春風亭昇々ブログ

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春風亭昇々は、これまで何度もブログを更新しようとしたが、筆が(タイプが)全く進まなくなっていた。
それはスランプなどではなく、しばらく書いていなかったからに決まっている、と彼は思った。
彼が書いていなかったのは、5月に生まれた子供をあやしていたからである。
決してサボっていたわけではない。

継続は力、という言葉を頭に思い浮かべた。
例えば夏の暑さにかまけてサボっていたランニングを久しぶりに再開したときのこと。
彼はたった10キロで膝を痛めた。
去年の今頃はフルマラソンを走れたのに、この体たらく。
改めて継続の力強さには恐れ入った。
いや、何かのYOUTUBEチャンネルで聞いた。「継続“のみ“が力である」。

彼は改めて、ランニングには全てが詰まっていると思った。
お金がほとんどかからない、いつでもどこでもできる、やればやるほど成果が出る、副作用がない。
この全てに当てはまるものを追求できれば、幸福であるというのが彼の持論である。
それに則れば、ランニングを追求することは幸福である。
落語をやることも、幸福である。
そして文章を書くことも、幸福である。

ともかくリハビリをせねばならない。
ということで、彼は家の近くの図書館にきた。
そしてパソコンを取り出して何かを書き始めた。
書き始めてすぐ思った。
これはおそらく取り止めもない文章になるなと。
本当に何も思い浮かばないのである。

しかしここで言いたい。
彼は今、幸福である。
ランニングもままならないし、文章も全く書けないのに幸福なのである。
なぜならたった今、彼は床に落としていた図書カードを隣の美女に拾われるという僥倖に巡り合ったのだ。

美女はにっこり笑った。
彼に微笑みを投げかけたのだ。
彼の心臓は高鳴った。
どっどっどっど。
彼女の心臓はどうだろうかと思った。

彼は自分が置かれた状況を俯瞰した。
俯瞰するのは彼の癖である。
なんて幸福で、そしてここはなんて快適な空間だろうと思った。
彼は図書館の学習席というものを初めて利用したのだが、ガラス張りで木を基調としたなんとも小綺麗な空間であった。
空調も完璧。
平日の昼下がりで人はまばら。

そして隣には美女・・・。

彼は、いかんいかんと思った。
お前は何をしにきたんだ。気を散らしてどうする。ブログのリハビリだろう?真面目に書くんだ。ネタを1000書くんだ。本にしたいんだろう?時間は有限だぞ。と思った。

しかしどうしても隣の美女が気になった・・・。

考えまいとすればするほど考えてしまった。
彼女は何を勉強しているのだろう。仕事をしているのだろうか。だとすればなんの仕事だろう。おそらくデスクワーカーではあるまい。喫茶店経営とかか?ケーキとか作るのかな?子供の時の夢はケーキ屋さんだったのかな?どんなパソコンを使っているのだろう。何を書いているんだろう。などという疑問が次々に思い浮かんだ。

また、彼女のタイプ音は優しかった。
その優しさも彼の妄想を掻き立てた。
くとくとくとくと・・・。
まるで母さんの肩を叩く幼児のお手手だ。
その柔らかさが彼の思考をぼやけさせた。
気がつけば、書いているのはふりだけで、ひたすら柔らかなタイプ音に耳を集中させていた。
柔らかな陽光の中で奏でられるタイプ音。それはピアノで奏でる昼下がりのノクターンであった。
彼は思った。

その優しさで僕の頬をつついてほしい。

彼はもはや彼女のキーボードになりたかった。
できれば「F」か「J」になりたかった。
「F」か「J」になれれば、彼女の人差し指に半永久的に触れられるのだった。
いや、「A」も捨てがたかった。なぜなら「A」は小指であり、母音であるから頻繁にタップされる。
頻繁なタップは魅力的だった。頻繁なタップ?と思った。なんて猥雑な響きなんだろう。まさに声に出したい日本語。頻繁なタップ、頻繁なタップ、ひんぱんなたっぷ

