カテゴリ:黒部晃一 > 現在帳2017-三期

メタモルフォーゼの条件は一つの境界からまた別の境界へのそれでなければいけない――ここまでは良いにしても、それをあからさまに自己言及的に行っても大して面白くあるまい。F0922-1は箱の内部の三面が衝突する頂点が外部の三面が衝突する頂点に変移する状況を表した概念図である。しかし、これを試行してもライティングの違いによってわずかに違って見える面分の明るさがかすかに変移するだけのメタモルフォーゼにしかならない。形状的には面から発する法ベクトルが180度異なる違いを持つにもかかわらず、その違いをほとんど感ずることはできない。少なくとも外形的なフォルムの変化は発生せず、カメラを大きく動かさない限りサイズの変移もない。
F0922-1
では、箱の内部に存する一つの頂点が到達すべきもう一つの頂点がまた別のオブジェクト上の頂点であれば良いのか。F0921-2は、左の箱が、右の箱だかキューブだかの外側面における一頂点に変移する状況を表している。左の箱と右のキューブは大きさが違っている。左の箱は立方体で右のキューブは直方体であるものとして、別のオブジェクトであることを分かりやすくしている。つまり頂点という共通性以外に異なっているのは、頂点を構成する三面の法線ベクトル、あるいは頂点上から出る法線ベクトルの向きの他は独立したオブジェクトの違いという二つである。しかし頂点を境界としている限り、メタモルフォーゼの結果はあまり期待できそうにない。
F0922-2
三面が衝突する頂点が境界なら、二面が衝突して形成される稜線も、まごうことなき境界である。この頂点から稜線へのメタモルフォーゼなる事態は考えられるだろうか(F0921-3)。
F0922-3


[2018-0815]に板状オブジェクトが左右に開いている様を正面から見る風景を描いた。この風景でモーションを与えられたのはカメラだけであった。カメラ自体の位置は定点観測の不定で、二種類のエンプティを使用して回転するその内の一つを追尾することで静止するカメラに回転もーションを与えていた。では二枚の板状オブジェクトに何らかのモーションを与えるとしたら、どのようなケースが考えられるか。もっとも簡単なモーションは、最初二枚の板は閉じていて、それが徐々に開いていくというものになる。F0817-1のように、隙間なくぴったり閉じられていた二枚の板が時間をかけて開いて、[2018-0815]に描いた状態に変化するというモーションである。板は45度(-45度)の回転角度を持っていた。しかし板の回転はここにとどまらず、さらに回転を続け最後には180度に回転にまで達する。テクニカルな話をすれば、板回転の基点はF0817-2に示したように、板の左右どちらかの端点であらねばならず、基点(もしくは基軸)を軸回りの180度回転すると、二枚の重なった板は上から見ると、上方向に板の横幅分だけ移動してしまうことになる。前面から見れば、横幅分だけ奥に移動する。移動した重なった二枚の板をカメラがどう追尾するかはまた次のテーマになる。

次いで重なった板は逆にまた開いていく。説明が難しいが、最初の板開帳が奥の端を基軸とした回転だとしたら、次の開帳は板の下端を基軸として行われる。ここは上端を基軸とした開帳でも構わないが、ともかく重要なのは重なった二枚の板はすべての端を基軸として開帳、回転を繰り返すシステムを採らねばならないということである。なお「開帳」とはWikipediaによれば次の定義となっている。仏教用語なのかどうか分からぬが、ともかく普段は秘仏となっている神秘的なものを開示する行為であり、その状態を指す言葉である。

【開帳】
開帳とは、仏教寺院で本尊をはじめとする仏像を安置する仏堂や厨子の扉を開いて拝観できるようにすること。

普段は隠されていて滅多に人の眼に触れられない神秘的なものを、特別の時に短時間見せるものだ。あるいは元々何でもないものを開帳という行為によってそれを神秘にするということなのかもしれない。

キューブ状オブジェクトは前面、背面、上面、底面、右側面、左側面の六面を持つ。ところがここで板に対して行う開帳(閉帳)の種類は次に四種類に限られる。

○前端
○奥端
○上端
○下端

仮に板開帳(閉帳)の順番を、仮に奥端→下端→→前端→上端→前端とした時、二枚の板は最後に閉帳した際、どこまで移動しているだろうか。それとも始めの位置の戻るのだろうか。また回転基軸をエンプティで決定するなら、その数が相当数に及ぶ。一枚の板につき上の四種類だから、二枚の板で総計8つものエンプティを要する。

キューブや球(スフィア)が自ら発光する擬似光源としてのオブジェクトたり得るなら、それらのサイズを極限まで小さくして点光源とほとんど変わらない存在を与えることもできないわけではない。多分普通のCG表現でも試されているだろう発光体としての球と同じ場所に点光源を置いて、そこから光を放つ状況をシミュレートしたモデルを考えてみたい。この時点光源は小さな球の内部に閉じ込められて光を放つことができないのか。以下は通常のCG(blender)入門書とさして変わらぬ内容を、手順を追って丁寧に行なった解説である。まずF0711-1は白い台の上に乗った白い球、そして白い点光源を数個配した最小限かつデフォルトモデルである。blenderなら、キューブの代わりに球をいただけのモデルである。F0711-2は球を発光体に変化させている。点光源の位置と数は変わらない。F0711-3は球を半透明にし、F0711-4にて、球の中にEnergy10ほどの強い点光源をを一個置いている。

①  デフォルトの球と台 
②a マテリアルタブで球を発光体にする。Emit値を0.3程度にする。
②b ワールドタブで球以外の環境設定
③  球を透明体にする
④  球の中心に強度10程度の点光源を置く。

●デフォルトの球と台 
F0711-1a
●マテリアルタブで球を発光体にする。Emit値を0.3程度にする。
F0711-2a
●ワールドタブで球以外の環境設定
F0711-2b
●球を透明体にする
F0711-3
●球の中心に強度10程度の点光源を置く。
F0711-4 

次はほとんど遊びとCG初学のおさらいを兼ねた簡単なテストである。通常のCGは、多少の色を持ったオブジェクトに対して白い光源を照射させ、そのレンダリングを行って画像を生成する。逆に白いオブジェクトに対して色を持つ光源が光を照射させてレンダリングを行うと、やや深みを覚える非日常的な景観を帯びる。この光とオブジェクトが持つ色の組み合わせパターンをいくつか考えてみたい。例えば、白いキューブに白い光を照射するのはごく当たり前のレンダリングであるが、白いキューブに黒い光を照射するとキューブはどのように見えるものだったか。「ブラックライト」なるライトがある。次はそのブラックライトのWikipediaからの引用とネットで拾ったサンプル画像である。

【ブラックライト】
ブラックライト(英語: black light)とは、わずかに眼で見える長波長の紫外線を放射する電灯である。ブラックライトの光自体は人間の目にほとんど見えないが、ブラックライトを当てた物体は内部に含まれる蛍光物質だけが発光するため、非破壊検査の磁粉探傷試験に使われるほか、視覚効果の一種としても利用される。
F0710-0a
F0710-0b
実際にはブラックライトを見たことはほとんどない。今から数十年前に少し通ったロック喫茶の店に設えてあったのか、それを設えているロック喫茶の店が多いということを常連の客に聞いて覚えていただけなのか、今こうしてネット検索して初めて眼にするように思われる程度の記憶しかない。しかしこれを見ると、「ブラック」と言いながら、紫色かブルーの色の光を放っているのがブラックライトであり、当然のごとく「真っ暗で黒い」光を放っていたりはしない。しかし、CGでは原理的には完全にブラックの光を白いオブジェクトに照射することが可能になっている。ここで簡単なモデルを三つ並べてみる。F0710-1aは白いキューブの右側に通常の白い点光源を照射しているモデルである。F0710-1bは同じ白いキューブの右側に赤色の点光源を照射しているモデルである。F0710-1cで右側の点光源を黒い色にしている。
F0710-1
ただ当たり前と言えば当たり前だが、点光源の色を黒にすることとは、その光源を存在しないことにするのと同じである。よって、F0710-1cの右側の点光源は存在しないことになり、ここからの光の照射はない。右のキューブ側面が真っ暗になっているのはそのためである。 

そうすると、先に試した発光体モデルのテストもほとんど成果のほどは期待できない。自ら光を発するオブジェクトたる発光体に黒い光を照射しても、それがが光のない暗闇にぽつんと発光体を置いた状況と変わらない。逆に黒いオブジェクトに白い光を与えた方が、スペキュラー光だけを持って面白いかもしれない。F0710-2aは発光体キューブに黒い光を照射した(光を当てない)例であり、F0710-2bは色を持たない黒いキューブに白い光を照射してみた例である。
F0710-2
 ●黒いキューブとそれを照らす白い光
○黒いキューブ色=(0,  0, 0)
○光源色=(1, 1, 1)

上記「黒いキューブとそれを照らす白い光」と「発光体としてのキューブと黒い光(光源なし)」の中間状態を提示しても大した面白さはないだろう。テクニカルな話しを具体的にするなら、キューブと光源二種類のデータは次のようになる。キューブ色は白とし、マテリアルのEmitの値を0.5程度とし、光源色を白ろ黒の中間値のグレイ、もしくはEnergyを0.5とでもする(半分点灯)。これをF0710-3に描く。

●発光体としてのキューブと黒い光
○発光体キューブ色=(1,  1, 1)
 Emitの値を0.5
 Indirect  Lightingをチェック
 GatherのApproximateを選択。
○光源色=(0.5, 0.5, 0.5)、もしくはEnergyを0.5
F0710-3

[2018-0708]のモデルは光源とオブジェクトの一体化を目指して想像されたプランだった。ただ光源がスポットの輪でしか表現されていない点は不十分だった。光源なる存在が実体を持たない「オブジェクト」であるのは言うまでもない。いつも使用して適当な位置に数個配する点光源も実体を持たず、その存在は照らされた物体、オブジェクトの存在で初めて知られるところとなる。通常の実体を持つオブジェクトと実体を持たない点光源との相違から次のモデルを着想したのでメモしておく。

