事実上のオリンピック選考会を兼ねたフルマラソン大会の35km地点、残りの距離7キロ強という地点で、地元出身の優勝候補である柴田はしゃがんでいた。しゃがみながら、ふーっふーなんて息をして顔を歪めていた。
オリンピック男子マラソンで久しぶりにメダルを取れそうとまで言われていた柴田のアクシデントに、沿道のギャラリー達はざわついた。
そこへすかさずコーチである小泉が走り寄って来た。
「柴田!どうした!」
柴田はうずくまって下を向きながら答えた。しかしそれは小泉の意表をつくものであった。
「俺・・・乳首が・・・・痛えっす・・・」
「ちくび?」
思わぬ単語が出て来て、流石に何人ものオリンピック選手を輩出し、メダル請負人と言われた小泉も戸惑った。
しかし刻一刻と時は過ぎていく。とにかく事態を改善し、走れる状態を作ってやることがコーチである小泉の勤めであった。だから結構戸惑っていたけど、戸惑っていないふりをした。
「どんな痛みだ?走れそうか」
「ちょっと、激痛っす・・擦れるっす・・・」
柴田は乳首を抑えながら岡本太郎の絵みたいに口を3にして顔を歪めた。
「擦れるってシャツに?」
「はい。汗の塩分が染みて痛えっす」
だからいったろうと小泉は思った。何が起こるのか分からないのがマラソンだ。念には念をといってニップシールを勧めていたのだ。
しかし柴田はそれを断った。プロランナーとして5年やってきた自負があったのだ。「今まで一度もアクシデントがねえおとなしい乳首ですから大丈夫っす」というと、小泉が差し出したシールを受け取り「これ、家でAKBのポスター貼るのに使っていいっすか?」などとほざいたのであった。
しかしそんなことを今思っても仕方がなかった。小泉は、何がなんでも柴田を優勝、そしてオリンピックに導かねばないと思っていた。柴田はそれだけの逸材だったのだ。だから冷静にたずねた。
「どちらが痛い?」
「左右とも・・・」
“左右“という言葉を聞いて、ギャラリーから「きゃあああ!」と悲鳴が起こった。片ならまだしも両とは。それは結構痛いに違いない。柴田はこの時点で2位に5分差をつけていたが、両であれば優勝は無理かもと思われた。
しかし小泉は違った。自信満々に立ち上がり叫んだ。
「左右の乳首が同程度痛いということは!左右均等に腕が振れてるということ!状態は良い!」
この言葉を聞いたギャラリーから、今度は「おおおおおおお!」と歓声が上がった。小泉が右手をグーにして胸を張って大声を出すときは、いつもめちゃくちゃ良いことを言うという事実も歓声に拍車をかけた。
「とりあえず立ちあがろう。そして乳首を見せてみなさい」
柴田は、ここで?と思ったが、小泉に絶対の信頼を置いていたので、言われた通りに立ち上がり、シャツを捲った。
柴田の乳首が露わになると、小泉はそれの状態を確認した。確認したが、やったことがないのでよく分からなかった。でも分かっているようなふりをして考えを巡らせた。仕方なく触診でもしてみるかと思ったその瞬間、柴田が叫んだ。
「触らねえでくだせえ!例え乳首でもコーチが選手に触れたらリタイアになっちまいます!」
小泉はハッとした。気が動転していたせいで、初歩的なミスを犯すところだった。このレースには彼の人生がかかっているのだ。このチャンスを逃せば次は4年後、そうなればいくら柴田といえども若手の台頭に立ち向かえるかどうか分からない。
とにかく冷静になれと自分に言い聞かせ、深呼吸をした。そしてしばらく観察していった。
「原因がわかったわ」
「なんすか」
「お前もうオリンピックのこと考えてたろ?」
柴田は小泉の真意が分からず戸惑った。しかし小泉に絶対の信頼を置いていたので、素直に考えて素直に答えた。