ひんぱんなたっぷ・・・

ぼいんにひんぱんにたっぷ・・・

妄想上の彼女の声が、彼の耳元で囁いた。

彼は改めて思った。いかんいかん。この席を借りれるのは2時間までだ。時間内に絶対に何か書ききるって決めて来たのだ。何をしてる。なんでもいいんだ。ネタを書く。書き切って宣伝する。Xにアップするまでをやり切るんだ。Xにアップするっ・・Xにアップえっくすにあっぷえっくすにあっぷ・・・

えっくすたっぷたぷ・・・・たっぷたぷなえっくす・・・・

やめろよと彼は冷静に心の中でいった。
しかし彼女は離れてくれなかった。
こうなったら自分で彼女を引き剥がすしかなかった。

彼は立ち上がった。
トイレにいくふりをして、彼女のパソコンの画面を見るためだった。
そこに彼女のイメージを壊すようなもの、それがなんだかわからないが、それが表示されていれば彼はもうネタに集中できるのだった。
彼は足早なふりをしてパソコンをチラ見した。
彼の目に入ったのは全く予想していないものだった。
それはドジャースのポストシーズン勝利の記事だった。
そこには佐々木朗希が抑えの役割をしっかり果たし、ガッツポーズする背中が写し出されていた。
彼は困惑した。
ケーキ屋さんの彼女は、昼下がりに図書館でドジャースの優勝記事を読んでいたのだ。

彼はトイレで思案した。
美女が平日の昼下がりにドジャースの記事を読んでいる、という事実から彼女という人物を推理せねばならなかった。
彼の乏しい推理力では確かなことは言えないが、頭に一字が思い浮かんだ。

「暇」

美女が暇を持て余している。
それは事実だった。
昼下がりに美女が暇を持て余している。
これもまた事実だった。
昼下がりに暇な美女が私ににっこり微笑んだ。
事実だ。
そして最終的な結論。

昼下がりに美女が暇を持て余し、私ににっこり微笑んだ。

もちろん彼にできることは何もなかった。
美女の気持ちを受け止めることはできないのだった。
彼は帰ることにした。
ここにいても気が散るだけだし、席の時間があと20分しかなかった。
しかし、彼は最後にもう一度だけ彼女に触れようとした。
物理的にではなく、彼女のパソコンとタイプ音に触れるのだった。
彼は席に戻った。
しかし彼女はもうタイプしていなかった。
もしかしたら、彼女のタイプは仕事などではなく、彼に向けてのものだったのかも知れなかった。
それは事実か分からないが、彼にはそう思えた。
そして相変わらずドジャースの記事を読んでいた。
そのとき私はハッとした。
ドジャースといえば、リーグ地区シリーズ4戦目で、フィリーズとのカードに勝利を決めていた。
勝利の立役者は8回から3イニングパーフェクトに抑えた佐々木朗希だった。
ピンチを佐々木朗希が救ったのだ。
フィリーズとのカードを落としそうになったのを佐々木朗希が救った。
カードを落としそうになったのを・・・・

彼は一瞬立ち止まった。
しかし何事もないように荷物をまとめて席を後にした。
その間も彼女は微動だにしなかった。
帰り際の最後の一目、彼女の背中と佐々木朗希の背中が重なったように見えた。



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「痴漢なんかしてないってば!」
連日の茹だるような暑さと朝の眠気のせいで立ちながらもうつらうつらしていた私は、突然の怒鳴り声にハッと目を覚ました。
見ると隣に立っている男が目の前の女性に向かって怒鳴っている。どうやら痴漢に間違われたらしい。この男が痴漢かそうでないのか私には分からないが、とにかく男は顔を赤くしてものすごい剣幕である。