これもCG初学のおさらいのようなレポートになるが、光源には点光源以外に上記のスポット、平行光線(太陽光)、環境光(多くのツールにおいて、環境光は光源タイプの一つとしては勘定されず別のアイテムとみなされる)それ以外に、やや特殊な光源タイプとして線光源、面光源などがある。この中で面光源はそれ以外の光源に比べるとやや実体感じさせる光源タイプである。実体を持つキューブの6分の1が同じく多少の実体を持つ面分であるとするなら、面光源も多少の実体を感じさせる光源だと見てもいい気がする。回りくどい言い方をやめて直截的に言えば、この面光源を6枚組織して作るキューブは相当実体を持つ光源として上昇するのではないかと思われるのだ。また6枚のそれぞれの面光源が通常の実体を持つオブジェクトの面分との間の光源度、もしくはオブジェクト(実体性)のパラメータを調整できるのなら、それを少しずつ変移させるモデルも考えられる。

ただ途中で気づいたが、面光源の指定は困難で、オブジェクトを発光体化した方が良い。
F0709-1は台の上に一枚の面分オブジェクトが屹立する変哲もないモデルである。適当な位置に二個の点光源を置いて屹立する面を照らし、面の強い影が台の上に生じている。
F0709-1
F0709-2は発光体化した同じ面分が屹立する様子を描いている。
F0709-2
○台 サイズ(10, 10, 1):位置(0, 0, 0)
○面分 サイズ(4, 4, 1):位置(0, 0, -4)
○面分のマテリアルデータ:Emitの値を0.5。
○面分のワールドデータ
Indirect  Lightingチェック。
GatherのApproximateを選択。

以前、CGの究極の目標は画面内で、オブジェクト(物体)とカメラと光源が渾然一体となった何かを表現することであると書いた。blenderなら最初のデフォルト画面において、すでに一個のキューブと一個のカメラ、一個の点光源が配置されており、カメラから見た点光源に照らされたキューブを見る絵が設定されていた。当然のごとく、オブジェクト(事物)を見るためにはカメラの存在を必要とし、オブジェクト(事物)を照射する光源の存在が欠かせない。このCGを実現するための三つのアイテムが渾然一体となった何ものか、もしくは何ものかが君臨する地平に到達し、それを表現し実現することがCGの使命であると書いた。例によって中断されて放擲していい加減なテストで、カメラとオブジェクトの一体化の手前までは行ったように覚えている。以前描いた図の再録になるが、F0708-1のようにカメラが回転するキューブの前面に徐々に接近し(a)、次いで、上面を見下ろす位置に移動した後(b)に、キューブと同じようにカメラも回り始め(c)、最後はキューブ頂点にカメラが貼り付いて(c)、カメラ=キューブ頂点となって、二つのアイテムが同じであることを擬似的に実現するという按配だった。

F0708-1a

F0708-1b
F0708-1c

実際のキューブ表現には、キューブを囲む部屋四方の壁の存在を欠かすことはできない。これも途中までテストして挫折しているが、多分最初は分離しているカメラとキューブと、最後は一体となるカメラ=キューブとの違いは、カメラが見る周囲の四方の壁の回転する速度なのである。

このように、回転等のモーションを伴うオブジェクトやカメラが必須条件であるのはやや疑問であるにせよ、オブジェクトとカメラの一体化、あるいはオブジェクトへのカメラの接近についてはある程度目安はついている。ところが、最後の光源のオブジェクト、カメラへの接近が甚だ心許ないのだ。つまりカメラ=オブジェクトはどうにかなっていても、カメラ=光源、オブジェクト=光源については想像が難しい。

これも再考になるが、考えた一つのモデルが、例の懐中電燈電燈のようなポットライトの生成する光の輪とそれが照らすオブジェクトとのズレである。否、ズレというよりは、一種の遅延である。F0708-2は左から右に走行するオブジェクト(キューブ)とそれを照らそうとする同じく左から右に走行するスポットの輪の遅延を表している。aの時点ではまだ輪はキューブに追いついていない。bでようやくキューブに追いついて輪のちょうど中央にキューブを捉える。cでは逆に輪がキューブを追い越してしまっている(ここではたとえずれてしまっていても、追い越してしまったcの状態は必要ないかもしれない)。
F0708-1a
F0708-1b
F0708-1c
F0708-2a
F0708-2b
F0708-2c


なお、これにさらにカメラの動きを追加してみる。F0708-3(略)は左から右に走行するキューブと光の輪をカメラが追尾する図である。ただこの図は先の図の中のキューブと光の輪を右にずらしただけの図とも言える。その他に、懐中電灯で照らされるカメラが逆に懐中電灯の電球を見返すなどの幾つかのシミュレーションを想像したりはした。しかし決定的なものは得られていない。スポットの輪ではなく、たとえば点光源でそれを表すことはできないものか。オブジェクトとは異なり、点光源もカメラも実体を持たないという点ではよく似ていると言ってもいい。

次もテクニカルな問題である。一つのオブジェクト(キューブ)に回転基点として二つのエンプティを貼り付けても、二つのエンプティが親になることはないとすでに述べた。二つのエンプティが親になるという言い方も妙だが、二つのエンプティを回転基点a(エンプティa)、回転基点b(エンプティb)とするなら、そのいずれをもキューブの親とした後、エンプティaを基点にしてキューブ+エンプティbを回転した後、回転後のエンプティbを基点にしてキューブ+エンプティaを回転することはできないということだ。すなわち、F0707-1の描いた図のように二つの回転基点を基点にした回転を続けて行うことはできない。そこで現在考えられるのは次の方法である。次の手順で図の結果を得る。
F0707-1
①まずキューブ、エンプティa、エンプティbの位置を決定し配置する。
②キューブとエンプティbをグループ化もしくはジョイント化する。
③「キューブ+エンプティ」を子、エンプティaを親とした親子関係を設定
④エンプティaをを基点に、「キューブ+エンプティ」を-45度回転。
⑤キューブ+エンプティ」とエンプティaをの親子関係を解除
⑥キューブとエンプティbのグループ化もしくはジョイントを解除する。(つまり①の段階に戻る)
⑦キューブとエンプティaをグループ化もしくはジョイント化する。
⑧「キューブ+エンプティa」を子、エンプティbを親とした親子関係を設定

非常にわかりにくい上に面倒である。もっと他に方法があると思うのだが。
ただ、今試してみたら、エンプティとキューブはジョイントできないことを発見する。もちろんエンプティを親としキューブを子とする親子関係の設定はできる。エンプティのあるべき場所に小さな球など仮のオブジェクトを置いて回転させ、その回転後の座標値をメモして新たに作成したエンプティに同データを与えて位置を決定するしかないのか。

先の二棹の箪笥に挟まれたフローリングワイパーの最初の状態のみを図解する。使用するパーツは次の通り。

○右箪笥 サイズ 8, 8, 15    :位置 25, 0, -2
○左箪笥 サイズ 8, 8, 15    :位置 -25, 0, -2 
○板   サイズ 4, 6, 0.5   :位置 0, 0, 0 
○球   サイズ 0.5, 0.5, 0.5 :位置 0, 0, 0 
○柄   サイズ 0.5, 0.5., 20 :位置 0, 0, 20 
○床   サイズ 40, 40, 1 :位置 0, 0, -18
○エンプティ 位置 16.5, 0, 13 
F0707-2 

行き詰まってきたので、『机と椅子の間 芸術ノート2018Ⅱ期』の巻頭言をここに書いてみる。

●通常の人間の意識
人が事象や物象を観察する際の通常の意識状態。これは現在という一点をターゲットとした意識であるが、現在が一点である限り、必ず未来に対する予感や予測がその意識にはあり、また過去に対する追憶、回想もそこにはある。今ここにある林檎はもちろん意識されている。しかし、その林檎が今後どうなるのか、どこかに転がっていくのか、包丁で皮を剥かれて皿に盛られいずれ胃の腑に収まっていくのか、そうした林檎についての未来予測なくして林檎への意識を保てるとは思われぬ。また林檎は、これまでの林檎にまつわるあらゆる記憶、ついさっきそれを購入してきたスーパーアオキの記憶や、幼少時から今日までずっと食べ続けてきた林檎の記憶、さらには図鑑や教科書で覚えてきた林檎の歴史や知識への追憶や回想を抜きにして今ここの林檎への意識が成るとも思われない。これらは林檎の未来と過去にまたがる時間についての話である。一方、林檎の空間についても今此処を境界とした彼方(かなた)と此方(こなた)についても語らねばならない。当然のごとく林檎の背景は林檎に隠されて見えず、林檎のこちら側にある花や食器への意識は排除されねば林檎に対する想いを持てず、また他の眼の睫毛や鼻など顔近辺にあるものは眼に見えない(この此方についてはやや再考の要あり)。つまり、現在の一点そのものははっきり意識できないのと同時に、空間的にも此方と彼方への茫漠たる意識を持たないと、決して林檎なるオブジェクトへの意識も持ちようがないのである。

●夢見と夢の回想、意識の喪失
茫漠として捉えどころがなくても、睡眠中に見る夢も紛れもなく一つの意識のありようを示している。しかしつい本当の深い眠りに陥りそうになり、それまでずっと見てきた夢を必死に思い出そうとすることがある。ところが夢を思い出す最良の方法は、再度眠りに入りまた夢の続きを見続けることなのである。これは当たり前のようでありながら、幾つかの矛盾した問題を孕んでいる。まず、眠りに入る意思、その努力とは何か。人は眠りに入る瞬間を覚えているものなのか。そもそも眠ろうとする意思とは何なのか。それは結局日常的に感ずる意識を消去しようとする意思なのだ。極端に言えば自殺しようとする意識にも近い。逆説的ながら、夢を思い出そうとする意識は意識を消そうとする行為と努力でもあるのである。

