初めてのデートでカウンターを選んだのは正解だった。この位置であればお互いの顔は見えないから、にらめっこの話題になる可能性は低い。俺はにらめっこに自信がないから、できればその話題は避けたい。おそらく彼女も、俺がカウンターを選んだということで、そのことを察しているだろう。もしかしたら(あ、この人にらめっこに自信がないのかも)とガッカリさせてしまったかもしれないが。

にらめっこに自信のある男なら迷わずテーブルを選ぶだろう。カウンター特有のデート然としているいやらしさを緩和することができて、尚且つ自分の武器を最大限に使うことができるのだから。

男が女を落とす流れはだいたいこうだ。まず、テーブルでビールでも飲みながら他愛もない話をする。内容はなんでもいい。しばらくすれば話題も尽きるだろう。そこで彼女ににらめっこの話題を出させる(今どきにらめっこに興味がない女なんていない)、そしてまあ別にいいけど的な何気ない感じで、用意していたお得意のにらめっこ顔を披露する。たったそれだけだ。そうすれば、酔いも助けて彼女が笑い、次のステップに進める可能性は高い。

「田中君、整形とかしてるの?」
唐突に彼女がそう聞いてきてドキッとした。いきなり顔の話題を振ってくるとは思わなかった。顔の話とくれば、流れでにらめっこの話題になってしまうかもしれないと内心ヒヤヒヤだった。俺はさらっと「してないけど?」と答えた(もちろんしていない)。すると「だってずいぶんにらめっこのポテンシャル高いなと思って」と彼女がいった。

"にらめっこ"という単語が出てきたので、心臓がボンッと弾けそうになった。まさかビール一杯目でこの話題が出てくるとは。俺は今日のデートの失敗を確信した。もうにらめっこをしなければならないのは必至だった。どうせ俺のにらめっこにがっかりするんだろう。俺は野球の消化試合のような気持ちで言葉を返した。「いやそんなことないよ、はっきり言って自信ない。よく整い過ぎだって言われるし」

思えば昔からそうだった。俺は子供の頃から、周りに目が大きすぎるだの鼻が高すぎるだの輪郭がシュッとなり過ぎているだの、散々なことを言われ続けてきた。幸い親が俺を愛し、いつも「たっくんはとってもぶうです」と言ってくれていたので、かろうじて自尊心は保っていたが(「ぶう」とはにらめっこが映える顔ということだ)。
しかし、環境というものは性格に影響する。子供のときから“カッコイイ“という痛すぎるジャブを当て続けられてことで、俺のにらめっこに対する自信はすっかり失われてしまった。にらめっこは選ばれし男がするものなんだ、俺にはにらめっこの才能はない、俺ごときがにらめっこなんかしてはいけない。そう思って、小学校卒業時くらいには、すでににらめっこという武器なしで生きていく覚悟をしていた。それは仕方のないことだった。学歴や収入と違って、にらめっこは努力でなんとかなるものではない。顔の造作という、元々持っている才能なのだ。鏡の前で目をひんむいたり口をひょっとこにしたりするくらいの努力はできても、所詮ハリボテである。根っからの面白フェイスには敵わない。

そんなわけで、俺はいつもにらめっこから逃げた。高校時代など教室で、調子に乗った女子集団に「ねえねえ男子〜、各々のにらめっこ顔見せてよー」などと言われると何気ないふりをして教室を出たし、大学では、にらめっこの話になることを恐れてサークルには入らなかった。もちろん合コンなどには行ったことがない。

しかし、そう簡単に世間の常識に逆らえるものではない。「にらめっこは男のたしなみである」という風潮。今の世の中、誰だって自慢のにらめっこ顔の一つや二つ持っていて当然なのだ。だからメンズノンノに載っているにらめっこ特集は読んだし、YOUTUBEの「誰でも簡単、にらめっこ基礎」だって全部見た。そして、それを参考に何度も鏡の前で顔を崩してみた。だが、いつだって俺の顔は面白くなかった。はっきりいって俺の顔は綺麗すぎた。整い過ぎているのだ。にらめっこの武器として使える特徴が一つもない。悲しいことに何かの少女アニメの主人公の憧れの人みたいな顔なのだ。だから、どれだけ目をひんむいても、歯を出しても、ただのキュートなうさぎにしか見えない。ほっぺたを膨らそうものなら、まるでディズニーの人気キャラクターだ。俺は絶望した。