「この電車、宇都宮での車両点検の影響により6分ほど遅れての到着です。電車遅れまして誠に申し訳ございません」

車内のアナウンスが流れる。朝の気だるさと暑さに加え、電車が遅延している。余計なトラブルに関わる体力は誰にもない。乗客らは男の声に無視を決め込んだ。

「だってあなたがあたしの背中に体押し付」

と女が言うのを遮って男がいった。
「だから見なさいよ!左手は私の胸の前に置いてたの!あとは右手しか残ってないでしょ?右手は鞄持ってるんだから触りようないでしょ?ねえあなた」

と、男は突然、女と反対側の女に声をかけた。その女は我関せずを貫こうとしたが、男の呼びかけに仕方なく目だけを向けた。

「あなたすみませんね。ちょっと聞きたいんですが、あなたの背中に私の腕が当たってましたよね?」

女は「はあまあ」と気の抜けた返事をしたが、男にとってそれは大事なことらしく、ちょっと待ってくださいねといってポケットからスマホを取り出した。

「申し訳ないんですけど、今の録音させて下さい。“えー、私の斜め左前に立っていた女性です。あなたの背中に私の左腕が当たっていましたか?”」

女は面倒臭そうに、はいと小さくいった。男は録音を止めずに、痴漢を指摘した女に向き直り続けた。

「いいか?今確認したように私の右手は明らかにこの女性の背中に当たっていたんだ。なぜ当たっていたかというと、私が腕を自分の胸元に置いていたから。そしてそれはなぜかというとこうやって痴漢に間違われないためだ!それは」

という言葉を、今度は女が遮った。

「だから触った触ってないじゃなくて、あなたこっち向いてるのおかしいっていってんの!なんで座席の方じゃなくて私の方に体向けてんの?不自然でしょ!体押し付けてたんでしょ!」

その言葉に男は黙った。その場にいた誰もが、女の言うことはもっともだと思った。男は明らかに、不自然に体の向きを女の方に向けていた。それはまるでその女にぴったりとくっつくためであるように思えた。いくら満員電車といえども、痴漢に間違われたくないのなら、別の方向を向いてもよさそうなものだ。それぐらいのスペースはある。

「それは、、、」

男は口籠った。何か言いにくそうなことがある感じだった。女は男を睨みつけた。確信は疑念へと変わりかけたが、やはり確信となったようだ。

「とにかく次の駅で降りて下さい。警察行きますから」

男は「いやいや勘弁してよお」と天を仰いだ。その時電車が速度を上げた。アナウンスで「お待たせいたしました。次は〇〇駅。」の声がした。駅に停車するまであと数分しかない。ほんの少しの間で、男は決着をつけねばならなかった。

しかし、私も含めた我々はもう彼らのことなどどうでもよかった。とにかく今日は暑すぎた。満員の車内もこれから我々が放たれる駅のホームも、とにかくどこも暑すぎなのだ。人のことなど構ってられない。思考停止。早くオフィスで涼みたい。
それにこの男だって悪いようには見えなかった。物言いからして嘘を言っているようには思えない。この女だって男を貶めようとしている風でもなかった。全てはこの暑さのせいだ。暑さが人々をイライラさせ不満を溜めさせ、それを発散させたがらせた。ただそれだけのこ

「この人が汗がすごいから!」

突然、男が声を張り上げた。下を向いていた我々は思わず顔を上げた。見ると男は私を見ていた。指こそさしていないが、彼の目と顎は明らかに私の顔に向いていた。

「だから体向けるのが嫌で、、、この人汗びしょびしょだから」

「汗、びしょびしょ?」
私は、男がいったことをそのまま繰り返した。そして汗が背中をつたうのを感じた。それは暑いからではなく冷たい冷や汗だった。

皆の心の中で、パシパシパシという音がした。色んなものがうまくハマる音だった。やはり誰も悪くなかった。暑さのせいだった。いや、悪かったのは私だった。自然と私の周りにわずかなスペースができた。私はパズルのピースからこぼれ落ちたような感覚を覚えた。私だけ誰にもひっつくこともはまることも許されずただそこにいらないものとして存在しているような感覚に。それは会社でも常に感じているあの疎外感に似ていた。