●私は全ての他者である
ウィトゲンシュタインは「あなたは私の歯の痛みがわかるか」という問題を提起した。最近は「ラバーハンド実験」なるテストの報告を知ることができる。これは自分の腕とマネキンの腕をの両方を同時に長期間刺激して、古い脳には他人の痛みと自分の痛みは区別がつかないのに「これは<私>の痛みだ」というのは新しい脳によって構成された認識であることを証明するテストである。途中の詳細は省略して結論だけ言えば、「痛み」とは個我意識に他ならず、個我を消せば他人の痛みも感ずることが可能になる。逆に言えばどこかの他人が個我に乗り移ればあらゆる「痛み」は消失する。また夢の大きな特徴として、日々無意識に感じている不安や怖れなど感情がそのまま具現化したとしか思われない風景や状況が顕現する点がある。全くの推測だが、これは自分が他人の意識を共有し、個我が消失してどこかの他者と化したための現象ではないか。

●その他
まとめて結論だけ。
○人(私)はすでに最初から死んでいる。これを知悉すれば、死の恐怖から逃れられる。
○私は世界との境界を持たない。元々一体となっていたものを分離した結果発生した<主客>の区別はない。
○あらゆる過去と未来は存在しない。
○世界は存在しない。
○絶対虚無の私しかいない。

最終的には世界は存在せず、他人もおらず、絶対虚無という私しか存在しない。これが結論である。人類がなすべきはこの結論のための延々たる証明と、自らの虚無への没入の実現しかない。

以下はごくテクニカルなテーマである。二棹(箪笥を数える時の単位である)の箪笥の間に置かれていたフローリングワイパーがその後転落して床に貼りつく際には、それをいろいろな場所を基点にして回転させねばいけない。回転の基点はオブジェクトに親子関係で関係させた不可視のエンプティの中心とし、回転そのものも、その中心に対して行うものとする。そしてそのエンプティが局面に応じてさまざまに変化するので、問題が厄介になる。

最初に正常なフローリングワイパーに与えるエンプティの位置を以下のごとく決めてしまう。最初は箪笥が立方体キューブになって、それまで箪笥の高い位置に寄り掛かっていたワイパーがバランスを失って回転(奥行きの軸=y軸回りの回転)を始める時の基点である。これは最初の直方体箪笥の高さによって違ってくるので後で調整が必要になるが、ひとまず柄の中央辺り①の位置にしておく。次が立方体になった箪笥の左上頂点上に置かれる基点(②)である。ワイパーは奥から前に稜線上を滑走するだけなので、①と②は奥行きだけが異なり横と高さは同じデータを持つ基点となる。なお、この②を基点とした回転がどの軸回りの回転なのかがよく分からず、多分全部の軸回りだろうことは書いている。

ここでフローリングワイパーは床に転落する。転落して最初に床に接地するのはフローリングワイパーの棒上端というよりは、下端に取り付けられた板の四方どこかの頂点(③)である。柄の棒と柄下端に付いている平面状板はおそらく小さな球状のオブジェクトで繋がれており、この球を回転基軸として柄の棒と裏返った平面(平面表側の方に柄の棒が取り付けられている)はややねじれた位置関係になり、柄の棒上端が床に接地しても、板の四方頂点のどれかも接地し、板は床から少し浮いた状態になる。この三箇所の回転基点をF0705-1に描く。
F0705-1
ただあらためて実物のフローリングワイパーを観察すると、柄と板との接続は球ではなく、下写真のような小さな部品によってなされていた。また、板を裏返して床に置いてみた写真が次の写真であり、柄の棒上端が床に接しているのに対し、板はわずかに床から浮いて、図に示した箇所が床に接しているのが分かる。どうでもいいような床とワイパーとの関係であり、現実にもこんな置き方ををされるワイパーの存在などないには違いないが、他ならぬフローリングワイパー自体が虚無的存在であり、だとしたら、その虚無性を一層強調するありようとして上述の置かれ方が考えらててもいい。
F001-2
この後、床に接地して入り③を基点にして大きくワイパーが回転したらおかしいだろうか。

フローリングワイパーのモーションのみを辿ってみると、次のようなところか。

①最初は高い背を持つ直方体の箪笥と箪笥の間にフローリングワイパーは隠れて、保管ないし置かれている。つまり箪笥に立て掛けられている)。

②箪笥は徐々に高さを短くしていき、最後に立方体となる。ワイパーの柄と箪笥の接触する部分が一点を超えた時にワイパーはそこを基点として奥方向の軸(y軸)回りに頼りなく回転する。ワイパー柄下端の板が床から浮く。

③接触している立方体箪笥の稜線上をワイパーの柄が前方(手前)に滑っていく。

④立方体箪笥の上方手前頂点を基点としてワイパーが大きく回転する。この回転がどの軸回りの回転になるのか。多分何種類かの回転を組み合わせた回転になるのだろう。

⑤浮いていたワイパー先端の板が床に接地する。ただし、完全に板の裏を床の表にぴったり付ける接地ではなく、板のどこかの一つの頂点が床の平面に接するのみ。

⑥その接した平面頂点を基点として今度はワイパー全体(平面+柄)が大きく回転して柄の上端を床に接地させる。

⑦平面が床にぴったり付く。まだ柄はわずかに浮いている。

これにさらにカメラのモーションを追加しなければいけない。ただカメラはあまり細かく移動しても仕方なく、大きく動くのは、長い柄の上端から下端にかけての直線運動のみである。

ネットで検索すると、フローリングワイパーを収納するスタンドまで商品として売られているようだ。次の写真は、山崎実業なる会社の「 フローリングワイパースタンド プレート ホワイト 7860」という製品である。
F0703-0
やはり、フローリングワイパーと呼ばれる製品、オブジェクトは、収納も難しく、使用する際にもどこか隔靴掻痒に近いもどかしさを与えるのだろう。それはオブジェクトの形状にもつながっている。最下端の平たい平面は通常床にぴったり付けて使用される。これと床との間に隙間があると、うまく平面状の板裏に取り付けたシートでゴミや埃を取ることができない。しかし手に持つ柄との接続感はどううも頼りなく、柄を振り回すと、板は勝手に傾いてしまう脆弱さがある。以前川崎にいた時に来てもらっていたホームヘルパーが言うには、一度使用したらシートは裏返してもう一回使用できるということだったが、ゴミの付着したシートをはがして裏返し、また取り付けるのは不自由な指にとっては難儀で、あまり使用したくない日常品のうちの一つだった。
そして[20118-0702]にも書いたように、部屋のどこか片隅の収納にも苦労した。否、苦労するというにもオーバーだが、まさか食卓のすぐ横に立て掛けたりすることもできず、リビングのソファからすぐ見える壁に立て掛けたりすることもできず、やはりそれは部屋の片隅の二つの箪笥の間辺りにひっそりと収納される以外なかった。箪笥が一個だけだと、一個の箪笥、床、壁の三つの平面に寄りかかるしかなく、それはすぐに目に見えてしまう。二つの箪笥の間に立て掛けられることによって人の視界から逃れることができたのだった。

そこで上の「 フローリングワイパースタンド 」という製品である。左の写真は壁にぴったり接触してごくさりげなく立っている。意識しなければこれがフローリングワイパーを収納している箱(箱と言っていいのか)とは思われない。意識しても、妙に長いが、実は何なのかよく分からないオブジェクトかもしれない。あれば便利だが、特に購入するまでもない商品だとも思わせる。1800円という価格も安いと言えば安いが、高いとも言えて妙に中途半端な価格である。要するに商品自体がこの世に存在してもしていなくても良い中途半端な存在なのである。

またフローリングワイパーに話しを戻す。結局表現すべきはフローリングワイパーの極端な脆弱さとそれに伴う絶望感になるのだろうか。否、やはり絶望の中の希望の光をも見出していくべきか。これは大してエキサイティングでも神秘的でもないモチーフで、少しでも何らかの意義があるとすれば不安定なオブジェクトを眼が追尾することの意識の不安定さである。カメラは長い棒状のモチーフをその形状に沿って移動しなければいけない。キューブの稜線がそうだったように、オブジェクトの追尾は、オブジェクト内の稜線部分を少し上から俯瞰して稜線に沿って滑走するのが必須である。その意味で球のように曲面しか持たない形状は追尾が難しく、あるいはできないのかもしれない。フローリングワイパーは柄の部分が細い円筒形となっていて、確実に円筒形に沿って直線的に滑走できるとともに、そのカメラから見た風景の目まぐるしい変遷を得ることができる。

実際の風景を見てみると、箒やフローリングワイパーは、周囲になにもない場所から急に壁に立て掛けられるよりは、やはり書架や棚などが集まっている所の隙間にひっそりと立て掛けられることが多い。よってF0701-1の図はF0702-1三面図のように修正した方がいい。
F0702-1
ただ、書架は主にリビングに置かれることが多いので、箒等は二つばかりの箪笥の間に立て掛けられるのがよく見る風景である。多分二つの箪笥は結構な背の高さを持っていて、これも結構な長さを持つ箒やフローリングワイパーを隠すのに役立っている。箪笥が立方体のように背丈が短いと、箒はともかくフローリングが上端から飛び出してしまい妙に目立ってしまい、元々座りの悪いフローリングワイパーの落ち着きをさらに悪くしてしまう。書くまでもないが、これを極端に強調して図解したのがF0702-2である。
F0702-2
箪笥はフローリングワイパーを支える箪笥というよりは、ワイパーの一種の付属品のようにして床上に置かれている。あるいはワイパーの下端に従属している。ここまでの状態になると、ワイパーは不安定になり、立て掛けられる状態を越えて、転倒して二つの立方体箪笥の間から飛び出しそうになってしまう。二個の立方体とそれとは無関係に床に転がっているワイパーという情けない風景を目にするばかりだ。そこを歩くと、足が立方体箪笥にぶつかったり、ワイパーを踏んづけたりして、こちらの身の方が転倒しそうである。現に最近、上がり框に足をぶつけて転倒しかけたことが何度かあった(「上がり框」という普段はあまり聞き慣れない用語を、病院の療法士が普通に使っているのは面白かった)。この二個の立方体箪笥と床に転がったワイパーの図もF0702-3に描いてみた。
F0702-3

現在日常的に使用しているオブジェクトの中で、形状が細長く、妙に落ち着きの悪いものが二、三ある。落ち着きが悪いとは、それの保存する状態が落ち着かないということである。一つは箒。この箒は室内を掃除するための箒というよりは家の裏にひっそりと建っている倉庫の床を掃除するための箒を思わせる。以前も引用した気もするがここで再度Wikipediaから引用してその定義を載せておく。