「そうですね。たぶん、そうっす」
小泉は腕を組み、ため息をついた。
「お前なあ、マラソンに大事なのは平常心だっていつも言ってるだろ?昂ったらストライドは大きくなるし心拍数だって上がっちまう。乳首だって立っちまうよ。だから今この瞬間だけに集中するんだ。ゴールのこと、ましてやまだ決まってもいないオリンピックのことなんて考えてどうする?」
「いや、でもそれに向けて頑張ってきたから」
思わず言い訳をしてしまった柴田であったが、そんな教え子に小泉は微笑みを返した。そして再び胸を張り、今度は両手をグーにした。その仕草を見て、ギャラリーも息を呑んだ。
そして空に向かって高らかにいった。
「表彰台立つ前に乳首立たすな!」
この言葉によって、ギャラリーから今日一番の「おおおおお!」が出た。小泉は満更でもない顔でギャラリーを横目で見た。カメラも意識していた。翌日には己の写真と言葉がスポーツ紙各一面を賑わすだろうと思った。
すると柴田が驚きながらいった。
「コーチ!見てください!乳首が!」
小泉の鼓舞のおかげか、立っていた柴田の乳首は、するするするーとネット広告によく出てくる、あの伸縮式の椅子のように縮んでいった。
乳首が体内にすっかり収納されると、柴田はその場で腕を振り、走る格好を試みた。
「擦れねえっす!痛くねえっす!」
その言葉を聞いて小泉は黙って頷いた。お前、やることは分かってるな?の顔だった。
柴田はコーチに向かって深々と一礼をすると、再びゴールに向かって走り出した。
活気を取り戻したスターに対して、まるで土砂降りのような大声援が送られた。
タイムロスがあったにも関わらず、柴田は超速かったのでぶっちぎりの1位でゴールした。
もちろんそのあとオリンピックにも出た。オリンピックではもちろんニップシールを張っていた。そしてぶっちぎりでの金メダルだった。
この偉業に対して、小泉はインタビューでこう答えた。
「乳首の痛みに耐えてよく頑張った!感動した!」
オリンピック男子マラソンで久しぶりにメダルを取れそうとまで言われていた柴田のアクシデントに、沿道のギャラリー達はざわついた。
そこへすかさずコーチである小泉が走り寄って来た。
「柴田!どうした!」
柴田はうずくまって下を向きながら答えた。しかしそれは小泉の意表をつくものであった。
「俺・・・乳首が・・・・痛えっす・・・」
「ちくび?」
思わぬ単語が出て来て、流石に何人ものオリンピック選手を輩出し、メダル請負人と言われた小泉も戸惑った。
しかし刻一刻と時は過ぎていく。とにかく事態を改善し、走れる状態を作ってやることがコーチである小泉の勤めであった。だから結構戸惑っていたけど、戸惑っていないふりをした。
「どんな痛みだ?走れそうか」
「ちょっと、激痛っす・・擦れるっす・・・」
柴田は乳首を抑えながら岡本太郎の絵みたいに口を3にして顔を歪めた。
「擦れるってシャツに?」
「はい。汗の塩分が染みて痛えっす」
だからいったろうと小泉は思った。何が起こるのか分からないのがマラソンだ。念には念をといってニップシールを勧めていたのだ。
しかし柴田はそれを断った。プロランナーとして5年やってきた自負があったのだ。「今まで一度もアクシデントがねえおとなしい乳首ですから大丈夫っす」というと、小泉が差し出したシールを受け取り「これ、家でAKBのポスター貼るのに使っていいっすか?」などとほざいたのであった。
しかしそんなことを今思っても仕方がなかった。小泉は、何がなんでも柴田を優勝、そしてオリンピックに導かねばないと思っていた。柴田はそれだけの逸材だったのだ。だから冷静にたずねた。
「どちらが痛い?」
「左右とも・・・」