女は「それはすみませんでした」と小さくいった。私はいってほしくなかった。女の一言で終わりで解決だった。これでもうどうやったってパズルに復帰できなくなった。見ると男と女はもう喧嘩していなかった。彼らもパズルのピースとしてはまっているように見えた。私はあちゃーと天を仰いだ。すると美容整形の広告が目に入った。ポスターに起用された女優はニッコリ笑っていた。歯は綺麗に整えられ、整列していた。私は自分を虫歯だと思った。抜かれて捨てられてしまうひどい虫歯。さっきまで目の前の男が虫歯だったのに。

私はふともう会社辞めようと思った。なんだか疲れた。こんなことも含め全て疲れすぎた。駅で降りたら会社に行かず、カフェにでも行ってこれからのことを考えようと思った。するとなんだか活力が湧いてきた。そうだ、社会のピースになる必要などないのだ。田舎で畑でもやって暮らそう。そう思うと汗が引いていくようだった。

すると男は私に向かっていった。「すみません、このスマホに向かって"私は汗をたくさんかいていました"といってもらってもいいですか?」私は再び汗をどっとかいた。


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私は部屋に戻った。すると浜子がまたaikoを歌っていた。曲はスターだった。浜子は歌が上手く、みんなそれに聴き入っていた。私も悔しいけど聴き入った。浜子は嫌味なくビブラートを駆使した。私はビブラートの振動を感じるたびに、その波形を想像し、その波形から眉間のしわを想像した。

浜子は完璧だった。可愛いし歌は上手かった。私のしかめっ面を指摘したのだって嫌味じゃなく、よかれと思ってのことだった。しかしその純真さが浜子への嫉妬心だったり、私自身に対するやり切れなさを膨らませた。この言葉にできないもやもやを吐き出すためにも、浜子の後頭部をデンモクでぶん殴ってやりたかった。だけどそんなのは日馬富士だった。どすこい日馬富士なんてあだ名をつけられた日にゃ、私の人生は終わりだった。

私は改めて歌っている浜子を見た。そして嫌味なく指摘できる何かを探した。しかしやはり浜子は完璧に見えた。色は白く笑顔のときの口の形も見える歯も魅力的過ぎた。浜子は可愛いのと歯に衣着せぬ物言いで男子達にモテモテだった。私は「浜子に捧げます」と言って、ブリトラの青のりを歌ってやりたかった。みんなの笑いを誘って番組の最後に今日一の踊るヒット賞で表彰されて、自宅に何かを送ってほしかった。しかし浜子の歯に青のりはついていないし髪の毛は食ってないし眉毛は繋がっているどころか綺麗に細く整えられているのであった。

「じんこなにか入れなよ」という声がした。浜子だった。浜子の歌はとうに終わっていたが、誰も次の曲を入れようとはしなかった。そこにはカラオケ終盤の、電車の間引き運転のような空白の時間があった。私は心の中で(なにがじんこだ)と思った。じんこは私のあだ名で嫌いだった。名前が淳子だからそれが変化して「じんこ」なのだ。じんこと呼ばれるたびに、私はじわっと漏れ出るうんことしっこが混ざったなにかみたいと思った。