【箒】
主に掃除(清掃)に使用する道具の一つである。形状は、植物の枝や繊維などを束ねたものを棒の先に着けている。その繊維などはブラシまたは大型の筆状や刷毛状を呈しており、それにより床面や庭などの塵やごみを掃く。大きさや材質には種々のものがある。

●箒
「箒」の形状を大きく分けると、手に持つ「棒」と棒に付けられた「ブラシまたは大型の筆状や刷毛状の植物の枝や繊維」の二つになる。棒の方は素材が木やプラスティックであっても、さしたる違いはないが、今使用している箒は「筆状や刷毛状の植物の枝や繊維」の素材というのか手触りが妙に固く、畳などの繊細な床を清掃するのには適していないのだ。この「筆刷毛状の植物の枝」はいわゆる竹箒ほどではなくても、コンクリートなどで作られた床や戸外の硬い土で出来た床を掃除するのにふさわしい枝なのだ。よって室内の畳などを掃く際には妙に神経質にならざるを得ない。もしかすると枝の中に紛れ込んだ虫やムカデが枝から落ちて床の上を走って逃げるかもしれず(現に今年2匹目のムカデを昨日見つけたばかり)、硬い枝の先端が畳の微細な目を傷つけるかもしれない。とまれ箒は縦に長く細長いオブジェクトなので、どのように保管するのが最も良いのかがよくわからないのだ。どこかの棚に載せておくのも妙なので、今は本箱の隅、本箱と壁の境界の辺りに立て掛けておくしかなく、そうすると、先端の筆刷毛状の植物の枝」(適切な呼び名が見つからなくいらいらする)が自らの重みでしなって曲がってしまう恐れがあり、どこか座りがよくない。次は時々使用しているその箒の写真。
F0701-0a
●フローリングワイパー
二つ目のオブジェクトは、病気になってホームヘルパーの人に教えられて初めて知ったフローリングワイパーだ。これも箒と同じような用途を持つオブジェクトであり、長い棒の先端に付けられた平たい板の裏側に紙で出来たシートを取り付け掃除する(どうでもいい情報をメモしておくと、使い捨てのシートには乾いたものとウエットと二種類あり、両方使う時には最初に乾いた方を使い、次にウェットのものを使うらしい)。こちらも保管する時に気を使う。第一それは「保管」するのかもどうかが分からない。単に置いているだけのものかもしれない。とは言っても、置き方を説明するのも難しい。やはり単に立て掛けているだけとしか言いようがないが、箒と同じく「立て掛ける」とはどこにどのような状態で関与することを指しているのか。現実には、フローリングワイパーは長いので先端の板の方は床にぴったり接地させ棒の方は壁に立て掛けることになる。つまりF0701-1に描いたように棒の上先端は壁(現実には押入れの襖)に接触して保管されることになっている。
F0701-1
ただ箒と同じく保管というよりはただ置いてあると呼んだ方が良い。次はこれも時々使用するフローリングワイパーの写真。
F0701-0b
●三脚
今や使用することものなくなったスリック製の三脚。以前の仕事場で、演奏会撮影のためにカメラなどと一緒に購入した製品である。しばらくは今後も使う機会があるかもしれないと思っていたが、その幽かな希望はもうその機会は二度とないという絶望に取って代わった。したがって邪魔で仕方がなく、置いてある寝室からトイレやキッチンに移動するだけでも、視界の隅に入ってくるため、どうしても意識せざるを得ない。決して今後も使用されることがないのははっきりしているし、買取専門店に売ってしまってもいいのだが、50万ほどしたカメラとともに、やはりまだ手放すことができないでいる。これも三本足で立っていない時、折り畳まれて一本足になってソフトケースに収納された時はどこかに立て掛けて保管する以外にない。上記二つのオブジェクトに比べたらまだ横に寝かして保管してもいいのではないかと思わせるが、横にした場合はどの部分を下にしたらよいかに神経を使う。上端にはアダプタやらネジやらなんやらの部品が取り付けられていた記憶があり、横にした時の上下の向きによっては、部品の破損につながるかもしれないという心配もある。
F0701-0c
●杖
ついでに写真を載せておく。同じようなオブジェクトで毎日使用する杖。よく床や地面に転倒させるので、表面がすっかり剥がれてしまっている。これもどこかに引っかかりがないと地面の対して屹立することはできない。
F0701-0d
 

コンサート会場。係りのスタッフらしき人から、目的のピアニストは何幕の何番目に出演するというようなことを教えられた。周りを見ると、テーヴル席もあり、コーヒーやタバコを喫している人もいる。ここは喫煙可なのかと思った。また入場料6000円を払わずにこっそり会場に入ってきており、それがバレることを恐れていた。後で、受付でその6000円を払ったようにも覚えている。

長年音楽大学に勤務していたこともあり、コンサート会場の夢を見ることも多い。その多くは、裏方スタッフとして会場裏をウロウロ彷徨う夢であり、実際に受け持った仕事も、もちろん撮影を始めとする裏方の仕事である。まだコンピュータの外付けハードディスクには夥しい量の演奏会を撮影した映像が残っている。だが、どこからどのように何台のカメラを使って撮ったらいいのかが分からず、苦労しっぱなしだったのも事実である。たとえクラシック演奏会でなくても、例えばソロのヴァイオリン演奏にしても、それをどのように撮影するのが理想なのか公式のマニュアルのようなものは存在しないのではないか。カメラの台数や、設置場所、カメラアングルばかりでなく、演奏される曲目によって、カット割りやカメラワークは当然変わってくるだろう。それらを一つの論文にまとめて紀要に発表することも空想したが、実現の前に病気に倒れてしまった。

いずれにせよ、ここには何重もの疎外感が重なっている。プレーヤーではなく、裏方に回ることがまず第一の疎外であり、撮影が上手くできず、そのやり方もよく分からないこともそうである。また、撮影のために駆けずり回った舞台裏には鉄製の階段が多く、そこにはキャットウォークを歩くような危機感があった。

キャットウォークについても引用しておく。ところが、コンサートホールに設置されているキャットウォークの画像が全く見つからない。実際に猫が歩いている室内のキャットウォークぐらいしか見当たらない。次の3枚目のサンプル画像の青い通路はキャットウォークらしい。肝心のコンサートホールのキャットウォークはヒットしない。確か、ホールのここに小さなハンディカメラを取り付けて俯瞰映像を撮ったことがあった。

【キャットウォーク】
キャットウォークとは、高所にあるネコの通り道のこと。自然にできたもののほか、飼い主等が人為的につけたものも含む。転じて、高所用の通路や足場の代名詞となった
 
F0924-0b
F0924-0a
F0924-0d
関係ないが、下は、時々出没する猫。眼を合わせてすぐ顔を背けることは全くない。しばらくじっとこちらの顔を窺っている。それが十秒近く続いた後に、ふっと顔を背けてどこかへスタスタ歩いていく。もちろん人間と違って「寄そ見」して歩くことはない。
F0924-0e 

光源のセッティングが違っていたようなので(キューブ4の側面前に光源を置いていなかった)、正しいレンダリング図を掲げておく。階段状キューブを左方から見たカメラはキューブ中心を基点にz軸回りに0度、45度、90度と旋回した後に、x軸回りに旋回して上方から俯瞰したレンダリング図である。ただし、もちろんカメラを旋回させず、キューブ+光源をまとめて回転した場合と結果は変わらない。
F0920-1
次はテクニカルな問題。階段状キューブを3D空間内でスライスするのは難しい。通常のキューブをスライス・スライドした階段状キューブをそのまま傾斜する別のキューブでブーリアン演算するよりは、逆に階段状キューブの方を45度回転させ、それをスライスしたキューブと同じ形状を持つ別のキューブ(青い矩形で示した)とブーリアン演算して(intersect=論理積)一個ずつのピースを成形した方がいい。F0920-2がその図である。ただ、ブーリアン演算に使用するピースの位置を正確に決めるのは難しいかもしれぬ。階段状キューブの位置を原点に置くとしたら、少しずつずれていく演算用キューブの位置をどのように求めるか。

もっとも、図の青いキューブの間隔はその横サイズと同じなので、例えばピース5の位置を図を参照しつつある程度任意に定めたら、その後のピース4〜1までの位置も自動的に決まることになる。 
F0920-2
カメラモーションを、少しでも物体モーションに接近させるためには、どのような演出が考えられるだろうか。先述の光源にしても、仮にテストしてみた簡単な例で、もちろん決定項ではない。ただ、光源が通常の点光源以外に、面光源など面積を持った光源もあるため、あまり現実的でないとはいえ、面分を6枚構成してキューブ状の光源体を作ることができないわけでもない。形態的には物体キューブと同じ光源をセッティングできるわけである。ところがカメラの場合はそうはいかぬ。キューブと同じ形態を持つカメラの存在など想像を絶するとしか言いようがないからだ。

ふと今思い出した例外的な例として、山中信夫などが「美術作品」として発表していたピンホールカメラなどがあるかもしれない。下に引用した画像の作品それ自体は大したものではなく、実際に見たわけではないが、多分画廊全体をピンホールカメラの箱とみなして小さな穴から射す外光を印画紙に焼き付けた(?)インスタレーションが面白かったのではないかと推測される。好意的に解釈すれば、これなど、カメラと物体(画廊空間+外の風景)を一体にさせようとする意志の途上に在る「作品」であり、そのための試行ではないか。客体としての画廊外の空間と光があり、それを受ける網膜としての印画紙がある。印画紙を貼りめぐらした壁と画廊空間がある。ところが網膜はすでに人体の一部であり、客体を感じ認識する主体としての役割を任じている。画廊空間が一種の脳髄の位置づけにあるのである。どこから物体(風景)でどこからカメラなのかがよく分からなくなるところがある。もっとも、後から得た知識でそのように想像するのみで、今では痕跡としてしか形をとどめていない実際の「作品」に接しても、何の感興さえ呼び起こさないだろうが。
F0920-0 