「そんなことないよ!」と、彼女がいった。語気が思いの外強かったので、俺は思わず彼女の方を向いた。「田中くんの顔はぶうだよ!ぶう!」
「え、ぶう?」
「うん、とってもぶう。あたしずっと思ってたんだ。ねえ、にらめっこしようよ」

ぶう、という言葉を久しぶりに聞いて懐かしさを覚えた。もしにらめっこが得意だったら、こんなにも嬉しいシチュエーションはないだろう。なんせ彼女の方から誘ってくれているのだ。
しかし、俺にとってはただの辛い状況だった。俺はにらめっこの後の、彼女のげんなりした顔を想像した。そして憂鬱な気持ちになった。
しかしここでにらめっこを拒否する訳にはいかなかった。そんなのは男の恥だった。

「にーらめっこしーましょー笑ーうと負ーけよー」
俺の返答を待たず、彼女がそういった。彼女の上目遣いの目を見て(うわっ、北川景子みたい)と思った。こんな美人だったら、残念ながらモテたことはないだろう。忖度なく言わせてもらえば、一万人に1人いるかいないかの、ただの美人で可愛いだけの顔だった。

「あっぷっぷ!」
その掛け声と同時に俺は顔を崩した。居酒屋メニューに例えれば、上唇に舌をグッと入れてのお猿さんフェイス〜寄り目を添えて〜だ。

俺はその顔のまま静止した。周りの音が聞こえなくなって時間が止まったような感覚があった。
俺は彼女の顔を見れなかった。理由は二つで、一つは彼女の残念そうな顔を見るのが嫌だったのと、もう一つは逆に彼女の顔を見た自分のリアクションによって、彼女にショックを受けさせるのが嫌だったからだ。
俺は彼女のにらめっこ顔に耐えるふりをして、しばらくその顔を続けた。そして、もう目の筋肉が限界と思った頃だった。

「あっはっはっは!ダメもう無理無理!」

俺は耳を疑った。それはどう考えてもにらめっこに耐えきれなくなったときに出る笑い声だった。
「ほら!ポテンシャル高い!その真顔からのお猿さんは反則でしょ!」

俺は安心した。俺のにらめっこがウケたことではなく、この場を取り繕うことができたことに対してだった。彼女は俺を気遣って笑ってくれたんだなあ、それにしても作り笑いがうまいなあと思った。

「いやいやマジで笑った。やっぱりすごいわ。周りも言ってたんだよ。田中くんのにらめっこは絶対面白いって」

そう言われても俺は信じなかった。それどころか、なんてこの子は感情を隠す演技がうまいんだと思った。俺の面白くないにらめっこを見てこれだけのことが言えるのは相当の人たらしだ。

しかしある異変に気がついた。店にいるお客の女性陣が、チラチラとこちらを見ているのだ。ちょっと声が大きかったかと思ったが、彼女がいった。
「田中くんのにらめっこが面白かったから、周りの女の子達が気になってるんだよ。いい男にあんな顔されちゃみんな本能で見ちゃうって」

はいはいもうそういうのいいよってと思った。俺はにらめっこを披露してしまったことによって、この後の展開の何もかもを諦めていた。それは自分のにらめっこに自信がないのと同時に、彼女のにらめっこに全く魅力を感じていなかったからだった。申し訳ないが、彼女は美人で可愛くていい匂いがした。それが相まって爽やかな大人の女性の色気を醸し出してしまい、にらめっこが全く面白くなかったのだ。俺は心の中で、彼女に同情した。おそらく相当不遇な人生を送ってきたのだろうなと思った。それは俺と同じだなとも思った。

「あのね、田中くんのにらめっこのいいところはね、、、」
そのあとも彼女は俺のにらめっこ顏について延々と語った。とにかくギャップがいいだの相当お猿さん然としているだのと。彼女は興奮しており、身振り手振りを加えて熱くなっていた。俺は彼女の顔を見ながら、どの角度でもただの超絶な美人なだけだなと思った。

もしかしたら、彼女は本当に俺のにらめっこを良いと思ったのかもしれないと思った。しかしそれまでだった。やはりこの付き合いは長くは続かないぞと思った。なぜなら俺はどうしても彼女のにらめっこがタイプじゃなかったのだった。