私は「そだねー」などと何も考えていない体を装い、だるくソファに寄りかかりながらデンモクを操作した。指は震えていた。ここが、私が浜子に一矢報いることができる最後のチャンスであった。ここで何もすることができなければ、今夜の私は眠れぬ夜を過ごすこと必至であった。私はデンモクを操作する以上に頭を回転させた。あくまでデンモクを操作する仕草はゆるりとし、頭ではハムスターの回転車のように、高速でレパートリーの中から武器を探し続けた。浜子のスターは見せかけのスターだった。浜子が気まぐれな日々やつまづく日々に泣いてばっかりのわけなかった。上手いけどそれだけだった。それはいつしかお父さんに連れられていった落語の寄席に似ていた。上手い人は沢山いた。しかし心を打つのは何人もいなかった。上手いだけではダメだった。下手でもキャラクターというか人間が出ていればそれは魅力となり私を惹きつけた。それが私にとっての希望だった。真っ暗闇で進むべき方向を示す光だった。私にとってのスターだった。私は私の歌を歌えばよかった。眉間にしわをよせて、この心情を歌えばよかった。浜子のうわべのスターを超えるのだ。そう思って私は、選んだ。曲を入れると皆んなの空気が一瞬止まったような気がした。私は画面の前に立ち、マイクをしっかり握って、しかめっ面で曲が始まるのを待った。


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「いつもしかめっ面してるのよくないよ」
って浜子に言われた。今言われた。一瞬何言われたか分からなくて目が点になったんだけど、恐る恐る己の眉間に人差し指を当ててみたら、確かに私の眉と眉の間はぐちゃぐちゃってなってた。それはまごう事なきしわだった。しかも結構しわ然としているしわで、もしもテレビのバラエティでお笑い芸人が罰ゲームで箱の中に手を入れて何が入ってるか当てるゲームで私の眉間が入っていたら「ブルドックブルドック!」って叫ぶだろうしわだった。

私はびっくりした。今まで意識したことがなかったから。私は「あ、ほんとだ」としか言わなかった。いや言えなかった。なぜ今言う?と思った。だって今まで皆でミスタードーナッツでどれが好きかっていうたわいもない話をしてたから。もしかしてポンデリングがしわを連想させたのだろうか。ポンデリングのあの気持ち悪いできものみたいなデコボコが。だとしたらこれは相当なしわだった。

浜子はそれだけ言って特にそのあとはそれについて続けなかった。自然とまたミスドの話になった。でも私はこのブルドックじわが気になって気になって仕方がなかった。正直ミスドなんてどうでもよかった。だって全部一緒の味だった。柔いか硬いかチョコかクリームかの違いだけで味は一緒だった。とにかくそんなことより何よりも、もちろん昨日切った前髪よりも、しわに意識がいった。浜子の発言は辻斬りの如くだったから、通行人が死んだのに気が付かないように私もこのことに傷ついているのかどうか分からなかった。でも今までの経験から、これは今夜あたりからじわじわと私の心を蝕んでいくのが予見された。

このあとは皆でカラオケに行く予定だった。でももうカラオケどころではなかった。もうどんな歌も私を慰めてはくれないだろう。歌なんて無力だ。口だけで表面的だ。だって今みたいに本当に必要なときに頼りにならないじゃないか。私はとっとと家に帰りたかった。鏡の前でブルドックをよくよく検証し、解き放たなければならなかった。そんなことを思いながらも、私はフィールドオブビューばりに全然気にしないふりをしながら皆と喋っていた。だけど喋りながら頭ではガンダムのツノを連想していた。ガンダムのツノの真ん中の赤いやつみたいに、しわを取り外してポイとゴミ箱に捨てるのを想像していた。

結局私は予定通りカラオケに行った。今帰ったら何を言われるか分からなかった。しわで一盛り上がりされたくなかった。皆の頭の中から私のしわをカラオケで薄めねばならなかった。だから歌なんかどうでもよかった。私は歌うことよりも、眉間にしわが寄らないように、ただその一点に集中した。私は今日というこの日のラウンドで1度ダウンしていた。再びしわを指摘されればもう立っていられないのだった。私は他の女が歌っている間もしわの妄想をした。なにが「しわとしわを合わせて幸せ〜」だと思った。そんなところに幸せはどこにもないのだ。南無〜でくたばるしかないのだ。でも私はまだくたばれなかった。それどころか華の大学生の人生はこれからなのであった。