[2階段状にスライドした5個のキューブ上に下記データによる光源を置いてレンダリングしてみた。

○キューブ5 サイズ(5, 5, 1):位置(8, 0, 8)
○キューブ4 サイズ(5, 5, 1):位置(6, 0, 6)
○キューブ3 サイズ(5, 5, 1):位置(4, 0, 4)
○キューブ2 サイズ(5, 5, 1):位置(2, 0, 2)
○キューブ1 サイズ(5, 5, 1):位置(0, 0, 0)
○光源5 位置(8, 0, 10)
○光源4 位置(2, 0, 8)
○光源3 位置(0, 0, 6)
○光源2 位置(-2, 0, 4)
○光源1 位置(-4, 0, 2)
○カメラ1 位置(-30, 0, 4)
○カメラ2 位置(-4, 0, 30)
F0917-1

光源のEnergyはいずれも1、Distanceは10としている。
○Energy…1
○Distance…10

5つの光源を、単にスライドするキューブの正面から見て横に置いているだけである(一番上のキューブ5のみ真上に配置)。

F0907-1はキューブを上端から何枚かに切断した状態を図解したものである。ちょうど食パンのように、キューブを何枚かの薄い板に分解し、上の板から少しずつ右にスライドさせている。右にスライドする距離は適当に決めているが、高い板ほど右にずれる距離が大きく、低い板ほど右に大きくは移動しない。あまり移動距離を大きくしすぎると、これを傾斜させてF0907-2のようにずれた上部の板の右先端を地面に接地させる。今想像しているのは動きをともなったオブジェクトの変形や成形であり、キューブが薄板状に分解していく成形と、切断された上部の薄板状キューブが重みに耐えかねてバランスを失って、右に傾斜するタイミングを、どのように合わせるというところまでは、よく分かっていない。それ以前に、図のようにキューブが5枚の薄板に切断されるとしても、無論それは一挙に5枚に分断されるのではなく、徐々に上から切断されていくのである。そしてそれぞれの切断も一挙に行われるわけではなく、切断された残余との位置のずれによって知らしめることができる。あらためて図解の要もないとも思われるが、図解しないとわかりにくいので、描いておくと、切断はF0907-3aのように一挙に行われるのではなく、F0907-3bのように時間をかけて徐々に切断する方と切断される側の位置がずれていくモーションによって初めて表すことができるということだ。
F0907-1
F0907-3

またこの上部から少しずつキューブが徐々に切断されていく状況を観察するカメラの動きも問題になる。想像しているだけではほとんど具体化できないが、もちろん単に客観的に動くオブジェクトを冷静に定点観察しているわけではなく、梯子を昇る人が梯子ごと地面に転落する際の主観ショットのように、また車椅子に乗る病人が車椅子ごと階段を転げ落ちる際の主観ショットのように、薄板キューブとその順次スライドにもっともふさわしい独特のカメラワークがあるはずであり、そのカメラによって捉えたスライドキューブでなければならないのだ。


なお、「切断」と「スライド」を混同する怖れがあるので、「スライド」について、『デジタル大辞泉』から引用しておく。下記は幾つか記載された定義の一部であるが、もちろん最初の「滑ること。滑らせること」としてしか「スライド」を使用しておらず、他は無関係。

【スライド(slide)】
1 滑ること。滑らせること。
2 ある数量に従ってある数量を増減させること。「賃金を物価にスライドさせる」
3 内容を変えずに全体をそっくりそのままずらすこと。「番組を30分後ろにスライドさせる」

多分最初は比較的客観的に、キューブ全体をファインダ内に収める構図から始まるだろう。この直後は、一挙にキューブ上端の稜線か頂点にズームインする。ここからが問題で、上部からスライドしていくキューブをどの角度からどのように眺めたら良いのか。エレベータ内部の壁もそうだったが、キューブを上空から俯瞰するだけで、何のテクスチュアも刻印されていない無表情な板状キューブのスライドしてずれていく様子を捉えることが可能なのか。F0907-4aは先に描いたずれた分解キューブの前面図であり、F0907-4bは上面図である。ところが上面図から見ても、切断した板が右横にずれている状況などはほとんど分かるまい。よって一旦は真上から俯瞰するカメラ位置とアングルは、前面から見る位置とアングルへと変化して、階段状にずれたキューブ状況を捉えなければいけない。そしてその間もゆっくりだか素早くだか分からぬスピードで、キューブは切断されて右方向にずれてスライドしていくのである。F0907-4cに見取り図とレンダリング例を掲げた。
F0907-4
F0907-4c
上面図から前面図へのカメラ位置の変化とともに、多分F0907-5のように、スライドキューブ1から5にかけてカメラターゲットを変えていくカメラ位置の変化も必要になるかもしれない。この場合カメラの位置とともにアングル(ベクトル)も同時に変化するのかまではとても分からない。あまり複雑なカメラワークにしても意味がなく、どこかで論理的に辻褄の合うシンプルなワークにとどめることが重要である。しかもそれは自分にはもちろん第三者にも伝達可能なメカニズムでなくてはならない。
F0907-5

多少意味合いが異なるが、その違いも含めてメモしておくなら、このノートに書く覚書は、音楽におけるスコアの如きものであるべきだと思うことがある。作曲家が書いたスコアは、厳格なルール(このルールは他人が作っている)に従って書き起こした音楽であり、それを指揮者や演奏家が演奏する。否、演奏するのは演奏家のみであり、指揮者は演奏家の方を操る。スコアの解釈は演奏家や指揮者にとって千差万別であり、どれだけスコアに書かれた音楽内容が素晴らしくても、指揮者や演奏家の演奏や指揮によっていかようにも生き死にする。このノートのメモとの大きな違いはスコアのルール自体も音楽家である作者が定義して作っているというところである。したがって、指揮者や演奏家は、スコアを読む以前にまずスコアのルールを理解するところから始めなくてはならない。指揮者や演奏家の数だけスコア解釈の数、音楽の数が生まれるという点において、建築における設計図とは違ってくる。また別ジャンルにまで話を広げれば、映画の脚本における役割なども考察対象になるだろう。どうでもいい閑話ながら、映画における脚本家と映画監督、美術、音楽、俳優陣の関係は、音楽における作曲家、指揮者、演奏家との関係に近いだろう。

次いで、スライドされた板がずれて階段状になったキューブは、全部の切断と右移動終了後から、今度は左端から右端に向かって何枚かに及ぶ切断を開始し、前方向にずれていく。これを一度に図解するのは困難なので、以下に、もっとシンプルな分解キューブにして図解してみる。分解数は1枚だけにとどめておく。分解する(切断して右に移動させる)板を1枚だけにするということは、結局最初与えられた一個のキューブを上下二つだけに分解し、上の半分になったキューブを下の半分のキューブを差し置いて右にずらすことと同じである。これをF0907-6に示した。F0907-6aが前面図、F0907-6bが上面図である。上面図を見る限り切断前のキューブから何が変化したのかはよく分からない。切断とかスライドというモーションがなければただ二個のキューブが上下につながっているだけのオブジェクトでしかない。F0907-6cに見取り図を掲げた。
F0907-6
そして上半分の切断キューブが右にスライドを終えた時点で、階段状になった(と言っても二段階しかないが)オブジェクトをさらに上下に切断し、その上部を今度は前方にスライドさせる。これの前面図と上面図、見取り図をF0907に掲げた。 
F0907-7

[2017-0828]に「トイレに入るための狭いスペース」について書いた。通常、トイレの前にそのように名付けられた空間があるわけではない。と言うより、いちいちトイレ前の空間を「トイレに入るための狭いスペース」なぞと呼んだりすることはない。にもかかわらず、トイレに入るためには扉をこちら側に開くための狭いスペースが必要であり、その場に佇んで身をよじる必要があることも歴然たる事実なのだ。ただしこれはトイレに限らずあらゆる種類の部屋に入る時も同様であろう。浴室に入る時は浴室に通じる扉を開けるために一瞬浴室前で佇み踏ん張る必要があった。

特に所沢アパートの浴室扉は、蛇腹式というのか、折り畳むような妙な形状をしており、それ自体で不安定な風情を醸していた。扉には半透明のガラス板が嵌っていたはずであり、それがさらに脆弱な佇まいを増長していた。折り畳まれた扉はこちら側に開かれるのか、向こう側に開かれるのかよく分からない。幽かな記憶に頼ると、洗面室側でも浴室側でもない扉右側の方に折り畳まれていたような気がする。つまり通常の引き戸でもなければ開き戸でもなく、扉の開閉にはかなりの力を要したもので、そのためにも洗面室側で踏ん張って立つ必要があったのだ。

「トイレに入るための狭いスペース」の話に戻る。先にそのスペースの中途半端な性質について書いた。それ以外にも洗面室や脱衣所、洗濯室の性質についても記した。要するに見取り図では簡単に「洗面所」と記されているだけの空間が、実は洗面所のみならず、脱衣所でもあり、洗濯機が置かれた洗濯室でもあり、さらにはトイレに入るための狭いスペースでもあることを考察したのだった。そして、それぞれの空間が何と何を繋ぐための媒介空間でしかないのかを示した。次にもう一度書くと、

●洗面室=<ヨソ行きの顔――普段の顔>
●脱衣所=<着衣する日常――浴室にて完全に脱衣する非日常>
●洗濯室=<洗濯時間――洗濯物の保管時間??>
●トイレに入るためのスペース=<嫌な排尿感――排尿後のホッと安堵した開放感>

などとなっていた。
F0829-0
ところで今引用しながら気づいたことであるが、この対峙項は、いつも書いている<階段A―踊り場C―階段B>的な対峙項と同じものだったのか。「ヨソ行きの顔―普段の顔」などは、少なくとも具体的な空間や部屋などに与えられた概念ではない。ただ上記の対峙項ABを具象的な実体に置き換えれば置き換えることができないわけではない。洗面室において洗面台の前で洗顔したり化粧したりする行為は、普段の顔をヨソ行きの顔に変容させるためである。これは顔を基準にして分かれる対峙項目であり、顔が晒される空間や環境にまで概念を広げれば、普段のすっぴん顔を呈す家庭内空間と仕事場空間などにまで具象的な実体を広げることは可能だ。脱衣所も、簡単に、着衣している居間と脱衣している浴室という風に対峙させることができる。そのような具象的対峙項ABに置換するなら、次の図式を整備できる。

