるもの3

破体
図  破体心経


「破体心経」は空海書という確証はありません。ただ空海がこのようなものを書いたであろうことは、書道博物館にこれと全く同じ行立てで字形もよく模したものが所蔵されているのを見ても首肯されます。


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晩年期と思われるもの2

1d6c3981.JPG座右銘








図右  座右銘  図左  益田池碑銘

「座右銘」も空海と伝えられていますが、確証はありません。ただこの紙は縦簾紙と呼ばれる当時のもので、その書も空海書としてふさわしいものと思います。「益田池碑銘」は臨模ですが平安時代は下らないものと推定されています。

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四 晩年期と思われるもの

0c2711d5.JPG七祖

















図右 真言七祖像賛 図左 尉遅敬徳墓誌

四類 晩年期と思われるもの
   「真言七祖像賛」
   「座右銘」
   「益田池碑銘(臨模)」
   「破体心経」
 これらの晩年の特異な書風については古来遊戯的とか、密教の教えを表現したとかいろいろ言われています。飛白という書体は唐代に流行したもので空海が全く独創したわけではありません。ただ今日見られる唐代の飛白の書(図左)とは内容に於いて大きな開きがあります。これはただ形だけのものです。

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