私はタイミングを見計らってトイレに行った。しょんべんではなく鏡を見るためだった。少ししょんべんもした。洗面台で手を洗い、昨日切った前髪を乱暴に上げ、眉間を見た。すると、うっすらであるが、「ここから僕の土地だよ」と小学生が木の棒で地面に線を引いたような線があった。何度も何度もしわを寄せたせいで、雨垂れ石を穿つ戦法で、私の眉間には確かに些細なしわがあった。私の心臓は高鳴った。どんな歌でも、さっきの大塚愛でもaikoでも無理だったのに、この心臓はただの眉間のしわで高鳴った。私はもう一度個室に入り、スマホで長澤まさみの画像を検索した。私の中でまあまあ素敵で、それでも一番眉間にしわがよっていそうな女優が長澤まさみであった。あんな素敵な女でも眉間にしわがあるのであれば、それは私を安堵させるのであった。眉間のしわの有無が素敵な女の絶対必要条件ではないことが証明されるのであるから。私は長澤まさみの画像を恐る恐るズームした。しかし、長澤まさみの眉間にはしわはなかった。どの画像を検索しても、全てツルツルだった。私の心臓はさらに高鳴った。私は「眉間のしわ」「芸能人」で検索した。すると出てきたのは柳葉敏郎ばかりだった。私は「女性」と入れなかったことを後悔した。そして柳葉敏郎に腹が立った。浜子にも腹が立った。今日中に浜子の欠点を見つけねばならぬと思った。浜子の欠点を指摘して溜飲を下げねばならなかった。そうしなければ今夜は眠れそうになかった。

つづく



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居酒屋の靴を脱いで上がらないといけない半個室の掘り炬燵的テーブルのある部屋で、俺の隣に座っている名前も分からない男が、これまた名前もよく分からぬカクテルを持って俺に「これ飲んでみる?」と言った。
俺は(ほらきましたよ)と思った。どうしてこういうウェイウェイ系の男って(女もそうだけど)自分が美味しいと思うものを人に味わわせたがったり(あれ?味わわせたがるであってるっけ?味あわせたがる?)、他人のものも味わいたがるんだろう。はっきり言って想像力が乏しすぎる。普通に考えたって唾が混ざっちゃうじゃん。あんたのよだれが俺の口に入っちゃうじゃん。そしてあんたは色んな人に飲んでみる攻撃をやったから、俺の前に差し出しているこのグラスは大変なことになっているじゃん。それを俺に飲ませることになんの抵抗もないのが、こいつ無理すぎる。価値観が違いすぎて、絶対このあと友達になることはない!断言!

それにしてもここにいる皆のものよ、どうして他人の舐めたグラスを普通に飲めるんだい?俺たちは今日初めて出会ったものたちじゃないか。合コンというカテゴリーによって集められた、風呂場の泡みたいにふわっとしたものたちじゃないか。とても儚いものたちじゃないか。Coccoの歌詞のように、このあと誰かと誰かが腰を振るのかもしれんけど。でも今はまだ他人だ。

誰だって他人のよだれを飲めと言われたら絶対嫌なはず。だのになぜ(森山直太朗風)、他人のグラスに口をつけることに抵抗がない?少量だったらいいのだろうか。ぎんなん食べるのとおんなじ理屈?ぎんなんには毒があるけど少量だったら大丈夫だから食べる的な?まあぎんなんは毒だけど唾は毒じゃないっちゃあない。そういう理屈なら分かる。

だけど俺が言いたいのは、みんなそこまで考えてないだろってこと。他人のよだれは嫌だけど毒じゃないし少量だからオッケー、という理屈を頭の中で構築してはいまい。グラス回し飲みは、その過程を経て出した結論ではあるまい。おそらくだけど、誰も何にも考えていない。飲みたくも飲みたくなくもないけど回ってきたから別に飲んどくっしょ、ってことだと思う。何が飲んどくっしょだ。