●洗面室=<家庭内空間――職場空間>
●脱衣所=<浴室――居間など>
●洗濯室=<服を着衣している時間――洗濯時間??>
●トイレに入るためのスペース=<トイレ――居間など>

最後の対峙項<トイレA―トイレに入るためのスペースC―居間などB>を、次のように書き換えてみる。

●<トイレA―トイレに入るためのスペースC―洗面台B>

つまり先に掲載した写真のように物理空間上は、トイレAと洗面台Bは向かい合わせの関係にあり、その間に、「トイレに入るためのスペースC」
は存在しているのは確かな事実なのである。全く誰にも意識されることもないが、洗面台の上の鏡には、その前で洗顔や化粧をするごく短い時間以外は、トイレの扉が一日ずっと写り続けているのだ。対峙項として区分された二つの区域の中で相互に少しでも近い部分的パーツを選ぶとしたら、まず洗面台の鏡が候補に挙げられる。それは常にトイレ側の扉を写しているという関係をトイレ室に対して持つからである。一方のトイレ側で少しでも洗面台側に接近するものを挙げるとしたら、あるいは扉がそれになるかもしれない(ただ元々扉―特に開き戸―はそういう性質を持つオブジェクトである)。

これはまた別の話である。現在使用している崩壊寸前の陋屋のトイレは広さが一畳もないほどの狭さで、中で体の向きを変えるのにも苦労する。ここのトイレでなくとも、病院のトイレなどでも、トイレは狭いのが通常だ。ここまで狭いとトイレに閉じ込められるのではないかという錯覚の恐怖に駆られたこともあった。現に岡崎市民病院で、外から掛けられた鍵によっててっきり監禁されたと思い込み、扉をドンドン叩いて助けを乞うたことさえあった(内側から鍵を解除できるのに、それに気づかなかった)。ではトイレほどの狭い部屋が連続して並ぶ家屋を想像したら、部屋の壁と扉はどのような構造になるだろうか。F0829-1は不正確な図だが、扉=壁となった場合の4つの部屋の構成。
F0829-1

何度か引用した見取り図であるが、再掲する。5年前まで住んでいた所沢アパートの見取り図である(F0828-1)。普段はバルコニーに面した5畳の和室に居る時間が長く、何気なく振り返った後ろのLDKを見ることが多かった。正確にはLDKを通して玄関につながる扉を見ることが多かった。この扉は開き戸であり、LDK側に開くようになっていたはずである。扉はいつも開け放しだったのか閉められていたのかの記憶はない。いや、扉よりは扉右の壁の方を見ることが多かったろうか。以前にも書いたようにこのLDKはリビングなのかキッチンなのかもはっきりしない中途半端な空間であり(だからこそ「リビングダイニングキッチン=LDK」という名称になっているのだろうが)、リビングの安息とキッチンの油と汚れ間が同居する妙な空間となっていた。普通リビング空間であればソファかリビングテーブルを置きたくなるものだが、ついぞそのような装飾をしようと考えたこともなく、そこは絶えず通りすがりの空間でしかなかった。
F0828-1
それ以上に不思議な空間だったのは玄関向こうの洗面所である。以前にも書いたようにこの洗面所に申し訳程度に設置してあた小さな洗面台(下写真)は使用した記憶がない。
F0828-0
キッチンに水道や大きなシンクがあるのに、なぜわざわざ洗面室の小さい洗面台を使う必要があるのか合点が行かなかった。写真を見れば分かるように、ここには一応一般的な洗面台には必ず取り付けられている鏡はあったものの、その鏡を覗いたという記憶すらない。上部には蛍光灯が取り付けられているので鏡に映る自分の顔は暗くないはずなのに、こちらの鏡の中の自分の顔は全く覚えていない。それとも洗面台上の鏡に映った自分は数年後の運命を予告するかのごとく、途轍もなく暗かったのだろうか。

洗面室は特異な空間である。(いつも通っている三嶋病院に見る洗面室――というより洗面台のある通り――も妙な空間であり、これについてはいつか考察しなければならぬ)。所沢アパートの洗面室がさらに特異な点とは、そこが脱衣所と洗濯機を設置した洗濯室も兼ねた空間だったことである。写真には写っていないが、洗面室の洗面台の置かれた側(見取り図では左側)とは逆の右側には洗濯機を置いていた。洗濯機を設置した部屋などは洗濯室とは呼ばないかもしれない。大体一般家庭において、洗濯機を置くためだけの部屋があるとは思われぬ。しかし、浴室に入るために脱衣する部屋を脱衣室と呼ぶとするなら、そこは洗面室と脱衣室を兼ねた空間だった。さらに洗面台の前にはトイレがあり、身を捩ってトイレに入るための狭いスペースも洗面室は兼ねていた。

トイレや排尿にまつわる話については、いろいろ思い出したくないエピソードがある。現に、病気の後遺症のためか、就寝中も約2時間に一度はトイレに立つありさまで、幽かに眠りに落ちたと思ったら、見る幻覚とも夢ともつかぬせん妄にはトイレで排尿する場面が多く登場する。

整理すると、見取り図には「洗面室」としか記されない殺風景な空間には次のいくつもの部屋空間の機能を兼ねているのである。

●洗面室
●脱衣所
●洗濯室
●トイレに入るためのスペース
(●浴室)

LDKと違って(否、結局上述のごとく、LDKも例外ではないのだが)、上記いずれの空間も通過するための場所にすぎないことに注意すべきである。歯を磨いたり洗顔したりする洗面所は、よそ行きの顔を作るための普段の顔からの過渡的時間を過ごす空間である。脱衣所は着衣している日常から浴室で完全に脱衣する非日常へ至るために過ごす空間である。いずれも佇むのはものの一分もかかるまい。トイレに入るためのスペース(これはトイレそのものではなく、トイレ扉の前の狭い空間のことを指している。どれだけ狭くとも扉を開けるスペースがなければ、人はトイレにに入ることもできない)はトイレに行く前の切羽詰まった嫌な排尿感(?)と排尿後のホッと安堵した開放感の間に位置する過渡的時間であり空間なのである。洗濯機が置かれた洗濯室も多分そのような刹那的な要素を持つだろう。洗濯機は、実際にドラムを回して洗濯する時間以外は、ドラム内に洗濯物を放り込んだままにしてある時間が圧倒的に長く、洗濯というよりは洗濯物の保管場所として機能していたと言っていい。洗濯そのものはほんの30分から1時間で終わってしまう。残りは洗濯物の保管に費やす時間とただ洗濯機を置いてある時間が半々である。

●洗面室=<ヨソ行きの顔――普段の顔>
●脱衣所=<着衣する日常――浴室にて完全に脱衣する非日常>
●洗濯室=<洗濯時間――洗濯物の保管時間??>
●トイレに入るためのスペース=<嫌な排尿感――排尿後の安堵する開放感>

「廊下と多目的室」においては、廊下側の案内プレートと多目的室側の机に置かれたノートPCというオブジェクトが要素互換の対象となっていた。どちらもお互いの部屋に近いところに設置されたオブジェクトであり、それぞれの空間を構成するパーツの一つであった。ただし写真に撮って初めてその存在に気づくことになった案内プレートとは異なり、ノートPCは架空のオブジェクトであり、実際にそれが多目的室の中に置いてあった訳ではない。多目的室が監視室だったとした、机に置かれたノートPCが廊下側を監視するメディアになるかもしれないと、空想を逞しくしただけの話である。この種の空想や妄想はどれだけ逞しくしても、しすぎることはない。病気を患ってからというもの、現にさまざまな幻覚を見ながら今に至っており、それに比べたら、多目的室が監視室のように思われる空想などは、可愛いものである。

ただ重要なのはそれぞれの空間を構成するパーツならどれでも要素互換対象になるわけではなく、やはりどこかで、相互に通じる方位を持っているようなオブジェクトであるのが条件である。案内プレートはまさに「多目的室」と書かれたプレートであり、廊下側に位置しながら、もう一方の多目的室を指し示している。またノートPCの方も、廊下側を監視するモニターという役割を持つことによって、廊下の空間と繋がっている。要するに、案内プレートは廊下にあってわずかに多目的室にも近く、ノートPCは多目的室の机の上に置かれながら、わずかに廊下側に近い位置に属していると言っていいのである。

考えてみると過去のほとんどのモデルが、二つの対峙項たる空間の境界に存在する微細なオブジェクトに着目し、それがABどちらの空間に位置していると見ても間違いはない、あるいはどちらの空間に属しているかも分からないことを見ることをテーマにしてきたように思われる。こちらの部屋と向こうの部屋を繋ぐ壁や扉はそうであるし、壁と扉を繋ぐ蝶番がそうだった。地下街の丸テーブル下を舞う落ち葉も、密閉空間である地下の部屋に入り込んでくることのない落ち葉が、元来戸外に属するオブジェクトであり、三階の部屋に散乱する転倒テーブルは、閉店して片付けの始まった地下のファーストフード店のテーブルが忍び込んできたとも言えるのだ。

このように考えると、もう少し他のモチーフやモデルが具体化できるかもしれない。例えば本来なら内部に収納されてしかるべき抽出しが外にはみ出て外れかかっいる箪笥や、また内部に収納されるはずの小物がこぼれた抽出しなどは、その中途半端でいささかイライラする感情まで喚起する風景が上記モデルを模した例になるかもしれない。もっと分かりやすく図式的に整理する。こちらの部屋Aと向こうの部屋Bの媒介は扉Cだった。

●こちらの部屋A
●向こうの部屋B
◎扉Cや壁C

●廊下A
●多目的室B
◎廊下案内プレートC
◎多目的室ノートPC(C)