“左右“という言葉を聞いて、ギャラリーから「きゃあああ!」と悲鳴が起こった。片ならまだしも両とは。それは結構痛いに違いない。柴田はこの時点で2位に5分差をつけていたが、両であれば優勝は無理かもと思われた。
しかし小泉は違った。自信満々に立ち上がり叫んだ。
「左右の乳首が同程度痛いということは!左右均等に腕が振れてるということ!状態は良い!」
この言葉を聞いたギャラリーから、今度は「おおおおおおお!」と歓声が上がった。小泉が右手をグーにして胸を張って大声を出すときは、いつもめちゃくちゃ良いことを言うという事実も歓声に拍車をかけた。
「とりあえず立ちあがろう。そして乳首を見せてみなさい」
柴田は、ここで?と思ったが、小泉に絶対の信頼を置いていたので、言われた通りに立ち上がり、シャツを捲った。
柴田の乳首が露わになると、小泉はそれの状態を確認した。確認したが、やったことがないのでよく分からなかった。でも分かっているようなふりをして考えを巡らせた。仕方なく触診でもしてみるかと思ったその瞬間、柴田が叫んだ。
「触らねえでくだせえ!例え乳首でもコーチが選手に触れたらリタイアになっちまいます!」
小泉はハッとした。気が動転していたせいで、初歩的なミスを犯すところだった。このレースには彼の人生がかかっているのだ。このチャンスを逃せば次は4年後、そうなればいくら柴田といえども若手の台頭に立ち向かえるかどうか分からない。
とにかく冷静になれと自分に言い聞かせ、深呼吸をした。そしてしばらく観察していった。
「原因がわかったわ」
「なんすか」
「お前もうオリンピックのこと考えてたろ?」
柴田は小泉の真意が分からず戸惑った。しかし小泉に絶対の信頼を置いていたので、素直に考えて素直に答えた。
「そうですね。たぶん、そうっす」
小泉は腕を組み、ため息をついた。
「お前なあ、マラソンに大事なのは平常心だっていつも言ってるだろ?昂ったらストライドは大きくなるし心拍数だって上がっちまう。乳首だって立っちまうよ。だから今この瞬間だけに集中するんだ。ゴールのこと、ましてやまだ決まってもいないオリンピックのことなんて考えてどうする?」
「いや、でもそれに向けて頑張ってきたから」
思わず言い訳をしてしまった柴田であったが、そんな教え子に小泉は微笑みを返した。そして再び胸を張り、今度は両手をグーにした。その仕草を見て、ギャラリーも息を呑んだ。
そして空に向かって高らかにいった。
「表彰台立つ前に乳首立たすな!」
この言葉によって、ギャラリーから今日一番の「おおおおお!」が出た。小泉は満更でもない顔でギャラリーを横目で見た。カメラも意識していた。翌日には己の写真と言葉がスポーツ紙各一面を賑わすだろうと思った。
すると柴田が驚きながらいった。
「コーチ!見てください!乳首が!」
小泉の鼓舞のおかげか、立っていた柴田の乳首は、するするするーとネット広告によく出てくる、あの伸縮式の椅子のように縮んでいった。
乳首が体内にすっかり収納されると、柴田はその場で腕を振り、走る格好を試みた。
「擦れねえっす!痛くねえっす!」
その言葉を聞いて小泉は黙って頷いた。お前、やることは分かってるな?の顔だった。
柴田はコーチに向かって深々と一礼をすると、再びゴールに向かって走り出した。
活気を取り戻したスターに対して、まるで土砂降りのような大声援が送られた。
タイムロスがあったにも関わらず、柴田は超速かったのでぶっちぎりの1位でゴールした。
もちろんそのあとオリンピックにも出た。オリンピックではもちろんニップシールを張っていた。そしてぶっちぎりでの金メダルだった。
この偉業に対して、小泉はインタビューでこう答えた。
「乳首の痛みに耐えてよく頑張った!感動した!」