だけど俺は知っている。みんな結局は本能的に他人が口をつけていないところを選んで飲んでるっていうことを。ほとんど無意識なんだろうけど、前の人が飲んだ場所に直接口をつけるってことはしない。それは感染症を防ぐためだ。脊髄反射と同じようにDNAに組み込まれたプログラムがそうさせるのだ。たぶん。

そんで俺はというと、DNAプログラムに加えて脳が理性でそれを拒否する。だからトランプ(この時代トランプっていうと大統領の方を思い出しちゃうよね)の神経衰弱のように、グラスのどの位置に誰の口がついたのかを覚え続けている。そして、ガラスに刻印されたKIRINという文字の斜め右上が空いていることを知っている。そこだったら比較的誰とも口づけをしなくて済むのを知っている。だから、そこに口をつけるつもりだ。

だけど神様って残酷すぎる。多分神様はイタズラ好き。イタズラはKISSだけにして。だって俺がグラスを受け取ったら、KIRINの文字が一番向こう側にあるんだもん。グラスを持ってる人差し指の位置だもん。こんなの自然に口をつけられる位置じゃない。そこに口をつけるためには、グラスをくるりと回さなきゃならない。そんなの「空気を読んで飲みますけど、私は潔癖ですので、誰も口をつけていない場所を選んで飲ませていただきます」と言ってるようなもんだ。だからくるりはできない。そのまんま、しゃっくりを止めるときみたいな飲み方をしないといけない。

しゃっくり出ちゃった止めよっかなーと言いながら飲む手も考えたんだけど、もう何もかもがめんどくさくなって、グラスを彼に突き返した。そして「己らの唾が俺の口の中に入っちゃうじゃん」といった。もうほんと色々考えるのが面倒だった。今日はなんか色々とうまくいかない日でモヤモヤしてたということもあった。何にも考えずにこいつらみたいにうぇいうぇいしたかったんだけど、できなかった。

そしたら彼も一瞬たじろいだんだけど、空気読んでなのかにこやかに「いや、なんか飲みたそうにしてたからさ」
といった。
そんなわけないやんと思ったが、あ、そうかと思い直した。彼は、俺が神経衰弱してグラスを目で追ってたから勘違いしたんだ。そりゃ申し訳ないことをしたと一瞬思ったが、俺の口は動き出したら止まらない。

「薄いうんこだったらどうだろう」

と言っていた。みんなが俺を見ていた。怪訝そうな顔をしている奴もいた。自分でも薄いうんこってなんだと思った。だけどもう止まらない。

「口から出ているのがよだれではなく、薄いうんこだった場合、君たちはグラスに口をつけるのか」

君たちはどう生きるか、みたいな感じで真面目に言ったんだけど、彼は明らかに不機嫌そうな顔をした。そりゃそうだ。誰だってそんなこと言われたら、自分のよだれがうんこだって言われていると思うだろう。「じゃあいいよ」と言って彼はグラスを引っ込めた。

僕は「君のよだれがうんこってわけじゃないんだけどね」といった。しかし彼はもう僕の話を聞いていなかった。僕は聞こえなかったのかと思ってもう一度、「君のよだれはうんこじゃないよ」と大きな声で言った。しかし僕の声は彼らの喧騒に飲まれた。

僕はとうとう浮いてしまった。水の中に浮かぶ油のようだと思った。それは先ほどのグラスを連想させた。グラスの余った口みたいだとも思った。しかしグラスの口と僕は決定的に違った。グラスの口は僕に見つめられていたが、僕は誰からも見つめられていなかった。グラスの口は綺麗だったが、僕は僕自身が発した言葉によって、ものすごく汚なかった。グラスの口は誰からも気にされていなかったが、僕は誰からもうとましい存在として気にされていた。




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