●地階A
●三階B
●地階に舞う落ち葉や三階に転倒するテーブルC

●抽出し内部A
●抽出し外部B
◎抽出し外部に散乱する小物C
◎抽出し内部に整頓されて収納される何かC
F0827-1
F0827-3
「廊下と多目的室」には両方の空間ABに一方に近いオブジェクトCがそれぞれ二つ存在し、その二つの間を要素互換したが、「こちらの部屋Aと向こうの部屋B」にはそれほどはっきりとしたオブジェクトを特定できない。あえて探せばできるかもしれないにしても、あるいはその必要までないかもしれぬ。では「抽出し内部から零れ落ちた小物」には何がABCに相当するか。細かく言えば、何がABに、何がA内CとB内Cに相当するのか。またA内CとB内Cはどのように入れ替わるのか。

抽出し内部がAであり、抽出し外部の方がBである。そして抽出し内部に入ってくるものは元々抽出し外部にあったものであり、抽出し外部にあるものは元々は抽出し内部にあったものだということで辻褄が合うのではないか。抽出し内部に球などの小物が入っていたらそれは零れ落ちて外部に転がっている必要がある。では元々外にあった何が抽出しの中に入ってくるべきか。分かり難いが、この時に抽出し内部と抽出し外部の境界に存するものとは、抽出しそのものではなく、抽出し中や外に存在していたオブジェクトになるのである(??)。

「こちらの部屋から向こうの部屋に移動する」は、こちらの部屋からわずかに半開きになっている扉を通して向こうの部屋を見る体勢とカメラが捉えた風景に特徴がある。扉はわずかに開いて向こうの部屋の光がこちらの部屋に漏れている。こちらの部屋に漏れた床上の光区域が向こうの部屋に属すのか、それともやはりこちらの床に属す属性なのかは決めがたい。何より、こちらから向こうの部屋を覗き見しているというカメラの向き、精神の傾向に意義があるのであり、フィルムノアール的な絵を思わせるこの風景の特質を示す最も大きい要因となっている。

これはboolean演算の引き算によって刳り貫かれた穴を覗く風景ともよく似ている。形状Aから形状Bを引いたオブジェクトから背景Cを見る時に、果たしてカメラはABCのどれを見ているのかをすぐに決定できないところがあり、この曖昧さがboolean演算によって形成されるオブジェクトの面白さであると言えるのである。かかる構造を持つ現実のオブジェクトを、他にどれだけ探すことができるだろうか。

扉と同じように建築物を構成するパーツなら、まず窓が思い浮かぶ。ただ窓には先の扉と違って扉に相当する部分がない。扉は元はと言えば壁に穿たれた穴である。それを閉じるパーツとして扉なるオブジェクトが存在しているにすぎない。窓も同様に壁に空けられた穴であるが、それを閉じるための扉に相当するものがすぐには見つけにくいのだ。もちろん窓に取り付けられた開き戸のようなパーツが想像できないことはないし、ホテルの窓には、転落予防の仕掛けとともにそのような開き戸が取り付けられていることが多い気がする。下写真はネットから拾ったホテルの窓の画像で、外の風景を眺望できるようにガラスが嵌め込まれた開き窓になっている。しかし、ガラスが嵌められていない不透明で木製の開き扉などが一般家庭の窓に取り付けられている情景はあまり思い浮かばない。
F0826-0a
雨戸になると、マンションやアパートには無関係だが、一軒家ではお馴染みかもしれぬ。しかし雨戸は扉に比べて一日のうちに使用される頻度は圧倒的に少ない。大昔に、この岡崎の実家では夜のたびに雨戸を閉めていたものだったが、いつの間にかその習慣は失われ、雨戸そのものもなくなってしまった。今でも一軒家において雨戸はどれだけの頻度で使用されるのか。台風の日など、よほど風雨が強い日でないと雨戸を閉めたりすることはないのではないか。
F0826-0b
窓は家屋の内側と外側をつなぐ穿孔であり、家の外壁に空けられた四角い穴である。家屋の中の部屋と部屋を区切る壁に窓が空けられてりする例はあまり聞かない。これも昔の話しだが松阪の実家の居間と台所を区切る壁には小さい窓(というより穴と言った方がふさわしい四角い空間)が空いており、調理した料理の乗った食器の出入りに使用されていた。またすでに壊されてしまったここ岡崎実家にも、何のために作られたのか、子供部屋と台所を仕切る壁にも小さな四角い穴が空いていた。こちらの小さな窓にはいちいち扉は付いていなかった。しかし扉の有無にかかわらず、窓が覗き見のための重要なメディアであり道具であることは論を俟たず、扉ほどではないにせよ、重要なモチーフとして描画対象になるのは間違いない。

「格子」もboolean演算で作ることのできる形状の一種である。格子をビル壁面に開けられた窓だと見做すなら、幽かに遠い記憶の中に
ビル(というよりアパートか)壁面の幻想を思い浮かべることができる。それは遥か昔に住んでいた岡崎県営アパートから来るものか、
それとも幼少時に未来都市のように思われた名古屋の街ビルの思い出から来るものなのか分からない。下は、もうせんに取り壊されて今はない昼と夜の県営アパート(昭和32年頃)。
F0826-0c
横一列に列ぶ幾つもの窓から窓をくぐり抜けるようなカメラのモーションを想像することができる。F0826-1は幾つかの窓を持つビルの表面を見た前面図であり、F0826-2が上部から窓の部分だけを見た上面図である。ただビル自体を上から見ればビル屋上しか見えないはずであり、図は窓枠だけを描いていると言っていい図の右側がビル外側の空間を表し、左側がビル内部を表している。例えば一羽の鳥が(今度は虫ではなく鳥)が外から飛翔してきて窓を通して部屋の中に飛び込み、また次の窓から外に出て行き、外からまた次の窓を通して中に入る……というジグザグ運動を繰り返すとしよう。この時に鳥の目にはどのような風景が映るのだろうか。実際に目にするのは窓枠である窓の側面と部屋内部の壁と、それから外の空以外にはない。しかもどれも一瞬しか目にすることはない。最初のa1を除けばa2で窓側面を見て、a3で部屋内部、a4で窓側面、a5で外空間、a6で窓側面と繰り返すことになるだろうか。
F0826-1

「ライティングの設定によってオブジェクトや風景の儚さや危うさを表現することは難しいと書いた。乱反射光ではなく、主に微妙な反射光によってオブジェクトの存在を描くことは多少その危うい雰囲気を表すのに寄与するとも書いた。もう一つ、これも以前から二三の空想をしているカメラ運動に対するとスポット運動の遅延も、そのための方法かもしれない。カメラがターゲットであるオブジェクトを捉えようとする。ところがそのオブジェクトが壁を逃げる虫のように(現に、さっき外に通じる扉を開いた途端に、扉に貼り付いていたらしいヤモリが落ちて素早く床を走って、おそらく床と上り框の隙間から縁の下に逃げていった)、中々カメラのファインダ内に収めることができず、すぐ逃げて行ってしまう。あるいはカメラの先に行ってしまう。同じようにスポットライトもオブジェクトを捉えるために、スポット輪の中に収納しなければならぬのに、これもまたうまくいかず、すぐに逃げて行ってしまう。要するにオブジェクトの運動とカメラの運動、スポットの運動が全てずれているのである。スポット輪の中心にオブジェクトが収まり、カメラファインダの矩形がその輪を収めればごく普通の風景になる(F0825-3)はずなのに、そのようにはいかず、F0825-4のように絶えずずれてしまっているというのが、ここで表すべき儚く危うい世界の核心なのである。
F0825-3
同じ状況をスポットではなく通常の点光源で表すとしたらどうなるだろうか。F0825-1は一枚の壁で区切られた廊下のような空間を模した図である。
F0825-1
カメラの推移は次の通り。 
○00フレーム(-5, -5, 0)
○60フレーム(-5,  5, 0)
○60フレーム( 5,  5, 0)
○90フレーム( 5, -5, 0)
光源をカメラのわずか前に置いている。光源も移動する。
○00フレーム(-5, -4, 6)
○30フレーム(-5,  4, 6)
○60フレーム 5,  4, 6)
○90フレーム( 5, -6, 6)

レンダリング図の例(F0825-2)。 
F0825-2

「こちらの部屋から向こうの部屋への移動」モデルにおいて、カメラが向こうの部屋に移動しようとするモーションは、こちらの部屋と向こうの部屋を隔てる開き戸が徐々に開くモーションも同時に兼ねている。最初から半開きになった状態の扉と壁の隙間からカメラが向こうに抜けるわけではなく、徐々に開いていく扉と壁の隙間をくぐってカメラは向こうに移動するのである。このカメラの動きとファインダ内に捉える風景をもう少し具体化してみたい。

始めに見るのは扉ではなく、床である。最初は暗かった床に、向こうの部屋の光が射し込んでくるのが始めのショットである。例によって概念図であるが、ほぼ真っ暗のこちらの部屋の床に扉が開くことで向こうの部屋の光が射し込んでくる(F0824-1a→F0824-1b)。次第に光はファインダ内の半分近くを占めていくが、このままだとファインダ全域を占めてしまうので、途中で光が当たる面積の拡大は中断され、カメラは影と光の境界線上を平行に辿っていく。この辺りの状況については説明が難しい。が当たる床面積の拡大は停止しても、扉の回転移動が止まったわけではないのだ。扉は始めから等速で回転移動を行っている。扉によって生じる床の影を追尾するカメラの動きが変化するということだ。つまり始めはカメラは停止したままで回転する扉によって動く影(回転する影)を客観的に見ているが、途中から扉の動きとともにカメラも併走を開始するのである。わかりにくいが、F0824-1bからF0824-1cがそのプロセスを表している。
F0824-1
F0824-1c
分かりやすい喩えで言えば、最初は平行移動するオブジェクトを固定カメラが捉えているカメラワークが、途中からオブジェクトと併走するカメラワークに切り替わる変化と同じことを指している(F0825-2)。
F0824-2
次に床から回転運動を続ける扉の側面にターゲットを切り替える。ちょうど床から扉側面を昇るようにカメラがトラックするターゲットは下部から上部にかけて上昇する。そして扉側面の高さ中央辺りで、今度は開く扉の裏面(こちらの部屋から見て裏側。向こうの部屋にとっては表側)を見ていく。この時のカメラ位置は相変わらず変化しないのか、それとも旋回して大きな動きを見せるのかは綿密な設計をしてみないと分からない。扉裏側を見るようになってもまだ扉の回転は継続しており、F0824-3のように扉裏面の見え方は、遠近がかかるaと遠近がかからないbとでは違っている。この時カメラ自体の回転か運動があるかどうかも分からないが、多分扉回転と同時にカメラ旋回も行われた方が望ましいだろう。

