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『ウォーキング・イントゥ・クラークスデイル』(Walking into Clarksdale)
1998年リリース

ミシシッピ州クラークスデイルがブルース聖地として世界中のブルース・ファンを誘い寄せる一番の理由、それは「クロスロード伝説」である。”ロバート・ジョンソンが悪魔に魂を売った場所”として伝わる十字路(クロスロード)がこの町にあり、この悪魔との取引によって、彼は超人的な歌とギター・テクニックを手に入れたとされている。



嗚呼、クラークスデイルとアルバム・タイトルに入れといて、ブルース感がない。ブルースにステロイドを注入してブルースを再構築してみせたLed Zeppelinの面影はなく霧がかかっているようである。まぼろし~と人差し指を揺らしてしまいそうである。

それでもペイジがデイヴィッド・カヴァデールと組んだCoverdale-Pageよりは数百倍いい。Coverdale-Pageでのペイジはギタリストのエゴは強烈に示したが、コンポーザーとしては最低の仕事っぷりであった。

だが、ペイジとプラントはWalking into Clarksdaleで何がやりたかったのだろう。

嗚呼、もうこの2人が組んでも、あの世界中を夢中にさせた、火傷しそうな、ソリッドで破壊力満点で、強烈な音がぶっ飛んで来たような、性衝動丸出しの、脅威の、空前絶後のロックは作れないのだ。このアルバムはその事実をオレ達ツェッペリン信者に突きつけたのである。
ペイジの黒魔術はとっくに種切れなのである。
才能は枯渇するのか。フランス文学者の内田樹は、
才能は「贈り物」であり、自己利益のために用いると失われる、「世のため人のため」に使っているうちに、才能はだんだんその人に血肉化してゆき、やがて、その人の本性の一部になる、そこまで内面化した才能はもう揺るがない、他人のために使うと、才能は内在化し、血肉化し、自分のために使うと、才能は外在化し、モノ化し、やがて剥離して、風に飛ばされて、消えてゆくと、言っている。
ペイジはツェッペリン時代、自己利益だけに才能を使ったのだろうか。否定できない何かがあるな、銭ゲバだし。
とにかく悲しいことに2人が組んでもオレ達が待ち望んでいるファッキン・ロックンロールは生まれない、マジックは生まれないのである。で、プラントは世界をリードするようなファッキン・ロックンロールの担い手に興味を失ったか、もともと興味などなかったか。

『No Quarter: Jimmy Page & Robert Plant Unledded』での中近東臭さはこのアルバムでも健在である。
このアルバムはおそらくプラント主導で制作されたんだろう。悪くはない。ペイジのギターも悪くない。エゴがコントロールされている。整合感がある。ツェッペリン信者のハートもケツも揺れないだけだ。

Part2に続く。続くの?続くかも。
Walking Into Clarksdale
Page & Plant
Mercury
1999-06-18


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