この先にカメラは何を見るのか。想像の風景では、向こうの部屋に入った瞬間からカメラはずっと部屋の下部、机やテーブルの足の部分しか見ていないような気がしてならぬ。部屋の中に置かれているのは机とテーブル(それ以外には書架か箪笥他の二三の家具のみ)ぐらいであるが、どれも上の表面やそこに置かれている食器類は見えず、床と接触する足の部分ぐらいしか自らを現していないのだ。正確には足とそれが接触するテーブル裏面と、足とそれが接地する床面が見えているだけなのだ。

テーブルは通常椅子とセットになっている。新しく家具類を買い換える場合、テーブルもそれとセットになっている椅子と同時に仕入れるのが普通だろう。余談ながら、今PCが乗っかっているテーブル(机と言ってもいいのか。外観的にはダイニングテーブルに近い机であり)は病気をして一時職場に復帰し、上京して住んだ住み家に仕入れた無印良品のテーブルである。椅子もセットになっていたはずだが、椅子は一個しか買わなかった。そして買った椅子はベッド横の衣類置き場として使用しているだけで、テーブルと共に使用してはいない。普段テーブルの前に置いて今も座っているのは、病気前に買ったソファのようにクッションの効いた事務用椅子である。つまり本来一緒に使うべき椅子は切り離され、やや中途半端な形でテーブルは使用されているのである。これがテーブルなのか机なのかも判然としないので余計中途半端さが拭えない。

書斎に置く机ではなくダイニングテーブルを買ったのは、大きな27インチiMac以外に外付けHDやスキャナなども横に置くスペースが必要だったからである。買った製品は無印良品のホームページを見ても見当たらないが、大体次のような製品(写真はニトリのテーブル)である。
F0825-0
確か住み家に近い溝の口ノクティ6階にあった無印良品まで見に行って購入したと記憶している。5年前のこの時期のことを思い出すと痛切な気分に駆られる。生涯癒えることのない傷跡を背負うことが決定的になったとはいえ、まだ発作も起きる前であり、職場に一縷の望みをつないでいた。否、まだ希望を捨てていなかったという悔恨よりは、もっと別の意味での痛恨である。大体その意味がわかりつつあるが、今はそこまで書く余裕はない。

もう何度も書いていることかもしれない。大雑把に「制作」のプロセスを箇条書きする。ただ「制作」とは本当に嫌な言葉だ。代わりの用語をいい加減見つけたいものだが、もう数十年来依然として見つからない。遠い昔に制作ではなく「研究」なぞと呼んでみた一時期もあったが、むろん研究などではない。しかし、今為していることは、まさに「意識」することであり「夢見」であり「回想」や「追憶」であり、そればかりか「忘却」「死す」こととも同義であると一足飛びに言ってしまうと、何かが決定的に抜け落ちる。その間を指す的確な言葉が見つからないまま今に至っている。あえて実務的に言えば、このノートに行っているのは数分間か数秒間のデュレーションを持つ動画の脚本上梓であり、その絵コンテのメモであり、さらにその周辺の覚書である。そして、作業プロセスを段階的に分類すると、次の過程を辿って最終的な成果に到達する。

●シンメトリカルな風景の細部までにわたる設計と描画。
数は少ないが、これについてはいくつものサンプルを得ている。
 ○閉店したファーストフード店のある地階と転倒丸テーブルの散乱する三階。
○こちらの部屋と向こうの部屋。
○古井戸と果樹園
○廊下と多目的室
○階段と踊り場
○アメリカ倉庫の壁を思わせる壁面をバックに歩道を舞う落葉。右の飛行機
○ビル屋上のポンプ室と屋上広場
○マンション最上階の何も入っていない書架か食器棚が置かれた部屋とベランダ。
 いずれもシンメトリカルな対峙項の構図を形成しており、必ず境界部分に扉や壁、窓、螺旋階段などの媒介項を介している。

●以上のオブジェクトによってシンメトリカルに構成された風景を正常態から異常態へと変移させる。畸形の発現。
●稜線やコーナーなどのオブジェクト同士が衝突する境界の追尾を行うカメラワーク
●オブジェクトの特徴的な部分を照らすライティングの設定。

始めに想像された風景は、正常態から次第に異常態へと止揚されねばならない。止揚という用語が適切でなければ、異常態に還元されねばならない。ただ、この異常態化も、特異なカメラワークで捉えた風景の異常性と無関係とは言えないので、分けて考えるのが難しい。例えば、上蓋のない箱の中に放り込また幾つかのキューブという風景を考えてみる。それだけだったら普段あまり眼にすることのない風景でもまだ正常な風景の範囲にある。これを異常化するとはどのようにオブジェクトが変化することなのか。箱を構成する5枚の板(蓋がないので5枚)が妙に厚くなったり外れたりして箱という概念から逃れようとする事態は想像できる。内部を囲む外部という囲いの性質を喪失した5枚の板になることもあり得るかもしれない。また内部のキューブも妙に板状に薄くなったり、外部の存在に出る気配を見せたりして最終的に箱とキューブの差異がなくなるような構成物に作り直すことが出来るかもしれない。これが異常態化であり、畸形の発現である。

結局対立関係にある対峙項は、様々な方法で徐々に融和させていずれは渾然一体となった地平に解体するというのが目標になるのだろうか。これは上記とは別の方法であるが、「廊下と多目的室」では、それぞれの一部のパーツだけを題材として要素互換して異常態化させた。廊下全体や多目的室全体をというより、廊下の案内プレート、多目的室のノートPCだけを正常態から異常態とした。この手法はもっと別なる風景に適用されねばならない。しかし元々、多目的室や廊下なる空間が儚く危うい存在であることが条件であった。このことは忘れてはいけない。

最後のライティングについては、現時点でほとんど未知の分野であるとしか言えない。任意の位置に適当に点光源を配置すれば、やや特異なシェーディングを施すことができるのを経験的に知っている。しかし当然ながら、ライティングにも、あえてオブジェクトの稜線やコーナーや、あるいはオブジェクト同士の接触線を集中的に追尾させようとしたカメラワークと同等の根拠がなければならぬ。

一個のキューブは六枚の面分の構成によって成り立つオブジェクトであるが、逆の見方をすると六枚の面分をつなぐ境界(稜線)の存在すなわち媒介項的なるものの存在によって成立するオブジェクトである。この媒介の存在をもって初めてギリギリのところで成り立っているという儚さは、面分全体、キューブ全体をそのまま捉える通常のカメラワークでは到底表現することは不可能である。だからと言って単なる稜線やコーナーの追尾でそれが可能となるというほど、事情は簡単ではないが、少なくとも可能かもしれないどこかに到達せんとする漸近線上に一切の作業はなければならない。

今「やや特異なシェーディング」と書いた。これは主にF0824-1aのような反射光をはっきり持つオブジェクトの表情のことを指している。反射光はF0824-1bのように、逆視線ベクトルと光源ベクトル(物体から光源に向かうベクトル)との内積の値によって大きさを求めることができた。逆視線ベクトルと光源ベクトルとの間に生じる角度が大きければ大きいほどカメラから見る物体上の反射光は大きい。したがって絶えずカメラからオブジェクトの一定の場所に反射光が見えるよう点光源の場所を決定することはできるのである。もちろん反射光がなぜ必要なのか、その理由も明確でなければならないにせよ、少なくともオブジェクトの本来持つはずの実体性を消去するような効果を持っているのは確かである。例えばこの反射光をコーナー付近にのみ生じさせる等の演出をするとどう見えてくるか……など、オブジェクトの実体性を除去するためのライティングは、色々考えられるに違いない。もっともこのためには三灯照明を始めとした最低限の従前の一般的なライティングの知識と技術も欠かせないだろう。その上で、独自のライティング法を取得しなければならない。
F0823-1
 

[2017-0819]に「丸テーブルの下で舞う落葉のシミュレーション」について記した。もし、一枚の落葉が地面に落ちている状態から壁に貼りつくまでに要する時間を5秒間とするなら(ほんの数秒で良い)、最初と最後の落葉の状態と、その回転角度等の情報だけははっきりしている。始めは地面にぴったり落ちている状態であるから、これを回転ゼロとするなら、最後の右側壁に貼り付く状態はy軸回り(奥方向軸回り)回転角度が90度で終わっている。また左から平行移動を右方向に開始して、右側壁で移動を終了しているので、平行移動の座標変換も行われる。問題はその間に、どのような回転と平行移動を見せるかであったが、これの一番簡単な答えは、回転角度を乱数値で与えてしまう方法である。わずかに上方に移動しないと落葉は地面にめり込んでしまうので、上方向と、多少の前後方向への平行移動も必要である。この情報も乱数で与える。技術的なことを言えば、Pythonによるプログラミングは当面無理なので、タイムライン上の手作業で回転情報を与える必要がある。この乱数を与えるタイミング等を箇条書きにして記述することが可能か。

先述のように落葉が地面にぴったり貼り付いて落ちている状態から、一陣の風に乗って宙空に舞い、右側壁に貼り付くまでの時間を5秒とする。そして始めの落葉着地位置から右側壁までの空間距離を100とする。そして、5秒間と距離100の間で舞うモーションによって変化する運動パラメータは回転角度と平行移動距離である。これを仮に次のように取り決めてみる。

○000フレーム→150フレーム 平行移動量(0, 0, 0)→(100, 0, 0)
○000フレーム→150フレーム 回転角度(0, 0, 0)→(360, 360, 360)ランダム
○000フレーム→150フレーム 平行移動量(0, 0, 0)→(100, 0, 0)

(未完。また再開する)

↑このページのトップヘ